『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻65号)』(転載)
二木立
発行日2010年01月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
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目次
- 1.論文:民主党政権の医療改革手法の危うさ-政権発足後3か月間の仮評価
(二木教授の医療時評(その72)」『文化連情報』2010年月1月号(382号):20-24頁)
- 2.インタビュー:新政権の医療・介護施策私はこう見る「中医協委員の差し替えはプロ
セスに大きな問題がある」(『日経ヘルスケア』2009年12月号(第242号):19頁) - 3.インタビュー:財源欠き、公約実行に苦慮 医療費抑制に先祖返りも 民主党政権で
医療は(『週刊東洋経済』2009年12月26日号・2010年1月2日号:130頁) - 4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その17):6冊
- 5.私の好きな名言・警句の紹介(その61-最近知った名言・警句)
お知らせ
1.座談会:『日経ヘルスケア』2010年10月号 (1月8日発行)に「新春特別座談会-激論!-新政権の医療施策を斬る」が掲載されます(30-37頁)。参加者は、安達秀樹氏(京都府医師会副会長。中医協委員)、伊藤雅治氏(全国社会保険協会連合会理事長)、上昌広氏(東京大学医科学研究所特任准教授)、および私の4人です。この座談会は、本「ニューズレター」には転載できませんので、興味のある方は雑誌をお読み下さい。
2.インタビュー:『月刊/保険診療』2010年1月号(1月10日発行)に「インタビュー 民主党の医療政策は底が浅く危うい」が掲載されます(49-53頁)。このインタビューは本「ニューズレター」66号(2月1日配信予定)に転載します。
1.論文:民主党政権の医療改革手法の危うさ
-政権発足後3か月間の仮評価
(二木教授の医療時評(その72)」『文化連情報』2010年月1月号(382号):20-24頁)
民主党を中心とする連立政権(以下、民主党政権)が9月16日に発足して早くも3か月が経過しました。私は民主党の「総選挙マニフェスト」の医療政策を分析したときに、医療費と医師数の大幅増加の数値目標が示されていることを高く評価する一方で、「医療費財源拡大の長期見通しが示されていない」ことを指摘し、「税金の無駄使いの根絶と埋蔵金の活用だけでは、医療費大幅増加の財源が捻出できないことは早晩明らかになると予測」しました(「民主党の医療政策とその実現可能性を読む」本誌2009年9月号。以下、前稿)。この矛盾は来年度の予算案編成で早くも明らかになり、診療報酬引き上げを求める厚生労働省とそれの引き下げを主張する財務省との攻防が激化しています。
ただし、この点の帰趨は本稿執筆時点(12月6日)では明らかでないため深入りすることは避け、本稿では、政権発足後明らかになった民主党政権の医療政策の別の問題点を指摘します。それは、医療政策・医療改革の手法・プロセス(以下、医療改革手法)に大きな問題があること、具体的には民主党の掲げる「政治主導」は乱暴で不透明な政治家および「お友達グループ」主導で、きわめて危ういことです。
なお、私は、「医療改革の価値判断を行う際、改革の内容の適否と改革の手続きの適否を峻別」し、「後者については『手続き民主主義』(due process)を重視し、『大事なのは内容(だけ)』、『目的のためには手段を選ばず』という立場はとりません」(拙著『医療改革』勁草書房,2007,129頁)。これは、小泉政権が打ち出した療養病床の再編・削減方針を批判的に検討したときに明示したスタンスで、本稿でもこのスタンスから分析します。
「官僚主導から政治主導へ」は的外れ
その前に、民主党政権の金看板と言える「官僚主導から政治主導へ」・「脱官僚依存」は、少なくとも医療政策に関しては的外れなことを指摘します。なぜなら、医療政策の大枠は自民党政権時代から一貫して「政治主導」だったからです。
そもそも1980年代前半に開始された日本の医療費・医師数抑制政策は、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘首相の強いリーダーシップ=「政治主導」によるものでした(1982年9月の閣議決定)。小泉政権の時代には、歴代自民党政権とは桁違いに厳しい医療費抑制政策が強行されただけでなく、医療政策史上、初めて医療分野に市場原理を導入する閣議決定(2006年6月「骨太の方針」)がなされましたが、これも小泉純一郎首相による「政治主導」でした。
厚生労働省は憲法の規定で閣議決定の執行を義務づけられており、現実にも、医療費抑制のために療養病床の再編・削減、リハビリテーションの算定日数制限など、医療危機を加速する政策を実施しました。私もそれに対する批判をしてきましたが、それを「官僚主導」と見なすのは、その大本にある「政治主導」を見落とした近視眼的見方です。また、厚生労働省は、小泉政権が「政治主導」で進めようとした医療分野への市場原理導入に最後まで抵抗し続け、その結果それの全面実施は実現しませんでしたが、これは医療従事者・患者の立場から見ても高く評価でき、「官僚主導」というべきではありません。
さらに福田・麻生政権では、小泉政権の政策の部分的見直しが行われ、医師数抑制政策の見直しや「社会保障の機能の強化」が閣議決定されましたが、これも大枠では「政治主導」と言えます。
なお、「政治主導」の元祖は民主党ではなく小泉首相であり、2002年3月に発表された「小泉三原則」では、「首相中心の内閣主導体制構築」、「官僚主導の排除」、「族議員政治との決別」が掲げられていました(自民党「政策決定システム改革案」)。私は、民主党政権に求められているのは、抽象的な「政治主導」ではなく、「国民の生活第一」の視点から、医療・社会保障を拡充し、しかも手続き民主主義を遵守する「政治主導」だと考えています。
民主党幹部とブレーン医師の描く「政治主導」の危うさ
それに対して、民主党幹部や同党のブレーン医師の描く「政治主導」は、厚生労働省医系技官と日本医師会叩きを主目的とし、しかも「お友達グループ」主導の極めて党派的なもので、危ういと思います。
この点をもっとも率直に語っている民主党幹部が、仙谷由人議員(現・内閣府特命担当大臣)です(「民主党が思い描く医療制度改革の見取り図」『集中』2009年9月号)。仙谷議員は、医系技官に対して「中途半端な専門家であり、学閥の上でも学部の成績でも一流、超一流の人材は集まっていない」といった低次元の批判を行う一方、「政治主導で、従来の審議会方式ではなくタスクフォースとして政府内に[在野の人材を集め検討会を-二木]作り」、「個別テーマごとに組む方式」を主張しています。これでは、政治主導=「お友達グループ」主導と言わざるを得ません。
自他共に民主党の医療政策のブレーンと言われている上昌広医師(東京大学医科学研究所特任准教授)は、医系技官や日本医師会に対する敵意をより明確にし、「医系技官対民主党の対立」(『メディカル朝日』2009年10月号)を呼号する一方、自民党支持団体は「すべて外される」、日本医師会は唐澤会長を更迭すべきと主張しています(「リスファックス」2009年10月27日)。
しかし、前稿で指摘したように、民主党「マニフェスト」中の医療提供制度改革方針は、厚生労働省の従来の方針と大半が一致しており、大きな違いは医療安全対策だけとさえ言えます。この点を無視して、医系技官や日本医師会バッシングに走る仙谷議員や上医師の手法は不公正で、小泉政権が好んだ「国民注視のなかでアドバルーンを高く掲げ…脱・官僚主導を成功させる手法」とそっくりです(竹中平蔵『政権交代バブル』PHP,2009,136頁)。
私は、歴代政権と厚生労働省が推し進めてきた医療費抑制政策は一貫して批判してきましたが、医療提供制度改革の中には、病院の機能分化と連携やDPC方式の段階的導入など合理的なものも少なくないので全否定せず複眼的に評価すべきであり、そのような政策を立案・実施する上で医系技官が果たしている積極的役割も正当に評価すべきだと思っています。それに対して、民主党議員やブレーン医師の度を超した医系技官バッシングは、医系技官の意欲を低下させて、彼らの「立ち去り型サボタージュ」を増やし、結果的に医療政策の停滞をもたらす危険があると危惧しています。
中医協委員人事での日医外しは「手続き民主主義」を逸脱
民主党の医療改革手法の危うさが最初に明らかになったのが、10月26日の中医協委員人事での日本医師会代表外し、次に明らかになったのが11月に行われた「事業仕分け」です。
まず、前者について、長妻厚生労働大臣が日本医師会推薦の3人の委員の再任を拒否して、まったく別の委員を指名したことは、社会保険医療協議会法第3条の「配慮」義務違反です。なぜなら、同法第3条では「医師、歯科医師及び薬剤師を代表する委員」については、「地域医療の担い手の立場を適切に代表し得ると認められる者の意見に、それぞれ配慮するものとする」と規程されており、しかも医師を「代表し得る」組織は日本医師会しかないからです。日本医師会には全医師27万人のうち16.5万人(3分の2)が加入し、しかも会員の半数弱が勤務医です。ちなみに、日本労働組合総連合会(連合)は、中医協を含めて、政府のさまざまな審議会・委員会に労働者代表として参加していますが、その組合員総数は676万人で、雇用者総数5565万人のわずか12.1%を「代表」しているにすぎません(連合事務局長「2008年労働組合基礎調査結果に対する談話」)。
なお、他の政府審議会・委員会と異なり、中医協の委員人事にのみこのような「配慮」規程がある理由は、中医協が、社会保険診療にかかわる「当事者自治」組織だからです。土田武史前中医協会長が明快に述べているように、「中医協は合意形成機関」であり、「当事者である支払い側、診療側が時間をかけて議論をし、一定の合意を形成」し、しかも「決めたことを[支払い側、診療側の双方に]守らせることのできる団体の代表が審議に参加していることが大切なのです」(『週刊社会保障』2008年3月17日号)。
中医協委員から日本医師会代表を排除する問題は、日本医師会の方針を支持するか否かという政治判断とはまったく別の原則問題です。勤務医の中には「日医は全医師を代表していない」との意見も根強く見られますが、これは日本医師会という組織そのものとそれの方針(政治方針と組織方針の両方)とを混同した感情論です。日本医師会の方針に問題があると思うのであれば、医師会内部で問題を指摘し、会長選挙を含めて、そのための改革の努力をすべきです。このような努力を放棄して、医師会の解体や分割を主張するのは非現実的であるだけでなく、「分割して統治する」支配者の鉄則に自らはまるものです。
ただし、今回の中医協人事には1つだけ「救い」があります。それは、足立政務官の作成した委員原案に含まれていた混合診療推進派の大病院経営医師(文字通りの「お友達人事」)が、長妻大臣の政治判断で排除され、最終的には見識のある委員が選ばれたこと、しかも日本医師会が今回の人事に対して冷静な対応を行い、特に安達秀樹委員(京都府医師会副会長。日本医師会社会保険診療報酬検討委員会委員長)に対する全面支援を表明したことです。
なお、10月30日発表の社会保障審議会委員の再任人事でも、民主党が「自民系団体」とみなす日本看護協会代表が排除されるなど「政治主導」が明確ですが、その直後の11月6日に発表された「高齢者医療制度改革会議」委員は、日本医師会代表を含めて「超党派」の人選となりました。これが民主党の軌道修正を示すのか否か、今後慎重に見守る必要があると思います。
医師会への「政治介入」の正当化は危ない
私は、中医協人事の評価に関して「怖い!」「危ない!」と思ったことが2つあります。
1つは、民主党の本音をストレートに表現している上医師が、中医協からの日医執行部外しを、日医が「民主党の有力な支援団体に生まれ変わる」ための手段と位置づけ、医師会等の専門職団体への政治介入を正当化していることです(『週刊東洋経済』11月7日号)。このような政治介入は、小泉政権時代に、武見敬三参議院議員(当時)等が日本医師会会長選挙に露骨に政治介入し、小泉政権の医療・社会保障政策を厳しく批判していた植松治雄会長(当時)を追い落とした4年前(2006年)の動きと瓜二つです(『AERA』11月2日号「『パイプ』競う日医の凋落」)。
私は前稿の最後で、政権交代により、「日本医師会等と政党との間に健全な緊張関係が生まれ、しかもそれが可視化され」ることを「政権交代がもたらす大きな効果」と評価しました。しかし、もし医療団体に対する民主党の政治介入が成功すれば、そのような効果は消失し、「健全な二大政党制」ではなく、自民党が民主党に変わっただけの別の一党優位体制が生じる危険があると危惧しています。
ただし、公平にみて、日本医師会の側にも、今回の民主党政権による「政治介入」を許した戦術ミスがあったと思います。それは、2007年の参議院議員選挙で民主党が圧勝し、次の総選挙で政権交代の可能性が生じただけでなく、民主党がそれまでの医療費抑制から医療費増加へと医療政策を180度転換して、日本医師会や都道府県医師会に対する働きかけを行ったにもかかわらず、日本医師会が昨年8月の総選挙直前まで「門前払い」を続けただけでなく、副会長名で民主党の古い医療政策を批判する「見解」を都道府県医師会長に送付したことです(2008年10月3日)。これは、民主党の側からみれば、同党に対する「ネガティブキャンペーン」と言えます(鈴木寛議員『日本医事新報』2009年9月12日号)。日本医師会側のこのような頑なな態度が、民主党の側に「政治主導」で日本医師会を排除する口実を与えたと言えます。
全国紙社説の中医協人事容認も危ない
中医協人事の評価で私がもう1つ「怖い!」「危ない!」と思ったことは、中医協人事発表の翌々日(10月28日)にこの問題を社説で取り上げたすべての全国紙のうち、「産経新聞」を除く5紙が、この人事が政治介入であることを事実上認めつつ、それを容認したことです(「産経新聞」が反対したのは、反民主党政権の立場を明確にしているため)。
このことは、全国紙の民主主義のプロセス(「手続き民主主義」)に対する感度の鈍さを如実に示しています。しかもいずれの社説も、この間行われてきた中医協改革について一言も言及せず、10年1日のごときステレオタイプな中医協・日本医師会批判をしているのにはあきれました。
実は、私自身もかつては中医協の組織構成と運営を批判しており、1994年に出版した『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』(勁草書房)で、「公正で透明な」中医協とするための「3つの改革」を提唱したことがあります(65頁)。それらは、以下の通りです。①ただちに病院団体代表を委員に加える、中長期的には医歯薬以外の職種代表や患者・消費者代表を加える。②中医協審議を原則公開とする。③中医協を実質的審議の場とする。しかし、現在では、これらの3つの改革はほとんど実現しており、中医協は現在では、厚生労働省の各種審議会・委員会のうち、(相対的には)もっとも「公正で透明な」組織になっています。
不透明で強引な「事業仕分け」
中医協人事に続いて、民主党の医療政策の手法の危うさが明らかになったのが、行政刷新会議が来年度予算編成の前段階として行った「事業仕分け」でした。「事業仕分け」自体には賛否両論がありますが、ここでは医療分野の仕分けに限定して、手法と「結論」の2つの問題点を指摘します。
1つは事業仕分けチームの「民間有識者」の選任基準・プロセスがまったく公開されていないだけでなく、小泉政権時代に「構造改革」・「小さな政府」路線を進める先兵となっていた人物が多数含まれていることです。その代表格が、厚生労働省等担当の第2ワーキンググループの福井秀夫氏(政策研究大学院大学教授)で、氏は当時、規制改革・民間開放推進会議の委員として、公的医療費の抑制と混合診療の全面解禁、株式会社の医療機関経営解禁をストレートに主張し、私とも公開論争をしたことがあります。
もう1つは、「事業仕分け」の「結論」として、診療報酬の引き上げが否定され、それに代えて「診療報酬配分見直し」が決められただけでなく、「医師確保、救急・周産期対象の補助金等事業」の「半額計上」さえ決められたからです。この結論は、明らかに、「総医療費対GDP比をOECD加盟国平均まで今後引き上げていきます」という民主党の総選挙公約(「医療政策詳細版」)に違反しています。しかも、「診療報酬配分見直し」の中身は、小泉政権時代にも検討されたが実施を見送られたもの、しかし財務省が現在でも執拗に求め、昨年6月の財政制度等審議会「建議」に盛り込まれたものばかりです。
こうみてくると、「事業仕分け」は国民受けを狙う「劇場型政治」という点でも、財務省主導という点でも、小泉政権の手法とソックリです。
以上、民主党政権の医療改革「手法」を、包括的かつ個別的に検討し、それが極めて危ういことを指摘してきました。ただし、民主党政権は成立後まだ3か月しか経っておらず、本年4月の診療報酬改定を含め、医療改革の「中身」は本稿執筆時点ではまだ決まっていません。また、民主党(政権)は医療政策に関しても一枚岩ではなく、各省大臣・政務官の間だけでなく、厚生労働省の政務三役レベルですら長妻大臣グループと足立政務官グループとの間に、改革の中身と手法をめぐって(感情的)対立があります。さらに11月26日には民主党内に「適切な医療費を考える議員連盟」が発足し、診療報酬総額の3%以上の引き上げを求めて活発な活動をしています。そのために本稿で指摘した危うさは現時点での「仮評価」とし、今後も監視を続けていきたいと思っています。
[本稿の「圧縮版」を「日経メディカルオンライン」の「私の視点」欄に12月11日に掲載しました。]
2.インタビュー:新政権の医療・介護施策私はこう見る
「中医協委員の差し替えはプロセスに大きな問題がある」
(『日経ヘルスケア』2009年12月号(第242号):19頁)
民主党がマニフェストや政策集で、医療費と医師数をOECDの平均並みに増やすという数値目標を示したことは画期的であり、私は高く評価している。だが、新政権成立から2カ月間の動きを見ると、医療政策決定のプロセスや手法には大きな問題があるし、改革の中身にも暗雲が垂れ込めている。
以前から「政治主導」の医療政策
まず政策決定のプロセスについてだが、独裁に近い恣意的な政治主導の手法が取られている点を指摘したい。
民主党は「官僚丸投げから政治主導へ」を掲げているが、そもそも医療に関しては、自公政権でも政治主導だった。小泉政権時代の医療費抑制政策の強行や医療分野への部分的な市場原理導入は、いずれも小泉首相の強い指示に基づき行われた。その後の福田・麻生政権の「社会保障の機能の強化」への部分的路線転換も、首相主導だった。
総選挙時の民主党マニフェストを見ても、医療提供制度改革に関しては、医療安全の項を除き、麻生政権時代の政策とほとんど変わらない内容である。医療政策は継続性が強く、政治主導への転換を訴えるのは的外れといえる。
実際のところ、新政権が実行に移した政治主導は、日本医師会と厚労省医系技官を悪者にしてバッシングすることだった。中央社会保険協議会における日医の代表外しは、その最たるものだ。このプロセスは、社会保険医療協議会法の規定に明らかに違反しており看過できない。わかりやすい敵をつくってたたくというやり方は、小泉政権の手法に酷似していて恐ろしい気がする。
ただし、中医協委員に当初、名前が挙がっていた“お友達グループ"が外され、見識ある委員に差し替えられたことで、最悪の事態は避けられたといえる。
診療報酬改定の行方に暗雲
一方、改革の中身について私は、来春の診療報酬改定の行方を懸念している。総選挙直後にはプラス改定間違いなしといわれていたのに、今では状況が全く変わってしまったからだ。
診療報酬については、行政刷新会議の「事業仕分け」で配分の見直しという結論が出たことを受け、財務省は3%のマイナス改定を主張している。長妻厚労相の発言も、当初の「国費3000億円投入」から大幅後退しており、プラス改定すら危ぶまれる状況だ。しっかりとした財源論を持たず、選挙対策で医療費の大幅増を打ち出したツケが回ってきたということだろう。
また、この流れに乗じて、混合診療の解禁や健康保険の免責制など、小泉政権時代の改革論が復活することも危惧される。実は民主党は2006年までは公的医療費抑制のスタンスだった。税金の無駄の根絶と埋蔵金の活用だけでは財源が足りないことが明白になった時、民主党の医療政策が公的医療費抑制に再転換する可能性は否定できない。
新政権は圧倒的な議席数を有するため、強引な政権運営があっても歯止めが利きにくい。注意深くその動向を監視・批判していく必要がある。(談)
3.インタビュー:財源欠き、公約実行に苦慮 医療費抑制に
先祖返りも 民主党政権で医療は
(『週刊東洋経済』2009年12月26日号・2010年1月2日号:130頁)
民主党が衆議院総選挙前の7月に発表したマニフェスト(政権公約)で、医療費と医師数の大幅増加の数値目標を掲げたことを、私は当時の寄稿文で高く評価した。と同時に、「医療費財源拡大の長期見通しが示されていない」ことを指摘し、税金の無駄遣い根絶と埋蔵金の活用だけでは、医療費大幅増加の財源が捻出できないことが早晩明らかになると予測した。併せて、公的病院偏重の可能性、強権的な中央社会保険医療協議会(中医協)改革への懸念も述べた。総選挙結果を踏まえた別の寄稿文では、民主党の医療政策が今後、医療費抑制に再転換する可能性にも言及した。
政権発足から3カ月しか経っておらず、断定的なことは述べにくいが、中医協メンバーからの日本医師会代表の排除や診療報酬引き上げの難航ぶりを見ると、私が抱いた懸念のかなりの部分が現実になってきたように思われる。
医療費や医師数の大幅増加は、総選挙で民主党が医療従事者から支持を取り付けるうえで決め手になった。それだけに、万が一にも公約が果たされなかった場合には、医療の危機がさらに深刻化するだけでなく、医療従事者の落胆が大きくなり、それがさらなる医療の荒廃を招く可能性がある。
乱暴だった事業仕分け すでに公約違反が露呈
民主党は総選挙を戦うに際し、「医学部学生を1・5倍に増やし、医師数を先進国並みにする」「長期的には医療費をOECD平均の8・9%程度(日本は8・1%)まで引き上げることを目指す。そのために、まず1・2兆円の予算を投入する」と表明した。ところが、2010年度予算の概算要求で、診療報酬改定については金額が盛り込まれなかったうえ(=事項要求の扱い)、その直後に藤井裕久財務相が事項要求のほとんどは認められないと発言した。
また、行政刷新会議の「事業仕分け」では、診療報酬については増額とは正反対の「見直し」との結論が出たうえ、漢方薬など市販類似薬の保険給付除外や、入院時の食費・居住費見直し(自己負担拡大)も盛り込まれた。内容面でも手続き面でも無理が目立った。
このように、民主党の医療政策は非常に底が浅い。欧州の社会民主主義政党のように一貫した福祉重視でもない。実際に過去のマニフェストを振り返ってみても、06年前後までは当時の自民党政権よりも医療費抑制の立場だった。ところが、小沢一郎党首の下で07年の参議院選挙に勝つために、医師数の増加に言及した。そして09年衆議院選挙では「医療費のOECD平均並みへの引き上げ」という画期的な目標を掲げた。ところが、この間、満足な党内論争もなく、医療重視は選挙対策としての面が強かったために、財政面で困難だとなると、簡単に先祖返りしてしまうおそれがある。その一端が今回の事業仕分けで露呈した。
民主党の医療政策は財源の裏付けが乏しい。政府の無駄遣い排除だけで医療に必要な財源が捻出できないことを民主党は痛感したはずだ。民主党が社会保険料や税の引き上げを担保に医療費を増やすという方針に転換し、なおかつ国民がその方針を支持した場合に初めて、長きにわたる医療費抑制政策は転換することができる。
しかし、民主党が10年夏の参議院選挙でそうした方針を打ち出さなかった場合、あるいは負担増の方針が出ても国民が支持しなかった場合には、自民党政権のときと同様の医療費抑制政策が復活する可能性がある。その場合には、小泉政権下で活発に議論された、混合診療の原則解禁など、国民皆保険制度を揺るがしかねない政策が打ち出されてくるかもしれない。
政党の歴史が短いこともあり、民主党はしがらみも少ない。また、公約を守ろうとする復元力にも期待したい。ただ、そうなるという確証を私は持ち合わせていない。
4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その17):6冊
※書名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○『愛される野獣を飼い慣らす-医療技術費用が我々の医療制度をいかに破壊しつつあるか?』
(Callahan D: Taming the Beloved Beast - How Medical Technology Costs are Destroying Our Health Care System. Princeton University Press, 2009,267 pages)[思想書]
アメリカの医療倫理学の大御所の最新作です(全8章)。医療技術革新はアメリカの医療制度に深く組み込まれており、国民や医師も強く支持しているが、高騰する医療技術費用はもはや維持不可能になっており、「技術バブル」はまさにはじけつつある。著者はこのような危機意識から、医療制度の組織改革だけでなく、医療および医療技術進歩についての考え方を根本的に転換し、医療技術の利用を制限する必要があると主張しています。その上で、医療を私財ではなく「共有財」に転換し、政府規制を組み込んだ国民皆保険制度だけが、技術進歩のマネジメント成功の希望を与えるとして、その青写真を示しています。
○『[イギリス・ニュージーランド・アメリカの]新しい医療政策』
(Gauld R: The New Health Policy. Open University Press, 2009, 201 pages)[研究書(国際比較)]
著者はニュージーランド・オタゴ医科大学の医療政策准教授で、イギリス、ニュージーランド、アメリカの3か国の医療政策の比較に基づいて、先進国が直面している「新しい医療政策」の主題を論じています(全8章)。著者は3か国比較に基づいて、1980年半ば~1990年代半ばの10年間を「医療改革期」と位置づけ、その前半が新自由主義主導、後半が社会民主主義主導と区分しており、「新しい医療政策」の主題とは後者に対応しています。イギリスとニュージーランドの医療政策における、新自由主義と社会民主主義、および「社会化された新自由主義」("socialized neoliberalism":イギリス・ブレア政権。152-155頁)との対抗を知る上では参考になりそうです。
○『北欧の医療制度[と政策]-近年の改革と現在の政策課題』
(Magnussen J, Vrangbaek K, Saltman RB, eds.: Nordic Health Care Systems - Recent reforms and current policy challenges. Open University Press, 2009, 339 pages)[研究書(国際比較)]
ヨーロッパ諸国の医療制度・政策の比較研究を系統的に行っている"European Observatory on Health Systems and Policy Series"の最新書です。北欧4か国(デンマーク、ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド)の近年の医療制度改革と現在の政策課題を系統的に比較しています。第1部「北欧の医療制度:安定性と変化のバランス」(4章)と第2部「北欧の医療制度:論点(key issues)」(15章)の2部構成です。第2部の最終章のみは、アイスランドの医療制度分析です。一般には、「北欧モデル」(公費負担、公的病院、アクセスの普遍性、包括的給付)は固定的・安定的と見なされていますが、最近の各国の改革により、4か国間の重要な違いが生じていることを指摘しています。北欧の医療・福祉研究者の必読書と思います。
○『現代医療の比較研究と政治』
(Marmor TR, Freeman R, Okma KGH, eds.: Comparative Studies and the Politics of Modern Medical Care. Yale University Press, 2009, 353 pages)[研究書(国際比較)]
「各国は他国の医療改革から互いに学びあうことができるか?」という課題意識から、先進国の最近の医療改革の苦闘を比較検討しています。全12章で、第2~6章では、カナダ、ドイツ、オランダ、イギリス、アメリカの医療改革の狙いと現実について検討し、第7~11章では、プライマリケア、入院医療、医薬品政策、長期ケア、民間医療保険の規制の2国間~多国間比較を行っています。第10章「日本とドイツの長期ケア[介護保険]の比較」はキャンベル教授と池上直己教授が執筆しています。
○『[アメリカ]医療のカオスと組織[化]』
(Lee TH, Mongan JJ: Chaos and Organization in Health Care. The MIT Press, 2009, 278 pages)[概説書(医療改革・医療経営)]
マサチューセッツ総合病院等の大病院を傘下に持つ、アメリカ東部の巨大「医療統合組織(integrated delivery system.IDS)」・Partners Healthcare System社の代表を務める2人の医師が、同社の成功体験を踏まえて書き下ろした、アメリカ医療の抜本的改革書です(全3部13章)。アメリカの医療問題の根本原因は医療提供組織のカオス(混沌・分断)にあり、解決の鍵はそれの「組織化」にあるとの認識に基づいて、「強固に結合された医療提供組織」=IDSの形成の処方箋を大胆に示しています。この改革は医師・医療提供者主導の自己改革であり、政府規制でもなく、市場メカニズムへの全面依存でもない、いわば「第三の道」と言えます(ただし、本書ではこの用語は使われていません)。著者が医師であるためもあり、第2章で医療費増加の主因が医療技術の進歩である根拠を明示し、第13章で、「良質な医療は医療費を減少させる」等の5つの「神話」を簡潔に批判しています。
○『トヨタ方式で超優良病院になる-リーン(方式)による効率改善と質向上』
(Black J, Miller D: The Tokyota Way to Healthcare Excellence. Health Administration Press, 2008, 255 pages)[啓蒙書(医療経営)]
トヨタ生産方式(アメリカでは一般に「リーン方式」と呼称)は、アメリカでも高品質で信頼性が高いと評価され、ボーイング社等の製造業では10年以上前から導入されています。アメリカの病院の中では、ヴァージニア・メイソン・メディカル・センターが、2000年に同社の方式を模して導入しています。本書は同病院を含めた4病院のリーン方式導入後の成果に基づいて、同方式の基本原則とそれを病院に適用する場合のポイントを平易に解説するとともに、4病院の事例報告を掲載しています(全3部全12章構成)。巻末にはリーン方式独特の「用語集」もついています。ただし、実用書であるため、データはほとんど示されていません。なお、『日経ビジネス』2009年7月6日号も、ヴァージニア・メイソン・メディカル・センターの活動を詳細にレポートしています(「『カイゼン』が崩壊を救った-米国の医療現場に生きるトヨタ方式」。72-75頁)。
5.私の好きな名言・警句の紹介(その60)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 近藤義郎(考古学者・岡山大学名誉教授。2009年4月5日死去、84歳)「考古学は学問なのだから、難しくて当然だ」(「毎日新聞」2009年11月11日朝刊「悼む」)。二木コメント-これを読んで、なぜか、学生時代に知った、科学的社会主義の2人の創設者の次の名言を思い出しました。
- フリードリッヒ・エンゲルス「社会主義はそれが科学となったからには1つの科学としてとりあつかわれなければならない、すなわち研究されなければならない」(大内力訳『ドイツ農民戦争』岩波文庫,35頁)。二木コメント-私は学生時代、医療問題を「科学として取り扱う」=「研究する」と読み替えました。これの対極にあるのが、常識(という名の先入観)のみに基づいて書いたり、発言することだと思います。
- カール・マルクス「学問にとって平安の王道はない。その険阻な小径をよじ登るに疲れることを恐れない人々だけが、その輝かしい頂上に到達する見込みをもつのである」(長谷部文雄訳『資本論』フランス語版への序言と後書き。角川文庫、第1部第1分冊、32頁)。二木コメント-ただし、ゴチック部分はマルクスのオリジナルではなく、ユークリッドがプトレマイオス王に答えた有名な言葉だそうです("There is no royal road to learning." The Concise Oxford Dictionary of Proverbs Second Edition, 1992, p.219)。
- ブレンドン(アメリカ・ハーバード大学公衆衛生大学院教授)「政策を変える上でもっとも影響力のないものは論文を書くことだ」(小野崎耕平・日本医療政策機構副事務局長が2009年11月6日の社会保険病院等病院長セミナーでの講演「民主党政権下の政治動向と医療政策決定プロセス」で、同教授の人気授業「医療政治(the politics of healthcare)」での発言として紹介。「政治にコミットしないと医療は変わらない」が持論の同教授は、その方法としていくつか例示した上で、こう指摘した)。二木コメント-私は長年、「政策的意味合いが明確な」実証研究をしてきましたが、研究論文が実際の政策に影響を与えることはごくたまにしかないことを経験しているので、大いに共感しました。逆に、この点に無自覚なまま、自己の研究を現実の政策に直結させようとすると、現実の政策に合わせるために結論先にありきの研究に陥りやすく、研究の生命である事実認識(大げさに言えば、「真理の探究」)が甘くなると思っています。
- 吉田徹(北海道大学法学研究科准教授、比較政治学・ヨーロッパ政治学)「『日本の作法』[としてのデモクラシー]はあくまで他国にではなく、日本の歴史の中に存在する。その文脈を無視して繰り広げられた90年代の政治工学が行き詰まりを見せることになるのは当然のことである。(中略)『日本の作法』と聞いて、ナショナリズムの影を感じ取る向きもあるかもしれない。しかし、その国のデモクラシーとは歴史の刻印を負った、優れてナショナルなものであるしかない。そして、そのナショナルなものをより善きものへと鍛え上げて、開いていくことこそが、重要な課題なのである。その事実を無視して、次々に新たな政治工学を輸入して、不完全なデモクラシーを作り上げてきたのが近代日本の形だった、とさえ言えるだろう」(『二大政党論批判-もう一つのデモクラシーへ』光文社新書,2009,211-212頁)。二木コメント-私も、「日本医療の現実と歴史を無視した、外国(特にアメリカ)直輸入の改革論や思いつき的に概念だけを展開する改革論」には以前から嫌悪感を持っているので、大いに共感しました(『保健・医療・福祉複合体』医学書院,1998,308頁)。なお、吉田徹氏は34歳の若手研究者ですが、本書で、政治改革論議の「インサイダーだった」佐々木毅氏(元東京大学総長)の過去の言動に「幾つか納得しがたいものがある」と正面から批判しており、その勇気・「冒険」に驚嘆しました(93-98頁)。
- 辻井喬(詩人・作家)「ぼくの立場は、ビジョンが見えていないときには、いずれ終わるものにしても可能なかぎり、人びとに害を与えないように、不幸になる人の数が少なくなるように、不幸の度合いが深刻でないように考えること、そしてぼくたちは可能なかぎりそのために努力をしなきゃならないというものです」、「物書きというのは、肉体労働の部類に入る気がしますね。文章というのは元気がないと書けない、つまり肉体で書くわけです。(中略)健康は間違いなく文章に反映します」(『心をつなぐ左翼の言葉』かもがわ出版,2009,97-98,230頁)。
- 中井久夫(精神科医。名文家としても知られる。近著に『臨床瑣談(正・続))「英語に訳しやすい文章だとは言われます。まあ、自分が読んで分からないことは書かないようにしていますから」(「毎日新聞」2009年9月5日朝刊「本の現場」)。二木コメント-私は、日本語そのものが英語に比べて非論理的だとする俗説には与しませんが、論理的に書かれた日本語の方が英語に訳しやすいのは事実だと思います。昨年末に、大学院生の修論草稿の英文タイトルの添削をしていて、改めてこのことを感じました。手前味噌ですが、「自分が読んで分からないことは書かない」は、私のモットー「一切のタブーにとらわれず、事実と本音を書く」と共通していると感じました(拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,101頁)。
※正月休みのため、<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>はお休み
<その他>
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増田久雄(プロデューサー、63歳。還暦を迎えた日本ロック界のカリスマ、矢沢永吉氏のドキュメンタリー映画「E.YAZAWA ROCK」(2009年11月21日封切り)を初監督)「米国では、日本でいう団塊世代の年齢層の人たち、いわゆるベビーブーマーズは、人生をリセットするではなく、リブート[再起動]する、といいます。リセットというのは、すべてのデータを消してゼロにすること。一方のリブートは、蓄積したデータを利用しながら新たなスタートを切ること。リセットは、いい方としてはかっこいい。でも、60歳の歳月を生きてきた人間がゼロから始めるなんてこと、記憶喪失にでもならない限り無理ですよ。やってきたことを財産として、誇りを持って生きていくべきだし、若いヤツらに、俺たちはこれだけのことをやってきたんだと胸を張って生きればいい」、「僕たちぐらいの年になったとき、後悔のない人は、おそらくいないでしょう。ただ問題は、その後悔がいいものか、悪いものかだと思います」(『エコノミスト』2009年11月17日号「問答有用276」44-45頁)。二木コメント-「リセットするではなく、リブートする」は人生についての忠告ですが、アラン・ブラインダー(プリンストン大学助教授・当時)の研究についての忠告「ゼロから出発するな」に通じると思いました(本「ニューズレター」32号,2007年4月参照)。
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矢沢永吉(還暦を迎えた日本ロック界のカリスマ)「永ちゃんぐらい保存状態のいい還暦はいない」(ファンからのメール)、「うまい表現だよね。STILL 現役なんですよ」「でもね、60というのは現実問題との闘いになってくるよね。あと何年歌えるか。5年?10年?8年ですか?だったら楽しみましょうよ。思いっきり暴れることで一番いいエキスが頭ん中に出てくる」(「日本経済新聞」2009年11月28日朝刊「YAZAWA60(第4回)」)。
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渡辺利夫(拓殖大学学長、経済学博士。70歳)「長い間、大学のためにご尽力賜り、本当にお疲れさまでした。どうか、ご退職後は健康のことなどに余りご留意することなく、残りの人生を大いにエンジョイしていただきたいと思います。お齢を召されると、どうしても体のことに注意が向いてしまい、内向的になることは否定できません。しかし、体に注意を向けてばかりいると、老化を病気と思い違え、老化をなんとか食い止めようという、どうにも勝ち目のない闘いに打って出て、結局はこれに敗れ、陰々滅々たる人生を送るという羽目に陥りかねません。/そういう不幸な人達が私の周辺にもたくさんおります。老化を“あるがまま"に受け入れて、痛い苦しい時以外は、病院には近づかないほうがいいのではないか、そう私は考えます」(『人間ドックが「病気」を生む-「健康」に縛られない生き方』光文社,2009,3-4頁。2009年の退職教職員送別会でのあいさつ)。二木コメント-私もまったく同じ健康観で、特に定期健診は大嫌いなので、大いに共感しました。
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丸山健二(作家)「悟ろうとしないことこそが真の悟り」(「悟り」『百と八つの流れ星(上)』岩波書店,2009,217頁)。
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マイケル・ムーア(アメリカの映画監督。最新作「キャピタリズム~マネーは踊る~」プロモーションのため初来日)「どんな映画でも突き詰めれば、不公平で不公正な経済の問題に戻ってしまう。なぜ常に貧しき者が犠牲になるのか。核心にあるシステムを問うべきだと思う」(「読売新聞」2009年12月8日朝刊「芸術は武器 変化起こす」)。
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ドン・エルデル・カマラ(「赤い大司教」と呼ばれた、ブラジルのカトリック聖職者。2009年が生誕100年・没後10年)「貧しい人に食べ物を施すと、私は聖者とよばれる。貧しい人にはなぜ食べ物がないのかと問うと、私は共産主義者と呼ばれる」(「しんぶん赤旗」2009年10月25日「潮流」)。
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長井健司(映像ジャーナリスト。2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、軍兵士に至近距離から銃撃され死亡。享年50)「悪いことは悪い。だから追及する」(「朝日新聞」2009年10月25日朝刊「著者に会いたい-『長井健司を覚えていますか』」。著者の明石昇二郎氏が、長井氏がこう言い続けたと紹介)。