総研いのちとくらし
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文献プロムナード(13)

「マルチ医療論」

 野村拓

発行日2006年02月28日


象牙の塔・症候群

日本で「医療論」という言葉が本の書名などに登場するようになったのは、おおむね1970年代と考えられる。「医療は医学の社会的適用」というような能天気医療論から社会的共同生活手段としての医療、住民の共同業務としての医療、というような社会科学的医療論まで、いろいろあった。つまり医療論は登場したときから多分に「マルチ」であった。

その後、めまぐるしい医療技術進歩の合い間を縫って、「医療とは」がしばしば問いなおされた。 華やかな技術的進歩を追いかけるだけで、大事なことを忘れてはいないか。そして大事なことを忘れたり、置きざりにすることに対して「象牙の塔・症候群」(ivory tower syndrome)という言葉が使われたのが1988年である。

「象牙の塔・症候群」という言葉は

『2000年戦略の研究政策』
☆WHO: Research Policies for Health for Al(l. 1988)WHO.

で使われたが、それは次のような文脈においてであった。

プライマリ・ケアと住民参加を重視する「アルマ・アタ宣言」(1978)に沿って運動を展開する上で、一番の障害は先進諸国の医学教育における「象牙の塔・症候群」だ、というのである。

このWHO文書よりも2年早く出されたイギリスのGPによる

『2000年のプライマリ・ケア』
☆John Fry 他: Primary Health Care2000.(1986)Churchill Livingstone.

では、同様の文脈で、途上国の保健医療ニーズと先進諸国による医療援助とのミスマッチを厳しく批判している。商社や医療産業がらみで途上国が求めていない「病気の殿堂」(disease palace)を援助している、と。また、「象牙の塔」での医療費がやたら高いことをとりあげたのが

『医療的象牙の塔と高医療費』
☆Matthew Halt 他: Medical Ivory Towers and the High Cost of Health Care. Stanford Univ. 1992-93, Winter.

で、ここでは東大病院とスタンフォード大学病院との比較がなされている。

「象牙の塔・症候群」とは関係ないが、講義担当者が視野の片隅に置いた方がいいと思われる本が

『象牙の塔とハリー・ポッター』
☆Lana A. Whited 編: The Ivory Tower and Harry Potter(. 2004)Univ. of Missouri Press.

である。

大学の企業化

しかし、堅固で尊大に見える「象牙の塔」も、いまや「企業の論理」という白蟻に喰い荒らされつつある。単純化すれば、産学協同から「大学の企業化」へのコースである。

『都市医療センター』
☆Eli Ginzberg 編: Urban Medical CentersBalancing Academic and Patient Care Function.(1996)Westview.

では「金づまり時代の医学研究」の実態がとりあげられ

『医療技術の源泉大学と企業』
☆Nathan Rosenberg 他編: Sounce of Medical Technology, Universities and Industry(. 1995) National Academy Press.

ではタケダとハーバード医大の提携例が掲げられている。

『医学センターの未来』
☆Henry J. Aaron 編: The Future of Acadamic Medical Centers.(2001)Brooking Inst. Press.

は大学の独立行政法人化への参考資料になりうるような内容だが、他方、大学の役割を楽天的に述べ、意味のあることをやれば、お金の問題はひと
りでに解決しそうなニュアンスの本が

『保健医療の学術センター』
☆医学研究所(IOM): Academics Health Center.(2004)The National Academies Press.

で、ここでは20世紀と21世紀の大学の役割についての対照表が掲げられているが、もうひとつピンと来ない。

『医療政策とハイテク産業』
☆Marco R. Di Tommaso 他編: Health Policy and High-Tech Industrial Development.(2005)Edward Elgar.

には「知的資本、知的財産としての大学」の章もあれば「大学とハイテク産業との同盟」の章もある。たしかなことは「象牙の塔」から出される医療廃棄物の量が多いことで、

『医療廃棄物管理』
☆P. Rushbrook 他: Better Health Care Waste Management.(2005) WHO & The World Bank.

では、医療廃棄物の量が次のように示されている。

医療経済的切り口

危険な医療廃棄物を大量に出す大学病院は「政治経済学的対象」といえるが、すでに

『大企業寄りの医学がもたらす危険』
☆Jerome P. Kassirer: On the Take-HowMedicine’s Complicity with Big Business Can Endanger Your Health.(2005) Oxford Univ. Press.

が出されており、「われわれは研究者を信頼していいのか」という章もある。このような分野を扱う医療経済論、医療経済学も、やはり1970年代からにぎやかになった「マルチ医療論」の有力な一翼といえるが、最近のものだけをとりあげると次のようになる。

『医療の経済学』
☆Brigitte Granville 編: The Economics of Essential Medicine.(2002)The Royal Inst. of International Affairs.

『医療の経済的評価』
☆Rachel Elliot 他: Essentials of Economic Evaluation in Healthcare.(2005)Pharmaceutical Press.

『医療における私的介入』
☆April Harding 他編: Private Participation in Health Services.(2003)The World Bank.

『医療労働力の未来』
☆Celia Davies 編: The Future Health Workforce.(2003)Palgrave.

『WHOの費用効果分析』
☆T.Tan-Torres Edejer 他編: WHO Guide to Cost Effectiveness Analysis(2003)WHO.

『誰が払う? メディケア』
☆Darniel Shaviro: Who Should Pay for Medicare? (2004)Univ. of Chicago.

『長期ケアとメディケア政策』
☆David Blumental 他編: Long-Term Care and Medicare Policy.(2003)National Academy of Social Insurance.

『メディケイド』
☆Julie Lynn Stone: Medicaid.(2004)Novinka Books.

『医療政策、遂行と財政』
☆Huw T. O. Davies他編: Health Care Policy,Performance and Finance.(2004)Ashgate.

『費用便益分析と医療評価』
☆Robert J. Brent: Cost-Benefit Analysis and Health Care Evolutions.(2003)Edward Elgar.

『医療財政の経済学』2版
☆Cam Donaldson 他: Economics of Health Care Financing.(2005)Palgrave.

『医療消費者の研究』
☆Jernifer Burr 他: Researching Health Care Consumers.(2005)Palgrave.

『医療給付範囲の決定』
☆Timothy Stoltzfus Jost 編: Health Care Coverage Determinantions.(2005)Open Univ. Press.

『日本医療論争展望のちがい』
☆The Japan Healthcare DebateDiverse Perspectives.(2004)Global Oriental.

『医療の配置効率』
☆Xingzhu Liu: Policy Tools For Allocative Efficiency of Health Services.(2003)WHO.

『医療経済学・入門』
☆David Wonderling 他: Introduction to Health Economics.(2005)Open Univ. Press.

医療経済論では、これまでくり返しstate かmarketかが論じられてきた。そして、state すなわち公権力が、国民の意志、要求を代弁・代行する可能性について論ずることは医療経済論の範囲外とされてきた。

また、market 原理がstate の施策を左右するような段階をとらえるマクロな政治経済学的な方法論を持たなかったといえる。

マクロに、政治経済学的に

医療論は、いまやマクロに、そして政治経済学的に、変革への契機を探りながら展開されるべきだろう。そのような意図を持って、第4回で「医療の国際比較」を取り上げたが、その後のものを 紹介することにしよう。

『ボリビアの医療改革』
☆世界銀行: Health Sector Reform in Bolivia(. 2004)The World Bank.

では、ラテン・アメリカ9カ国(ボリビア、ペル、ニカラグア、パラグアイ、グァテマラ、ホンジュラス、エクアドル、ブラジル、メキシコ)の保健統計、経済統計がコンパクトにまとめられている。また

『アジア太平洋の比較医療政策』
☆Robin Gauld 編: Comparative Health Policy in The Asia-Pacific(2005)Open Univ. Press.

では、国別分担執筆の形で、中国、韓国、台湾、オーストラリア、日本、シンガポール、香港、ニュージーランドの各国がとりあげられている。

このように国際比較的な記述になっている本以外でも、資料の得難い国を単独でとりあげた本はそれ自体、国際比較の有力な素材となりうる。例えば、中国、イスラム圏などであり、資料の多いアメリカ、カナダ、EU関係のものは別の機会にまわして、先にここで紹介することにしたい。

中国の近代衛生史をまとめた

『衛生的近代』
☆Ruth Rogaski: Hygenic Modernity.(2004)Univ.of California Press.

には日本の医学者、衛生学者が数多く登場する。年代順に並べれば、緒方洪庵、長与専斉、松本良順、後藤新平、石黒忠悳、森鴎外となる。

『中国の人口政策レーニン主義から新自由生物政策まで』
☆Susan Greenhalgh 他: Governing China’s Population-From Leninist to Neoliberal Biopolitic. (2005)Stanford Univ.Press.

の表紙は毛沢東の絵だが、この本で、毛沢東の時代は「ソフト産児制限からハード産児制限への時代」とされている。その後「ハード」の時代がつ
づき、最終章の章名は「レーニン、フーコー、そして中国の人口政策」となっている。他に、国際的「おさわがせ」となりつつある

『SARS-流行の中心で』
☆Christine Loh 他編: At the EpicentreHongKong and The SARS Outbreak.(2004)Hong Kong Univ.Press.

も出されている。また

『中国農村部の医療保険』
☆Yuansheng Jiang: Health Insurance Demand and Health Risk Management in Rural China. (2004)Peter Lang.

は人口13億の国の制度を、既存の国家システムを念頭においてとらえようとするべきではないことを教えてくれる。

『イスラムにおける人権としての健康』
☆M. H. Al-Khayat: Health as a Human Right in Islam.(2004)WHO.

では「母乳哺育の責任」は述べられているが女性の権利はどうなっているか、という疑問は晴れない。

巨大な人口を抱える中国、インド、イスラム圏、アフリカ、ラテン・アメリカなどでは保健医療の圏外におかれた人たちが問題視され、いわゆる先進諸国では医療の質や効率が問題視されるのがマクロな傾向といえるが、国際比較的にとらえるかぎり、途上国の「人海」における保健医療問題からは、「生ま身」の人間が浮かび上がりにくい。やはり、「生ま身」の患者像や医師像が浮かび上ってくるのは「文学的医療論」ということになるのではないか。

文学的医療論

『深遠な科学と優雅な文学19世紀アメリカの医師像』
☆Stephanie P. Browner: Profound Science and Elegant Literature-Imaging Doctors in Nineteenth Century America. (2005) Univ. of Pennsylvania Press.

にはオルコットの『若草物語』(原名はLittle Women) も登場する。児童文学としては成功したが、大人の文学としては大成しなかったオルコットの描く医師像は?というのもひとつの読み方だろう。

『図書における人体-近代医学の文学的人間学』
☆Iain Bamforth 編: The Body in the Library- A Literary Anthology of Modern Medicine .(2003) Verso.

は文学的医師像ではなく、「文学者、実は医者だった」式の叙述の方が多い。ディッケンズも、コナンドイルも、という調子で。

『生理学と文学的イマジネーション』
☆John Gordon: Phisiology and the Literary Imagination.(2003)Univ. Press of Florida.

からは、詩人ワーズワースが医者であったことを知るし、「血液循環(の原理)」は、the mechanical pump-and-pipe circulation of the blood というおよ
そ詩的ではない表現であることも知る。詩や文学は、医業という仕事に対する「口なおし」であったかもしれないが、自分の職業に対する屈折・卑下した気持も時には必要だろう。まったくそういう気持を持たずに思い上がることに対して「医学的ナルシシズム」という言葉も使われる。そして「医学的ナルシシズム」は医療過誤を起こしやすいものであることを述べたのが

『医療過誤と医学的ナルシシズム』
☆John Banja: Medical Errors and Medical Narcissism(2005)Jones & Bartlett.

である。みずからを鏡に映してハイな気持ちになるナルシシストが、他者(特に患者)に対して持つ感情はどんなものだろうか。医学的ナルシシズ
ムの対極で、患者の安全をテーマにした本も数多く出されている。訳せば、みな「患者の安全」になってしまうので「仮訳の和名」を掲げにくいが、
並べれば次のようになる。

『患者の安全』
☆Jacqueline Fowler Byere 他編: Patient Safety.(2004)Springer.

『患者の安全-ケアの新基準』
☆Philip Aspden 他編: Patient Safety-Achieving A New Standard for Care.(2004)Inst. of Medicine.

『害を与えないこと-医療機関における患者の安全の保障』
☆Julianne M. Morath 他: To do No Harm-Ensuring Patient Safety in Health Care Organization (2005)Josey-Bass.

『患者の権利を守る?』
☆Stephen Mackenney他: Protection Patients’ Right?(2004)Radcliffe Medical Press.

「患者の権利を守る」につけられた疑問符は現代医療に掲げられた疑問符なのかもしれない。

強者のみ-新・象牙の塔症候群

マルチ医療論ということであれば、アメリカにおける医療社会学は多くの研究者を擁する分野である。ゴマンといるソシオロジストが医療分野で修士論文、博士論文を製造するから、数だけはにぎやかである。錠剤の「色別」プラセーボ効果の研究まであり、「赤色」が一番効果を持つとのこと。

医療社会学論文集におけるプラセーボ効果ではなく、それ自体を1冊にまとめたものととしては

『プラセーボ』
☆Dylan Evans: Placebo. (2004). Oxford Univ.Press.

がある。

医療の圏外におかれた人の多さと、この種の研究の多さとはどんな関係になるのか、それこそ医療社会学的テーマといえるのではないだろうか。

いま、一種の「政治的プラセーボ効果」で権力の座にいる人たちの考え方は、弱者の立場を無視した「新・象牙の塔症候群」というべきものではないだろうか。それは言いかえれば「強者の医療」であり

『アメリカ・強者の医療』
☆David M. Cutler: Your Money or Your Life-Strong Medicine for America’s Healthcare System.(2004)Oxford Univ.Press.

の書名が示すとおりである。ここでの「強者の医療」を書生っぽく表現すれば「ブルジョア・ハイテク医療」である(拙書『21世紀の医療づくり』 2003。本の泉社。では、現代アメリカ医療の特質を「軍事的・ブルジョア・エマージェンシー医療」と規定したが)。

かつての象牙の塔としての大学は、その独立性を失ない、代って「産・官・学共同体」がブルジョア・ハイテク医療の実行者として「新・象牙の塔症候群」を生み出しつつある。

『国民皆保険の試み』
☆Rick Mayes: Universal CoverageThe Elusive Quest for National Health Insurance. (2004) Univ. of Michigan Press.

を失敗させたのも、ブルジョア・ハイテク医療である。「新・象牙の塔」の鏡は、権力者のナルシシズムや医学的ナルシシズムは生んでも、庶民の生活はうつさないからである。もし、医療を多面的にとらえるのが「マルチ医療論」であるとすれば、前記の一面性、偏向性をただすことをさしあたっての目標として設定するべきだろう。

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