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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻34号)』(転載)

二木立

発行日2007年06月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


講演のお知らせ

6月17日に東京で開かれる「NPO法人みんなの歯科ネットワーク設立記念シンポジウム」で、基調講演「世界の中の日本の医療と今後の医療改革-医療者の自己改革と『希望』を中心に」を行うと共に、その後のシンポジウムにも参加します。シンポジストは、桜井充氏(参議院議員・医師)、小島茂氏(連合生活局局長・中医協委員)、勝村久司氏(患者団体代表・中医協委員)、鈴木敦秋氏(読売新聞医療情報部)等、論客揃いのため、活発な討論・ディベイトになるかもしれません。ただし、私は歯科医療については触れません。


1.拙論:医療改革-敢えて「希望を語る」

(『日本医事新報』2007年5月26日号(No.4335):77-80頁)

はじめに-3つの希望

私は、日本の医療改革は、医療制度の2つの柱(国民皆保険制度と非営利医療機関主体の医療提供制度)を維持しながら行う必要があり、しかも医療の質と医療の安全を向上させるためには、「世界一」厳しい医療費抑制政策を見直し、公的医療費の総枠を拡大する必要があると考えています。と同時に、それを実現するためには、医療者が自己改革を行い、国民・患者の医療不信を払拭することが不可欠だとも考え、以下のような改革を提案しています。

それらは、個々の医療機関レベルでは、(1)個々の医療機関の役割の明確化、(2)医療・経営両方の効率化と標準化、(3)他の保健・医療・福祉施設とのネットワーク形成または保健・医療・福祉複合体(「複合体」)化の3つであり、個々の医療機関の枠を超えたより大きな制度改革としては、(1)医療・経営情報公開の制度化、(2)医療法人制度改革、(3)医療専門職団体の自己規律の強化の3つです(『医療改革と病院』勁草書房、2004、第Ⅱ章)。

このような改革は一見迂遠に見えるため、救急医療や産科・小児科医療を中心とした医師不足・医療危機に直面している医師・医療関係者からは「生ぬるい」と批判を受けることもあります。私自身も、小泉政権が強行した一段と厳しい医療費抑制政策が昨年臨界点を越え、このままではかつてイギリスが経験したような医療荒廃が生じると危機感を持っています(「無理な医療費抑制で医療と病院は崩壊寸前」『週刊東洋経済』2006年10月28日号108頁)。

と同時に、私は、昨年来、医療界とマスコミ、さらには安倍政権の政策の中にすら、小泉政権の絶頂期とは明らかに異なる動き・流れが生まれてきており、そこに一筋の希望があるとも考えています。そこで、本稿では、ルイ・アラゴン(フランス・レジスタンスの詩人)にならって、敢えて「希望を語ること」にします。

希望は、以下の3つに大別できます。第1は最近の医療制度改革の肯定面と医療者の自己改革の動き、第2は昨年来のマスコミの医療問題の報道姿勢の変化、第3は安倍政権が本年に入って実施した、小泉政権の医療・介護・福祉抑制策の部分的見直しです。

最近の制度改革の肯定面

まず、第1の希望について、私の提唱している「個々の医療機関の枠を超えた[3つの]大きな制度改革」に沿って述べます。

第1の医療・経営情報公開の制度化は、2005年以降相当進みました。主な改革は以下の4つです。(1)2005年4月に施行された個人情報保護法により、カルテ開示が事実上法制化されました。(2)昨年4月の診療報酬改定で、保険医療機関に対して医療費の内容の分かる領収書の発行が義務づけられました(この改革は患者代表の中医協委員の勝村久司氏が主導されました)、(3)本年4月に施行された第5次医療法改正により、医療機関の医療機能の情報公表制度が創設されました。(4)同法により新設された社会医療法人には事業報告書等の第三者への開示が義務づけられただけでなく、都道府県は一般の医療法人から提出された事業報告書等も第三者から請求があった場合には「閲覧に供しなければならない」ことになりました(第52条の2)。

第2の医療法人制度改革については、同じく第5次医療法改正により医療法人の非営利性と公益性が強化されました。具体的には、公益性をより強めた社会医療法人が創設されるとともに、今後新設される医療法人はすべて「持ち分なし」の基金拠出型法人とされました。医療法人の持ち分問題がほんの数年前まではタブーに近かったことを考えると、これは大きな前進と言えます。これについては、厚生労働省の「これからの医業経営の在り方に関する検討会」とそれの後継組織「医業経営の非営利性等に関する検討会」の座長をつとめ、卓越したリーダーシップを発揮して「報告書」をまとめあげた田中滋氏(慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授)の功績が非常に大きいと思います。

医療者の自己改革の動き

第3の医療専門職団体の自己規律の強化も、この数年相当進みました。それらは、医師会によるものだけでなく、各病院団体・医学会によるもの等、多岐にわたりますが、ここでは紙数の制約から医師会によるものに限ります。

まず日本医師会は、前執行部(植松治雄会長)以来、医師(会)の自浄作用を強調するようになっています。一例をあげると、2005年11月に発表された「自浄作用活性化推進に向けて ハンドブック」です。
最近の動きで特筆すべきことは、日本医師会が本年2月に発表した「医療提供体制の国際比較」で、それまでの方針を変更して、「医師の絶対数は不十分」と公式に認めたことです。これを発表した中川俊男常任理事は、「日医は偏在が医師不足の主たる原因と言ってきたが、それに加え、絶対数も十分ではないことがわかった」と述べ、今後は絶対数の不足も訴えていく方針を示しました(『日本医事新報』4321号10頁)。ちなみに、この報告書が発表されるわずか4か月前の昨年10月に開かれた医療科学研究所シンポジウム「地域医療を支える医師の確保に向けて」では、内田建夫常任理事は「医師の偏在」のみを論じて、絶対数の不足にはまったく触れませんでした(『医療と社会』16巻4号、2007)。

日本医師会が2005年度以降無過失補償プロジェクト委員会で検討してきた産科医療無過失補償制度が2007年度にも制度化される見通しが出てきたことも評価できます。実は、当初案ではこの制度の「趣旨」は金銭補償が中心だったのですが、医療被害者や弁護士等からの厳しい批判を受けて、現在では、金銭補償だけでなく、事故原因の分析・再発防止も大きな柱として位置づけられるようになっています。これと密接に関係する動きとしては、医師会・医療界の要請に応えて厚生労働省が3月に素案を発表し、4月から検討会を立ち上げた、医療版事故調査委員会(第三者機関)の設立の動きがあります(検討会の正式名称は、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」)。

さらに、都道府県・地域医師会レベルでも、市民・患者に目を向けた自己改革の動きが生まれています。この点で先駆的なのは愛知県医師会で、2002年以降、医療安全対策委員会と苦情相談センターを発足させています。さらに、2006年には、茨城県医師会が、全国初の医療の裁判外紛争解決(ADR)と言える「医療問題中立処理委員会」を発足させました。

医療改革についての「社説」に変化

第2の希望は、世論の形成に大きな影響を与えるマスコミの医療問題の報道姿勢が、昨年来(「日本経済新聞」を除いて)変化し始めたことです。この点は、小泉政権絶頂期の数年前とは様変わりしています。以下、全国紙4紙(「朝日」・「毎日」・「読売」・「日本経済新聞(以下、日経)」)の論調の変化を示します(4月上旬に「聞蔵」と「日経テレコン21」で検索。注記のない限り朝刊)。

まず「社説」の変化を述べます。小泉政権全盛期には、4紙とも社説で小泉政権の医療費抑制策を支持するだけでなく、それの徹底を主張していました。例えば、「朝日」2001年11月18日「恐れず、切り込め 医療制度改革」同2002年3月1日「抑制にはほど遠い 高齢者医療費」です。さらに、2002年に医療特区での株式会社の病院経営が解禁されたときには、経済紙である「日経」はもちろん、「朝日」・「毎日」・「読売」もそれを支持し、しかもその理由は総合規制改革会議(当時)の主張と瓜二つでした(「読売」8月24日「株式会社の参入阻む理由はない」「毎日」10月13日「医療株式会社 参入認めてサービスで競え」「朝日」10月20日「『病院会社』を試しては」。詳しくは、『医療改革と病院』134~135頁)。

それに対して、「朝日」と「毎日」は、昨年から、社説で、医療費抑制策に慎重姿勢を表明し始めました。具体的には、「朝日」2006年6月19日「医療改革 とても安心できない」同8月3日「社会保障 これ以上削れるか」「毎日」2006年6月15日「高齢者医療 行き場のない人に温かい目を」です。

特に8月3日の「朝日」社説は、「国民の生活に直結する社会保障について今後の青写真を示さず、やみくもに削れというのでは、不安をあおるだけだ」と小泉改革を批判した上で、「医療では、医師不足が深刻になってきた。医療費を抑える政策が続いた結果、病院の医師の勤務が厳しくなり、開業医に流れることが、一因となっている」と、医療費抑制政策が医師不足をもたらしたことを社説としては初めて指摘し、注目に値します。なお、「朝日」は1990年代に大熊由紀子氏(現・国際医療福祉大学大学院教授)が医療問題の社説を担当していた時期には、医療費抑制政策の見直しを訴える社説をたびたび発表しており、最近の変化はそれへの「先祖帰り」とも言えます。

それに対して、「日経」は、相変わらず、医療効率化=医療費抑制一本槍の社説を掲げ続けています。2006年2月11日「医療効率化もっと踏み込め」同年6月16日「医療改革に終わりはない」等です。「読売」は、昨年以降、医療費抑制策に正面から触れた社説を掲載していません。

一般の医療記事にも論調の変化

次に、一般の医療記事の変化を検討します。結論的に言えば、論調の変化は社説よりも
はるかに鮮明です。

この点でも、「朝日」と「毎日」の論調の変化が際だっています。両紙は、今年に入って、医療危機(「朝日」)・医療クライシス(「毎日」)という用語を常用し始めました。さらに、「毎日」は1月23日から社会部が「医療クライシス」の連載を始め、「朝日」も4月2日から田辺功編集委員が「医療危機」の長期連載を始めました。

さらに、3月末~4月初旬には、「読売」、「朝日」、「毎日」が相次いで、医師不足・医療荒廃についての独自調査を発表しました。「読売」は3月29日に、全国の救急病院が過去5年間で約1割減少したとする調査結果を発表しました(「減少する救急病院」)。「朝日」は4月2日に、全国80大学の産婦人科医局に実施した調査で、大学病院でも医師不足が深刻になっている実態を明らかにしました(「医師不足 産科 大病院もピンチ」)。「毎日」は4月3日に、全国の500床以上の病院と「全国ガンセンター協議会」加盟の病院を対象にして、患者の手術待ち期間を調査した結果、回答した病院の3割以上が「5年前と比べ待機期間が延びた」と答えたと報じました(「大規模病院 手術待ち『伸びた』3割」)。3紙が相次いで独自調査を行ったことは、各紙が医師不足・医療危機の深刻さにようやく気づき、それの取材に本腰を入れるようになった現れと言えます。

もう1つ注目すべきことは、社説で医療費抑制政策に慎重姿勢を示すようになった「朝日」と「毎日」だけでなく、「読売」も、今年に入って、日本の医療費水準が「先進国でも最低水準」である事実を報道するようになったことです(「読売」1月18日「医療費の将来推計」。執筆者は社会保障部阿部文彦氏)。この点については「毎日」が突出しています。例えば、同紙は1月23日1面の「『高額医療費』は幻想」の見出しの記事で、「地方だけでなく、大都市にも『医療崩壊』が広がり始めた背景には、日本の低医療費政策がある」ことを、詳細なデータを示して論じました。

それに対して、「日経」だけは、この基本的事実を一度も報じないだけでなく、逆に、経済財政諮問会議民間議員と一体となって、日本医療が「高コスト構造」であるとの主張を繰り返しています(2006年11月11日「社会保障、始動した『大田財相改革』-民間議員と同盟、高コストにメス」-執筆者は大林尚編集委員-等)。これでは、「日経」のみを読んでいる国民は、日本の医療費水準が欧米諸国に比べて高いと誤解しかねません。

最後に、最近、私が驚いたのは、「朝日」の論説委員(梶本章氏)が、部分的にであれ、日本医師会の方針・活動を率直に評価する論評を発表したことです(4月4日夕刊「窓・論説委員室から えっ医師会が変わる?」)。実は、「朝日」を含めてすべての全国紙は、長らく、社内で「反日本医師会」のスタンスをとっています。これは私の友人の経済学者(医師会とは何の関係もない方)から聞いた話しですが、ある全国紙の若手記者がその友人に取材して、小泉政権の医療政策に批判的な記事を書いたところ、デスクから「この内容は医師会寄りすぎる。我々の立場は反医師会だ」と一喝され、ボツにされたそうです。梶本氏の論評は、そのようなステレオタイプとは明らかに異なり、注目に値します。

小泉政権時の抑制策の部分的な見直し

第3の希望は、安倍政権が本年に入って、昨年4月に小泉政権が強行した一連の医療・介護・福祉費抑制策の一部を見直したことです。主な見直しは以下の4つです。(1)昨年4月の診療報酬改定で導入されたリハビリテーションの算定日数制限の見直し、(2)昨年4月に創設された介護予防事業の対象になる「特定高齢者」の選定基準の大幅緩和、(3)昨年4月の介護報酬改定で導入された軽度者への福祉用具貸与禁止の見直し、(4)昨年4月に実施された障害者自立支援法での障害者負担の大幅増加を緩和するための「特別対策」の実施(詳しくは、「安倍政権の半年間の医療政策の複眼的評価」『文化連情報』2007年5月号)。

さらに、これらよりも一足早く、小泉政権末期の昨年8月末に厚生労働省・文部科学省・総務省がまとめた「新医師確保総合対策」で、1982年の医師数抑制の閣議決定が事実上見直され、ごく限定的にせよ医学部の定員増が認められたことも見落とせません。私が厚生労働省関係者から非公式に得た情報では、マスコミの大々的な医師不足報道が与党政治家の認識を変え、彼らが厚生労働省に強く政策転換を求めたそうです。

ほんの数年前まで医療事故・医師告発一本槍だったマスコミが一転して医師不足を大々的に報道し始めたのは、現実に医師(勤務医)不足が深刻化して社会問題化しただけでなく、本田宏医師(済生会栗橋病院)や小松秀樹医師(虎の門病院)等、勇気ある医師が医師不足とそれによる「医療崩壊」の深刻な実態を現場から発信し続けたためだ、と思います。

おわりに-「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」

もちろん、本稿で述べてきた変化は、現時点ではまだごく部分的なものであり、厳しい医療費・医師数抑制政策の基調に変化が生じたわけではありません。また、本稿で肯定的に評価した制度・政策にも、さまざまな問題点が潜んでいるのも事実です。しかし、それでも、これらの変化により、今後の医療改革にわずかであれ希望が見えてきたことを見落とすべきではありません。

それだけに、医療者は、「絶望しすぎず、希望を持ちすぎず」(この言葉の由来は『医療改革と病院』256頁)、医療費・医師数抑制政策の弊害とそれの転換を国民・マスコミに粘り強く訴え続けると共に、自己改革と制度の部分改革を積み重ねていく必要があると思います。迂遠なようにみえても、これが医療崩壊・医療荒廃を防ぐ唯一の道だと私は考えています。

[本稿は、4月7日に開催された第27回日本医学会総会のシンポジウム「世界の医療と日本の医療」の基調講演「よりより医療制度をめざした改革」の一部に加筆したものです」

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2.拙論:終末期医療費についてのトンデモ数字

(「二木教授の医療時評(その42)」『文化連情報』2007年6月号(351号):26-28頁)

最近、終末期医療・延命医療の在り方に改めて注目が集まっています。本年2月に日本救急医学会が延命治療を中止するガイドライン案をまとめたのに続いて、終末期医療に関するガイドライン作りを進めてきた厚生労働省の検討会(座長=樋口範雄・東大大学院教授)も4月9日に、延命治療の開始や中止は患者本人の意志を基本として、多専門職種からなる医療チームで判断することを柱とする指針をまとめました。

私自身も、延命至上主義的な医療には疑問を持っていますし、終末期医療においても患者の意思を基本とすることに異論はありません。しかし、医療費削減を目的とした終末期医療の見直しには賛成できませんし、終末期医療費が巨額であるとの主張が事実誤認であることは、たびたび指摘してきました(1,2)。

それにもかかわらず、そのような主張は今でも蒸し返されています。特に、最近、新聞書評等でも取り上げられ、社会的に影響力が大きいと思われる2冊の本でもこのことが主張されていますので、その誤りを改めて指摘したいと思います。

1冊目の本は、高名な経済学者の伊東光晴氏の『日本経済を問う』(岩波書店、2006)です。そこで、伊東氏は「人間一生の医療費のうち、約半分が死の直前6カ月間のうちに費やされる」と書いています(160頁)。氏は、その根拠として、図「定常人口に基づく、5歳階級別医療費の状況」を示していますが、この図から分かるのは、生涯医療費のうち60歳以上にかかる医療費が62%を占めていることだけです。

2冊目の本は、在宅医療専門クリニックの勤務医兼作家の久坂部羊氏の『日本人の死に時』(幻冬舎新書、2007)です。そこで、久坂部氏は「統計によって異なりますが、終末期医療費が全老人医療費の20%を占めるとか、国民1人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2か月に使われるという報告があります」と書いています(161頁)。久坂部氏は出所を示していませんが、私の知る限り、このようなデータを示した実証研究はありません。

高齢者の死亡前1年間の医療費割合は11%

「終末期医療費」の定義は様々ですが、それを最大限広く「死亡前1年間の医療費」とした場合でさえ、日本の老人医療費の11%にすぎません(3)。これは、府川哲夫氏らが1994年に「老人医療年齢階級別分析事業」で得られたデータを分析して算出した数値で、その後これに匹敵する詳細な実証研究は発表されていません。この数値は、久坂部氏の主張する20%の半分にすぎません。

おそらく久坂部氏は、アメリカのデータを日本のデータと勘違いしたのだと思います。アメリカのメディケア(高齢者・障害者医療保険)では死亡前1年間の医療費は総医療費の26%を占めているからです(全死亡患者では22%)(4)。しかし、アメリカの数値は国際的にみて突出して高く、とても「世界標準」とは言えません。例えば、オランダの全死亡患者の死亡前1年間の医療費の総医療費に対する割合は10%で、アメリカの半分にすぎません(5,6)。

そのために、日米のデータの違いを詳細に比較検討した府川哲夫氏は、日本の死亡前医療費の低さがアメリカに比べて「日本の医療費を低い水準に抑えている重要な要因の1つ」と指摘していますし、オランダの研究者も「死亡前1年間の医療費を抑制しても総医療費への影響はわずかにすぎない」と主張しています(3,5)。

死亡前1カ月間の医療費割合はわずか3%

ただし、「死亡前1年間」を終末期とするのは、医療の現実、医療者や患者・家族の実感とは合いません。なぜなら、1年も前から死期を確実に予測することは不可能だからです。そのため、最近は、厚生労働省も終末期を「死亡前1か月間」に限定するようになっています。そして、医療経済研究機構が2000年に発表した報告書では、やや意外なことに、全死亡患者の死亡前1カ月間の「死亡直前期」医療費(1998年度)は7859億円にとどまり、国民医療費の一般診療費(約23兆円)のわずか3.5%にすぎないことが明らかにされました(7)。しかも、これには一般には終末期とは見なされていない急性疾患による死亡患者の医療費も含まれているのです。なお、現在の「一般診療費」からは、かつてはそれに含まれていた薬局調剤医療費と入院時食事医療費が除かれていますので、これらを加えた「医科医療費」は約26兆円となり、それに対する死亡前1カ月間の医療費の割合は3.0%となります。

厚生労働省保険局は、2005年7月に、医療経済研究機構の推計方法を踏襲して、2002年度の「終末期における医療費(死亡前1か月間にかかった医療費)」が約9000億円と発表しました。9000億円という数値は直感的には大きな数字ですが、同年度の一般診療費に対する割合は3.8%、「医科医療費」に対する割合は3.3%にすぎません。

日本では死亡前2カ月間または6か月間の医療費の総医療費に対する割合の信頼できる数値は発表されていません。しかし、これまで紹介してきた数値に照らせば、「国民1人が一生に使う医療費の約半分が、死亡直前2か月に使われる」(久坂部氏)や、「人間一生の医療費のうち、約半分が死の直前6カ月間のうちに費やされる」(伊東氏)との数字が、トンデモ数字なことは明らかでしょう。

実は、医療経済研究機構の報告書をとりまとめた片岡佳和氏は、報告書が結論として、「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくない」と述べていることを強調して、終末期ケアが「医療費の高騰につながる可能性は否定している」と明言していました(8)。私は、当時、これにより、「終末期医療費をめぐる論争には決着がついた」と判断したのですが、それは甘かったと反省しています。今後は、根拠に基づいた政策論争が行われるように、終末期医療に限らず、医療に関するトンデモ数値が出るたびに批判しようと思います。

文献

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算23回.2007年分その2:10論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

<健康の自己評価(主観的健康)と医療への信頼(3論文)>

○「ヨーロッパ諸国における[主観的]健康の違い」(Olsen KM, et al: Health differences between European countries. Social Science & Medicine 64(8):1665-1678,2007)[量的研究]

2003年にヨーロッパ21か国の市民を対象にして行われた「ヨーロッパ社会調査」(回答者38,472人)を用いて、階層的線形モデルにより、主観的健康(健康の自己評価)が個人レベルの特性と国レベルの特性により、どのように影響されるのかを定量的に検討した。

その結果、以下の3点が明らかになった。(1)男女とも、個人レベルの特性-年齢、教育年限、経済的満足度、社会的ネットワーク、失業、職業-が個人の主観的健康と関連がある。(2)個人レベルの特性の影響を調整した上で、各国の社会的特性-GDP中の公的医療費の割合、社会経済的発展度(1人当たりGDP)、ライフスタイル、ソーシャルキャピタル(社会的信頼)-と主観的健康との関連を検討したところ、1人当たりGDPが主観的健康ともっとも関連が強かった。(3)21か国をアングロサクソン諸国、北ヨーロッパ、大陸ヨーロッパ、南ヨーロッパ、東ヨーロッパの5地域に分けて検討したところ、個人レベルの特性の違いを調整した後でも、主観的健康は東ヨーロッパでもっとも低かった。同じく、アングロサクソン・大陸・南ヨーロッパの主観的健康は、北ヨーロッパに比べてやや低かったが、統計的に有意ではなかった。以上の結果に基づいて、著者は、本研究のモデルに基づけば、国による主観的健康の違いのうち60%は個人レベルの変数により説明できるが、40%はマクロレベルの変数で説明できると結論づけている。

二木コメント-本論文は、本「ニューズレター」32号で紹介した、「真の健康対回答スタイル:健康の自己評価が国により違う原因の探求」と相補的と思います。

○「医療への市民の信頼:ドイツ、オランダ、イングランド・ウェールズの比較」(van der Schee E, et al: Public trust in health care: A comparison of Germany, the Netherlands, and England and Wales. Health Policy 81(1):56-67,2007)[量的研究]

医療への市民の信頼の国際比較をするために、ドイツ、オランダ、イングランド・ウェールズの3か国の市民それぞれ1000人以上を対象にして郵送調査を行った。ここで医療への信頼とは、実際に受けている医療への信頼ではなく、医療制度・医療従事者への一般的信頼である。質問票は全部で6側面25個からなる詳細なものである。ドイツは6側面すべてで、他の2か国よりも、医療への信頼が低く、大半の質問でその差は有意であった。

「考察」において著者は、3か国で結果に大きな差が生じた原因として、(1)制度的保障の違い、(2)医療のかかりやすさと質の違い、(3)メディアの関心の違い(医療に対するネガティブキャンペーン等)、(4)信頼の置き方についての文化的違いの4つをあげ、1つ1つについて、先行研究を含めて検討している。その結果、(1)~(3)については3か国では大きな差がなく、(4)が主因と結論づけている。そのために、著者は、医療への市民の信頼は、各国の医療政策を評価する場合には重要であるが、医療制度のパフォーマンスの国際比較調査の尺度としてはストレートに使い難いと指摘している。

二木コメント-本論文は、上記論文および本「ニューズレター」32号で紹介した、「真の健康対回答スタイル:健康の自己評価が国により違う原因の探求」と同じく、医療についての国民の意識調査の結果を「ストレートに」用いることの危険性を示しています。なお、本論文の分析枠組みである「医療における市民の信頼モデル」は、医療への市民の信頼と受けている医療への信頼、医療制度、メディアの報じる医療イメージ、医療従事者との接触、およびそれらの背景にある社会的文脈の6つを構成要素とする包括的・立体的なもので、注目に値します。

○「ソーシャルキャピタル、医療制度への信頼および健康の自己評価:[スウェーデンでの]ポピュレーションスタディにおける医療へのアクセスの役割」(Mohseni M, et al: Social capital, trust in the health-care system and self-rated health: The role of access to health care in a population-based study. Social Science & Medicine 64(7):1373-1383,2007)[量的研究]

本研究では、医療システムへの制度的信頼(以下、医療制度への信頼)、つまりソーシャルキャピタルの制度的側面と健康の自己評価との関連、およびこの間連の強さが医療サービスへのアクセスに影響されるかを検討する。そのために、2004年にスウェーデンのある県で実施された郵送調査(「公衆衛生調査」。対象は27,963人の住民)のデータを用い、ロジスティック回帰分析を行った。男の28.7%、女の33.2%が「不健康(poor self-rated health)」と、回答者全体の約三分の一が医療制度への信頼が低いと回答した。年齢、スウェーデン生まれか否か、教育年限、経済的ストレス、水平的信頼(他人への一般的信頼)を調整した後でも、医療制度への信頼の低さと健康の自己評価の低さとの間には有意の関連があった。しかし、医療を求める行動を変数に加えると、この関連のオッズ比は低下した。この結果に基づいて、著者は、医療制度への信頼の低さは健康の自己評価と関連していると結論づけており、この関連は「必要な時に医療を求めない」ことにより媒介されていると解釈している。ただし、今回の結果は横断調査であり、因果関係を示すものではないことも指摘している。

二木コメント-医療制度への信頼と健康の自己評価との間に関連があることは、私の予想通りです(本「ニューズレター」32号「真の健康対回答スタイル:健康の自己評価が国により違う原因の探求」への「二木コメント」参照)。なお、ソーシャルキャピタルは極めて多義的用語です。この論文では個人レベルの信頼(他人への一般的信頼、医療システムへの制度的信頼)がソーシャルキャピタルとされていますが、冒頭の論文では、社会的特性の1つである社会的信頼がソーシャルキャピタルとされています。ソーシャルキャピタルの研究動向に詳しい日本福祉大学の近藤克則氏によると、それの「操作的定義と測定法は定まっておらず、それは人の数より多く(1人の人でも、データの制約などで、異なる変数を作成しているため)、研究の数だけある状態」だそうです。

<医療の質と成果に基づく支払い(7論文の一口紹介。断りのない限り、米国の研究)>

○「病院医療の質改善における[各病院の医療の質の]公開と成果に基づく支払い[との関連]」(Lindenauer PK, et al: Public reporting and pay for performance in hospital quality improvement. New England Journal of Medicine 356(5):486-496,2007)[量的研究(比較試験)]

病院医療の質の公開と成果に基づく支払いの両方に参加している病院は、病院医療の質の公開のみに参加している病院よりも、医療の質の改善程度が大きかった。ただし、本論研究ではそれによる医療費の変化は検討していない。

○「メディケアの診療パターンと成果に基づく支払いへの含意」(Pham HH, et al: Care patterns in Medicare and their implications for pay for performance. New England Journal of Medicine 356(11):1130-1139,2007)[量的研究(実態調査)]

メディケアにも成果に基づく支払いを導入することが提案されているが、現行の出来高払い方式の下で多数の患者が複数の医師から診療を受けていることが、成果に基づく支払いの有効性を制限する可能性がある。

○「成果に基づく支払いと[各医師の]質スコア公開に対する内科医の意見」(Casalino LP, et al: General internists' views on pay-for-performance and public reporting of quality scores: A national survey. Health Affairs 26(2):492-499,2007)[量的研究(アンケート調査)]

アメリカの内科医の多くは成果に基づく支払いは支持しているが、個々の医師の質スコアの公開には、医師がハイリスク患者を避けるようになる等の理由で、反対している。

○「質改善運動が医療の他の[評価対象外の]側面の質に与える影響-予期せぬ結果の法則?」(Ganz DA, et al: The effect of a quality improvement initiative on the quality of other aspects of health care - The law of unintended consequences? Medical Care 45(1):8-18,2007)。[量的研究(比較試験)]

医師グループに対して成果に基づく支払いを導入しても、それの評価対象外のサービスの質が低下することはなかった。

○「成果に基づく支払い-最近の支払いトレンドは医療を改善するか?」(Rosenthal MB, et al: Pay-for-performance - Will the latest payment trend improve care? JAMA 297(7):740-743,2007)[評論]

成果に基づく支払いの権威が、それが有効に機能するための制度設計上の5つの要素を示す。

○「質改善の努力のある程度の成功」(Katz-Navon T, et al: The moderate success of quality of care improvement efforts: three observations on the situation. Intl J Quality in Health Care 19(1):4-7,2007)[評論]

マネジメント理論・研究から得られた理論モデルに基づいて、医療組織が質改善のブレークスルーを達成できない理由を検討する。著者はイスラエルのビジネススクール所属。

○「費用削減をめざすガイドラインの医療の質への含意の法的考察」(Calens S, et al: Legal thoughts on the implication of cost-reducing guidelines for quality of health care. Health Policy 80(3):422-431,2007)[評論]

ヨーロッパ諸国における、かつての患者の医療を受ける権利を保証し医療の質を改善するために作られたガイドラインから、費用削減をめざすガイドラインへの転換が、医療の質と医師に与える影響を、法的に考察する。著者はベルギーの研究所所属。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その30)-最近知った名言・警句等

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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