総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻159号)』(転載)

二木立

発行日2017年10月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

○論文「日医総研『日本の医療に関する意識調査』から何が読みとれるか?」を『日本医事新報』10月7日号に掲載します(「深層を読む・真相を解く」(68))。論文は「ニューズレター」160号(11月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

○講演「地域包括ケアと医療者の役割」を10月9日(月)12:30~13:50に、大阪市のホテルニューオータニ大阪で開催される第31回日本臨床内科医学会で行います(教育講演14)。


1. 論文「地域力強化検討会最終とりまとめ」を複眼的に読む
(「二木教授の医療時評」(152)『文化連情報』2017年10月号(475号):14-19頁)

はじめに

厚生労働省の地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(略称「地域力強化検討会」。座長:原田正樹日本福祉大学教授)は8月21日、「最終とりまとめ(案)~地域共生社会の実現にむけた新しいステージへ~」を字句を一部修正し承認しました。「最終とりまとめ」は9月12日に公表されました。

本検討会は、2016年6月の閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」で提起された「地域共生社会の実現」について具体的に検討するために、同年10月に発足し、同年12月に「中間とりまとめ」を発表しました。それの検討は、『日本医事新報』で行いました(1)。たいへん異例なことに、「最終とりまとめ」を待たず、「中間とりまとめ」の提言の多くは、5月26日に成立した介護保険法等の一部改正(31本の法の一括改正)中の社会福祉法改正に盛り込まれました(2)。「最終とりまとめ」は、この「中間とりまとめを基本に、その後の議論を踏まえて、改正社会福祉法第106条の3に基づく基本指針の策定、地域福祉計画のガイドラインの改定、さらにはその後の『我が事・丸ごと』の地域づくりの展開に資するよう」にまとめられたものです(1頁)

地域共生社会は今や厚生労働省の中心的施策になっています。しかも本検討会の構成員の大半は各地でまちづくりや医療・福祉のネットワークづくりを主導している実践家や研究者であり、「最終とりまとめ」の記述には地域共生社会を考えるヒントが少なくありません。本稿では、「中間とりまとめ」からの変化を中心に検討します。

「地域共生社会」は「地域包括ケアシステムのいわば上位概念」(塩崎恭久厚生労働大臣・当時。2017年4月5日衆議院厚生労働委員会)であることを考えると、地域包括ケアに関わる医療・福祉関係者も「最終とりまとめ」の本文は読む必要があると思います。

「終わりに」で厚労省が重視すべき課題を「三つの視点」から明記

「最終とりまとめ」の本文(30頁)は、総論、各論、終わりにの3部構成で、各論は以下の3本柱です。1.市町村における包括的な支援体制の構築について、2.地域福祉(支援)計画について、3.自治体、国の役割。それに3つの参考資料と第10回検討会での各委員の発言が付いています。

「中間とりまとめ」と比べた大きな変化は「終わりに」で、「最も大切なことは、『指針やガイドラインを示したので後は自治体で』というスタンスではなく、厚生労働省自身が、これまで以上に熱をもって、本気で取り組んでいくことである」とストレートに述べ、「三つの視点」(人材、自治体における取組の「評価」、財源)を重視すべきと提起していることです(29頁)。

この提起には、地域共生社会は自治体や地域の各機関や専門職、地域住民等に丸投げしたのでは実現できず、厚生労働省=国も積極的に責務を果たすべきとの、検討会構成員の見識と熱意が現れています。しかも厚生労働省の検討会が「財源」についても問題提起したのは異例・画期的です。他面、「財源の確保策」等については、「時間の制約もあり、十分に掘り下げることができなかった」とされているのは残念です。

「財源の確保策」についても踏み込んで提起

ただし、公平のために言えば、各論の1では「財源の確保策」についても、以下のように、「中間とりまとめ」に比べかなり踏み込んで提起しています。

「○『我が事』として認識した地域の課題を地域で解決していく際には、そのための財源についても考える必要がある。/○寄附によって財源を集めるためには、使途を明確化し、寄附をする側の共感を得ていく必要がある。加えて、金銭だけでなく、ヒト、モノ、ノウハウの提供を受けることも有効である。/○こうした地域づくりを推進するための財源については、地域づくりに資する事業を一体的に実施するなど各分野の補助金等を柔軟に活用していくことに加え、共同募金によるテーマ型募金や市町村共同募金委員会を活用・推進したり、クラウドファンディングやSIB、ふるさと納税、社会福祉法人による地域における公益的な取組等を取り入れていくことも有効である。企業の社会貢献活動等と協働していく観点も必要であり、財源等を必要としている主体と資源を保有する企業等とのマッチングが必要である」(15頁)。

「○市町村における体制整備を進めるに当たっては、分野を超えた課題に対応するため、地域づくりに資する事業を一体的に実施するなど各分野の財源を柔軟に活用していく必要がある。その際、厚生労働省通知(平成29年3月31日付け厚生労働省関係5課長通知『地域づくりに資する事業の一体的な実施について』)を活用していくべきである」(17頁。26頁で再掲)。

これらはいずれも「小粒」であり、安倍政権の厳しい社会保障費抑制政策の下では国レベルでの多額の財源確保が望めない状況の中での「苦肉の策」とも言えます。しかし、それだからこそ、それぞれの地域・自治体で、この問題提起を参考にして創意ある取り組みを進める必要があると思います。

リアルな地域観と新しい自立観

以下、上記「財源の確保策」以外に、総論と各論の1(「市町村における包括的な支援体制の構築について」)等で私が注目したことを3点述べます。

第1に注目したことは、総論の(2)「地域共生社会に向けて私たちは何を目指すのか」等で、①地域を単純に美化することなく、それが持つマイナス面や困難な面を含めてリアルに分析した上で、今後目ざすべき地域共生社会の「高い理想」を示していること、及び②障害者福祉分野で確立している新しい自立観を示していることです。①は「中間とりまとめ」でも少し書かれていましたが、「最終とりまとめ」で大幅に補強され、②は「最終とりまとめ」で初めて書かれました。

①については、特に総論の(2)の冒頭で、以下のように包括的かつ格調高く書かれています。「『我が事』の意識は、誰かに押し付けられるものではない。『共生』は『強制』されることで画一的になってしまう。従来の封建的な側面を残した地域に縛り付けるものでもない。個人の尊厳が尊重され、多様性を認め合うことができる地域社会をつくり出していくこと。それは住民主体による地域づくりを高めていくことである。/しかし、実際の地域の状況は複雑であり、お互いの価値や権利が衝突し、差別や排除が起こるのも地域である(以下、略)」(4頁)。

②の新しい自立観は以下の通りです。「自立ができたら社会に参加するのではない。自立のあり方は多面的であるが、自立は個人で完結するものではなく、社会への参加を通して自立が促されることは共通している。他者とのつながりのなかで自立していくためのつながりの再構築こそが求められている」(5頁)。

この自立観は、社会参加を重視したICF(国際生活機能分類)とも一致するし、「人間の内在的価値と尊厳の尊重」等を「原則」として掲げた「ソーシャルワーカーのグローバル定義」(2014年)とも同じ方向と言えます(ただし、この「定義」は「自立」には触れていません)。5月に成立した改正介護保険法には、利用者の尊厳やQOLの向上に触れることなく、「自立」を要介護度(歩行・日常生活動作)の改善に矮小化した「自立支援等施策」が盛り込まれただけに、「最終とりまとめ」の提起は重要で見識があると思います。

ソーシャルワーカーの役割を高く評価

第2に注目したことは、地域力強化のためのソーシャルワーカーの役割を重視していることです。「中間とりまとめ」も「ソーシャルワークの機能」は重視していましたが、ソーシャルワーカーにはほとんど言及していませんでした(2回のみ)。それに対して「最終とりまとめ」では、ソーシャルワーカーについての記述が11か所もあり、そのうち9か所が各論の1で集中的に書かれています。それらの一覧を表に示しましたが、記述はきわめて具体的で、社会福祉関係者以外の読者が読んでもソーシャルワーカーの役割・働きがイメージされるような工夫がなされています。

検討会の性格上、記述のほとんどは、地域(力強化)との関わりで書かれていますが、医療分野での役割についても、以下の記述があります。「在宅医療を行っている診療所や地域医療を担っている病院に配置されているソーシャルワーカーなどが、患者の療養中の悩み事の相談支援や退院調整のみならず、地域の様々な相談を受け止めていくという方法」(17頁)。これは「中間とりまとめ」での次の記述より、はるかに具体的です:「地域の実情に応じて病院のソーシャルワーカーも協働の中核を担う機能として考えることが可能である」(13頁)。私は、これからの地域包括ケアと福祉改革の主戦場は「地域」であると考え、医療ソーシャルワーカーを含めたソーシャルワーカーが「地域に積極的に出る」よう提唱しているので、この記述には大いに共感しました(3)

さらに「最終とりまとめ」では、「中間とりまとめ」で「包括的な相談支援を担える人材」の機能とぼかして表現されていたものが、「ソーシャルワークの5つの機能」と踏み込んで再掲されています(16頁):「制度横断的な知識、アセスメント力、支援計画の策定・評価、関係者の連携・調整、資源開発」。厚生労働省の委員会や検討会の報告で、ソーシャルワーカーの役割がこれほど包括的に論じられたのは初めてであり、今後はこの定式化が「事実上の標準」(de facto standard)になると思います。それだけに、ソーシャルワーカーの養成団体(日本ソーシャルワーク教育学校連盟及び加盟校)や専門職団体は、今後、この5つの機能・能力を身につけたソーシャルワーカー養成・育成のための改革を積極的に進める必要があるし、それなくして今後ソーシャルワーカーが「生き延びる」ことは困難と思います。

ソーシャルワーカーの重視に対応して、「専門職」の役割と「多職種連携」も強調しています。後者は「最終とりまとめ」で初めて取り上げられました。私は、次の提起が一番重要と思います:「多職種連携に当たっては、保健・医療・福祉に限らず、雇用・就労、住まい、司法、教育、産業などの分野にも広がりが見られていることに留意する必要がある」(13頁)。

他面、「最終とりまとめ」は、「中間とりまとめ」と同じく、社会福祉士、精神保健福祉士等の具体的職種名は書いていません。さらに、ソーシャルワーカーの養成教育の改革についても、以下のような抽象的な一文を書いているだけです。「『我が事・丸ごと』の地域づくりを推進する人材を育成するために、ソーシャルワーカーをはじめとする介護・福祉職の養成カリキュラムの見直しや、職能団体等による資格取得後の現任研修の再構築が必要である」(26頁)。これは、「中間とりまとめ」で「ソーシャルワーカーの養成や配置等については、国家資格として現在の養成カリキュラムの見直しも含めて検討すべきである。人材の確保や定着についても、必要な措置を講ずるべきである」(18頁)とかなり踏み込んで書かれていたことに比べて、かなりトーンダウンしており、残念です。

他面、「職能団体等による資格取得後の現任研修の再構築」は「最終とりまとめ」で初めて提起され、私も重要と思います。なお、社会福祉士等の養成カリキュラムの見直しは、「最終とりまとめ」を受けて、今後、社会保障審議会福祉部会福祉人材確保専門委員会で検討されることになります。

高齢者に限定しない「地域包括ケア」

第3に注目したことは、対象を高齢者に限定しない「地域包括ケアシステム」を以下のように提起したことです。「高齢期の支援を地域で包括的に確保する『地域包括ケアシステム』の構築が進められてきたが、この『必要な支援を包括的に提供する』という考え方を、障害のある人、子ども等への支援にも普遍化すること、高齢の親と無職独身の50代の子が同居している世帯(いわゆる『8050』)、介護と育児に同時に直面する世帯(いわゆる『ダブルケア』)など、課題が複合化していて、高齢者に対する地域包括ケアシステムだけでは適切な解決策を講じることが難しいケースにも対応できる体制をつくることは、地域共生社会の実現に向けた包括的な支援体制の構築につながっていくものである」(5頁)。

これは厚生労働省プロジェクトチームが2015年9月に発表した「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」で提起した「全世代・全対象型地域包括支援」に対応していますが(4)、5月に成立した改正介護保険法等では、地域包括ケアシステムの対象を高齢者に限定する現行の法的定義が変えられなかっただけに貴重と思います。

実は厚生労働省の地域包括ケアシステムの対象についての説明は動揺しています。「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部が2017年2月7日発表した「『地域共生社会』の実現に向けて(当面の改革工程)」では、「地域包括ケアの理念を普遍化し、高齢者のみならず、障害者や子どもなど生活上の困難を抱える方が地域において自立した生活を送ることができるよう、地域住民による支え合いと公的支援が連動し、地域を『丸ごと』支える包括的な支援体制を構築し、切れ目のない支援を実現する」と高らかに謳い(6頁)、塩崎恭久厚生労働大臣(当時)も『平成28年版厚生労働白書』の序文で、地域包括ケアを「高齢者の施策の問題にとどめることなく、すべての住民のための仕組みに深化させたい」と述べていました。しかし、改正介護保険法等では、地域包括ケアシステムの法的定義の修正(対象の拡大など)は見送られ、しかも大臣は国会論戦で、「地域包括ケアシステムそのものが高齢者向けのことであるということは変わらない」(4月5日衆議院厚生労働委員会)と明言しました。

おわりに

以上、「最終とりまとめ」の積極面を中心に検討してきました。他面、「最終とりまとめ」には安倍政権の厳しい社会保障費抑制政策や閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」の枠内での「とりまとめ」という大きな制約もあります。特に、せっかくの改革提案も国レベルでの財源の裏打ちがなければ「絵に描いた餅」に終わるし、その場合、地域共生社会は、地域包括ケアシステムの場合と同じく、条件に恵まれた一部の自治体・地域でしか実現できない可能性が大きいと思います。また、ソーシャルワーカー等の人員増や待遇改善を行わないままに地域共生社会・地域包括ケアシステムづくりが推進された場合には、担当者の過重労働が常態化し、「過労死」が生じる危険もあります。逆に、担当者がノルマを達成するために「上意下達」的に仕事を行い、「地域共生社会」が「地域強制社会」となり、「個人の尊厳」を冒す危険もあります。

それだけに、私は厚生労働省が「最終とりまとめ」を武器にして、財務省に対して「地域共生社会」づくりの財源確保を正面から求めることを期待します。と同時に、「地域共生社会」づくりの参加者・関係者は、「最終とりまとめ」が地域の持つマイナス面や困難な面を指摘する一方で、プラス面、特に新しい動きに注目し、そこに「将来の希望」を見いだしているのと同じ複眼的視点で「最終とりまとめ」を読み、それぞれの地域での具体化を図るべきと思います。

文献

[本稿は『日本医事新報』2017年9月2日号掲載の「『地域力強化検討会最終とりまとめ』をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く」(67))に加筆したものです。]

表「地域力強化検討会最終とりまとめ」中のソーシャルワーカーについての記載

○本人の意思や尊厳を尊重する視点を前提としながら、近隣や民生委員・児童委員などによる見守りや日常の地域活動、企業や商工関係者との連携などによる情報提供、ソーシャルワーカーなどの専門職によるアウトリーチなどにより、必要な時に必要な支援が届けられるような環境を整えることが重要である(5頁)。

○一方、地域から排除されたり、一部の人から強く拒否されている人への支援については、ソーシャルワーカーが専門的な対応をしていく中で、徐々に地域住民と協働していく場合もある(14頁)。

ソーシャルワーカーが、当事者の思いや現状をアセスメントし、当事者本人を排除している地域住民に対し、その排除せざるを得ない住民側の気持ちを受け止めつつも、当事者本人の思いや状況を代弁し伝えたり、当事者と地域住民が交流する場を、適切なタイミングで設定する等の働きかけが有効である(14頁)。

○…障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律などの内容を踏まえて、ソーシャルワーカーは地域住民等への理解を促し、地域へ働きかけていく必要がある(14頁)。

○地域においては、「支える側」の人が「支えられる側」であることもある。例えば、地域の相談役となっている人が、自分の孫がひきこもりで支援を受ける家族となったり、ソーシャルワーカーが、ダブルケアのために相談支援を受ける立場になることもある。また、支援を通してそれまで「支えられる側」であった人が「支える側」になることもある(14頁)。

○例えば、自治会の会合で、近隣のゴミ屋敷の悪臭や衛生上の問題が指摘され、当該住人は問題行動を取る困った人として批判された(①)。自治会長は、民生委員・児童委員に相談し、社会福祉協議会に連絡し、社会福祉協議会のソーシャルワーカーが関わるようになり、当該住人には家族や知人がおらず、孤立した状態であり、認知機能も低下していることが分かった。そこで、自治会と共催で、ゴミ屋敷に至る背景や要因について、講師を招いて学習会をした結果、住民の中に理解者が増えていった(②)。ソーシャルワーカーの働きかけにより、住民が共に清掃を行うことで、ゴミ屋敷の住人と地域住民の間につながりが生まれ、緩やかな見守りの機能が形成される(③)。また、ソーシャルワーカーは、ボランティア団体にも働きかけ、ゴミ屋敷の住人の話し相手としてボランティアが訪問するようになる。徐々にゴミ屋敷の住人の生活が落ち着き、地域のイベントにスタッフとして参加するなど、支え手としても活動を始める(②)(15頁)。
※①~③は「中間とりまとめ」で示された「地域づくりの3つの方向性」。

○地域住民等の専門機関でない主体が担う場合には、ソーシャルワーカーによるサポートが受けられる体制を構築する必要がある(16頁)。

○在宅医療を行っている診療所や地域医療を担っている病院に配置されているソーシャルワーカーなどが、患者の療養中の悩み事の相談支援や退院調整のみならず、地域の様々な相談を受け止めていくという方法(17頁)。

○「我が事・丸ごと」の地域づくりを推進する人材を育成するために、ソーシャルワーカーをはじめとする介護・福祉職の養成カリキュラムの見直しや、職能団体等による資格取得後の現任研修の再構築が必要である(26頁)。

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2.シンポジウム・指定発言:「生活習慣病」という用語の見直しを
(2017年9月15日に東京で開催された「医研シンポジウム2017:健康な社会づくりをめざして-健康自己責任論を超えて何をなすべきか-」)

私は、本シンポジウムの副題「健康自己責任論を超えて何をなすべきか」という問いかけに対する答えの1つは、「生活習慣病」という用語、病気の多様な原因を個人の生活習慣=自己責任に単純化する用語を見直す、はっきり言えば廃棄することだと思います。以下、「参考資料」としてお配りした、私の最新論文「厚生労働省の『生活習慣病』の説明の変遷と問題点」(『文化連情報』2007年9月号本「ニューズレター」158号に転載])をベースにして、5分間発言させていただきます。

本日のシンポジウムを聞き一番共感したのは、座長の近藤克則さんを含めた5人の報告者が「生活習慣病」という用語をほとんど用いなかったこと、ちらりと用いた方も、それが患者の自己責任だとは主張されなかったことです。

しかし、世の中一般には、「生活習慣病」の原因は「悪い生活習慣」であり、自己責任だとの理解・誤解が蔓延しています。私の論文の【注】で紹介したように、「医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者なんて全額実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺してしまえ!」との極論・暴論さえ、主張されています。

私の論文では「生活習慣病」という用語を初めて公式に提唱した1996年の公衆衛生審議会「意見具申」にまで遡って検討したのですが、この「意見具申」には非常に大事なことが2つ書かれていました。1つは、「疾病の要因と対策のあり方」で、「外部環境要因」と「遺伝要因」と「生活習慣要因」の3つを同等に扱っていたこと。もう1つは、「疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」と注意喚起したことです。私は、厚生省が当時、この点を正確に広報していれば、「生活習慣病」を自己責任と見なす近年の風潮を予防できたと思い、大変残念です。

公平のために言えば、座長の近藤克則さんも指摘したように、厚生労働省は、2012年に改定した「健康日本21(第二次)」では、生活習慣の改善と「社会環境の改善」を同等に位置付けていますし、「生活習慣病」というほぼ日本だけでしか使われていない用語に加え、国際的に広く用いられている「非感染性疾患」(Non Communicable Diseases)という中立的な用語も用いています。

私は、「健康日本21(第二次)」に沿って包括的な健康増進対策を進めていく上では、疾病が自己責任と誤認させる「生活習慣病」という用語の見直しが不可欠と思います。

最後に、1978年=今から39年前、私がまだリハビリテーション専門医だった時に経験したことを述べます。私は、その年、ヨーロッパ諸国の先進的障害者・リハビリテーション施設を初めて見学したのですが、重度障害者が手厚い公的支援を受けて豊かな生活をしていること、特にスウェーデンでは一般のアパートで1人暮らしをしていることを知り感銘を受けました【注】。そこで、帰国後、勤務先の病院の脳卒中患者会でそのことを紹介したところ、ある患者は涙を流してこう言いました。「自分は、今まで、脳卒中になったのは、生活態度が悪かったためだと思い、医療保険でリハビリを受けることにやましさを感じていた。しかし、先生の話を聞いて、自分にも他の人と同じ生活をする権利があることが分かり、生きる希望が湧いてきた」。多くの患者がこのような前向きな気持ちを持てるようにするためにも、「健康自己責任論」につながる生活習慣病という用語の見直しが必要と思います。

【注】

私は、1978年6月22日~7月13日の23日間、「第3回欧州におけるリハビリテーション研修ツアー」(団長上田敏氏。団員26人)に参加し、スイス・バーゼル市で開催された第3回国際リハビリテーション医学会議(IRMA)に参加するとともに、スウェーデン、オランダ、イギリス・イングランド、スコットランド、イタリア、フランスの著名なリハビリテーション施設や障害者施設を見学しました。そのなかでもっとも感銘を受けたのは、スウェーデンの障害者福祉の「思想的」かつ「物質的」高さでした。後者のうち、一番驚いたのは、「フォーカス・アパート」でした。これは普通のアパートを一部改造して障害者も住めるようにした上で、24時間の人的サービス体制を加えたもので、その広さは独身の障害者でなんと60平方メートル(非障害者の10%増し)でした。このアパートは1964年から自主的な運動として始まったが、1974年からはすべての市町村が設置義務を持つことになったそうです(以上、二木立「西欧のリハビリテーションと障害者福祉-第3回欧州におけるリハビリテーション研修ツアーに参加して」『代々木病院医報』18号:4-23頁,1978年)。

なお、私は、この研修ツアーで収集した統計資料等を用いて、『総合リハビリテーション』(1978年8月号~1979年12月号)に「統計でみるヨーロッパ諸国、アメリカ、カナダのリハビリテーション・障害者福祉」を連載し、1980年にはそれに大幅に加筆して『世界のリハビリテーション-リハビリテーションと障害者福祉の国際比較』(医歯薬出版,1980)を出版しました(共に、上田敏氏と共著)。

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算139回)
(2017年分その8:9論文)

論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[日本を含む9つの国・地域の]死亡前12か月間の終末期医療費は以前に報告されたよりも少ない
French EB, et al: End-of-life medical spending in last twelve months of life is lower than previously reported. Health Affairs 36(7):1211-1217,2017.[国際比較研究・量的研究]

終末期医療費はしばしば総医療費の重要な構成要素だと見なされているが、この医療費を厳密に測定した研究は稀である。我々はデンマーク、イングランド、フランス、ドイツ、日本、オランダ、台湾、アメリカ、カナダ・ケベック州の9つの国・地域の2009-2011年の個々の患者レベルの詳細な医療費データを用いて、死亡前12か月間及び3年間の医療費の内訳と大きさを測定した。ただし、死亡前医療費の内訳が分かったのはデンマーク、ドイツ、オランダ、アメリカ、台湾の5つの国・地域だけだった。アメリカは65歳以上の医療費データしかないので、65歳未満もそれと同じと仮定した。

死亡前1年間の1人当たり医療費(長期ケア費用を含む。2014年の米ドル表示)は高額であった。上記5か国・地域でもっとも高いのはアメリカで約80,000ドル、デンマークとオランダは60,000超、ドイツは50,000ドル超、もっとも低いのは台湾の約20,000ドルであった。日本は約40,000ドルだった(長期ケア費用を含まない)。しかし、死亡前12か月間の1人当たり医療費の総医療費に対する割合はそれほど高くなく、長期ケア費用を含んだ場合、上記5か国・地域でもっとも低いのはアメリカの8.5%、最も高いのは台湾の11.2%であった。長期ケアを含まない場合は、上記5か国中、アメリカの7.11%が最低、台湾の10.10%が最高であった。それに対して、死亡前3年間の医療費の割合は高く、最高は台湾の24.48%、最低はアメリカの16.70%であった。日本は長期ケアを含まない医療費のみが分かり、死亡前12か月間の医療費の割合は5.93%、同3年間は10.36%であり、いずれも調査国中最低だった。以上の結果は、死亡前医療費が高い要因は、死亡直前の救命医療ではなく、余命が相対的に短い慢性疾患を有する患者に対する医療であることを示唆している。結論として、本研究は死亡直前の無駄な医療費を抑制すれば医療費を減らせるとの考えを支持しない。

二木コメント-死亡前医療費とそれの総医療費に対する割合等についての、各国の個票を用いた最新の国際比較研究で、最後の結論も妥当と思います。ただし、紙媒体の論文本体には各国の元資料や調査結果等の「サワリ」しか書かれておらず、「限界」も示されていないため、それらの詳細を知るためには、オンラインで公開されている補遺(Appendix.34頁で論文本体の5倍!)を読む必要があります。

私は、日本やアメリカの先行研究の数値(死亡前1年間の医療費の総医療費に対する割合はそれぞれ1割、3割)より極端に低いことが気になりましたが、上記Appendix(19-24頁)によると、日本の元データは人口約35,000人の地方の一小都市の国民健康保険(加入者11,520人。調査年の死亡者77人)から得られたものであり、国民健康保険の性格上75歳以上人口のデータは含まれていないそうです。しかし、地方の小規模かつ後期高齢者を除いた1保険者のデータで「日本」を代表させるのは無理があるし、日本の死亡前1年間の医療費の割合は6%と国際的に理解(誤解)される危険があるとも思います。

本「ニューズレター」72号(2010年7月)で紹介した「[アメリカにおける]死亡年のメディケア支払い医療費の長期的趨勢(Riley GF, Lubitz JD: Long-term trends in Medicare payments in the last year of life. Health Services Research 45(2):565-576,2010)によると、メディケア加入者の死亡前1年間の医療費の総医療費に対する割合は1978年の28.3%から2006年の25.1%へ微減していますが、今回の7.11%(長期ケア費用を除いた数値)とは隔絶しています。ただし、Appendixによると、アメリカの元データは、全国レベルの大規模調査「メディケア現行給付調査」であり、両論文の乖離の原因は分かりません。

なお、Health Affairs 2017年7月号(36巻7号)は、「進行疾患と終末期ケア」(Advanced illness & end-of-life care)を特集し、本「ニューズレター」で紹介した3論文を含めて、17論文を掲載しています。終末期ケア研究者必読と思います。

○ヨーロッパ16か国とイスラエルにおける終末期ケア、自己負担、及び死亡場所
Orlovic M, et al: Analysis of end-of-life care, out-of-pocket spending, and place of death in 16 European countries and Israel. Health Affairs 36(7):1201-1201,2917.[国際比較研究・量的研究]

ヨーロッパでは人口高齢化により良質の終末期ケアを提供することが大きな課題となっている。ケア提供の複雑さと様々な人々がケアに関わるために、ケアの経路を理解し、それがどのように経済的・制度的要因の影響を受けるかについて理解することが困難になっている。2006-2016年の大規模多国家データベースを用いて、ヨーロッパ16か国とイスラエルにおける終末期の医療利用、自己負担、及び死亡場所を検討した。

その結果は長期ケアの財政負担メカニズムが重要であることを明らかにした。さらに、患者の特性が終末期ケアの経路に与える影響も明らかになった。長期ケアの公的財政と組織が特に強力である国では、終末期ケアの患者の入院と多額の自己負担が減る傾向にあることも明らかになった。終末期ケアパターンを理解することは、緊急の公衆衛生政策に取り組む上で決定的に重要である。

二木コメント- 上記要旨は抽象的ですが、本論文の最大の魅力は、ヨーロッパ16か国とイスラエルの死亡場所(自宅、病院、ケアホーム)と死因、死亡までの疾患の罹病期間(1か月未満、1か月以上・1年未満、1年以上)等の一覧表が付けられており、日本との比較が可能なことだと思います。17か国の死亡場所の平均値は、自宅33.1%(最高49.49%~最小21.93%)、病院47.8%、ケアホーム13.9%です(残りはその他)。北欧諸国は、自宅死亡割合が相対的に低い反面、ケアホームでの死亡割合が非常に高いのが特徴です。例えば、スウェーデンの自宅死亡割合は21.93%で最小ですが、ケアホームでの死亡割合は36.43%で最高です。

なお、Health Affairs 36(7)の別の論文によると、アメリカの自宅死亡割合は1999年の約四分の一以下から2015年の30%へと増加し、特にアルツハイマー病ではその割合は15%から26%へと急増したそうです(Aldridge MS, et al: Epidemiology and patterns of care at the end of life. Health Affairs 36(7):1175-1183,2017)。

○アメリカにおける終末期介護の全国像
Ornstein K, et al: A national profile of end-of-life caregiving in the United States. Health Affairs 36(7):1184-1192,2017.[量的研究]

現在まで、終末期の介護をした高齢者の経験についての知識は、特定の疾患やいわゆる主介護者に限定された便宜的標本(ランダム化されていない標本)から得られた回答者の記憶に依存している。全国代表標本で、しかも2011年からの前向きデータ(「2011年全国健康・加齢傾向調査」等)を分析することにより、調査開始時に地域に居住していたがその後1年以内に死亡した65歳以上の高齢者(対象全体の11%)は2011年に全米で約90万人おり、彼らは230万人から介護を受けていたことが明らかになった。これらの介護者の1割弱しか金銭の支払いを受けていなかった。終末期の介護者の1週当たり介護時間は、非死亡者の介護者の2倍近かった(平均値はそれぞれ22.9時間、16.1時間)。特に介護者が配偶者の場合、介護時間は長かった。しかし、終末期の高齢者が受けている政府、州または民間保険を財源とするケアは、他の高齢者に比べて有意に多くはなかった。終末期の高齢者のニーズを満たすためには、金銭支払いを受けていない介護者に注目し、彼らへの支持的サービスのアクセスを拡大すべきである。

二木コメント-全国代表標本を用いて、終末期患者と非終末期患者に対する「アンペイドワーク」の実態を詳細に比較し、しかも結果を簡明な表で分かりやすく示した貴重な調査研究と思います。日米比較にも使えると思います。

○[アイルランドの高齢者の]今まで生きた期間、残された期間、または疾病を計算する?年齢、死亡までの接近、疾病及び処方薬費用
Moore PV, et al: Counting the time lived, the time left or illness? Age, proximity to death, morbidity and prescribing expenditures. Social Science & Medicine 184: 1-14,2017.[量的研究(計量経済学)]

本研究の目的は何が現実に終末期の処方薬費用を増加させているかを理解し、将来の費用予測やサービス計画に情報を提供することである。この目的のために、アイルランドの高齢者人口(70歳以上の個人。n=231,780)の公的医薬品費の実証分析を行った。2部門モデルにより、地域に居住する薬剤利用者人口をカバーする2006-2009年の医薬品給付データから得られる個々の患者情報を用いて、年齢、死亡への接近(PTD。死亡までの期間)、疾病(処方薬の種類から推計)の薬剤費用への影響を分析した。

死亡者(n=14,084)は生存者に比べて、特に死亡前6か月間に、常により多くの薬剤を利用し、その費用も多かった。データからPTDは処方薬費用に正で統計的に有意な影響を与えることが示されたが、年齢単独では患者の疾病を考慮してもごくわずかの影響しか与えなかった。疾病の測定を改善することが、年齢とPTDが疾病の近似であるとの(今回は確認できなかった)仮説を検証するために必要である。本研究で得られたエビデンスは、年齢(自体)が処方薬費用増加の主因であることを否定し、費用の将来予測を行うためには、死亡率に注目すべきことを明らかにしている。

二木コメント-医療費に影響するのは年齢自体ではなく死亡までの期間であるとの、年齢の「薫製ニシン(red herring)仮説」の処方薬費用についての検証です。個票を用いた詳細な研究であり、しかもほとんどのデータが示されています。

○人口高齢化が医療費に与える影響:イタリアのデータを用いたベイズ流VAR[ベクトル自己回帰モデル]分析
Lopreite M, et al: The effects of population ageing on health care expenditure: A Baysian VAR analysis using data from Italy. Health Policy 121(6):663-674,2017.[量的研究(計量経済学)]

最近の人口動態の変化はイタリア国民保健サービス(NHS)の将来的持続可能性についての懸念を生んでいる。65歳以上人口割合の増加は慢性・変性疾患の増加と医療・社会的ケアに対する需要を招き、それは医療費にも影響する。近年、人口高齢化と医療費の関係についての研究は量的にも質的にも相当増加しているが、いつも同様の結果が得られているわけではない。

この視点から、ベイズ流ベクトル自己回帰モデルとEurostat(欧州委員会統計担当部局)のデータを用いて、イタリアの1990~2013年の人口学的変化が医療費に与える影響を検討した。このモデルではインパルス応答解析と分散分解を用いる。その結果、イタリアの医療費は余命の延長や1人当りGDPよりも、人口高齢化により強く反応するとの結果が得られた。この知見に対応して、障害を持った高齢者の増加の影響は長期ケア部門の需要を招くと結論づける。疾病の原因に焦点を当てた健康増進や疾病予防プログラムなどの効果的な健康介入は、高齢人口が健康になることを通して、人口高齢化に伴う費用増加を最小化するのを助けうる。

二木コメント-人口高齢化と医療費との関係を「ベイズ流ベクトル自己回帰モデル」(Vector Auto Regressive model:VAR。AR(自己回帰)モデルを多変量に拡張したもの)を用いて再検討したことに新しさがあるようです。ただし、「結果」は先行研究とかなり異なり、最後の一文はエビデンスのない「希望的観測」=蛇足と思います。

○医療費が健康アウトカムに与える影響:メタ回帰分析
Gallet CA, et al: The impact of healthcare spending on health outcomes: A meta-regression analysis. Social Science & Medicine 179:9-17,2017.[文献レビュー]

沢山の研究が医療費が健康アウトカムに与える影響を評価し、典型的には健康アウトカム(その多くは死亡率または余命で測定)の医療費に対する弾力性について複数の推計を報告しているが、研究の特質が弾力性の推計にどの程度影響するかは不明である。

そこで、1969-2014年に発表された65の研究を含むメタ・データセットを用い、メタ回帰分析により、これらの弾力性の推計を検証した。公刊バイアスを含む様々な要因を補正したところ、医療費の影響は余命よりも死亡率で大きいことが明らかになった。いくつかの文献データに基づくと、死亡率に対する医療費の弾力性は-0.13前後であったが、余命に対する弾力性は+0.04前後であった。メタ回帰分析は、死亡率に対する医療費の弾力性は特にデータの集計、健康生産関数の推計、医療費のタイプ(公的か私的か)の影響を受けやすいことを明らかにした。余命に対する医療費の弾力性は、特に余命測定時の年齢、および健康生産関数における費用の内生性を制御する方式の影響を受けやすい。本論文で示した結果から、モデルの選択がいかに結果に影響するかについての理解を深めることができる。

二木コメント-本研究は、医療費と健康アウトカムの関係についての計量経済学的研究の結果は、選択されたモデルによって大きく変わることを実証した点では意味があると思います。ただし、医療費と健康アウトカムの関係は線形ではなく、低・中所得国と高所得国とでは異なるとの先行研究の知見を無視して、両者を「丸め」て、メタ回帰分析をしていることには疑問が残ります。

○医療費と所得:グローバルな視点
Baltagi BH, et al: Health care expenditure and income: A global perspective. Health Economics 26(7):863-874,2017.[量的研究(計量経済学)]

本論文は医療費と所得の長期の的経済的関係を、世界銀行が収集した1995-2012年のデータセットを用いて、世界167か国について検討する。パネルデータ法を用いることにより、観測されない異質性や時間的継続性等を調整できる。標本に含まれるすべての国のデータを用いて、全世界規模での所得弾力性を推計する。併せて、地理的・政治的区分や所得水準に基づいて、各国をグループ分けした上での推計も行う。得られた結果は、世界全体で見ると、医療は奢侈財と言うよりも必需財であることを示唆している。ただし、推計結果は国別グループにより大きく異なり、このことは所得弾力性の大きさは各国が、国別の所得分布のどこに位置するかに依存し、低所得国では弾力性が高いことを示唆している。

二木コメント-医療費と所得との関係、医療費の所得弾力性についての最新の計量経済学研究です。分析手法と結果とも妥当(常識的)と思います。

○「平均を超えた」所得と健康の関連:[イングランドにおいて]バイオマーカーから得られた新しいエビデンス
Carrieri V, et al: The income-health relationship 'beyond the mean": New evidence from biomarkers. Health Economics 26(7):937-956,2017.[量的研究(計量経済学)]

所得と健康の関係は医療経済学でもっともポピュラーなテーマだが、健康分布の(平均とは)異なる諸ポイントでの関係については余り知られていない。平均だけの分析は分布の他のポイントでの重要な情報を見落とす可能性がある。この点は、臨床的関心が分布の裾にある場合や、分布の異なったポイントでの所得勾配を評価する場合、所得関連の健康不平等の要因分解を行う場合、重要である。「無条件分位点回帰法」(unconditional quantile regression approach)を用いて、客観的に測定できる4種類のバイオマーカー(コレステロール、グリコヘモグロビン、フィブリノーゲン、フェリチン)の血中濃度分布全体での所得勾配を分析した。バイオマーカーの血中濃度分布の5つの分位数(25、50、75、90、95パーセンタイル)で「ワルカー・ブラインダー分解(Oaxaca-Blinder decomposition)」を行い、ジェンダー間の差、及びその差に対する所得(および他の共変量)の寄与を分析した。「イングランド健康調査」から得られたデータを用いたところ、所得と健康との間の非線形の関係、及びバイオマーカー値の分布の最大分位(95パーセンタイル)での強い所得勾配を見いだした。さらに、ジェンダー間で健康と所得の関係が異なり、このことが客観的健康におけるジェンダー間の格差の相当部分を説明することを見いだした。

二木コメント-「平均を超えた」所得・健康関係の分析は重要かつ魅力的で、分析も緻密ですが、分析手法は高度であり、理解するには相当の統計学的知識が必要と思います。

○政策と制度の医療費に対する役割
Maisonneuve CL, et al: The role of policy and institutions on health spending. Health Economics 26(7):834-843,2017.[量的研究(計量経済学)]

本論文は政策と制度が医療費に与える影響を、OECDの大規模パネルデータ(2000-2010)を用いて調査する。OECDが開発した20の政策・制度指標を理論的に裏付けられた経済的分析枠組みに統合し、制御変数として人口学的(従属人口指数)および非人口学的(所得、価格、技術)な1人当たり医療費の増加要因を用いる。公的医療費の国別の差の大半(約71%)は人口学的および経済的要因で説明可能だが、政策と制度の国別の違いも公的医療費の国別の差の23%を説明できた。

二木コメント-人口学的・経済的要因と制度・政策要因の国別の違いにより、国別の1人当たり公的医療費のバラツキの90%以上を説明できるとのキレイな(キレイすぎる?)結果を得ています。ただし、人口学的要因と経済的要因を分離しないのは「非伝統的」と思います。


4.私の好きな名言・警句の紹介(その154)-最近知った名言・警句

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