総研いのちとくらし
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文献プロムナード(20)(最終回)

「医療・福祉の世界史」

 野村拓

発行日2007年11月30日


ミニマムの歴史的認識の深度

「文献プロムナード」は一応、今回をもって終わる。この連載は、課題ごとにモノグラフ(単行本)となった最新海外文献(第19回を除く)を紹介したものであった。そして、それぞれの課題を歴史的にとらえることの必要性を示したつもりである。いいかえれば、これは世界史的な台紙の上に課題を貼りつける試みでもあった。これからも新刊書は出され続けるのだから、ここで世界史的な台紙の整備をどう考えるかについて述べ、最終回のまとめとしたい。

次々に入ってくる海外文献が相互にどう関連するのか、こんな雲をつかむようなことを考えても話にならないかもしれない。しかし、視野を医療・福祉に限定して、それぞれの文献の位置を考えながら貼りつける台紙のようなものなら、つくることができるのではないか。つまり、「文献を貼りつける医療・福祉史的な台紙」の作成であるが、この場合、まずどのあたりまで歴史をさかのぼるべきかがまず問題になる。

『古代のスポーツ』
☆Nigel B. Crowcher : Sports in Ancient Times.(2007)Praeger.

などは魅力的な本ではあるが、ここまでさかのぼっていると、生きているうちに現代まで帰還できなくなる。帰還できそうなミニマムの歴史的深度とは現実的課題と取組むのに必要な深度である。また、今日の世界的現実と向き合うには、私たちの受けた歴史教育には少し偏りがあったのではないか。どちらかといえば、西欧キリスト教国の視点での世界史に近く、イスラム圏については、一部の専門家を除いて、およそ不勉強であったことに気づく。具体的にいえば、イスラム圏を異教徒の世界としてとらえ、十字軍に正義があるかのような歴史を習ってきたのではないか。もちろん、イスラム世界にとって十字軍とは何であったかという問題もとらえなおさなければならないが、十字軍遠征のコースを逆に辿れば、ヨーロッパに強いインパクトを与えたペストの伝播コースとほぼ一致する。さかのぼるべきミニマムの歴史的深度は、このあたりに設定されるべきではないだろうか。

ペストの伝播経路に関しては、このシリーズでしばしば紹介(第7回、第15回)したので、十字軍に関するものを挙げれば、次のようになる。

『十字軍-その図解的歴史』
☆Thomas F.Madden 編:Crusades-The Illustrated History.(2005)Univ. of Michigan Press.

『十字軍の医療』
☆Piers D. Mitchell:Medicine in the Crusades.(2007)Cambridge Univ. Press.

なお、一般看護書で、赤十字の由来として、十字軍の看護・医療部隊のエムブレムであったことを指摘しているものもある。

ルネサンス・市民革命

イタリア・ルネサンスからオランダ独立革命、イギリス市民革命あたりの台紙に貼りつけるべき文献については、第17回、第18回で紹介したので、その後の文献を追加すればいいだろう。例えば、主として16世紀をとりあげた

『助産婦、産科そして婦人科の登場』
☆Helen King:Midwifery, Obstetrics and the Rise of Gynaecology.(2007)Ashgate.

などである。

ミケランジェロも、レオナルド・ダ・ヴィンチも、人間をより生き生きととらえるために解剖学を学んだことなども台紙に記入しておくべきことだろう。そして、イタリア・ルネサンスも、いうなれば地中海文化であり、その外に、奴隷貿易で稼いだ強力な王権が出現し、その王権を倒す形で市民革命が遂行されるのだが、「奴隷で稼いだ歴史」はヨーロッパ社会、後のアメリカ社会に埋めこまれた形で今日に至っている。台紙には、奴隷、移民、人口流動などを、今日の格差社会、テロリズム、グローバリゼーションへの伏線として記入しておくべきである。端的にいえば、ワールドカップ(2006)における「ジダンの頭突き」の世界史的背景である。

資本主義と社会政策

イギリス産業革命から独占資本の形成、帝国主義段階までの時期について、医療・福祉史の場合、「下からの近代化」、「上からの近代化」というとらえ方が必要であり、特に「上からの近代化」政策から生まれた官房学(カメラリズム)、医事警察思想、ドイツ社会政策学会(1873)などに注目すべきだが、H.E.シゲリストやG.ローゼンなどによって代表される比較経済史を踏まえた社会派医学史家が没した後は、このような関心に応えられる本がなかなか見当たらない。シゲリストの方法論を踏襲しながら、社会経済史から医学史までの範囲に目配りをしなければならないが、その場合の新刊書を挙げれば次のようになる。

『ロンドンの経済史、18001914』
☆Michael Ball 他:An Economic History of London,1800-1914.(2006)Routledge.

『イギリス救貧法の経済史、17501850』
☆George R. Boyer:An Economic History of the English Poor Law, 1750-1850.(2006)Cambridge Univ. Press.

『イギリスにおける障害者と社会政策』
☆Anne Borsay:Disability and Social Policy in Britain since 1750.(2005)Palgrave.

前述の医事警察思想から軍隊医学、公衆衛生という流れは、個人ではなく「集団」を対象とした医学の流れ、というべきものだが、この「集団医学」の特徴は人口集団の「歩溜り」を高める政策学であった。つまり、ある技術的行政措置によって、「兵力・労働力たりうる」ものの「歩溜り」を高めることを目的視しており、同時に、スクリーニングによって排除された人間を無視する傾向を持っていた。それは丁度、日本の徴兵検査が「兵力たりうるもの」(甲種と乙種)を把握し、丙種(虚弱者)丁種(障害者)を国賊扱いしたようなものである。

社会福祉を歴史の上で意味づけるのであれば、それはこの「歩溜り」の論理によって無視された人たちを対象とし、「歩溜り」の論理と切り結べるものを備えていなければならないが、その点はどうだろうか。「ケース」から出発し、人権思想に支えられたもの、というような中身を想像するが、「ケース」ならば臨床医学や看護の出発点でもある。

『内科・外科看護におけるケース・スタディ』
☆Gina M. Ankner:Case Studies in Medical-Surgical Nursing.(2007)Thomson.

はこのことを物語っている。

2つの大戦

「ケース・スタディ」から、B. S. Rowntry による「フォローアップ・スタディ」へと、社会福祉らしい調査や理論構築が進められたころ、「歩溜り」の論理に輪をかけたもの、つまり、「戦死による目減り」を計算に入れたものが、「総力戦」「人的資源」という形で展開されることになった。第1次世界大戦の勃発である。

第1次大戦の前夜、欧米列強は申し合わせたように、牛乳の供給を中心にした母子保健政策を展開した。兵力・労働力たりうる「歩溜り」を低下させる「乳児死亡」に対して手を打たなければならなかったからである。

第1次大戦に関する文献は第7回でとりあげたが、その後のものとして

『第1次世界大戦史』
☆David Stevenson:1914-1918, The History of the First World War.(2005)Penguin Books.

『アメリカ赤十字史』
☆Gwendolyn C. Shealy:A Critical History of the American Red Cross, 1882-1945.(2003)The Edwin Mellen Press.

などがある。

第1次大戦に登場した大量殺りく兵器によって、戦死者、戦傷者は激増し、OT、PTなどのリハビリ職種の登場をもたらした。戦傷→治療→リハビリ→復帰というサイクルが必要になったからである。

2つの世界大戦の間には、世界大恐慌、ファシズムの興隆などがあるが、大恐慌は失業、貧困、ホームレスの存在などを明らかにし、「社会保障法」(1935)を生んだ。ホームレスに関する文献は多いが、比較的新しいところでは

『アメリカのホームレス』
☆Kathleen Swenson Miller 他編:Homelessness in America.(2006)The Haworth Press.

がある。このようにして母子問題、障害者問題、貧困と失業問題など、社会福祉的課題と、それらへのとりくみ方が一応出揃うわけだが、やがてこのような勢力、試みをまとめて否定し去る政治勢力がナチズムという形で登場する。人類は生存競争によって進歩するものであり、社会的弱者の救済は進歩にブレーキをかけるもの、という思想である。そして、強いものは美しいものであることを強調したのが、ベルリン・オリピック(1936)であった。この点に関しては

『ナチのゲーム-1936年オリンピック』
☆David Clay Large:Nazi Games-The Olympics of 1936.(2007)W.W. Norton & Company.

がある。ベルリン・オリンピックの中身は「民族の祭典」「美の祭典」という形で映画化されるが、強者は「美」であり、弱者は「醜」であるという思想は、短命内閣に終った安倍晋三によっても受けつがれている。

グローバリゼーションと途上国

第2次大戦後の世界を、医療・福祉の目線でとらえると、何が浮かび上ってくるだろうか。

『かくも長き戦争-第2次大戦後のアメリカ国家安全保障政策の新歴史』
☆Andrew J. Bacevich 編:The Long War-A New History of U.S. National Security Policy since World War Ⅱ.(2007)Columbia Univ. Press.

での「かくも長き戦争」とは第2次大戦直後の冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争から湾岸戦争、イラク戦争と、アメリカが戦争ばかりしてきたことを意味する。

冷戦は細菌兵器、核兵器、化学兵器の開発をもたらし、朝鮮戦争では日赤看護婦に召集令が出され、ベトナム戦争では、日本人の「献血」がベトナムに運ばれた。湾岸戦争では民間の医療チームが派遣され、イラク戦争では医療部隊を含む自衛隊が派遣された。

これらの戦争は、「宣戦布告なき戦争」であり、イラク戦争にいたっては戦争の相手はテロリズムとされている。

テロリズムを肯定する気はさらさらないが、富の一極集中の対極にある世界の貧困がテロリズムの温床になっていることは肯定せざるを得ない。簡単にいえば、社会福祉の対象となるべき「貧困」に対して、近代兵器による攻撃を仕掛けているのがイラク戦争ということになる。そして、戦争を仕掛けている国自身の足元の寒々とした医療や社会福祉の実状こそは、今日的課題のグローバルな性格を物語るものである。

戦争を栄養として肥りつづけている軍・産複合体や多国籍企業、ロッキード・マーチン社のように兵器でもうけ、「福祉」までマーケット化するような存在、これらを念頭におきながら展望のヒントを求めて読むべき本を列挙すれば次のようになる。

『ベトナム戦争』
☆Michell K. Hall:The Vietnam War, 2版,(2007)Pearson Longman.

『予防戦争とアメリカ民主主義』
☆Scott A. Silverstone:Prevention War and American Democracy.(2007)Routledge.

『健康の価値-米州保健機構の歴史』
☆Marcos Cueto:The Value of Health-A History of the Pan American Health Organization.(2007)Pan American Health Organization.(PAHO)

『苦役、資本、植民地主義インド労働史研究』
☆Rana P. Behal 他編:Coolies, Capital, and ColonialismStudies in Indian Labour History.(2007)Cambridge Univ. Press.

『ラテン・アメリカ史の地図』
☆Michael J. Larosa 他:An Atlas and Survey of Latin American History.(2007)M. E. Sharpe.

『近代のスリランカ』
☆Nira Wickramasinghe:Sri Lanka in the Modern Age.(2006)Hurst & Compary.

『ラテン・アメリカにおける芸術と革命』
☆David Craven:Art and Revolution in Latin America, 1910-1990.(2006)Yale Univ. Press.

『ブラジル国家と多国籍自動車産業』
☆Heler Shapiro:Engines of Growth-The State and Transnational Auto Companies in Brazil. (2006)Cambridge Univ. Press.

『多国籍バイオ・テク企業による植民地化』
☆Helena Paul 他:Hungry Corporations-Transnational Biotech Companies Colonise the Food Chain.(2003)Zed Books.

『新キューバ史』
☆Richard Gott:Cuba-A New History.(2004)Yale Univ. Press.

グローバルな格差

グローバリゼーションとは、簡単にいえば、資本の海外進出、多国籍企業化と人口(労働力)の国際的流動、ということになるだろう。資本がそれぞれ安い労働力や資源を求めて地球的に進出すれば、おのずから「安さ」のランクづけのようなことが行われ、労働力の底値のようなものが形成される(bottomline orientation第12回)。

ボトムラインで労働力を売る機会も持てない人は腎臓を売り、少女は売春婦に、少年は兵隊に売られる。

『腎臓売ります』
☆Mark J. Cherry:Kidney for Sale by Owner-Human Organs, Transplantation, and the Market.(2005)Georgetown Univ. Press.

『アフリカの子どもの兵隊』
☆Alcinda Honwana:Child Soldiers in Africa.(2006)Univ. of Pennsylvania Press.

このような状況の中で、かつての19世紀的な国内統一市場-国民国家-国内資本-兵力-労働力の「歩溜り」確保のための社会政策・公衆衛生-という関係の中での「歩溜り」の方はどうでもよくなった。「国内がダメなら海外があるさ」というわけである。同時に労働力はグローバルな底値に照らして買い叩かれることになる。そして、グローバルな底値の低さによって格差構造は増幅される。だからグローバルな格差構造を「ナショナル」に切り取って考える危険さ(例えば「ネオ・ナチ」による外国人排斥と、排斥による格差縮小の主張)を知らなければならない。

これらの点に関しては、もう一度、奴隷、移動、人口流動の歴史をとらえなおす必要があるのではないか。重複を避けながら文献を拾えば、次のようなものがある。

『ドイツからカナダへの移民史、18501939』
☆Jonathan Wagner:A History of Migration from Germany to Canada, 1850-1939.(2006)UBC Press.

『イギリス労働者階級、18321940』
☆Andrew August:The British Working Class,1832-1940.(2007)Pearson Longman.

『移動する看護婦移民とグローバル医療経済』
☆Mireille Kingna:Nurses on the MoveMigration and the Global Health Care Economy. (2006)ILR Press.

想定・メッセージ

最後に、海外文献を「医療・福祉の世界史」として配列することから生まれるであろうメッセージを前倒し的に表現して、この連載を終わることにしたい。まず第1は、「専門性」にこだわりを持つ社会福祉系職種に対するメッセージであり、それは地位向上につながる「専門性」もあれば、cheap labor 利用の「部分・下請け」専門職(准介護福祉士のような)もありうる、ということである。

現実に向き合うクライアントはsick poor である場合が多いが、sick の方は「専門外」だからpoorの方を、ということでいいのか。北九州市の場合は、sick の方は無視し、poor の方は働けば解決するというスタンスで、死に追いやっている。

第2にLayman(素人)の存在意義についてである。もともとLayman とは聖職者ではない「俗人」という意味だから、「俗人」の「俗的日常体験」は、流入外国人を想定して作られようとしている「准介護福祉士」よりもケア能力においてまさっている。それだけではなく、権利意識を持つ市民、主婦としてのLayman は、公的サポートなしには成り立たぬ社会福祉を進めるキーパースンでもある。

このようなキーパースン(Layman)のはたらきがないと、対人ケア職種はアメリカのように、市場型医療・看護の下働きに組み入れられる。そして、それだけではなく、看護自体の変質(医師代行職種とチーム・マネージャー職種への分化)をもたらす。

アメリカの場合、看護師が三層化(正看、准看、助手)されているだけではなく、ナーシングホームも三層化されている。

の三層だが、これは市場型医療にあおられた結果といえる。そして「看護師のいないナーシングホーム」や「看護師の顔が見えないナーシングホーム」に、日本でいう介護職員が組みこまれているわけである。そして「部分・下働き職種」の待遇はグローバル・ボトムライン・オリエンテーションによる低賃金水準ということである。

このような状況に立ち向かうのは容易なことではないが、さしあたっては「市民(Layman)・途上国連合」や多国籍企業労働組合などを念頭におきながら、あらためて「医療・福祉の世界史」の再構築をやってみたい。それは「本」という形で固定化されたものではなく、各自の書きこみによって充実される「台紙」のようなもの、としてである。(完)

紹介文献の「掲載順Index」と「欧文アルファベット順Index」と「和文仮名Index」とが編集部で用意されています。

なお、その際、初期の段階での「仮訳の和名」の入っていないものを補い、複数回引用での「仮訳の和名」の不統一を補正しました。

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