総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻90号)』(転載)二木立

発行日2012年01月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

○インタビュー「TPPへの参加が医療・医薬品産業に与える影響」が『国際医薬品情報』2012年1月9日号(発行:国際商業出版株式会社)に掲載されます。「インタビュー」となっていますが、テープ起こしではなく、インタビュー直後に一気に書き下ろしました。これはTPPを複眼的・批判的に検討した第3弾で、第1弾「TPPと日本の医療」(『TPPと日本の論点』農文協,2011年4月)第2弾「TPPに参加するとアメリカは日本医療に何を要求してくるか?」(『日本医事新報』2011年12月10日号)では、字数の制約等のために書ききれなかったことをほとんど書き込むことができました。ただし、両論文との重複は最小限に減らしました。本「ニューズレター」91号(2012年2月1日配信)に転載予定ですが、早めに読みたい方は同誌掲載分をお読み下さい。

○座談会「TPPの本当の話」が『月刊/保険診療』2012年1月号(1月10日発行)に掲載されます。参加者は、関岡英之氏(ノンフィクション作家。司会)、植草一秀氏(スリーネーションズリサーチ株式会社代表取締役)、亀井亜紀子氏(国民新党・参議院議員)、桜井充氏(民主党・参議院議員)と私の5人です。本「ニューズレター」91号(2012年2月1日配信)に転載予定ですが、早めに読みたい方は同誌掲載分をお読み下さい。


1.論文:TPPに参加するとアメリカは日本医療に何を要求してくるか?

(「深層を読む・真相を解く(9)」『日本醫事新報』2011年12月10日号(4572号):34-35頁)

野田佳彦首相が11月11日にTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉に参加する方針を表明した前後から、社会のTPPに対する関心と懸念が急に高まりました。医療関係者から「国民皆保険が崩壊する」との激しい反対意見が出される一方、それを「杞憂」、「TPP狂想曲」と揶揄する発言もみられます。

私自身は、本年4月に発表した論文「TPPと日本の医療」(『TPPと日本の論点』農文協[元論文の『TPP反対の大義』は誤記])で、TPP参加反対の立場から、参加が日本医療に与える影響を包括的に検討し、米国の圧力により医療の市場化・営利化が現在より進むが、「国民皆保険制度崩壊」が生じる可能性はないと結論づけました。

本稿では、米韓FTA(自由貿易協定)等、この論文発表後に得た情報も加味して、日本がTPPに参加した場合、米国は日本医療に何を要求してくるかを、三段階に分けて具体的に予測します。最後に、それがそのまま実現するわけではない理由を説明します。

医療機器・医薬品価格への規制の撤廃

米国政府は1990年代以降日本医療の市場開放を求めており、2009年のオバマ政権成立以降、その圧力が強まっています。TPPが事実上の「日米FTA」であり、しかもオバマ政権のTPPに込めた狙いが米国企業の輸出拡大と雇用創出であることを考えると、日本がTPPに参加した場合、米国の要求がさらに強まるのは確実です。私はそれには3つの段階があると判断しています。

第1段階は日本の医療機器・医薬品価格規制の撤廃・緩和要求です。これは米国通商代表部が毎年発表する「外国貿易障壁報告書」の定番です。2011年版では「医療機器・医薬品」の貿易障壁の指摘と是正要求は、保険、テレコミュニケーション(医療ITを含む)に次ぐ長さであり、医療機器については外国平均価格調整ルールの廃止または改正を、医薬品に関しては新薬創加算の恒久化と加算率の上限撤廃、市場拡大再算定ルールの廃止または改正等を列挙しています。

私は、本稿執筆のため、11月22日に韓国国会で強行可決された米韓FTAの「医療機器・医薬品」の妥結内容を調べたのですが、それが米国の日本への要求と瓜二つなことに驚きました。その上、米韓FTAでは、米国企業は韓国政府の定めた医薬品・医療機器の償還価格に不満がある場合には、政府から独立した「医薬品・医療機器委員会」に異議申し立てできることすら定められました。これは決して対岸の火事ではなく、内閣官房等が10月に発表した「TPP協定交渉の分野別状況」も、「物品市場アクセス」の項でこの事実を紹介し、「医薬品分野に関する規定が置かれる可能性はある」と認めています。

もし現行の医療機器・医薬品価格の規制が撤廃・緩和された場合には、最新鋭医療機器や新薬の価格が高騰し、患者負担増加と保険財政の悪化が生じることは確実です。さらにそれは医療サービス価格(診療報酬)の強い引き下げ圧力ともなります。なぜなら、「診療報酬改定率=全体改定率-薬価引き下げ率(診療報酬換算)」という関係にあり、全体改定率が一定の場合、新薬の価格高騰による薬価引き下げ率の低下は、自動的に診療報酬改定率の圧縮・引き下げとなるからです。

医療特区に限定した市場原理導入

米国の第2段階の要求は、医療特区(総合特区)に限定した株式会社の病院経営の解禁と混合診療の原則解禁(つまり市場原理導入)です。米国は建て前としては、医療特区に限定しない「市場開放」を要求していますが、それには日本の医療関連法規全体の改正が必要であり、短期的には実現しないことを理解しているからです。「外国貿易障壁白書」の「医療サービス」の項にも、このことが以下のようにカッコ付きで示されています:「米国政府は、日本政府に対し、医療市場を外国のサービス提供者にも開放し、営利法人が営利病院を運営し、すべてのサービスを提供できるようにする機会(経済特区を含む)を認めることを引き続き要求している」(2008~2010年版。2011年版ではこのカッコ書きは消えましたが、理由は不明)。

韓国では、米韓FTA妥結に先だって、3つの「経済自由区域」が指定され、すでに仁川では全額自費診療のニューヨーク基督長老会病院(600床規模)が建設されています。
ここで注意すべきことは、この「営利法人」が米国企業のみを意味しないことです。私は、もし医療特区での株式会社の病院経営が解禁された場合、米国資本単独ではなく、日米合作で進められると予測します。この場合、「自費診療部分の補填=患者負担の軽減」を大義名分にして、米国の民間医療保険の参入がさらに拡大します。

ISD条項と市場原理の全面的導入

ただし日本政府がこの第2段階の要求を受け入れても、それによる市場拡大はごく限られます。この場合、TPPに盛り込まれる可能性が強い「投資家と国家間の紛争解決手続き」(ISD条項)に基づき、米国企業が日本政府に損害賠償請求訴訟を起こす可能性があります。この裁判で企業が勝利した場合、米国政府はそれをテコに、全国レベルでの株式会社の病院経営解禁と混合診療の原則解禁を求めてくるでしょう。この第3段階の要求が実現したら、国民皆保険制度の理念は変質し、給付も大幅に劣化します。

米国の要求が必ずしも実現しない理由

以上、3段階の思考実験を行ってきました。しかし、米国の要求がそのまま実現するわけではありません。どの程度実現するかは医療への市場原理導入に反対する国会内外の運動が今後どの程度盛り上がり、しかも持続するかにかかっています。このことを前提にした上で、私は、第1段階は実現する可能性が高いし、第2段階の実現可能性も長期的には否定できないが、第3段階の実現可能性はごく低いと判断しています。

それには政治的理由と経済的理由があります。政治的理由は、野党や日本医師会等の追及により、TPPがバラ色ではなく、国民皆保険制度に悪影響を与えることがかなり知られてきたからです。それに対し、韓国ではFTA交渉妥結までその内容はほとんど国民に知らされませんでした。経済的理由は、混合診療原則解禁や株式会社の医療機関経営解禁を行った場合、日米の個別企業の利益は増加するが、それにより総医療費・公的医療費とも(不必要に)増加するため、医療費抑制という政府の基本政策と矛盾するからです。

▲目次へもどる

2.論文:混合診療裁判の最高裁判決とその新聞報道等を改めて考える

(「二木教授の医療時評(その99)」『文化連情報』2012年1月号(406号):30-35頁)

はじめに

最高裁判所は昨年10月25日、混合診療禁止の是非をめぐって争われてきた訴訟で、国の法解釈と政策を妥当とする判決を下しました。これにより、厚生労働省による混合診療禁止の法運用には「理由がない」とした2007年11月の東京地裁判決以来4年間続いてきた論争に法的決着がつけられました。

私はこの直後に、論文「混合診療裁判の最高裁判決とその新聞報道をどう読むか?」を発表しました(1)。この論文では、まず最高裁判決のポイントを紹介してその意義を考え、次にこの4年間で原告(清郷伸人氏)の主張が大きく変わったことを指摘し、最後に全国紙の最高裁判決報道を比較して「日本経済新聞」(以下「日経」)の報道・主張には偏りと重大な事実誤認があることを批判しました。

本稿では、この論文の分析枠組みを維持しつつ、紙数の制約のため書ききれなかったこと、およびこの論文発表後に知った事実を補足します。あわせて「補論」で、混合診療原則解禁により、一般の常識とは逆に、公的医療費が増加する可能性が大きい理由を説明します。なお、私はこの裁判の東京地裁判決と東京高裁判決についても、それぞれ本「医療時評」で論評しているので、お読み下さい(2,3)

最高裁判決は「混合診療保険給付外の原則」を二重に是認

この裁判での主な争点は2つありました。第1は混合診療禁止原則(最高裁判決は「混合診療保険給付外の原則」と表現)の法的根拠の有無、第2はそれの政策としての妥当性です。最高裁判決は、この両方で、国の主張・解釈を是認し、原告の主張を退けました。

第1の争点については、保険外併用療養費及び特定療養費に係る「各制度の沿革に関する事実関係等」と「各制度に関する関係法令等の定め」を詳細に検討し、それを前提として「各制度の趣旨及び目的について検討し」た上で、健康保険法第86条等について混合診療保険給付外の「原則の趣旨に沿った解釈を導くことができる」と判断しました。

第2の争点については、「健康保険により提供する医療の内容については、提供する医療の質(安全性及び有効性等)の確保や財源面からの制約等の観点から、その範囲を合理的に制限することはやむを得ないものと解され」、「混合診療保険給付外の原則を内容とする法の解釈は、不合理な差別を来すものとも、患者の治療選択の自由を不当に侵害するものともいえず、また、社会保障制度の一環として立法された健康保険制度の保険給付の在り方として著しく合理性を欠くものということもできない」と判断しました。

この立論は大枠では、地裁判決を覆した東京高裁判決(2009年9月)を踏襲しています。しかし、東京高裁が国の主張・解釈を全面的に是認したのと異なり、最高裁は第1の争点に関しては、混合診療保険給付外の原則は、法第86条等の「規定の文言上その趣旨が必ずしも明確に示されているとは言い難い面はあるものの…」等の留保条件を何度も付けた上で、国の主張・解釈を是認しました。この判決は「裁判官全員一致の意見」に基づいてなされましたが、大変異例なことに、5人の裁判官のうち、裁判長を含むうち4人が、上記留保条件に関連して、「法規定は明快に定められるべき」等の「補足意見」・「意見」を付しました。

なお、原告が勝訴した東京地裁判決は、第1の争点についてのみ、混合診療禁止の法運用には「理由がない」との法解釈を下しましたが、第2の争点についての判断は回避し、「法解釈の問題と、差額徴収制度による弊害への対応や混合診療全体の在り方等の問題とは、次元の異なる問題である」と述べました。当時「日経」は、「[混合診療を-二木補足。以下同じ]認めぬ国に転換迫る」、「[判決は厚生労働省に]混合診療を一括して認めるよう明示した」(2007年11月8日朝刊)と報じましたが、これは誤報です。

最高裁判決の詳細な分析は今後法学者が行うと思いますが、法解釈と政策の妥当性の両面で、混合診療禁止原則(および保険外併用療養費制度による部分解禁)が認められたことは非常に重いと思います。国の医療保障政策の原則についての本格的な最高裁判決としては、国民健康保険への強制加入を合憲とした1958年の最高裁判決以来だからです(4,5)
これにより、混合診療全面(原則)解禁というイデオロギー的主張は法的根拠を失い、今後は、保険外併用療養費制度の運用改善という地に足のついた議論がなされることが期待されます。

原告も混合診療全面解禁論を撤回したようにみえるが…

実は、この裁判の原告の混合診療に対する主張はこの5年間で大きく変わってきました。原告は、東京地裁判決前の2006年に出版した著書『混合診療を解禁せよ』では、混合診療禁止が違憲であると主張するだけでなく、次のように、医療の有効性・安全性も患者が自主判断するというリバタリアン(絶対自由主義)的主張をしていました。「私の考えている混合診療における自己責任とは、有効性・安全性も含んで自主判断し、自己決定することであり、保険医の情報開示・説明と患者の選択・同意の下で投入されるすべての医薬品、治療を対象とする。(中略)それでは民間療法と大差ないといわれるだろうが、その通り、民間療法の保険医版である」(6)

しかし、2009年9月の東京高裁判決後は、混合診療の全面解禁論も、民間療法の混合診療論も撤回しました。「私は混合診療の全面解禁を求めているわけではないが、一定の条件下であれば解禁すべき」(m3.com 2009年9月29日)。「科学的根拠のない民間療法は、当然ながら対象外としなければなりません」(7)

さらに、今回の最高裁判決後の記者会見では、「わたしは全面解禁を望んでいません。病院と患者とのインフォームドコンセントが十分なされた上で、規律ある原則をもった解禁がなされるべきだと考えています」と述べました(医療介護CBニュース2011年10月25日)。これは、字義通りに読めば、現行の保険外併用療養費制度に限りなく近いと言えます。

ただし、原告の主張が裁判を通して、逆方向にエスカレートしてきたことも見落とせません。原告は、東京高裁判決直後にも、次のように「中流層の保険外診療を受ける権利」を絶対化し、低所得層への配慮に欠けた発言をしていました:「もちろん、混合診療が原則解禁されても、経済的に保険外診療を受けられない人びとがいることもわかります。そうした層には、ある程度行政による援助が必要なのかもしれませんが、財政的に難しいのが現実です。しかし、だからといって大多数の中流層の保険外診療を受ける権利まで奪ってしまうのは悪しき平等主義」(7)

最高裁判決後、原告の発言はエスカレートし、以下のように国民皆保険制度自体を否定するようになりました:「医療制度改革の方向を端的にいえば、厚生労働省は全国民の命に責任を持たなくていいということである。(中略)がんなどの慢性病は基本的に本人の問題であり、本人の意思と能力に負う部分があってもいい。(中略)当局はこれまで国民皆保険という公的医療を社会福祉という建前で提供してきたが、それは持続不可能であることを率直に表明すべきである。(中略)国民皆保険による公的医療と任意の自費負担であるビジネス医療の並立という世界の常識の導入しかないことを国民に本音で説明する必要がある」(8)

これは「いつでも、どこでも、だれでも」良い医療を受けられるという国民皆保険制度の根本理念を否定する主張であり、患者・国民の支持はとうてい得られないと思います。

「日経」社説には重大な事実誤認

全国紙も、「日経」を除けば、最高裁判決を中立的に報じました。判決についての社説(「産経」のみは「主張」)は全国紙5紙のすべてが発表しましたが(「日経」10月26日、「読売」・「産経」10月27日、「朝日」10月29日、「毎日」10月30日)、「日経」以外は、判決を踏まえた上で(保険外併用療養費)制度の改善を求めました。実は、「産経」は東京高裁判決後の「主張」(2009年10月6日朝刊)で、「[保険外併用療養費を]さらに整備し、混合診療の解禁へと結びつけることも必要だ」と主張していましたが、今回の「主張」では混合診療解禁は求めませんでした。

それに対して、「日経」は記事・社説とも、混合診療原則解禁に固執し、特に社説では「混合診療の解禁は立法府に委ねられた」という特異な主張をしました。しかも、他の4紙の社説がすべて現行の保険外併用療養費について触れ、それを「管理された混合診療」(「朝日」)、「実質的な一部解禁」(「毎日」)、「例外的な制度運用」(「読売」)と評価しているのと異なり、「日経」の社説は、それについてまったく触れず、逆に「国内でそれら[革新的な新薬や治療法]を保険適用していない場合、患者はすべての医療費を自費で賄うか、新しい治療法を諦めるか、どちらかを迫られる」と述べました。これでは、「日経」の読者は混合診療が全面禁止されていると誤解してしまいます。この点は、2009年の東京高裁判決後の社説(9月30日朝刊)も同じであり、「確信犯」と言えます。

「日経」社説は最後に、「昨年[2010年]、民主党政権は新成長戦略に混合診療を原則解禁する旨の表現を盛り込んだ」と書いていますが、これはトンデモナイ事実誤認です。「新成長戦略」の策定過程で、民主党の一部議員や経済産業省がそのような主張をしたことは事実ですが、厚生労働省や日本医師会等の強い抵抗によりそれは否定され、「新成長戦略」では、「先進医療の評価・確認手続きの簡素化」等、「保険外併用療養の拡大」という従来の政府方針に沿った政策が掲げられるにとどまりました(9)。
「日経」社説は、混合診療禁止は「患者に不利益をもたらす」とも主張していますが、日本最大の患者団体である日本難病・疾病団体協議会が、最高裁判決当日に、混合診療全面解禁に反対し、最高裁判決を歓迎する「意見」(「混合診療訴訟の最高裁判所判決について」)を発表したことには口をつぐんでいます。しかも、日経は、社説だけでなく、一般記事でもこのことに全く触れていません。

以上の事実は、「日経」が、少なくとも医療政策の報道については、事実を正確に報道するというジャーナリズムの原則から大きく外れていることを示しており、残念です。

ただし、「日経」の社説には、注目すべき変化が一つあります。「日経」は、東京地裁判決後および東京高裁判決後の社説では、それぞれ「混合診療には公的医療費の膨張を抑える効果も期待できる」(2007年11月9日朝刊)、「公的な医療費支出を過度に膨張させないためにも、混合診療の解禁は役立つ」とストレートに主張していました。ところが、最高裁判決後の社説では、このような主張は影を潜めました。この主張を取り下げた理由が、患者・国民の反発を避けるための戦術的なものであるのか、それとも混合診療原則解禁により、少なくとも長期的には、公的医療費が逆に増加する可能性が高いことに「日経」も遅まきながら気づいたためであるのか、それは分かりません[補論]。

おわりに-最高裁判決はTPPに対する防波堤になる

以上、混合診療裁判の最高裁判決について3つの側面から検討してきました。最後に、視点を変えて、この最高裁判決が、もし日本政府がTPP(環太平洋経済連携協定)参加を決定した場合、アメリカ政府から強まるであろう混合診療原則解禁要求に対する重要な防波堤になることを指摘します。

もし仮に、最高裁判決で、東京地裁の混合診療禁止の厚生労働省の法運用には「理由がない」との判決が認められた場合には、政府はアメリカ政府の圧力に屈して、現行法の解釈変更により、混合診療原則解禁に追い込まれた可能性も否定できません。しかし、最高裁判決により、現在の法運用が適法と認められたため、混合診療原則解禁に政策変更するためには、新たに健康保険法等の改正を行うことが不可欠になりました。しかし、国会(衆参両院)が2004年12月に「混合診療解禁反対」の請願を全会一致で採択していること等を考えると、それは政治的にきわめて困難です。

【補論】混合診療原則解禁で公的医療費も増加する可能性

混合診療原則(全面)解禁を主張する人々は、それにより公的医療費(保険診療費)を抑制する一方、私的医療費(保険外診療費)は増加させ、それにより両者を合わせた総医療費も増加することにより、営利企業も参入可能な「医療市場」が拡大することを期待しています。総合規制改革会議が2003年7月に発表した図「『混合診療』の解禁の意義」には、このことが誤解の余地無く示されていました(この図は現在でも官邸のホームページに掲載されているので、ぜひ御確認下さい:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kisei/tousin/030715/kankei/2-1.pdf)。

しかし、医療経済・政策学研究者の間では、混合診療原則解禁により、少なくとも長期的には、私的医療費だけでなく、公的医療費も増加する可能性が大きいとの理解が一般的です。

手前味噌ですが、このことを最初に指摘したのは私です。私は、1991年に出版した『複眼でみる90年代の医療』で、「アメリカでは、全国民を対象にした公的医療保障制度が存在しないにもかかわらず、公費負担医療費が巨額な理由」として2つの「作業仮説」を提示し、2番目の作業仮説で次のように述べました。「アメリカでは、中・高所得層対象の民間医療保険が提供する高水準の医療サービスに引きずられる形で、公的医療保障(メディケイドとメディケア)で給付される医療サービスの水準も引き上げられ、その結果公的医療費が急上昇するからである。/(中略)当然のことながら民間医療保険と公的医療保障との間には相当の給付水準格差が存在する。しかしそれでも、民間医療保険に引きずられる形で、公的医療保障の給付水準も引き上げられるのである。/アメリカでは、わが国に比べて、所得階層により受診する医療機関が相当分化している。そうではあっても、多くの医療機関には、民間医療保険加入者と公的医療保障加入者の両方が受診している。その場合、医師・医療機関は、機械的に、前者にのみ高レベルの医療サービスを提供し、後者には低レベルの医療サービスしか提供しないというわけにいかないことは想像に難くない」(10)

このロジックは、混合診療と保険診療との関係にもそのまま当てはまります。そこで、『21世紀の医療と介護』(2001年)では、このロジックを用いて、小泉政権が2001年6月に閣議決定した経済財政諮問会議「骨太の方針」に含まれていた「混合診療の自由化はない」理由を説明しました(11)。さらに、『医療改革と病院』(2004年)では、「混合診療を全面解禁するためには、私的医療保険を普及させることが不可欠だが、私的医療保険が医療利用を誘発し、公的医療費・総医療費が増加することも国際的常識である」と指摘し、その根拠としてOECD "Private Health Insurance in OECD Countries "(2004,p.196)を引用しました(12)

他方、日本医師会医療政策会議も1998年度報告中の「いわゆる『混合診療』の帰結」の項で、次のように主張しました(13)。「混合診療は確かに短期的には公的保険の財政状況を緩和する可能性もあるが、長期的には、国民は質の高い医療を求める以上、より高い水準に合わせて医療費全体の水準を押し上げる可能性が高い。例えば、アメリカでは保険給付の良い保険者の患者を獲得するためにも病室のほとんどが個室となっており、設備もデラックスである。また日本でも高度先進医療の技術を保険に収載する声が高まり、その結果、順次収載されてきた経緯にも留意する必要がある。/したがって、混合診療を認めることは医療保険制度の根幹を揺るがすばかりではなく、医療費の抑制という観点からも決して好ましい選択ではない」。

日本医師会医療政策会議の中心メンバーの1人である田中滋氏も、「『患者一部負担増大策と混合診療論』批判」(2000年)で、混合診療導入は、医療の階層化に加えて、「資源配分効率の低下をもたらす危険性も高い」と以下のように警告しました(14)。「医療サービスに対しては、…消費者は(第三者払いを含めて)安さよりも技術進歩と高い質を望む」、「混合診療導入に対し、消費者は私保険購入によって安心感を高めようとするだろう。その際、私保険を上乗せで購入する所得層の人々への訴求ポイントは、『安さ』ではなく『質』となる」、「医療機関がそうしたニーズに応えると、質の向上と共に医療に要する費用と自由な部分の価格が上がっていく。米国の医療が典型例」、「規制緩和の論旨を一貫させるためには、質の向上に加え、(1)個々の医療行為の費用上昇、(2)総医療費の増加、(3)階層医療、(4)非効率化(少なくとも管理費用の増大)を受け入れる必要がある」。

文献

▲目次へもどる

3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算73回.2011年分その10:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足

○医療保険の管理費用[割合]の国際比較:何が見出されたバラツキの原因なのか?
(Mathauer I, et al: A global overview of health insurance administrative costs: what are the reasons for variations found. Health Policy 102(2-3):235-246,2011)[量的研究、国際比較]

管理費用は総医療費の重要な支出項目である。しかし、それがアメリカ以外の国で話題になることは稀であり、大規模な国際比較が行われたことはない。そこで、WHO国民保健勘定(NHA)とOECD保健勘定システム(SHA)の2001~2007年データ等を用いて、社会保障(社会保険)と私保険別に、総医療費中の管理費用割合(以下、管理費用割合)を国際的に概観・分析した。データは58か国から得られた。高所得のOECD加盟国の社会保障では、管理費用割合の平均値は4.2%であった。私保険ではこの割合は12.7%であり、社会保障の3倍であった。低・中所得国では管理費用割合は高所得国よりもずっと高く、しかもこの割合は各国間および時期によってバラツキが大きかった。次に、このバラツキを説明する要因として、以下の7つを検討した:医療財政方式、実際に行われている管理活動、保険設計、文脈要因、データ報告のフォーマット、勘定方式、マネジメント・管理の効率。管理費用についてのもっと詳しい報告が得られれば、各国の比較可能性が高まるであろう。管理効率を改善すれば、医療給付を改善するための資源を得ることも可能である。

二木コメント-高所得国の総医療費中の管理費用割合の比較は過去にも行われたことがありますが、本研究は社会保障(社会保険)・私保険別に、しかも低・中所得国を含めてこの割合を計算した世界初の画期的調査研究です。ただし、この割合のバラツキの原因の検討はまだ「記述的」レベルにとどまっています。本論文ではsocial security(社会保障)はsocial insurance(社会保険)と同義で用いられており、公費負担方式の国(イギリス、スウェーデン等)は除外されています。日本の社会保険医療費中の管理費用割合は2.7-3.2%であり、OECD平均を相当下回っています。それに対して日本の私保険医療費ではこの割合は12.8-16.4%であり、OECD平均並みです。なお、日本よりはるかに保険者機能が強いドイツでは、社会保険医療費中のこの割合は5.8-6.2%であり、日本のほぼ2倍です。

○[イギリスにおける]2型糖尿病を予防するためのライフスタイルへの介入の費用対効果[費用効用分析]
(Irvine L, et al: Cost-effectiveness of a lifestyle intervention in preventing type 2 diabetes. International Journal of Technology Assessment in Health Care 27(4):275-282,2011)[量的研究]

先行研究では、もし長期間の食事・運動指導が行われれば、耐糖能異常者の2型糖尿病発症は減らせることが示唆されている。このようなライフスタイルへの介入の費用効用分析を行った。イングランド・ノーフォーク州で、2009年2~12月に新たに2型糖尿病または耐糖能異常と診断され、臨床試験への参加に合意した177人を、2対1の割合で、介入群と通常治療群(対照群)に2分した。介入群には、グループでの教育、理学療法、ピアサポート、および電話指導を実施した。両群の医療資源利用、介入費用(介入群のみ)と生活の質(EQ-5D)を7カ月間モニターし、その結果に基づいて調整済み余命(QALY)1年延長当たり増分費用(増分費用効果比:ICER)と費用対効果受容曲線(CEAC)を推計した。臨床試験参加者のスクリーニング・募集費用を除くと、1人当たり費用は介入群551ポンド、対照群325ポンドであった。QALY変化(低下)はそれぞれ-0.001と-0.004であった。介入によるQALY1年延長当たり増分費用は67,184ポンドであり、NICEの推奨基準20,000ポンドを大幅に上回っていた。この費用は、耐糖能異常者では20,620ポンドであった。(スクリーニング・募集費用を含めると、介入群の1人当たり費用は900ポンド、ICERは171,196ポンド:表3より追加)。

二木コメント-ライフスタイルに介入する疾病管理は費用がかかり、しかも効果(QALY低下予防)はごく限られているため、QALY1年延長当たり増分費用は非常に大きいことがきれいに実証されています。

○プライマリケア医による良質な疾病管理は入院費用を削減するか?イギリスのプライマリケアで得られた証拠
(Dsuheiko M, et al: Does better disease management in primary care reduce hospital costs? Evidence from English primary care. Journal of Health Economics 30(5):919-932,2011)[量的研究]

イギリス(イングランド)の8000人プライマリケア医(GP)の登録患者約500万人のデータを用いて、横断分析モデルとパネルデータモデルにより、10疾患の良質なプライマリケア・マネジメントは入院医療費の削減と関連しているか否かを検討した。質の評価は「質・アウトカム枠組み」から得られたデータを用いた。これは、イギリスの全GPを対象して導入されている「質に応じた支払い」(P4P)で用いられている評価尺度で、主としてプロセス指標で構成されている。10疾患のうち、脳卒中診療のみで、GPの良質なパフォーマンスは低い入院医療費と関連していた。イギリス全体では、2004年5月~2007年8月におけるGPの脳卒中診療の質の10%の改善は、2007年の年間入院費用を3000万ポンド削減していることが示唆された。費用節減の主因は救急入院と外来受診の減少であり、入院単価の減少や非緊急入院の減少ではなかった。

二木コメント-一見緻密な分析ですが、介入費用(P4Pによる疾病管理費用)は含まれていません。しかも、10疾患中9疾患では、疾病管理により入院医療費が削減されなかったことについての考察もしていません。ただし、著者は、考察の項で、大部分の疾病予防戦略は総費用を増加させることがよく知られていると認めています。

○[アメリカの]メディケア健康支援疾病管理モデル事業の結果
(McCall N, et al: Results of the Medicare Health Support disease-management pilot program. The New England Journal of Medicine 365(18):1704-1712,2011)[量的研究]

2003年メディケア現代化法により、議会はメディケア・メディケイド・サービスセンターに、民間企業の疾病管理モデルをメディケアの出来高払いプログラムで検証することを求めた。「メディケア健康支援モデル事業は、看護師主体のコールセンターを用いた8つの民間企業による疾病管理プログラム(以下、疾病管理プログラム)で構成される、大規模なランダム化調査である。心不全と糖尿病のいずれかまたは両方を有する患者242,417人を介入群と通常治療群(対照群)にランダムに割り付け、差の差法(DID)により、疾病管理プログラムの臨床治療の質、救急医療の利用、メディケアの出来高払い医療費に与える影響を評価した。その結果、8つの疾病管理プログラムのすべてで、介入群の入院、救急外来受診は、対照群に比べ減少しなかった。比較した40の治療プロセス指標のうち、疾病管理プログラムで有意な改善がみられたのは14項目だけだった。このわずかな効果を得るために疾病管理プログラムに支払われた費用は膨大(4億ドル)であり、当初期待されたメディケア総費用の削減はまったくなかった。

二木コメント-少なくとも、看護師主体のコールセンターを用いた疾病管理プログラムの費用対効果は非常に悪いことが示されています。民間企業の効率性に対する「神話」が根強いアメリカ的研究ですが、私は民間企業のみに委託したことにより、費用対効果がさらに悪化したと想像します。

○スウェーデンにおける高齢者ケアの消費者:選択の見せかけ
(Meinow B, et al: Consumers of eldercare in Sweden: The semblance of choice. Social Science and Medicine 73(9):1285-1289,2011)[量的研究]

スウェーデンでも他国でも、医療サービスや社会サービスの提供では、利用者の選択と市場の力が有効であることが声高に主張され、政策担当者はますます、人々を顧客、サービスの消費者と見なすようになっている。非常に高齢な人々はケアの頻回利用者であるが、彼らのうちどれくらいが情報を探し、医療サービスや社会サービスの提供者を決める能力を持っているのであろうか?本研究では、2002年のスウェーデンの77歳以上の全国代表標本を用いて、医療サービスや社会サービスの提供者について適切な情報を与えられた上での選択を行うために必要な認知的、身体的、視聴覚的能力の障害がどのくらいあるかを調査した。その結果、対象の三分の一に認知テストで異常がみられるか、テストそのものが不可能であった。22%は情報を見つけ処理する能力に障害があった。32%は十分な認知機能を有していたが、視聴覚に障害があるか、知的活力に欠けるか、1人で外出できなかった。これらの障害がまったくないと回答した高齢者はわずか10%であった。

一般的にケアの利用は年齢とともに増える。健康上の問題が大きくなると、身体的、認知的能力は低下する。本研究の結果は、ケア・サービスにもっとも依存しており、「適切な選択」でもっとも利益を受けるはずの高齢者では、認知的・身体的機能の障害の出現率が高く、合理的なケア・サービスの消費者として行動できないことを示唆している。

二木コメント-健康人(または強くて自立した個人)を前提にした「合理的消費者」モデルが、高齢者の医療・社会サービス利用にはそのまま適用できないこがよく分かります。なお、アメリカにも、本研究と同じ視点から、医療保険での選択拡大政策は、高齢者にとっては有害であると論じた研究があります。(「選択の制限は社会的厚生を増すことができるか?-高齢者と医療保険」。Hanoch Y, Rice T: Can limiting choice increase social welfare? The Milbank Quarterly 84(1):37-73,2006.本「ニューズレター」26号(2006.10.1)で紹介)。

○1年生存の金銭的価値:[オーストラリアでの]治療費の質的研究から得られた証拠
(Mckie J, et al: The monetary value of a life year: Evidence from a qualitative study of treatment costs. Health Economics 20(8):945-957,2011)[質的研究]

一般の市民は、限られた予算の枠内で健康便益を最大化するために治療費(医療費)の安い患者を優先するという考えを拒否することが、いくつかの研究から示唆されている。本研究では、半構造化グループ・ディスカッションを用いて、オーストラリア国民が有する上述の見解の規範的基礎を探索した。職業別に6グループ(1グループ6~8人。合計41人)を作り、それぞれに2人のモデレーターを配置した。参加者には、すぐに自己の選好を決めるのではなく、自己の推論プロセスについて批判的にじっくり考え、その判断の基礎にある価値観を明らかにするよう求めた。討論の過程では、参加者に病院予算を仮想的に配分することも求めた。このような熟議の後、医療費全額を医療費の安い患者に配分することを選んだ参加者は、41人中わずか3人であった。この理由は、概念上の混乱や別の戦略の意味を理解していないためではなく、すべての患者に治療を受ける権利を与えるべきであり、医療費が高い患者から希望を奪うべきではない等の、公正観に基づいていた。この結果は、医療費が高くなるにつれて、公正の視点から、人々は、前もって決められた質調整済み生存年(QALY)1年当たりの最低費用を超えて支払う意志があることを示唆しており、QALY1年当たりの単一の金銭的価値を推計することへの警告となっている。

二木コメント-医療サービスの経済的評価を行う際に忘れてはならない重要な視点と思います。

○医療文献におけるN=1実験-体系的文献レビュー
(Gabler NB, et al: N-of-1 trials in the medical literature - A systematic review. Medical Care 49(8):761-768,2011)[文献レビュー]

N=1実験(単一の事例に対し複数の実験的治療を繰り返す方法。[単一事例実験、シングル・システム・デザインとも呼ばれる-二木]は個人の治療効果を決定するため、およびポピュレーション・レベルでの治療効果の不均一性(HTE)を推計するツールとして、理想的かもしれない。しかし、N=1実験の方法論・分析法についての包括的データはない。そこで、Medline等3つのデータベースを用いて、1985~2010年に発表されたN=1実験を行った論文を検索し、個人の治療経過をランダム化の単位として用い、しかも個人の特異的治療効果を報告していた108論文(2154事例を含む)を抽出し、体系的文献レビューを行った。治療効果の優位性を判定するために、約半数(49%)が統計的カットオフポイントを、25%がグラフ比較、20%が臨床的重要性を用いていた。67の実験(62%。488事例)が治療変更についての情報を記載しており、そのうち54%の事例では実験参加者が実験結果に対応した治療法の決定に実質的に参加していた。半数弱(45%)の論文しか、治療効果の不均一性の計算を促進するために必要な情報を記載していなかった。

二木コメント-N=1実験についての世界初の体系的文献レビューと思います。N=1実験は、近年、ランダム化比較試験の弱点を補う有力な実験法として注目を集めているそうですが、標準化はまだ遅れているようです。

▲目次へもどる

4.私の好きな名言・警句の紹介(その85)-最近知った名言・警句

Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし