『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター』2005年11号(転載)
二木立
発行日2005年07月01日
(出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・
転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです))
1.拙小論:混合診療全面解禁論の凋落
(「二木教授の医療時評(その13)」『文化連情報』2005年7月号(328号):32-33頁)
昨年後半に猛威をふるった混合診療全面解禁論は、今年に入って突然凋落しました。規制改革・民間開放推進会議に追随して混合診療解禁を求めていた一部のエリート医師やがん患者(団体)、ジャーナリズムが、12月15日の厚生労働大臣と規制改革担当大臣との「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」(以下、政治決着)後は、全面解禁に反対するか、混合診療の解禁そのものを主張しなくなったからです。
最初に華麗に(?)転身したのは永井良三東京大学医学部附属病院長でした。同氏は昨年11月22日に、京都大学・大阪大学の病院長と連名で、規制改革・民間開放推進会議に「特定療養費制度の抜本改革もしくは混合診療の導入」を求める要望書を提出しました。しかし、『フェイズ・スリー』誌3月号のインタビューでは、「混合診療の全面解禁には反対」と明言し、「医療費は、本来、保険財源と公的負担だけで賄うべき」との正論を主張しました。
「がん治療の神様」の異名を持つ平岩正樹医師も、変身しました。同医師は、昨年は「患者が自己責任で治療法を選び、コストも自分で払っていく…。混合診療には『勝手にやってください』という丸投げ的なところがありますが、いまとなっては制度として認めざるを得ない」と主張していました(『現代』2004年11月号)。しかし、新著『抗癌剤』(祥伝社新書、本年3月発行)では、「混合診療は、やむをえない緊急避難」、患者の「要求は、早期承認までの臨時の混合診療」であり、「未承認[抗癌薬]を放置した恒久的な混合診療ではない」と軌道修正しました。
最近の動きでもっとも注目すべきなのは、5月28日に大阪市で開かれた「がん患者大集会」です。全国のがん患者団体20団体以上が初めて一堂に会し、2000人が参加したこの集会では、がん治療水準の向上と地域格差の是正、「患者の治療の選択に役立つ情報センターの設立」が訴えられましたが、昨年まで一部のがん患者(団体)が主張していた、混合診療の導入はまったく取りあげられませんでした。公平のために言えば、混合診療解禁を求めていたがん患者団体も、昨年末の政治決着の直前に、「完全解禁は望みません。医療に貧富の差がついたり、安全でない薬が使われるのは違うと思うからです」と、全面解禁に固執する規制改革・民間開放推進会議とは袂を分かっていました(『サンデー毎日』昨年12月19日号)。平岩医師も、前掲書で、規制改革・民間開放推進会議が「私の[がん]患者を踏み台にした」と批判しています。
さらに、昨年まではジャーナリズムで混合診療解禁の急先鋒だった本田麻由美読売新聞記者も、この患者大集会について触れたコラムで、混合診療解禁にはまったく言及していません(「読売新聞」5月30日朝刊「がんと私(30)」)。
拙論「混合診療問題の政治決着を複眼的に評価する」(本時評(7)。2月号掲載)で指摘したように、昨年末の政治決着は、混合診療の全面解禁は否定した反面、制限回数を超える医療行為の混合診療を条件付きで認める等、危険な点や今後の火種となる点を含んでおり、医師会・医療団体が監視を続ける必要があります。しかし、この政治決着を契機に潮目が一気に変り、いまなお全面解禁に固執している規制改革・民間開放推進会議から「人心が離れた」ことを見落とすべきではありません。
【校正時補注-日本外科学会でも混合診療解禁論は孤立】
日本外科学会会長(二村雄治名古屋大学大学院教授。当時)は、昨年11月に、東大・京大・阪大病院長の動きに呼応する形で、「混合診療に大きな条件付きで賛成」しました。しかし、5月12日に開かれた同学会学術集会のシンポジウム「包括医療を振り返る」では、シンポジストの渡辺勝敏読売新聞記者が「優れた手術実績を持つ医師については、特定療養費で手術代の上乗せを認めてもよいのではないか」と部分的混合診療論を主張したのに対して、司会の出月康夫氏(外保連代表・元東大第二外科教授)は「日本の医療の優れているのは、貧富の差なく、平等に医療技術が提供されることであり、渡辺氏の主張に賛成できない」と釘を刺しました。それに対して、渡辺氏は「もちろん私も国民皆保険を否定するものではない」と答えるにとどまり、会場からも渡辺氏の主張を支持する発言はありませんでした(この情報は私の友人の鈴木篤・健愛クリニック所長から頂きました)。
2.拙小論:新予防給付の科学的な効果は証明されているか?
(「二木教授の医療時評(その14)」『文化連情報』2005年7月号(328号):34-36頁)
本年の介護保険制度改革では、新予防給付(新たな介護予防サービス)の創設が目玉の1つになっており、厚生労働省は、それは「科学的な効果が証明されて」いると主張しています。しかし、同省の発表資料等を精査したところ、少なくとも長期的な健康改善効果と介護費用の抑制効果は、まだ証明されていないことが明らかになりました。
厚生労働省「新しい介護予防サービスの効果について」
まず、厚生労働省が昨年12月に公表した「新しい介護予防サービスの効果について」に示された文献を調べた結果、次の3点が分かりました。
1つは、介護予防による健康改善の短期効果(3~6カ月)はそれなりに確認されているものの、長期効果はほとんど調査されていない、つまり分からないことです。
2番目は、効果の検証は欧米で行われたもので、日本における検証は示されていないことです。この点については、介護予防の伝道師とも言える辻一郎氏も、次のように率直に指摘しています。「これら[転倒骨折予防プログラム]はすべて欧米で行われたものであり、日本における転倒骨折予防プログラムの効果は十分な検証を受けているとは言い難い。欧米と日本とでは、家屋環境も高齢者の障害構造も異なっているため、日本の状況に応じたプログラムの開発そしてRCT[無作為化比較試験]による検証が待たれる」(『日本老年医学会雑誌』41巻3号)。
なお、本学大学院生(山本美智予、笹川修)が最近、医学中央雑誌を用いて独自に検索したところ、介護予防の効果を実証的に検証した日本語の原著論文は14ありましたが、運動機能の向上を無作為化比較試験で検証したものは1つのみで、しかも有意の改善はみられませんでした。
3番目に分かったことは、介護予防による介護・医療費抑制効果(短期・長期)を実証した研究は、欧米にもないことです。
実は、厚生労働省は、筋力トレーニングが医療費抑制につながったとの2つの英語文献を紹介していますが、2つとも誤訳です。まず、"Exercise -It's not never too late"という文献(1)を、厚生労働省は「筋力トレーニングにより、高齢者の転倒予防や医療費の削減につながったとの報告」と紹介していますが、原著では医療費の検討は行われていません。次に、"The effect of strength and endurance training on gait,…"という文献(2)を、厚生労働省は「トレーニングは高齢者の転倒や医療費の抑制につながることを検証している」と紹介していますが、原著の結論・結果は、以下のように大分違います。「トレーニングは、高齢者の一部のグループでは、転倒予防や医療利用の減少に効果があるかもしれない。歩行、バランス、身体的健康に軽度の障害がある地域居住の高齢者に対する短期間のトレーニングは、障害の悪化を防止する効果をもっていないかもしれない」。厚生労働省の紹介は、原文のmayを、意図的あるいは英語力の低さのために、抜かした「メイ訳」と言えます。しかも、この論文では医療利用(外来受診率と高額医療費の入院割合)の減少が示されていますが、総医療費の減少についてはまったく触れていません。
このことは総医療費については有意差がなかったことを示唆しています(有意差があれば、必ず書きます)。
竹内孝仁氏のパワーリハビリによる介護費用節約説
次に、パワーリハビリを「全国で実施した場合」、介護費用を年1兆7203億円も節約できるとする竹内孝仁氏の推計(『エコノミスト』2003年12月9日号)を検証しました。
これの基礎となっているのは、川崎市で54人の高齢者に3カ月間のパワーリハビリを行ったところ、54人中42人(77.8%)が要介護度改善、21人が「非該当」になったとの驚異的効果です。竹内氏は、(1)その効果が永続する、(2)利用者は給付限度額を100%利用している、(3)川崎市の成果がそのまま全国にも通じることを前提に、試算しています。
しかし、このような3つの前提は現実離れしており、試算は典型的な机上の空論です。常識的に考えて、パワーリハビリだけで、介護保険総費用6.8兆円(2004年度)の25%も節減できることはありえません。厚生労働省の「介護給付費の見通し」の「介護予防対策が相当進んだケース」ですら、10年後(平成24~26年度)の介護給付費節減は1.8兆円です。しかもこれは、居住費用・食費の保険外しを含んだ数字で、「介護予防の効果は概ね半分程度」、つまり1兆円以下です。高名な経済学者の伊東光晴氏は「経済学者というのはコモンセンスがなければだめです。異常な、極端な性格の人間は芸術家としては成功するけれど、社会科学者としてはだめです」(『世界』2002年5月号)と仰っていますが、私も同感です。
厚生労働省「介護予防市町村モデル事業中間報告」
第3に、厚生労働省が4月に発表した「介護予防市町村モデル事業中間報告」の筋力向上訓練の結果を検証しました。この事業のトレーニング期間は約3カ月間、対象選択基準は市町村によりバラバラであり、もちろん対照群はありません。
モデル事業前後の計測値を比較すると、身体機能に関する項目(11項目)でも、生活機能・QOLに関する項目(9項目)でも、改善は概ね5~6割である反面、悪化が3割前後もあります。新しい医学的治療(新薬や手術等)で悪化が3割もあった場合には、ただちにその実態と原因を精査し、その結果が出るまではその治療の実施を控えるのが常識ですが、厚生労働省はそれを怠り、「統計学的に有意な改善がみられた」ことだけを強調しています。しかし、対象が多ければ(数百例以上あれば)、わずかな差でも有意差が出るのは統計学の常識です。厚生労働省の主張は、「統計的に有意ということは生物学的、医学的に…有意義だという内容を含まない」ことを見落とした、典型的な「有意症」(有意差症候群)(佐久間昭氏『薬効評価I』東大出版会)と言えます。
新予防給付の導入により介護費用が大幅に抑制できるとの厚生労働省の試算
先述したように、厚生労働省は、新予防給付の導入で要介護度の悪化が予防でき、介護費用が大幅に抑制できるとの「介護給付費の見通し-ごく粗い試算-」を公表しています。
介護保険法改正案の国会論戦で明らかにされた、厚生労働省の試算の根拠は以下の通りです。「現行のすべての要支援者及び要介護1の7~8割程度」が新予防給付の対象になる(西副大臣。4月6日衆議院厚生労働委員会)。「対象者の10%の方について要介護状態の悪化の防止ができる」(中村老健局長。4月1日衆議院厚生労働委員会)、「地域支援事業については、対象者の2割が要支援、要介護状態になることが防止できるという見込みで想定」(中村老健局長。4月15日衆議院厚生労働委員会)。しかも、暗黙の了解として、その効果が永続すると仮定されています。
しかし、すでに述べてきましたように、新予防給付による長期的健康増進効果や介護費抑制効果は証明されていません。
しかも仮に効果があるとしても、政府は新予防給付は「利用者の選択が基本」で強制しないと公式答弁したため、新予防給付を選択する高齢者が厚生労働省の当初予定を大幅に下回ることは確実です。その結果、「介護予防対策が相当進んだケース」の費用節減効果は見込めないことになります。
実は私は元リハビリテーション医で、かつては脳卒中患者の早期リハビリテーションにおける予後予測を主な研究テーマにしていました。その経験に基づくと、障害(要介護度)の評価に比べて、障害の回復の個別的予測ははるかに難しく、相当の専門知識を必要とします。この点を見落として、介護認定審査会の書類審査のみで、「要支援1とか要支援2の判定は、コンピュータのプログラムに基づく第一次判定で、…判定結果を出そう」とする(中村老健局長。4月1日衆議院厚生労働委員会)のは無謀です。
もう1つ、大変逆説的ですが、仮に新予防給付に長期的な健康増進効果がある場合、長期的には、(累積)介護費用は増加する可能性が大きいのです。この点については、アメリカの禁煙プログラムの医療費節減効果のシミュレーション研究のロジックと計算結果が大変参考になります。それによると、禁煙プログラムの実施により、医療費は短期的には減少するが、喫煙を止めた人々の余命の延長とそれによる医療費増加のために、長期的には(15年後以降は)累積医療費は増加に転じるという結果が得られています(3)。
このロジックは、私がかつて従事していた脳卒中の早期リハビリテーションにもそのまま当てはまります。早期リハビリテーションにより「寝たきり老人」は減らせるので、医療・福祉費は短期的には確実に減少し、余命の延長も期待できます。しかし、寝たきりを脱した患者にはさまざまな基礎疾患があり、しかもたとえ早期リハビリテーションを行っても、なんらかの障害が残ることが普通なので、延長した余命の期間に、脳卒中が再発したり「寝たきり」化する確率が高いため、累積医療費が増加するのです。介護予防にもこのロジックは当てはまると思います。
以上の検証・検討を踏まえると、長期的な健康増進効果のエビデンスも、介護費用抑制のエビデンスもない介護予防の推進を前提にして、今後の「介護給付費の[抑制]見通し」を立てるのは、危険かつ無責任です。そのために、私は、小山秀夫氏と堤修三氏の次の警告に賛同します。
小山秀夫氏「介護予防についても、要介護者の発生率が減少するという目標より、発生率が増加しないことを目標にした方がよいと思う。つまり、目標を高くするだけでは問題を大きくするだけで、無用な混乱を助長するように思える」(『介護保険情報』6月号)。堤修三氏「昨年の年金制度改革といい、今年の介護保険制度改革といい、改革の必要性を訴える政府の言い分は、今のままでは将来制度を維持できなくなるというものだった。だが、その将来なるもののイメージはなんと貧相なものだろう。多くは、従来のトレンドを伸ばしたものにすぎず、施策の効果だけは明確な根拠もなく楽観的に見込んである」(同)。
[本稿は、6月16日に開催された第47回日本日本老年医学会学術集会パネルディスカッションI「高齢者の医療・介護保険制度を考える」での私の報告「医療経済・政策学の視点から」の一部に加筆したものです。]
文献
- Jette AM, et al:Exercise -It's not never too late: The strong-for-life program. Am J Public Health 89(1):66-72,1999.
- Buchner DM,et al: The effect of strength and endurance training on gait, balance, fall risk, and health services use in community-living older adults. J Gerontol A Bio Sci Med Sci 52(4):218-224,1997.
- Barendregt JJ,et al: The health care costs of somoking. N Eng J Med 337:1052-1057,1997.
補足-『週刊ポスト』の「筋トレ批判」は一読に値します
『週刊ポスト』誌は、5月13日号から、「介護保険マフィアを撃つ!」を長期連載しています(執筆は武冨薫氏と同誌取材班。毎号4頁で7月1日号が第8回)。特に、第2~4回の「老人筋トレ」批判は、筋トレマシンの「シェア逆転」(パワリハ御用達の酒井医療から「東京ネバーランド」への)等、一般にはほとんど報道されていない裏事情・スキャンダルがすべて実名入りで、詳しく書かれており、関係者の「必読文献」と言えます。介護予防事業に詳しいある研究者によると、この部分はきわめて正確とのことです。
それらのテーマと掲載頁数は以下の通りです。
(2)専門家は「何の効果もなく、世界の恥」と警告「老人筋トレ新法」で厚労省が狙う「介護の城」建設。2005.5.20:42-45.
(3)「老人筋トレ法」で笑いが止まらぬ厚労省“親密"会社。2005.5.27:196-199.
(4)老人筋トレ「指導員」から「上納金」を徴収せよ。2005.6.3:196-199.
3.2005年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その3)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳+α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
※今号から、論文の原題も掲載します。
○「高齢者に対する漸増抵抗筋力増強訓練の体系的文献レビュー」(Latham NK, et al.: Systematic review of progressive resistance strength training in older adults. J Gerontol Med Sci 59A:48-16,2004)[文献レビュー(メタアナリシス)]
この体系的文献レビューの目的は高齢者の身体障害を軽減するための漸増抵抗筋力増強訓練(progressive resistance strength training.以下PRT)の効果を定量化することである。各種デーベースの検索や、研究論文の文献欄、および研究者との接触により無作為化比較試験を収集した。2人のレビュアーが、それぞれ独自に、各試験が選択基準に合致しているか否かのスクリーニング、研究の質の評価、およびデータの抽出を行った。参加者の平均年齢が60歳以上で、PRTにより直接的に介入している無作為化比較試験のみを選択した。データは、母数モデルまたは変量モデルを用いてプールし、重み付けの平均差を算出した。アウトカムの測定尺度が異なっている場合には、標準化平均差を計算した。
その結果、62の試験(対象総数は3674人)が、PRTの効果を対照群と比較していた。14試験で、障害アウトカムのデータのプールが可能であった。大半の試験の質は低かった。PRTは筋力強化に大きな効果があったが、効果の幅には大きなバラツキがあった。PRTは、歩行速度の低下などの機能障害(functional limitations)尺度についても軽度の(modest)効果があった。しかし、ADLや健康関連QOL[要旨中の原語はphysical disability。本文の説明から意訳]の改善効果の証拠は全くなかった。PRTによる有害事象(adverse events)の調査は不十分であったが、それが明確に定義されきちんと調査されていたほとんどの試験で生じていた。
結論は以下の通りである。PRTは高齢者の筋力増強や歩行速度の低下などの一部の機能障害の改善には効果的であった。しかし、現在得られるデータに基づけば、PRTのADLや健康関連QOL改善効果は不明である。さらに、試験における有害事象の記録が不備であるために、PRTに伴うリスクを評価することは困難である。
この結果を踏まえて、著者は、PRTを他の形態の訓練(バランス訓練など)と組み合
わせること、および自己効力感、動機付け、訓練参加へのバリアなど、障害に影響する他の要因も考慮すべきだと主張している。
二木コメント-本論文は2004年発表ですが、介護保険制度改革の柱の1つである介護予防サービスの中心とも言える「筋トレ(特にパワーリハビリ)」の効果を包括的かつ冷静に検討しているスゴイ論文のため、少し詳しく紹介しました。尾辻秀久厚生労働大臣は、筋トレを含めた介護予防の「効果は国内外の論文で既に証明されて」いると主張していますが(「朝日新聞」2005年5月30日朝刊)。しかし、介護予防の本来の目的が高齢者のADLやQOLの向上にあることを考慮すると、筋トレは筋力増強や歩行速度の改善等には効果があるが、ADLや健康関連QOLの改善効果の証拠はないという本研究は大臣の主張を根底から覆すものとも言えます。なお、本論文は、辻一郎氏にご教示いただきました。
○「[医療サービスの]採算性と医療の提供:民間非営利病院、営利病院、公立病院の比較」(Horwitz JR: Making profits and providing care: Comparing nonprofit, for-profit, and government hospitals. Health Affairs 24(3):790-801)[量的研究]
アメリカでは3種類の組織(民間非営利、営利、政府)が病院を所有しているが、所有形態により医療サービス提供が異なるのか、個々の医療サービスの 採算性がどのようにサービス提供に影響を与えているのかは知られていない。本研究ではアメリカ病院協会の有する全都市部急性期病院の1988-2000年のデータを用いて、計量経済学的分析を行った。33の医療サービスを、黒字(開心術等17)、赤字(精神科救急等14)、不定(2)に3分した上で、プロビットモデルを用いて、病院の所有形態別の各医療サービスの提供確率を計算した。病院特性と市場特性は標準化した。
その結果、1988-2000年とも、黒字の医療サービスの提供確率は営利病院でもっとも高く、公立病院は逆に赤字の医療サービスの提供確率が高く、民間非営利病院はその中間であることが明らかになった。しかも、営利病院は、公立病院や民間非営利病院に比べて、各サービスの採算性に敏感に反応して提供確率を変えていた。例えば、在宅医療サービスの利益率が高かった1990年代前半には、営利病院はそれの提供確率を3倍化したが(17.5%から60.9%ヘ)、1997年に財政調整法(BBA)が制定されてそれが赤字化した直後に、それの提供確率を激減させた。
○「韓国での患者一部負担の外来受診への影響」(Kim J, et al: The effects of patient cost sharing on ambulatory utilization in South Korea. Health Policy 72(3):293-300)[量的研究]
本研究は、患者負担の医師サービス需要への影響について、特に低所得者に焦点をあてて検討する。韓国の医療保険では、医療費抑制のために多額の患者一部負担が導入されているが、それが低所得者の適切な医療受診を抑制しているとの批判も起きている。
この点を検討するために、韓国保健福祉省が1998年に実施した国民健康栄養調査のデータを用いて、外来受診量を目的変数とする重回帰分析を行い、価格弾力性を推計した。
その結果、統計学的に有意な患者一部負担価格弾性値が得られた(患者の所得レベルについては-0.21~-0.07、医療施設の種類については-0.20~-0.10)。低所得患者は高所得患者に比べて患者一部負担に敏感であった(sensitive)。さらに、総合病院(患者一部負担率は診療所に比べて高い)の利用者は、診療所の利用者に比べて、患者一部負担に敏感ではなかった。
以上の結果は、韓国における患者一部負担政策が医療の効率化をもたらしていないことを示している。患者一部負担は不平等な医療受診をもたらしているだけでなく、患者一部負担率が高い医療部門(総合病院)では、(主に高所得者が受診するために)患者一部負担の影響は少ないという意味で、モラルハザードも生んでいる。
○「[日本の]被用者医療保険における患者一部負担率の2割から3割への引き上げが、高血圧または糖尿病患者のコンプライアンス[服薬忠実度]に与える影響」(Babazono A(馬場園明), et al: Effects of the increase in co-payments from 20 to 30 percent on the compliance rate of patients with hypertension or diabetes mellitus in the Employment Health Insurance System. International Journal of Technology Assessment in Health Care 21(2):228-233)[量的研究]
日本政府は2003年4月に、医療費抑制のために、被用者医療保険被保険者の患者一部負担率を2割から3割に引き上げた。本研究の目的は、この引き上げが福岡県の1健康保険組合加入の高血圧または糖尿病患者が必要な医療の受診を抑制されたなかったか否かを検討することである。
対象は2001年10~2002年3月に定期的に医療機関を受診していた高血圧患者211人と糖尿病患者66人であり、2002年4~9月(患者一部負担引き上げ前)と2003年4~9月(同引き上げ後)の医療受診と医療費を比較した。月1回以上の受診をコンプライアンス(服薬忠実度)良好と定義した。
その結果、高血圧患者では、合併症のある患者もない患者もコンプライアンスは変わらなかった。糖尿病患者のうち合併症のある患者(糖尿病性腎症、網膜症、神経症、虚血性心疾患、脳血管疾患のある患者)でもコンプライアンスは変わらなかったが、合併症のない糖尿病患者では、コンプライアンスは83.7%から66.7%へと有意に低下していた。1月当たり外来医療費は4群とも、変わらなかった。以上の結果は、患者一部負担の増加は合併症のない糖尿病患者に必要な予防的医療の利用を抑制することを示している。
二木コメント-馬場園明氏(九州大学健康科学センター)は、わが国の医療保険制度における患者一部負担の影響を、主として健康保険組合の個票データを用いて系統的に研究して、その成果を英文雑誌に発表されており、これがその最新版です。同氏の研究のエッセンスは、「受診保障の経済学」(『科学』2005年5月号:592-597)に紹介されています。
○「慢性疾患患者の統合的ケアプログラムの体系的文献レビューの文献レビュー」
( Ouwens M, et al: Integrated care programmes for chronically ill patients: a review of systematic reviews. International Journal of Quality in Health Care 17(2):141-146)[文献レビュー]
MedlineとCochrane Reviewを用いて、慢性疾患患者の統合的ケアプログラムの体系的文献レビュー13本を同定し、同プログラムの効果、定義、構成要素を検討した。
その結果、介入方法、患者特性、ケアのプロセスとアウトカム(の評価方法)には相当の違いがあったが、統合的ケアプログラムはケアの質の向上には効果的であるようであある。
慢性疾患患者のマネジメントの定義は未確立であった。すべての文献レビューにおいて、統合的ケアプログラムの目標は類似していたが(ケアの断片化をなくし、ケアの継続性とコーディネーションを増すこと)、プログラムの焦点と内容は大きく違っていた。プログラムの構成要素で最も多かったのは自己管理支援と患者教育であり、これらは構造化されたフォローアップとケース・マネジメント等と組み合わされていた。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その7)ー研究者として自戒の言葉等
(0)最近知った名言・警句
- 浅井基文(外交官、明治学院大学教授を経て、広島市立広島平和研究所長に就任)「私たちが悲観した時こそ本当の敗北なのです」(「朝日新聞」2005年6月22日朝刊「ひと」)。
- モーガン・フリーマン(米国の俳優。「ミリオンダラー・ベイビー」で本年度の米アカデミー助演男優賞)「(聞き手が「最も偉大な俳優の1人」と言ったときの反応。「今さら照れくさいのですか?それとも人の評価はあまり気にしない、ということ?」と聞かれ)そんなことはない。褒められればいい気持ちにはなるさ。鵜呑みにはしないけどね(笑)」(『エコノミスト』2005年6月14日号「ワインドインタビュー問答有用」44頁)。
- Z「自分が世の中を変えている錯覚に陥る編集者がいる。精力的に取材し、情報を持つほどにそういう勘違いをしてしまうのかもしれない。不遜であってはならない」(『介護保険情報』2005年6月号「Anchor[編集後記に相当]」86頁)。
- 渡邊美樹(ワタミ社長。居酒屋で培ったノウハウで、介護事業に参入)「(いっそ政治家になって変えようとは?)僕が常に意識しているのは、自分の『存在対効果』なんです。人間として生まれたからには、多くのいい影響を社会に与えたい。政治家になっても、いま僕が持っている影響力は絶対、持てないですよ。でも、明日、総理大臣にさせてもらえるんだったら、考えるかも知れません(笑)」(「朝日新聞」2005年5月28日朝刊)。
- 村上宣寛「パワーポイントなどは使わない。証拠隠滅型電気紙芝居は嫌いだ。大量のプリントを配布する」(『「心理テスト」はウソでした』日経BP社,2005年4月,158頁)。二木コメント-私も同じ流儀です。サムエルソンのガルブレイス批判をもじれば、「学会に籍をおくものの多くは、パワーポイントがきれいすぎること[原文は文章がうますぎること]は一種の犯罪-重罪でないまでも-であると考えられる。つまり、美しいパワーポイント[同、名文]でもって自分の考えの重要性をその真正の価値以上にふくらませてしまうというわけである」(中村達也『ガルブレイスを読む』岩波書店,1988,320頁より重引)。
もっとも、医学分野と異なり、社会科学分野では、活字を詰め込んだだけのお粗末なパワーポイントがほとんどです。ちなみに、1枚のパワーポイント(スライド)に盛り込む字数は、「日本字では横15字、縦8行程度が限度」です(諏訪邦夫『発表の技法』講談社ブルーバックス,1995,61頁)。 - 本田靖春「私には世俗的な成功より、内なる言論の自由を守りきることの方が重要であった。でも、私は気の弱い人間である。いささかでも強くなるために、このとき自分に課した禁止事項がある。それは、欲を持つな、ということであった。欲の第一に挙げられるのが、金銭欲であろう。それに次ぐのが出世欲ということになろうか。それと背中合わせに名誉欲というものがある。これらの欲を持つとき、人間はおかしくなる。いっそそういうものを断ってしまえば、怖いものなしになるのではないか」(『我、拗ね者として生涯を閉ず』講談社,2005年2月,572頁)。
(1)自己を限定すること
- フュックス「[医療経済学研究者への助言]同時期に研究者と政治スタッフの兼業を試みるな-政治スタッフ(player)とは、党派的、政治的過程に積極的に参加している人を指す。研究者は、何事も恐れることなく、好き嫌いも抜きにして、物事の理解を深めようと努めている人である。両方の役割とも社会的に重要であるし、同一人物が時期を違えて両方の役割を果たすこともできる。しかし、同時期に有能な政治スタッフと一流の研究者を兼務することは不可能である。政治スタッフ、研究者として成功するための共通の要素も少しはあるが、二つの役割を果たすために必要な能力と美徳は異なっている」(拙訳「医療経済学の将来」『医療経済研究』8号,2000,101頁)。二木コメント-私は、今から約10年前(1995~1996年)、介護保険論争に批判的立場から積極的に参加していたときに、「同時期に研究者と政治スタッフの兼業」に近いことを行って、大失敗をしかかったことがあります。当時、私は、厚生省や老人保健福祉審議会の公式文書が発表されるたびに、間髪を入れずに批判論文を執筆・発表していたのですが、ある時、原稿を入稿した直後に、厚生省の発表データを読み違えて自分の立論を組み立てていることに気づき、校正時にあわてて訂正して、ことなきを得たのです。しかもこれは単なるケアレスミスではなく、厚生省を批判しようとするあまり、無意識のうちに、自分に都合のよいように数字を「誤読」していたためでした。これ以来私は、政策批判論文を書くときには、今まで以上に、「熱く」ならないように自戒し、しかも自己の事実認識と価値判断の区別を徹底するようになりました。
- ウィトゲンシュタイン「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(野矢茂樹訳『論理哲学論考』岩波文庫,149頁)。二木コメント-この言葉を知ったのは比較的最近ですが、私の研究の出発点は統計を用いた実証研究であったためもあり、若い頃から無意識のうちにこれを実行していました。31歳時に出版した最初の著書(川上武・二木立編著『日本医療の経済学』大月書店,1978)の書評でも、「統計資料などに密着したことは、批判を浮き上がらないものにするのに役立っているが、ときには、資料が揃っている範囲までで、議論が止まっている場合も、なくはない」と書かれたことがあります(「朝日新聞」1978年11月5日朝刊)。
- ヘーゲル「何か偉大なことをしようとする者は、ゲーテが言っているように、自己を限定することを知らなければならない。これに反して、何でもしたがる者は、実は何も欲しないのであり、また何もなしとげない」(松村一人訳『小論理学』岩波文庫、上242頁)。 二木コメントー私は、研修医1年目の1973年1~2月に『小論理学』を読んだとき以来、これを座右銘の1つにしており、『複眼でみる90年代の医療』(勁草書房,1991)のあとがき(230頁)でも引用したことがあります。ただし、この時はうろ覚えで、不正確に引用してしまいました。
(2)自信過剰の戒め
- 横山秀夫「『よく知っている分野にこそ落とし穴がある』というのは物を書くうえでの常識である」(「直木賞選考への疑問」「毎日新聞」2003年5月1日夕刊)。
- ラルフ・ホイットワース(多くの不祥事企業の会長に就任し立て直した実績を持つ)「強さから来る自信がごう慢に代わる瞬間を見逃してはならない」(篠原洋一「地球回覧」「日本経済新聞」2002年11月2日朝刊より重引)。
- 玉木明「自戒をこめていうのだが、自分が正しいと確信をもって何かを主張しているときほど、自分の限界、弱点をさらしていると知るべし」(「異議あり!」『エコノミスト』1997年8月26日号100頁)。
- 磯部祐三「人間はプライドを持っているし、それは絶対に必要だけれども、今までとは違う分野に行ったときには「プライドを捨てるというプライド」が必要ではないか」(『会社人間のボランティア奮戦記』文藝春秋,1992.佐高信「筆刀直評」『エコノミスト』1992年10月6日号,109頁より重引)。
二木コメント-これらは(公開)論争をしているときに、特に自戒すべきと思います。
(3)理論過信・屁理屈の戒め
- 佐和隆光「事実は理論を倒せない-いかなる『理論』であれ、データによって完全にくつがえされてしまうことはありえない、つまり『事実は理論を倒せない』のだとすれば、『理論』の命運を決めるのは何なのか。…端的にその答えをいうと、それは社会通念もしくは『理念』の変遷のいたすところである」(『経済学における保守とリベラル』岩波書店,1988,199頁)。「社会科学の場合、たえず複数個の理論が共存している。どの眼鏡をかけるのか、すなわちどのアプリオリな理論を通してみるのかによって、事実そのものの姿形が違ってみえる」(『資本主義の再定義』岩波書店,1995,10-11頁)。「近代経済学の理論がタテマエとしての反証可能性をそなえていることは確かである。しかし、近代経済学の理論が、正真正銘の『反証可能性』をそなえているのかというと、必ずしもそうではない。…経済データの『反証』能力はきわめて乏しいのである。いいかえれば、データにより許容される(反証されない)理論はあまりにも多い」(『これからの経済学』岩波新書,1991,4頁)。
- 晩年の下村治評「理路整然と間違える」(「下村治氏死去、実証分析で高成長を説く」「日本経済新聞」1989年6月30日朝刊)。二木コメント-これは元々は、株式相場の格言のようです。YahooJapanで検索すると、「相場とは理路整然と間違うもの」等の格言が4件ヒットしました。これは、「ニューズレター」7号(6頁)で紹介した、川上武先生の以下の述懐と同義と思います。「理論にもとづいた予測は意外と外れて、実感、現実を見てそのフィーリングに基づいて書いたものがむしろ当たっていた」。
- ケインズ「未知の行路を踏みわけていく本書のような書物の著者は、もし過度の誤りを避けようとするなら、批判と話合いをとくに頼りにするものである。人間はあまりに長くひとりでものを考えていると、一時的にはどんなに馬鹿げたことでも信じてしまうものである。人間の考えを形式的または実験的にはっきりと検証することがしばしば不可能である経済学(他の道徳科学と並んで)においては、とくにそうである」(塩野谷祐一訳『雇用・利子および貨幣の一般理論』序、東洋経済、p.xxiii)。二木コメント-私は、学部のゼミ生や大学院生が卒業論文、修士・博士論文の草稿を私に提出する前に必ず、ゼミ生や院生どおしで草稿を読み批判しあう「ピアレビュー」をさせ、しかもその経過と結果を、草稿の最初に、本文とは区別して、書くように命じています。これの直接の目的は私の添削を効率的に行うためでしたが、ケインズのこの言葉を知ってからは、ピアレビューは、ゼミ生や院生が「ひとりでものを考えて…馬鹿げたことでも信じてしまう」のを予防する上でも非常に有効であることに気づきました。
- フランクリン「理性のある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら何にだって理由を見つけることも、理屈をつけることもできるのだから」(松本慎一・西川正身訳『フランクリン自伝』岩波文庫,58頁)。二木コメント-この言葉の官僚版に、八幡和郎(国土省参事官)「幸か不幸か官僚はどんなことにも理屈をつけるという『技術』を持っている」があります(『官僚の論理』講談社,1995,91頁)。
(4)とにかく「書くこと」
- 猪口孝(『現代日本政治の基層』著者)「デカルトのもじりですが、『我書く、ゆえに我あり』。それが学者です。時空を超えて真理を探究し、読者が元気になるようなものを書かなければならない。ただ、それが、とても難しいことなんです(笑い)」(「毎日新聞」2002年5月6日朝刊)。
- 日垣隆「取材は『書く』ことなしには完結しない。書くという行為は、自己を相対化し、他者の目で見るということである。究極的には、おのれを知る終わりなき仮説の旅だと思う」(『エコノミスト』2001年11月16日号「敢闘言」)。
- 丸山健二「文章は文学のための道具、すなわち技術だ。磨かないとだめになるから、毎日、欠かさず書く。ただし、筆が荒れるので、エッセーは書かない。対談にもテレビにもでない。連載小説も書かない」(『AERA』2005年8月25日号,75頁「表紙の人」)。二木コメント-私は、研究者にとって、「筆が荒れる…エッセー」に相当するのが解説(概説)論文や教科書(の分担執筆)だと思っています。最低限実証研究については、まずキチンと原著論文を書き、その上でそれのサワリを解説論文等で紹介・普及すべきです。せっかく良いデータを持っていても、原著論文を書かないまま、解説論文等でそれのサワリを紹介するだけでお茶を濁していると、「筆が荒れる」(論理展開が甘くなる)と思います。
- 工藤晃(日本共産党経済政策委員長)「書くこともたたかいだ-最近の経済情勢、総選挙を目のまえにした時期と、私にとってきびしい情勢ですが、『書くこともたたかいだ』と思いなおしながら、この本をまとめました」(『日本経済の進路』新日本出版社,1976,はしがき)。二木コメント-私は1990年にある医療運動団体で講演をしたときに、この言葉を借用しました。「私は、国民生活の他の分野と同じく、医療の分野でも、運動・戦い…が改革の推進力であると思っています」と明言した上で、「医療改革のための、3つの広義の『運動』」として、(1)「伝統的な、国民・患者・医療従事者の狭義の『医療運動』[医療・社会保障改善運動]、(2)「医療従事者自身による『改革モデル』や民主的効率化の探究・提示」、(3)「研究者による医療の『効果』・『効率』等の実証的研究」をあげ、(3)も戦いだとして、この言葉を引用しました(拙著『90年代の医療』勁草書房,1990,30-39頁)。
(5)言葉・表現についての自戒
- 熊田亨(中日新聞欧州駐在客員)「『言葉の力』とは言葉を舞い踊らせることではなくて、事実へ肉薄する勇気であり、分析であり、未来への構想を組み立てる論理です」(日本記者クラブ賞受賞記念パーティーでのあいさつ。「中日新聞」2000年5月29日朝刊「中日春秋」)。
- 「ペンは剣より強しと言うけど、あまり振り回すと、自分に返ってきますよ」(映画「女ざかり」1994年。女性社主の主人公への忠告)。
- 近藤勝重(『サンデー毎日』編集長)「正直に語るということ-要は、そのままの感情表現ではなく、洗練された言葉でいかに正直に語るか、ということでしょう」(『サンデー毎日』1994年6月12日号156頁)。
- 川上武「唯物論的に書け」。二木コメント-私は研修医1年目(1972年)に、川上先生の指導を受けながら、論文「医療基本法」(川上武・中川米造編『医療保障』日本評論社,1973所収)を書いていたときに、先生からこの姿勢を徹底的にたたき込まれました。それにより、学生運動の経験を通して染みついてついていた「観念的に書く」(言葉を上滑りさせる)癖が矯正されました。
(6)先行研究の検討を怠らない
- 津山直一(東大医学部教授)「無知な者ほどたくさんの発見をする」。二木コメント-これは、若手研究者が、先行研究の検討をキチンと行わずに、わずかな経験に基づいて新しいことを発見したと錯覚しがちなのを戒めた言葉です。今から30年以上前(1974年)に私が東大病院リハビリテーション部研修医だった頃に、当時リハビリテーション部長・整形外科学教授だった先生が、いつも皮肉混じりにおっしゃっていました。私も、大学院生の論文指導時に、この名言を借用しています。なお、先生は本年2月5日、心筋梗塞で急逝され、江藤文夫氏(日本リハビリテーション医学会理事長)が心のこもった追悼文を書かれています(『リハビリテーション医学』42巻4号,2005,238頁)。
(7)講演をしすぎて金銭感覚を失わない
- 日垣隆「原稿用紙を埋めてなんぼの仕事より、タレント業なり講演業なり大学教授の収入が上回ってしまうと、きっと何かが弛緩してしまうのだろう。…講演1時間で50万円以上を一度でも入れてしまうと、1枚1万円以下で原稿を書くとき何かが弛緩するだろうとは想像がつく」(「敢闘言」『エコノミスト』1996年1月9日号)。二木コメント-私も1992~1993年のアメリカ留学後に講演料の「相場」があがった時に、精神が「弛緩する」危険に気づき、自分の内部で緊張感を維持するために、これ以降現在に至るまで、講演料は全額、福祉団体や運動団体等に寄付することにしました。
(8)その他
- 中井貴一(俳優。『日記』著者)「食うには困らないだろうし、それなりには生きていける。でも『それなり』になるために『俳優』になったのか。挑戦しなければ俳優としても、人間としても飛躍がないと思った」(「日本経済新聞」2004年2月29日朝刊「あとがきのあと」)。二木コメント-私は、「俳優」は「研究者」にそのまま置き換えかれると思います。しかし、大学教員になったとたん「それなり」の生活に安住し、研究業績が激減する方が少なくないのが現実です。
- 三谷幸喜(脚本家)「大学時代からの友人たちはみんな『今の自分』と『なりたかった自分』の間のギャップを抱えている。僕は、やりたいことを好きにやらせてもらってここまで来た。もっとがんばらないとバチが当たるという気がする」(『アエラ』2003年3月17日号,96頁)。