『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻62号)』(転載)
二木立
発行日2009年10月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.論文:医療費抑制政策の転換と財源選択論争-第5回社会保障国際会議報告 (「二木教授の医療時評(その70)」『文化連情報』2009年月10月号(379号):22-25頁)
- 2.論文:民主党政権の医療政策とその実現可能性を読む
(『現代思想』2009年10月号(第37巻13号):180 -188頁)
…本「ニューズレター」61号掲載論文「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」に、総選挙結果と8月31日までに得られた情報を加筆した「増補決定版」です(字数は90%増)。特に、本文の「医療費財源拡大の長期見通しが示されていない」の項を大幅に補足するとともに、新たに「注2 私が老人保健法復活に反対する理由」と「注3 民主党の医療政策が今後再転換する可能性」を加えました。なお、『現代思想』10月号の特集は「政権交代-私たちは何を選択したのか」で、合計22論文が掲載されています。
- 3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文 (通算48回.2009年分その5:9論文)
- 4.私の好きな名言・警句の紹介(その58-最近知った名言・警句)
1.論文:日本における医療費抑制政策の転換と財源選択論争
-第5回社会保障国際会議での報告
(「二木教授の医療時評(その70)」『文化連情報』2009年月10月号(379号):22-25頁)
日本では、本年8月30日投開票の衆議院議員総選挙により、民主党が地滑り的勝利をおさめ、自由民主党・公明党連立政権から、民主党(を中心とする)政権へと政権交代が生じることになった。民主党は、「政権政策(マニフェスト)」で医療費・医師数の大幅増加を掲げており、それが公約通りに実施されると、日本で1980年代以降30年近く継続されてきた、医療費・医師数抑制政策が転換されることになる。
本稿の前半では、歴代の自由民主党政権が実施した医療費抑制政策を概説し、21世紀に入って小泉政権が一段と厳しい医療費抑制政策を実施した結果、医療危機・医療荒廃が生じたこと、それに対処するため福田・麻生政権が小泉政権の政策の部分的転換を始めたことを示す。後半では、民主党の医療政策の特徴を簡単に示した上で、公的医療費増加のための財源の3つの選択肢とそれについての論争を紹介し、この点で民主党の政策には大きな弱点があることを示す。
1.日本の医療費抑制政策とその部分的転換
(1)1980~1990年代の医療費抑制政策
日本では1980年代前半、鈴木政権(1980年7月~1982年11月)と中曽根政権(1982年11月~1987年11月)の時代に、本格的な医療費抑制政策が開始された。特に中曽根政権では、「戦後政治の総決算」と行政改革(財政再建)の2つが政策課題とされ、後者のために次々と医療制度改革が行われた。具体的には、老人保健法制定(1982年。実施は1983年2月)、健康保険法改正(1984年)、医療法改正(1985年)等により、医療保険制度改革(患者自己負担の増加)と医療提供制度改革(病院病床数の抑制)の両面から、医療費抑制が図られた。
しかし、医療費抑制にもっとも威力を発揮したのは、このような法改正ではなく、法改正が不要な診療報酬改定だった(2年に1回実施)。諸外国と異なり、日本では、個々の医療サービスと医薬品の価格は、全国・医療機関でほぼ共通である。1980年代の診療報酬改定では、毎回、医療サービス価格は多少引き上げられた反面、医薬品価格は大幅に引き下げられた結果、両者を合わせた「実質医療価格」は凍結された。1980~1990年の10年間の実質医療価格の上昇率はわずか2.1%にとどまり、同じ期間の消費者物価の上昇率22.4%、賃金の上昇率36.5%を大幅に下回った(1:3頁)。その結果、1980年代に人口高齢化が急速に進行したにもかかわらず、日本の医療費の対GDP比は微減した。厚生省は診療報酬改定の度に「点数操作」も行い、医療機関の政策誘導と隠れた定額払いの導入・拡大を図り、「医師誘発需要」(医師の裁量による医療サービス・医療費の増加)を大幅に抑制した。
1980年代前半には、医師数抑制政策も開始された。当時は、その根拠として医師数増加が医療費増加をもたらすとされたが、この主張はその後の実証研究で否定された(2:第5章第2節)。当時、日本医師会は医療費抑制には反対したが、開業医の既得権を守るため、医師数抑制は積極的に推進した。
このような、医療価格の実質凍結と患者負担の増加、病床数と医師数の抑制を柱とする医療費抑制政策は1990年代にも踏襲された。なお、政府・厚生省は、2000年に医療保険制度を中心とする医療制度の抜本改革(「医療ビッグバン」)を実施することを予定していたが、それは不発に終わった(3:Ⅱ-1)。
(2)小泉政権による医療費抑制政策の強化と医療分野への市場原理導入の挫折
小泉政権(2001年4月~2006年9月)は、伝統的医療費抑制政策を一段と強化した。その最大の武器はやはり診療報酬改定であり、2002年と2006年に、医薬品価格だけでなく、日本の医療政策史上初めて、医療サービス価格も引き下げた。その結果、2004年には、日本の医療費の対GDP比は、先進7か国(G7)中最下位に転落した。他面、相次ぐ患者負担の増加により、「実質患者負担割合」はG7中最高になったと推定される(4:第5章第2節1,2)。
小泉政権は2006年に、さらに長期的な医療費抑制をめざして、1980年代前半以来四半世紀ぶりとなる医療保険制度・医療提供制度全体の改革を断行した(医療制度改革関連法)。医療制度改革関連法による医療費抑制は、療養病床(慢性期病床)の削減と生活習慣病対策を2本柱とし、この改革により20年後の2025年には国民医療費は9兆円(13.8%)も抑制できるとの「将来見通し」が示された。ただし、この医療費抑制効果については、当初から、ほとんどの医療経済学研究者が疑問を表明し、厚生労働省も、2008年4月に、療養病床削減目標を達成できないこと、および生活習慣病対策による医療費抑制も(短期的には)生じないことを公式に認めた(2:第3章第4節1)。
小泉政権の医療政策には、厳しい医療費抑制に加えて、医療分野への市場原理導入というもう1つの柱があった。具体的には、小泉政権は、2001年に、(1)株式会社の医療機関経営の解禁、(2)保険診療と私費診療の自由な組み合わせ(「(公私)混合診療」)の解禁、(3)保険者と医療機関の個別契約の解禁という3つの改革を、閣議決定した。このような「新自由主義的改革」が閣議決定されたのは、日本の医療政策史上初めてであった。しかし、この3改革に対しては、医師会・医療団体だけでなく、厚生労働省も強く抵抗したため、全面実施は見送られた。私は、新自由主義的改革が挫折した最大の理由は、この改革を実施すると、特定の企業の市場は拡大する反面、医療費(総医療費と公的医療費の両方)が増加し、医療費抑制という「国是」と矛盾するためと考えている(「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」)(2:第2章第1節)。
(3)福田・麻生政権による医療費抑制政策の部分的見直し
小泉政権の厳しい医療費抑制政策の結果、日本では、2006年以降、救急医療、産科・小児科医療を中心に医療危機・医療荒廃が生じ、それが大きな社会問題となった。小泉政権を引き継いだ安倍政権(2006年9月~2007年9月)はそれに対する有効な対策を打ち出せなかった。
2007年7月の参議院選挙での自由民主党の惨敗後に成立した福田政権(2007年9月~2008年9月)は、小泉政権が推進した医療・社会保障費抑制の手直しに着手した。具体的には、2008年6月の閣議決定で、「社会保障の機能の強化」を掲げると共に、医師数抑制政策を公式に廃止した。
2008年9月に成立した麻生政権もこの方針を踏襲し、2008年12月には、従来の「小さな政府」路線に代えて「中福祉・中負担」路線を閣議決定した。首相の諮問機関である社会保障国民会議は、同年11月、医療改革・医療の効率化を進めると、将来的に医療費の対GDP比が増加するという「医療・介護費用のシミュレーション」をまとめた。わが国では、従来、医療改革・医療の効率化が医療費抑制の代名詞であったことを考えると、これは明らかな転換と言える。ただし、福田・麻生政権の政策転換は部分的・限定的であり、両政権とも、小泉政権が2006年に閣議決定した社会保障費抑制の数値目標(社会保障費の自然増を今後5年間で1兆1000億円、1年当たり2200億円抑制する)を維持した。
なお、新自由主義的(医療)改革を主張する勢力は、安倍・福田・麻生政権で退潮を続けた。その最後のとどめとなったのが、2008年9月以降生じた国際金融危機・世界同時不況であった。麻生首相(当時)も、7月31日の自由民主党の「マニフェスト」発表時に、「行き過ぎた市場原理主義からは決別する」と宣言した。
2.民主党の医療政策と医療費増加の財源論争
(1)民主党の医療政策
民主党は、2009年衆議院選挙の「政権政策(マニフェスト)」で、麻生政権と対照的に、医療費と医師数の大幅増加の2つの数値目標を示した:「OECD平均の人口当たり医師数を目指し、医師養成数を1.5倍にする」、「総医療費対GDP比をOECD加盟国平均まで今後引き上げる」。「マニフェスト」では、「自公政権が続けてきた社会保障費2200億円の削減は撤回する」ことも明記された(5)。
実は、民主党は、わずか2年前の「マニフェスト2007」までは、医療費・医師数の大幅増加は掲げておらず、これは大きな方針転換である。それだけに、もし民主党の医療政策が実現すれば、1980年代以降30年近く続けられてきた医療費・医師数抑制政策の根本的転換となることが期待される。
他面、民主党の医療政策の財源はあいまいである。民主党は「マニフェスト」で、「国の総予算207兆円を全面組み替え」、税金の無駄づかいの根絶と「埋蔵金」(各省が保有している不要・過剰な積立金)の活用等により16.8兆円(2013年度)を捻出できると主張しているが、この試算に対しては、自由民主党をはじめとした他の政党だけでなく、すべての全国紙、大半の研究者が疑念を呈している。私も、日本がアメリカと並ぶ「小さな政府」であることを考慮すると、無駄の排除と埋蔵金の活用だけでは、公的医療費拡大の長期的な安定財源は確保できないと考えている。以下、この点についての私の事実認識と価値判断を述べる(2:第1章第3節)。
(2)公的医療費増加の財源選択論争
医療費抑制政策を根本的に転換する上で不可欠なことは、医療費増加の財源についての国民合意を得ることであるが、日本では、公的医療費増加の財源選択については論争が続いており、国民合意には程遠い。主な主張・立場は次の3つである:(1)消費税引き上げ、(2)歳出の無駄削減、(3)社会保険料の引き上げ。
民主党の「マニフェスト」は第2の立場であり、各種の世論調査でも、国民・医療関係者の多くがこれを支持している。ただし、歳出の無駄削減だけでは医療費財源を捻出することが困難なことが明らかになった場合、民主党は第1の立場(消費税引き上げ)に移行する可能性が大きい。自由民主党の「マニフェスト」はこの立場を明記していたが、実施時期は未定であった。すべての全国紙、医療政策を専門としない研究者の大半も、消費税を医療費・社会保障費増加の主財源とすることを主張している。
しかし、医療政策の研究者の大半、民主党・自由民主党の医療政策に精通している議員の相当数は、第3の立場(社会保険料の引き上げ)を支持している。多くの厚生労働省幹部も同じである。その最大の理由は、日本が医療保険制度を採用しており、しかもすべての政党・医療団体がこの制度の維持を主張している以上、社会保険料を主財源とすることがもっとも自然だからである。日本の医療保険制度は、ドイツやフランスのような「純粋型」ではなく、財源的には保険料と公費の共同負担方式ではあるが、それでも保険料が5割を占めている。
私も基本的には第3の立場であり、主財源は社会保険料の引き上げ、補助的にたばこ税、所得税・企業課税、消費税の引き上げも用いるべきだと考えている。ただし、社会保険料の引き上げは被用者保険に限定し、加入者の所得水準が低い国民健康保険と後期高齢者医療制度には国庫負担を増額すべきであると判断している。と同時に、(1)すべての保険の保険料の上限を引き上げて保険料の逆進性をなくすこと、(2)大企業の医療保険では国際的にみて低い使用者の保険料負担割合を引き上げること、および(3)大企業の医療保険と中小企業の医療保険間で一定の財政調整を導入する必要がある、とも考えている。
[本稿は本年9月12・13日に中国・北京市の中国人民大学で開催された第5回社会保障国際会議で行った同名の報告に一部加筆したものです]
文献
- (1)二木立『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期、勁草書房,1994.
- (2)二木立『医療改革と財源選択』勁草書房,2009.
- (3)二木立『介護保険と医療保険改革』勁草書房,2000.
- (4)二木立『医療改革-危機から希望へ』勁草書房,2007.
- (5)二木立「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」『文化連情報』2009年9月号(378号).
2.論文:民主党政権の医療政策とその実現可能性を読む
(『現代思想』2009年10月号(第37巻13号):180 -188 頁)
はじめに
8月30日に投開票された第45回衆議院議員総選挙では、民主党が地滑り的勝利をおさめ、鳩山由由紀夫党首を首相とする民主党を中心とする政権(以下、民主党政権)が成立することになりました。一般的には「政界は一寸先は闇」と言われますが、今回の総選挙に限っては、民主党が勝利し政権交代が起きることが早くから確実視されていました。
民主党も、それを強く意識しており、7月27日には、他党に先駆けて早々と「マニフェスト(政権公約)」を発表しました。しかも衆議院解散から総選挙の投開票まで1か月以上の間隔があったため、新聞紙上等で、民主党を中心とした各党のマニフェストの詳細な比較検討が行われました。
私自身も、民主党がマニフェストを発表した直後の7月31日に、「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」(以下、前稿)を執筆しました(1)。本稿は、この前稿に、総選挙結果と8月31日までに得られた情報を加筆した「増補決定版」です。本稿では民主党の医療政策を、自由民主党・公明党連立政権(以下、自公政権)の医療政策との異同に注目しながら、包括的かつ中立的に検討するとともに、それの民主党政権の下での実現可能性についても大まかな予測を行います。
本稿では、民主党の総選挙「マニフェスト」中の医療政策およびそれと同時に発表された「民主党政策集INDEX2009」中の「医療政策<詳細版>」(以下、「詳細版」)だけでなく、2003年に民主党(菅直人党首・当時)が初めて発表した「マニフェスト-つよい日本をつくる」以降7年間の民主党の一連の医療政策、および上記「詳細版」の原案、民主党幹部の最近の発言も検討します。それにより、民主党の医療政策の形成・変化のプロセスが分かるからです。合わせて、民主党の医療政策と8月14日に民主党・社会民主党・国民新党が発表した「衆議院選挙に当たっての共通政策」(以下、「3党共通政策」)との異同についても触れます。
医療費と医師数の大幅増加の数値目標
民主党の医療政策で最も注目すべきことは、医療費と医師数の大幅増加の中期的目標が示されたことです。具体的には、「OECD平均の人口当たり医師数を目指し、医師養成数を1.5倍にする」(「マニフェスト」)、「総医療費対GDP比をOECD加盟国平均まで今後引き上げていきます」(「詳細版」)と明記されました。後者について、民主党の医療政策を中心になってまとめた足立信也参議院議員・民主党副幹事長は、「総医療費は、2015年までに対GDP比をOECD平均並みの9.4%にまで引き上げる(約6兆円増額して47兆円にする)」と説明しています(2008年10月18日の「第23回全国医療法人経営セミナー」での講演)。もちろん、「自公政権が続けてきた社会保障費2200億円の削減方針は撤回する」(「マニフェスト」)とされています。
「3党共通政策」も、「4.年金・医療・介護など社会保障制度の充実」の冒頭に、社会保障費抑制方針の廃止を掲げると共に、「医療費(GDP比)の先進国(OECD)並みの確保を目指す」と明記していますが、なぜか医師数増加には触れていません。
実は、民主党は、わずか2年前の「マニフェスト2007」までは、医療費総額の拡大は掲げていませんでした。それどころか、「崖っぷち日本を救う-民主党の考える医療改革案」(2006年)では、逆に、無駄の排除と予防医療の推進により「中長期的には医療費総額・医療給付費はいずれも政府の推計値を下回る可能性が高い」という、自民党や厚生労働省と類似した主張すら行っていました。「マニフェスト2007」では初めて医師不足対策に言及しましたが、それでも「10%削減された医学定員を元に戻」すレベルにとどまっていました。
このことを考慮すると、今回の民主党の医療政策の転換・発展は画期的と言えます。公平のために言えば、自公政権(福田・麻生首相)も、「骨太の方針2008」で医師数抑制政策を見直し、「骨太の方針2009」で小泉政権が定めた社会保障費抑制の数値目標を事実上見直しましたが、医師数・医療費の「大幅増加」には踏み込んでいませんし、小泉政権の数値目標も名目上は維持しています。
それだけに、民主党政権の下でこの医療政策が実施されれば、1980年代以降四半世紀続けられてきた医療費・医師数抑制政策の根本的転換となることが期待されます(2)。国際的にみると、これは、イギリスのブレア労働党政権(当時)が2000年から開始した医療費・医師数増加政策のほぼ10年遅れの再現と言えますし、アメリカのオバマ民主党政権の医療保険制度改革の努力とも共鳴します。
ちなみにブレア政権は1997年の成立直後は、医療費の枠を拡大しない医療改革(NHS改革)を矢継ぎ早に実施しましたが、制度改革だけでは保守党政権が長年続けてきた厳しい医療費抑制政策がもたらしたNHSの危機的状況は解決できないと判断し、2000年に、医療費と医師数の大幅増加を盛り込んだ「NHS改革プラン-投資のための計画、改革のための計画」を発表しました(3)。
ただし、イギリスの経験からも明らかなように、いったん医療危機・医療荒廃が生じてしまった場合には、たとえ政策転換を行ってもその効果は短期的には現れないことにも留意する必要があります。私は、医療費・医師数増加は医療危機・医療荒廃克服の「必要条件」ではあるが、「十分条件」ではなく、それ以外の対策も必要と判断しています。一部の論者の、医療費や医師数を「増やすだけでは問題は解決しない」とか、それらは「特効薬とは言えない」との傍観者的主張は、「必要条件」を「十分条件」と取り違えています。
医療保険制度は部分改革
次に、民主党の個々の医療政策を検討します。
医療保険制度改革では、「国民皆保険制度の維持発展」を大前提とした上で、後期高齢者医療制度・関連法の廃止と医療保険の一元化が掲げられおり、この点は、一見すると、現行制度の維持・改善を主張する自由民主党の主張とは大きく異なります。「3党共通政策」でも、「後期高齢者医療制度は廃止し、医療制度に対する国民の信頼を高め、国民皆保険を守る」とされています。
しかし、民主党の改革方針には見落としてならない点が2つあります。1つは、後期高齢者医療制度の「廃止」のみを主張し、老人保健制度に戻すとはしていないことです。この点は、社会民主党と日本共産党が「マニフェスト」・「総選挙政策」で、ともに「老人保健制度にもどします」と明記しているのと対照的です[注1]。実は、民主党は、「マニフェスト2005」までは「新たな高齢者医療制度の創設」、つまり老人保健制度の廃止を掲げていましたし、直近の「マニフェスト2007」でも、後期高齢者医療制度の廃止は掲げていませんでした。そのためもあり、直嶋正行民主党政調会長は、元の老人保健制度に戻すのではなく、新制度を検討した上で廃止すべきとの私見を明らかにしています(「中日新聞」7月28日朝刊)。
もう1つは、「医療保険の一元化」については、「被用者保険と国民健康保険を順次統合し、将来、地域保険として、医療保険制度の一元的運用を図る」と、「将来」の目標とされていることです(「詳細版」)。医療保険の一元化は、「マニフェストの工程表(2010~2013年度)」にも含まれておらず、事実上棚上げされています。なお、医療保険制度の「一元化」と「一元的運用」は異なる概念ですが、民主党は同じ意味で用いています。
民主党の医療保険制度改革で注目すべきことは、「わが国の医療保険制度は国民健康保険、被用者保険(組合健保、協会けんぽ)など、それぞれの制度間ならびに制度内に負担の不公平があり、これを是正します」(「詳細版」)と明言していることです。これは、医療保険間の財政調整であり、現行制度の枠内での部分改革として大きな意味をもっています。
以上から、民主党政権は医療保険制度については、少なくとも当面(現任期中)は、激変・「抜本改革」を避け、「部分改革」を積み重ねる可能性が大きいと思います。
医療提供制度も部分改革
「医療提供体制の整備」については、「現役医師の有効活用策で医療従事者不足を軽減」、「臨床研修の充実」、「勤務医の就業環境の改善」(「詳細版」)等、現行の制度・政策との整合性を重視した「部分改革」がより鮮明です。この点では、舛添要一厚生労働大臣(当時)が、民主党マニフェストに対して、「医療政策は私がやったことをそのまま後追いしている。大連立を組んでも医療政策は十分一緒にやれる」(「日本経済新聞」7月29日朝刊)とエールを送ったほどです。
医療提供制度改革についての自公政権との大きな違いは、「当面、療養病床削減計画を凍結し、必要な病床数を確保する」(「マニフェスト」)、「総枠としての療養病床38万床を維持しなければならない」(「詳細版」)と明記していることです。実は、民主党は上述した2006年の「医療改革案」では、逆に「病床数削減」を前面に掲げ、一般病床を26万床、精神病床を7万床、療養病床を11万床削減するとしていました。本年の「マニフェスト」は、療養病床に限らず、一般病床・精神病床についても病床削減は掲げておらず、大きな方向転換と言えます。
さらに、2008年診療報酬改定で導入された「外来加算の5分間要件」も「診療所負担の軽減を図るために撤廃」と明記しています。民主党がこの方針を明記したのはこれが初めてで、「詳細版」の原案にも含まれていませんでした。病院勤務医に比べて民主党支持が弱いとされていた診療所医師の支持を獲得するために、「駆け込み」的に挿入したのだと思います。
民主党は、医師不足対策として、医師養成数の1.5倍増に加えて、「現役医師の有効活用策」として、「開業医による地域中核病院の外来診療や夜間分担などを促進」するとしています(「詳細版」)。実は、「詳細版」の原案では、これに加えて、「小児科では開業医が地域小児科センターで時間外外来を担当するといった協同作業による集約化をさらに進め」るとも書かれていましたが、削除されました。また、同じく「原案」にあった「医師の仕事を補佐するアドバンスト・プラクティショナー養成」も削除され、「専門的な臨床教育を受けた看護師等の業務範囲を拡大し、医療行為の一部を分担」するという穏やかな表現に変えられました。これらは、診療所開業医の反発を避けるための修正と言えます。
公的病院偏重の疑念
このように、民主党の医療政策には、医師や病院に配慮したものが少なくありませんが、2つの疑念が残ります。
第1の疑念は、公的(大)病院偏重という疑念です。それが一番鮮明なのは「地域医療を守る医療機関を維持」の項で、「医師確保などを進め、地域医療を守る医療機関の入院については、その診療報酬を増額します」、「4疾病5事業を中核的に扱う公的な病院(国立・公立病院、日赤病院、厚生年金病院等)を政策的に削減しません」と書かれています。実は「詳細版」の原案では、前者は「…公益性のある病院の入院については、その診療報酬を1.2倍」とすると書かれ、公的病院偏重がより鮮明でした[注2]。
なお、「マニフェスト」では、「医療崩壊を食い止め、国民に質の高い医療サービスを提供する」対策の所要額を9000億円としています。足立参議院議員によると、このうちの「8000億円近くが診療報酬の増額分」ですが、その配分にはメリハリをつけ、「一般病床の約半分の上げ幅は20%程度を想定している」そうです(4)。これは上述した「地域医療を守る医療機関」ですが、「公的な病院」が優先される可能性が大きいと思います。
逆に、「マニフェスト」・「詳細版」とも、日本の地域医療の大半を支えている民間中小病院や診療所の役割に対する言及はまったくありませんし、診療所の診療報酬引き上げにも触れていません。一般には、救急医療の主役は自治体病院や公的病院というイメージがありますが、それは誤りで、全国的にみても、救急搬送患者の57%は民間医療機関が受け入れており、しかもこの割合は大都市部で特に高くなっています(2007年度。消防庁『救急・救助の現況』と厚生労働省『医療施設調査』により、加納繁照医師が推計(5))。
この事実を踏まえると、特定の(公益性のあるとみなされた)病院の入院のみに対象を限定して診療報酬を2割も引き上げる政策はきわめて恣意的です。私は、診療報酬改定に当たっては、病院の入院医療を中心としつつも、診療所を含めたすべての医療の診療報酬を「底上げ」することが不可欠だと思います。
中医協改革への疑念
もう1つの疑念は、上述した「地域医療を守る医療機関を維持」の項の最後に書かれている「中医協(中央社会保険医療協議会)の構成・運営等の改革」です。この短い一文だけでは真意は分かりませんが、「毎日新聞」7月23日朝刊の報道では、岡田克也幹事長は「診療側」代表の日本医師会について、「医師会は開業医中心だ。利害関係者が自分たちの取り分を決めた政府の制度は他にはない」と指摘し、診療報酬改定は「最終的には国会で議論して決める」と表明したそうです。
私自身も、診療報酬の改定率を最終的に国会で決めることに賛成ですし、中医協の委員に患者代表を増やしたり、医師・病院代表以外の医療職を新たに加えるという構成の改革を行うことにも賛成で、同種の改革を1994年に提起したこともあります(6)。
しかし、岡田幹事長の発言は、次の2点を無視しています。(1)中医協の診療側委員にはすでに事実上の病院団体代表が2名加わっており、2008年の診療報酬改定のように、最近の診療報酬改定は決して開業医が「自分たちの取り分を決める」ものとはなっておらず、逆に病院に最大限配慮した改定が行われている。(2)中医協は公開の場で診療報酬の改定を審議するだけでなく、改定後の影響を詳しく調査し、その結果を(不十分ながらも)次回改定に生かすなど、他の政府委員会よりもはるかに透明で公正な運営が行われている。
私の知り得た範囲では、岡田幹事長に限らず、民主党幹部には、このような中医協の優れた構成と運営についての理解がない方が少なくありません。これは非公式情報ですが、昨年までは、中医協の廃止を主張している幹部もいたと聞いています。それだけに、民主党政権の下で、中医協改革が「官僚政治打破」のシンボル化され、大きな混乱が生じる危険があります。
ただし、中医協改革のためには法改正が必要であり、2010年の診療報酬改定は現行制度の下で行われる可能性が強いと思います。他面、総選挙での圧勝により、国会内および各省庁・医師会等の医療団体に対して圧倒的優位に立った民主党政権が、上述した疑念のある診療報酬改定や中医協改革を一気に強行する危険性も否定できません。
医療費財源拡大の長期見通しが示されていない
民主党の他の政策と同じく、医療政策の最大の弱点も、医療費拡大のための財源の長期的見通しが明確に示されていないことと言えます。民主党は「マニフェスト」で、「国の総予算207兆円を全面組み替え」、税金の無駄づかいの根絶と「埋蔵金」の活用等により16.8兆円(2013年度)を捻出できると主張していますが、この試算に対しては、自由民主党をはじめとする他の政党だけでなく、すべての全国紙、大半の研究者が疑念を呈しています。そのためもあり、「朝日新聞」が衆議院選挙に向けて8月15・16日に実施した世論調査でも、民主党の公約を実現するための財源に「不安を感じる」と答えた人は83%にのぼりました(「朝日新聞」8月18日朝刊。ただし、自民党の公約を実現する財源に対しても83%が「不安を感じる」と回答)。
私自身も、日本がアメリカと並ぶ「小さな政府」であることを考慮すると、無駄の排除と埋蔵金の活用だけでは、公的医療費拡大の長期的な安定財源は確保できないと考えています。特に「埋蔵金」は、福田・麻生政権が、2008年度予算~2009年度補正予算で、合計18.7兆円も取り崩した結果、大きく目減りしています。自民党内には、「民主党に政権を奪われる前に、使えるもの[埋蔵金]はすべて使い切ってしまえ」という声すらあったそうです(「毎日新聞」8月27日朝刊「エコナビ2009」)。また、一般歳出削減の主な対象とされる「補助金」49兆円の多くは、地方交付税などの地方財源や医療や介護・年金の保険給付費、児童手当や保育所予算、生活保護、教育予算など、「国民の生活が第一」とする民主党政権にとっても簡単には削れないものが大半です。
ただし、私は前稿では、この点をもって民主党のみを批判するのは公正ではないと指摘しました(1)。その理由は2つあります。1つは、民主党も長期的には消費税を医療・社会保障拡大の主財源と考えており、自民党との違いは引き上げの実施時期だけと言えるからです。鳩山党首も7月27日のマニフェスト発表時に、消費税は「4年間は増税する必要はない」とする一方、「将来の議論は当然行うべきだ」と明言しました。民主党の「マニフェスト」は、大企業の負担増(企業課税と企業負担の社会保険料の引き上げ)や所得税の累進性の強化等、格差是正につながる税制改革を正面から掲げていない点でも、自民党と類似しています。もう1つは、民主党も一枚岩ではなく、医系(医師)議員を中心にして、社会保険料の引き上げを正面から主張する議員も少数存在し、この点でも自民党と類似しているからです。
しかし、このような留保条件は、民主党政権が成立した場合にはもはや通用しなくなります。私は、民主党政権の下でも、税金の無駄使いの根絶と埋蔵金の活用だけでは、医療費や社会保障の大幅拡充のための財源が捻出できないことは早晩明らかになると予測しています。民主党の公約通り、日本の医療費水準をOECD平均並みに引き上げるためには、足立参議院議員が明言したように、毎年(最低)6兆円の新たな医療費財源が必要ですが、そのうち上述した16.8兆円の財源に含まれているのは1.6兆円にすぎません(2013年度。ただし、これは「医療・介護の再生」財源で、医療費増はその半分)。
このことが明らかになり、民主党が次の総選挙で国民に正面から負担増(租税・社会保険料負担の引き上げ)を訴え、しかも国民の支持を再び得ることができた場合に初めて、医療費の大幅増加政策が始まると私は考えています。他面、民主党がそれを避けたり、国民がそれを支持しなかった場合には、医療費抑制政策が新たな形で復活する危険が大きいと思います[注3]。
医師会等と政党との関係が変化
最後に指摘したいことは、民主党政権成立により、日本医師会等の医療団体と政党の関係が劇的に変化することです。従来は、自民党政権が「永久政権」の様相を呈していたために、日本医師会等の自民党一党支持も合理化されてきました。しかし、自民党が野党に転落した結果、その根拠は崩壊し、日本医師会等は政権党を中心とした各政党に、「民間学術専門団体」の立場から、積極的な政策提言を行うことになります。それにより、日本医師会等と政党との間に健全な緊張関係が生まれ、しかもそれが可視化されます。これは政権交代がもたらす大きな効果と言えます。
民主党の医療政策が、「マニフェスト」公表直前に、診療所・病院に配慮する形で急激に現実化・具体化したこと、および日本医師会が民主党の医療政策を切り捨てる従来の姿勢を転換し、民主党の「マニフェスト」に対しては是々非々の評価を行ったこと(7月29日および8月19日の定例記者会見)を考慮すると、そのような動きはすでに水面下で始まっていると思います(7)。
[注1]私が老人保健法復活に賛成する理由
私は、2008年4月に後期高齢者医療制度が実施された直後から、それを廃止し、老人保健制度を復活することに賛成しました(8)。その考えは現在も変わっていません。その理由は2つあります。1つは、高齢者のみを一般の国民から切り離す後期高齢者医療制度は、国民連帯という国民皆保険の根本理念にも、疾病リスクの高い加入者と低い加入者をプールして、リスクを社会的にプールするするという社会保険の原則にも反しており、これに比べると、高齢者を従来の医療保険制度に加入させたまま制度間の財政調整を行う老人保健制度の方が、理念上も、社会保険の設計技術上も、はるかに優れているからです。
もう1つの理由は、後期高齢者医療制度(正確に言えば、それの根拠法となっている「高齢者の医療の確保に関する法律」)には、老人保健制度(同老人保健法)にはなかった、以下の4つの厳しい医療費抑制の仕組みが組み込まれているからです。(1)保険者が特定健診・保健指導(メタボリック症候群対策)の目標を達成できなかった場合に、2013年度から、ぺナルティ(支援金の最大10%加算)を課せられる。(2)医療費適正化計画を達成できなかった都道府県は、2013年度以降、診療報酬点数の特例的引き下げの実施を求められる。(3)老人保健法では1割負担だった70~74歳の自己負担割合を2割に引き上げる。(4)老人保健法では高齢者には禁止されていた、保険料未納者に対する保険証の取り上げ(資格証明書の交付)が、後期高齢者にも導入された。
自由民主党は、2008年度以降実施された後期高齢者医療制度の手直しにより、「国保に入っていた世帯の75%は、後期医療に移って保険料が下がった」等と主張し、老人保健制度の復活に反対していますが、後期高齢者医療制度を存続すると上記の問題点も存続することになります。
なお、私は、理想的には、老人保健制度を復活するだけでなく、その対象年齢を65歳にまで引き下げることが望ましいと考えています。これは、「前期高齢者医療制度」(65~74歳)で実施されている保険者間の財政調整方式を75歳以降にも拡大する方式とも言えます。しかし、これに対しては、経済団体だけでなく民主党の最大の支持団体である連合も、現役労働者の負担増につながるとして強く反対することは確実であり、少なくとも当面は困難と思います。
[注2]民主党が公的病院偏重である2つの理由
私は、民主党の医療政策に公的(大)病院偏重の傾向がある理由は2つあると推定しています。1つは、民主党の医系(医師)議員および医療政策のブレーンの医師の大半が大病院・大学病院の出身・所属で、民間中小病院・診療所の実態をよく知らないことです。
もう1つは、民主党の最大の支持団体である連合(日本労働組合総連合会)の医療政策が自治労の強い影響下にあり、その自治労の医療政策は、傘下に多くの自治体病院組合員を抱えるため、伝統的に公立病院偏重・開業医軽視だからです。例えば、連合の「制度・政策 要求と提言」(2009年7月~2011年6月)には、「診療所については、定額方式を原則とするとともに将来的には家庭医登録制度の採用と登録患者の数に応じた医療費支払い方式である人頭払い制度の導入も検討する」という、かつてイギリスのNHSで採用されたが現在では修正されており、日本の医療の現実からはかけ離れた政策が堂々と掲げられています。
歴史的には、これは、1970年代に旧社会党や自治労が掲げた「医療社会化」(公営化)路線の残滓と言えます。社会党は1972年大会で採択した「医療社会化の道」で、すべての診療所医師を健康管理医として、主として予防活動のみに従事することを提唱しました(9)。自治労も1973年大会で、公立病院を中心とする「医療社会化の新しい試み」を具体化しました(10)。しかも自治労は、現在の民主党の前進である旧民主党(1996年9月創立。新党さきがけの大半と社会民主党の一部議員が参加)を、創立前から積極的に支援していました。
なお、医療関係者の中には、民主党と連合が政策協定を結んでいることを理由にして、民主党政権下で、上述した連合の現実離れした医療政策が実施されると心配している方もいますが、それは杞憂に終わると思います。なぜなら、今回の総選挙における「政策協定」(7月16日)では、合意事項は10項目の総論的な「重点政策」に限定され、「個別課題については、十分な協議を行い、合意形成に努める」と、民主党のフリーハンドが確保されているからです。
また、民主党政権が診療報酬改定等を通して公的病院優先策を実施したとしても、近年の自治体病院等の減少傾向に歯止めがかかるにとどまり、歴史的に形成された民間主導の病院制度が今後も継続することは確実です。民主党も公的病院の増加は主張しておらず、「4疾病5事業を中核的に扱う公的な病院…を政策的に削減しません」(「詳細版」)と限定的な主張をしています。
[注3]民主党の医療政策が今後再転換する可能性
民主党議員の思想・政治信条には自由民主党議員以上に大きな幅があり、特に外交・経済政策について深刻な路線対立があることはよく知られています。医療についても同じことが言え、経済官庁や大企業(特に金融機関や外資系企業)の出身者を中心として、医療や社会保障への理解が十分でなく、財政再建のためには医療費抑制が必要だと単純に(?)考えている議員が相当数存在しますし、「医療市場」拡大のために混合診療の全面解禁等の「規制緩和」を主張する議員も少数存在します。民主党の医療政策のブレーン医師の中にも、高機能病院の財源確保のために混合診療の拡大・全面解禁を主張する方がいます。
今回の「マニフェスト」では、医療危機・医療荒廃の社会問題化と医系(医師)議員の奮闘により、民主党は医療費と医師数の大幅増加に大きく舵を切りましたが、今後、税金の無駄の根絶と埋蔵金の活用だけでは、医療費拡充の財源が捻出できないことが明らかになった場合、このような主張が優勢になり、民主党の医療政策が公的医療費抑制に再転換する可能性は否定できないと私は判断しています。その場合、「医療の効率化」や「患者の選択肢の拡大」を大義名分にして、診療所・非急性期病床の診療報酬切り下げと混合診療の拡大により、急性期(高機能)病院の入院医療費財源を捻出する方針が導入される可能性もあります。実は、これは、財政制度等審議会が、財務省の意を受けて本年6月にとりまとめた「建議」で行った主張です(11)。
文献
- (1)二木立「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」『文化連情報』2009年9月号:14-18頁(これの圧縮版を、「日経メディカルオンライン」の「私の視点」欄に8月1日に掲載:http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/orgnl/200908/511744.html)。
- (2)二木立「医療費抑制政策の転換と財源選択論争-第5回社会保障国際会議での報告」『文化連情報』2009年月10月号(印刷中)。
- (3)近藤克則『「医療費抑制の時代」を超えて-イギリスの医療・福祉改革』医学書院,2004,18-19,87-89頁。
- (4)「特集 政権交代ならこうなる!マニフェストに見る民主党の医療・介護政策」『日経ヘルスケア』2009年8月号:34-40頁。
- (5)加納繁照「公私間格差と社会医療法人」『病院』2009年10月号(印刷中)。
- (6)二木立『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房,1994,64-67頁。
- (7)日本医師会「自民党および民主党の政権公約に対する日本医師会の見解」2009年8月19日。
- (8)二木立『医療改革と財源選択』勁草書房,2009,92-98頁。
- (9)二木立「医療基本法」。川上武・中川米造編『医療保障(講座・現代の医療3)』日本評論社,1973,184-196頁。
- (10)自治労運動史編集委員会編『自治労運動史第2巻』勁草書房,1974,787頁。
- (11)二木立「財政制度等審議会『建議』の医療改革方針を読む-時代錯誤の主張と診療報酬抑制の新たな手法」『文化連情報』2009年7月号:22-27頁。
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算48回.2009年分その5:9論文)
<アメリカ独特の医療研究>
○[アメリカにおける]慢性疾患を有する成人ホームレス者に対する住まい[提供]・ケースマネジメント・プラグラムが救急外来受診と入院に与える影響:ランダム化試験
(Sadowski LS, et al: Effect of a housing and case management program on emergency department visits and hospitalizations among chronically ill homeless adults: A randomized trial. JAMA 301(17):1771-1778,2009)[量的研究]
アメリカではホームレス者は350万人に達すると推計されており、彼らのうち慢性の内科疾患を有する者は救急外来サービスや入院サービスを高頻度で利用している。彼らに対する住まい提供・ケースマネジメントプログラムのこれらサービス利用削減効果を、ランダム化比較試験により検討した。対象はシカゴの1公立教育病院と1非営利民間病院を2003年9月~2006年5月に退院した慢性の内科疾患を有するホームレス者のうち、ソーシャルワーカーが本プログラムに紹介した405人である。彼らの78%が男、78%が黒人であり、ホームレス期間の中央値は30か月であた。対象をランダムに2群に分け、介入群(201人)には住まいとケースマネジメントサービスを提供した。対照群(204人)も、病院ソーシャルワーカーによる標準的な退院支援サービスを受けた。介入・観察期間は18カ月間である。両群の人種、医療保険の有無、HIVの有無、アルコール・薬物嗜癖の有無、精神疾患の有無等を調整した上で、両群の救急外来受診率、入院率、入院日数を比較した。その結果、介入群は対照群に比べて、入院率と入院日数は共に29%低く、救急外来受診率も24%低かった。以上から、本プログラムは効果があったと結論づけられた。
二木コメント-「ホームレス大国」&ランダム化比較試験大国のアメリカでのみ可能な実証研究と思います。ただし、本論文では介入費用は示されておらず、このプログラムの費用対効果が優れているか否かは不明です。Kerteswzは、この論文への論評(Editorial:副題は「高い希望と複雑な現実」(high hopes, complex realities. 1822-1824))で、同種の「住まい第一」プログラムの介入データを用いて、介入費用を含めた総費用を試算し、「財政的見地からは、総費用を大幅に節減しそうもない」とコメントしています。
○[アメリカにおける]薬物嗜癖のホームレス者に対する住まい第一[プログラム]:われわれはやりすぎているか?
(Kertesz SG, et al: Housing first for homeless persons with active addiction: Are we overreaching? The Milbank Quarterly 87(2):495-534,2009)[文献レビュー]
二木コメント-ホームレス対策のうち、特に「住まい第一」プログラムと通常のリハビリテーションプログラムの効果の比較を中心とした、最新の文献レビューです。特に各プログラムの費用について検討した「費用とその限界」(cost arguments and their limitations)の項(507-509頁)は大変バランスがとれており、これらプログラムが費用を節減するとする主張の盲点をヤンワリと批判しています。そこで、一番印象的だったのは、「住まい第一」プログラムが費用を節減するという主張は、高額の包括的なホームレス対策が行われている地域にのみ当てはまる主張で、そのような地域はアメリカ全体ではごく一部にすぎないという指摘です(費用節減だけに注目するなら、何もしないのが一番安上がり)。なお、ホームレス対策の健康面に焦点を当てた体系的文献レビューとして、次の文献があるそうです(先に紹介した、Sadowski等の論文でも引用されています):「ホームレスの健康に対する介入:体系的文献レビュー」(Hwang SW, et al:Intervention to improve the health of the homeless: A systematic review. American Journal of Preventive Medicine 29:311-319,2005)。
○[アメリカにおける]ボランティアの価値付け:ボランタリズムが病院のパフォーマンスに与える影響
(Hotchkiss RB, et al: Valuing volunteers: The impact of volunteerism on hospital performance. Health Care Management Review 34(2):119-128,2009)[量的研究]
医療ボランティアは数世紀前から存在するが、ボランティアが病院のパフォーマンスに与える影響についての実証研究はほとんどない。1990年代以降、アメリカの病院は良質な医療を最少の費用で提供するよう圧力を受けており、その結果病院でボランティアを用いる便益が注目されるようになっている。本研究では、この研究(アンケート調査)に自主的に参加したフロリダ州の50病院を対象にして、ボランティアによる費用節減または患者満足度を被説明変数とする回帰分析を行い、ボランティア利用、およびボランティアプログラムの専門性が、費用節減および入院患者の患者満足に与える影響を定量的に検討した。その結果、ボランティア時間が多いほど、費用節減額が大きく、患者満足度も高まること、しかもボランティアプログラムの規模が大きいほどこれらの効果も大きいことが示された。ただし、ボランティアプログラムの専門性の高さは有意な説明変数ではなかった。
二木コメント-これも、上記ホームレス研究と共に、「ボランティア大国」アメリカでのみ可能な研究と思います。
○アメリカのホスピタリスト[病棟専属医]による高齢者診療の増加
(Kuo VF, et al: Growth in the care of older patients by hospitalists in the United States. New England Journal of Medicine 360(11):1102-1112,2009)[量的研究]
アメリカでは、1990年代半ば以降、ホスピタリストが急増しているが、それの全国調査は行われていない。そこで、メディケアの全国データを用いて、1995~2006年の、全国の約5800病院で高齢者の入院医療に従事しているホスピタリストについて調査した。
本研究ではホスピタリストを、一般内科医で、メディケア診療報酬請求の9割以上を入院患者の診療の「評価・マネジメント・サービス」(evaluation-and-management services)が占めているものと定義した。この定義に基づくと、一般内科医のうちホスピタリストの割合は1995年の5.9%から2006年の19.0%(120,226人)に急増していた。同じ期間に一般内科医が請求した「評価・マネジメント・サービス」のうち、ホスピタリストによるものは、9.1%から37.1%に増加していた。ホスピタリストの地理的分布には大きな偏りがあった。
二木コメント-ホスピタリストについての初めての全国調査ですが、対象は高齢者医療に従事するホスピタリストに限定されています。アメリカの病院の「オープン・スタッフ・システム」(開業医の患者が入院後も、その開業医が主治医として診療を継続する)は、この10年間で相当変容していることが分かります。ただし、ホスピタリストは日本の勤務医のように病院に雇用されてはおらず、ドクターフィーを独自に請求しています。なお、少し古いですが、次のホスピタリストの文献レビューもよくまとまっています:「アメリカのホスピタリスト[病棟専属医]の入院医療の費用と質に対する影響:文献の合成」(Coffman J, et al: The impact of hospitalists on the cost and quality of inpatient care in the United States: A research synthesis. Medical Care Research and Review 62(4):379-406,2005)(本「ニューズレター」18号,2006年2月で紹介)
○[アメリカにおける]高齢患者が入院した場合のプライマリケア医による外来診療と入院診療の継続性
(Sharma G, et al: Continuity of outpatient and inpatient care by primary care physicians for hospitalized older adults. JAMA 301(16):1671-1680,2009)[量的研究]
アメリカでは、伝統的に、患者が入院した場合には、主治医である開業医が入院後も診療を継続するとされているが、その実態についてはほとんど知られていない。そこで、1996~2006年のメディケア給付費の全国データ(約302万件)を用いて、後方視的コホート分析を行った。当該患者の「評価・マネジメント・サービス」の診療報酬を請求した医師をその患者を診療している医師と定義した。1996年には入院患者の50.5%は入院後も前年に外来受診したことのある医師(診療科は問わない)の診察を継続的に受けており、44.3%はプライマリケア医の診療を継続的に受けていたが、2006年にはこの割合はそれぞれ39.8%、31.9%に減少した。診療の継続性の減少は、週末に入院した患者と大都市圏に居住している患者で特に大きかった。多変数・多水準分析では、ホスピタリストの関与の増加が、10年間の診療の継続性の減少の約三分の一を説明していた。
二木コメント-上述した「アメリカのホスピタリストによる高齢者診療の増加」論文と相補的です。本論文の方が、アメリカの病院の特徴と言われていた「オープン・スタッフ・システム」が、大都市部を中心に崩れていることをより鮮明に示しています。
<カナダ医療の研究>
○カナダにおける死亡場所の急激な変化:1994-2004年
(Wilson DM, et al: The rapidly changing location of dealth in Canada, 1994-2004. Social Science & Medicine 68(10):1752-1758,2009)[量的研究]
カナダの死亡場所の先行研究では、1994年まで病院での死亡割合が増加し続けていた。1994~2004年の、ケベック州を除く全国の全死亡データ(180.6万人)を分析したところ、病院での死亡割合は77.7%から60.6%へと相当減少しており、しかもこの傾向は年齢、性、婚姻状態、都市部・農村部、ほとんどの死因等で共通していた。同じ期間にナーシングホームと非施設(non-institutional places.自宅等)での死亡割合はそれぞれ、3.0%から9.9%、19.3%から29.5%に増加していた。このような死亡場所のシフトは、この期間に病院外死亡を増やす政策や医療計画がなかったにもかかわらず生じた。
二木コメント-大変興味深い叙述的(descriptive)研究ですが、病院での死亡割合減少の要因・原因の定量的分析が行われていないことには物足りなさが残ります。なお、「非施設」の内訳は示されていませんが、論文全体のトーンから大半が自宅と思います。
○[カナダにおける高齢者]死亡の相対的費用の経年変化
(Payne G, et al: Temporal trends in the relative cost of dying: Evidence from Canada. Health Policy 90(2-3):270-276,2009)[量的研究]
カナダ・ブリティシュコロンビア州(人口約431万人)の65歳以上の全住民の全医療費データ(入院・外来・薬剤・在宅医療)を用いて、死亡者と年齢調整済み生存者の1人当たり年間医療費の関係の1991と2001年の経年変化を測定した。死亡者のインフレ調整済み医療費は10年間に約10%増加したが、生存者の医療費はわずかに減少した。死亡者対生存者の医療費倍率は4段階の全年齢階層で上昇した(総数では5.7倍から6.3倍へ)。ただし、1991年、2001年とも、この倍率は、年齢階層が高くなるほど小さく、2001年では、66-70歳の10.1倍に対して、91歳以上では2.0倍にすぎなかった。この結果に基づいて、著者は、死亡率の低下傾向と死亡者対生存者の医療費格差は高齢になるほど小さくなる傾向が今後も続く場合には、人口高齢化による医療費増加は従来の単純推計よりも小さくなる可能性があると示唆している。
二木コメント-公営医療制度で全住民の全医療費データが存在するからこそ可能な研究です。結論の最後の「人口高齢化は医療財政に対する重大な驚異ではないかもしれない」も妥当と思います。
<その他>
○政策担当者と医療提供者が演じるゲーム:日本における病院の慢性期病棟へのケースミックスを基礎にした支払い方式の導入
(Ikegami N(池上直己):Games policy makers and providers play: Introducing case-mix-based payment to hospital chronic care units in Japan. Journal of Health Politics, Policy and Law 34(3):361-380,2009)[医療政策研究]
日本で2006年に実施された、病院の慢性期病棟(療養型病床)に対する支払いの、1日当たり定額払い方式から、ケースミックスを基礎にした支払い方式への変更は、重症患者の入院を促進するとともに、診療報酬をより根拠に基づくものにすることを目的としており、そのための患者分類は患者の資源利用の統計的分析に基づいて開発された。しかし、その診療報酬点数は、軽症患者を中心にして、実際の費用を下回る水準に設定された。これは、時の首相が下した総医療費抑制の決定、および時の厚生労働大臣の慢性期病床の医療費削減を医療費抑制の中心とする決定の結果であった。しかし、病院側は短時間に新しい支払い方式に適応した。その主な手法は、従来よりも尿路感染症や褥創等の出現率を高く報告することにより、患者の重症度分類をより重度なものにシフトすることであった。
二木コメント-2006年の診療報酬改定における療養病床入院基本料の見直しについての詳細な「歴史の証言」です。池上氏の日本語文献には書かれていない貴重な情報や氏の辛口の分析が多数が含まれており、関係者の必読文献と思います。
○民営化の背後のメカニズム:スウェーデンの高齢者ケアにおける民間部門増加のケーススタディ
(Stolt R, et al: Mechanisms behind privatization: A case study of private growth in Swedish elderly care. Social Science & Medicine 68(5):903-911,2009)[ケーススタディ(量的研究も併用)]
長年、スウェーデン福祉国家は、公的部門が高齢者ケアの供給と財政の両面で独占的役割を果たす福祉モデルに基づいてい運営されてきた。しかし、ニューパブリックマネジメントの世界的趨勢に影響されて、過去15年間、政府は高齢者ケアでも競争を奨励するようになり、民間事業者が相当増加している。1990年には、高齢者ケア部門の労働力の1%しか民間組織に雇用されていなかったが、2003年にはこの割合は13%に増加した。このような変化の是非については論争が続いており、左派の政治家は公的部門が独占する伝統的な福祉モデルを擁護する一方、右派の政治家は民間部門のさらなる拡大を主張している。 そこで、1990~2003年の統計を用いて、民営化と経済的、政治的、社会的・人口学的変数との関連を、回帰分析と拡散分析(diffusion analysis)により検討した。その結果、民間部門による高齢者ケアは、当初は、主として右派政党が支配している大都市圏で生まれていた。意外なことに、そこに近接する自治体は、政治的・経済的条件にかかわりなく、その動きに追随する傾向が見られた。これらの自治体では、左派支配が復活した場合も、公的管理の下での民間事業者との契約を維持するだけでなく、それを奨励していた。その結果、自治体の政治的・経済的条件の違いにかかわらず、民営化が進んでいた。
二木コメント-スウェーデンの自治体で進んでいる高齢者ケアの民営化のダイナミックスが分かる事例研究です。ただし、民営化が進んだといっても、まだ13%にとどまっていること、しかもあくまで「公的管理」下にあることを見逃すべきではないと思います。
。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その58)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- ポール・クルーグマン(アメリカ・プリンストン大学教授。2008年、ノーベル経済学賞受賞)「科学の世界では、ある分野で有名な研究者が、よく知りもしない別の専門分野で声高に意見を述べるようになることを、『グレート・マン症候群』と呼んでいる。科学者が医学の専門家を自認したり、物理学者が認知科学の専門家と称するような場合である。同じ病気が、大統領経済顧問に昇格したビジネス・リーダーにも見られる。彼らには、新しい分野で意見を述べるのは、まず大学に戻って勉強しなおしてからにすべきだ、ということがなかなか理解できないようだ。」、「ビジネス階層が[国の]経済問題を論じているのに出会ったら、ぜひ自らに問いかけてほしい。彼らはこの問題について、時間をかけて勉強したのだろうか、専門家の著作は読んだのだろうか、と。/もしそのように見えなければ、どれほどの成功者であろうと気にすることはない。彼らの意見など無視すればよい」(北村行伸訳『クルーグマンの視座』ダイヤモンド社,2008,第2章「国の経済は企業とどう違うか」58,70頁)。二木コメント-この痛快な文章を読んで、小泉政権時代に、経済財政諮問会議や規制改革会議で、ビジネスの経験と論理に基づいて、医療問題への市場原理導入を声高に主張したビジネス・リーダーを連想しました。また、冒頭の「グレート・マン症候群」は、オルテガが批判した「専門化の野蛮性」と同じだと思いました。
- オルテガ(スペインの思想家)「専門家は、自分の領域の微少な片隅を非常によく≪知って≫いる。しかし、他のことはからっきし知らない。(中略)この人は、自分の知らないあらゆる問題にたいして、一人の無知な男としてではなく、自分の特殊な問題では知者である人間として、気どった行動をする…」(寺田和夫訳『大衆の反逆』中公クラシックス,139頁)(本「ニューズレター」23号(2006年7月)。
- ポール・クルーグマン「理論の上でなら、正しいと言えることは数多い。(中略)しかし、そうした政策は実際に可能なのだろうか。この問いに答えるためには、事実をしっかりと調べなければならない。」、「理論的には根拠があるが、事実をみていくなら根拠はない」(山岡洋一訳『クルーグマンの良い経済学 悪い経済学』日本経済新聞社,1997,49,83頁)。
二木コメント-上記クルーグマンの最新著を読んで、12年前に初めて読んだクルーグマンの本の名言を思い出しました。当時は、この言い回しを真似して使おうと思いましたが、まだ論文では使えていません(口頭での論争ではよく使っています)。なお、前者は「ある種の産業では戦略的政策によって輸出を促進できる可能性がある」という主張、後者は「第三世界の成長は第一世界の反映を脅かす」という主張を批判するときに、使われました。共に、批判の主な対象は、1992年にベストセラーになったレスター・サロー『大接戦(Head to Head)』です。 - ポール・クルーグマン「[本書に収めたエッセイの]多くがその時の出来事に応えて書かれたものだが、私はジャーナリストではない。私が時事問題の論議に貢献できるとすれば、それはより長期的な視野でそのニュースを考えることだろう」(三上義一訳『グローバル経済を動かす愚かな人々』早川書房,1999,14頁,「はじめに」)。二木コメント-私も、まったく同じ視点から「医療時評」等を書いているので、大いに共感しました。
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- アルバート・リース(新古典派労働経済学者。シカゴ大学経済学教授退官後、政府機関・有力財団の要職、プリンストン大学学長等を務めた。故人)「賃金決定の新古典派理論は、わたしが30年にわたり教えてきた教科書でも説明しようとしたものだが(中略)公平さ(フェア)については何一つ語っていない。(中略)/これらの職務のどれ一つにおいてすら、自分がこれまで長きにわたり教えてきた理論はいささかなりとも役にたっていない。現実世界で賃金や給料の設定に関する要因は、新古典派理論が述べるものとはまるでちがっているようだった。これらすべてにおいて圧倒的に重要だと思えたのは、公平さなのだった」(G・A・アカロフ、R・J・シラー著、山形浩生訳『アニマルスピリット』東洋経済新報社,2009,26頁。リースが死の直前、経済学者としての人生を振り返ったときに、このような「驚くべき告白を行った」と紹介)。二木コメント-私も、副学長・常任理事になって、大学の運営と経営、特に教職員の処遇で、「圧倒的に重要」なのは公平さ(公正さ)であると日々実感しているので、大いに共感しました。もちろん、新古典派理論の大御所が、その理論が現実世界では「いささかなりとも役にたっていない」と率直に認めたことにも共感したことは言うまでもありません。一般の経営・マネジメント論では「リーダーシップ」(のみ)が強調されがちですが、それの大前提は公平・公正だと思います。
<その他>
- イゾベル・リンゼー(市民運動「スコットランド憲政会議」のリーダー)「変化はいつか、必ず起こります。奴隷解放にしても、婦人参政権にしても、ある時代には誰もができないと思ったことが、その後実現しているのですから。大事なことは、いつ変化が訪れてもよいように、アイデアを常に手元で温めておくことです」(山口二郎『政権交代論』岩波新書,2009,106頁。山口氏が1999年にスコットランドを訪れた際の、インタビューで、分権の成功の秘訣をこう答えた。スコットランド憲政会議は、1980年代に生まれ、10年近くかけて分権の制度構想を温めていた)。
- 大岡昇平(作家。1909-1988年)「今の状況をよく、この道はいつか来た道という人があるんですがね、ぼくは、ま、歴史というものは繰り返さないと思ってるんです。(中略)/『この道はいつか来た道』ということ自体が、すでにもう敗北主義につながるんであって、そういうふうにいうべきでない、とぼくは思ってますけどね。/初めての新しい条件のあるところをよく見きわめなければならない」(『戦争』岩波現代文庫,2007,208-209頁(原著は出版1970年)。加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社,2009,4頁,「はじめに」でゴチック部分を引用)。
- 大竹しのぶ(女優、52歳)「円熟の境地とは永遠に無縁でいたい。演じることにまだ新しい発見がある、まだこんな苦しみもある。そっちの方が楽しいから、そっちを目指します」(『AERA』2009年7月13日号,7頁)。
- 蜷川幸雄(演出家、73歳)「過激で破天荒なジジイになって、省エネの老人芸をありがたがる日本の風土に異議を申し立てたい」、「休むより動き続けていた方がいい」(「日本経済新聞」2008年11月30日「語る」)。
- 徳永進(鳥取市でホスピスケアに携わる医師)「身寄りがなくて、ぽつんと一人で亡くなっていく人もいます。でも、これも、いいね、と。誰もいないから不幸かというと、そこには幸福とか不幸を超えたものがある。幸せとか不幸という尺度を用意することは、死を迎えるというときには不似合いだと思います」(「毎日新聞」2009年7月31日朝刊、「新幸福論」。同紙8月16日朝刊の「余録」で、ゴチック部分を紹介)。
- 荻野アンナ(作家)「口から栄養がとれなくなれば天寿、という考え方もある。[父の希望通りに胃ろうを作ったことは]父の命に下駄を履かせすぎだろうか。ためらいを引きずる私に、日本庭園を訪れる機会があった。樹齢の古い松で知られる名園である。ほとんどの松は、枝に添え木がしてある。剥けた樹皮に筵(むしろ)の絆創膏(?)をつけた一本もあった。/迷うたび、この景色を思い出す。松にかけた手間は、人間でいうなら杖やペースメーカー、あるいは胃ろうに相当するのではないか。欧米の幾何学的な造園に比べ、自然を重視する日本庭園も、人工に支えられている」(「日本経済新聞」2009年8月17日夕刊「明日への話題『人工』が支える日本庭園」)。
- ローラ浅田(ジャズ歌手。2009年1月21日、乳がんで死去、66歳)「♪60代、身体に反比例して心のぜい肉が落ちてくる 70代ともなればもう何でもOKさ! そして80代、まだまだすてたもんじゃない 私90才以上も生きるかも知れないしね♪」(「読売新聞」2009年5月4日朝刊。2008年11月8日、金沢市の乳がん専門病院のロビー。自分と同じ病と闘う患者ら約30人の前で、「人生の扉」の作者の竹内まりやさんの了解を得て、英詞部分を日本語に変えて生きる素晴らしさを歌い上げた。その10日後に、同病院に入院したため、これがラストステージとなった。「人生の扉」原曲の英詞部分は以下の通り:I say it's fine to be 60. You say it's alright to be 70.And they say still good to be 80. But I'll maybe live over 90.)。
- 鳥羽研二(医師・杏林大学教授、高齢医学)「[米国で急速に台頭した]アンチ・エイジングではその人が社会に役立つか否か、という基準が強調されすぎていると思えてならない。(中略)ウィズ・エイジングという概念に私が至ったのは、老年医学の現場で長く過ごす中で、『老いることにも、光をあてるべき良い部分があるのではないか』と考えたからだ。(中略)老化現象をむやみに嫌ったり落胆したりせず、そうかといって目を背けもしない。その人なりの老化を個性の一部とみなすウィズ・エイジングを、アンチ・エイジングと対極の概念として成熟した高齢社会の糧にしたいと思う」(「朝日新聞」2009年5月31日朝刊、「ウィズ・エイジングを糧に」)。二木コメント-鳥羽医師の抑制的なアンチ・エイジング批判を読んで、それとは対照的に、アンチ・エイジング運動を「擬似科学」と厳しく批判したビンストック博士(アメリカを代表する老年学研究者)の論文「アンチ・エイジング医学に対する戦争[宣言]」を思い出しました(Binstock RH: The war on "anti-aging medicine." The Gerontologist 43(1):4-14,2003)。