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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻60号)』(転載)

二木立

発行日2009年08月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

拙論「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」が「日経メディカルオンライン」に8月1日掲載されました。

これは、『文化連情報』9月号(9月1日発行)に掲載予定の同名論文の圧縮版です。

『文化連情報』掲載論文は、私の「ニューズレター」61号(9月1日配信予定)に転載しますが、ご関心のある方はダイジェスト版もお読みいただければ幸いです。

なお、「日経メディカルオンライン」は会員制サイトですが、医師・医療職でなくても、簡単に入会手続きができます。


1.インタビュー(1):医療提供の仕組みを国が統制してはいけない

医療界・医学界主導で専門医制度の確立を
(『週刊東洋経済』2009年7月18日号(6212号):86-87頁)

二木立・日本福祉大学教授は1994年に著した『「世界一』の医療費抑制政策を見直す時期』(勁草書房刊)で、厚生省(当時)による医療費抑制政策の弊害を研究者としていち早く指摘。医療費は抑制ではなく、総額拡大が必要だと唱え続けてきた。小泉政権下で極まった医療費抑制政策は福田政権発足を機に見直しが始まり、2009年度の「骨太の方針」(経済財政改革の基本方針)では社会保障費の自然増削減方針も事実上撤回された。はたして、医療政策の転換は本物といえるのか、二木氏に尋ねた。

―医療の再生にはどんな手立てが必要でしょうか。

よりよい医療制度を目指した改革を行ううえでは、三つの幻想を捨てる必要がある。第一の幻想は、抜本改革が必要だという考え方だ。医療は赤ちゃんからお年寄りまで全国民を対象とした唯一の社会保障制度であるだけに、すべての利害関係者に大きな影響を及ぼす抜本改革は不可能。これは国際的常識だ。すべての国民が最適な医療を公平に受けられるという医療保障の理念を明確にしたうえで、部分的な改革を積み重ねていく以外に方策はない。

第二の幻想は、外国の制度のよいところを選択的に導入すれば日本の医療制度は改革できるというものだ。だが、医療制度はその国の歴史と文化に根ざしている以上、それを踏まえて改革を行わざるをえない。

そして第三の幻想は、医療には無駄があるから、効率化によって、医療の質の向上と医療費抑制の両立が可能だということ。これは医療経済学的に否定されている。医療の質の向上には、医療費拡大が不可欠だ。

医療費拡大は必要条件 自己改革は着実に進展

重要なことは、医療再生の必要条件と十分条件の区別だ。必要条件とは、医療費抑制政策と医師数抑制政策の見直し。日本の人口当たり医師数と医療費水準が主要先進国(G7)で最下位だという事実は、医療費抑制を強く唱えた09年の財政制度等審議会建議ですら認めている。ただ、これら両者の見直しは必要条件であり、これができれば医療問題が自動的に解決するわけではない。

―二木さんは07年に著した『医療改革』(勁草書房刊)の中で、医療政策に転換の兆しが見られると指摘する一方で、医療界の自己改革努力にも着目しました。これも、医療再生に向けた動きだといえますか。

マスコミはあまり報道しないが、05年以降、医療専門職団体の自己規律強化の動きが始まっており、この点では改革が着実に進んできた。医療法人でありながら、非営利性をこれまでにないレベルまで高めた社会医療法人制度が発足し、同法人に衣替えする民間医療機関が現れてきた。また、今年1月には医療団体のリーダーシップによる産科の無過失補償制度がスタートした。

08年度の診療報酬改定で画期的だったのは、診療報酬本体の引き上げ分1000億円が丸ごと急性期病院に向けられたうえ、診療所分も500億円削って、急性期病院に上乗せされたことだ。総額1500億円で、金額としては大きくないが、診療報酬改定の歴史の中では、「診療報酬改定イコール開業医優遇」というステレオタイプの見方では理解できない変化が起きた。これも広い意味での医療界の自己改革だと思う。

―昨年の社会保障国民会議の最終報告は、医師や看護師など医療従事者を増やすことが必要だと指摘しました。たとえば看護師を増やすために、どんな方策が必要ですか。

看護教育に対しては公費負担の拡大が必要だ。診療報酬については、看護師の配置数に基づく入院基本料の引き上げが不可欠。また、院内保育所の整備や休職者の復職支援のための研修制度の充実も重要だ。

―地域医療の再生策として、医療機関の機能分化が必要だとの指摘もあります。

医療機関の場合、一般の企業とは異なり、機能分化=「選択と集中」だけをするわけにはいかない。あくまでも個々の医療機関の機能分化と地域全体での連携をワンセットで行う必要がある。その具体的なあり方は地域によって多様であり、普遍的なモデルは存在しない。また、機能分化すれば医療費は少なくてすむわけではない。機能分化の大前提は急性期医療の強化だが、一般の常識とは逆に、平均在院日数を短縮すると医療費が上がることは、昨年、社会保障国民会議も公式に認めた。

―救急医療の崩壊や大病院への患者集中を防ぐために、開業医を「家庭医」として位置づけ、最初の受診は家庭医で行うことを義務づけるべきだとの意見もあります。

家庭医機能の強化は、誰も否定しない。問題は、家庭医を国が制度化し、英国のように患者を登録制にしたり、医師の報酬を患者数に基づく人頭払いにすることだ。この点に医療界の警戒が根強いのは当然だ。

日本の開業医の技術装備は欧米よりもはるかに高い。診療所でレントゲンや心電図が撮れ、胃カメラ検査ができる国はない。日本では診療所の担うプライマリケア(一次医療)が欧米に比べて相当厚く、これが医療費が相対的に低い一因になっている。

―日本の医療制度はうまく機能しているということでしょうか。

一般には否定的に見られている外来主導型の医療がむしろ医療費の効率的な使用を実現している面がある。プライマリケアをこれ以上薄くすると、不必要な入院が増えてしまう。

医師配置に関する緩やかな枠組み作りを

―立て直しのうえでは綿密な対応が必要だということですね。

私が言いたいのは、医療の提供体制については、国家が統制してはいけないということ。医師は自律性がないと力を発揮できない職業だ。僻地勤務義務化などの規制強化は、大きな過ちをもたらすと思う。

―04年度にスタートした新臨床研修制度が医師偏在を加速し、地域医療崩壊のきっかけを作ったとの批判も根強く存在します。

新臨床研修制度の期間短縮を主導したのは大学病院で、すべての病院団体は期間短縮には反対した。同制度は、劣悪だった研修医の待遇を改善し、プライマリケア医としての能力を高めるという所期の目的を達成しているというのが大方の評価だ。制度発足後、研修医の臨床能力が高くなったことは、いろいろな調査で判明している。今の制度の大枠は維持すべきだと思う。

ただし、医師不足に直面した地方の大学病院による同制度への批判にも一理ある。医師の地域偏在の解決には、医学部の地域枠(地元出身者の優先入学枠)の大幅拡大が不可欠だ。同時に、医師会や病院団体、医学会などが加わった、都道府県単位での医師配置に関する緩やかな枠組み作りも検討すべきだ。根本的な問題解決は医師の数が増えることだが、6~7年、あるいは10年かかる。併せて、日本学術会議が昨年提唱した全科共通基準の専門医制度の確立も必要だ。今のような自由放任型の学会専門医制度ではなく、必要数を定める制度にすべき。そうなれば、診療科目ごとの偏在も是正されていくだろう。

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2.インタビュー(2):医療改革の「希望の芽」の拡大を

『医療改革と財源選択』の出版にあたって
(『文化連情報』2009年8月号(377号):18-25頁)

―今回、2007年11月に出版された『医療改革―危機から希望へ』から約1年半での出版となりますが?

二木 前著もそうでしたが、この本の事実上の生みの親も『文化連情報』で、まずそのことにお礼を申し上げたいと思います。高杉進前編集長に、2004年10月号から、「二木立教授の医療時評」という連載枠を頂いてから、ほぼ毎月書かせて頂いています。今回の本には、2007年10月から今年4月までに発表した主要論文を26本収録したのですが、そのうち15本、6割が、『文化連情報』に最初に掲載させて頂いた論文です。それ以外に、他の雑誌に掲載した後、こちらに転載した論文も加えますと、20本以上が『文化連情報』に掲載したもので、この連載がなければ、前著から1年半という短い間隔で、新しい本を出版することはとてもできませんでした。毎月書くことには大変な面もありましたが、逆に連載枠があるということで問題意識や緊張感を保つことができたため出版できたと思い、感謝しています。

「小さな政府」路線から中福祉・中負担路線へ

―こちらこそ、毎月連載して頂きありがとうございます。まずは、今回出版された『医療改革と財政選択』の目的といいますか、ねらいについてお聞かせ下さい。

二木 2008年以降生じた医療・社会保障の政策転換を「複眼的」に評価して、医療改革の「希望の芽」の拡大をさらに促進する。そのために不可欠な公的医療費増加の財源確保の道を提起することが、主要な目的です。

詳しくお話しますと、前著『医療改革―危機から希望へ』を2007年11月に出した時に、私が一番強調したことは、当時、「医療危機」「医療荒廃」と非常に絶望的な雰囲気が医療関係者の間で強かったのに対して、小泉政権が終わって安倍政権、さらには福田政権になって、医療政策の基調は変わらないけれども、医療改革の肯定的な「希望の芽」が新しく生まれてきたことです。幸いなことに、大体私の予測が当たって、2007年にわずかながら出てきた「希望の芽」が、2008年には明確になりました。誰の目から見ても、一方的に危機が進んでいるのではないことが明らかになったのが2008年だと思います。

その直接の契機となったのが、一昨年の参議院選挙がもたらした、いわゆる「ねじれ国会」です。これが小泉政権時代の医療・社会保障費の異常な抑制政策を行き詰まらせて、福田政権、それから麻生政権の下で、部分的な見直しが始まったのです。これについては、理念の問題と現実の政策を区別する必要があります。まず理念のレベルでは、小泉政権時代に一世を風靡した「小さな政府」路線から、社会保障の機能の強化、あるいは中福祉・中負担路線への転換が閣議決定のレベルで行われました。次に個別の政策で画期的なのは、1982年から四半世紀続けられてきた医師数抑制政策が、閣議決定のレベルで正式に転換されて、医師数増加政策に変わったことです。さらに、これはまだ閣議決定のレベルでは行われていませんが、小泉政権の置き土産と言える「骨太の方針2006」に明記された社会保障費抑制の数値目標、1年当たり2200億円、5年間で1兆1000億円削減が事実上棚上げされました。

それから、小泉政権の時代に猛威をふるった、医療分野にも市場原理を導入しようとする「新自由主義」的な医療改革シナリオが、少なくとも政府組織のレベルではほぼなくなりました。これらは、すごく肯定的な面だと思います。

公的医療費の総枠拡大が不可欠

ただ、ここで見落としてならないのは、医療費抑制政策そのものは小泉政権が突然導入したのではなく、1980年代から歴代の政府が延々続けてきた政策で、私は「世界一厳しい」という表現を使っていますが、その上に、小泉政権がさらに厳しい医療費抑制政策を導入したことです。2007年、2008年で、小泉政権時代の異常な医療費抑制政策の見直しは始まったけれども、1980年代から延々と続いている世界一厳しい医療費抑制政策の本格的な見直しには、まだ手が付けられていないのです。先ほど「複眼的に」と言いましたが、それにはこういう意味があるのです。

医療関係者なら誰でも知っているように、2006年から顕在化した「医療危機」とか「医療荒廃」が、一方でさらに進んでいます。この解決のためには、小泉政権時代の過度な医療費抑制政策を見直すだけではなくて、1980年代から続けられてきた医療費抑制政策そのものを転換しないといけない。しかし残念ながら、そこまではいっていないというのが、私の認識です。

―四半世紀続いている医療費抑制政策の転換となりますと、財源問題などいろいろな課題が出てきますね。

二木 医療費抑制政策を転換するためには、私自身以前から言っているように、医療者の自己改革が絶対に必要ですが、それに加えて、日本の医療費水準をヨーロッパ諸国並みに引き上げる、公的医療費の総枠拡大が不可欠です。しかし残念ながら、その財源についての国民合意は得られていません。しかも、去年9月のアメリカの金融危機に端を発する世界同時不況の下では、短期的には国民負担増加の議論は今まで以上に困難になっています。歳出の無駄をなくして、あるいは「霞が関埋蔵金」を活用すれば、医療費増加の財源は捻出できるという期待も、医療関係者を含めて根強くあります。しかし、冷静に考えると、日本は、どんな指標をとってもアメリカと並ぶ小さな政府です。そのために、無駄をなくすだけでは、とても財源が捻出できないのです。

さらに国民負担というと、一般的には消費税という言い方がされます。私は消費税の役割を全否定しているわけではないのですが、日本の医療保障制度は、医療保険、社会保険方式を基盤にしており、しかもすべての政党が国民皆保険制度を維持する、あるいは堅持するという完全な合意があります。そうだとしたら、他の社会保障分野と違って、医療保障分野では医療費拡大の主財源は保険料の引き上げがベースになって、それを消費税を含む公費で補うしか現実的な選択肢はないと私は考えています。以上がこの本の目的と課題意識で、こういう視点からこの1年半に書いてきた論文をテーマに沿って整理しました。

アメリカ流の市場原理・新自由主義が破綻

―本書を読ませていただきますと、同時不況という問題やオバマ・アメリカ大統領の医療政策について注目されていますけども、日本への影響について具体的にお聞かせ下さい。

二木 これは、序章の「世界同時不況と日米の医療・社会保障」で詳しく論じています。医療関係者の多くは、以前から希望を失っていて先が見えなくなっていましたが、昨年の9月に世界金融危機、それから世界同時不況になると、それが加速して、過度に悲観的なムードが広がっています。これだけ経済が厳しくなったのだから診療報酬の引き上げは不可能で、来年はマイナス改定だとか、あるいは国民の失業率が高くなると受診率が下がるので医療機関の倒産が増えてしまうから、「病院大倒産時代」が到来するとか、そういう議論すら生まれているのが現状です。しかし、そうではありませんよということを、この論文で強調しました。もちろん、世界同時不況が日本だけでなくて、世界の国民や社会に大変な打撃を与えていることは事実です。しかし、見落としてならないのは、この世界同時不況には、世界史的に大きな意義、プラスの面もあることで、この点を指摘した上で、世界同時不況が日本の医療・社会保障に与える影響を考えました。

世界政治の大きな流れは、1980年代以降、特に冷戦が崩壊してからは、アメリカの独り勝ちでした。その下での経済政策では、アメリカ流の市場原理・新自由主義が一世を風靡したのですが、それが破綻したことが、世界同時不況が明らかにした一番大きなことだと思います。ほんの10年前までは「死んだ」と言われていたケインズ主義が復活し、いまやアメリカを含めてすべての政府の政策担当者はケインジアンになったと言われるぐらいの大きな変化が起こっています。

さらに2番目に、経済の枠を越えて、アメリカのイラク・アフガニスタンへの「侵略戦争」が行き詰まったことで、経済的な破綻だけではなく、政治的・軍事的な破綻も重なり、アメリカの一極支配的な体制が崩れたことが、世界史的に見てすごく大きいことだと思います。

3番目は、これは自分の研究に引き寄せての話ですが、世界の政治や経済政策の右傾化と重なって、経済学の分野でも、市場原理を無条件に賛美する新自由主義的・市場原理主義的流れが一時相当強まったのですが、今回の不況を通して、政府の役割が見直されました。市場の役割を否定することはもうできませんが、市場の役割を認めた上で、政府や社会保障制度の積極的役割を重視する潮流が強まった。これは学問的に言うと「制度派経済学」というのですが、それの復権が進む可能性が強い。この「制度派経済学」は、医療・社会保障を重視し、ほんの一昔前には完全にタブーになっていた大きな政府志向です。それの復権の可能性が出てきたことは、すごく大きいと思っています。

新自由主義的な医療改革の復活はありえない

世界同時不況が日本の医療・社会保障に与える影響は、未来の話ですから確定的には言えませんが、私は確度が高い順に4点挙げました。第1点は、小泉政権時代に一世を風靡した新自由主義的な医療改革の復活はありえないことです。目前に迫っている総選挙で、自民党を中心とした政権が続くのか、民主党を中心とした政権が樹立されるのかは、今の段階で予測できませんが、民主党が中心の政権では、6月17日の党首討論でも、鳩山党首が、医師数を大幅に増やすとか、診療報酬を大幅に上げることを、事実上公約しました。自民党政権が継続した場合でも、小泉政権のような厳しい医療費抑制政策、あるいは医療分野への市場原理導入の復活はあり得ないことは、断定できます。

2番目に、社会保障費抑制の数値目標が見直される可能性が生まれました。6月23日に閣議決定された「骨太の方針2009」では、2200億円削減は名目上は残されましたが、事実上は実施しないとされましたし、臨時国会で成立した今年度の補正予算でも完全に崩れてしまっています。経済危機対策が15兆4000億円、そのうち厚生労働省関係予算が4兆6718億円ということで、「骨太の方針2006」の抑制目標が1年2200億円ですから、ラフに計算しても21年間分を予算配分しています(笑)。

3番目に、可能性が大きいのは、やや期待を込めてのことなのですが、今までの外需主導経済から内需主導経済への転換の中で、医療や社会保障の拡充の可能性が出てきたことです。内需主導経済への転換は麻生政権の国際公約です。約20年前、1985年のプラザ合意の時にも内需拡大が国際公約とされましたが、当時は、アメリカの圧力もあり、内需拡大イコール公共事業でした。しかし、公共事業をさらに大幅に増やす選択肢はもはやありません。そうしますと、医療や社会保障が今後の内需主導経済への転換の柱、正確に言うと1つの柱になる可能性があるのです。

この点で一番象徴的なのが、昨年の『平成20年版厚生労働白書』に、医療・福祉の経済波及効果や雇用誘発効果が、公共事業を含めた他の産業よりも大きいという実証研究の結果が掲載されたことです。実は、この研究は医療経済研究機構、厚生労働省の外郭団体が、2004年に発表しました。しかし当時は、小泉政権の最盛期ですから、報告書としては発表されたけれど、完全に無視されました。ところが、今や政策の潮目が変わり、厚生労働省も『厚生労働白書』に堂々と載せるようになったのです。厚生労働省自身が小泉政権時代の社会保障費の異常な抑制で疲弊していますから、彼らの復権のためにもこれを載せたのだと思います。ただ、問題なのはその財源をどこから調達するかについて、まだ国民合意が得られていないことです。

4番目に、私はリアリストですから、今の世界同時不況がさらに世界恐慌、1929年~30年代型の大恐慌が再現した場合には、話が変わってくるという可能性も書きました。しかしこの間の動きを見ていますと、まだ楽観は許されないけれども、世界大恐慌が再来する可能性は相当減ってきていると思います。少なくとも、それが確実だと叫んで、「狼少年」みたいに危機を煽らない方がいいと思っています。

医療・社会保障拡充の政策に転換する基礎ができた

―世界同時不況が、「危機から希望へ」の流れを促進している部分というのがあるということですね。政策的にはどのような事なのでしょうか。

二木 これには二面あります。世界同時不況により、一方では、税収や保険料収入が減ったことがものすごい逆風になっています。公的な医療費を増やそうと思ったら財源が必要なのですが、今はどんな政党だって、総選挙を前にして負担増は言えないのです。他面、世界同時不況により、先ほど述べたように、市場原理主義的あるいは新自由主義的な改革は不可能だということが国際的な共通認識になったという点では、将来的に医療・社会保障拡充の政策に転換する基礎ができたと思うのです。

この本には、オバマ・アメリカ大統領の医療政策についての論文を2本入れました(序章第2節1・2)。これらの論文をなぜ書いたかというと、日本の医療関係者にはアメリカに注目する人が多く、オバマ政権にすごく期待を持って(私も期待を持っていますが)、オバマ政権が国民皆保険を提起している、だから日本の改革に追い風になるという主張が一部にあったからです。しかし、オバマ大統領は徹底したリアリストで、彼の選挙公約を見ても、国民皆保険という表現は1カ所もありません。

ただし、本書では、皆保険ができる可能性が1つだけあるとも指摘しました。それは、起こっては困りますが、世界大恐慌が起きた時なのです。ちょっと考えると、大恐慌が起きたら社会保障が崩壊するというイメージがありますけれど、逆なのです。アメリカで大恐慌が生じ、アメリカの医療保険制度をこれまで支えてきた民間保険や民間大企業が支えられなくなってしまい、民間医療保険が完全に崩壊してしまったら、国として、社会統合を維持するために、国民皆保険に乗り出さざるを得ないのです。1929年の世界大恐慌の後に、ルーズベルト大統領がアメリカの社会保障制度をつくったのですが、それの再来の可能性があります。なお、アメリカの現在の社会保障制度は事実上の年金制度です。

先ほど、日本でも、もし世界恐慌が起こった場合にはかなり厳しいと言いましたが、その場合ですら、国民皆保険が解体されることはありません。逆に、国民生活を支える柱として強化される可能性の方が大きいと思います。

医療費抑制政策を転換しないと

―小泉内閣の新自由主義的な政策がやっと破綻したと書かれていますけれど、小泉内閣の害悪というのは相当なものでしたか。

二木 第2章「小泉・安倍政権の医療改革」に詳しく書きました。小泉政権の医療・社会保障政策には、二つの側面があります。一つは、医療分野に市場原理を初めて導入したことです。しかしこの面は、実は小泉政権の時代にすらうまくいかなかった。具体的にいうと、小泉政権が成立した直後の2001年6月に、いわゆる「骨太の方針」が閣議決定されて、その中には、混合診療の解禁、株式会社による医療機関経営の解禁、医療保険と医療機関の個別契約の解禁、この3つが盛り込まれました。しかし、この3つは、あれほど強力だった小泉政権ですらごくごく部分的にしか導入できなかったのです。

もうひとつ、小泉政権の医療政策には新自由主義的な改革だけではなくて、今までの歴代自民党政権とはケタ違いに厳しい医療費抑制、患者負担増加政策も含まれていました。残念ながら、こちらは実施されてしまい、それが、国民、患者、医療関係者にものすごく大きな打撃を与え、現在の医療荒廃、医療危機を生んだと言えます。その見直しがいま始まっているのですが、一度医療危機、医療荒廃が進むと、慣性の法則で続いてしまいます。ですから、小泉政権の過度な医療費抑制政策をやめるだけでは問題は解決せず、四半世紀続いている医療費抑制政策そのものを転換しないと、将来展望はなかなか生まれてこない。そういったことをこの本で訴えました。

公費負担イコール消費税というのは短絡的

―そうなってきますと、今度は、この著書の主題であります財源問題が焦点になってきますね。消費税問題も含めて書かれている内容をご紹介いただければと思います。

二木 この本の冒頭1ページに、アメリカのノーベル経済学賞受賞者で、新自由主義的政策に一貫して反対し続けているスティグリッツの名言を引用しました。「私は何事も厳しく評価する人間だが、基本的には評価は相対的に行なっている」です。国民本位の改革の実現可能性が全くないときには、理想を強調するだけでもよいのかもしれませんが、いま言ったように、現在は本当に改革の可能性が生まれつつある時なのです。そのときに、実現可能性を抜きにして理想論だけを言っていいのか、現実を一歩でも進めるために何をしたらいいのかということが、私の問題意識です。

公的医療費増加の財源について、大きく分けると3つの選択肢があります。1つは、社会保障の財源イコール消費税だという主張。2つ目は、医療関係者や国民の間で一番多い、負担増は反対、政府の無駄を洗いざらい無くして、それを医療・社会保障の財源に回せという主張。それから3つ目は、医療に関しては、社会保険料を主財源にすべきだという主張。この3つに分かれるのです。

社会保障全体で言いますと、消費税という議論が結構多いと言えます。すべての全国紙がそう主張しています。しかし、財源については、社会保障一般ではなく、制度ごとに分析的に検討する必要があります。例えば少子化対策、これは税金しかあり得ません。社会保障には含まれませんが、教育費の公費負担も同じです。このように税金だけでしか賄えない制度もあることを理解しなければいけないと思います。それに対して、先ほども言いましたように、日本の医療保障は、社会保険方式を基礎にしています。そして、今の財源構造を見ますと、5割が保険料、3割強が公費、1割強が患者負担で、この枠組みは、社会保険方式を維持する限り崩せないのです。そうだとすると、主たる財源は社会保険料しかないのです。このように社会保障改革は、個別の制度ごとに考えないといけないので、社会保障全般で消費税云々という議論はおかしいと思っています。

しかも公費について、消費税は一つの選択肢だけれども、それ以外にもいろんな選択肢があります。例えば、アメリカのオバマ政権が導入したように、高所得者の所得税率を引き上げるとか、あるいは相続税の引き上げ、さらには、額は小さいですが、たばこ税や酒税の引き上げです。私は、今の皆保険制度を維持するためには、社会保険料の引き上げを主にするしかないと思っていますが、補助的に公費を投入する場合にも、幾つかの選択肢の中で消費税を位置付けるべきで、公費負担イコール消費税というのは、ちょっと短絡的だと思っています。

現実的な可能性を考えると社会保険料の引き上げ

しかし、国民の間でも、医療関係者の間でも、感情的に一番多いのは、政府の無駄をなくせということで、その象徴が2つあります。公共事業費と軍事費です。しかしこの本の36頁にも図を載せましたが、日本の公共投資の規模(対GDP)が、他の先進資本主義国に比べて3倍という時期は、90年代の半ばまで、つまり10年以上前なのです。

―私は、現在もそのような構図になっているのかと思っていましたが……。

二木 グラフで見ていただくと分かります。2007年の時点でGDP比3%ですから、ほかの主な資本主義国に比べて、やや高いけれども、突出して高くなってはいません。もちろん、私もまだ無駄があると思っていますが、3%の水準を0%にすることはできませんから、大きな財源は出てきません。

また、私は平和主義者ですから、軍事費は減らしたほうがいいと思いますが、日本の軍事費はGDP比1%にすぎません。ですから、仮に全部なくしたとしても、1%というのは国民医療費増加の1~2年分にすぎないのす。しかも、国会で軍事費の大幅削減を主張している政党の議席はごく少ないため、少なくとも短期的には、実現可能性はありません。

ここで、誤解をしてほしくないのですが、価値判断はどうかと問われると、私は公共事業や軍事費の削減には賛成です。けれども、現実的な可能性を考えると、社会保険料を主と言わざるを得ないのです。小泉政権の前の時代、日本の医療制度がそれなりにうまくいっている時だったら、実現可能性は無視して理想論だけを考えてもよかったと思うのですが、今の医療は、昔のハリソン・フォードの映画名を借りれば、「今そこにある危機」に直面しています。何十年先の理想論を語ることを、私は否定しないけれども、いま何をするかということを考えると、社会保険料の引き上げを主張せざるを得ないのです。社会保険料の引き上げや国民負担の増加はあまり評判が良くないのですが、あえて書きました。

低所得者の保険料は上げない

―社会保険料が主たる財源となりますと、保険料の個人負担増などの問題も出てきますね。

二木 ええ、そうです。社会保険料引き上げという話をすると必ず出されるのは、国民健康保険料が高いから、貧しくて保険料を払えない人が多い、もう限界だという議論です。私も、それはその通りだと思います。ただし、大事なのは、国民健康保険の加入者は国民全体の3分の1なことです。逆にいうと、残りの3分の2は大企業の健康保険や、中小企業労働者のきょうかい健保(旧・政府管掌健康保険)等に加入しています。そして、特に大企業の健保には、事業主負担分を含めて、相当引き上げの余地があります。つまり、私は保険料を一律に上げるのではなく、国民健康保険以外の、共済を含めた健康保険の保険料を引き上げるべきだと主張しているのです。

それと同時に、保険料の上限を撤廃するか、さらに高くすることも必要だと思います。この点については、日本医師会が「グランドデザイン2009」で行っている、公的保険の保険料の見直しによる保険料増収効果の試算が参考になります。これで見ますと、被用者保険の保険料上限額を撤廃して完全に年収に比例させると、0・2兆円です。それから、国民健康保険の保険料を完全に年収に比例させても0・2兆円です。つまり、高所得層の負担を増やすだけでは、合計しても0・4兆円で、1年分の医療費増加にも足りないのです。あと、組合管掌健康保険や共済の保険料率をきょうかい健保の保険料率と同じに引き上げて1兆円ということですから、やはり大きな額ではないのです。

そのために私は、国民健康保険を中心とした低所得者の保険料は上げないことを前提としつつも、平均的な国民の保険料を相当上げないと、長期的には公的医療費増加の財源は捻出できないと判断しています。

2010年診療報酬改定は未確定

―2009年以降の医療政策と医療経営についても触れていますが?

二木 はい、第3章の第5節で、4つの点について検討しています。1番目は、繰り返しになりますけれども、「小さな政府から中福祉・中負担路線への転換が進む」ことです。来たるべき総選挙で政権交代が起きても起きなくても必ず進むと思います。

2番目は、「医療制度の抜本改革は今後もあり得ない」ことです。特に一般病床の大幅削減はなく、「病院大倒産時代」の到来もありません。
3番目は、2009年4月から実施された3%の介護報酬改定を複眼的に評価する必要があること、それが医療機関、特に保健・医療・福祉複合体への追い風になることです。

4番目は、2010年診療報酬改定は未確定ということです。これは来るべき選挙で政権交代が起きるか起きないかで、大きく変わります。もし民主党政権になれば、今までのような診療報酬の抑制あるいは凍結とは逆に、それが大幅に引き上げられる可能性があり、これには大いに期待が持てます。ただ、マイナス面について指摘すると、民主党の一枚看板は官僚政治打倒ですから、中医協を含め、厚生労働省関係の審議会・委員会も、解体的な改革が試みられる可能性があります。そのために、それに伴う制度改正リスクがものすごく大きいのです。

逆に自公政権が続いたら、制度改正リスクはないけれど、どこまで医療費を上げるかとなると、疑問符が付きます。しかしここで見落としてならないのは、今年度の介護報酬の引き上げです。今年度の本予算で3%上げました。これはすごく評判が悪かったのですが、補正予算で今年の10月からさらに2%上がり、トータルで5%です。もちろん一律5%ではありませんが、現在のデフレ経済下で5%というのは、すごい上げ幅です。しかも医療と介護に相当な重なりがありますから、介護で5%上げて、医療でマイナス改定ということはあり得ないと思います。その結果、医療に関してもプラス改定、自公政権が続いた場合でもプラス改定になることはほぼ間違いないと思います。

―プラス改定となると焦点はどのような点でしょうか?

二木 2010年改定では、今の病院危機の克服という緊急課題から考えると、病院の入院基本料がどこまで上がるかということが一番大きな焦点になると思います。2008年の診療報酬改定時の病院の診療報酬引き上げはほとんど国公立の大病院に集中的に投入され、民間の中小病院にはほとんど恩恵がありませんでした。中医協の検証組織の報告でも、そのことが確認されています。そうなりますと、病院医療全体の建て直しのためには、入院基本料を引き上げるしかないのです。その場合、2008年改定の1500億円という小規模な財源ではとうてい済みません。焦点は、トータルとしてどのくらい引き上げるかということになると思います。

―そろそろ時間もなくなって来ましたので、その他なにかありましたらお願いします。

二木 本書の概括は話してきたとおりです。それ以外には、私の専門である「リハビリテーション医療」「医療費と医師数」「後期高齢者医療制度」などで、昨今問題となっている事について分析していますので、本誌の読者のみなさんにはぜひ読んで頂きたいと思います。

―本日はお忙しい中ありがとうございました。

(聞き手=文化連理事参事・山田尚之/6月22日)

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3.インタビュー(3):医療費抑制策の見直しを機に医療の財源 を考える

(『集中』2009年8月号(2巻8号):78-81頁)

医療費抑制政策に変化の兆しが見られる中、
今後の政局の行方と絡んで医療政策はどうなっていくのだろうか。
この変化をチャンスととらえ、医療者は何をなすべきなのか。
医療経済・政策研究の第一人者である二木立・日本福祉大学副学長が
医療改革と財源の確保について提言する。

―政局が医療に与える影響が気になります。

二木 総選挙を控え、2010年の診療報酬改定についての予測を求められることも多いのですが、私は、現時点ではそれは「未確定」と答えるようにしています。そもそも私は、 “一寸先は闇"(川島正次郎自民党元副総裁)と言われる政治・政局の予測は不可能と考え、政策の「客観的」予測のみを行うようにしていますが、その前提条件は、政治的、社会的、経済的条件が大きくは変わらないことです。しかし、今度の総選挙では、政権交代の可能性が非常に大きく、その場合にはこれらの前提条件が激変するので、診療報酬改定を含めた医療政策に限定しても、確定的な予測はできないし、すべきではないと考えています。

医療改革の希望の芽をどう育てていくか

―民主党政権が成立した場合、医療政策はどうなるでしょうか。

二木 鳩山(由紀夫)代表は6月17日の党首討論で、国内政策の中心は医療政策で、医学部の定員50%増、診療報酬の2割アップが必要だと述べました。現時点(6月22日)では民主党のマニフェストは出ていませんし、政権成立後、実際の政策が変わる可能性もありますが、医師数と医療費の両方を引き上げるという党首の発言は医療界にとっては非常に歓迎できます。他方、行き過ぎた制度改革や中長期の財源確保が不透明なことについては注意すべきでしょう。民主党と自民党の一番大きな違いは、官僚制に対する考え方です。民主党は官僚政治の打倒を金看板としていますので、厚生労働省に限らず、さまざまな審議会、委員会を大幅に改革するでしょう。こうした大仕事をする際には、行き過ぎた改革が行われる可能性もあります。しかし、医療政策には一貫性が強く求められる側面もあるので、官僚政治の打倒という大きな改革の中では「制度改正リスク」が大きいと言えます。また、日本のような小さな政府では、無駄を省くだけで財源を十分に確保するのは困難ですし、霞が関埋蔵金も麻生政権が随分使ってしまいましたので、民主党政権はそれに代わる恒常的医療財源の確保を考えなければならなくなると思います。

―自公連立維持の場合はいかがでしょう。

二木 これまでの政策の延長線となりますから、制度改正によるリスクは少ないものの、診療報酬の大きな伸びは期待できません。しかし、マイナス改定までには至らないと見ています。なぜなら、医療と密接に関係する介護報酬が本年度、本予算と補正予算を合わせて5%も引き上げられたためです。08年の診療報酬改定では、病院のみ1500億円のプラス改定が行われましたが、中医協(中央社会保険医療協議会)の検証委員会ではまったく効果がなかったとされました。この1500億円は国公立の大病院が中心で、民間や中小規模の病院にはほとんど恩恵がなかったからです。しかし、来年の改定では、入院基本料の引き上げなどを通じて、ほとんどの病院の収益がプラスになることも期待できます。

―いずれにしても絶望的ではない?

二木 ええ。07年4月、大阪で開催された日本医学会総会の席上で、私は医療政策の基調は同じであるものの、“あえて"希望の芽が出てきたと指摘しましたが、その時の反応は、約半数が賛成、残り半数の先生は「この絶望的な状況の中で希望を語るとはなんということか」という反応でした。しかし、08年以降の政策転換で、希望の芽が明らかになってきました。その象徴が、08年の骨太の方針です。82年から続いてきた医師数抑制政策は完全に転換し、小泉政権の置き土産と言える社会保障費の2200億円抑制も事実上ほごとし、新自由主義的医療制度改革、つまり医療分野への市場原理導入を政権内で主張する人もいなくなりました。自公政権内でこうした路線転換が起こった今、大切なのは、希望の芽をさらに拡大することだと思います。

―医療の将来は明るいのですね。

二木 いいえ、バラ色というわけではありません。今の状況は、小泉政権の極端な医療費抑制政策が見直されただけであり、1980年代以降四半世紀続いている医療費抑制政策の基調は変わっていません。医療危機、医療荒廃を克服していくためには、基調となる医療費抑制政策そのものを変えていかなければならないのです。

主財源は社会保険料で、公費は補助財源

―増加の財源が議論されています。

二木 公的医療費増加の財源の選択肢としては、一般には、消費税、政府の無駄の排除、社会保険料の3つがあげられますが、私は主財源は保険料しかないと考えています。日本の医療費の現在の財源構成は、保険料が約5割、公費負担が約3割、患者負担が1割強となっており、国民皆保険制度を堅持するかぎり、この財源割合を大きく変えることはできないからです。しかも、現在はすべての政党、医療団体が皆保険の維持、堅持を主張しており、新自由主義派の人であってもこれを否定していません。仮に、イギリスや北欧諸国のように全額国費・公費負担制度に変えるということであれば話は別ですが、現制度を維持する限り、主たる財源は保険料、その不足分を、消費税を含む公費負担で補うというやり方しかないのです。

―公費の無駄な支出を医療費に回すという案は?

二木 無駄を減らさなければならないのは当然ですが、現在の日本は国際的に見ても、アメリカと並ぶ小さな政府なので、無駄をぎりぎりまで省いたとしても、不足している医療費をまかなうだけの費用は捻出できません。公費の無駄の象徴とされる公共投資も以前は対GDP比が6%以上ありましたが、小泉改革の結果、07年度には他のOECD(経済協力開発機構)諸国とあまり変わらない3%にまで低下しています。そのために、公共投資の無駄をカットしても得られる財源は多くありませんし、さらにその財源は医療だけでなく、福祉、少子化対策、環境対策等にも振り向ける必要があります。しかも福祉や少子化対策などはほぼ全額を公費でまかなわざるを得ないですから、医療費に回せる公費はごくごく限られているのです。これは消費税についても同じです。医療には社会保険料という独自の財源がありますが、これは経済学的には“医療目的税"であり、医療に特化した財源です。保険料という貴重な財源を、国民的理解を得た上で拡大し、それで主たる財源を確保した上で、不足分を公費で補うというのがもっとも現実的だと思います。

医師数と医療費は同時に増やすべき

―医師数増加策といった診療報酬以外の部分については?

二木 6月に出版した『医療改革と財源選択』にも「医療費と医師数についての常識のウソ」と題した章を立てていますが、医師数が増えると医療費が自動的に増加するという誤解が、今でもまかり通っているのを憂慮しています。医師数抑制政策は1983年に当時の吉村仁・厚生省保険局長が主張した「医療費亡国論」が原点と言われますが、これを最初に提起したのは82年の臨調第3次答申であり、当時は現在と異なり、日本医師会も医師養成数の大幅削減を主張していました。

―医師数抑制の主導は厚生省ではなかった。

二木 そのとおりです。医師数の増加が自動的に医療費を増やすという主張は、供給が直ちに需要を生むという「セイの法則」の医療版であり、これは経済学的には完全に否定されています。私は81年に、63年から77年までのデータを基に医師所得の対国民医療費比率の推移を推計し、さらに90年にはその前年までのデータを再推計して論文を発表しましたが、いずれも約2割と安定しています。また、海外において行われた、医師数と医療費の関係をマクロ経済学的に検討した3種類の研究を見ても、医師数増加による医療費増加は否定されています。

―現場を考えると医師数増は歓迎すべきですね。

二木 医療費と医師数は同時に増やすべきものであり、医療費をそのままに医師数だけを増やせば、医療はさらに崩壊します。しかし、医師を増やさなければ、現場の疲弊はさらに悪化します。医師数増加は、今の医療の危機的状況を乗り越えるための必要条件であり、十分条件ではありませんから、医師数抑制政策の転換と同時に、医療費抑制政策の転換も行うことが不可欠です。

―制度全般の改革については?

二木 医療制度改革については、抜本的な改革を行うべき、他国の制度の良いところだけを取り入れるべき、医療の効率化で医療の質の向上と医療費抑制を両方を達成できるといった論議が今でもなされますが、それらはすべて幻想です。よりよい医療制度改革を考える上では、これら3つの幻想を捨てなければならないと考えています。

まず、医療制度の抜本改革幻想です。医療保険は、社会保障の中でも国民生活に最も根ざしているものです。介護や福祉、年金などは給付の対象者がある程度限られますが、医療保険は国民の誰もが利用するし、どの制度よりも利害関係者が多いため、ドラスティックな改革をしようとしても非常に多くの利害が対立し、国民的合意を生み出すことは困難です。国際的にも、国民全体を対象にした医療保障制度が整っている国で医療制度を抜本的に改革した国はどこにもありません。良い例がイギリスで、サッチャー政権は中曽根政権とは比べものにならないほどの新自由主義改革を断行したにもかかわらず、NHS(国営医療制度)は崩せませんでしたし、その他の国も、微修正を連続して医療改革につなげていったのです。絶望感から抜本改革を求める気持ちは分かりますが、その先にあるのは挫折だけです。

―第2、第3の幻想は?

二木 第2の幻想は、他国の優れた制度を輸入すれば、医療費を増やさなくても日本医療を改革できるというものです。小泉政権時代にはアメリカ型の医療制度を強く指向しましたし、医療・福祉関係者の中には北欧型の医療制度を輸入すればよいという意見を持っている方も多いのですが、医療は、それぞれの国の歴史・文化的背景に大きく制約されます。また他国の制度の良い点は欠点とも一体ですから、各国の制度の良い部分だけを輸入することはできません。第3の幻想は、医療の効率化によって「質の向上と医療費抑制が可能」というものです。この点について医療者は、質を上げるには医療費がかかるということを知っているので、とうてい不可能だと理解していますが、財政制度等審議会などでは、まだこうした主張が提起されています。こうした点を考えると、医療制度の抜本的改革はあり得ず、公的医療費を拡大しつつ、小さな改革を積み重ねていくしかないのです。

医療者にも自己改革が求められている

―そのために医療者ができることは何ですか。

二木 何より大切なのは、政権交代の有無にかかわらず自己改革を進めると同時に公的医療費総枠拡大のために積極的提案をすることです。しかし、医療者の一部に、こうした自己改革を放棄して、小泉政権時代にすら否定された医療分野への市場原理導入を主張されている方がいるのは残念です。例えば高度医療のために混合診療を全面(原則)解禁せよという声です。しかし、混合診療を全面解禁すると、結果的に保険診療の枠を狭めるため、多くの患者が高度医療の恩恵を受けられなくなるのです。

―複眼的視野に立って医療を考える?

二木 医師の本性には、学び、培った技術で多くの患者さんを救いたいというものがあります。しかし、目の前の患者さんのために良かれと混合診療を全面解禁すると、結果的に保険診療で提供されるサービスが狭められ、多くの患者さんを救えなくなってしまい、本性に背くことになりかねません。むしろ保険料等を引き上げて、公的医療費の財源を拡大し、先端医療も保険給付の対象として、患者さんが安心して医療を受けられるようにする方がずっと現実的と思います。私は一貫して、医療者の自己改革を主張していますが、これによって自動的に医療費が拡大すると考えているわけではありません。しかし、自ら改革に乗り出さない状況で、保険料の引き上げや公費負担の拡大だけを主張しても理解は得られないでしょう。

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4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その15):7冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『新医療技術の経済学-誘因、組織と財政』(Costa-Font J, Courbage C, McGuire A :The Economics of New Health Technologies - Incentives, Organization, and Financing. Oxford University Press, 2009, 297 pages)[研究書(論文集)]

2007年10月にスイス・ジュネーブで開かれたセミナーをベースにした、医療技術進歩(医薬品と医療機器が中心)と医療費との関係についての最新の学際的研究論文集です。序文によると、以下の4点を目的にしているそうです:(1)医療部門に適用可能な技術変化の詳細な定義を提供する、(2)いくつかの医療領域でイノベーションを主導する要因を明らかにする、(3)医療技術の効率的開発と利用を促進するための既存のメカニズムとプロセスを示す、(4)医療技術の進歩が健康、医療費および医療保険に与える影響を分析する。以下の5部構成で、17論文(文献レビュー、量的研究、事例研究)が収録されています。第1部序論、第2部イノベーション、普及と技術変化、第3部技術変化と医療保険[の関係]、第4部イノベーション、社会的需要と価値付け、第5部誘因、メカニズムとプロセス。

序文(全5頁)に各論文(章)の概要が紹介されており、そこで興味を持った論文を選択的に読むのが効率的と思います。私にとって意外だったのは、純粋の新古典派医療経済学者で、従来は医師誘発需要(仮説)を批判してきたPaulyが、「医師の助言、判断、行動の決定的役割(the key role)」を強調していることです(第3部第5章[医療]保険と新技術)。

○『神経経済学(医療経済学と医療サービス研究の進歩 第20巻)』(Houser D, McCabe K (Eds) :Neuroeconomics (Advances in Health Economics and Health Services Research Volume 20). Emerald Group Publishing, 2008, 376pages)[研究書(論文集)]

神経経済学とは脳がどのように経済的意思決定を行うかを研究する新しい学問であり、本書には、神経経済学が医療経済学の重要課題である医療と治療の意思決定の理解の促進にどのように貢献しうるかについて検討した13論文が収録されています。具体的には、医療経済学における意思決定に直接関連する感情と社会的選好に関する基礎的研究のレビュー論文、人々の医療・治療についての意思決定の特定の側面について検討した論文等です。序論(全7頁)に収録論文の簡潔な概要が紹介されており、これを読むだけでも、医療経済学領域の最新の神経心理学研究の「香り」を嗅ぐことができます。ただし、収録されている論文の大半は、特定の概念モデルに基づく、動物実験等の基礎医学的研究であり、神経経済学が医療経済学に具体的な「貢献」をできるようになるのは、ずっと先のことと思います。

なお、依田高典・後藤励・西村周三『行動健康経済学』(日本評論社,2009)の第10章「行動健康経済学とニューロエコノミックス」でも、神経経済学の基礎が簡潔に紹介されています。

○『肥満経済学-栄養、健康および経済政策』(Mazzocchi M, Traill WB, Shogren JF :Fat Economics - Nutrition, Health, and Economic Policy. Oxford University Press, 2009, 181 pages) [概説書]

今や国際的な健康問題となっている肥満の分析と対策に経済学がどのように貢献できるかを概説しています。以下の5章構成です。第1章肥満の蔓延、第2章なぜ肥満?経済的視点、第3章根拠に基づいた政策形成のための経済評価の諸手法、第4章政策介入、第5章結論。医療経済学的にもっとも興味深いのは第2章の文献レビューで、例えば、ほとんどの経済学者が技術的変化を肥満の主因とみなしているとの意外な事実が紹介されています:技術進歩により食物が安くかつ購入しやすくなり、人々のカロリー摂取量が増えた反面、自動車・コンピューター・テレビ等の技術進歩により人々が歩かなくなりカロリー消費量が減り、「カロリー方程式」が崩れた。

○『高齢者の健康-[アメリカにおける]高齢者の障害[出現率]の低下の原因と結果』(Cutler DM, Wise DA (Eds): Health at Older Ages - The Causes and Consequences of Declining Disability among the Elderly. The University of Chicago Press, 2008, 494 pages)[研究書]

著名な経済学者のチームが、アメリカで近年注目されている高齢者の平均余命の延長と障害出現率の低下について分析するとともに、この現象を経済学的視点から定量化し、この現象を加速するための提言を行っています。実証分析により、教育年限の延長、社会経済的状態の改善、引退年齢の上昇、医療アクセスの改善が高齢者の健康とQOLを向上させたことが示されています。さらに障害の減少により、高齢者の労働力率の上昇、医療制度と家族への負荷の減少、高齢者自身の医療費の減少等の経済的便益も生じていることも示されています。以下の5部構成で16論文(序論を含む)が収録されています:第1部障害の趨勢、第2部障害発生の経路、第3部医学医療の進歩と障害、第4部労働制限、第5部支持的技術とケアの提供。

なお、The Economist 2009年6月27日号の「人口高齢化についての特別レポート」(A special report on ageing population)によると、高齢者の障害出現率の低下は必ずしも先進国に共通する現象ではなく、OECDが最近12か国を対象にして行った調査によると、それが確認されたのはアメリカを含めて5か国だけだったそうです。

○『[アメリカの]長寿革命-便益と挑戦』(Butler RN: The Longevity Revolution - The Benefits and Challenges of Living and a Long Life. Public Affairs Books, 2008, 553 pages)[研究書]

Ageism(老人差別)の命名者としても名高いButler医師が、アメリカにおける過去30年の平均寿命の飛躍的延長(長寿革命)の意義と課題を包括的に論じ、人口高齢化の影響についての以下の8つの通説が誤りであると主張しています。(1)出生率の低下はマイナス要因である、(2)福祉国家は維持できない、(3)人口高齢化が医療費増加の主因である、(4)終末期に過剰な医療がなされている、(5)AARP(アメリカ退職者協会)がアメリカ最大の圧力団体である、(6)老人に対する偏見は法と法的行動によりなくなった、(7)高齢労働者の生産性は低い、(8)高齢者は子どもや青年よりも多くの公的・私的支援を受けている。以下の6部構成(全21章)です:第1部序論、第2部挑戦、第3部科学、第4部解決策、第5部警告、第6部長寿をイメージする。

○『アメリカの医療-組織と提供[制度]を理解する[第6版]』(Sultz HA, Young KM: Health Care USA - Understanding Its Organization and Delivery Sixth Edition. Jones and Bartlett Publishers, 2009, 492pages.)[中級教科書]

アメリカの公衆衛生大学院等での「アメリカの医療」について入門的講義の、定番的教科書の最新版です。全12章構成で、アメリカの医療制度、専門職、アメリカ医療を動かす政治的・社会的・経済的諸要因等がバランス良く説明されています。データが最新のものに更新されただけでなく、最近生じた新しい動き・論点についても紹介しています。例えば、「病院と医師等が所有する外来診療施設との競争」、「公私保険の患者・被保険者教育とケースマネジメントによる費用節減の試み」、「イラク戦争により大量に生じた傷病兵が退役軍人サービスに与える影響」等です。

○『医療制度の比較-国際的視点から』(Johnson JA, Stoskopf GH: Comparative Health Systems - Global Perspectives. Jones and Bartlett Publishers, 2010, 451pages.)[研究書]

アメリカの医療改革に資することを目的として、共通の分析枠組み・指標を用いて、以下の17か国を対象にして、歴史、地理、政府、経済を概観した上で、医療制度、医療従事者、技術、医療費と質とアクセスについて詳細に分析しています:カナダ、イギリス、アイルランド、ポルトガル、ドイツ、ロシア、オーストラリア、日本(執筆者:Mikiyasu Hakoyama)、韓国、インド、ヨルダン、トルコ、コンゴ民主共和国、ナイジェリア、ガーナ、メキシコ、セントルシア(西インド諸島のウィンドワード諸島中央部に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家)。従来の医療制度分析は、費用・質・アクセスの3つの側面から行われてきましたが、本書では第4の側面として技術・イノベーションが加えられています。ただし、17か国の選択基準は示されておらず、しかも高・中・低所得国を同一の枠組み・指標で比較するのは、アメリカの研究者に多い「ナイーブさ(鈍感・無神経)」の現れと思います。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その56)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

「悪役の条件」(「こういう悪役がいてほしい、とあなたが思う悪役の条件を挙げてください」という質問への回答。「朝日新聞」2007年11月4日朝刊より)

二木コメント-私は4月から勤務先の副学長・常任理事という管理職に就いていますが、地方の中小大学という「構造不況業種」の「生き残り」のためには、「痛みを伴う」(正確には、「最も弊害の少ない」(the least bad))改革を提案・実行することが不可欠で、意識的に悪役・敵役を演じています。それだけに、これらの名言には大いに共感しました。

<その他>


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