『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻72号)』(転載)
二木立
発行日2010年07月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.座談会:徹底討論 「医療の産業化」のあり方を問う-医療を通じた成長 混合診療拡大の是非(『週刊東洋経済』2010年6月12日号(第6266号):82-87頁。私の発言のみ)
※ 座談会全文は別ファイル。(PDF)
- 2.講演レジュメ:民主党政権と混合診療原則(全面)解禁論-底の浅さと危うさ、しかし希望も(2010年6月11日 日本の医療を守る市民の会第25回勉強会)
- 3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算55回.2010年分その3:7論文)
- 4.私の好きな名言・警句の紹介(その67)-最近知った名言・警句
訂正
「ニューズレター」71号(前号)の「私の好きな名言・警句の紹介(その64)」は、(その66)」の誤記です。
1.座談会:徹底討論 「医療の産業化」のあり方を問う-医療を通じた成長 混合診療拡大の是非
(『週刊東洋経済』2010年6月12日号(第6266号):82-87頁。私の発言のみ)
※ 座談会全文は別ファイル。(PDF)
政府の「新成長戦略」の要に位置づけられた医療分野。民間資金の導入や規制改革への動きが強まる。医療産業化や混合診療拡大など、ホットイッシューをめぐり3人の有識者が激論。[出席者は、発言順に、伊藤元重氏(東京大学大学院経済学研究科教授)、私、伊藤たてお(日本難病・疾病団体協議会代表)。私の発言中の[ ]は補足]
二木 最近の[医療を成長産業と見なす]流れについては、以下の3点を指摘したい。
まず第1点目は、社会保障を経済成長の制約条件とみなしてひたすら抑制の道を進んできた小泉政権時代と比べて、一歩前進だという点だ。ただ、公平のために言うと、同じ自公政権でも、福田政権や麻生政権は、医療・介護分野を新たな成長分野とみなす方向に転換していた。
第2点は、今述べたことともかかわるが、現政権の「新成長戦略」の中身は、麻生政権が昨年4月に決定した「未来開拓戦略」と酷似しているという点だ。「新成長戦略」の3本柱は、「環境」「健康」「環境」だが、「未来開拓戦略」では、「低炭素革命」「健康長寿社会」「日本の魅力発揮」。つまりうり二つで、数値目標もほぼ同じ。新成長戦略は、医療・介護・健康関連サービスで2020年までに新規市場約45兆円創出、新規雇用約280万人をうたう。これに対し、未来開拓戦略は5年長いものの25年までに各45兆円、 約285万人と、ほとんど同じだ。
悪い点で共通しているのは、施策を実現するための財源について何も書かれていないことだ。公的な資金を中心とするのか、私的な資金をどこまで含めるのか、何も記述がない。「新成長戦略」の序文では、旧政権に欠如していて現政権にあるのはリーダーシップだ、と述べられているが、民主党政権誕生後の8カ月間を見ていても、現政権にリーダーシップがあるとは思えない。
第三点は、医療・介護の経済成長・雇用創出効果が政権レベルで合意を得られたということ。ただし、08年の厚生労働白書では、医療経済研究機構による分析結果として、経済波及効果がすでに掲載されている。
二木 医療問題と財政問題が切り離せないという[伊藤元重氏の]認識には賛同する。民主党政権発足時には、国家予算の無駄の削減と「霞ヶ関埋蔵金」の活用で医療を含む社会保障の財源は捻出できるとされていた。ところが、今年度の予算編成過程で、それが無理であることがはっきりした。
問題は、医療拡充の財源をどこから得るかだ。国民皆保険を維持しつつ、医療の質を上げるには、公的医療費の拡大が不可欠というのが私の立場だ。社会保険方式である以上、主財源は保険料であり、補助的な財源として消費税を含む公費がある。
公的保険の伸び率を国内総生産(GDP)の伸び率に応じて抑制する一方、広い意味での私費(患者の窓口負担や民間保険料も含む)を増やすことで、医療財源全体の増加分を賄うべきという主張もある。このテーマでは、小泉政権時代に経済財政諮問会議と厚生労働省との間で論争があり、最終的には実施が不可能だという結論になった。
伊藤元重教授は、08年11月12日の『日経流通新聞』のコラムで、「大きな政府、日本も追随を」と述べてられていた。日本が高齢化の中で景気を支える需要を作るためには、年金、医療、介護などの社会保障を充実させることが有効だ。当然、増税が必要になるが、全部を歳出に回せば景気にプラスに働く、と。そして、これにより、医療、介護、育児、教育などいろいろな形でビジネスの拡大が見られるはずだ、と。これについては私も全面的に賛成する。
今度はあえて逆に[伊藤元重教授に]異論を言わせていただく。『週刊ダイヤモンド』4月24日号インタビューでは、日本ほど公的医療費の比率の高い国はないと語っておられる。これには誤解がある。日本の医療費のうちで公的負担の割合が大きいのは間違いではないが、患者負担がきわめて大きいことや、民間保険のカウントの仕方が国によってまったく異なるという点でも、正確な認識ではないと思う。
二木 健康増進に個人がおカネを使うことは問題はない。ただ、公的保険とは別次元だ。また、[伊藤元重教授は]健康増進活動に力を入れると医療費が抑制できると著書で書いておられるが、医療経済学的には否定されている。
二木 [健康増進活動が医療費を抑制する、増加するという「両方の議論があるということは存じている」という伊藤元重教授の発言に対して]いや、否定されている。日本でも健康増進活動で医療費が抑制できるかを検証した研究があるが、結果は逆に4~5%上がっていた。英語の文献も調べたが、抑制できたという研究結果は一つもなかった。
二木 保険収載につなげていくことを目的とした混合診療の仕組みはすでに導入されている。保険外併用療養費制度の二本柱の一つである評価療養制度がそれに該当する。これは、先進的な医療を一時的に保険外併用療養の対象とすることで混合診療を認めておき、その後、安全性と有効性が確実になり、ある程度普及したら保険対象に移行するというシステムだ。
私が規制・制度改革分科会ワーキンググループの議論でおかしいと思う点が二つある。一つは、現在の保険外併用療養制度への改革は小泉政権時代に行われており、混合診療の全面解禁については、小泉純一郎首相自身が危険性があるということで見送ったという事実を踏まえていないことだ。保険外併用療養制度にいかなる問題があるかも精査せず、理念的におかしいからという理由で混合診療を全面解禁すべきと主張している。
もう一つは、小泉政権時の手続きのほうがましだったということ。混合診療解禁について議論が始まった04年9月当時、医師会や医療団体、患者団体も加わって、かなりオープンな形で激しい議論が行われた。ところが今回のワーキンググループの議論は密室だ。いちばん問題なのは、時間がないことを理由に、医師会や医療団体、患者団体にヒアリングしなかったことだ。にもかかわらず、参議院選挙前の6月に方針を決めてしまおうというのは拙速だし、政策プロセスとして問題が大きい。
二木 混合診療全面解禁論には同床異夢の形で三つの動機がある。
いちばん大きな動機は、03年7月に政府の総合規制改革会議(当時)が作成した図にあるように、公的医療費を抑制すべきという考えに立つものだ。保険診療の範囲については、日本のみならず世界各国の公的医療保険は、少なくとも理念の上では最低水準ではなく、必要で十分な最適な医療を保障することになっている。これに対して、総合規制改革会議は、公的な医療は最低限に減らしたうえで、私的な医療費を増やすべきとした。しかし小泉政権時の03年3月の閣議決定では、今までの方針を踏襲し、公的保険で必要かつ十分な医療を提供するという結論が出ていた。
二つめの動機は、一部の患者が、絶対自由主義の信条から主張しているもの。これは、有効性も安全性も患者が自己決定し、保険で認められていなくても患者が希望するものは混合診療を認めよというもので、国を相手取って裁判を起こしている方の主張が代表例だ。
そして三つ目は、大学病院や大手病院のエリート医師の間に存在する「事後規制へ転換すべき」という主張だ。現在の評価療養制度の内容を組み替え、一定水準以上の病院には、安全性や有効性が未確認な医療技術であっても、医師と患者の自由判断に任せて混合診療を認めるべきだというもの。医療行政の原則を180度変えるもので、たび重なる薬害の教訓から安全性を重視してきた日本の医療の文化を否定する内容だ。この考え方は、今回、規制・制度改革分科会が打ち出したものだが、当事者団体から意見を聞いていない。
二木 [医療の]産業化に反対ではないが、営利化や企業の利潤動機という狭い意味で使われる場合がある。医療でもう一つ大事な点が、宇沢弘文・東大名誉教授のいう「社会的共通資本」という考え方だ。これは憲法25条の理念に通じるものだ。財源制約があるのは事実だが、日本の医療費の水準は米国のみならず欧州と比べても低い。欧州並み、OECD並みに引き上げていくという公約を民主党政権は愚直に追求していく必要がある。そのためにも財源問題は避けて通れない。参議院選挙ではきちんと政策を打ち出して信を問うべきだ。
2.講演レジュメ:民主党政権と混合診療原則(全面)解禁論
-底の浅さと危うさ、しかし希望も
(2010年6月11日、日本の医療を守る市民の会第25回勉強会で配布したものに、当日口頭で補足した事項を加筆)
「パワーポイントなどは使わない。証拠隠滅型電気紙芝居は嫌いだ。大量のプリントを配布する」(村上宣寛『「心理テスト」はウソでした。』日経BP社,2005,158頁) 「世の中には、一度言っただけでは、どうしても伝わらないことというのがある。だから私は、何度でも同じことを言い続ける決心をしたのである」(小谷野敦『日本文化論のインチキ』幻冬舎新書,2010,122頁)
はじめに-本講演を本会で急遽行うことにした2つの理由
- ○混合診療をめぐる論争は、小泉政権時代に政策的・政治的に決着済みであるにもかかわらず、民主党政権の一部でzombieのように復活した。しかし、全国紙はこれをほとんど報道していない。
- ○まじめな医療関係者や市民の一部に、この動きに対する不安・動揺が生まれている。
- ○以下、私の事実認識と「客観的」将来予測、価値判断の3つを峻別して話す。
Ⅰ.総論:混合診療解禁についての3つの論点-私の事実認識
1.最大の論点は混合診療解禁の是非ではなく、全面(原則)解禁か部分解禁の維持・運用改善か
- ○用語の第1回変更:規制改革会議は2007年12月「第二次答申」で、「全面解禁」から「原則解禁」に用語を変更したが、その理由は説明していない(『医療改革と財源選択』勁草書房,2009,87頁)。
- ○現在でも「保険外併用療養費制度」(評価療養+選定療養。旧・特定療養費制度)により、混合診療は部分解禁されており、制度的には(がん)患者団体等の切実な要望にほとんどに対応可能になっている:「一定のルールの下に、保険診療と保険外診療との併用を認めるとともに、これに係る保険導入手続を制度化する」(両大臣基本的合意。2004.12.15)。
- ○「評価療養」:「将来的な保険導入のための評価を行う」。安全性と有効性が一定程度確認されたが、まだ普及していない「先進医療」を混合診療化→安全性と有効性が十分に確認され、一定程度普及した段階で保険給付化。
- *「高度医療」(先進医療の一部:「第3項先進医療」。2008年4月制度化):対象は、薬事法上の承認又は認証を受けていない医薬品・医療機器の使用を伴う医療技術と、承認または認証を受けている医薬品・医療機器の承認内容に含まれない目的での使用(いわゆる適用外使用)。
- *「評価療養」の優れた点:保険給付化の判断基準に経済的基準は含まれていない。
vsイギリスのNICE:NHSの先進医療採用基準の目安=1QALY当たり£30,000。 (1£=直近140円。1999~2008年200円) - *日本製薬工業協会の長谷川閑史会長「混合診療の議論では、観念論が先走っている。現在の医療保険制度では、臨床試験に基づいてしっかりしたエビデンスを出せば、高額であっても保険償還が認められないということはない」(『週刊東洋経済』2010年6月12日号:80頁)。
- ○「選定療養」:アメニティサービス(差額ベッド・食事等)の混合診療は原則解禁済み=航空会社の「ビジネスクラス」に相当するサービスはすでに解禁されている(「混合診療原則解禁論の新種『ビジネスクラス理論』を検討する」「日経メディカルオンライン」2010年4月9日)。
- *差額ベッド(「特別の療養環境の提供」):私的病院は、原則として、各病院の全病床の5割まで。厚生労働省の承認があれば、10割も可。
- *食事:「入院時食事療養費」(現金給付!)の標準負担額(一般で1食260円×3回=780円)を超える額は自由料金=事実上の混合診療。
- *ただし、長引く不況による国民生活の逼迫により、差額ベッドの割合は頭打ちで、「差額食事」はほとんど普及していない。
- ○しかし、混合診療が全面禁止されていると誤解して、解禁を支持している議員や国民が少なくない。
- *この誤解を利用し、混合診療解禁に国民の8割が支持しているとした誘導的「世論調査」もある(『医療改革と財源選択』勁草書房,2009,83-86頁)。
2.全面解禁・部分解禁の対立の本質は、公的医療保険の給付水準についての理念の対立
(詳しくは『医療改革』勁草書房,2007,46-50頁「混合診療全面解禁をめぐる論争の本質」)
- ○全面解禁論は「最低水準」説 vs 部分解禁論は「最適水準」説。
- *「最高水準」説もあるが、現実的影響力はない。
- ○最低水準説:小泉政権の「構造改革」を推進した研究者・組織が主張した。
- *八代尚宏氏:保険診療で「生命にかかわる基礎的な医療は平等に保障されたうえで、特定の人々だけが自費負担を加えることで良い医療サービスを受けられる」ようにする。
- *鈴木玲子氏:「基礎的な医療サービスは公的保険で確保するとともに」「高所得者がアメリカ並みに自由に医療サービスを購入するようになる」。
- *宮内義彦氏:「[混合診療は]国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、『健康保険はここまでですよ』、後は『自分でお支払いください』という形です。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」。
- *規制改革・民間開放推進会議「『混合診療』の解禁の意義」(2003年7月)の図:混合診療解禁後、保険診療(費用)が削減されることを明示。
- ○最適水準説:国内外の社会保障研究者の通説&日本政府も公式にこれを認めている!
- *1984年の健康保険「抜本改革」時、吉村仁保険局長は、特定療養費制度との関わりで、今後も「必要にして適正な医療というものを保険の中に取り入れていく」と答弁 (1984年6月28日衆議院社会労働委員会)。 ←今回追加。
- *小泉政権時代の2003年3月の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」でも、「最適水準」説が確認された:「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供される」。
3.民主党は野党時代、少なくとも三度、党として公式に混合診療解禁に反対した
(「混合診療に係る高裁判決と全面解禁論の消失」『文化連情報』2009年月11月号.「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」63号)
- ○第1:小泉政権下の2004年12月に、衆参両院で混合診療解禁反対の請願が、民主党の全議員も含めて、全会一致で採択された。
- ○第2:民主党は2008年9月30日に、「次の内閣」厚生労働大臣名で発表した、医療従事者対象の「民主党からのメッセージ」で、「自由診療につながる混合診療も認めていく気持ちはございません」と公約した。
- ○第3:民主党は2009年総選挙時の保団連の政策アンケートへの回答で、「混合診療の解禁を行わない。保険医療を原則とする」ことを明記した(「全国保険医新聞」4月15日)。
- ○2009年の総選挙「マニフェスト」には混合診療解禁反対とは書かれていない。
- *しかし、それと一体の「民主党政策集INDEX2009医療政策<詳細版>」には、「新しい医療技術、医薬品の保険適用の迅速化-製造・輸入の承認や保険適用の判断基準を明確にして、審議や結果をオープンにし、その効果や安全性が確立されたものについて、速やかに保険適用します」。
- *これは、現行の保険外併用療養費制度を前提にして、「保険に導入されるまで」の混合診療の期間を短縮することを意味し、混合診療の全面(原則)解禁とはまったく逆。
- ○ただし、自由党と合併前の「旧民主党」(「オリジナル民主党」)は1998年4月の「統一大会」で決定した「基本政策」で、医療分野への「市場原理の活用」等を明記していた。
- *「官と民」:「官僚の基本的役割を事前調整から事後チェックへとシフトさせ」る。
- *「経済」:「自己責任と自由意思を前提とした市場原理を貫徹することにより、経済構造改革を行う」。
- *「社会保障」:「医療・医療保険制度は、市場原理をも活用しながら、情報公開を徹底し、抜本的な制度改革を行う」。
(日野秀逸『民主党の医療政策は私たちのいのちを守れるか?』自治体研究所,2010,13頁) - ○2006年、小沢一郎党首(当時)の鶴の一声で、「国民の生活が第一」に路線転換した。
- *しかし、6月8日発足した菅直人内閣の閣僚の多くは「オリジナル民主党」のメンバー。
Ⅱ.各論:(民主党政権)行政刷新会議WGが投じた混合診療解禁論の変化球
-私の事実認識(1・2)と価値判断(3・4)と「客観的」将来予測(5)
(『文化連情報』2010年6月号:12-14頁。「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」70号)
1.ライフイノベーションWGの「対処方針」(4月30日)トップに「保険外併用療養の範囲拡大」
- ○用語の第2回変更:規制・制度改革に関する分科会ライフイノベーションWGは、「保険外併用療養(いわゆる「混合診療」)の原則解禁」(第1回会議(3月29日)の「検討項目」)から、「保険外併用療養の範囲拡大」に表現変更したが、その理由の説明はない。
- *これは混合診療原則解禁論の「変化球」:最大の狙いは、混合診療原則解禁に対する医
師会・医療団体の強い反対をかわすこと。∵)WG委員は、現在も「混合診療原則解禁」を主張。 - *ただし、民主党政権は公式に混合診療原則解禁の方針を決めたわけではない:民主党(政権)の医療政策は一本化されていない:(1)民主党議員の思想・政治信条は、自民党以上に大きな幅があり、医療政策についての考えもバラバラ。(2)大臣等の政権役職者である議員間でも考えがバラバラだが、政府レベルでも、党レベルでも、公式には方針のすりあわせは行われていない。(3)しかも、鳩山前首相にはリーダーシップが欠如していた。
- *「民主党はシマウマのような政党」(片山善博。『公研』2010年5月号:43頁)。
2.民主党政権内・周辺の混合診療の原則解禁論は4つの異なる主張の同床異夢
- (1)公的費用の抑制(財務省。これが混合診療解禁論の原点・主目的)
- (2)医療の産業化(経済産業省、行政刷新会議等)、
- (3)保険診療の制約の排除(大学・大病院の一部エリート医師:「医系技官」嫌いで共通)。
- (4)患者の選択権の絶対化(ごくごく一部の患者)。
- (1)と(2)の統合・妥協:「中長期的な財政の持続可能性を脅かすことなく、医療分野の基盤強化を実現する」(経済産業省「医療産業研究会」2009年8月11日)。
- (3)は(1)に反対しているが、財務省が強大な力を持つことに無頓着:"Don't be naive!"
- (3)と(4)の共通点:患者の「自己責任」を前提、「国に責任はありません」(土屋了介「混合診療は『自己責任』を前提に解禁すべき」「日経メディカルオンライン」2010.6.3)。
- しかし、(3)と(4)の間には矛盾もある:
- *清郷伸人氏(混合診療裁判原告):「有効性・安全性も含めて自主判断し、[患者が]自己決定する」、「民間療法の保険医版」(『混合診療を解禁せよ 違憲の医療制度』ごま書房,2006,54頁)
- *亀田隆明医師:「混合診療の原則自由化」&「効果のエビデンスが認められていない」「民間療法(にんにく注射や自己多血小板血漿注入療法など)に対する規制」(貝塚啓明・財務省財務総合政策研究所編著『医療制度改革の研究』中央経済社,2010,69頁)。
3.民主党政権の混合診療解禁の検討プロセスは小泉政権時代よりも悪い
- ○私の医療政策・改革の判断基準:改革の内容の適否と改革の手続きの適否(手続き民主主義)を峻別(『医療改革』勁草書房,2007,129頁)。
- *舛添要一氏「民主主義とは手続きそのものだ。政治主導といって手続きが無視されれば、民主主義が壊れる」(2009.11.6参院予算委員会。「朝日新聞」2009.11.27「政策ウオッチ」)。
- 小泉政権時代の混合診療解禁論争は省庁間・国会内外で、医療団体や患者団体も参加して公開の場で活発に行われ、しかも膨大な議事録が比較的速やかに公開された。
- *WGは「時間が限られている」という理由にならない理由で、「患者や医療団体からヒアリングを行うかどうかは未定」。議事概要の公開も遅く、しかも「余り表に出さない方がいいような」発言は、事務局の「判断で削除」(田村政務官。4月5日議事概要7頁)。
- *「多くの経済学者やエコノミスト、市場関係者は鳩山政権の経済政策そのものもさることながら、決定プロセスの透明度の低下にも不信感を募らせている」(「日本経済新聞」4月27日夕刊)。
- ○イギリスでも2007~2008年に混合診療解禁問題が持ち上がったが、政府から委嘱を受けた学識経験者が、患者や医療関係者、市民などへのヒアリングに基づき、解決策に関する報告書を作成→その後の国会審議でも、患者や医療関係者などの意見聴取が行われ、[原則-二木補足]禁止の継続が決まった(『週刊東洋経済』2010年6月12日号:81頁)。
4.倫理審査委員会を設置している大病院に対して届け出制(事後チェック)で混合診療を認めるというWGの「対処方針」は、手続きと内容の両面で問題だらけ
(1)手続き上の問題点(Ⅲ-3への補足)
- ○2004年12月の「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」に基づき制度化された「評価療養」制度の「事後チェック」をまったく行わずに、その合意で否定された規制改革・民間開放推進会議の「考え方」を蒸し返すのは「手続き民主主義」に反する。
- *規制改革会議の3次にわたる答申(2007~2009)&「規制改革の課題」(2009年12月)では、医療分野での「事前規制から事後チェック行政へ」の転換は提起されていない!?これが提起されたのは、規制改革・民間開放推進会議「中間とりまとめ」(2004年8月)。
(2)大病院(の医師)の「ナイーブな」性善説
- ○大学病院を含む大病院でも、重大な医療事故が起こっている & それを隠蔽した事実を無視している。cf.出河雅彦『ルポ医療事故』(朝日新書,2009)。
- *実は、この問題も、2004年12月の「基本的合意」で決着済み:「すべての医療技術に通じる医療機関の水準の一律の設定は困難」 & 有効性・安全性を事後検証する場合には、「本来、研究費で行うべき先端的・学術的診療も、大学病院自らの判断により、保険料財源からの支出を受けながら行うことが可能になってしまう」(2004年12月厚生労働省「いわゆる『混合診療』問題について」)。
- ○行政の安全性の事前確認がなくなると、逆に、大病院の医師の責任が過重になり、医師にとってもリスクが大きい。
- *「事前規制がなく医師と患者との個々の契約に基づいて治療を行うため、実施する医療側の責任が大きくなる」(土屋了介氏。『日経メディカル』2010年6月号:34頁)。「もっとも、そこまで腹の据わった医療機関は、今のところ大学病院を含めてないでしょう」!?(同「日経メディカルオンライン」2010.6.3)
(3)「事前規制から事後チェック行政へ」の変更は、保険外併用療養の単なる「範囲拡大」ではなく、現在の保険外併用療養(評価療養)の大前提=行政による「安全性、有効性等の確認」の必要性の否定-これが最大の問題点
- ○WG委員の正直な(?)発言:
- *松井道夫委員:「今の保険外併用療養制度を事前認可制から、届け出制にするというようなことで、実質的にはまったく違う形になる」(4月5日第1回WG議事概要12頁)。「これは金融で言えば、金融ビッグバン宣言みたいなものです。(中略)医療ビッグバンを高らかに宣言するということと同義です」(4月14日第2回WG議事概要25頁)。
- *土屋了介委員「[規制を]事前にやるのは無意味だと解釈しないといけない」(4月14日第2回WG議事概要13頁)。
- ○しかしこれらは、生命を扱う医療では、事後チェックだけでは取り返しのつかない事故が生じる危険があり、それを可能な限り予防するためには行政による厳格な事前規制が不可欠という、日本における悲惨な薬害の歴史から得られた大原則を忘れた乱暴な主張。
- *しかも、こららの主張は、薬害C型肝炎訴訟における国と全国原告団・弁護団との「基本合意書」(2008年1月15日)および薬害C型肝炎感染被害者救済法(2008年1月16日公布)にも反する:「[政府は]今回の事件の反省を踏まえ、命の尊さを再認識し、医薬品による健康被害の再発防止に最善かつ最大の努力をしなければならない」(法前文)。
- *片平洌彦「『薬害の歴史』からみた薬害防止策の基本とその具体策(第一報)」『社会医学研究』26(2),2009:「『薬害の歴史』が教えているのは、…初期段階でこそ、逆に『危険性情報の軽視・無視』をするのではなく、逆に『危険性情報の重視』をして対処することが必須で肝要であるということ」(130頁)。
5.混合診療解禁論争の今後
(1)(本講演レジュメの原案を作成した)6月2日時点での私の予測
- ○混合診療の原則(全面)解禁には、医療保険の現物給付原則の否定=健康保険法の抜本改革が必要で、政治的に不可能。
- ○「事前規制から事後チェック行政へ」の変更を、医系議員や薬害エイズ事件で勇名をはせた菅直人財務大臣、薬害C型肝炎原告団だった議員等が認めることも考えられない。
- ○しかし、「評価療養」のうち「高度医療」(「先進医療」の一部)に限定して、厚生労働省と行政刷新会議との間で政治的妥協が成立する可能性はある。
- ○医療ツーリズム等、それ以外の分野でも、抱き合わせ的に政治的妥協が成立する可能性。
- ○なお、経済産業省「産業構造ビジョン」(6月1日)にも、混合診療の原則解禁(保険外併用療養費の拡大)は含まれていない。
(2)6月7日「規制・制度改革に関する分科会第一次報告書」中の「対処方針」
- ○「保険外併用療養の範囲拡大…現在の先進医療制度よりも手続が柔軟かつ迅速な新たな仕組みを検討し、結論を得る。具体的には(中略)等について検討する」。
- ○「『混合診療』などは成果に乏しかった」(「日本経済新聞」2010年6月8日朝刊)。他の全国紙は、この「対処方針」を報道せず。
- ○混合診療の原則解禁、「事前規制から事後チェック行政へ」の原則変更は否定されたが、今後、「対処方針」具体化の過程で不毛・消耗な論争が継続する。
6.オマケ:混合診療の原則解禁を含めた「医療の産業化」の経済成長効果はごく限定的
- ○ミクロ的には、個々の企業や、高所得層対象の一部のブランド病院の収益増は生じうる。しかし、マクロ経済的には、「公的保険外」の費用=私費負担依存では、「医療の産業化」も、総医療費の大幅増加も生じない。
- ○高度医療の混合診療化:混合診療解禁派の急先鋒である松井道夫氏も、第1回WGで、混合診療解禁を「高度医療といったものにもし限定するとなると、多分対象は数十億とか、その程度のマージナルな部分の改革にしかならない」と認めている(議事要旨20頁)。
- *そもそも日本では、医療技術進歩により医療費「水準」は急増していない:二木立『日本の医療費』(医学書院,1995,第2章Ⅲ.「技術進歩は1980年代に医療費水準を上昇させたか」)、京極高宣・西村周三『社会保障と経済3』(東京大学出版会,2010,6章「医療における技術革新と産業としての医療」)。
- ○医療ツーリズム:WG委員でもある真野俊樹氏が、「多大な経済効果は幻想」と警告(『医薬経済』2010年5月1日号「言葉が先行するメディカルツーリズム)。
- *田中耕太郎(タイ・バンコク病院JMSマーケティングマネージャーとして、メディカルツーリズムに従事)「メディカルツーリズムで日本に勝ち目はない」(「日経メディカルオンライン」2010.5.13)。
- *OECD"Health at a Glance 2009"も、医療ツーリズムの医療費が「マージナル」であると指摘(172頁)。
- ○「公的保険外の健康関連産業の創出」(経済産業省):1980年代後半以降四半世紀提唱されてきたが、ほとんど実現していない。私からみると、"deja vue"
- ○Quiz:以下の公式文書の出所&発表年は?
- *「高齢者対策の基本原則」の5つの原則:(5)「民間活力の導入」。
- *「各施策の改革の方向」の(5)「民間活力の導入、活用」:「これまで公的施策を中心に提供されてきた福祉や保健医療の分野においても、民間の適切かつ効率的なサービスを併せて導入することが有効であり、こうしたビジネスの健全育成を図る」。「寝たきり老人等の介護保険についても民間保険の適正な育成を図る」、「保健事業において、…健康産業の育成…を図る」。
- ○The answer is ...厚生省「高齢者対策企画推進本部報告」(1986年4月8日)
- *『厚生白書平成3年版:広がりゆく福祉の担い手たち-活発化する民間サービスと社会参加活動』(1992年)にも、類似の記述。
- ○厚生省は、1980年代前半~1990年代前半に、公的医療費の厳しい抑制政策を進めつつ、保健医療・福祉サービスへの「民間活力の導入」を図ったが、ほとんど失敗した。
- *民間介護保険はほとんど育成されず、2000年に(公的)介護保険制度が導入された。
- *健康産業もほとんど育成されず、2006年の医療制度改革関連法で、公的医療保険の枠内の「生活習慣病対策」が制度化された。
- ○経済産業省や内閣府は、このような厚生省の失敗の歴史をまったく学んでいない。
おわりに-♪心配ないからね、君の不安が、実現することは、決してないからね…♪
- ○ただし、「絶望せず、希望を持ちすぎず」。
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算55回.2010年分その3:7論文)
○医療は[他のサービスとは]異なる-それが費用が問題になる理由
(Fuchs VR: Health care is different - That's why expenditures matters. Journal of the American Medical Association 303(18):1859-1860,2010)[評論]
アメリカでは、医療費は経済全体の増加率を上回って増加し続け、過去30年間の両者の増加率格差は2.8%ポイントに達している。医療費増加が問題とされる理由は、一般には、医療費の相当部分が連邦政府支出で占められており、しかもそれが財政赤字の要因になっているためとされている。しかしもっと重要な理由は、医療が他の財・サービスとは区別される、以下の3つの特性を持っていることである。第1は、個々の患者の医療ニードに大きな不確実性があることである。第2は、医療の一部は生きるか死ぬかの問題に関わるため、どの先進国も、医療へのアクセスを個人の支払い能力のみに委ねられないことである。第3は、他の財・サービス市場と異なり、医療では、「自由市場」や競争の果たす役割が明確ではないことである。例えば、病院医療、専門医サービスの地域的市場では競争だけでなく協同も求められるし、自由市場の大前提とされる売り手と買い手間の情報の対称性は患者対医師間では成立しない。そのために競争は社会的にみて適正な医療費レベルを決定できないために、医療では政府の規制と専門職倫理に基づく自己規制が存在する。
二木コメント-医療サービスの特性を簡潔に示した好エッセーです。競争と政府規制の単純な二分法ではなく、「専門職倫理に基づく自己規制」もあげているのが、フュックス教授らしいと思います。
○[アメリカにおける]高額費用のメディケイド受給者の2002-2004年の医療費とサービス利用[のパターン]
(Coughlin TA, et al: Health care spending and service use among high-cost Medicaid beneficiaries, 2002-2004. Inquiry 46(4):405-417,2009/2010)[量的研究]
「メディケイド統計情報システム概要」ファイルから2002~2004年の3年間継続的にメディケイドを受給していた3453.9万人を抽出して、受給者の費用とサービス利用の3年間のパターンを、高額費用の受給者に焦点を当てて検討した。なお、メディケイドでは急性期医療だけでなく、長期ケア(long-term care)も給付対象としている。その結果、2002年には上位10%の高額費用の受給者がメディケイド費用総額の66.9%を消費していた。2002年に上位10%の高額費用の受給者のうち57.9%は、その後2年間にもやはり上位10%の高額費用群に含まれ、高額費用が継続する傾向が認められた。高額費用の受給者には、継続的に高額費用である受給者と一時的に(episodically)高額費用であった受給者の2つのパターンがあった。継続的に高額費用であった受給者の費用の内訳をみると、長期施設ケアが50.8%、長期在宅ケアが22.2%で、入院医療は4.9%にすぎなかった。
二木コメント-メディケアが急性期医療(と亜急性期医療)のみを給付対象とするのと異なり、メディケイドは長期ケアも給付対象とするため、貴重なデータと思います。ただし、(1)長期ケアの相当部分が実態的には福祉的サービスであること、(2)上位10%の「高額費用」といっても、1人当たり月額では2833ドル(約30万円)にとどまっていることに注意が肝要です。3年間とも高額費用であった受給者の大半はナーシングホームまたは在宅での長期ケア利用者であり、継続的な「高額医療費」患者はほとんどいないと思います。
○[アメリカにおける]死亡年のメディケア支払い医療費の長期的趨勢
(Riley GF, Lubitz JD: Long-term trends in Medicare payments in the last year of life. Health Services Research 45(2):565-576,2010)[量的研究]
1978~2006年の約30年間の「継続的メディケア歴史標本」(CMHS。メディケア加入者からランダムに5%を抽出したデータセット)を用いて、各年に死亡したメディケア加入者へのメディケア支払い医療費(以下、医療費)の総医療費に対する割合の長期的趨勢等を調査した。
この期間にメディケア加入者の年間粗死亡率は約5%で安定していた。死亡者の医療費の総医療費に対する割合は1978年の28.3%から2006年の25.1%へ微減していた。ただし、年齢、性、死亡率で調整するとこの低下は有意ではなかった。同じ期間に、死亡者のうち複数回入院した患者の割合は20.3%から27.0%へ、ICU/CCU利用者の割合も26.1%から33.1%へ増加していた。死亡者の医療費の内訳をみると、入院医療費の割合は76.3%から50.2%へと大幅に減少していたのに対して、スキルドナーシングホーム[実態的には亜急性期医療施設]費用の割合は1.9%から10.4%へ、ホスピス費用の割合は0.0%から9.7%に激増していた(ホスピス費用がメディケアの給付対象になったのは1983年)。このように最近30年間に死亡者に提供される医療は相当変化していたが、死亡者の医療費の総医療費に対する割合はほとんど変わっていなかった。
二木コメント-著者等が同じデータセットを用いて数年おきに行っている推計の最新版です。アメリカでも、死亡前医療費が医療費高騰の主因と主張されることがありますが、この調査結果はそれを改めて否定しています。
○[アメリカにおける]死亡前1年間の障害の軌道
(Gill TM, et al: Trajectories of disability in the last year of life. The New England Journal of Medicine 362(13):1173-1180,2010)[コホート研究]
調査開始時に障害(日常生活動作の制限)がなかった754人の地域居住高齢者の、その後の障害の発生の有無と程度を10年以上にわたって毎月インタビュー調査し、そのうち383人が死亡した。死亡者の死亡前1年間の障害の軌道(パターン)は、以下の5つに分類できた:死亡直前まで障害なし(17.0%)、重大な障害が急激に出現(19.8%)、障害が増悪(17.5%)、障害が徐々に進行(23.8%)、重大な障害が継続(21.9%)。直接死因でもっとも多かったのは「衰弱」(frailty)の27.9%であり、以下、臓器不全(21.4%)、ガン(19.3%)、その他の原因(14.9%)、進行性認知症(13.8%)、突然死(2.6%)であった。これら6つの直接死因のうち、上述した5つの障害の軌跡との間に明らかな関係が認められたのは、進行性認知症(67.9%が重大な障害が継続)と突然死(50.0%は障害なし)だけだった。この結果は、死亡者の大半では、死亡原因から死亡前1年間の特定の障害のパターンを予測できないことを示している。
二木コメント-「終末期医療費」の分析では、操作的に終末期が「死亡前1年間」と見なされることが多いのですが、この研究はそれが非現実的であることを示していると思います。
○[アメリカにおける]心不全入院患者の医療プロセスのパフォーマンス指標と長期的アウトカム[との関係]
(Patterson ME, et al: Process of care performance measures and long-term outcomes in patients hospitalized with heart failure. Medical Care 48(3):210-216,2010)[量的研究]
心不全入院患者の医療改善のためのほとんどの試みではプロセス基盤のパフォーマンス指標が用いられているが、プロセス指標と患者のアウトカムがリンクしていることを支持するデータは少ない。そこで、メディケア・メディケイド・サービス・センター(CMS)の「心不全入院患者の救命治療促進組織化プログラム」に2003年3月~2004年12月に登録された150病院の入院患者22,750人(平均年齢79.4歳)を対象にして、入院中のプロセス指標と長期的アウトカムとの関係を検討した。入院中のプロセス指標としては、CMSが公認している退院時指示、左心室機能評価、アンジオテンシン変換酵素阻害薬またはアンジオテンシン受容体拮抗薬の退院時処方、禁煙カウンセリングの4つに、βブロッカーの退院時処方、および上記CMS公認の4指標から作成した合成指数を用いた。アウトカム指標としては退院後1年以内の死亡率と再入院率の2つを用いた。
その結果、病院の5つのプロセス指標の平均順守率は52%~86%、患者の粗死亡率と粗再入院率はそれぞれ33%、40%であった。共変量を調整した解析(covariate-adjusted analysis)では、合成指数と死亡率、再入院率との間に関連はみられなかった。しかし、βブロッカーの退院時処方は死亡率を有意に低下させていた。以上の結果は、プロセス指標で各病院の心不全治療の質をランク付けすることに疑問を投げかけている。
二木コメント-入院中の医療プロセスは短期的アウトカムと関連するとの研究は少数ありますが、長期的アウトカムとの関係を検討した大規模研究はまだごく少なく、貴重な研究と思います。
○自国外での医療サービスの購入:ヨーロッパ6か国における国境を越えた[診療]契約と患者の移動
(Glinos IA, et al: Purchasing health services abroad: Practices of cross-border contracting and patient mobility in six European countries. Health Policy 95(2-3):103-112,2010)[国際比較研究(質的調査)]
公的医療購入者(公的医療保険または国・公営医療制度)が結ぶ公的医療制度外の医療サービス購入契約には、自国の非公的提供者との契約と自国外の提供者との契約がある。過去10年間、ヨーロッパでは、パフォーマンス志向の医療改革とEUサービス移動の自由原則により、このような診療契約が増加してきた。本研究では、2008-2009年時点で、公的医療購入者による自国外の医療サービス提供者との診療契約が存在することを確認できたヨーロッパ6か国(アイルランド、イギリス、ノルウェイ、オランダ、ドイツ、デンマーク)を対象にして、その実態を調査した。その結果、自国外でのサービス購入は、現物給付の医療制度の国で、自国内で満たされない需要があるときや、国内の公的保険者間の競争が激しく、自国外での医療サービス購入の方が安上がりである場合等に生じることが示唆された。医療サービスの提供者は、治療費が安いか提供者間の競争の激しい国に存在する傾向があった。医療サービスの購入・提供の契約様式はきわめて多様であった。
二木コメント-私は論文名から、日本流に理解されている「医療ツーリズム」(medical tourism。国境を越えた私的医療サービスの利用)を連想しましたが、それは誤解で、6か国の公的医療制度の下での国境を超えた医療サービスの「公的利用」の比較研究でした。ただし、前号「ニューズレター」(71号)で紹介した『目でみる医療2009』( "Health at a Glance 2009")中の「医療サービスの貿易(メディカルツーリズム)」のデータには、私的サービスの費用だけでなく、このような「公的利用」費用も含まれていると思います。それに対して、本論文は契約様式の比較に焦点が当てられており、国境を越えた医療利用の費用は調査されていません。
○新自由主義経済改革と国民の健康:1980-2004年の横断的国家分析
(Tracy M, et al: Neo-liberal economic practices and population health: a cross-national analysis, 1980-2004. Health Economics, Policy and Law 5(2):171-199,2010)[国際比較研究(量的研究)]
新自由主義改革の経済的影響についての論争や研究はかなりあるが、新自由主義経済改革と国民の健康の関係についての横断的国家分析(国際比較研究)はほとんどない。本研究では、119か国の1980-2004年のデータを用いてこの点を検討した。国民の健康の指標は、5歳未満死亡率(以下、小児死亡率)とした。新自由主義的政策・改革の程度は「フレイザー研究所世界経済的自由(EFW)指数」で測定した。この指数は、以下の5要素(各0~10点。点数が高いほど新自由主義的傾向)の平均値である:(1)政府の規模、(2)所有権の法的構造と保証、(3)サウンドマネーへのアクセス、(4)貿易の自由、(5)信用・労働・ビジネスの規制。潜在的媒介項や交絡因子を調整した上で、時系列多変量解析を行った結果、EFW指数は小児死亡率には影響していなかった。しかし、同指数の2つの要素(上記(2)と(3))の点数が高いと小児死亡率は有意に低かった。対象国を所得水準で層別化すると、高所得国では(5)の点数が高いほど、小児死亡率は有意に低かった。しかし、低所得国ではEFWのどの要素についても、小児死亡率との関連は認められなかった。この結果は、「新自由主義」の実態は単一ではなく、しかも一部の「新自由主義」政策は国民の健康を増進させる可能性を示している。
二木コメント-私はEFW指数で新自由主義を代用すること、および高所得国の国民の健康水準を小児死亡率で代用することには無理があると思いますが、新自由主義の実態が単一ではなく、国ごとの「微妙な違い」に注意すべきという指摘は重要と思います。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その67)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- サイモン・シン(科学ジャーナリスト)、エツァールト・エルンスト(医師・代替医療研究者)「偉大な科学者はすべて、なんらかの意味で反主流派だと論じるのも難しくはないだろう。しかし、残念ながら、その逆は真ではない。反主流派だからといって、偉大な科学者だとは限らないのだ。抜本的に新しいアイディアを考えついた反主流派は、その考えが正しいことを世界に向かって証明しなければならない。代替医療の開拓者のほとんどは、そこでつまづいてしまうのだ」(青木薫訳『代替医療のトリック』新潮社,2010,288頁)。
- カール・セーガン(物理学者)「2つの相矛盾する必要性のあいだで、デリケートなバランスを取らなければならないと思うのです。提示された仮説は、とことん懐疑的に吟味すること。それと同時に、新しいアイディアに対しては、大きく心を開いておくことです」(『代替医療のトリック』361頁:1987年にパサディで行った講演と紹介)。
二木コメント-「しかし、残念ながら、逆は真ではない」、「デリケートなバランス」がポイントだと思います。私は以前から、「真理は常に少数派とともにあり」という湯川秀樹博士の有名な名言(本「ニューズレター」5号(2005年2月)参照)に惹かれると同時に「引っかかり」も感じていたのですが、この2つの名言を知り、その引っかかりがようやくとれました。 - 奥村宏(会社学研究者)「現実の問題を研究し、そこから理論を作ると言っても、ケインズの場合、[『インドの通貨と金融』で論じた]現実の問題はイギリスの問題はイギリスの問題であって、インドの問題ではなかった。私の唱える『実学』は『現実から理論を作る』ということであるが、ここに『実学』の落とし穴があることを自覚しておかなければならない。/それは現実に起こっている問題について、どのような立場からそれを観察し、そして研究するか、という問題である」(『経済学は死んだのか』平凡社新書,2010,88頁)。二木コメント-「実学の落とし穴」という指摘はコロンブスの卵だと思います。
- 益川敏英(京都産業大学教授。ノーベル物理学賞受賞)[脳科学者の茂木健一郎氏との対談で「どうすれば新しいものを生み出せるのか」と質問され]「正解が出ないものについても、考えることが重要。壁にぶつかれば、解決に必要な条件を徹底的に分析した上で頭の隅に置いておく。そうすれば新しい動きがあった時、いち早く気づける」(「朝日新聞」2010年5月30日朝刊)。二木コメント-これを読んで、パスツールの次の有名な名言を思い出しました。
- L・パスツール(フランスの化学者・細菌学者)「観察の領域において、偶然はよく準備された精神にのみ微笑む」(Dans les champs de l'observation le hasard ne favorise que les esprits prepares. 英訳:In the field of observation chance favors only the prepared mind)(1854年12月7日のリール大学での講義。英語版Wikipedia: Louis Pasteur)。二木コメント-酒井邦嘉『科学者という仕事』(中公新書,2006,127頁)とM・マイヤーズ『セレンティピティと近代医学』(小林力訳,中央公論新社,2010,21頁)が、「セレンディピティ(serendipity)」の本質を表す名言と紹介しています。後者はchanceを「チャンス」と訳していますが、「偶然」が適訳と思います。
- 黒澤明(映画監督。故人)「誰かが言ってたと思うけど、創造というのは記憶ですね。自分の経験やいろんなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かを創れるんで、無から創造できるはずがない。だから、僕は若い時、ノートを片方に置いて本を読んだものです。そこで感じたもの、感動したことを書き留めていく。そういう大学ノートが随分あって、シナリオで詰まるとそれを読んでいく。するとどこかに突破口がある。セリフ一つにしてもそこからヒントを得て書いていった。だから寝ころがって本を読んでもだめだと言いたい」(『悪魔のように細心に!天使のように大胆に!』東宝,1975,116頁。NHKラジオ深夜便、2010年5月18日「こころの時代/明日の言葉:映画はすばらしいかな(1)」で、黒澤明監督の助監督を務めた河崎義祐監督が、ゴチック部分を紹介)。二木コメント-「世界のクロサワ」が、「記憶」の重要性を強調していることに、大いに共感しました。私も、(社会人の)大学院生に対して、自分の社会経験と先行研究の検討を統合して「仮説」をつくること、および「読書ノート」を書くことを、推奨しています。
- 梅原猛(哲学者、85歳。新著『葬むられた王朝』で、かつて発表した自説を、現地調査から得た知見をもとに、自ら覆した)「自説が間違いなら、生きているうちに正さんといかん」(「読売新聞」2010年5月10日朝刊)。
- 岸博幸(「ネット万歳派官僚」だった慶應大学教授。小泉内閣の竹中平蔵大臣の政務秘書官として構造改革に携わる)「私は官僚時代、『ネット万歳派』でした。日本でどうやってネットを発展させるかばかりに注力し、問題点に気づかなかった。今の総務省や経済産業省も同じです。ネット帝国主義を警告するのは、自分の過去への反省もあります。早く振り子を戻さないとまずいです」(「朝日新聞」2010年5月20日朝刊「異議あり 米国発のネット帝国主義を許すな」)。
- 多田富雄(東京大学名誉教授。免疫学者として世界的業績をあげただけでなく、能への造詣の深さでも知られた。2010年4月21日死去、76歳。脳梗塞や前立腺がんの骨転移に耐えながら、最後まで執筆を続けた)「知ること、発見すること、それを感動をもって知らせることは、科学、芸術に共通した喜び。書かなければ発見したことになりません」(「毎日新聞」2010年5月30日朝刊「悼む」)。
<祝・岩瀬仁紀投手通算250セーブ達成>
- 岩瀬仁紀(プロ野球中日ドラゴンズ投手。2010年6月16日にプロ野球史上3人目の通算250セーブを達成)「心だけは折れないようにやってきた。何度か折れそうになったけど、本当に折れたら上にいる資格はない」(「読売新聞」2010年6月17日朝刊)。
- 森昌彦(愛知県・豊川高校野球部監督。岩瀬投手を、NTT東海時代に、投手兼コーチとして指導した)「[岩瀬投手には]自分の弱さを知ろうとする強さがあった」(「読売新聞」2010年6月17日朝刊)。
- 小山裕史(岩瀬投手が毎年オフに自主トレをする、鳥取市のジム「ワールドウィング」代表)「[岩瀬投手の大記録達成には]努力しているという表現も違う気がする。努力を忘れて無心になるくらい、毎日トレーニングしている」(「朝日新聞」2010年6月17日朝刊)。
<その他>
- 湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)「なぜ私たちは、政権交代後、思うような成果をあげられていないのか-おそらく、問いはこのように立てられるべきである」(「社会運動と政権 いま問われているのは誰か」『世界』2010年6月号,33頁)。二木コメント-この斬新な「問いの設定」で始まる本論文は、医療運動を含め、政権交代後の「社会運動」の新しい課題を考えるための必読文献と思います。
- 湯浅誠[2010年4月下旬、母校の私立武蔵高校の文化祭で講演し、会場の高校生から「反対が多くても運動を続けてこられたのはどうして?」と聞かれ、以下の2つの理由をあげた]「一つは面白いから。自分たちで道をつくっていくやりがいがあった。もう一つは怒り。せっかく生まれてきたのに、人間がこんな目にあっていいのか、という怒りです。いろんな相談を受けながら、日々怒りが更新されているので、枯渇することはありません」(「朝日新聞」2010年5月11日朝刊)。
- ストイコビッチ(Jリーグ・名古屋グランパス監督)[「選手に絶対、言わないことにしている言葉はあるか」と聞かれ、少し考えてからこう答えた]「それは『We must win(勝たなければならない)』だ」(「中日新聞」2010年5月26日朝刊「中日春秋」)。
- 小雪(モデル・俳優。映画「わたし出すわ」で、旧友たちに大金を次々に渡していくミステリアスな女性を演じた)「[もし大金を得たら]自分だったら、寄付すると思います。今も、自分のお給料は、そういう使い方をしているから。今は自分の幸せだけじゃなくて、社会人として社会にどう貢献できるかということを考えていく時代だと思ってるし、考えているだけで何もやらないのは考えていないのと同じだと思うから、たぶん普通にそうすると思います」(『The Big Issue Japan』129号,2009.10.15:129頁)。二木コメント-私も、1993年以来18年間、講演料は全額、福祉団体や運動団体等に寄付しているので、大いに共感しました。なお、小雪さんは、モデル業に専念する以前は看護学校に通い、阪神大震災の時には現地で炊き出しのボランティアをしていたそうです。
- スタッズ・ターケル(アメリカの作家・社会運動家。2008年10月死去、96歳)「私の人生観を変えた経験は--政治的な面だけでなく、あらゆる面で--大恐慌だった。わたしはその場にいて、その困難な時代がまともな人たちにどんな打撃を与えたかを目の当たりにした。そして、人生観を変えた大発見とは、人は特殊な状況に置かれたときにどうふるまったかが問題で、どんなレッテルを貼られたかは問題ではない、ということだった。誰かを『共産主義者』『赤』『ファシスト』と呼ぶのはたやすい。しかし人として真価を問われるのは、ある瞬間にどんな行動を取ったかということなのだ」(金原瑞人・他訳『スタッズ・ターケル自伝』原書房,2010,242頁)。