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文献プロムナード(17)

「タテ糸とヨコ糸」

 野村拓

発行日2007年02月28日


縄のれん医療史

「タテ糸」と「ヨコ糸」という言葉からイメージされる内容は人それそれだろう。「タテ糸」を「タイム・シリーズ」、「ヨコ糸」を「クロス・セクション」と考えるならば自分史は「タテ糸」で国勢調査は「ヨコ糸」ということになる。そして、限定された範囲で両者を織り合わせたものが、コホート調査、フォローアップ・スタディと言えるのではないか。

自分史ではなく、個別的、専門分野の歴史を「タテ糸」と考えた場合、「ヨコ糸」に相当するものは、これから構築しなければならない場合が多い。いいかえれば、「ヨコ糸」を通して「時代を織り上げること」自体、ひとつの学問と考えるべきなのだろう。

戦後30年を迎えたとき、ある雑誌が日本の医学・医療の30年の歩みを特集したが、でき上ったものは、それぞれが他分野と無関係に専門領域の歴史を書いた「縄のれん医療史」であった。朝鮮戦争に日赤看護婦が召集されたことも、60年安保と国民皆保険との関係も、ベトナム戦争に日本の「献血」が使われたことも書かれていないのは、「ヨコ糸」を通せる書き手がいなかったからだろう。

しかし、「タテ糸」あっての「ヨコ糸」であり、彩りのある「タテ糸」がまず用意されなければならない。「タテ糸」の彩りは、「ヨコ糸」を通す織り手の意欲をかて立てるものであり、戦後30年の特集が「縄のれん」に終ったのは、それぞれの縄が彩りに欠けていたからではないか。では近刊本から「彩りのあるタテ糸」を探してみよう。

異色のタテ糸

まず、「彩り」を通りこして「異色のタテ糸」 というべきものが

『ゲイの生活と文化その世界史』
☆Robert Aldrich 編:Gay Life and CultureA World History. (2006) Thames & Hudson.

で、分担執筆の形をとっているが、「ギリシャ・ローマ時代の同性愛」から「中世」「中世初期」などを経て「1980年代から現在までのゲイ」まで取り上げられている。豊富な図版、写真類は美術史、絵画史、風俗史として楽しめる本であるが、「コンドーム利用率」が「アナル」と「ヴァギナル」とに項目を分けて統計化されるような現代的危機状況をふまえて読むべきものであることはいうまでもない。

『女性の秘密-ジェンダー、世代、そして差別の起源』
☆Katharine Park : Secrets of Women -Gender,Generation, and Origin of Human Dissection. (2006) Zone Books.

は、ヨーロッパ中世の「女体認識」にまでさかのぼって、魅力ある「タテ糸」を提供している。また、「異色」ではないオーソドックスな「タテ糸」としては

『医学史・ソースブック-病気とトラウマの衝撃』
☆Robin L. Anderson : Sources in the History of Medicine-The Impact of Disease and Trauma.(2007) Pearson Prentice Hall.

『医学史の位置』
☆Frank Huisman 他編:Locating Medical History.(2006) The Johns Hopkins Univ. Press.

『らいと帝国-その医療史、文化史』
☆Rod Edmond : Leprosy and Empire-AMedical and Cultural Histories. (2006) Cambridge Univ. Press.

『障害と奇型の社会史』
☆David M. Turner 他編:Social Histories of Disability and Deformity. (2006) Routledge.

『アレルギーの歴史』
☆Mark Jackson : Allergy-The History of a Modern Malady. (2006) Reaktion Books.

などがある。

「タテ糸」の長さはさまざまで、古代から現代まで歴史貫通的な「タテ糸」から、19世紀、20世紀というような世紀単位のもの、さらには「戦間期」(19191939)というような短いものまであるが、

『理学から薬学へ-英国小売薬局500年史』
☆Louise Hill Curch 編:From Physick to Pharmacology-Five Hundred Years of British Drug Retailing. (2006) Ashgate.

などは比較的長い「タテ糸」である。

「世紀」という単位

「19世紀の」と言った場合、それは19世紀100年の「タテ糸」という意味と、人類史における19世紀という「ヨコ糸」的な意味と、両様に理解されるが、そのことを示しているのが

『19世紀のヨーロッパ美術』
☆Petra ten-Doesschate Chu : Nineteeth-Century European Art.2版.(2006) Pearson Prentice Hall.

である。20章建てだが、その構成の確かさを示すために、章名だけを以下に紹介したい。

この本は、政治史、社会経済史的骨格の薄弱な人には非常に示唆に富んだ美術史といえる。

19世紀ではなく、20世紀を単位として取り上げた医療史としては少し古くなったが

『病めるときと富めるとき-20世紀アメリカの病院史』
☆Rosemary Stevens : In Sickness and in Wealth -American Hospitals in the Twentieth Century. (1989) Basic Books.

が優れた内容を持っている。

「チャリティとビジネス」(第2章)でアメリカ医療の特徴をとらえ、第2次大戦時のペニシリンの量産体制づくりや市場型医療の展開など今日のアメリカ医療をとらえる上での重要な視点が示されている。

この他に「ヨコ糸」とも「タテ糸」ともとれるものに

『病院医療とイギリス陸軍』
☆Eric Gruber von Armi : Hospital Care and the British Standing Army, 1660-1714 (2006) Ashgate.

などがある。

「ヨコ糸」の面白さ

前掲の19世紀美術史にせよ、20世紀病院史にせよ、「ヨコ糸」を通すべき織り目を明確に示しながら「タテ糸」的叙述を展開した点に魅力が感じられるが、1冊の本として「ヨコ糸」的面白さを示したものは数多く出されている。例えば前掲の美術史に関連したものを挙げれば

『世界美術-オランダ共和国、1585-1718』
☆Mariët Westermann : A Worldy Art-The Dutch Republic, 1585-1718. (2004) Yale Univ.Press.

『知識表-フェルメール・スタディオのデカルト』
☆Harriet Stone : Tables of Knowledge -Descartes in Vermeer’s Studio. (2006) Cornell Univ. Press.

『私はフェルメールだ-ナチをだましたサギ師の伝説』
☆Frank Wynne : I was Vermeer -the Legend of the Forgen Who Swindled the Nazis. (2006) Bloomsbury.

などがあり、この他、すでに「旧刊」に属するが「印象派と政治学」というユニークな視点の本も出されている。

この他、17、18世紀の「ヨコ糸」としては

『17世紀・ロンドンの助産婦』
☆Doreen Evender : The Midwives of Seventeeth Century London. (2006) Cambridge Univ. Press.

『歴史におけるトラファルガー』
☆David Cannadine 編:Trafalger in History.(2006) Palgrave.

『光と影-奴隷とフランス啓蒙主義』
☆Louis Sala-Molins : Dark Side of the Light - Slavery and the French Enligtrnment. (2006) Univ.of Minnesota Press.

などがある。

19世紀という医学や社会科学の開花期を迎えると、「ヨコ糸」も時代を立体的に表現できるような工夫をしながら通さなければならない。疫学の創始者、ジョン・スノーについては

『ジョン・スノーとコレラ・ミステリー』
☆Sandra Hempel : The Medical Detective - John Snow and the Mystery of Cholera. (2006) Granta Book.

が出されており、同時代の不潔や疾病をしばしば取り上げた作家、チャールズ・ディッケンズを医療的目線で読むべきことを示したのが

『ディッケンズの医学的読み方』
☆Joanne Eysell : A Medical Companion to Dickens’s Fiction. (2005) Peter Lang

である。そして、この時代の躍動感を広角的にとらえたものとして

『ダーウィンとマルクスの経済学への投影』
☆Geoffrey M. Hodgson : Economics in the Shadows of Darwin and Marx. (2006) Edward Elgar.

がある。

やがて時代は、戦争、恐慌、ファシズムという太い「ヨコ糸」がすでに通された時期にさしかかるが、まだまだ補強的に通されるべき「ヨコ糸」が残されている。例えば

『チャーチルの十字軍-イギリスのロシア侵略、1918-20』
☆Clifford Kinvig : Churchill’s Crusade -The British Invasion of Russia, 1918-1920. (2006) Hambledon Continum.

『ワイマール共和国の音楽』
☆Bryan Gillam : Music and Performance during the Weimar Republic. (2005) Cambridge Univ. Press.

『ドイツ保険資本、1933-1945』
☆Gerarld D. Feldman : Allianz and German InsuranceBusiness, 1933-1945. (2006)Cambridge Univ. Press.

などである。

人間の運命-フォロー・アップ

ではこのような「ヨコ糸」を通すことによって「時代」が織り上げられたとして、その織布の上に人間の運命はどう位置づけられるのだろうか。「タテ糸」にも「ヨコ糸」にも登場しない無名の人間集団の位置づけはどうなっているのだろうか。

フランス映画「舞踏会の手帖」(1937)は人間の運命についてのフォロー・アップ・スタディであった。青春の日の舞踏会で踊った相手のリスト、つまり舞踏会の手帖に書かれてあった人たちを数十年後にフォロー・アップする女主人公の物語である。

この「舞踏会で一緒だった人たち」を「同時出生集団」におきかえたものが「コホート調査」であり、もっとも古いものはスウェーデンで1885年から1942年まで行われたものである。オリジナル資料はないが、このことを紹介したものとして

『家族・市場・高齢化社会』
☆John Ermisch 編:The Family, The Market, and the State in Ageing Societies. (1994) Clarendon Press.

がある。つづいてコホート調査ではないが、ヨーク市労働者のフォロー・アップ・スタディが19世紀から20世紀への変り目の時期に、B.S.Rowntryによって行われたが、これは「ライフサイクル調査」と言うべきものであった。コホート調査の方は、その後、第1次世界大戦を子ども時代に体験した世代(1900年まれ)や、世界大恐慌を子ども時代に経験した世代(1920-21年生まれ)などを対象として行われたが、それらについて述べたモノグラフを挙げれば次のようになる。

『近代社会における高齢者』
☆Christina R. Victor : Old Age in Modern Society.(1987) Croom Helm.

『大恐慌時代の子ども』
☆John A. Clausen : American Lives, Looking Back at the Children of Great Depressin. (1995) Univ. of California Press.

『現代老人学における家族の問題』
☆Lilliam E. Troll 編:Family Issues in Current Gerontology. (1986) Springer.

コホート調査には、現在進行中のものもあれば、調査者が世代交代して引きつがれている息の長い調査もある。

傷口と浮き沈み

「舞踏会の手帖」は、かつて青春の甘美さを共有した人たちのフォロー・アップだが、第1次大戦世代や大恐慌世代のコホート解析は「傷口」の解析である。そして、それらすべてを人生の浮き沈みとしてとらえ、人生全体の可能性、危険性を示す試みがライフサイクル調査である。

『コホート解析とライフサイクル計画』
☆Laurence J. Kotlikoff : Essays on Saving Bequests - Altruism and Life-cycle Plannig. (2001) MIT Press.

は、コホート解析とライフサイクル調査との密接性を示すものであり、

『加齢・金・満足』
☆Neal E. Cutler 他編:Aging, Money, and Life Satisfaction. (1992) Springer.

には「世代的コホート・カレンダー」が登場している。これなど「コホート」と「ライフサイクル」とを統一した言葉のようにも思える。

ただし、「コホート」の方は多分に集団の健康や病気、さらに死亡などに重点をおいたとらえ方になる場合が多いのに対して、「ライフサイクル」の方は経済的な「浮き沈み」、さらに貧困が世代的に再生産される傾向の有無などに重点がおかれることが多い。

『収入不平等とライフサイクル』
☆John Creedy : Income Inequality and the Life Cycle. (1992) Edward Elger.

『ライフサイクルにおける健康と労働』
☆Dora L. Costa : Health and Labor Force Participation over the Life Cycle. (2003) Univ. of Chicago Press.

などはライフサイクル分析のひとつの型といえる。

自分史と聞きとり・あなた史

しかし、コホート調査であれ、ライフサイクル分析であれ、調査者として対象を追いかけるより、調査対象自身が「自分史」に目覚めた方が速くて正確ではないか、という気がしてくる。ただし、自分史も最初のところは親に聞かなければわからない。そして、実は親に聞かなければならないことは、他にもある。もし、ぼけ始めた親をグループホームに入れようとした場合、受け入れ側は親のヒトスリーを教えて下さい、と言ってくるだろう。そのときになって慌てないために、まず親についての「聞きとり・あなた史」をしかるべき時期に作成しておく必要がある。充分に時間をとって、ふさわしい設問を用意しておけば、親(特に母親)は堰を切ったように話してくれるのではないか。

晩年の母は、私に語り伝えたいことが沢山あったようだが、皮肉なことに、その時期は私にとって一番忙しい時期であって、生返事のうちに機会を失ってしまった。母は帝政ロシアの国歌を口ずさむことがあった。ロシア皇太子歓迎のために当時の女学生たちに教えた名残りである。チャイコフスキーの「交響曲1812年」の中で、フランス国歌と交互に演奏されるが、これはナポレオンの敗北、英雄の没落への挽歌としてである。

1812年のナポレオンのライフサイクルは没落期に入り、チャールズ・ディッケンズのライフサイクルはこの年から始まる。「聞きとり・あなた史」は「時代を織り上げる」上で、有力な手がかりを提供してくれるのではないか。

『歴史を通じて日常を学ぶ』
☆Peter N. Stearns 編:A Day in the Life - Studying Daily Life through History. (2006) Greenwood Press.

という本が出されているが、「日常を通じて歴史を学ぶ」ことも重要であり、「聞きとり・あなた史」や「自分史」は「日常」と「歴史」とを結ぶ有力な中間項である。そして「聞きとり・あなた史」も「自分史」も手を動かして書くことによって記憶として定着する。若いときには相手にしなかったクラス会や同窓会に出席するようになったのは、「フォローアップ」的関心がひとつと、もうひとつは老人の記憶の総量は生涯通算で書いた量に比例するのではないか、という仮説の検証である。もっと露骨に言えば、手を動かした人と動かさなかった人との歴然とした「記憶」の差の検証である。

今回のテーマである「タテ糸」「ヨコ糸」も、所詮、「記憶」の継承と世代的再生産の手段であり、だからこそ

『離婚サイクル-離婚家庭児の結婚』
☆Nicholas H. Wolfinger : Understanding The Divorce Cycle-The Children of Divorce in Their Own Marriages. (2005) Cambridge Univ. Press.

で示されているような例にならず、また虐待されたから虐待する、という虐待経験の「継承」にならないような知的努力が必要なのである。

『児童虐待の生き残り』
☆Marylene Cloitre 他:Treating Survivors of Childhood Abuse. (2006) Guilford Press.

のように虐待から生き残るためのライフサイクル・プランではあまりに悲惨である。「人類史のエッセンス」の「継承」とさらなる充実のための「タテ糸」「ヨコ糸」であり、「自分史」「あなた史」でなければならない。個別的、断片的な知識や情報は、これらの文脈(コンテクスト)の上に位置づけられることによって、その人の記憶として血肉化されるからである。

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