総研いのちとくらし
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文献プロムナード(18)

「視点いろいろ」

 野村拓

発行日2007年05月31日


もう一度、地理・歴史

文献プロムナードの「プロムナード」は散歩道であり、またタンゴのステップの一種でもある。 ンゴの場合は、「ちょっと寄り道」という感じのステップだが、散歩道や寄り道には戦跡やお墓が多い。

『南北戦争戦跡ツアーガイド』
☆David J. Eicher: Civil War Battlefield - ATouring Guide. (2005) Taylor Trade Pub.

に出てくる写真には大砲とお墓が多く、それらの因果関係を示しているかのようである。この本は観光案内で、主な戦場がアルファベット順に出てくるので、南北戦争の歴史的経過がわからないが、

『戦場-歴史における決定的衝突』
☆Richard Holmes 編:Battlefield - DecesiveConflicts in History. (2006) Oxford Univ. Press.

では、古代エジプトの戦争から湾岸戦争までが地図の上で説明されている。「米西戦争」や「晋仏戦争」を読めない学生や、どことどこの国が戦ったのか知らない学生が増えてきたが、戦争はしばしば歴史の節目となった。例えば、キューバの歴史を考える場合の起点が米西戦争(1898)であることを示した本が

『1898年以降のキューバにおける保健、政策、革命』
☆Katherine Hirschfeld : Health, Politics, and Revolution in Cuba since 1898. (2007) Transaction Pub.

である。米西戦争で軍隊はマラリアとの闘いに、戦闘以上に消耗し、米軍に初めて看護部隊が編成されたが、看護部隊の消耗も激しかった。

戦争も、むかしの戦争であれば、「夏草やつわものどもが夢の跡」で、戦いの痕跡を探さなければならないが、いまの戦争は夏草が生えても不発弾や地雷が残ってしまう。またベトナム戦争で大量に使われた枯葉剤のように「自然」そのものを敵視する場合もある。

農林業への目線

産業開発や戦争で破壊された自然の修復が課題となり、緑を生産する農林業に対して、地球の救世主的な視線が向けられるようになった。考えてみれば、地球レベルで太陽エネルギーをとりこみながらプラスの仕事をしているのは農林業ぐらいのもので、工業生産とは実は地球資源の消費ないし浪費であることがわかってきたからである。それだけではなく、「健康」という視点からも、農林業は注目されつつある。

『健康のための農業-欧米のグリーン・ケア農業』
☆Jan Hassink 他:Farming for Health-Green-Care Farming Across Europe and the United States of America.(2006)Springer.

は園芸療法(Horticultural Therapy)の持つ「感情的」「社会的」「身体的」「知的」効果を述べた上で、その場としてのcare farm やgreen care をとりあげたもので、ドイツ、オランダ、スイス、イタリア、ポーランドなどの実例が紹介されている。すでに園芸療法士という職種の登場が見られる国もある。撒かれた種子が土をもち上げた地上に芽を出す。その生命力への感動はいろんな効果をもたらすことだろう。

『農場から食卓へ-全アメリカ国民が農業について知っておかねばならぬこと』
☆Gary Holthaus : From the Farm to the Table- What All Americans Need to Know about Agriculture. (2006)Univ. Press of Kentucky.

は「健康な土壌」「健康な食品」を確保する上で何が必要かについての農業生産者的自覚と国民的認識のあり方を述べたもの。「効率」と利益のために土壌を搾取することや森を切り倒すことを「自然の浪費」としてとらえた本が

『自然を浪費する』
☆Gregory Summers : Consuming Nature.(2006) Univ. Press of Kansas.

『森の破壊』
☆David Humpherys: Logjam - Deforestation and the Crisis of Global Governance. (2006) Earthscan.

であり、生態系の破壊だけではなく「景観」という視点から森を回復させる運動をとりあげたのが

『森の景観の回復』
☆Jennifer Rietbergen-McCracken 他編:The Forest Landscape Restoration Handbook. (2007) Earthscan.

である。もちろん、森は景観維持のためだけにあるのではなく、入会地として共同生活手段的な役割を持っている。この共同生活手段が無償で提供してくれた便益を捨て、現金収入を求めて都市や他国に流れざるをえないところに現代的貧困のきっかけがあるのではないか。

第三世界的貧困

『世界史における貧困』
☆Steven M. Beaudoin : Poverty in World History. (2007)Routledge.

は資本主義、帝国主義と世界の貧困との関係をコンパクトにまとめたものだが、いわゆる第三世界の展望については

『暗くなる国々-第三世界の人びとの歴史』
☆Vijay Prashad : The Darker Nations - A People’s History of the Third World. (2007) The New Press.

の書名の示す通りである。また

『公衆衛生マーケティング』
☆Michael Siegel 他:Marketing Public Health.2版(2007) Jones & Bartlett.

という書名だけ見ると、先進諸国の行政改革、行政部門の民営化を想像することになりやすいが、実は、民営化の対象となる行政さえ存在しない国、例えばルワンダで、ラジオ放送による公衆衛生的啓蒙活動を、政府から金を取って展開する話である。そして、第三世界の貧しさの極致を示すものは「子どもの兵隊」である。

『子どもの兵隊』
☆Michael Wessells : Child Soldiers. (2006) Harvard Univ. Press.

には、カラシニコフを持った子どもの兵隊だけではなく、義足をはめた子どもの兵隊の写真まで載っている。少年を兵隊にし、少女を売春婦化することを第三世界型の貧困とすれは、同じ人種や民族が、先進諸国の都市下積みの貧困層を形成する国もある。

都市・下積み型貧困

『書を捨て現実を-都市貧困のアングラ経済』
☆Sudhir Alladi Venkatesh : Off the Books - The Underground Economy of the Urban Poor.(2006) Harvard Univ. Press.

は黒人を中心とした都市貧困のすさまじき生きざまをまとめたもので、著者はコロンビア大学の社会学教授で黒人問題が専門。また、アメリカの貧困層が医療から疎外れていること、そして医療と出会うときには新薬実験という形になること、このことを示したのが、次の文献である。

『ボディーハンターたち-貧困患者で新薬実験』(第16回で紹介)。
☆Sonia Shah : The Body Hunters - Testing New Drugs on the World Poorest Patients. (2006) The New Press.

かつて、19世紀の国民国家に登場した社会政策はpoor 対策を主眼としていたが、いまやpoor の他にpoorest というカテゴリーを立てなければならなくなった。これは国際的な人口流動、特に途上国から先進諸国への人口流入によるものと考えられる。そして、poor の他にpoorest というカテゴリーを立てた社会政策書として

『英国の社会政策-1945年から現在まで』
☆Howard Glennerster: British Social Policy -1945 to the Present.3版(2007) Blackwell.

が出されている。流入してpoorest になるよりは、母国で「心優しきpoor」の中で暮らすべきではないだろうか。なぜなら、なにごとも金次第という市場原理は心を荒ませるものであり、また母国の「自然」というタダの共同生活手段を失い、その代替物を市場を通じて購入するには無理が伴うからである。

先進諸国の大都市に堆積されがちな貧困については、地球環境保全の問題も含めて、あらためてグローバルなとらえ方を検討しなければならない。

新文化史の構築

また、人口流動を「先進諸国と途上国」という枠組みだけでとらえるべきではなく、ヨーロッパ社会の深層をとらえる上で、少しちがった視点も必要だろう。

『スウェーデンにおける移民、ジェンダー、家族変動』
☆Eva Bernhardt 他:Immigration, Gender, and Family Transitions to Adulthood in Sweden. (2007) Univ. Press of America.

はスウェーデンにおけるポーランド系移民、トルコ系移民の問題がとりあげられている。また、

『多文化社会における民族性、人種、保健』
☆Raj S. Bhopal : Ethnicity, Race, and Health in Multicultural Societies. (2007) Oxford Univ. Press.

は、疫学的、公衆衛生的研究を進める上で、民族、人種、および文化の多様性をとらえることの必要性を説いた本である。

文化とは歴史であり、多様性とは具体性である。科学技術史も社会経済史も、文化の多様性をある程度、捨象することによって成り立つものであり、それぞれの研究書は専門分野から文化の多様性に迫る意欲や方法を持たぬものが多い。いま、求められているものは新しいタイプの文化史と思われるが、そのような方向性が多少とも感じられるものを、なるべく重複を避けながら紹介することにしたい。

『修道女たち-修道院生活の歴史、1450-1700』
☆Silvia Evangelisti: Nuns - A History of Convent Life, 1450-1700. (2007) Oxford Univ. Press.

は看護史、病院史の研究上の必須文献であり、収められた21葉のイラストはいずれも興味深いものがある。そして、なによりも、とりあげた時代、1450-1700年が大きな意味を持っている。

レオナルド・ダ・ヴィンチもミケランジェロも、人間をより生き生きとダイナミックに描くために解剖学を熱心に学んだわけだが、文化史として解剖学の歴史を書いた本が

『人類とその遺跡-解剖とその歴史』
☆Helen MacDonald : Human Remains - Dissection and its Histories. (2006) Yale Univ. Press.

で、19世紀前半のイラスト資料が面白い。

教会や修道院は、医療や看護を文化史的にとらえる場合に重要な意味を持つが、もうひとつ見落としてはならないことは、交易、商業活動と医学・医療との関係である。

『交易の意味-オランダの黄金時代における商業、医学、科学』
☆Harold J. Cook : Matters of Exchange - Commerce, Medicine, and Science in the Dutch Golden Age. (2007) Yale Univ. Press.

は貿易、商業活動の富の上に築かれたオランダ医学をとりあげたものであり、当然のことながら臨床医学の祖、ヘルマン・ブールハーヴェは頻繁に登場する。また文化史としての

『ウィリアム・ハーヴェイの自然哲学』
☆Roger French : William Harvery’s Natural Philosophy.(2006) Cambridge Univ. Press.

は、一方で『血液循環の原理』を発見し、他方で「魔女の鑑別診断」を行なったハーヴェイの研究方法論や哲学を知る上で、興味深い本である。

人類史、総合的な文化史を考える場合に、中核的な位置を占めるのは、例えば、H. E. Sigerist のような社会派医学史ということになると思われるが、人類史、文化史の中で医学史研究を位置づけたものとして

『医学史の位置』(第17回・第9回で紹介)
☆Frank Huisman 他編:Locating Medical History.(2006) The Johns Hopkins Univ. Press.

がある。これは論文集の形となっており、現在における医学史研究のフロントを示したものといえる。

ジェンダーとモラル

医学史と文化史とを結ぶ重要な一環として、ジェンダーやモラルの問題があるが、助産婦たちのブーイングの中で男性産科医が登場した歴史的背景を述べたものとして

『17世紀・ロンドンの助産婦』(第17回で紹介)
☆Doreen Evenden : The Midwives of Seventeenth-Century London. (2006) Cambridge Univ. Press.

があるが、ここには「男性助産師の登場」という項がある。あるいは医学的ジェンダー問題のルーツというべきかもしれないが、ヴェサリウスが最初に解剖したのは「女体」であったというところまでさかのぼって解剖学的にジェンダー問題を展開したのが

『女性の秘密-ジェンダー、世代、そして人体切開の起源』(第17回で紹介)
☆Katharine Park : Secrets of Women - Gender,Generation, and the Origins of Human Dissection.(2006) Zone Books.

で近代以前の珍しい人体解剖図が多数示されている。

ジェンダー問題は、しばしば「男性のモラル」の問題とおきかえられる場合があるが、近代医学が男性的学問として展開されただけに「医のモラル」とも近接した関係を持っている。

医のモラルが声高に論じられるようになった経過については、いくつかの節目があり、1953年の人工心肺の開発、1967年の心臓移植手術などをあげることができるが、それらは次回「出版トレンド」としてとりあげることにしたい。

現在、医のモラルの問題は「医学と生物兵器」や「医学と戦争責任」の問題を除いて沈静化の傾向にあり、関連する本としては

『この世への誕生-医学と人間科学との対話』
☆G. B. La Sala 他編:Coming into the World- A Dialogue between Medical and Human Sciences. (2006) Waleer de Gruyter.

が目につく程度である。これは医学と人間科学との対話であるが、医学と社会的価値観との対抗、対立の問題として医療過誤の問題があり、それを総括したものとして

『医療過誤とアメリカの医療制度』
☆William M. Sage 他編:Medical Malpractice and the U.S. Health Care System. (2006) Cambridge Univ. Press.

が出されている。しかし、問題は「医療」という場から閉め出されている人たちや、弁護士を立てて裁判を争うことのできない人たちが多いなかでの医療過誤や医事紛争裁判であることを忘れてはならない。いいかえれば、サロン的文化史からはこぼれ落ちてしまう貧困を視野に入れて新しい文化史の構築を考えるべきなのだろう。

貧困の文化史

「貧困の文化史」を考える場合、

『医療危機のアメリカにおける貧困家庭』
☆Ronald J. Angel 他:Poor Families in America’s Health Care Crisis. (2006) Cambridge Univ. Press.

というような現実的な問題からスタートするのもよいだろうし、古典的、歴史的手法で、貧困のしわ寄せとしての「死」をとらえなおすことも必要
だろう。

『乳児死亡率-相変わらずの社会問題』
☆Eilidh Garrett 他編:Infant Mortality - A Continuing Social Problem. (2006) Ashgate.

『パリとロンドンにおける死と生計、1500-1670』
☆Vanessa Harding : The Dead and the Living in Paris and London, 1500-1670. (2006) Cambridge Univ. Press.

などは、貧困と死とジェンダーを古典的に物語ってくれるし、その現代版としては

『アフリカ女性物語-20世紀マラウィのジェンダーと女性』
☆Megan Vaughan : The Story of an African Famine - Gender and Famine in Twentieth Century Malawi. (2006) Combridge Univ. Press.

『グローバリゼーションと貧困』
An Harrison 編:Globalization and Poverty. (2007)Univ. of Chicago Press.

などがある。そして、グローバリゼーション、国際的人口流動がもたらす社会構造の重層化を医療的目線でとらえたものとしては

『境界線の医学-病気、グローバリゼーションそして保障、1850年から現在まで』
☆Alison Bashford 編:Medicine at the Border - Disease, Globalization and Security, 1850 to the Present. (2006) Palgrave.

がある。そして、下積み社会へ加わる重圧の犠牲者が子どもであったり女性であったりする状況を示したものには

『衝撃-子どもと家庭内暴力』
☆Marianne Hester 他:Making an Impact -Children and Domestic Violence. (2007) Jessica Kingsley.

『貧困・ジェンダー・移民』
☆Sadhna Arys 他編:Poverty, Gender and Migration. (2006) Sage.

などがある。やはり、ジェンダー問題をグローバルにとらえれば、「貧困の女性化」という問題に突き当たるのではないか。

文化とはCulture、すなわち耕すことである。そして、なぜ耕す人が貧しいのか、という根源的な問題を問うのが「貧困の文化史」であり、その構築のためには、上すべりのしない「文化への目線」が必要である。

例えば、アルゼンチン・タンゴの名曲「ジーラ・ジーラ」から、その抒情性だけを汲みとるのではなく、アルゼンチンの貧困を引きずるようなステップとして、その足どりの重さを理解すべきではないか。プロムナードというステップも、貧困の中の吐息と理解するべきではないか。

「文献プロムナード」も回を重ねて、やゝ息切れ気味だが、これは不勉強の吐息というべきで、吐息の後の新しいステップをいま、考えているところである。

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