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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻171号)』(転載)

二木立

発行日2018年10月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

論文「2018年度同時改定を医療政策の視点からどう読むか?」を『日本医事新報』10月6日号に掲載します。本論文は「ニューズレター」172号(2018年11月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。


1. 論文:地域包括ケアに向けて医師を志す者は何を学ぶべきか?
(「深層を読む・真相を解く」(79)『日本医事新報』2018年9月1日号(4923号):20-21頁)

今後、地域包括ケア(システム)の構築が全国的に進むにつれて、医師の仕事・働き方が相当変わってくるのは確実です。今回は、本年度、大手予備校(河合塾)の医学部進学を目指す高校生・浪人生を対象に行った「特別講座」(ビデオ講義)のインタビューをベースにして、この点についての私の考えを簡単に述べます。

地域包括ケアの問題点と留意点

この講義では、まず厚生労働省が目指している地域包括ケアの概要と背景と問題点、および医療関係者が地域包括ケアを考える上での留意点を述べました(概要と背景は略します)。

問題点は次の2つです。①最大の問題点は、法律上の対象が高齢者に限定されていること。②現政権の厳しい医療・介護費用抑制策が、地域包括ケア構築の「ブレーキ」になっていること。

留意点は以下の3点です。①地域包括ケアシステムの実態は「システム」ではなく「ネットワーク」。②地域包括ケアは「地域医療構想」と法律的にも、実態的にも一体で「車の両輪」。③地域包括ケアに参加する病院は多様。

③についてはさらに次の3点を強調しました。(a)地域包括ケアに含まれる病院の法律上の規定はないが、概ね200床未満の中小病院です。今後は、地域の中小病院は地域包括ケアに積極的に参加しなければ生き延びられません。(b)ただし、一部の地域では大学病院や大病院も積極的に参加しています。その代表例は、愛知県の藤田保健衛生大学です。(c)最近は、地方、特に過疎地域の先進的病院、「保健・医療・福祉複合体」が地域包括ケアシステムの構築を通して、地域づくり、地域社会の再生にも取り組んでいます。

その上で、「地域包括ケアによって、医師の仕事、働き方はどのように変わっていくのか?」と「地域包括ケアに向けて、将来の医師を志す者は、何を意識して学び、心しておくべきか?」について以下のように述べました。

医師の仕事はどのように変わるか?

私は、地域包括ケアによって、医師の仕事、働き方には次の2つの変化が起きると判断しています。

1つは、ほとんどの医師が、狭い(病院・医療機関内の)医療の枠を超えて、福祉・介護、さらには地域にも積極的に関わることが求められようになることです。この点でもっとも示唆的なことは、「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年)が以下の3つの提言をしていることです。①「医療と介護の一体的改革」。②「病院完結型医療」から「地域完結型医療」への転換。③「治す医療」から「治し・支える医療」への転換。

もう1つの変化は、病院内での医療職のみの「チーム医療」に加えて、地域包括ケアでは、病院外の保健福祉職、さらには自治体職員や地域住民との協働、「多職種連携」が求められるようになることです。ちなみに、2018年度診療報酬改定のキーワードの1つは「多職種連携」の促進で、これに取り組まないと、医療機関の収入が増えない仕組みが導入されました。

医師を志す者は何を学ぶべきか?

次に、「地域包括ケアに向けて、将来の医師を志す者(主として医学生)は、何を意識して学び、心しておくべきか?」について、3点問題提起します。以下は、藤井博之医師・日本福祉大学教授のご意見も参考にしてまとめました。藤井医師は、東京と長野の病院で長年地域医療に従事すると共に、医学生の研修受け入れを担当し、現在も佐久総合病院でそれに関わっています。

第1は、医学部に入学後、特に比較的時間の余裕のある最初の2年間に、医学の枠を超えた、幅広い勉強、文学や社会科学等の読書をして、広い視野と教養を身につけることです(手前味噌ですが、私の著書も是非読んで下さい)。そのためにも、新聞は毎日(できれば2紙以上)読むことをお勧めします。私も若い世代で新聞離れが進んでいることはよく知っていますが、ニュースをネットで読むだけでは、どうしても自分の興味のある記事しか読まず、視野が狭くなってしまいます。もう一つ、医学部以外の学生との交流(読書会、サークル、自主ゼミ等)を行うこともお勧めです。

第2は、医学生時代の夏休みや春休み等に、地域密着型の医療や地域包括ケアを実践している病院・診療所で実習や見学を行うことです。条件と意欲のある方は、さらに、国際保健活動、被災地支援、山間地・僻地などの地域おこし活動等にも参加することをお勧めします。私は日本福祉大学学長時代(2013~2016年度)、学生が東日本大震災の被災地支援等に参加して、人間的に大きく成長することを実感しました。

第3は、医学部卒業後の選択肢に、(臓器別の)「専門医」だけでなく、地域密着型の「総合医」(総合診療医、かかりつけ医、プライマリケア医、家庭医等)を入れることです。この領域の医師の名称は統一されていませんが、日本医師会と日本の主要病院団体は「かかりつけ医」を以下のように定義しています。

「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う統合的な能力を有する医師」(「医療提供体制のあり方 日本医師会・四病院団体協議会合同提言」2013年8月8日)。

この定義には「地域医療」だけでなく、「保健、福祉」も含まれていることに注目して下さい。この定義でもう一つ注目すべきことは、その説明で「かかりつけ医は、病院の医師か、診療所の医師か、あるいはどの診療科かを問うものではない」と明記されていることです。一般にはかかりつけ医は診療所の内科系医師とのイメージがありますが、それは狭いし古いと言えます。

総合医のニーズは今後急増

ここで私が強調したいのは、今後の超高齢社会で医師総数のニーズは増えるが、(臓器別)「専門医」のニーズは減少し、「総合医」のニーズが急増することです。

厚生労働省の「地域医療構想」の「2025年の医療機能別の必要病床数の推計」では、今後、「高度急性期」と「急性期病床」と「慢性期病床」が減り、「回復期病床」と「在宅医療等(介護施設や高齢者住宅を含む)」が大幅に増えると見込まれています。私個人は、今後急増する「健康老人」が急性疾患になった時の治療で不可欠な「急性期病床」が減ることはないと予測しています。しかし、(臓器別)専門医の主たる勤務先である「高度急性期病床」(大学病院や高機能病院の病床)が相当減ることは確実です。そして、これを除いた他の病床と「在宅医療等」が地域包括ケアの重要な構成要素となり、その中心的な担い手の医師が「総合医」なのです。

「専門医」対「一般医」の区分はもう古い

最後に強調したいことは、「専門医」対「一般医」の区分はもう古いことです。論より証拠、2018年度から始まった「新専門医研修プログラム」では「総合診療専門医」が19の基本領域(専攻)の1つになりました。総合診療の専門研修では、内科(12か月以上)、小児科(3か月以上)、救急科(3か月以上)のローテーションが必修です。

高名な高久史磨先生(前日本医学会会長)は、制度発足前に、「日本でも地域包括ケアに本格的に取り組んでいくのであれば、専門医の半分くらいは総合診療医にしていく必要がある」と述べられました(m3.comインタビュー:2017年11月4日)。私も、長期的にはこのレベルを目ざすべきと思います。ただし、2018年度の専攻医登録をした約8400人のうち、総合診療領域を選んだ専攻医は184人(2.19%)にとどまっています(3月15日時点)。

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2.論文:医薬品等の費用対効果評価は「医療政策的」にはもう終わった
(『月刊/保険診療』2018年9月号:40-42頁)

6月13日の中医協の費用対効果評価専門部会・薬価専門部会・保険医療材料専門部会合同部会で、一般住民を対象とする「支払い意思額調査」を実施しないことが正式に決定されました。昨年3月の中医協総会で同調査の実施がいったん確認されたにもかかわらず、それが1年余の議論を経て、正式に否定されたことはきわめて異例です。

本稿では、この決定を踏まえて、医療経済・政策学の視点から、まず日本の医療費抑制政策の中での費用対効果評価の位置を検討し、次に私が今までに発表した費用対効果評価関連3論文のポイントを紹介します。結論的に言えば、私は費用対効果評価の医療費抑制政策全体での位置はもともとごく低いし、昨年10月の「試行的導入における価格調整の在り方」についての大筋合意と今回の支払い意思額調査の実施中止決定により、「医療政策的」には終わったと判断しています。ただし、ここで「終わった」という意味はあくまで医療政策的にという意味で、費用対効果評価そのものが終わった、ましてや来年度予定されているそれの本格実施がなくなるという意味ではありません。また、費用対効果評価の本格実施のための細部の詰めはまだ残っているし、個人の研究者による費用対効果評価研究が今後も続くことは確実です。ただし私は、その研究成果が今後政策に直結することはないと判断しています。

1.医薬品等の費用対効果評価の医療費抑制政策全体での位置はごく低い

まず、医薬品等の費用対効果評価の医療費抑制政策全体での位置づけはごく低いことを述べます。

安倍内閣の医療費抑制政策は次の4層構造です。①歳出改革の最重点分野は社会保障費抑制、②社会保障費抑制政策の柱は医療費抑制、③医療費抑制の中心は医薬品費と調剤費の抑制、④医薬品費抑制の柱の<1つ>が新薬の超高額薬価の「見直し」。そして、④から費用対効果評価の導入が検討されました。③と④には以下の3つの背景があります。

第1は、国民医療費の「薬局調剤医療費」割合が、2000年以降急増していることです。具体的には2000年度の9.2%から2015年度18.8%へと倍増しています。

第2は、1990年代までは約20%で安定していた国民医療費(「医療機関の費用構造」)の「医薬品費」割合が、2000年度以降、漸増し続けていることです。具体的には2000年度の19.6%から2013年度の22.3%へと2.7%ポイント増加しています。それに対して、同じ期間に人件費割合は50.2%から46.4%へと3.8%ポイントも減少しました。

第3は、2016年に突発した「オプジーボ亡国論」です。國頭英夫医師は、オプジーボの適用が肺がんに拡大された結果、年間薬剤費が将来1兆7500円に達すると推計し、日本の財政が破綻すると主張しました。この言説は全国紙3紙が社説で取り上げるなど大きな反響を呼びました。さらに同年9月に発表された「2015年度概算医療費」が対前年度比3.8%も増加し、その主因が調剤医療費の高騰(9.4%)であり、それが高額医医薬品によってもたらされたと報じられました。これらにより、高額医薬品費の抑制が大きな政策課題となりました。なお、私は國頭医師の主張を検討し、「国際的・国内的経験に基づけば、今後、新医薬品・医療技術の適正な値付けと適正利用を推進すれば、技術進歩と国民皆保険制度は両立できる」と結論づけました(1)

ただし、費用対効果評価は医薬品費抑制策の主役ではありません。2016年12月の政府決定「薬価制度の抜本改革に向けた基本方針」には「費用対効果を本格的に導入すること」が盛り込まれましたが、それは新薬創出・適応外薬解消等促進加算制度の抜本的見直し、長期収載品の薬価の見直し、外国平均価格調整の見直し等と並記されるにとどまりました。

2018年度診療報酬改定・薬価改定ではこの「基本方針」に基づき、医薬品費(薬価ベース)は1200億円削減されましたが、坂巻弘之氏の試算によると、費用対効果評価による削減は約30億円(2.5%)にすぎません(2)。ちなみにこの1200億円は「薬価制度の抜本改革」による削減額であり、実勢価格に基づく通常の医薬品費引き下げはその5倍の約6000億円でした。坂巻氏は「費用対効果評価の議論は費用対効果が悪い」と評しており、私も同感です。

なお、本年度の「薬価制度改革の意義と残された課題/今後の論点」については、中村洋氏が包括的かつ詳細に論じています(3)。この論文を読んでも、「費用対効果評価の推進」は「薬価制度改革」の脇役であることがよく分かります。

医薬品費等の費用対効果評価でもうひとつ強調したいことは、日本には類似薬効比較方式と原価計算方式という緻密な薬価算定方式があり、費用対効果評価はあくまでその補完にすぎないことです。私は費用対効果評価の意義は、①薬価決定プロセスの透明化と②極端な高薬価の予防であると判断しています(4)

2.医薬品等の費用対効果評価についての私の見解表明

次に、医薬品等の費用対効果評価について、私が2012年から2018年に発表した3論文のポイントを紹介します。

(1)「医薬品の経済評価で留意すべき点は何か?」(2012年)

私は、2012年5月に中医協に費用対効果評価専門部会が発足した翌月に発表した論文「医薬品の経済評価で留意すべき点は何か?」で、次の3点をあげました(5)。①経済評価自体に多額の費用がかかる。②経済評価の「国際標準」は存在しない。③バイオ医薬品等の現在の極端な高価格を既定の事実として、経済評価を行わない。①と②は私の事実認識、③は私の価値判断です。さらに、③については、以下のように踏み込んで述べました。

「当該医薬品の費用対効果(純学術的にはQALY1年当たり費用。現実的には、余命1年延長当たり費用。さらに簡便には1年間の薬剤費用)を計算し、それを類似の既存薬と比較することにより、その医薬品の薬価引き下げ圧力とすることも十分に可能です。これは、現在すでに実施されている類似薬効比較方式の精緻化とも言えます。/この場合は、経済評価の対象をバイオ医薬品等、極端に高価格な医薬品に限定し、経済評価自体の『費用対効果』を引き上げることが重要と思います。ただし、このような措置は、患者数が多く、薬価が製薬企業の希望価格より低くても、製薬企業が十分な利益を見込める医薬品に限定すべきであり、患者数がごく限られているオーファンドラッグ(希少疾病用薬)は対象外にすべきと思います」。

この論文では紙数の制約のため書けませんでしたが、当時、私は「余命1年延長当たり費用」(の上限・閾値)としては、血液透析の年間費用約500万円が目安になると判断し、その後、機会があるごとにそのことを主張しました。この主張を次に述べる第2論文で初めて活字にしたところ、上述した6月13日の中医協合同部会で配布された資料「費用対効果評価における基準値の設定について」でも引用されました(13頁)。

(2)「医薬品等の費用対効果評価の価格調整方法の大筋合意を複眼的に評価する」(2017年)

次に、昨年10月の中医協費用対効果評価専門部会等での費用対効果評価の「試行的導入における価格調整の在り方」についての大筋合意を踏まえて、12月に論文「医薬品等の費用対効果評価の価格調整方法の大筋合意を複眼的に評価する」を発表しました(6)

この論文では、合意は大枠で合理的かつ現実的であると評価し、高額医薬品等の費用対効果評価に基づいて、価格を調整することに賛成しました。

と同時に、次の2点については異論を述べました。①「支払い意思(額)」概念は学問的に問題が多く、調査は実施すべきではない。②効果の指標としてはQALYの改善よりも、生存年(LY)の延長の方が適している。

上述したように、①については、本年6月に調査の中止が正式に決定されました。②については『国際医薬品情報』のインタビューでさらに掘り下げて、次のように述べました(4)

<私は、費用対効果評価を行う場合、効果指標として「QALYよりはLYを基本とするべき」と思っている。ただし、これはあくまで「基本」、要は「延命を目的とする医薬品等の費用対効果を計算する際」の話である。抗がん剤の効果はLYで評価すればよい。けれど延命効果はあまりなくても大きなQOLの向上をもたらす医薬品等の場合にはQALYを用いるのは当然とも思っている。その具体例は、医薬品では関節リウマチ治療薬である。また、画期的な認知症治療薬が開発され、認知症の進行が予防でき、家族の介護負担が大きく軽減される場合は、それもなんらかの形で効果に含めるべきだと思う。介護負担軽減の指標としては、「要介護度」の低下または悪化の予防が適切と思う。その理由は2つある。①要介護度は1日当たりの必要介護時間のタイムスタディに基づいて作成されており、しかもこの基準の統計学的な妥当性も確認されているので、新たに(多額の費用と時間をかけて)介護負担の軽減の調査をする必要がない。②要介護度に基づく支給限度額が公的に定められ、それに対応した給付は権利として認められているので、画期的な認知症治療薬による要介護度の低下または悪化の予防が証明されれば、それに対応する給付額の減少を、同薬のICERの基準額として用いやすい。これは、血液透析の費用を、延命効果のある新薬のICERの基準として用いるのと同じロジックだ。>

この論文では、最後に権丈善一氏の「研究と政策の間にある長い距離」についての警告(QALYの「計算[を]している人たち自身が、自分の計算が社会システムにどのような影響を与えるのか、自分の研究が、社会システムのなかでどのような位置づけにあるのかということも、考えてもら」いたい)を紹介しました。

なお、医療の経済評価ではQALYを用いることが当然の前提とされていますが、医療倫理学の側からは強い疑問も提起されています。私が調べた範囲では、サトウタツヤ「QOL測定における数値化表現の本質を問う」がもっとも根源的批判をしています(7)。私はサトウ氏の批判の多くは的を射ていると思いますが、残念ながら、氏は医療経済学の一領域にすぎない「医療の経済評価」を医療経済学全体と混同しています。

(3)「本年度診療報酬改定でのロボット支援手術の保険適用拡大の政策的・歴史的評価」(2018年)

第3に、本年度の診療報酬改定で、ダビンチを用いたロボット支援手術の保険適用が大幅に拡大されたにもかかわらず、ダビンチ使用の加算点数が付けられなかったことついて検討した論文「本年度診療報酬改定でのロボット支援手術の保険適用拡大の政策的・歴史的評価」を本年7月に発表しました(8)。外科系学会の一部では、ロボット支援手術の経費の多さ(本体価格2~3億円等)を理由にして、「採算割れの点数設定はロボット支援手術の普及を妨げる」等の批判が出されていたからです。この主張は、新薬の薬価引き下げに対する製薬企業の反論とそっくりです。私はこの論文で、次のように述べました。

「今回の加算見送りは、医薬品等の保険適用に当たっては、それが既存の医薬品等に比べて追加的効果や優位性があると証明された場合にのみより高い価格を付ける、しかもその価格は医薬品等の製造原価ではなく、ICER(増分費用効果比。1単位の追加的効果を獲得するのに必要な追加的費用)に基づいて決定するという『試行的導入』で確認されたのと同じロジックに基づいていると判断しています」。

私は、今回の加算見送りのロジックがブーメランのように、新薬の薬価算定にも適用され、今後は、研究開発費用の高さを根拠にした「画期的医薬品」の超高額薬価はありえなくなると判断しています。そして、その際に用いられるのが費用対効果評価なのです。

最後に、医薬品の研究開発費が膨大であるとの製薬企業の定番の主張を、Prasad等が、抗がん剤についてのアメリカの製薬企業のFDA提出資料を用いて否定した実証研究を昨年発表したので紹介します(9)。開発費用1件当たり費用は、企業側の主張する27億ドルに対して、FDA提出資料からは資本の機会費用を含んでも、9億ドル(1/3)と計算されました。

引用文献

[本稿は2018年月7日7日に開かれた第206回東海病院管理学研究会「医療技術評価の理解と展望」での「指定発言」に加筆したものです。]

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3.書評りぷらい:地域包括ケアと福祉改革
(『社会福祉学』Vol.59-2(No.126):110-111頁,2018年8月31日。結城康博氏の書評(107-109頁)に対するコメント)

結城康博さんに拙著『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房,2017)の丁寧で、率直な書評をしていただき、感謝しています。特に嬉しかったのは、本書を「福祉研究者にとって、必読の書」、第2章「福祉改革の展開」を「社会福祉士、精神保健福祉士の養成課程に携わる福祉研究者にとっては重要な章」と高く評価していただいたことです。私は2013年に、日本福祉大学での経験・実践に基づいて福祉「教育」についての著書(1)を出版しましたが、福祉「政策」の著書を出版したのはこれが初めてだったからです。

結城さんによる「本書の構成」と「本書の意義」については、まったく異議はありません。「本書における物足りなさ」での「昨今、社会問題化されている『介護』人材不足に関する政策論については触れられていない」とのご指摘もその通りです。そこで、本稿では、拙著出版後に発表された重要な政策文書について論じた拙論を6つ紹介すると共に、「『介護』人材不足に関する政策論」についても簡単に述べす。

『平成29年版白書』も2つの事実を認める

序章「今後の超高齢・少子社会を複眼的に考える」で、私は「医療・社会保障改革を冷静に見通すための前提」として、通説とは異なる以下の3点を述べました。① 今後人口高齢化が進んでも、社会の扶養負担は増加しない。②日本の労働生産性伸び率は低くないし、今後も、1人当たりGDPが毎年1%成長すれば超高齢・少子社会は維持できる。③日本の医療費(対GDP比)は最近OECD加盟国中第3位になったが、加盟国の高齢化率の違いを補正すると、日本は「高医療費国」とは言えない。

大変嬉しいことに、『平成29年版厚生労働白書』も、①と③を事実上認めました(2)

①について『白書』は「高齢者現役世代比と非就業者就業者比の推移と予測」図を示し、「高齢者1人を支える現役世代の人数は大きく減少しているが、労働参加が適切に進んだ場合、非就業者1人に対する就業者の人数は増加する可能性」があると認めました(20-21頁)。③についても、『白書』は「高齢化と社会支出の国際比較(2013年)」図を示し、「我が国の社会保障給付の規模は、OECD加盟国平均をやや上回る水準」に達した反面、「高齢化の進展度合いから見ると、我が国の社会保障給付の水準は相対的に低い」と認めました(16頁)。

②については、私が根拠として示した図は『平成27年版労働白書』(厚生労働省編。65頁)に示されたものでした。これにより、私の3つの主張は厚生労働省の「お墨付き」を得たとも言えます。

なお、序章では「おわりに」でチラリとしか述べられなかった「今後の医療・社会保障費の財源についての私の価値判断」は、その後発表した論文で詳しく論じました(3)

「我が事・丸ごと」は死語になった

結城さんも引用されたように、第2章「福祉改革の展開」で、私は「地域共生社会」の考えは、すでに1970年代から地域福祉研究者が先駆的に提唱しており、1990年の社会福祉事業法改正の「基本理念」でもあったことを示し、「地域共生社会はパラダイムシフトではない」と指摘しました(83頁)。

さらに私は、「地域共生社会」に付けられた「我が事・丸ごと」という枕言葉は、閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」にはなく、「塩崎[恭久厚生労働]大臣の命名またはお気に入りのようです」と書きました(75頁)。その後、2017年8月に同大臣から加藤信勝大臣に交代して以降、この枕言葉は厚生労働省内でまったく使われない「死語」となりました(4)。福祉の研究者・関係者や専門雑誌の多くがこの事実を見落とし、現在でも「我が事・丸ごと」という枕詞を付けて地域共生社会を論じているのは残念です。

なお、結城さんが評価してくれたように拙著では「地域包括ケア研究会2015年度[平成27年度]報告書」を複眼的に分析しましたが、同研究会は2017年に「2016年度[平成18年度]報告書」を発表したので、私はそれの複眼的分析を行いました(5)。拙著は「地域力強化検討会中間とりまとめ」も分析しましたが、その後、2017年9月に発表された「最終とりまとめ」の分析も行いました(6)

「介護」人材不足についての私の考え

次に、結城さんに触れていないと批判された「『介護』人材不足についての政策論」について述べます。実は、この点についての私の基本的考えは、「朝日新聞」2015年のインタビューで述べていました(7)。しかし、迂闊なことに、拙著にこれを収録するのを忘れいたので、以下に、それを「再掲」します。

<医療福祉政策を考えるときは、歴史に学ぶことが大事だ。介護職員は2025年度に全国で約30万人が不足するともいわれ、絶望的にもみえる。ただ、今の状況は1990年前後の看護師不足とよく似ている。当時、看護師は「3K」(きつい、きたない、きけん)などと言われ、病院内での地位や給料も低かった。

それが1992年以降の診療報酬改定で、看護の報酬が大幅に引き上げられた。より高い配置基準(患者数対比の看護師数が多い病院ほど報酬も多くなるしくみ)も導入され、看護師が増えて労働環境がよくなった。

あわせて、4年制大学の看護学部が増え、高学歴化が進んだ。卒業後も、専門性を高める「卒後教育」を看護協会などが推し進めた。それで給与が改善され、看護師の社会的な地位も高まる好循環になった。近年は離職率も下がり、今や花形職業だ。

介護職の場合も解決策は同じだ。介護報酬を引き上げ、介護職員の配置基準を高めるべきだ。事業者は報酬が高くなれば、正職員を増やせる。今は非正規職員も多いが、長く勤める正職員になら、技術を高めてキャリアアップさせる研修にお金を出しやすくなる。

その意味で、今年[2015年]の介護報酬の大幅引き下げは、時代の流れに反する。財源がないというが、そんなことはない。日本の中間層の税や保険料の負担は欧州より少ない。介護も医療も保険料の引き上げは避けられない。低所得者には配慮しつつ、所得税の累進制強化など、高所得者により負担してもらうことが必要だ。

ケアは可能な限り自宅で受けるのが理想だが、一人暮らしなどで難しいケースもある。それでも、厚生年金をもらっているようなある程度お金のある人は、民間の有料老人ホームや「サービス付き高齢者向け住宅」などに入れるだろう。

問題は、とくに都会で国民年金だけで暮らすような低所得の人たちだ。安く入れる特別養護老人ホームを増やすとしても、自治体の予算などで限界がある。集合住宅の空き室や、安価な宿泊所のようなところに住んでもらい、訪問で必要な介護サービスを提供するなど、行政が工夫していく必要があるのではないか。>

最後に蛇足を一言。結城さんは、書評の最後に、「著者は85歳まで研究と言論活動を続けるという」と書いていますが、正確には「少なくとも85歳までは」です(218頁)。このことはよく誤解されるので、一言書き添えておきます(笑)。

文献

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算151回)(2018年分その7:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカにおける]血液透析を受けているメディケア加入者のホスピス利用と終末期[死亡前1年間の]費用の軌道
O'Hare AM, et al: Hospice use and end-of-life spending trajectories in Medicare beneficiaries on hemodialysis. Health Affairs 37(6):980-987,2018[量的研究]

血液透析を受けている患者(以下、透析患者)ではホスピスへの紹介が少なくしかも遅くなることは、このサービスの利用を抑制するメディケアの支払い方針が影響しているのかもしれないが、これら患者の疾病の軌道(予後)が予測しにくいことの反映かもしれない。2000~2014年に死亡した透析患者の全国コホート(639,466人)の分析により、彼らの死亡前1年間の費用(3か月分ずつ集計)には、医療費密度の大きく異なる4つの軌道があることが分かった。透析患者のうち9%では、死亡前1年間に急激に費用が増加し、13%では費用は1年を通してずっと高額だったが、41%では費用は末期(死亡前3か月)を除いては比較的低額であり、37%では費用は末期を除いて中等度であった(4群の死亡前1年間の医療費の中央値は、それぞれ193,930ドル、279,321ドル、236,291ドル、260,132ドル)。このように4群の死亡前1年間の医療費には大きな違いがあったが、死亡時にホスピスを利用した患者の割合は4群で一様に低かった:最低は1年間を通じて費用が高額だった患者群の19%、最高は費用が中等度だった患者群の21%。ホスピス利用日数の中央値は4群ともほぼ同じ(5日または6日)であった。メディケア加入者全体と比べると、透析患者のホスピス利用率は半分以下、ホスピス利用日数は三分の一以下だった。以上の結果は、透析患者に対する終末期医療の提供はもっと柔軟であるべきことを示している。

二木コメント-アメリカの透析患者の死亡前1年間の医療費パターンとホスピス利用についての初めての全国調査です。本調査の死亡前1年間の医療費は透析費用を含む入院・外来医療費で、それが一番多い患者群でも260,132ドル(約300万円)であることは、アメリカの透析医療費(定額制)の低さを反映していると思います(ただし、本論文では透析医療費は示されていません)。

○終末期には何が起こるか?種々の業務データをリンクしてニュージーランドでの[高齢者の]死亡前1年間の医療利用を理解する
Hamblin R, et al: What happens at the end of life? Using linked administrative health data to understand healthcare usage in the last year of life in New Zealand. Health Policy 122(7):783-790[量的研究]

終末期にはしばしば医療サービスの利用が増加する。この利用には過度の医療化や過剰治療を含んでいる可能性がある。このことは医学的、倫理的、財政的面から問題である。2008年1月1日~2012年12月31日に死亡したニュージーランドの65~99歳の高齢者(115,163人)の死亡前1年間の9種類の公的医療サービス利用を調査し、同じ期間に医療サービスを利用したが死亡しなかった高齢者(646,303人)と比較した。比較は1歳刻みで行った。9種類の公的医療サービスとは、GP受診、臨床検査、医薬品、救急外来受診、専門医受診、入院回数、病院の在院日数、精神医療、高齢者施設入所である。このために医療利用データと死亡データをリンクした。その結果、死亡高齢者はどの年齢でも、非死亡高齢者に比べて、ほとんどの医療サービスの利用が多かった。年齢が上昇するにつれ、特に90歳以上では、ほとんどのサービスで両者の差は縮まったが、病院の在院日数と薬剤費についてはまだかなりの差があった。

二木コメント-ビッグデータを用いて、高齢者の死亡前1年間の9種類の医療サービス利用を1歳刻みで調査したのは貴重と思います。ただし、本論文では医療費は調査されていません。

○[イングランドの]医療費、年齢、死亡までの期間と傷病:高齢社会への含意
Howdon D, et al: Health care expenditures, age, proximity to death and morbidity: Implications for an ageing population. Journal of Health Economics 57:60-74,2018.[量的研究]

本論文は、イングランドの「病院業務統計(Hospital Episode Statistics. イングランドのNHS病院の入院、外来および救急の情報を収録)」とイギリスの業務データを用いて、入院患者医療費の増加とそれが高齢社会に与える含意を検討する。次の2種類の調査標本(約4万人)を用いる:①2005/06年度に入院し、2011/12年までに死亡した個人。②2011/12年度に死亡し、2005/06年度以降入院した個人。7年間の業務データから、以下のデータを含む、パネルデータを作成し、分析した:入院医療費の推計、個人の年齢情報、死亡までの期間、入院時の傷病、病院の特性、入院年・季節。その結果、医療費は主として、年齢よりも死亡までの期間により決定されること、及び死亡までの期間自体が傷病の代理変数であることを示す。

二木コメント-4万人の7年間のパネルデータを用いた膨大かつ緻密な分析です。「red herring仮説」(人口高齢化が医療費増加の主因との通説は「薫製にんじん(人の注意をそらすもの)」であり、人口高齢化よりも死亡までの期間の方が医療費に大きな影響を与えるとする主張)を再確認すると共に、この仮説は医療費の将来予測には使えない(個人の死亡までの期間は予測不能)という弱点を、死亡までの期間は、それの背景にある傷病の代理変数とすることで乗り越えようとしています。終末期医療費の研究者必読と思います。

○終末期医療費:経済学的説明の[スイスの成人を対象にした末期ガン治療に対する支払い意思額についての]離散選択実験による検証
Barbara F, et al: End-of-life healthcare expenditure: Testing economic explanations using a discrete choice experiment. Journal of Health Economics 60:30-38,2018.[理論研究・量的研究]

死亡前1年間に使われる医療費の医療費総額に対する割合は大きい。(新古典派経済学的には)健康投資は十分に長い期間の見返りがないとなされないことを考えると、この知見の解釈は難しい(puzzling)。しかし、Becker等(2007)とPhilipson等(2010)は死亡直前の期間の延長に対する支払い意思(WTP)の高さで説明する理論を開発した。彼らの検証可能な含意(5つの予測)は、EeckhoutとSchlesinger(2006)が導入した「リスク負担の痛み」概念(8つの予測を含む)により補足された。これらの予測・仮説を、2014年にスイスの成人1529人を対象にして行われた離散選択実験で検証した。この実験では、末期がんの治療のための画期的新薬が非常に高額で、自己負担が多額である仮想的状況では、社会保険料の引き上げが受け入れられた。経済学的予測の大半は実証的に支持される。

二木コメント-終末期医療費についての新古典派理論に基づく諸仮説の離散選択実験による検証です。3人の執筆者には、上述した「red herring仮説」の提唱者であるZweifel氏も含まれています。支払い意思額研究者(のみ)必読と思います。

○アメリカのメディケア加入者の2000~2015年の死亡場所、ケアの場所、医療移送[死亡直前のナーシングホームと病院間の移送]
Teno JM, et al: Site of death, place of care, and health care transitions among 'S Medicare beneficiries, 2000-2015. JAMA 320(3):264-271,2018 [量的研究]

終末期ケアは高額であり、しかも死亡者はしばしば質の低いケアを受ける。多くの要因が死亡場所、医療移送(病院とナーシングホーム間の移送)、厄介な(burdensome)ケアパターンの変化に影響を与える。本研究の目的は、メディケア死亡者の死亡場所とケアパターンの変化を記述することである。急性期病院、自宅または地域、ホスピスの入所ケア、またはナーシングホームでケアを受けた後死亡した高齢者を対象にして、後方視的コホート分析を行った。対象は次の2群に分けた:メディケアの出来高払いサービスを受けた死亡者の20%無作為標本1,361,870人(2000,2005,2009,2011,2015年)とメディケア・アドバンテッジ(マネジドケア型のメディケア認可民間医療保険)加入の死亡者871,845人全員(2001,2015年)。メディケア業務データを用いて、死亡場所、医療移行、厄介なケアパターン(死亡前3日間の医療移送と死亡前120日間の感染症または脱水による複数回の入院)を調査した。

主な結果は以下の通りである。死亡時平均年齢は出来高払いサービス受給者で82.8歳、メディケア・アドバンテッジ加入者で82.1歳であった。出来高払いサービス受給者では、急性期病院での死亡割合は2000年の32.6%から2015年の19.8%に減少し、自宅または地域(ケア付き住宅を含む)での死亡割合は2000年の30.7%から2015年の40.1%へと増加していた(元論文には信頼区間も記載されているが略)。死亡前30日間のICU利用率は2000年の24.3%から2015年の29.0%に上昇した。死亡前3日間の医療移送率は2000年の10.3%から2009年の14.2%へ上昇した後、2015年には10.8%へと低下した。死亡前90日間のメディケア・アドバンテッジ加入の死亡は2011年の358,600人から2015年の513,245人に激増した。彼らの死亡場所、ケアの場所、医療移行の変化は出来高払いサービス受給者と同様であった。

二木コメント-メディケアのビッグデータを用いた、高齢者の死亡状況の変化についての貴重な資料です。死亡場所の「自宅または地域」にケア付き住宅が含まれるのは、日本で、「自宅」にサービス付き高齢者向け住宅やグループホームが含まれるのと似ています。日本と同じく、狭義の自宅(マイホームや賃貸住宅)での死亡とケア付き住宅での死亡は、区別されていません。死亡者の1割以上が、死亡前3日間に病院とナーシングホーム間の「医療移送」を受けているとは驚きです。

○[アメリカでの]DNR[蘇生処置拒否]指示のある患者に対する救命治療実施の病院間のバラツキ
Walkey AJ, et al: Hospital variation in utilization of life-sustaining treatments among patients with Do Not Resuscitate orders. Health Services Research 53(3):1644-1661,2018[量的研究]

本論文の目的はDNR指示のある患者に対する延命処置実施の病院間のバラツキの要因を明らかにすることである。2011年のカリフォルニア州入院データベース等の公式データを用いて、侵襲的処置を受ける可能性のある以下のいずれかの疾患のある40歳以上の入院患者376,793人を対象にして、後方視的コホート分析を行った:院内心停止(心肺蘇生術の適応)、急性呼吸不全(人工呼吸器)、急性腎不全(人工透析)、敗血症ショック(中心静脈カテーテル)。階層的ロジスティック回帰分析により、病院の「早期」DNR率(early-DNR-rate。DNR指示が入院24時間以内を明示)と侵襲的処置との関連を決定した。

「高DNR率病院」(DNR指示を救命処置のみしないと理解)に入院したDNR指示のある患者は、「低DNR率病院」(low-DNR-rate hospitals:DNR指示を、心肺蘇生だけでなく、人工呼吸器も、人工透析も、侵襲的処置もしないと、より広く理解する)に入院したDNR指示のある患者に比べて、急性呼吸不全に対する人工呼吸器と急性腎不全に対する人工透析を受ける率が低く、緩和ケアを受ける率が高かった。DNR指示のない患者は、高DNR率病院でも低DRN率病院でも、侵襲的処置をうける率は同じだった。以上の結果から、DNR指示を有する患者についても、侵襲的処置や救命治療についての病院間のバラツキは大きいと結論できる。

二木コメント-early-DNR-rateやlow (high)-DNR-rate hospitalsのイメージが湧きませんが、日本に比べてDNR指示がはるかに普及しているアメリカでも、病院はそれに必ずしも従わないようです。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その166)-最近知った名言・警句

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