総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻48号)』(転載)

二木立

発行日2008年08月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ


1.論文:私が後期高齢者医療制度廃止と老人保健制度復活に賛成する理由

(「二木教授の医療時評(その57)」『文化連情報』2008年8月号(365号):14-17頁)

後期高齢者医療制度をめぐる混乱は、4月の制度開始後3か月を超えた現在も続いています。先の通常国会では、同制度に対する高齢者・国民の強い不満や怒りを追い風にして、6月6日に、野党4党が共同提出した後期高齢者医療制度廃止法案が参議院で可決されました(衆議院では継続審議)。それに対抗して、政府・与党は6月12日に、制度の根幹を維持しつつ、保険料軽減措置などを盛り込んだ同制度の見直し策「高齢者医療の円滑な運営のための負担の軽減等について」を決定しました。

全国紙は、社会面等では同制度の問題点を多面的に報道する一方、「社説」では後期高齢者医療制度廃止法案を名指しで批判しています。「読売新聞」(5月24日、6月7日)、「産経新聞」(5月24日)、「日本経済新聞」(5月30日)の3紙は揃って、同法案を「無責任」と断じましたし、「朝日新聞」と「毎日新聞」(共に5月24日)もそれぞれ、「制度を元に戻せというだけでは、問題は解決しない」、「廃止して元の制度に戻すという案では国民は納得しない」と批判しています。
後期高齢者医療制度の「廃止を言うなら、その対案も示さなければ無責任」という声は、政府・与党関係者だけでなく、研究者の中にも根強くあります。しかし、私は、問題だらけの後期高齢者医療制度を廃止し、相対的にはよりましな旧老人保健制度(以下、旧は略)を復活することは、立派な対案であると考えています。私の専門とする医療経済学で諸制度の優劣を費用効果分析(費用便益分析)で評価する場合には、「制度を変えない」(今回は旧制度に戻す)選択肢を、比較の対象に加えるのは当然のことだからです。

後期高齢者医療制度には根本的欠陥がある

私が、後期高齢者医療制度の廃止と老人保健制度の復活に賛成する最大の理由は、高齢者のみを一般の国民から切り離す同制度は、国民連帯という国民皆保険の根本理念にも、疾病リスクの高い加入者と低い加入者をプールして、リスクを社会的にプールするするという社会保険の原則にも反しており、これに比べると、高齢者を従来の医療保険制度に加入させたまま制度間の財政調整を行う老人保健制度の方が、理念上も、社会保険の設計技術上も、はるかに優れているからです。国際的に見ても、全国民または大多数の国民を対象にした公的医療保障制度を有する国で、高齢者を別建てにした制度を有している国は日本以外にないことは、政府・厚生労働省も認めています。

そもそも75歳以上の後期高齢者の医療を別建てにする「根拠」が不明確です。2007年10月10日の社会保障審議会・後期高齢者医療の在り方に関する特別部会「後期高齢者医療の診療報酬体系の骨子」では、「後期高齢者にふさわしい医療」として3点あげられましたが、その直後に、それを事実上否定する次の記述が挿入されました。「後期高齢者に対する医療の多くは、その範囲や内容が74歳以下の者に対するものと大きく異なるものではなく、患者個々人の状態に応じて提供されることが基本となる。すなわち、医療の基本的な内容は、74歳以下の者に対する医療と連続しているもので、75歳以上であることをもって大きく変わるものではない」。ちなみに、『平成9年厚生白書』も、「老化しているかどうかは、年齢で決まる」という考えを「老人神話」と明快に否定していました(106頁)。

実は、75歳以上の後期高齢者の医療を区別すべきでないことは、最近、舛添要一厚生労働大臣も事実上認めています。なぜなら、舛添大臣は、6月25日の中医協総会に、後期高齢者終末期相談支援料の凍結を諮問し、それを是認する答申を得た際、「終末期は高齢者だけではない。年齢で区切ることはやめたほうがよい」と述べたからです。

それに加えて、後期高齢者医療制度は制度設計がきわめて複雑であり、「簡潔で分かりやすいものであること」という「社会保障の制度設計に際しての基本的な考え方」(「社会保障国民会議中間報告」6月19日)にも反します。これの弊害は、後期高齢者医療制度が始まった直後から、全国の自治体で事務的ミスが頻発していることで証明済みと言えます。老人保健制度もかつては「わかりにくい」と批判されましたが、後期高齢者医療制度に比べれば、相対的には、はるかに分かりやすい制度と言えます。

後期高齢者医療制度には厳しい医療費抑制策が組み込まれている

私が、後期高齢者医療制度の廃止と老人保健制度の復活に賛成するもう1つの大きな理由は、同制度(正確に言えば、それの根拠法となっている「高齢者の医療の確保に関する法律」)には、老人保健制度(同老人保健法)にはなかった厳しい医療費抑制の仕組みが組み込まれているからです。

そもそも、両法の「目的」には根本的違いがあります。老人保健法は第一条で、「国民の老後における健康の保持と適切な医療の確保を図るため、疾病の予防、治療、機能訓練等の保健事業を総合的に実施し、もつて国民保健の向上及び老人福祉の増進を図ることを目的とする」と規定していました。それに対して、高齢者の医療の確保に関する法律の第1条の冒頭は、「この法律は、国民の高齢期における適切な医療の確保を図るため、医療費の適正化を推進するための計画の作成及び保険者による健康診査等の実施に関する措置を講ずる」であり、医療費抑制が最大の目的とされているのです。

この目的を達成するために、高齢者の医療の確保に関する法律には、老人保健法にはなかった厳しい次の4つの医療費抑制策が含まれています。

第1は、保険者が同法で規定された特定健診・保健指導(メタボリック症候群対策)の目標を達成できなかった場合に、2013年度から、ぺナルティ(支援金の最大10%加算)を課せられることです。第2は、医療費適正化計画を達成できなかった都道府県は、2013年度以降、診療報酬点数の特例的引き下げの実施を求められることです(条文上は、都道府県が厚生労働大臣に「意見」を提出する。第13条)。

これら2つは医療費抑制の中期的仕組みと言えますが、条文上は制度発足と同時に始まる医療費抑制の仕組みも2つあります。それは、老人保健法では1割負担だった70~74歳の自己負担割合を2割に引き上げること、および老人保健法では高齢者には禁止されていた、保険料未納者に対する保険証の取り上げ(資格証明書の交付)が、後期高齢者にも導入されたことです。これにより(低所得)高齢者の受診機会が抑制され、結果的に医療費も抑制されることになります。

なお、冒頭で述べた政府・与党の後期高齢者医療制度の見直し策では、保険証取り上げについて、以下のような制限が加えられました。「資格証明書の運用に当たっては、相当な収入があるにもかかわらず保険料を収めない悪質な者に限って適用する。それら以外の方々に対しては、従来通りの運用とし、その方針を徹底する」。しかし、多くの自治体(国民健康保険)で、「相当な収入」がない保険料未納世帯からも保険証の取り上げが行われている厳しい現実を考えると、これで問題が解決したとはとても言えません。

以上から、私は、厳しい医療費抑制政策の見直しを行うためにも、後期高齢者医療制度の廃止が必要であると考えます。前号の「医療時評(56):医療改革-希望の芽の拡大と財源選択」でも指摘したように、最近は、「日本経済新聞」以外の主要全国紙(「朝日新聞」、「毎日新聞」、「読売新聞」)が、「社説」で医療費抑制政策の見直しを主張するようになっています。私はこのような論調の変化を歓迎しますが、これら3紙が、従来よりも一段と厳しい医療費抑制政策を含んだ、後期高齢者医療制度の廃止になぜ反対するのか、理解に苦しみます。

老人保健制度の復活が合理的

最近私は、ジャーナリストや他の研究者から、「後期高齢者医療制度の廃止の後にどのような制度を展望しているのか」とよく質問されるのですが、そのたびに、「老人保健制度を復活すること」と一言で答えています。

私は、『21世紀の医療と介護』(勁草書房、2001)で、「医療制度改革私論」について、次のように述べたことがあります。「もし医療保険制度を改革するのなら、既存の医療保険を都道府県単位の地域医療保険に統合・再編するのがもっとも合理的だと考える。なぜなら、どんな形であれ高齢者の医療制度を一般制度から分離すると、医療内容面での高齢者差別が導入される可能性があるからである。(中略)このような医療保険制度の文字通りの抜本改革を先送りするなら、現行の老人保健制度を国庫負担を拡大するかたちで微修正するのがもっとも合理的である」(14~15頁)。

私が理想的と考える制度の実現が当面は不可能であるのは明らかなため、老人保健制度の復活が現実的かつ合理的と考えるわけです。

厚生労働省も老人保健制度の維持をめざしていた

ここで見落としてならないことは、厚生労働省も、1990年代後半~21世紀初頭に、医療保険制度改革論議が空転し続けていたときには、本音では老人保健制度の維持を目指していたことです。それをもっともストレートに主張し続けたのは、中村秀一氏(当時大臣官房審議官)でした。「現在の[老人保健]制度で不合理な点はあまりない」、「[老人医療制度改革の]四案云々はさして重要ではない、本質には関係のないこと」(以上、『週刊社会保障』2134号、2001年)。「老人保健制度改革案は抜本改革ではないと批判されているが、財政効果を見ても、2007年までは非常に安定しているし、その先の2025年においても、それなりの持続可能性を目指している」(『週刊社会保障』2183号)。他の厚生労働省高官やOBも同様の発言をしていました。

当時、私はこれらの発言を、厚生労働省が医療保険制度の「抜本改革の必要性を否定し、今後も長期的に部分改革を続ける宣言」と肯定的に評価しました(『医療改革と病院』勁草書房、2004、73頁)。

保険者の代表は、5月29日に舛添要一厚生労働大臣と面会し、高齢者医療制度廃止法案に対して、「元の老人保健制度に戻せば皆保険制度の崩壊につながる」と口ををそろえて訴えたそうです(「Medifax」5月30日)。しかし、厚生労働省幹部が、老人保健制度の2025年までの「持続可能性」を保障していたことを考慮すると、この発言はあまりに感情的・感覚的です。

後期高齢者医療制度は「はずみ」で成立した

では、根本的欠陥を持ち、しかも厚生労働省も本音では反対していた後期高齢者医療制度がなぜ成立したのでしょうか?私は大学院での講義や医療関係者向けの講演で、この点について質問されるたびに、「後期高齢者医療制度は『はずみ』でできた」と答えています。具体的には、後期高齢者医療制度を含む医療制度改革関連法は、2005年9月の郵政選挙の圧勝により、自民党内で独裁的権力を確立した小泉純一郎首相が、自民党内の「抵抗勢力」や医師会・医療団体の抵抗を押し切って、強権的に成立させたのです。後期高齢者医療制度の維持に固執する人々は、異口同音に、この制度が「10年(人によっては20年)も議論した後に、ようやく成立した」と主張していますが、彼らはこの「決定的瞬間」を見落としています。

公平のために言えば、小泉首相の強権的裁断に先だって、2003年3月の閣議決定「医療制度改革基本方針」に、後期高齢者医療制度の創設が明記されていたのは事実です。しかし、それは従来の有力2案を単純に「足して2で割る」だけの実に安直なものでした(『医療改革と病院』25頁)。その結果、この閣議決定後の社会保障審議会医療保険部会は「会議は踊る、されど進まず」の状態が続き、具体的な制度設計についての合意には至りませんでした。そのために、私は、郵政選挙前は、医療保険制度改革は「空中分解する可能性が大きい」と判断していました(『医療改革と病院』27頁)。郵政選挙後の2005年11月30日にようやくまとまった同部会「意見書」ですら、被保険者・運営主体については両論併記でした。しかし、政府・与党はこの「意見書」を無視して、小泉首相の指示通り、その翌日に「医療制度改革大綱」を決定したのです。

私は、「医療制度改革大綱」の下敷きになった、厚生労働省「医療制度構造改革試案」(同年10月19日)を読んだとき、「内容・形式(構成と文章表現)の両方がきわめ粗雑」なことにあきれたことをよく覚えています(『医療改革-危機から希望へ』勁草書房、2007、102頁)。その理由は、小泉首相の強い指示により、「試案」が急ごしらえで作られ、厚生労働省内部で精査されることなく発表されたためです。

歴史に「イフ(If)」は許されませんが、私は、もし郵政選挙がなかったなら、後期高齢者医療制度は成立しなかった、と今でも思っています。これは決して私の独断ではありません。厚生労働省は後期高齢者の独自制度に最後まで「懐疑的」・「消極的」だったが、郵政選挙で圧勝した小泉首相の「小さな政府路線」路線と「巨大与党のパワー」により、後期高齢者医療制度を含む医療制度改革関連法が一気に成立したことは、最近、「朝日新聞」(4月24日「後期高齢者医療制度ができるまで」)「毎日新聞」(6月7日「一から分かる後期高齢者医療制度」)の優れたレポートでも確認されています。

それだけに、少なくとも医療政策の文脈では、いわば「はずみ」、「時の勢い」で成立した欠陥だらけの後期高齢者医療制度に固執する意味はないと思っています。「過てば則ち改むるに憚ることなかれ」(『論語』学而第一・八)

[本稿は『日本医事新報』2008年7月19日号に掲載した「後期高齢者医療制度廃止は無責任か?」に大幅に加筆したものです]

▲目次へもどる

2.論文:後期高齢者医療制度の廃止は「無責任」か?

(『日本医事新報』No.4395(2008年7月19日号):1頁)

後期高齢者医療制度(以下、同制度)をめぐる混乱は長引き、先の通常国会では、参議院で、野党4党が共同提出した後期高齢者医療制度廃止法案が可決された。私も同法案には賛成である。なぜなら、高齢者のみを一般の国民から切り離す同制度は、国民連帯という国民皆保険の根本理念にも、リスクの高い加入者と低い加入者をプールする保険原則にも反しており、これに比べると旧老人保健制度の方がはるかに優れているからである。

それに対して、政府・与党関係者は、「10年も議論した後にできた制度を廃止するのは無責任」と主張しており、多くの全国紙の「社説」もそれに同調している。しかし、このような主張は、同制度についての以下の3つの事実を見落としている。

第1は、同制度を含む医療制度改革関連法は、2005年9月の郵政選挙の圧勝により、自民党内で独裁的権力を確立した小泉純一郎首相の鶴の一声により成立したことである。同制度の大枠が2003年3月に閣議決定されていたのは事実だが、この閣議決定後の社会保障審議会医療保険部会は議論が空転し、2005年11月末の同部会「意見書」ですら、被保険者・運営主体は両論併記であった。

第2は、後期高齢者の医療を別建てにする根拠があいまいなまま、同制度が創設されたことである。2007年10月10日の社会保障審議会特別部会の「後期高齢者医療の診療報酬体系の骨子」は、「後期高齢者にふさわしい医療」を3点あげたが、その直後にそれを否定する次の記述も挿入された。「後期高齢者に対する医療の多くは、その範囲や内容が74歳以下の者に対するものと大きく異なるものではなく、患者個々人の状態に応じて提供されることが基本となる」。

第3は、同制度の根拠法となっている「高齢者の医療の確保に関する法律」には、従来よりも一段と厳しい医療費抑制策が、3つ含まれていることである。第1は、メタボリック症候群対策の目標を達成できなかった保険者にペナルティ(支援金の加算)を課すこと。第2は、医療費適正計画の目標を達成できなかった都道府県は、診療報酬点数の特例的引き下げを行えること。第3は、従来高齢者には禁止されていた、保険料未納者に対する保険証の取り上げ(資格証明書の交付)を導入することである。

これらを考慮すると、医療費抑制政策の見直しを行うためにも、後期高齢者医療制度の廃止が必要であると、私は考えている。

▲目次へもどる

3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算36回.2008年分その4:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

<高齢者と医療費、医療費の増加要因>

○高齢者の死亡前医療費が高額という神話
(Pan CX, et al: Myths of the high medical cost of old age and dying. International Journal of Health Services 38(2):253-275,2008)[総説]

本論文では、老年医学専門医が、豊富な先行研究を用いて、アメリカの医療政策に影響を与えている、高齢者の医療と医療費についての以下の7つの誤解を論駁している(カッコ内が事実)。(1)高齢者の増加が医療費増加の主因である(人口高齢化による年間医療費増加率は1%未満)。(2)人口高齢化により高齢者医療費が不可避的に増加し国家が破産する(高齢者の有病率・障害率は低下し続けている等)。(3)後期高齢者の死亡前医療費に上限を設ければメディケアは医療費を大幅に節減できる(メディケア医療費中の死亡前1年間の医療費の割合は過去20年以上安定している)。(4)高齢者に対する高額な入院医療は効果が無く、金の無駄遣いである(メディケアの2万ドル以上の高額医療患者のうち半数は1年後も生存)。(5)高齢者の終末期に高額のハイテク医療が広く行われている(死亡者の1人当たり医療費は70歳以降急速に低下する)。(6)メディケアは高齢者が必要とするすべての医療をカバーしている。(7)齢者がリビングウィル等の事前指示(advance directives)を持てば、死亡前にどの程度濃厚な医療を行うべきかというジレンマを解決できる(リビングウィル等は死亡前医療の意思決定にほとんど影響を与えない)。

二木コメント-高齢者医療(費)の7つの神話を、簡潔かつ「根拠に基づいて」否定しています。データはすべてアメリカのものですが、日本でも、高齢者の終末期医療費が膨大であるという感覚的主張が後を絶なたいだけに、一読に値すると思います。

○日本の教育病院における[入院]患者の年齢と医療資源利用との関連 (Ishizaki T(石崎達郎), et al: Association between patient age and hospitalization resource use in a teaching hospital in Japan. Health Policy 87(1):20-30,2008)[量的研究(多変量解析)]

本研究の目的は、患者の年齢と1年間の累積医療資源利用との関連、および年齢区分間の資源利用分布の平等性について、検討することである。そのために、ある教育病院の35歳以上の入院患者9695人の業務データを用い、多重線形回帰分析モデルにより、1年間の累積資源利用(総医療費、画像診断費、薬剤費)に関連する要因を探究した。合わせて、年齢区分間の累積資源利用の不平等度を検討するために、ジニ係数を計算した。

その結果、生存患者(9145人)には、年齢と3つの資源利用との間に二次方程式で近似できる有意の関連が見られたが、死亡患者(550人)にはそのような関連はなかった(生存患者では年齢が高くなるほど医療費が高くなるが、死亡患者では年齢が高くなっても医療費は増えなかった)。他面、全患者で、累積入院期間は資源利用と強い関連があった。累積資源利用は非常に不平等であったが、このような資源利用の不平等は年齢区分とは対応していなかった(高齢者ほど医療費の不平等が増えるわけではなかった)。

二木コメント-1年間の累積医療利用(入院医療費)と年齢区分との関連を日本のデータを用いて実証的に検討した初めての研究と思います。アメリカの先行研究と同じく、高齢死亡患者の医療費が巨額であるとの「神話」を否定しています。重回帰分析前の生データで見ると、35~44歳の死亡患者の累積入院医療費が40,733ドルであるのに対して、65~74歳(前期高齢者)のそれは31,586ドル、75~84歳のそれは21,136ドルにすぎません。なお、地域の基幹的急性期病院の入院患者を対象にして、後期高齢者の1入院当たり医療費が、死亡退院患者、生存退院患者とも、前期高齢者より低いことを実証した日本初の研究は、白木克典・他「死亡高齢者の医療費は本当に高いのか-入院医療費の年令階層別分析・2」(『病院』61(7):578-582,2002)です。

○年齢と余命のどちらが[将来]医療費をより的確に予測するか? (Shang B, et al: Does age or life expectancy better predict health care expenditures? Health Economics 17(4):487-501,2008.[量的研究(多変量解析)]

年齢と(期待)余命のどちらが将来医療費をより的確に予測するかという問いはまだ未解決である。そこで、個人の人口学的特性と健康状態に基づいて余命を予測するハザードモデルを作成した上で、回帰分析により年齢と余命の将来医療費の予測力を比較した。その結果、余命に基づく予測を行った後では、余命調整後の年齢には将来医療費の追加的予測力がほとんどないことが明らかになった。ただし、モデルに健康状態尺度を導入した場合には、余命そのものの予測力は減少した。この結果は、今後の余命延長による医療費増加は、現在の年齢別医療費データに基づく医療費予測モデルから得られる数値よりも小さくなることを示唆している。

二木コメント-著者(アメリカのランド研究所所属)は統計的手法の斬新さを強調していますが、結果は月並みです。

○何が医療費を増加させるか?ボウモルの「不均衡成長」[モデル]再訪 (Hartwig J: What drives health care expenditure? Baumol's model of "unbalanced growth" revisited. Journal of Health Economics 27(3):603-123,2008.[量的研究(多変量解析)]

医療費のGDPに対する割合はほとんどすべてのOECD加盟国で急速に上昇しているが、経済学者の間ではいまだに医療費増加の主因についての合意はできていない。本論文では、ボウモルが1967年に提唱した「不均衡成長のマクロ経済学モデル」に注目し、OECD19か国のパネルデータを用いて、医療費増加は生産性上昇を上回る賃金上昇によって生じているとの仮説を検証する。その結果、バウモル理論[投入される人間労働の量と質によって産出物の価値が直接評価されるような経済諸活動では、費用の累積的上昇が不可避的に生じる-二木補足]を支持する頑健な証拠が得られた。

二木コメント-この結果も常識的と言えますが、日本の医療費増加の要因分析ではほとんど無視されていると思います。この点とも関連する、日米の医療費増加要因研究の違いについては、拙著『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』(勁草書房,1994,200-202頁)参照。

<医療経済・政策学の理論問題>

○アメリカ国民は質調整生存年1年にいくら支払う意思があるのか? (Weinstein MC: How much are Americans willing to pay for a quality-adjusted life year? Medical Care 46(4):343-345,2008)[評論]

医療分野の費用効果分析[アメリカでは費用効用分析も含む-二木]と質調整生存年(QALY)1年当たり費用は世界的に広く用いられており、イギリスのNHSでは新規サービスを給付対象に加える際に、QALY1年当たり3万ポンド(以下)という基準を用いていると言われている。しかし、アメリカでは費用効果分析はごく限定的にしか使われておらず、メディケア・メディケイド・サービスセンターも、新規医療サービスの保険給付の適否を判断する際に、QALY1年当たり費用を用いてはいない。他面、アメリカでは、一部の研究者の間で、QALY1年当たり5万ドルという数字が、新規医療サービスの使用が正当化される神話的基準にされている。しかし、その出所は不明であり、しかもQALYの延長は医療のみで達成されるわけではないし、このような「平均費用」は「限界費用」(患者は重病時にはわずかのQALYの延長のためにも高額な費用を支払う意志がある)を過小評価することになる。普遍的なQALY1年当たり費用を求めたり、すべての医療サービスをこの数値によってランク付けしようとするのは、国民全体の集合的健康状態を極大化しようとする「善意の独裁者」の仕事である。アメリカ国民が、すべての国民にすべての効果的な医療サービスを提供する意思も能力もないと気づくまで、QALY1年当たり費用の基準は必要とされないであろう。

二木コメント-これは、Braithwaite RS, et al: What does the value of modern medicine say about the $50,000 per quality-adjusted life-year decision rule? (Medical Care 46(4):349-356,2008)「現代医学の価値はQALY1年当たり50,000ドルという意思決定基準をなんと評価するか?」に対するコメント(Editorial)ですが、独立した論文としても一読に値します。執筆者のWeinstein氏はアメリカの医療効果分析研究の大御所です。なお、本「ニューズレター」43号で紹介した、Cutler等の論文「医療技術のもたらす生涯[医療]費用・便益」では、アメリカでは余命1年延長の価値(費用)が約10万ドルとされていましたが、これは本論文で言及されている基準(QALY1年当たり5万ドル)の2倍です。

○線形操作変数法を医療サービス研究と医療経済学において用いることへの警告
(Terza JV, et al: The use of linear instrumental variables methods in health services research and health economics: A cautionary note. Health Services Research 43(3):1102-1120,2008)[理論研究]

医療サービス研究や医療経済学のシミュレーション研究や現実世界のデータ分析において、各種の因果関係を推計するために、医療データが非線形であるにもかかわらず、本来線形データに対してのみ用いられるべき伝統的な線形操作変数法が用いられている。その結果、結果に重大なバイアスが生じ、しかもそのバイアスは標本数が増えても軽減しない。

二木コメント-伝統的な医療の計量経済学的分析の根底を揺るがす警告です。実は、医療データが線形ではない(正規分布ではなくべき分布をしていること)を、DRGの病名分布データと在院日数データを用いて、世界で初めて実証したのは、日本の田原孝氏と日月裕氏(共に、現在日本福祉大学教授)等です。具体的には、以下の諸論文です。(1)田原孝・日月裕「実践から病院情報システムの功罪とその在り方を考える-今後のあるべき医療情報システム-カオス・複雑系医療への序章(その1,2)」『病院』60(2,3):128-134,233-239,2001.(2)Tachimori Y, Tahara T: Clinical diagnoses following Zipf's law. Fractals 10(1):341-351,2002.(3)胡内誠・日月裕・星雅丈「急性期病院と療養・介護型病院における入院期間分布の違い」『第25回医療情報学連合大会論文集』245-248,2005.

○健康の社会的不平等:二分法か漸増か?[4か国の]国民公衆衛生プログラムの問題設定の比較研究 (Vallgarda S: Social inequality in health: Dicotomy or gradient? A comparative study of problematizations in nattional public health programmes. Health Policy 85(1):71-82,2008)[量的研究]

デンマーク、イングランド、ノルウェイ、スウェーデン4か国の最近の公衆衛生プログラムを検討し、健康の社会的不平等がどのように記述・説明・示唆されているか、つまり問題設定されているかを分析した。これらのプログラムで定義されている健康の不平等の理解には、人口全体対不利な立場にある少数派とする二分法と、社会階級や教育レベルが低くなるほど不平等が漸増するとする2つの立場がある。それに対応して、健康の不平等を減らす政策も、不利な立場にある少数派に焦点を当てる残余的福祉国家モデルと、人口全体を対象とする普遍的福祉国家モデルに二分できる。しかし、現実には、4か国の政策はすべて2つの立場・モデルの混合型であった。しかもイギリスの政策は他の北欧3か国と類似しており、イギリスと3か国との差よりも、北欧3か国間の差の方が大きかった。この結果は、エスピン=アンデルセンの提唱した「北欧福祉国家モデル」という考えを否定している。

二木コメント-私は、以前から、エスピン=アンデルセンの「福祉資本主義の3つのモデル」論は医療政策の国際比較には全く役立たないと主張してきました(『医療改革と病院』勁草書房,2004,62-64頁)。本論文では、それが公衆衛生領域でも言えることが、詳細な事例分析により実証されています。

▲目次へもどる

4.私の好きな名言・警句の紹介(その42)-最近知った名言・警句

訂正:前号(14頁)の本欄で、3人目に紹介した本山美彦氏の名言への私の「コメント」中の、イエズス会の「ラヨロ」は、イエズス会の「ロヨラ」の誤記(転記ミス)です。

<研究と研究者のあり方>

<その他>

▲目次へもどる
Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし