『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻31号)』(転載)
二木立
発行日2007年02月20日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.拙新著『介護保険制度の総合的研究』のはしがきとあとがき
- 2.私と濃沼氏との論争についての『社会保険旬報』の対応の続報
- 3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
- 4.私の好きな名言・警句の紹介(その27)-最近知った名言・警句等
お断り:本号は、予定を早めて2月20日に配信します。次号は4月1日配信予定です。
1.拙新著『介護保険制度の総合的研究』のはしがきとあとがき
拙新著『介護保険制度の総合的研究』を2月20日に勁草書房から出版しました。それの「はしがき」と「あとがき」は、以下の通りです。あとがきの最後に書きましたように、本書は1月20日に54歳の若さで急逝された、介護保険論争時の「戦友」、滝上宗次郎さんに捧げました。
はしがき
本書は,私が1996年から2006年までの12年間行ってきた介護保険制度の政策研究と実態調査研究を集大成したものであり,全7章で構成する.今回新たに書き下ろした序章を除く各章は「歴史の証言」として,発表当時の論文をそのまま掲載する.その結果,本書は厚生労働省による介護保険の公式の解説や通史には欠落している重要な事実や視点を多数含んだ「もう1つの介護保険史」になったと自負している.
序章では,第1章以下の各章の解題を行うとともに,本書の介護保険研究上の意義と限界,社会福祉研究への寄与の自己評価を行う.
第1章は,里見賢治・伊東敬文氏との共著『公的介護保険に異議あり』(1996年3月)の私の執筆部分であり,私にとっての介護保険論争・研究の原点である.第1節では,介護保険が厚生省の従来の政策・路線の破綻,転換であることを3側面から明らかにした.第2節では介護保険の3つの不公正を批判し,第3節では介護保険に対する3つの過剰な期待が幻想である根拠を示した.第4節では,介護保険の将来予測を行い,それが厚生省の願望通りに制度化された場合には「サービスの普遍性」原則に反する「4段階システム」(公私に限れば2階建て制度)になる危険性を指摘した.最後に,介護保険を少しでもマシな制度にするための,「5つの改善提案」を行った.
第2章には,介護保険論争がピークに達した1996年に発表した4論文を収録する.第1節では,老人保健福祉審議会「第2次報告」の批判的検討を行うとともに,厚生省の拙速主義を批判し,1年間の国民的議論を行うことを提唱した.第2節では,同審議会「最終報告」の3つの新しさを批判的に検討した.第3節では,介護保険論争の中間総括を行い,法案具体化により決着したと私が考える5つの論点を示した.第4節では,介護保険制度が成立しても老後の不安が決して解消されない理由を示し,改善提案を行った.
第3章には,介護保険制度開始直前の1999~2000年2月に発表した4論文を収録する.第1節では,介護保険制度の全体的評価を述べた上で,介護保険の将来予測を大胆に行った.第2節では,私が概念を確立し全国調査を行った「保健・医療・福祉複合体」(以下,「複合体」)の全体像を示すとともに,それのプラス面とマイナス面を指摘し,介護保険下での「複合体」の展開を予測した.第3節では,居宅介護支援事業者に求められる「公正中立」の在り方について論じた.第4節では,訪問看護ステーションが介護保険の最大の被害者になる根拠を示し,それのサバイバルの2つの条件を示した.
第4章には,介護保険制度開始直後(2000~2002年)に発表した5論文を収録する.第1節では,介護保険制度開始後半年間の現実を検証し,それを踏まえた介護保険の3つの改革課題を提起した.第2節では,介護保険開始1年間の現実に基づいて,介護保険開始前に語られていた3つの夢・目的を点検した.第3節では,訪問介護の主役が長期的には介護福祉士になることを示した.第4節では,京都府の介護保険指定事業者の実態調査の結果を示し,それの約4割が「複合体」を中核とした私的医療機関を設立母体とすることを示した.第5節では,医療・福祉施設の連携か「複合体」化かという二者択一的な見方を批判し,両者は対立物ではなく連続していることを示した.
第5章には,2005年の介護保険制度改革前後に発表した2論文を収録する.第1節では,制度改革の方向を2004年時点で簡単に予測した.第2節では,介護保険制度改革の切り札とされた「新予防給付」(介護予防)の医学的・経済的効果についての文献レビューを行い,介護予防による介護・医療費の抑制効果を実証した研究は皆無であることを明らかにした.
補章には2つの論文を収録する.「わが国の高齢ケア費用」では,医療経済学の視点から,高齢者ケア費用に関する5つの代表的な「神話」を検討し,それらが事実に反することを示した.「日本の介護保険制度と病院経営」は大韓リハビリテーション医学会での講演録であり,日本の介護保険制度と「複合体」の歴史と現状を概観した.合わせて,先進国中もっとも類似している日本と韓国の病院制度の比較も行った.
本書の介護保険研究上の意義は4つある.第1は,介護保険制度が提唱された直後から12年間にわたって,同制度創設と改革の問題点および制度開始前後の現実を,継続的かつ包括的に研究した初めての,しかも「生きた」研究なことである.
第2は,厚生労働省の非公式文書や担当者の発言を徹底的に発掘し,それらと公式文書との異同を詳細に検討することにより,介護保険制度創設に至る政策形成のプロセスを明らかにしたことである.
第3は,介護サービス提供組織の実態調査を独自に行い,それの主役は社会福祉法人あるいは営利企業であるとの介護保険開始前の通説を否定し,それの隠れた主役である「複合体」の全体像を明らかにしたことである.
第4は,従来別々の研究者によりバラバラに行われていた,介護保険についての政策研究と実態調査研究をはじめて統合したことである.
介護保険制度は,2006年の改正介護保険法施行以降,迷走・混迷を深めている.それだけに,本書が介護保険(保障)制度の歴史と現状を広い視野から再検討し,それの立て直しを考える一助になることを期待している.
2007年1月二木 立
あとがき
本書は,2006年9月に日本福祉大学大学院社会福祉学研究科に提出した学位(社会福祉学)請求論文である.私が「60(59歳)の手習い」で,博士論文をまとめた理由は以下の通りである.
日本福祉大学の研究プロジェクト「福祉社会開発の政策科学形成へのアジア拠点」は,全国の福祉系大学で唯一,文部科学省の21世紀COEプログラムに選ばれ,私が拠点リーダーを務めている.それの「中間評価」では,「特定分野に特化した大学としては1つの方向性を示している」と大枠で肯定的評価を受ける一方,「事業担当者の教員のうちに博士の学位を取得していない者がいるが,彼らがまずその取得を心がけるべき」等の率直な指摘や助言を受けた.日本福祉大学ではこれを真摯に受け止め,事業担当者の教員を含めてできるだけ多くの教員が本プログラム最終年(2007年度)までに博士号取得をめざすことを確認した.私自身は1983年に医学博士号(東京大学)を取得しているが,拠点リーダーとして率先垂範して,四半世紀ぶりにもう1つの学位取得に挑戦することにした.
このように博士論文はいわば義務的にまとめ始め,当初,本格的な出版は考えていなかった.しかし,1995~2006年の12年間に執筆した介護保険論争・研究の主要論文を読み直し,それの「解題」(序章)をまとめる過程で,はしがきに書いたように,本書は厚生労働省による介護保険の公式の解説や通史には欠落している重要な事実や視点を多数含んだ「もう1つの介護保険史」になっており,介護保険研究および社会福祉研究に寄与しうると感じ,急きょ出版することにした.出版事情が厳しいにもかかわらずお引き受けいただき,ていねいな作業をしていただいた勁草書房と同編集部橋本晶子さんに感謝する.
最後に,本書を,本年1月20日に54歳の若さで亡くなられた故滝上宗次郎さん(エコノミスト,有料老人ホーム「グリーン東京」社長)に捧げたい.滝上さんは介護保険論争が始まった当初からの「戦友」であり,政府の政策形成プロセスと介護産業の実態を熟知し,しかも鋭い人権感覚を持つ彼から教えられることは非常に多かった.本書をまとめる過程で,このことを再確認していただけに,余りにも早すぎる死に,すっかり気落ちしてしまった.しかし生き残った自分たちが滝上さんの分も精進を続けなければならないと,今は少し気を取り直している.「死んだ人々は,もはや黙ってはいられぬ以上,生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?」(『きけ わだつみのこえ』渡辺一夫氏「旧版序文」より).
2007年1月24日 二木 立
2.私と濃沼氏との論争についての『社会保険旬報』の対応の続報
『社会保険旬報』2月11日号「編集室」(50頁)の最後に、以下の文章が掲載されました。<本誌1月1日号掲載の二木立氏の論文「医療満足度の国際比較の落とし穴」に対し、濃沼信夫氏から反論が寄せられたため、1月11日号に「憂鬱な二木論文」として掲載しました。これは、二木・濃沼両氏の主張について公平性に配慮して掲載したものであり、両氏の主張および事実関係について編集部としての考えを示す意図ではありません。>
同誌編集部は、濃沼論文の前に、私への事実確認をすることなく、「事実内容を確認しないまま、[二木]論文を掲載したことにより、濃沼氏に多大な迷惑をおかけしたことを深くお詫びします」との「謝罪文」を掲載しましたが、この文章はその謝罪を事実上撤回したことを意味します。これが掲載されるに至った経過は、以下の通りです。
私は、『社会保険旬報』誌上を含めて、今までにたくさんの公開論争を行ってきましたが、今回の経験は四重に、初めてづくしでした。(1)濃沼氏の主張の誤りを根拠に基づいて指摘したのに対して、濃沼氏はその主張自体を頭から否定する感情的反論を行ったこと。(2)濃沼氏の反論の冒頭に、本来中立であるべき編集部が濃沼氏の主張に組みするかのような「謝罪文」を掲載したこと。(3)濃沼氏が法的根拠のない出版差し止め訴訟をちらつかせ、しかも弁護士を同伴してまで、私の反論を掲載しないよう編集部に執拗に求めたこと。(4)編集部がそれに屈して、いったん約束していた私の反論(「回答」)の同誌2月1日号への掲載を一方的かつ突然停止したことです(私に通告文書が届いたのは1月31日でした)。
そこで、私は、(1)『社会保険旬報』2月1日号に掲載されなかった私の「回答」、(2)私の批判の根拠とした濃沼氏の学会発言全文(該当個所のみ)、(3)この間の「経過」を本「ニューズレター」30号に掲載するとともに、2月1日に同誌編集部に以下の要請を行いました。<笹川さん[同誌顧問・前編集長]も再三「まずかった」と認められている、1月11日号の濃沼さんの反論の前に付けられていた編集部の「謝罪文」(最後のパラグラフ)が不適切であったことを、貴誌上で公式に認めて頂くよう改めてお願いします。多くの読者は、あの謝罪文があるために、濃沼さんの反論を信じてしまい、私は「多大な迷惑」を受けています。>
この直後に、権丈善一氏(慶應義塾大学商学部教授)は、氏の運営されているHPに連載されている「勿凝学問63」で、「二木・濃沼論争に対する『社会保険旬報』の対応」の問題点を明解に指摘されました(「眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」」 http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/。この論文からは、「ニューズレター」には掲載しなかった、濃沼氏の拙論への反論にもアクセスできます)。また、複数の医療団体の全国組織では、理事会、院長・副院長会議等の場で、『社会保険旬報』に掲載されなかった私の「回答」と「経過」が配布されたとお聞きしました。
さらに、ある高名な法学者からは、「濃沼氏の反論文の前に掲載されていた編集部の記事自体が、二木先生に対する名誉毀損を構成する可能性が高いのですから、二木先生から逆に損害賠償を請求されても文句はいえない」とのご示唆もいただきました。
以上のことを『社会保険旬報』編集部にも伝えて、何度も回答を求めた結果、ようやく冒頭の文章の掲載に至りました。これには編集部の濃沼氏への「謝罪文」が私に「多大な迷惑」をかけたことに対する謝罪が含まれていない等の不満はありますが、「無いよりはまし」と考え、旧知の谷野浩太郎編集長の「苦しい立場」を「理解」することとしました。
私は、濃沼氏の常軌を逸した言動にはただあきれるだけでしたが、長年信頼関係があると信じてきた『社会保険旬報』誌編集部の対応はまったくの「想定外」であり、「回答」の不掲載が決まってからしばらくは、憂鬱な日々が続きました。 それだけに、多くの「ニューズレター」読者の皆様からご支援・激励をいただき、大いに元気づけられました。ここで、改めてお礼申し上げます。合わせて、今回の経験を通して、言論の自由を守る上でのインターネットの威力を実感しました。
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算22回.2006年分その11:4論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○「QALY[質を調整した生存年]は意志決定者の役に立つか?」(McGregor M, et al: QALYs Are they helpful to decision makers? Pharmacoeconomics 24(10):947-952,2006)[評論]
QALYは期待余命とそれの質の積である。理論的にはこれを費用効用分析(CUA)で用いることにより、(異なった健康介入・医療技術によって得られる)異なった健康アウトカムを得るための諸費用を直接比較できるとされている。CUAを用いる人々は、CUAを用いて意志決定のプロセスを明らかにする人と意志決定をする人に二分できる。前者は意志決定に伴う財政責任を負っていないが、後者は意志決定に基づいて支払いをしなければならない。
CUAを行う際には、すべてのQALYが社会的視点からみて同等の価値を有すると仮定している。しかし、それらに付加されている価値は状況によって異なる。QALYはさまざまな手法で測定されるため、得られる数値も一定せず、信頼性や正確性に欠ける。そのために、意志決定者が様々な医療技術の費用を比較するための基礎として、1QALY当たり費用を用いることはできない。
健康選好についての理論的・実際的問題が解決され、しかもそれの測定方法が標準化されるまでは、健康介入・医療技術の費用対効果を推定する際には、費用と一次的健康アウトカム(余命の延長等)とを対比させる必要がある。
二木コメント-私もQALYや費用効用分析には懐疑的で、素朴な費用効果分析の方が現実的と考えていたので、この論文は我が意を得たりです。ただし、この論文に続いて、「われわれは資源配分の手段としてのQALYを放棄すべきか?」というコメント論文(反論)も掲載されており(pp953-954.著者はVijan S)、両方を読むことをお薦めします。
○「メディケア『病院比較』中のパフォーマンス指標と死亡率との関連」(Werner RM, et al:Relationship between Medicare's Hospital Compare performance measures and mortality rates. JAMA 296(22):2694-2702,2006)[量的研究]
アメリカのメディケア・メディケイド・サービスセンターは、病院医療の質についての関心の高まりに対応して、全国の病院の諸パフォーマンス指標を掲載した「病院比較」を公表し始めた。本研究ではそれらとリスク調整済みの死亡率との関連の有無を検討した。全米の3657急性期病院の2004年データを用いて、10のプロセス・パフォーマンス指標と急性心筋梗塞、心不全、肺炎の入院時、入院後30日、同1年後のリスク調整済み死亡率を比較した。
心筋梗塞のパフォーマンス指標について、上位25%の病院と下位25%の病院の各死亡率の差を比較したところ、入院時死亡率では0.005、入院後30日死亡率では0.006、同1年後死亡率では0.012にすぎなかった(ただし、統計学的には有意)。心不全、肺炎についても、死亡率の差はごくわずかであった。この結果は、病院のパフォーマンス指標は病院間のリスク調整済み死亡率の差の一部しか説明できないことを示している。
二木コメント-ほぼ同じデータを用い、対象を急性心筋梗塞に限定した別の研究では、一部のプロセス指標(βブロッカー使用率、禁煙カウンセリング実施率等)はリスク調整済みの入院後30日死亡率との間に統計学的に有意の関連があるが、病院間死亡率のバラツキのわずか6%しか説明できないという結果が得られています(「急性心筋梗塞の病院[医療]の質」.Bradley, EH et al: Hospital quality for acute myocardial infarction. JAMA 296(1):72-78,2006)。これら2つの研究は、医療の「プロセス」指標で、「アウトカム」指標を代用することはできないことを示していると言えます。
○「自宅または施設での死亡-死亡診断書を用いた死に場所に関連する要因の探索」(Cohen J, et al: Dying at home or institution - Using dealth certificates to explore the factors associated with place of death. Health Policy 78(2-3):319-329,2006)[量的研究]
死に場所の決定要因を知ることは、終末期ケアの質を改善する保健医療政策のために重要である。そこで、ベルギー・フランダース地方の2001年の全死亡患者55,759人の死亡診断書と各種保健医療データを接合することにより、臨床的要因、社会経済的要因、高齢者福祉・保健医療制度的要因が死に場所にどのように影響するかを検討した。統計的解析には多変量ロジスティック回帰分析を用いた。
全死亡者のうち53.7%は病院で、24.3%は自宅で、19.8%はケアホームで死亡していた。自宅での死亡確率は、行政区画、農村・都市部、病院病床数により異なっていた。特に、癌や循環器疾患以外の慢性疾患での死亡者、教育年限が短い者、一人暮らし者では、自宅での死亡は有意に少なかった。
二木コメント-一地方の全死亡者を対象にしたことは注目に値しますが、調査結果は常識的です。
○特集:OECD『医療の質国際指標』(International Journal for Quality in Health Care 18(Supplement 1), September 2006)
二木コメント-OECD医療の質指標プロジェクトが昨年3月に発表した報告書(OECD Health Working Papers No.22)に関連した8論文が掲載されています。このプロジェクトの「歴史と背景」、「中心的枠組み」だけでなく、報告書には詳しく書かれていない「医療制度レベルの患者安全指標の選択」、「プライマリケアでの予防とヘルス・プロモーションについての専門家パネル」、「医療制度レベルでの糖尿病医療の質の指標の選択」、「精神保健の国際的ベンチマーキングのための質指標」、「医療制度レベルでの心疾患医療の質の指標の選択」等について論じた論文も含んでいます。
なお、岡本悦司氏による報告書の全訳が昨年12月に出版されています(『医療の質国際指標』明石書店,2006, \3000)。死亡率や乳児死亡率等の伝統的な公衆衛生水準指標に代わる、国際比較可能な客観的な医療(そのもの)の質指標の確立をめざすという点で、大変野心的プロジェクトと言えます。ただ、少なくとも現段階では、まだ「予備的検討」のレベルにとどまっていると思います。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その27)-最近知った名言・警句等
<研究と研究者のあり方>
- ある新進気鋭の統計学者「私ぐらいのレベルになると、どんなデータでも、“有意の差"を出すことができます」(『薬のチェックは命のチェック』25号,2007,21頁.浜六郎「ガイドライン薬害は、個々の薬害よりはるかに大規模」で、「ある学会のある年の教育講座(主として薬剤師が出席)」での発言として紹介)。二木コメント-これは逆説的名言(迷言)と思います。私自身の経験でも、標本数がある程度以上あれば、特に多変量解析では、変数の組み合わせや統計手法を少し変えることにより、簡単に有意差を出せます。それだけに、データを解釈するときには、「統計的有意症(有意差症候群)」に陥らずに、実質科学的な意味をキチンと考える必要があります(統計的有意症は佐久間昭氏の造語です。詳しくは、拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,123頁参照)。本号の英語文献抄訳欄で紹介した、「メディケア『病院比較』中のパフォーマンス指標と死亡率との関連」と「急性心筋梗塞の病院[医療]の質」は、この点で模範的と思います。
- 若倉雅登(井上眼科病院院長)「大事な歴史の証しは公開してこそ意味がある」(「日本経済新聞」2007年2月1日朝刊。井上治郎(井上眼科病院理事長)「市井の目で眼科歴史館」で、本年1月に開設した同病院「目の歴史資料室」のアイデアを出した若倉院長の言葉として紹介)。二木コメント-本「ニューズレター」30号で紹介したように、『社会保険旬報』2月1日号に掲載が決まっていた濃沼論文への私の「回答」が、同氏の出版差し止め訴訟をちらつかせた抗議・圧力により突然掲載中止になった翌日にこの言葉を知ったため、余計心にしみました。
- 野村克也(プロ野球球団楽天監督)「[大成するための条件は]自己に対する厳しさ」(「日本経済新聞」2007年2月2日朝刊。鉄村和之「きら星たちの春(1)楽天田中将大」で紹介)。
- 南原繁(元東大総長)「現実と真正面から取り組む学者でありたい」(「朝日新聞」2007年1月29日夕刊。早野透氏が、政治学者の故福田歓一氏の追悼記事「惜別」で、福田氏が南原氏から聞き、政治学を志すようになった言葉として紹介)。
- 牧野富太郎(植物学者。故人)「学者には学問があれば何も要らない」(「読売新聞」2007年1月18日朝刊「編集手帳」で紹介)。
- 太田光(漫才師。『憲法九条を世界遺産に』共著者)「人がやらないことの可能性を探る」(『アエラ』2007年1月15日7頁「表紙の人」。「お笑いも政治も、この人にとっては『人がやらないことの可能性を探る」という意味では同じ地平線上にある」(インタビュアーの佐藤太郎さんのまとめ)。
<勇気と真実、賢さ>
- 哲(ペンネーム)「出る杭は打たれるが、出ない杭は腐る。自ら出る杭となり、打たれても立ち上がる異形の精神の記録だ」(「読売新聞」2007年2月4日朝刊。佐藤優『獄中記』(岩波書店)の書評の最後のまとめの言葉)。
- アル・ゴア(元アメリカ副大統領。記録映画「不都合な真実」(An Inconvenient Truth)の原作者。)「真実には耳が痛いものがある。真実と認めてしまうと、変えなくてはいけなくなる。そして変えるというのは、まったくのところ、都合の悪い場合がある」(『アエラ』2007年1月22日号)。
- 忌野清志郎(いまわの・きよしろう。ロック歌手)「♪おとなだろ勇気を出せよ おとなだろ知ってるはずさ 悲しいときも涙なんか 誰にも見せられない ああ子供の頃のように さあ勇気をだすのさ きっと道に迷わずに君の家にたどりつけるさ♪」(同氏作詞作曲「空がまた暗くなる」。次に紹介する『飛ぶ教室』の「解説」225頁で、訳者の丘沢静也氏が紹介)。
- エーリッヒ・ケストナー(ドイツの作家)「賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない。世界の歴史には、勇気はあるけれど馬鹿な人間や、賢いけれど臆病な人間がたくさんいた。それはおかしな状態だった。/勇気のある人間が賢くなり、賢い人間が勇気をもってはじめて、人類の進歩というものが感じられるようになるだろう」(丘沢静也訳『飛ぶ教室』光文社文庫版,23頁。内橋克人氏が『悪夢のサイクル』文藝春秋,2006,229頁で、最初の2文を引用。ただし、訳文は異なる)。
- 伊坂幸太郎(1971年生まれの若手作家)「俺は、考察するのが好きだった。好き、というよりも、生きることは考察することだ、と大袈裟に言えばそう信じてもいる。『昔、子供の時に観たテレビドラマで、『マクガイバー』っていうアメリカのやつがあったんだ。(中略)マクガイバーはさ、身近な物を武器にして戦うんだよ。まあ、工夫が得意なんだな。その主人公がよく困難にぶつかると、自分に言うんだ。(中略)『考えろ考えろ』ってさ。よし、考えろマクガイバー。自分に言い聞かせるわけだ」(『魔王』講談社,2005,11頁。主人公の安藤が友人に言った台詞)。二木コメント-忍び寄るファシズムに立ちむかおうとした兄弟の物語(エンターテインメント)のなかの兄の言葉です。
<批判の禁じ手>
- 長野士郎(前岡山県知事。2006年12月5日没、89歳)「批判はしてもいい。しかし、揚げ足をとるだけじゃだめだ」(「日本経済新聞」2007年1月5日夕刊「追想録」)。
- 渡辺捷昭(トヨタ自動車社長)「健全な危機感を持つだけでなく、自分がやるんだという当事者意識がないと評論家になり危険だ」(「朝日新聞」2007年1月13日朝刊「あの時東海物語特別編」)。
- ナンシー・ペロシ(アメリカ史上初の助成下院議長)「文句を言わないで少しは協力しなさい」(「毎日新聞」2007年1月19日朝刊のエレン・グッドマン「世界の目」で、ペロシさんの5人の子供対する口癖として紹介)。
二木コメント-勤務先の日本福祉大学で8年間管理職的仕事(大学院社会福祉学研究科長→社会福祉学部長→大学院委員長)を続けていると、教授会等で、「文句を言」ったり、「揚げ足をとるだけ」で「当事者意識がない」教員が少なくないことに辟易させられます。
ひるがえって、これらの名言は、私自身が政府・厚生労働省等の政策批判をするときにも心すべきことだと、自戒しました。
<年令と仕事>
- 黒井千次(作家。74歳で『一日 夢の柵』で野間文芸賞受賞)「若いときは『足し算』で考えるが、年を取ると『引き算』になり、あと何年働けるかと考える。書く暮らしを可能な限り続けたい」(「中日新聞」2006年12月30日朝刊「この人」)。二木コメント-私はこれを読んで、以下の名言を思い出しました。
- 津本陽(小説家、当時76歳)「この頃は仕事を引き受けるにも、用心するようになってきた。かつては、ままよ、と引き受け、書きながら人物像を考えたりもしたものだが、前もってじぶんの資質に合うような題材を選ぶことを心がけている」(「日本経済新聞」2005年8月1日朝刊「私の苦笑い」)。
- 立花隆(評論家)「いま54歳ですけれども、もうそんなに残り時間はないという気持ちがだんだん強くなってきています。(中略)頭が非常にクリアで、自分の満足できる知的レベルの活動を続けていける状態は、あと何年保てるかわからない。(中略)残り時間が少なくなっという自覚が…そうですね、50過ぎてからかなりはっきりと出てきました。そうなると、やはり時間が残っているうちに、もっともっと知っておきたいという欲求が、若いときにも増してすごく強くなっているわけです」(『ぼくはこんな本を読んできた』文藝春秋,1995,18頁)。
- 森村誠一(作家。当時70歳)「優秀な若手に負けちゃいられない」「好きな旅行や映画鑑賞をしても結局取材になる。作家は永久に自分の作品世界の囚人かもしれない」(「読売新聞」2003年11月25日「顔」)。
- 田尾安志(野球解説者。当時46歳)「年齢で壁を作るな」(「日本経済新聞」2000年7月4日朝刊「スポートピア」)。
<その他>
- シャルル・アズナブール(反骨を貫くフランス歌謡界の長老。82歳)「私に理解できない言葉があるとすれば、ノスタルジー(懐旧の念)です」(「朝日新聞」2007年2月12日朝刊「天声人語」で、『パリマッチ』誌との問答として紹介)。
- バート・マンロー(時速300キロの夢に懸けたニュージーランドの伝説の高齢ライダー)「夢を追わない人間は野菜と同じだ(If you don't follow through on you dreams, you might as well be a vegetable)」(映画「世界最速のインディアン」での、アンソニー・ホプキンス演じる主人公の台詞)。
- ジョゼフ・ポーリ・トーリ(ニューヨーク・ヤンキース監督)「[井川慶投手の]球は少し荒れていたが、力を抑えてストライクを置きにいくことをしなかった。自分を良く見せようとしない。そこが気に入ったな」(「しんぶん赤旗」2007年2月17日朝刊=時事通信配信。キャップ初日目の初ブルペンで練習での井川投手の悠然とした投球を評価して)。
- 張本勳(野球解説者)「一本勝負に弱い人は人が良すぎる」(2007年1月21日CBCテレビ「サンデーモーニング」で、福原愛選手が前日の全日本卓球選手権の女子シングルス6回戦で敗退したことを評して)。