『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻27号)』(転載)
二木立
発行日2006年11月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)
目次
- 1.拙論1:安倍政権の医療政策の方向を読む
- 2.拙論2:社会保障個人会計の導入は羊頭狗肉
- 3.拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』出版のお知らせ
- 4.学位請求論文「介護保険の総合的研究」のお知らせ
- 5.2006年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その7)
- 6.私の好きな名言・警句の紹介(その23)-最近知った名言・警句
1.拙論1:安倍政権の医療政策の方向を読む
(「二木教授の医療時評(その33)」『文化連情報』2006年11月号(344号):67-68頁)
安倍晋三首相は9月26日に新政権を発足させました。閣僚の顔ぶれを見ると、安倍首相の政治信条に近い保守色の強いメンバーが閣僚や官邸スタッフに登用されたことが目につきます。しかも厚生労働大臣には旧大蔵省出身で財政再建論者の柳沢伯夫氏が就くなど、社会保障に多少なりとも理解のある閣僚は1人もいません。
それだけに、安倍政権が小泉政権が押し進めてきた厳しい医療費抑制政策を引き継ぐことは確実と言えます。他面、安倍政権が小泉政権を上回る激しい医療制度改革を行う可能性は、少なくとも当面はない、と私は考えています。その理由は3つあります。
第1は、6月の通常国会で成立した医療制度改革関連法により、5~6年先までの改革の大枠が決められているからです。第2は、安倍首相の関心と野心が外交・安全保障問題と教育基本法改正に集中し、医療制度改革についての独自の主張はないからです。ベストセラーになっている著書『美しい国へ』(文春新書)は医療制度改革についてまったく触れていませんし、9月29日の所信表明演説の「健全で安心できる社会の実現」の項でも、医療(や介護)についてはわずか130字しか触れておらず、しかもその内容は「政策の重点を予防へと移し、健康寿命を延ばす『新健康フロンティア戦略』を推進します」等、厚生労働省の現在の政策をそのまま引き写したものになっています。第3は、安倍政権の帰趨を決める来年の参議院選挙の前に、国民に新たな追加負担を強いる医療制度改革を示すとは政治的に考えにくいからです。
と同時に私は、安倍政権の下で、小泉政権末期には一時下火になっていた、医療分野への市場原理導入(新自由主義的改革)の「声」が再び大きくなる可能性が高いとも判断しています。その理由は、安倍首相が、経済財政担当相に、小泉政権の下で新自由主義的改革を推進した竹中平蔵氏直系で経済財政諮問会議「民間議員ペーパー」の下書きをしていた大田弘子氏を、経済財政諮問会議の新民間議員に八代尚宏氏(国際基督教大学教授)を選んだからです。ちなみに、イギリスの「エコノミスト」誌は、大田氏を「竹中氏の子分(protege)」と紹介しています(9月30日号34頁)。なお、もう1人の学者出身の民間議員である伊藤隆俊氏(東京大学大学院教授)は、マクロ経済の専門家で、私の知る限り、今まで医療制度改革について発言したことはありません。
八代尚宏氏の医療改革論
八代尚宏氏は、これまで規制改革・民間開放推進会議総括主査として、医療・社会保障分野への市場原理導入を主張し、厚生労働省や日本医師会と激しく対立してきました。八代氏の前任者の本間正明氏(大阪大学大学院教授)が医療問題にはまったくの素人だったのと異なり、厚生労働省や日本医師会にとっては手強い相手なると言えます。
八代氏は就任が内定した直後のインタビューでも、さっそく「特に医療では、すべての医療費を公的保険で賄うという発想を変えて、政府が責任を持つ公的医療と民間に任せる医療の2つがあると考えれば、民間の医療ビジネスが発展できる」と、混合診療の全面解禁と株式会社の医療機関経営解禁につながる主張を展開しています(「読売新聞」10月5日朝刊)。
ちなみに、八代氏は、まだ経済企画庁官僚だった1980年に、国民皆保険制度の解体とアメリカ型の民HMOへの転換を、日本で最初に提案しました(『現代日本の病理解明』東洋経済,1980,165,206頁)。さすがに最近はこのようなストレートな主張は控え、逆に、「日本の国民皆保険制度は米国にない優れたもの」と主張することもあります(「日本経済新聞」2002年6月26日朝刊)。しかし、他方で、これからの社会保障改革について「市場原理の米国方式を原則に、それを改良」していくことも主張しています(「朝日新聞」1999年12月11日朝刊)。
それだけに、今後、経済財政諮問会議の場で、八代氏が他の大企業出身の民間議員と共同で、新自由主義的医療改革(その焦点は混合診療と株式会社の医療機関経営の全面解禁)を声高に主張する可能性が高いと私は思っています。経済財政諮問会議の別働隊と言える規制改革・民間開放推進会議も、年末の最終答申の「重点課題例」に株式会社の医業経営参入を入れることを検討していると報じられています。
しかし、新自由主義的医療改革は、企業にとっては新しい市場の拡大を意味する反面、医療費増加をもたらすため、(公的)医療費抑制という「国是」と矛盾するという「本質的ジレンマ」があり、しかも国民の大多数が平等な医療を支持しているため、それの全面実施はありえない、と私は考えています(この点について詳しくは、本誌6月号掲載の本「医療時評(28):21世紀初頭の医療改革の3つのシナリオ」参照)。
2.拙論2:社会保障個人会計の導入は羊頭狗肉
(「二木教授の医療時評(その34)」『文化連情報』2006年11月号(344号):68-69頁)
本誌6月号に掲載した「医療時評(28):21世紀初頭の医療改革の3つのシナリオ-第1回日韓共同シンポジウムでの報告より」で、私は次のように書きました。「2001年の『骨太の方針』に盛り込まれていた『社会保障の個人会計システム』(個人レベルでの社会保障の給付と負担が分かる情報提供を行う仕組み)は、社会保障の所得再分配機能を否定する『学者の作文』であり、現在まで経済財政諮問会議内ですらまともに検討されていません」。
この記述に対して、複数の研究者から「このように断言していいのか?」と疑問が出されました。なぜなら、3月7日の経済財政諮問会議に民間議員が提出した文書「『歳出・歳入一体改革』と社会保障の在り方について」には、「個人レベルで社会保障の給付と負担が分かるように情報提供を行う仕組みとして、いわゆる『社会保障の個人会計』を導入する」と明記されていましたし、当日の会議でも、それについて小泉首相を含めた討論が初めてなされた、とされているからです。
さらに、7月7日に閣議決定された「骨太の方針2006」にも「社会保障個人会計(仮称)について、…検討を行う」と明記されていました。これに先だって、「日本経済新聞」は5月7日朝刊1面で、「政府は、個人に番号を付けて社会保障の給付・負担の情報を一元管理する社会保障個人会計制度の導入に向けた検討を本格化する」と、大きく報道しました。
これらをみると、社会保障個人会計は「現在まで経済財政諮問会議内ですらまともに検討されていません」という私の上記表現は誤りのように見えます。しかし、3月7日の経済財政諮問会議の「議事要旨」(4~6頁)と「骨太の方針2006」をていねいに読むと、そうではないことが分かるのです。
まず「議事要旨」を読むと、そこで議論されたのは、2001年の「骨太の方針」で提起されたような「個人レベルでの社会保障の給付と負担が分かる」社会保障の個人会計システムではなく、アメリカの社会保障番号(SSN)的な各種社会保険料拠出記録の個人単位での一元化です。具体的には、「社会保障番号はやはり必要だ。…他の先進国では既にある国がたくさんある…。具体的には、米国でもどこでもいいと思う…」(吉川議員)、「[社会保障番号は]アメリカがやっている」(牛尾議員)、「SSNという名前で」(奧田議員)等と、社会保障個人会計から社会保障番号に問題を(意識的に?)すり替えた議論がなされただけでした。しかも、それについてさえ、小泉議長は最後に「難しい方法」と認めていたのです。
次に「骨太の方針2006」では、社会保障番号と社会保障個人会計(仮称)の扱いは峻別されています。具体的には、前者については「導入」の「検討を行う」と書かれているのに対して、後者については単に「検討を行う」とされているにすぎないのです。この点では、「骨太の方針2001」に「『社会保障個人会計(仮称)』の構築に向けて検討を進める」と強い調子で書かれていたのと比べ、大幅な「後退」と言えます。論より証拠。「骨太の方針2006」を受けて、厚生労働省、財務省、総務省の3省や内閣府が発足させた「関係省庁連絡会議」が検討しているのは社会保障番号です(同会議は9月22日に「論点整理」をまとめました)。
そのために私は、日本でも、今後アメリカ的な社会保障番号が導入される可能性は否定できないが、「個人レベルでの社会保障の給付と負担が分かる」社会保障の個人会計システムが導入される可能性はないと判断しています。私の知る限り、そのような制度を導入している国もありません。ただし、経済財政諮問会議の新民間議員が、医療・社会保障分野への市場原理導入ををめざして、今後、社会保障個人会計の話しを何度も(無益に)蒸し返すのもほぼ確実と思っています。
それにしても、毎度お馴染みのこととはいえ、経済財政諮問会議の民間議員や規制改革・民間開放推進会議の主観的願望をあたかも既定の事実のごとく報じる「日本経済新聞」の「お騒がせ記事」には困ったものです。ただし公平のために言えば、同新聞には、社会保障番号(内容的には社会保障個人会計)の「利点、欠点を明にしながら、慎重な検討が必要」と冷静に分析する記事も掲載されています(9月11日夕刊「社会保障ミステリー」。執筆者は山口聡編集委員)。
3.拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』出版のお知らせ
本「ニューズレター」25号の冒頭で予告した上掲書を勁草書房から11月20日に出版することになりました(224頁、2400円+税)。「本書は、私が過去35年間の勉強と研究を通して身につけた、医療経済・政策学、広くは社会科学研究の視点と方法、技法を集大成したもので、『講座 医療経済・政策学』の『関連書』でもあります。(中略)私が本書に込めた願いは、読者が、本書を通して、医療経済・政策学に限らず、社会福祉学、社会学等の社会科学の勉強と研究の意義と面白さ、および厳しさを理解し、自分なりの研究の視点と方法、技法を身につけるヒントを得ることです」(はしがきより)。章立ては以下の通りです。「はしがき」全文と「あとがき」のファイルを、勁草書房の許可を得て添付します(『医療経済・政策学の視点と研究方法』より「はしがき」・「あとがき」勁草書房,2006:PDF)。お買いあげいただき、御批判・御高評いただければ幸いです。
- はしがき
- 第1部 医療経済・政策学の視点と研究方法
- 第1章 医療経済・政策学の特徴と学習方法
- コラム1:2005~2006年に出版された主な医療経済学教科書
- コラム2:日本語で書かれた医療経済学の主な教科書・関連書
- コラム3:私が毎号チェックしている医療経済・政策学関連の英語雑誌
- コラム4:私の好きな名言-医療経済・政策学研究者に必要な資質
- 第2章 医療政策の将来予測の視点と方法
- コラム5:私の好きな名言-将来予測のスタンスと将来展望
- 第3章 医療政策の分析枠組み-21世紀初頭の医療改革の3つのシナリオ
- 第2部 私の研究の視点と方法
- 第4章 私の研究の視点と方法-リハビリテーション医学研究から医療経済・政策学研究へ
- コラム6:GIGOとSignificantosis
- コラム7:私の書評パターン
- 第5章 資料整理の技法-医療経済・政策学分野を中心に
- コラム8:私の英語勉強法
- コラム9:私のThe Economistチェックの手順
- コラム10:二木立氏のプロフィル
- 付録 大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書
- あとがき
- 初出一覧
お知らせ:
医療経済研究機構で、12月11日(月)4時~5時半に、本書についての講演を行います。ご興味のある方は、医療経済研究機構の担当者(草開義隆氏。電話:03-3506-8529, Fax:03-3506-8528)に直接お問い合わせ下さい。同機構の賛助会員向けの講演ですが、座席に余裕がある場合は、参加を受け付けてもらえるかもしれません。
4.学位請求論文「介護保険の総合的研究」のお知らせ
9月29日に日本福祉大学大学院社会福祉学研究科に学位(社会福祉学)請求論文「介護保険の総合的研究-批判、予測、検証および改革提案」(全182頁)を提出しました。
本論文は、私が1995年から2006年までの12年間行ってきた介護保険に関する政策研究と実態調査研究を集大成したもので、この間発表した55論文(講演録やインタビュー、対談・座談会等は除く)のうち主要18論文を発表時期とテーマごとに5つの章と補章に整理して収録すると共に、序章でそれらの「解題」を行いました。収録にあたって元論文の誤植の訂正と表記法の統一を行いましたが、各論文は「歴史の証言」として、内容の変更は敢えて行いませんでした。その結果、本論文は、厚生労働省による介護保険の公式の解説や通史には欠落している重要な事実や視点を多数含んだ「もう1つの介護保険史」になったと自負しています。本論文の章立ては以下の通りで、2007年3月に勁草書房から単行本として出版する予定です。
- 序章
- 第1章 介護保険論争の原点
- 第2章 介護保険法成立前の論争と中間総括
- 第3章 介護保険開始直前の評価・予測と保健・医療・福祉複合体
- 第4章 介護保険制度開始直後の現実の検証
- 第5章 2005年介護保険制度改革と新予防給付
- 補章
私が「六十(59歳)の手習い」で、博士論文をまとめた理由は以下の通りです。
私が拠点リーダーを務める日本福祉大学21世紀COEプログラムは、昨年の「中間評価」で「特定分野に特化した大学としては1つの方向性を示している」と、大枠で肯定的評価を受けました。他方、いくつかの問題点の指摘や改善のための助言を受け、その1つに「事業担当者の教員のうちに博士の学位を取得していない者がいるが、彼らがまずその取得を心がけるべき」がありました。
COE推進本部会議(学長が議長)とCOE推進委員会(私が責任者)では、これを真摯に受け止め、事業担当者の教員だけでなく、本プログラムに参加しているできるだけ多くの教員が本プログラム終了(2007年度)までに博士号取得をめざすことを確認しました。私自身はすでに医学博士号(東京大学)を取得していますが、拠点リーダーとして率先垂範して、もう1つの学位取得に挑戦することにしました。
5.2006年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その7)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○「モラルハザードとリスク回避とのトレードオフの再検討」(Newhouse JP: Reconsidering the moral hazard-risk avoidance tradeoff. Journal of Health Economics 25(5):1005-1014,2006.[規範的研究]
一般に受け入れられている需要サイドの最適費用負担モデルは、モラルハザードとリスク回避がトレードオフの関係にあることを前提にしている。このモデルは、医療貯蓄口座・医療償還口座のように、[高額の免責額設定により]患者の初期負担を増やす最近の動きの理論的根拠となっている。しかし、特定の薬剤に対する患者負担の引き下げが将来の総医療費を減少させうる、あるいは(and/or)将来の健康レベルを改善するという証拠もあるし、このことは他の医療サービスにも当てはまる可能性がある。個人が同一の共通保険に加入し続けるとい条件のもとでは、患者負担を引き下げて特定のサービス利用を誘発し、それにより総費用を減少させることは、補助金正当化の古典的な事例であるし、雇用主の労働費用を最少化するであろう。たとえ総費用が増加する場合にも、健康レベル上昇による価値は増加するであろう。このような補助金は自己コントロール問題を解決するための行動経済学の最新知見とも一致する。
二木コメント-ニューハウス教授(ハーバード大学)はフュックス教授(スタンフォード大学)と並ぶ、アメリカの医療経済学界の長老です。フュックス教授が制度派経済学に傾斜しているのと異なり、ニューハウス教授は今まで主流派(新古典派)経済学の枠内の実証分析や主張をされることが多かったと思います。しかし、教授はこの論文では、教授自身の過去の研究を含めて、医療需要についての「伝統的な見方」に根源的な批判を加えており、その「知的正直」に私は感銘を受けました。ただし、教授の立論の大前提となっている「個人が同一の共通保険に加入し続けること」は、民間保険主導のアメリカでは満たされていないことも見落とすべきではないと思います。
○「農村部の病院の長期ケア[統合]戦略の財政的結果」(Stuart B, et al: Financial consequences of rural hospital long-term care strategies. Health Care Management Review 31(2):145-155,2006)[量的研究]
電話調査等により得られた全米の540の農村部病院の1982-1997年の諸データを分析して、長期ケア統合戦略が病院の財政パフォーマンスに与える影響を検討した。統合には内的統合と外的統合があり、内的統合とは病院自体がナーシングホームまたは在宅ヘルスケア機関を所有・運営すること、外的統合とは病院が独立したナーシングホームまたは在宅ヘルスケア機関と患者紹介についての公式契約を結んでいることである。重回帰分析の結果、長期ケアの統合戦略は、全体としては、利益率の向上と病床利用率の上昇をもたらしていた。ただし、費用削減は外的統合戦略を採用した病院のみで生じていた。
二木コメント-私流に言えば、病院の複合体化戦略の経営効果を実証した珍しい論文です。ただし、アメリカの「長期ケア」は日本流に言えば「亜急性期ケア」です。
○「閉鎖したナーシングホームの諸特性」(Castle NG: Characteristics of nursing homes that close. Health Cara Management Review 31(1):78-88,2006.)[量的研究]
1992年4月~1998年4月のほぼ6年間に州政府からメディケア/メディケイドの給付対象と認可された全米の13,212のナーシングホームを対象として、ナーシングホームの閉鎖率と閉鎖したナーシングホームの特性を検討した。この期607(4.6%)のナーシングホームが閉鎖していた。離散型ロジット・モデルを用いて、各特性別に閉鎖確率を計算したところ、以下のナーシングホームの閉鎖確率が有意に高かった:(1)メディケイドの償還額が低い州のナーシングホーム、(2)ナーシングホーム間の競争が激しい州のナーシングホーム(これは病院閉鎖と類似)、(3)病床数が少ないナーシングホーム、(4)営利のナーシングホーム、(5)病床利用率の低いナーシングホーム、(6)メディケイド患者の割合が高いナーシングホーム、(7)ケアの質が低いナーシングホーム。
ただし、著者はナーシングホームの閉鎖率は非常に低く、1年当たりでは1%に満たないことにも注目すべきだと指摘している。
二木コメント-私は、最後の1文が一番重要と思います。この論文は、本「ニューズレター」10号で紹介した同じ著者による「ナーシングホームの閉鎖とケアの質」と調査対象がほぼ同一であり、「姉妹論文」と言えます。
○「米国の[単独]透析施設の[技術的]効率は透析チェーン加入で変化するか?」(Ozgen H: Does chain affiliation make a difference in efficiency of dialysis providers in the USA? Social Science & Medicine 62(9):2112-2124,2006)[量的研究(DEA)]
米国の透析市場では、透析施設の透析チェーンへの加入(affiliation)が加速しているが、このような統合(consolidation)戦略が透析施設の技術的効率にどのような影響を与えているかについてはほとんど知られていない。本研究では、「メディケア・メディケイド単独透析施設費用報告」を用いて、1994~2000年に生じた単独透析施設の透析チェーン加入が技術的効率性を向上させたか否かを検討した。対照群のある多重時系列モデルに基づき、技術的効率性は異時点間のDEA(包絡分析法)により算出した(具体的には、個々の透析施設の技術的効率性指数は、外来透析回数等の出力変数の加重和に対する労働費用等の入力変数の加重和の比を、最も効率的な施設の比で割ることにより算出する。最大値は1)。その結果、透析チェーンに加入した透析施設の効率性指数の平均値は加入前も加入後も、単独透析施設よりも高かったが、差は統計的に有意ではなかった。しかも理論的予測に反して、全米最大手および2番目の透析チェーンへの加入により、効率性は向上していなかった。この結果に基づいて著者は、透析チェーン加入による効率性の向上は、チェーン加入自体によってではなく、組織の成熟または学習により生じたと主張している。
二木コメント-透析チェーン(特に最大手チェーン)加入より技術的効率は必ずしも向上しないとの調査結果は貴重です。なお、DEAは個々の事業体(DMU)の経営効率を測定するために開発された手法で、私には「技術的効率性」はほとんど経営効率と同義に見えます。少なくとも、費用効果分析等の臨床経済学で用いられる「技術効率」とは異なり、医療サービスの質はほとんど考慮されません。
ただし、DEAに詳しい河口洋行氏(国際医療福祉大学)にお聞きしたところ、「マネジメント効率性=費用効率性÷技術的効率性」と定義されているそうです(刀根薫『経営効率性の測定と改善』日科技連,107頁)。実は、私の指導している大学院生(韓国からの留学生)がDEAを用いた「複合体」の効率研究を行っており、この間DEAについての教科書(本「ニューズレター」24号で紹介)や実証研究論文を少し読んでみた次第です。
○「[アメリカの]病院サービス産業の市場構造と技術的効率性:DEA法」 (Bates LJ, et al: Medical Care Research and Review 63(4):499-524,2006)[量的研究(DEA)]
DEA法と多重回帰分析を用いて、アメリカの大都市圏において、さまざまな市場構造要素(elements)が病院サービス産業の技術的効率性に与える影響を実証的に検討した。ただし本研究の分析単位は個々の病院ではなく、316の大都市圏ごとの全コミュニティー病院の平均値であり、これを「病院サービス産業」と呼ぶ。市場構造要素は各大都市圏ごとの競合病院の数、当該大都市圏の存在する州内のHMO浸透率、同民間医療保険集中度の3つとした。DEA法による技術的効率性を算出するための出力変数としては入院患者延べ数等5項目、入力変数としては病床数等6項目を用いた。その結果、病院サービス産業全体では1999年に11%の非効率が存在することが明らかになった。次に多重回帰分析を行ったところ、HMOの浸透率や支配的民間保険の市場支配度が高いほど、病院サービス産業の技術的効率性レベルが高い傾向が見られた。それに対して競合病院の数は技術的効率性には影響していなかった。さらに、やや意外なことに、州のCON法(客観的医療ニーズ指標に基づいて病院の高額医療機器導入を規制)により非効率が強まっていることもなかった。
二木コメント-著者によると、本研究は市場構造が病院のX非効率(組織管理上の不備からくる非効率)に与える影響を、病院産業(大都市圏の病院の平均値)レベルで初めて検討した論文だそうです。しかし、本研究の結果は、民間医療保険(HMOを含む)主導のアメリカ以外の国々には適用できないと思いますし、本来個々の事業所(DMU)単位で行うDEAを大都市圏の「病院サービス産業」単位の分析に拡張することにも疑問が残ります。
○「ノルウェイとフィンランドの病院の費用効率の比較」(Linna M, et al: Comparing hospital cost efficiency between Norway and Finland. Health Policy 77(3):268-278,2006.[量的研究(DEA)]
フィンランドとノルウェイの病院の1999年の全国退院患者データ等を用いて、両国の病院の費用効率の比較を行った。対象は両国のそれぞれ47,51の公立一般病院であり、費用と出力の指標の定義を同一にした。費用効率の計算はDEAで行い、出力指標はDRG分類による入院患者数、外来患者数、デイケア日数と在院日数、入力は固定費用を除いた純病院営業費(net hospital operating costs)とした。
その結果、両国内および両国間で著名な効率の差が見られた。フィンランドの病院では費用効率のバラツキがより大きかったが、費用効率の平均値はノルウェイの病院の方が17-25%低かった。最後に著者は、本研究はまだ予備的ものだが、費用効率分析を医療費の国際比較研究に統合することが可能でありかつ重要であると示せたと主張している。
二木コメント-私には、論文の「費用効率」は、上掲2論文の「技術的効率」と同じように思えます。
6.私の好きな名言・警句の紹介(その23)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 阿部修人(故阿部謹也氏の次男)「これ[学長の仕事]はフィールドワーク、そんな言い方をする人だった」(「朝日新聞」2006年10月16日夕刊の「惜別」欄で紹介。執筆者は河合真帆氏)。二木コメント-9月4日、71歳で、人工透析中に急死された歴史学者の阿部謹也氏は、重い腎臓病を抱えながらも、2期6年(1992~98年)にわたり一橋大学長を務められ、「独立行政法人化を控え、学生も拒否権を持つ学長選考規定の変更を国から迫られるなど、大転換期の激務をこなした」方です。その方にして、この言葉!?
- 藤原帰一(東京大学教授)「学者は『分からない』と言う権利や、むしろ責任があるけど、記者は言えないんですね」(「朝日新聞」2006年10月9日朝刊「世界は単純じゃない」)。
二木コメント-私も、ちょうど30年前(1976年4月27日)に、渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書,1976,13頁)を読んで、「知的正直(intellectual honesty.分からないのにわかったふりをしない)」という言葉を知って以来、これを励行してきたツモリです。例えば、講演の冒頭で必ず「どんな質問にも、私の分かる範囲で具体的にお答えします。分からないときには、正直に分からないと言います」と述べるようにしています。 - 円地文子(作家。故人)「いいですか。小説家の書いたものなど、死ねば3年と持ちませんよ。2年もたてば、どんな流行作家も見捨てられてしまいます。生きているうちが勝負ですよ。書きに書いて、書き死にする覚悟がなければ」(瀬戸内寂聴「時代の風-歳月」「毎日新聞」2006年10月8日朝刊。円地文子が「私に口癖のようにたびたびおっしゃった」言葉)。二木コメント-このような「覚悟」は、作家だけでなく研究者も持つべきと思います。
- 山口二郎(北海道大学法学部教授)「具体的な問題に取り組む手間暇を避けようとする者が、安直に精神論を振りかざす」(『週刊東洋経済』2006年10月7日号150頁。「具体策を論じない新保守という精神主義」)。二木コメント-これは、安倍晋三新首相を批判した言葉ですが、社会福祉学等の研究者にも、具体的な問題に取り組むことなく、「福祉の理念」や「新たなコンセプト」といった「精神論を振りかざす」だけの方が少なくないと思います。私はこれを読んで、レーニンの次の名言を思い出しました。「抽象的な真理はない[存在しない]。真理は常に具体的である」( 「再び労働組合について、現在の情勢について」『レーニン全集第32巻』大月書店,92頁 )。私はこれを、ちょうど40年前の大学1年時(1966年)に知り、それ以来座右銘の1つにしています。
- リチャード・ハース(アメリカ・外交問題評議会会長)「意見交換は、対立する相手を承認することではない」(定森大治氏が「朝日新聞」2006年9月28日夕刊の「窓 論説委員室から-米シンクタンクの勇気」で紹介。イランのアフマディネジャド大統領をセミナーに招いたことへのライス米国務長官等の批判への反論)。二木コメント-私の経験では、「精神論を振りかざす」研究者は、思想的立場を問わず、対立する相手との意見交換を拒否する傾向があります。
- 井村雅代(前シンクロナイズド・スイミング日本代表ヘッドコーチ)「シンクロの素質とは、手足の長さ、水への感性、柔軟性など。私は、『心の才能』を最も重視する。例えば、人の言葉を率直に聞くことだったり、いい映画や演劇に感動したり……。心が動かない人、挑戦する前にできないと決めつけるような人は成長しない」(「日本経済新聞」2006年9月19日朝刊「スポートピア-素直さは『心の才能』」)。二木コメント-井村さんの教育(者)論はいつも的を射ており、大学院生指導時にも大いに参考になります。「『叱る』という育て方」のいくつかの原則を示した「日本経済新聞」2003年10月14日夕刊のインタビューも必読と思います(本「ニューズレター」14号でそのサワリを紹介)。
<批判の禁じ手>
- 石原武久(関西学院大学商学部教授)「わが身を安定した高台に置きながら、現場に向かって[やる気がない!等の-二木]激しい殺し文句をもって叱咤激励する。それは独裁者に与えられた権限であるとしても、決して研究者や専門家に与えられた権限ではない。現場を勇気づけるような理論を目指そうとする限り、こうした殺し文句は封印しなければならない」( 「届かぬ理論 第6回-やる気がない!」『書斎の窓』2006年10月号50頁 )。
- 竹中平蔵(前・総務大臣)「批判は3通りに分類できますよ。1つは、逆のことを言えばいい。(中略)これはコントラリアン的批判、逆張り批判のパターンです。第2のパターンは、永遠の真理を言えばいい。(中略)永遠の真理を持ち出すのは、対案なしに逃げているのと同じだ。第3の批判がラベルを貼ることです。決めつける。決めつけるというのは、そこで思考停止。問答無用で議論打ち切りなんですね」(『週刊東洋経済』20006年10月7日号109頁)。二木コメント-私は竹中氏の経済思想には反対ですが、この指摘は的を射ていると思います。私も、介護保険制度や医療保険制度改革を批判する場合に、このようなパターンに陥らないようにしてきたツモリです。この批判の分類を読んで、私は、32年前に読んだ、ロシアの作家ツルゲーネフが言ったというもう1つのズルイ批判の仕方を思い出しました。
- 須賀三郎「ツルゲーネフにいわせると、他人をやっつけるときには、自分の欠点を相手におしつけて批判するのがよいそうだ。これには3つの利点がある。1つは、自分の欠点だから、細かいところまでよくわかって攻撃しやすい。2つは、それを攻撃することによって、自分の良心を満足させることができる。第3に、この欠点を攻撃することによって、ひとは、その欠点を、まさか攻撃者が持っているはずはないと信ずるからである」(「転身と変節の系譜」『前衛』1974年10月号201頁)。
<祝・中日ドラゴンズ、セ・リーグ優勝(10月10日)>
- 落合博満(中日ドラゴンズ監督)「オレには目標とする監督なんていない。だってそうだろう?能力が違うし、チームも違うんだから」(「中日スポーツ」2006年10月11日)。
二木コメント-私の「教育信条」の第1も、「人権・人間の尊厳は平等だが能力は不平等(の人間観に立って、各人の能力を最大限伸ばす)」です。 - 落合博満「野球は誰のためにやる?自分のためだろう?ファンのため?だれかのためと言う人がいるけど、それはみんなウソだ。オレはだれに好かれようとか思わないから建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいい。でも正直なやつは嫌われるんだ。まあオレを嫌いだというやつがいても、そいつをオレは知らない。放ってくれだ!ハハハッ…」(「日刊スポーツ」2006年10月11日)。
- 落合博満「同じ負けでも、手を打たなくて負けたなら悔いが残るが、手を打ったのだから仕方ない。勝ち負けの世界だから、腹も立たない」(「中日新聞」2006年10月14日朝刊「2006ドラゴンズ リーグ優勝特集」。6月11日、日本ハム戦。今季初のスクイズも、あと一歩及ばず)。
- 原辰徳(読売巨人軍監督)「シーズン終盤の阪神、中日の選手からは重圧を受けた中の集中力を感じた」(「朝日新聞」2006年10月11日朝刊。中日ドラゴンズがリーグ優勝を決めた日の談話)。
- 野村克也(楽天監督)「オレと落合の野球観は共通するところが多い。けど決定的な違いがある。それは、落合が楽天家であることだ。だからコーチと完ぺきな信頼関係で結ばれている。悲観論者のオレにはそれができない。コーチを信じ切ることができる落合ってのはすごい」(「中日スポーツ」2006年10月11日)。
- 川上憲伸(中日ドラゴンズのエース)「エースと呼ばれる人は昔から『オレが』というタイプの人が多かったと思うんです。良くも悪くも我が強いというか。でも、僕の場合は何かこう周りから支えてもらってるような雰囲気がある。“大黒柱"というけど、柱に例えれば自分で立っているというよりも、みんなが周りから棒か何かで支えてくれているような」(「スポーツニッポン」2006年10月11日)。
- 川上憲伸「この10年間で一番、悩んだんじゃないですか。(中略)でも、悩んだって言っても、きっと大したことじゃないんです。普通に生きてますから」(「中日スポーツ」2006年9月16日。1カ月間3連敗で悩みぬいたが、阪神との首位決戦の大一番で、8回を被安打3、無失点の熱投)。
- 蔵本貴充(中日ドラゴンズ英智選手の兄で飲食店経営)「前進できなくてもいい。ゆっくりでいいから足踏みだけは続けなさい」(「中日新聞」2006年10月9日朝刊「竜よ!」。英智選手が伸び悩んだとき、メールでこう励ました)。二木コメント-他人には見えないところで必死に努力しているのに成果が上がらない状態を「アヒルの水掻き」(水面に優雅に浮かぶアヒルも水面下では必死に水掻きをしている意)と言いますが、これにピッタリの英語表現に"a duck on a pond"があります。私は、2000年12月に、キアヌ・リーブスが元学生フットボールのスターを演じた映画「リプレイスメント(代理選手)」を観たときに、この英語表現を知りました。それ以来、ゼミ学生や院生が努力しているのにその成果が卒業論文や修士論文の草稿にまだ現れていないときのコメントに、これを用いるようにしています。
- 久本祐一(中日ドラゴンズ投手)「山本昌さんは『オレは昔、こうやって失敗したんだ』って、自分の失敗談を語ってくれる。救われる気持ちになったし、勉強になった」(「中日スポーツ」2006年9月17日。山本投手が、阪神との首位決戦第2戦で、史上最年長のノーヒットノーランを達成)。二木コメント-私の場合も、過去の失敗談を話したり、書いたりすると、大学院生や若手研究者から、親近感(?)を持たれます。新著『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房)でも、そのいくつかを書きました。
<気概・矜持>
- ヨアヒム・フェスト(ドイツの歴史学者。2006年9月11日死去、79歳)「Ich nicht(私はしない)」 (「朝日新聞」2006年10月23日夕刊「惜別」。葬儀の日に発売された自伝のタイトル。みんながやっても正しいと信じるまでは絶対に行わない、という意味が込められた)。
- ワンガリ・マータイ(ノーベル平和賞受賞者&ケニアの副環境相)「Unbowed(へこたれない)(「毎日新聞」2006年10月1日朝刊。10月3日に世界発売される自叙伝の題名。これを報じた記事の見出しは、「へこたれるなんて『もったいない』!!」)。
- 張西明(中国共産党中央宣伝部理論局副局長。日中共産党理論会談副団長)「革命家は永久に若い」(不破哲三『21世紀の世界と社会主義-日中理論会談で何を語ったか』新日本出版社,2006,188頁で紹介。75歳の不破議長(当時)が長い会談を続けていることに対する「褒め言葉」)。二木コメント-この言葉を読んで、私は金子満広氏の次の名言を思い出しました。
- 金子満広(日本共産党副委員長・当時)「『人生に余生はない』と思っているから、引退ではなく、交代だと思っています」(「朝日新聞」2000年6月2日朝刊)。
- 尾内康彦(大阪府保険医協会事務局次長。「なにわのトラブルバスター」)「誠実さと度胸。トラブル解決には、この2つが有力な武器になる」(『日経ヘルスケア21』2006年9月号「病医院トラブル110番日記」83頁)。二木コメント-これは、学部長等の管理業務をする上での極意でもあると思います。
<健康法(?)>
- 久保利英明(くぼり・ひであき。弁護士)「[健康法は?との質問に対して]嫌なことはせず、やりたいことだけする。それに尽きますね。ただ仕事とあれば耐えねばならないこともある。だから余計、ふだんの生活で我慢などしたくないのです」(「日本経済新聞」2006年10月16日朝刊「領空侵犯-健康志向行き過ぎでは」)。二木コメント-久保利さんが「タバコを吸い、酒は欠かさず、塩分も、カロリーも、紫外線も気にしない」のと逆に、私はタバコは吸わず、酒もつきあいでしか飲まず(social drinker)、毎日きちんと3食摂り、しかも早寝早起き(8~10時就寝、4~7時起床)という「健康優良児(爺)」のような生活をしています。しかし、それでも、久保利さんと同じく、健康に気を使うことが「正しいこと、みんなが心がけるべきことと決めつける風潮」には疑問を感じています。その最たるものが、生活習慣病対策です。私は、久保利さんの言葉を読んで、『失楽園』(渡辺淳一著、講談社)の書評で引用されていた、同書の次の「教訓」を思い出しました。「人間、どうせ老いぼれて死ぬんだから、やりたいときに、やりたいことをやっておかねばいかん」(「日本経済新聞」1997年3月2日朝刊。評者は、河合史夫氏。ただし、私は同書を読んんでいないので、この言葉が同書からの引用なのか、それとも評者自身の言葉なのかは不明)