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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻30号)』(転載)

二木立

発行日2007年02月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)


目次


お知らせ:

本「ニューズレター」27号で紹介した拙新著『介護保険制度の総合的研究』を2月20日に勁草書房から出版することになりました(320頁、3200円)。それの「はしがき」と「あとがき」は、本「ニューズレター」30号に掲載します。

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1.拙論1:「がん難民」の解消で5200億円の医療費削減??

(「二木教授の医療時評(その37)」『文化連情報』2007年2月号(347号):22-24頁)

特定非営利活動法人(NPO法人)「日本医療政策機構」は昨年12月7日、日本のがん患者の53%、約68万人が「がん難民」であり、それを100%解消すれば国民医療費を5200億円も節減できるとの調査結果を発表しました(「がん患者会調査報告-『がん難民』解消のために」『医療政策』5号。研究委員会主査は近藤正晃ジェームス東京大学特任助教授)。こしこれが本当なら、医療の質の向上と医療費削減が両立できることになり、がん医療についての画期的な改革案と言えます。

そこでさっそくこの調査報告を読んでみました。これは、2005年に全国のがん患者会会員と昨年5月に大阪市で開かれたがん患者大集会の参加者等を対象にして、郵送またはインターネットにより行ったアンケート調査です(有効回答1186人)。設問は下位項目も含めると35項目にのぼり、これにより全国のがん患者の意識と実態が多面的に明らかにされています。データ編では「粗集計」だけでなく、「男女別・年齢別の原発のがんの種類に基づき、[がん患者総数と-二木]同じ分布になるべく調整」した「標準化」データも掲載されており、今後がん患者の声をがん対策に生かすための貴重な資料になると思います。私が一番驚いたことは、「男女別・年令・原発のがんの種類・進行度に関係なく『がん難民』化の危険がある」(各群間で差がない)ことです。

しかし、「がん難民」の定義とそれの全国推計、および「がん難民」解消による医療費削減額効果については、大きな疑問を感じました。具体的には、以下の3点です。

「がん難民」の定義が広すぎる

第1の疑問は、「がん難民」の定義があまりに広すぎることです。この調査では、「治療説明時か治療方針決定時のいずれかの場面において、不満や不納得を感じたがん患者」を「がん難民」と定義しています。具体的には、最初の治療説明に当時も現在も満足し、しかも最初と現在の治療方針の両方を納得して選択したと回答した患者以外はすべて「がん難民」としています。これでは「がん難民」調査ではなく、がん医療満足度調査です。

先述したように、この調査では「がん難民」はがん患者全体の53%とされていますが、その内訳をみると、がん患者全体の37%(「がん難民」とされている患者の70%)は医師の治療説明には不満足であったが、現在の治療方針の選択には納得しています。このような患者まで「がん難民」とするのは誇大ですし、「がん難民」の日常的用法と違いすぎ、誤解を与えます。現に、「日本経済新聞」(12月8日朝刊)は、医療政策機構は「医師の説明や治療方針に納得できず複数の医療機関をさまよう“がん難民"が68万人に上るとの推計を発表した」と誤報しました。

第2の疑問は、今回の調査結果を元にして算出された全国の「がん難民」数が過大なことです。今回の調査は、「患者の本音を引き出すべく、医療機関・医師を介さず患者会経由で調査を行った」そうで、私もこの調査法自体は理解できます。しかし、がん患者会の会員またはがん患者大集会の参加者は、がん患者全体に比べて、受けているがん医療に不満を持っている割合が高いことは容易に想像できます。しかも、設問内容はかなり専門的であり、回答者は知的レベルがかなり高いと思われます。そのような患者は患者全体に比べて、医療満足度が低いことは経験的によく知られています。

そのために、今回の調査結果を機械的に敷衍して「がん難民」の全国数を「定量化」するのは乱暴すぎるし、過大推計です。具体的には、『患者調査』による日本のがん患者総数128万人×「がん難民」58%=「がん難民」総数68万人とされています。私は大学教員という仕事柄、統計処理に問題のあるレポートには慣れていますが、これほど粗雑な推計に出会ったのは久しぶりです。

がん難民解消のための環境整備に必要な費用増が抜けている

第3の、そして医療経済学的に言えば最大の疑問は、「がん難民」を完全に解消すれば、国民医療費を年間5200億円も削減できるという推計です。この調査では、「がん難民」の保険診療費は「がん難民でない患者」より47%も高いため、「がん難民」を完全に解消すれば、その医療費が「がん難民でない患者」と同水準に低下すると仮定して、この数字を算出しています。私も、「がん難民」が「がん難民でない患者」に比べて医療機関の変更や治療方針の変更により、医療費が高くなることはよく理解できます。

しかし、この推計では、「がん難民」が納得のできる説明・治療を受けるようになるための環境整備に必要な費用増はまったく考慮されていません。この調査では、「がん難民」は「がん難民でない患者」に比べて、「医師のがん治療の技術」、「治療法についての情報開示」、「医師のがん知識」により不満を感じているという結果が得られていますし、調査報告の冒頭では、日本のがん治療の問題として「拠点病院の整備や専門医の育成が遅れていること」を指摘しています。私はこれは妥当だと思います。

しかし、「医師のがん治療の技術」、「医師のがん知識」を改善するためには、「拠点病院の整備や専門医の育成」が不可欠で、そのためには相当の費用がかかり、結果的にがん医療費(患者1人当たり医療費及び国民医療費)も増加しますが、報告書はこの点には沈黙しています。

他面、調査報告の最後には、次のような「『がん難民』解消に効く4つの打ち手」(対策)が書かれています。「専門医の有無、医師・病院の治療成績等の情報を社会的に整備すること」、「理解できるまで時間をかけて主治医に何度も説明してもらうこと」、「知り合いの医療関係者に相談すること」、「インターネットによる情報収集を行うこと」。これらのうち、第2~4の対策は「賢い患者」になるための助言であり、とても「医療政策」とは言えませんし、第1の対策のための費用も示されていません。

しかも、「拠点病院の整備や専門医の育成」等の環境整備がないまま、すべてのがん患者が第2~4の対策を実行したら、拠点病院や専門医に現在以上に患者が集中し、がん医療に従事する医師・医療従事者が「燃え尽き」てしまい、日本のがん医療が崩壊する危険さえあります。人々のミクロレベルでの合理的な行動が、マクロレベルでは人々の期待とは逆の結果をもたらすことを、経済学では「合成の誤謬」と言います。

私は、今まで、医療の質を改善しつつ医療費を削減すると称するさまざまな医療改革案を医療経済学的に検討したことがありますが、医療費削減効果が実証されたものは皆無でした。それらは、医療の標準化(クリティカルパスを含む)による医療費削減、「福祉のターミナルケア」による医療費削減、在宅ケアの推進による医療費削減、生活習慣病対策による医療費削減等です。がん難民を解消すれば国民医療費を5200億円も解消できるとする「がん難民調査報告」もその例に漏れないと言えます。「がん難民」を解消するためにも、公的医療費の総枠拡大が不可欠。これがこの調査報告を読んでの私の結論です。

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2.拙論2:論争は冷静に行いましょう-濃沼論文への回答

(『社会保険旬報』投稿論文:2月1日号に掲載予定でしたが、編集部の判断で不掲載)

私は、本誌1月1日号掲載の拙論「医療満足度の国際比較調査の落とし穴」で、濃沼氏の主張を率直に批判しました。批判点は2つあります。第1点は、濃沼氏は、2004年と2005年の講演で、「医療満足度と健康自己評価を混同」していたこと。第2点は濃沼氏は2006年の論文ではこの誤りを訂正したが、氏のように「健康自己評価の低さを、国民の医療(制度)評価の低さの現れと解釈するのは論理の飛躍またはすり替えである」ことです。

それに対して、濃沼氏から本誌1月11日号で、第1点に限定した厳しい反論(「憂鬱な二木論文」。以下、「反論」)をいただきました。論争を敬遠しがちな方が多いなかで、即座に反論して頂いたことに感謝します。しかし氏の文章は、「誹謗中傷」、「虚偽論文」、「言論テロ」、「特高のごとく」、「妬心や欲念」等、感情的で品格のない言葉に満ちあふれており、冷静さに欠けているのが残念です。また、長い「反論」の中で、私の批判の第2点に反論されていないのは、それを受け入れられたこととと理解します。

私は、今まで論争をする際は、相手の主張を正確に引用するように務めてきましたし、この点について今まで批判を受けたことはほとんどありません。特にこの拙論では、濃沼氏を含めて「医療界・一般市民に大きな影響力を持っている」方を批判するため、いつも以上に細心の注意を払いました。

濃沼氏は健康自己評価と医療満足度を混同していた

濃沼氏の「反論」を読んで、さっそく拙論で引用した氏の論文・講演録を調べ直してみましたが、私の引用・要約に誤りはありませんでした。例えば、濃沼氏は、健康自己評価と「満足度との混同は考えられない」と言い切られていますが、第3回日本医療経営学会シンポジウムでは、OECDの健康自己評価データを医療満足度データと称して長々と紹介した後に、「この医療に対しての満足度というのは、まさに医療に対しての評価であろうかと思います。それが日本では決して高くないということはやはり考えなきゃいけない」とまとめています(録音テープで確認)。2005年の講演については、拙論で引用した通りです。ただし、氏が御指摘のように、「1994年12月の第3回日本医療経営学会シンポジウム」は、「2004年12月…」の誤記であり、この点はお詫びします。

なお、濃沼氏が得意げに引用されている、私が氏に「恥ずかしながら教えてほしい」というお願いをしたメールの全文は以下の通りです。「1994年[これは上述したように2004年の誤り-二木]12月3日の第3回日本医療経営学会シンポジムで、濃沼さんが、WHO Health Reportに対する『反証』として、OECDによる医療に対する満足度調査(2001,2003)で日本は最下位、アメリカがトップと紹介されたことを良く覚えています。これの出所をお教えいただければ幸いです。最近、医療満足度と医療費水準との関係を少し調べているのですが、恥ずかしながら濃沼さんが紹介されたこの調査はまだ見つけられておりません」(昨年11月8日)。

これに対して、濃沼氏からはOECD Health Dataであるとの御返事を頂きましたので、さっそくそれを調べたところ、濃沼氏が「反論」で引用されたように、健康自己評価では日本が最下位なことは理解でき、その旨お礼のメールを出しました。と同時に、そのメールでは以下のような疑問も書きました。「私のメモによると、…日本医療経営学会シンポジウムで、濃沼さんは『OECD調査によると、医療満足度は日本が最下位、アメリカがトップ。それはなぜか…』と話されたと思います。perceived health status=主観的健康観と医療満足度は別だと思うのですが…」(昨年11月9日)。

このように、私は、拙論を書く前に濃沼氏が医療満足度と健康自己評価(主観的健康観)を混同しているのではないか?とメールで指摘していたのですが、氏からのコメント・反論はありませんでした。それにもかかわらず、突然、それを否定する「反論」を書かれる真意が理解できません。

私は濃沼氏が優秀な研究者であることをよく知っています。それだけに氏には、もう少し冷静になり、「過てば則ち改むるにはばかることなかれ」(『論語』)という研究者に不可欠な精神を思い出していただきたいと思います

補足-濃沼氏の第3回医療経営学会での報告の該当個所(下線は二木)

「そしてさらにOECDのデータを見ますと、こんどは日本はですね最下位にランクをされております。これはどういうものかと言いますと、さきほど[WHOワールド・ヘルスレポート-二木]はある意味で生存率のようなデータをもとにした計算でありますが、これは満足度をもとにしたものであります。OECDは数年おきに調査をしておりまして、2001年ですと日本は最下位、2003年のデータですと、ようやく韓国を超えるんですが、まあいずれにしろ最下位の部類です。これはどういうものかというと、5段階評価でして、自らの国の医療制度を優れていると感じている人の割合というのがあります。そういたしますと、アメリカが、意外なことかもしれませんが、アメリカがトップでありまして、その他、カナダ、フランス、ニュージーランド等が続きまして、日本は44.5%。17カ国、先進17カ国の平均が74%でありますから、先ほどのWHOで1位という、1位と20位の差がわずか数ポイントであるのに対して、これは相当大きな差であります。74%、平均いたしますと74%が自分の国が優れている、これは5段階ですから、very goodとgoodの割合ですね。その割合が74%であるのに対して、日本は44%でございます。ですから、同じ国際機関でも、WHOとOECDのデータは乖離をしたものでありまして、それは視点が違うわけでありますが、本日の話題であります患者の視点という観点から言いますと、たとえば寿命が長いのは本当に医療が貢献した結果なのかどうかということもあろうと思います。しかし、この医療に対しての満足度というのは、まさに医療に対しての評価であろうかと思います。それが日本では決して高くないということはやはり考えなきゃいけない。

注-本論文が『社会保険旬報』に不掲載になった経過

『社会保険旬報』1月11日号に、濃沼氏の拙論「医療満足度の国際比較の落とし穴」への反論が掲載されました。私が驚いたのは、濃沼氏の感情的な反論の前に、「事実内容を確認しないまま、論文を掲載したことにより、濃沼氏に多大な迷惑をおかけしたことを深くお詫びします」という編集部としての「謝罪文」が付けられていたことでした。これでは、編集部が拙論に重大な事実誤認があったと認めたことになり、私に「多大な迷惑」がかかります。

そこで、濃沼氏の学会報告、講演録、論文を再確認しましたが、私の引用・要約に誤りは全くありませんでした。そこで、1月20日に上記「回答」を『社会保険旬報』編集部に送りました。その際、濃沼氏との「泥試合」になることを避けるため、感情的表現は用いず、事実をたんたんと書きました。濃沼氏には「補足」に掲載した第3回医療経営学会での氏の報告の該当個所を送り、「濃沼さんはやはり、第3回医療経営学会シンポで健康自己評価を医療満足度と混同していました」と指摘しました。

その後、1月22日に、編集部の笹川浩一顧問(前編集長)と直接お会いしました。氏も私の濃沼氏批判に事実誤認はないことを了解し、「回答」の2月1日号への掲載を約束しました。合わせて、笹川氏は、濃沼氏の反論の前に編集部としての「謝罪文」を付けたことは「まずかった」と率直に認めました。その折、笹川氏から、濃沼氏から編集部に、私の反論を掲載するなら「出版差し止め訴訟」を起こすとの通知が来ているとお聞きして驚かされました。そのため、笹川氏から、濃沼氏を説得するために、「ルール違反を承知で」私の「回答」の原稿を事前に濃沼氏に送りたいとの申し出があり、「回答」を2月1日号に掲載することを絶対条件にして、それを承諾しました。

しかし、その後笹川氏から、1月26日に濃沼氏と氏の弁護士と話し合ったが、濃沼氏の理解は得られず、濃沼氏と氏の弁護士は私の「回答」を掲載しないよう強く求めているので、私の「回答」の掲載は見合わせるとの通告(文書)が来ました。この間、濃沼氏からの連絡はまったくありません。

私は、濃沼氏が、学会という公式の場で明らかな事実誤認を犯し、後日それを論文でコッソリ訂正した事実を頬被りしたい気持ちはそれなりに理解できます。しかし、言論には言論で反論するという「言論の自由」の大原則を破り、出版差し止め訴訟を持ち出すなどして『社会保険旬報』編集部を威嚇し、私の同誌での発言の機会を奪ったことは決して許されるべきではなく、氏の大きな汚点になると思います。

また、今まで、医療保険改革論争や福祉のターミナルケア論争等、さまざまな政策論争の場を提供してきた『社会保険旬報』が、濃沼氏の感情的で理不尽な要求に屈して、私の「回答」の掲載を中止したことも、たいへん残念です。法的事項にも詳しい私の友人の研究者は、この事実経過を知って、「こういうところから言論の自由が崩れていくのではないかと思います…というのは大げさですが、少なくともしばらく、執筆する側としても、『社会保険旬報』に論争的な文章を載せづらい状況になってしまったと思います」というコメントをくれました。

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3..最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算21回.2006年分その10:8論文)

お断り:今号から、洋書の紹介に合わせた見出しに変更し、通算表示を加えます。

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○「イギリス、デンマーク、オランダの時間外診療:新しい諸モデル」(Grol R, et al: After-hours care in the United kingdom, Denmark, and the Netherlands: New Models. Health Affairs 25(6):1733-1737,2006)[文献レビュー]

欧米の多くの国々では、時間外のプライマリケアを効率的かつ効果的に組織・提供することへの関心が高まっている。それには以下の6つのモデルがある。(1)地域の開業医が輪番制で時間外診療を行う、(2)時間外診療を営利企業等に外注する、(3)病院の救急外来が時間外のプライマリケアも提供する、(4)電話相談センターで患者の振り分けを行う、(5)時間外プライマリケア・センターを設置する、(6)地域の開業医が他職種(看護師等)とともに、外来診療・電話相談・往診の3機能を統合した「プライマリケア協同組織(cooperative)」のなかで、時間外サービスを提供する。

本論文では、これらのうち、(6)の「プライマリケア協同組織」に焦点を当て、イギリス、デンマーク、オランダの先行研究で明らかになったことを紹介する。イギリスとデンマークでは1990年代前半からこれが組織されている。オランダではこれが2000年以降急増し、現在ではほとんどの時間外診療がここで行われるようになっている。イギリスには、様々な形態の「プライマリケア組織」があり、それらの効果についてのランダム化比較試験も実施されている。イギリスとオランダでは、電話相談での患者の振り分けは主として看護師が行っている。

3カ国の実績を総合すると、「プライマリケア協同組織」により、医師の時間外診療を減らすことができ、それにより医師の過重負担を軽減すると同時に、従来型の時間外診療に比べて費用も削減できる。大半の患者はこのモデルに満足しているが、医師の診察を希望していた患者には不満も見られる。結論として、著者(オランダの研究者)は、救急・時間外診療に関連したすべてのサービスを地域または地方単位で統合し、開業医(家庭医)が中心的役割を果たすこの方式が、時間外診療の諸モデルのなかでもっとも有望だと主張している。

二木コメント-私は、看護師が電話相談で患者を振り分ける方式を日本でそのまま導入するのは、制度的にも、国民意識の点でも、無理と思いますが、日本でも、「プライマリケア協同組織」の成果と限界を学ぶ必要はあると思います。レスター・サローが強調しているように、他国が「していることをいつもコピーできるわけではないが、それをいつも理解しなければならない」からです。

○「ヨーロッパでの医療の民営化:8カ国調査」(Maarse H: The privatization of health care in Europe: An eight-country analysis. Journal of Health Politics, Policy and Law. 31(5):981-1014,2006)[概説]

ヨーロッパ8カ国(ベルギー、フランス、ドイツ、オランダ、デンマーク、ポーランド、スウェーデン、イギリス)を対象にして、医療の公私ミックスの最近の変化を分析し、医療民営化がどの分野でどの程度進んでいるかを検討した。国により民営化の程度は異なるが、全体として医療民営化は以前よりは多少進んでいた(somewhat more private)。総医療費中の公費割合の上昇傾向は1980年代末に停止し、一部の国では私費割合が相当増加していた。ビスマルク型社会保障国家(ベルギー、オランダ、フランス、ドイツ)と体制転換を経験したポーランドでは、ヘルスケア提供組織(病院、プライマリケア、高齢者入所施設)の民営化の多少の証拠が得られた。ただし、近年、営利病院のシェアが増加したのはドイツだけであった(1990年の4%から2003年の10%へ増加)。マネジメント、運営、および投資面でも民営化の徴候が見られた。

最後に、民営化を促進する要因とそれの障壁となる要因について検討した。促進要因は、以下の6つである:(1)政治的思潮の変化(新自由主義思想の台頭)、(2)政府の財政制約、(3)政府の失敗、(4)国民の豊かさの増大、(5)医療技術の進歩、(6)一部の国での政治・体制の転換。障壁は、以下の4つである:(1)医療は権利という国民の価値観、(2)公的医療費の増加、(3)市場の失敗、(4)医療の制度的構造(institurional sturucture.抜本改革は困難で部分改革が現実的)。

二木コメント-ヨーロッパ諸国における医療民営化の実態を包括的かつバランス良く紹介した好論文です。特に、民営化を促進する要因とそれの障壁となる要因はよく整理されていると思います。

○「統合サービスネットワーク:[カナダ]ケベック州の事例」(Fleury MJ: Integrated service network: the Quebec case. Health Services Management. 19(3):153-165,2006)[文献レビューと事例研究]

近年のヘルスケア改革では、統合サービスネットワークが効率改善の主要な解決策として注目されており、文献も多数発表されているが、それの概念はまだ流動的であり、ヘルスケア組織間関係の類型化もほとんど行われていない。本論文では、文献レビューとカナダ・ケベック州におけるヘルスケア改革実験(公的財源による医療と福祉の統合)に基づいて、統合サービスネットワークの概念の明確化と組織間関係の類型化を試みている。

二木コメント-カナダでの統合サービスネットワークを紹介した珍しい論文です。ただし、内容はやや思弁的です。

<以下、医療費・長期ケア費用の実証分析の5論文>

○「医療費の増加:高齢化の脅威の再検討」(Dormont B, et al: Health expenditure growth: Reassessing the threat of ageing. Health Economics 15(9):947-963,2006)[量的研究]

フランスの1992年と2000年のミクロデータ(それぞれ3441人、5003人分)を用いたミクロシミュレーションモデルにより、人口構成、有病率および診療の変化が医療費(外来、薬剤、入院)増加に与える影響を検討した。この間、各年齢階層の健康状態は改善し、その分医療費は減少していた。他面、診療の変化により医療費は相当増加していた。この原因を詳細に検討したところ、主因は技術革新であった。

この分析結果をマクロ経済レベルに適用したところ、人口高齢化によるこの間の医療費増加は相対的に小さく(3.4%)であり、診療の変化による医療費増加(12.9%)がそれの3.8倍に達することが明らかになった。さらに、有病率の減少による医療費節減が、人口高齢化による医療費増を相殺することも分かった。

二木コメント-ミクロデータの分析により人口高齢化が医療費増加の主因ではないことを実証した貴重な研究と思います。

○医療費の集計と測定(Getzen TE: Aggregation and the measurement of health care costs. Health Services Research 41(5):1938-1958,2006)[文献レビュー]

医療費(1人当たり)の変動が医療費データの観測レベルによりどの程度影響を受けるかを検討するために、医療費の変動要因を実証的に検討した40以上の文献をレビューした。「(資源のマクロ・ミクロ)2段階配分モデル」を用いて、集計のレベルとタイプにより、医療費と他の要因との相関係数がどのように変わるかを検討した。

観測単位が大きくなるほど、医療費と健康状態との関連は弱く小さくなる反面、医療費と所得(1人当たりGDP)との相関は大きく強くなった。一国内の1人当たり医療費の変動は大きく、これは主として健康状態の変動の大きさのためであった。しかし、国別の健康水準の差は国別の医療費の差にほとんど影響を与えていなかった。国別の1人当たり医療費の変動の90%は、横断データ、時系列データとも、国別の1人当たり所得によって説明できた。

この結果に基づいて、著者はマクロ経済的な制約が1国の総医療費水準を決めることを強調し、ミクロレベルでの政策介入により医療の効率と公平、健康水準を改善することはできるが、それによって1人当たり医療費を削減することはできないことに注意を喚起している。

二木コメント-アメリカの医療経済学の泰斗による医療費のマクロおよびミクロレベルの決定要因についての優れた文献レビューです。もう1人の泰斗(ニューハウス)のコメントと共に、一読に値します。

○「人口高齢化がヨーロッパの長期ケアに与える影響といくつかの潜在的政策対応」(Saltman RB, et al: The impact of aging on long-term care in Europe and some potential policy responses. International Journal of Health Services 36(4):719-746,2006)[概説]

最新データを用いて、人口高齢化がヨーロッパ(主にドイツ、スペイン、イタリア、イギリスの4か国)の長期ケアサービスに与える影響を検討した。最近と将来の長期ケア費用の推計を行った上で、今後人口高齢化による費用増を和らげるための潜在的政策選択を検討した。ヨーロッパでは今後数十年にわたって長期ケア費用が増加するが、各国はそれを和らげるためのさまざまな戦略を採用することが可能である。しかもそれらの多くは医療制度外の社会セクターでの改革である。

二木コメント-本論文の特徴は、分析枠組みにフォーマルケアだけでなくインフォーマルケアも組み込んでいること、および前提条件を変えて複数の推計を行っていることです。この点は日本で長期ケアの将来推計を行う上でも重要だと思います。

○「死亡前1年間の医療費-オランダの事例」(Polder JJ, et al: Health care costs in the last year of life - The Dutch experience. Social Science & Medicine 63(7):1720-1731,2006)[量的研究]

オランダのある医療保険加入者210万人(全人口の13%)のミクロデータを用いて、医療費と入院医療、在宅ケアとナーシングホーム利用、死亡原因との関係を検討した。

1人当たり平均年間医療費は平均1100ユーロであったが、死亡者の死亡前1年間の医療費はその13.5倍の14,906ユーロであった。死亡者の医療費の54%は入院医療、19%はナーシングホーム費用だった。死亡者の医療費を疾病別に見ると、癌が19,000ユーロでもっとも多く、心筋梗塞は8068ユーロにとどまっていた。平均すると、若年死亡者の医療費の方が高齢死亡者の医療費よりも高かった。

死亡前1年間の医療費は医療費総額の10%であった。今後余命が延長すると、生存期間の延長により医療費は増加するが、高齢者では死亡前医療費の低下が、この影響を多少緩和すると予測された。本研究による将来医療費の推計は、これらの諸点を考慮しない従来の予測より10%少なかった。

二木コメント-これもミクロデータを用いた実証研究です。死亡前1年間の医療費が医療費総額の1割というのは日本とほとんど同じであり、それだけにこの論文は日本の医療費の将来予測を行う上でも、参考になると思います。

「メディケアとメディケイド重複受給者の死亡前[1年間の総]費用」(Liu K, et al: End of life Medicare and Medicaid expenditures for dually eligible beneficiaries. Health Care Financing Review 27(4):95-110,2006)[量的研究]

アメリカでは死亡前医療費の分析が盛んに行われているが、その大半はメディケア医療費のみを検討しており、これでは急性期医療費しかわからない。それに対して、本研究ではメディケアとメディケイドを重複受給者で、1994-1995年の死亡者総数(約15.2万人。10.1%は65歳未満)の死亡前1年間の費用(医療費と支持的サービスの合計)を検討した。

死亡者のうちナーシングホームに入所しなかった者は37.0%にすぎなかった。死亡場所は病院31.3%、ナーシングホーム34.7%、その他33.8%であった。死亡者の費用総額は40,534ドルであり、そのうちメディケア費用が24,521ドル(60.5%)、メディケイド費用16,013ドル(39.5%)であった。死亡者の86%はなんらかの支持的サービス(ナーシングホーム、在宅ケア、ホスピス)を受けており、しかもこれら費用の大半はメディケイドが負担していた。年齢別に見ると、高齢になるほど急性期医療費は減少する反面、長期ケア費用が増加した。死亡前月別の費用をみると、死亡直前(死亡前2~3か月以内)に費用が急増するのはメディケアの急性期医療費のみであった。

この結果に基づいて、著者は死亡前医療費の政策を検討する際には、急性期医療費と長期ケア費用の両方を同時に検討することが死活的に重要であると強調している。

二木コメント-日本ではまだ高齢者の死亡前医療費のみが注目されていますが、この論文のように、医療保険データと介護保険データを接合して、医療・福祉費総額を検討する必要があると思います。

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4..私の好きな名言・警句の紹介(その26)-最近知った名言・警句等

<研究と研究者のあり方>

<悩み、後悔、絶望、性格は変わらない、死よりも生>

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