『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻32号)』(転載)
二木立
発行日2007年04月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.拙論:介護保険と介護経営の将来を見通すための必読文献-滝上宗次郎さんの追悼
- 2.大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書(2007年度版、Ver 9)(別添付ファイル)
- 3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算23回.2007年分その1:4論文)
- 4.私の好きな名言・警句の紹介(その28)-最近知った名言・警句等
1.拙論:介護保険と介護経営の将来を見通すための必読文献
-滝上宗次郎さんの追悼
(「二木教授の医療時評(その39)」『文化連情報』2007年4月号(349号):22-23頁)
介護・医療問題の論客で、厚生労働省の政策を歯に衣着せず批判されていた滝上宗次郎さんが、本年1月20日に亡くなられました。享年54、余りにも早すぎる死でした。滝上さんは、一橋大学経済学部を卒業後、大手銀行調査部を経て、34歳から20年間、有料老人ホーム「グリーン東京」の経営に携わるとともに、経済審議会や公正取引委員会の公職を歴任され、日本の介護・医療政策について積極的に発言されてきました。滝上さんは、私にとって、1995年に介護保険論争が始まった当初からの「戦友」であり、政府の政策形成プロセスと介護産業の実態を熟知し、しかも鋭い人権感覚を持つ滝上さんからは、実に多くのことを教えられました。
その最たるものは、介護保険構想がまだ水面下で検討されており、私を含めた誰もが、それを介護・福祉制度の枠内での改革と理解していた2004年に、滝上さんが、介護保険制度は「厚生省の本丸であり、行き詰まりを見せている医療制度の建て直し策にすぎない…。要すれば、老人保健法の延命策」と喝破されたことでした(「公的介護保険制度を読む」『日経ヘルスビジネス』1994年10月17日号。『福祉は経済を活かす』勁草書房、1995、147頁)。私はこれを読んで、文字通り「目から鱗」と感じたことを、今でもよく覚えています。
このように物事の本質を鋭くえぐり出す滝上さんの著作・論文をもう読めなくなったことは残念でなりません。しかし、わずかに救いがあります。それは滝上さんが、昨年、20年間の有料老人ホーム経営と言論活動を集大成した、2つの著作・論文を発表されていたことです。それらは、『やっぱり「終のすみか」は有料老人ホーム』(講談社)と「つねに最強を目指す!有料老人ホーム経営の極意」(『拡大するシニアリビング・マーケット Vol.2(日経ヘルスケア21別冊)』109~129頁)です。私は、これらは、今後の介護保険制度と介護施設経営を見通すための、必読文献と考えています。そこで、私なりの滝上宗次郎さんの追悼として、これら2つの文献の紹介と私が学んだことを書きたいと思います。
『やっぱり「終のすみか」は有料老人ホーム』
本書は、次の4部構成です。第1部介護保険はじり貧で、家族介護は崩壊。第2部残された選択肢は、有料老人ホームだけ。第3部認知症(痴ほう)の介護で、ホームの実力がわかる。第4部ホーム選びの勘どころと、豊かに生きる知恵。本書を読むことで、「日本のあるべき医療と介護についての基本姿勢」を確認できます。
第1部は、「介護から見た日本戦後史」兼、近未来の介護の見取り図です。厚生労働省やマスコミ、多くの福祉関係者は、最近、在宅ケア(介護・医療)や家族介護を前提とした「地域密着型サービス」を礼賛しています。それに対して、滝上さんは「家族介護は崩壊の道へ」進むことをリアルに見つめて、「在宅介護は経済原則を無視している」、「在宅介護よりも施設介護というものがいかに温かいもので、かつサービスの質が高いものであるか」を、正面から主張しており、迫力があります。
第2~4部は「賢い有料老人ホームの選び方」で、誇大広告が氾濫するなかでの有料老人ホーム選びの極意が書かれています。まず入居契約書でもっとも重要なことは、契約して90日以内に解約をすれば、前払いした入居金のほぼ全額が戻ってくる「解約特例」であることが強調されています。さらに、有料老人ホームの見学や体験入居時のチェックポイントがていねいに書かれています。
本書を読むと、「お金に余裕のある高齢者」(持ち家を処分できる厚生年金受給者)には、今後、有料老人ホームが最大の選択肢になることがよく分かります。他面、低所得高齢者には、厳しい老後が待っていることも分かり、寂しい気持ちになりました。
「有料老人ホーム経営の極意」
「つねに最強を目指す!有料老人ホーム経営の極意」は、A4判22頁の大論文です。滝上さんの名経営者としての個人史と、厚生労働省の後追い行政、および「それによって動揺を続けた[老人ホーム-二木]業界の歴史」が共鳴し合って、迫力満点です。入居者の側になって書かれた『やっぱり「終のすみか」は有料老人ホーム』と本論文を合わせ読むと、今後、「居住系サービス」の中心となる有料老人ホームの全体像を理解することができます。
私が特に勉強になったのは、以下の諸点です。1998年にデンマークの生活支援法が廃止されていた(119頁)、有料老人ホーム経営とは「超」長期戦であり、しかもオーナー経営者の方が有利(120頁)、有料老人ホームにはチェーン展開のメリットはないが、スケールメリットはある(126頁)、「民営化」政策と「消費者保護」政策とは車の両輪(126頁)、福祉の民営化は全ての役所にとって権限を拡大できる草苅場となっている(128頁)。
と同時に、本論文を読むと、一般の大企業のマトモな経営者・担当者なら、有料老人ホームの全国展開からは腰が引けるのでは?とも感じました。
私は、滝上さんが「20年間業界のトップを走り続けた」理由は、(1)滝上さんの類い希な経営者兼行政ウオッチャーとしての能力、(2)オーナー経営者兼大資産家の御子息であること(124頁にチラリと書いてあります)の2つに加えて、(3)チェーン展開をせず、1ホームの経営とサービスの質の向上に徹したことにあると思っています。実は、複合体の経営者にも、サービスの向上よりも事業の規模・拠点拡大を重視する事業家タイプの方と、1拠点内でのサービスの質の向上を重視する「こだわり派」がいます。
補足-辻陽明氏の「『1人シンクタンク』の死」もぜひお読み下さい
辻陽明氏(朝日新聞編集委員)が「朝日新聞」2007年3月11日朝刊・経済面のコラム「補助線」に、滝上宗次郎さんの追悼文「『1人シンクタンク』の死-厚生行政を読み解く」を書かれました。氏は、「『1人シンク』とも言える人」という斬新な視角から、「厚生労働省の政策を洞察して対案を示す希有なエコノミスト」であった滝上さんの人となりと業績を、簡潔かつ心温まる筆遣いで描いています。ぜひお読み下さい。
2.大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書
(別ファイル:大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書(2007年度版,ver 9 転載))
私が1999年度に日本福祉大学大学院社会福祉学研究科長になってから、毎年、大学・大学院の入学式後の大学院合同オリエンテーションの「おみやげ」として配布しているものの最新版です。
拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)に「付録」として付けた「2006年度版, Ver 8.2」に7冊追加しました(合計179冊。追加分の書名の後に●印)。
ちなみに、私は、2007~2008年度は、大学院委員長(2期目)と福祉社会開発研究科長(既存の4つの博士後期課程を統合した新研究科。今年度開設)を務めます。
御参考までに、今回追加した7冊とそれのコメントは以下の通りです。
- ●本田直之『レバレッジ・リーディング』東洋経済,2006.…著者がアメリカのビジネ・ススクールで身につけた効率的・戦略的多読法を伝授。修士論文を書くためにも多読法は不可欠。
- ●池上彰『池上彰の新聞勉強術』ダイヤモンド社,2006.…NHK「週刊子供ニューズ」の元名キャスターが書いた「メディア・リテラシー」を身につけるための本。日本経済新聞の問題点も指摘。
- ●二木立『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006.…社会福祉学を含めて、広く社会科学を学ぶ人が、自分なりの研究視点と方法・技法を身につけるヒントを満載。
- ●岩田正美・他編『社会福祉研究法-現実世界に迫る14のレッスン』有斐閣,2006.…社会福祉研究の独自性の探究。第3部は7つの研究事例を著者本人が研究方法の角度から解説しており、有用。
- ●日垣隆『知的ストレッチ入門-すいすい読める書けるアイデアが出る』大和書房,2006.…21世紀版「知的生産の技術」への挑戦。3原則(インプットは必ずアウトプットを前提にする等)は重要。
- ●渡邊美樹『夢に日付を!-夢実現の手帳術』あさ出版,2005.…ワタミ社長が20代から実践している夢を実現するための生き方:「あらかじめ時間を設定するからこそ実現できる」。
- ●鷲田小彌太『社会人から大学教授になる方法』PHP新書,2006.…第1章で、実際に大学教授になった18の事例を紹介しつつ、「10の法則」を抽出。第2章以降は、大学教授・大学改革論に近い。
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算23回.2007年分その1:4論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○「真の健康対回答スタイル:健康の自己評価が国により違う原因の探求」(Juerges H: True health vs response styles: exploring cross-country differences in self-reported health. Health Economics 16(2):163-178,2007.[量的研究]
健康の自己評価が個人の健康指標として有用であることは証明されているが、異なった集団・国家間での比較可能性については疑問も出されている。そこで、本研究では、健康の自己評価についての諸国間の差を、「真の」健康(客観的な健康指標)の違いにより説明可能なものと、国による回答スタイルの違いによって説明可能なものに分解することを試みた。そのために、EU(ヨーロッパ連合)が2004年に10か国の50歳以上の国民22,731人を対象にして行った「健康・加齢・退職調査」のデータの一部を用いた。
健康の自己評価は国により大きな違いがあり、この指標を用いると、スカンジナビア諸国の国民がもっとも健康であり、南ヨーロッパ諸国の国民がもっとも不健康ということになる。他面、各種の身体的・精神的疾患の有無、握力、BMI等22の指標で判定した客観的な健康の国別の違いは小さかった。しかも、健康の自己評価と客観的健康との関係は国によって異なり、健康の自己評価が高かったデンマークやスウェーデンの国民は自己の健康を「過大」に評価する傾向があり、逆に、自己評価が低かったドイツの国民は「過小」に評価する傾向が見られた。このような国による回答スタイルの違いを補正したところ、健康の自己評価の国別格差は縮小したが、完全に消失はしなかった。
この結果に基づいて、著者は、国による回答スタイルの違いを無視して健康の自己評価の分析を行うと、誤った結論が出されると警告している。例えば、医療費水準(GDP対比)と健康の自己評価(健康状態がgood/excellentとした回答者の割合)の間にはなんの相関もないが、回答スタイルの違いにより健康の自己評価を補正すると、医療費水準と健康の自己評価との間には明らかな相関が出現することをあげている。
二木コメント-これは、従来の健康の自己評価(の国際比較)研究に対する根本的「異議申し立て」と言えます。私は、医療満足度についても、各国の回答スタイルの違いを考慮すべきと思います。拙論「医療満足度の国際比較の落とし穴」(『社会保険旬報』No.2302。本「ニューズレター」29号)には書きませんでしたが、医療制度満足度と健康の自己評価(主観的健康度)との間には高い相関があるからです。例えば、ヨーロッパ15か国では相関係数は0.714でした(医療制度満足度はBlendon等(2001)、主観的健康度はOECD Health Data)。
○「医療費の増加[要因]:アメリカは他のOECD加盟国とどう違うのか?」(White C: Health care spending growth: How different is the United States from the rest of the OECD? Health Affairs 26(1):154-161,2007)[量的研究]
OECD Health Data 2004を用いて、アメリカと他のOECD加盟国の1970~2002年の32年間の1人当たり実質医療費とそれの増加要因を比較検討した。他のOECD加盟国はこの期間のデータが揃っている20か国とした(日本を含む)。アメリカの実質医療費はGDPデフレーターを用いて算出した2004年値とした。各国の医療費はPPP(購買力平価)によりドル換算した。医療費の年平均増加率は、(1)GDP伸び率、(2)人口高齢化による医療費伸び率、(3)「過剰伸び率」(excess growth.医療費増加率から(1)と(2)を除いた残差)の3つに分解した。従来の国際比較研究では、平均値として各国の単純平均が用いられることが多かったが、本研究では、アメリカ以外の他のOECD加盟国の平均値は、各国の人口、GDPによる重み付け平均とした。
1970~2002年の32年間全体で見ると、アメリカの年平均医療費増加率は4.3%であり、それは(1)2.0%、(2)0.3%、(3)2.0%に分解できた。他のOECD20か国では、それぞれ3.8%、(1)2.1%、(2)0.5%、(3)1.1%であった。つまり、他のOECD加盟国に比べた、アメリカの医療費増加率の高さの大半は(3)「過剰伸び率」で説明された。この期間を1970~1985年と1985~2002年に二分すると、アメリカの「過剰伸び率」は前半では、他のOECD加盟国よりわずかに高いだけであったが(それぞれ2.0%、1.7%)、後半ではアメリカが突出して高くなっていた(それぞれ2.0%、0.6%)。
この結果はアメリカには医療費増加に関して他国に見られない特有の「制度的要因」があることを示唆している。著者は、その要因として、アメリカには国民皆保険制度がなく、有効な医療費抑制政策を実施できなかったことをあげている。
二木コメント-この論文の図表から、日本について興味深いことが分かります。それは、日本の医療費の年平均「過剰伸び率」は1970~1985年にはアメリカ以外のOECD19か国平均とほぼ同水準だったのに対して、1985~2002年にはマイナスに転じていることです。これは、この期間、日本で過剰な医療費抑制政策が実施されたことを示唆しています。なお、日本では「名目」医療費の増加要因のみが検討されるのに対して、アメリカでは「実質」医療費の増加要因が検討されます。私は、この「分析方法に関しては、アメリカが正しい、日本の伝統的方法には根本的欠陥があると、考え」ています(詳しくは、拙著『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房,1994,200-202頁参照)。
○「[ベイビー]ブーマー[の高齢化]が始まる:人口高齢化がアメリカの傷病大分類別医療費に与える影響を推計する医療費モデル」(Martini EM, et al: The boomers are coming: A total cost of care model of the impact of population aging on health care costs in the United States by major practice category. Health Services Research 42(1):201-218,2007.)[量的研究(シミュレーション)]
アメリカでは、1946~1964年の19年間に生まれた7400万人の人々が「ベイビーブーム世代(ベイビーブーマー。略してブーマー)」と呼ばれており、彼らは2011年以降次々と高齢者(65歳以上)の仲間入りをするため、2030年には高齢者人口は2000年の2倍に達すると推計されている。
本研究では、ミネソタ州の医療保険Health Partners(加入人口61万人)の医療費データと「アメリカ統計局人口推計2000-2050」等を用いて、人口高齢化が2000~2050年の50年間の1当たり傷病大分類(22区分)・性別医療費に与える影響を推計した。医療費データとして、全米の公式データではなく、Health Partnersのものを用いたのは、「メディケ給付調査」と異なり、全年齢階層の1人当たり傷病大分類別データが得られること、および全米「医療費パネル調査」より標本数が6倍も多いためである。主な推計結果は以下の通りである。
1人当たり医療費(男女合計)は人口高齢化(のみ)により、2000年の2993ドルから2050年には3543ドルへと18%増加する(年平均増加率は0.3%)。ただし、これが急増するのは2035年までの35年間であり、それ以降はほとんど一定となる。1人当たり医療費の増加率は、傷病大分類により大きく異なり、第1位は腎疾患で55%、2位は心・血管疾患44%である。逆に、妊娠・不妊治療では3%減少する。50年間の1人当たり医療費増加のうち、80%以上は以下の7傷病の医療費増加で生じる(カッコ内は医療費増加のシェア):[1])心・血管疾患(31)、[2]整形外科疾患(12)、[3]胃・消化器疾患(9)、[4]肺疾患(9)、[5]神経疾患(9)、[6]内分泌疾患(7)、[7]泌尿器疾患(7)。
この結果に基づいて著者は、人口高齢化が医療費に与える影響が傷病により異なることを理解することは、将来の医療ニーズに対応して医療資源配分を考える上で重要であると主張している。
○「福祉国家[レジーム]は重要だ:豊かな諸国の類型学的マルチレベル解析」(Welfare state matters: A typological multilevel analysis of wealthy countries. Health Policy 80(2):328-339,2007)[量的研究]
社会科学文献から得られた知見に基づいて、豊かな工業化諸国の国民の健康指標は福祉国家レジームのタイプ別にクラスターを形成しているとの仮説を立てた。この仮説を検証するために、OECD加盟の19か国(日本を含む)を4つの福祉レジーム(社会民主主義福祉国家、キリスト教民主主義福祉国家、自由主義福祉国家、給与生活者(wage earner)福祉国家)に分類し、1960~1994年の乳児死亡率と低出生体重児比率を説明変数とする二段階マルチレベルモデル解析(分析)を行い、福祉国家の固定効果を測定した。
その結果、34年間を通して、社会民主主義福祉国家が他の3つの福祉国家類型と比べて、一貫して乳児死亡率と低出世体重児比率が低く、しかもこの格差は1990年代に拡大していた。乳児死亡率の諸国間格差の20%、低出生体重児比率の諸国間格差の10%は、福祉国家タイプにより説明可能であった。
著者は、これにより、国民の健康水準は、各国の経済発展(1人当たりGDP)等で調整しても、福祉国家類型ごとに異なることを確証したと主張している。
二木コメント-これは典型的な「結論先にありき」の研究ですが、「反面教師」としては使えると思い、敢えて紹介します。私は、エスピン-アンデルセンの福祉国家類型論(「福祉資本主義の3つの世界」)は「医療(政策)の国際比較には全く使えないと思って」います(拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』56~57頁)。この論文では、エスピン-アンデルセンの3つの類型に加えて、第4の類型として「給与生活者福祉国家」を立て、それにオーストラリア、日本、ニュージーランドの3か国を入れていますが、こんな珍奇な類型を私は見たことがありません。健康指標としてもっとも良く用いられる平均寿命や平均余命を無視しているのは、これを入れると日本が最上位に来て、著者の仮説が否定されるからと思います。エスピン-アンデルセンの原モデルと同じく、国民皆保険制度がない唯一の先進国であるアメリカと、他のアングロ・サクソン諸国を同一類型とするのは、医療(政策)の現実に合いません。この論文は、北欧諸国の健康水準が(日本を除く)他の高所得国よりも高いという、常識を再確認したにすぎません。
お知らせ:次号(33号)では、医療の質関連の以下の文献を中心に紹介します。
- 「成果に応じた支払い-最近の支払いトレンドは医療を改善するか?」(JAMA 297(7))。
- 「病院の質改善のための質公表と成果に応じた支払い」(NEJM 356(5))。
- 「成果に応じた支払いと質評価の公表に対する内科医の見解」(Health Affairs 26(2))。
- 「質改善運動が医療の他の側面の質に与える影響」(Medical Care 45(1))。
- 「質改善の努力のある程度の成功」(Intl J Quality in Health Care 19(1))。
- 「費用削減をめざす医療の質のガイドラインの含意の法的考察」(Health Policy 80(3))。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その28)-最近知った名言・警句等
<研究と研究者のあり方>
- 池内了(総合研究大学院大学教授)「『疑う』ことにはエネルギーがいる。信じて受け入れる方が楽だ。だが、この『しんどさ』が一番大切だと思う。与えられた情報に簡単に同意せず、批判的に考えることが、正しい判断や選択につながる。/私は『科学者』たちに『社会のカナリア』になってもらいたい。(中略)科学者は炭鉱のカナリアのように、いち早く鳴き声を上げ、社会に警告を発してほしい」(「毎日新聞」2007年3月14日朝刊「科学と非科学 私の提言(上)」)。二木コメント-私は、政府・厚生労働省の政策文書に限らず、どんな文書・論文を読むときにも、情報操作・偽りの情報~単なるケアレスミスがないか、いつも「疑う」ことにしています。ただし、最近は、池内氏が指摘されているように、「疑うことにはエネルギーがいる」=「しんどい」と実感するようになりました。
- 上川徹(サッカー審判。2006年ワールドカップ・ドイツ大会で日本人審判として初めて3位決定戦の主審を務めた)「僕らがミスを認めることはある意味、勇気がいる。しかし僕は思ったこと、感じたことを素直に表現したいとやってきた。悪いものは悪い、間違っていたら間違っていたと。つまり『正直さ』が僕らの仕事[審判-二木]の原点なのです」(「しんぶん赤旗」2007年2月12日朝刊「スポーツインタビュー」)。二木コメント-私の好きな「知的正直(intellectual honesty.分からないのにわかったふりをしない)も、これと同じ意味だと思います(渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書,1976,13頁。本「ニューズレター」27号、および『医療経済・政策学の視点と研究方法』163頁で紹介。ただし、後者では出所を示すのを失念)。
- コルナイ・ヤーノシュ(ハンガリーの世界的経済学者)「[社会科学は]実証的な証明の可能性がきわめて限られているとすれば、社会現象の研究者はできる限りの良心をもって、利用可能な手段を使い、理論を現実と対峙させることが最低限の要件になる。もし現実が本質的な点で理論と乖離していることが分かれば、理論を修正しなければならないし、それが出来なければ、現実によって否定された理論を放棄せざるを得ない」(盛田常夫訳『コルナイ・ヤーノシュ自伝』日本評論社,2006,78頁)。二木コメント-ここでの「理論」はマルクス主義経済学を指していますが、私はこの指摘は新古典派経済学にもそのまま当てはまると考えています。幸か不幸か、私は、元々理科系でしかも、若いときにトコトン臨床医学研究を行ったために、現実と乖離している理論を「修正」したり「放棄」することに、ほとんど抵抗がありません。
- 吉行淳之介(作家。故人)「1、愚痴はこぼさないこと。2、お金がないと言わないこと。3、やめないこと。君を信じてくる子のため、やめてはいけません」(「日本経済新聞」2007年3月1日朝刊「私の履歴書(1)」。宮城まり子さんが、恋人の吉行淳之介氏に「ねむの木学園」設立を相談したときに言われた「3つの約束」として、紹介)。二木コメント-拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房)の第2部「私の研究の視点と方法」で一番よく使った言葉は、「やめないこと」と同義の「継続」でした(38か所。他に、「続け(る)」17か所、「コツコツ」6か所、「努力」18か所)。
- アラン・ブラインダー(プリンストン大学助教授-当時)「ゼロから出発するな」(本多祐三大阪大学経済学部長が、「日本経済新聞」2007年2月23日朝刊「交遊抄-2人の師」で、「経済学では先人らが積み上げた研究の成果を勉強しなければ、しっかりした論文は書けない。基礎の重要性を教えられ」た言葉として、紹介)。二木コメント-先行研究の検討の重要性を簡潔に示した名言です。私はこれを読んで、津山直一東大医学部教授(故人)の「無知な者ほどたくさんの発見をする」を思い出しました(本「ニューズレター」11号、および『医療経済・政策学の視点と研究方法』84頁で紹介)。
- 瀬古利彦(元マラソンランナー)「継続は力なり、されど惰性の継続は退歩なり」(『マラソンの真髄』ベースボールマガジン社,2006,215頁。佐山一郎氏が、「朝日新聞」2007年3月4日朝刊の同書書評で引用)。二木コメント-私はこの名言を知って、次の名言を思い出しました。
- 真崎知生(京都大学医学部教授・当時。1991年度朝日賞受賞)「同じ研究をだらだら続けてもだめ。3年がひと区切り」(「朝日新聞」1992年1月1日朝刊新年特設面。朝日賞受賞の報道で、同氏の持論と紹介)。
- 都香鎬(ド・ヒャンホ。韓国・大邱市出身のファッションデザイナー)「『根っこ』がなければ世界に羽ばたけない-韓国ブランドが世界で認められるためには、大邱とともに成長しなければならない。大邱の繊維技術を、私の作品を通じて輸出したい」(「毎日新聞」2007年3月13日朝刊「ひと」)。
- 堀江敏幸(明治大学教授。小説家、フランス文学者)「『個』であると同時に『公』を意識したものが『学』なのである」(「毎日新聞」2007年3月4日朝刊。三宅徳嘉『辞書、この終わりなき書物』書評)。
- 別宮貞徳(英文学者で練達の翻訳家)「『トコロザウルス』なる怪獣が跋扈している」(「毎日新聞」2006年2月25日朝刊。村上陽一郎氏が、鈴木直『輸入学問の功罪』ちくま新書の書評の冒頭で、別宮氏が、日本における翻訳で、「関係代名詞があれば決まって『ところの』と訳す習慣を皮肉られた」言葉として紹介)。二木コメント-私も大学院の演習で外書購読を行うときには、関係代名詞を「ところの」と訳すのを禁じ、関係代名詞の前後でできるだけ2文に分けて訳すように指導しています。「ところの」と訳すと、英文と日本文の語順が逆になり、英文の速読ができなくなるからです。
<その他>
- 江見康一(一橋大学名誉教授。86歳)「『かきくけこ』(感動・興味・工夫・健康・恋心)が若さの秘訣-ある時、東大名誉教授と話をしました。『江見さんの若さの秘訣はなんだ』と聞くので、『かきくけこ、だ』と言いました。感動、興味、工夫、健康と言って、『こ』は何かと逆に尋ねてみた。そうしたら『根性だろう』と言った。きまじめな答えです。しかし人間は幾つになっても恋心を忘れたらいけません」(「世界日報」2007年3月4日)。
- 村松静子(在宅看護研究センターLLP代表。1947年2月生まれ)「気がついたら、30代の私が60歳になっていた」(2007年3月9日の宮崎県保健・医療・福祉関連団体協議会第8回講演会での講演「在宅ケア今昔物語」)。
- 原田早穂(メルボルンで開かれた水泳の第12回世界選手権の、シンクロナイズド・スイミングのソロ・テクニカルルーティンで銅メダルを獲得)「きれいさじゃない。強さを出そう」(「朝日新聞」2007年3月20日朝刊。主要国際大会に初めて1人で挑んだ時に、こう胸に刻んだ。時事通信は、「世界の有力なソリストのような手足の美しさや体の柔軟性はないが、筋力の強さはチーム屈指」と評した)。
- 工藤恭孝(ジュンク堂書店社長)「媚びないでいい。誠実であれ」(「朝日新聞」2007年3月10日朝刊b1「フロントランナー」。ときおり1人でぶらっと店内を見回るが、店員にはこう言うだけ)。
- 三遊亭円楽(落語家。2月25日、国立演芸場で行われた「国立名人会」出演後に引退を表明)「お客様の前でやる噺としては情けない出来。まだ大丈夫と言ってくださる客もいるだろうが、甘えは私自身が許さない」(「読売新聞」2007年3月4日朝刊「ニュース月録」)。
- 上川あや(東京都世田谷区議会議員)「声を上げないことは存在しないことに等しい」(『変えてゆく勇気-「性同一性障害」の私から』岩波新書,2007,174頁)。
- ウィリアム・ナーグラー&アン・アンドロフ「徹底的な話し合いは、ムダに終わることが多い。徹底的な話し合いは、助けにならぬことが多い。(中略)たとえ徹底的に話し合いをするにしても、すぐに始めてはならない。しばし時を置け」(井上篤夫訳『ビルとアンの愛の法則』TBSブリタニカ,1991,81-82頁。「中日新聞」2007年1月26日朝刊「けさのことば(岡井隆)が紹介)。
- 君原健二(元マラソンランナー。メキシコオリンピック・銀メダリスト)「人生は駅伝に似ている-人生はマラソンである、とはどうも私には言い切れない。私が思うに人生は、長距離走でいうならば、日本で生まれ、日本で育った駅伝競技に似ている。(中略)自分の生涯は自分だけのもの、と考えるよりも、ひと一人の一生も人類という長大な生命の連続の中にあることを意識して、駅伝のように、自分がタスキを渡す次のランナー、またその次のランナーのことを考える生き方がふさわしいような気がする。(中略)責任を果たそうと努力を重ねて生きるところに、人生という駅伝レースの満足感が隠されているのではないだろうか」(『人生ランナーの条件』佼成出版社,1992,163~166頁)。二木コメント-本「ニューズレター」14号(2005年10月1日配信)では、君原健二氏の「人生は駅伝だ」という名言を、藤村正之氏の論文から重引しましたが、これが初出のようです。上述した瀬古利彦氏の著書をチェックする過程で、同じマラソンランナーである君原氏にもこの著書があることを知りました。