『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻82号)』(転載)
二木立
発行日2011年05月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.論文:東日本大震災で医療・社会保障政策はどう変わるか?
(「深層を読む・真相を解く(2)」『日本医事新報』2011年4月16日号(4538号):33-34頁)
- 2.論文:TPPと日本の医療
(「二木立教授の医療時評(その88)」『文化連情報』2011年月5月号(398号):22-26頁) - 3.論文:なぜ民主党政権で医療分野への市場原理導入論が復活したのか?
(新連載「深層を読む・真相を解く(1)」『日本医事新報』2011年月4月2日号(4536号):31-32頁。『文化連情報』2011年5月号(398号):27-29頁に転載) - 4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算65回.2011年分その2:5論文) - 5.私の好きな名言・警句の紹介(その77)-最近知った名言・警句
本「ニューズレター」81号(前号)の訂正
- ○同、18頁のヴィクトール・フランクルは、ユダヤ系オーストラリア人ではなく、ユダヤ系オーストリア人です。
1.論文:東日本大震災で医療・社会保障政策はどう変わるか?
(「深層を読む・真相を解く②」『日本医事新報』2011年4月16日号(4538号):33-34頁)
3月11日に発生した史上最大級の東日本大震災と福島第一原発事故は、日本社会に甚大な被害を与えています。そのため、多くの医療関係者からこれにより今後日本の医療・社会保障政策はどう変わるのか?との不安・疑問の声が寄せられています。本稿ではこの点を包括的に検討・予測します。
短期的には医療・社会保障改革の大半が棚上げ
大震災の影響は、短期と長期に分けて考える必要があります。短期的には、菅民主党政権が目指していた医療・社会保障改革の大半が棚上げされることは確実です。ただし、これは菅政権の弱体化により、大震災前からほとんど既定の事実でした。例えば、高齢者医療制度の見直し法案は、大震災前から国会上程の目途さえ立っていませんでした。
TPP(環太平洋経済連携協定協定)交渉への参加と社会保障・税の一体改革は、菅首相の政策の「二枚看板」であり、共に医療・社会保障にも重大な影響を与えますが、菅首相は3月29日の参議院予算委員会で、当初予定していた6月の結論取りまとめの先送りを表明しました。行政刷新会議が目指していた医療への部分的市場原理導入改革は、3月の「規制仕分け」前に早々と取り下げられ、それの復活が短期的にないことも確実です。来年予定されている診療報酬・介護報酬の同時改定も、率と内容の両面で小幅なものにとどまると思います。
中長期的影響(1)-日本経済が復活するか否かで変わる
私は今考える必要があるのは、5~10年単位の中長期的影響だと思っています。なぜなら、大震災と原発事故の被害は、当時戦後最大と言われた1995年阪神淡路大震災より桁違いに大きく、日本の経済・政治システムが大きく変わる可能性があるからです。ちなみに、阪神淡路大震災では、神戸大学医学部附属病院長は災害後わずか3週間で「非常事態終結宣言」を出しました(中井久夫『災害がほんとうに襲ったとき』みすず書房,1995)。
問題はどのように変わるかです。この点は、経済的側面と政治的・社会的側面(国民意識)の両面から考え、しかも両者を統合する必要があります。
まず経済的には、阪神淡路大震災後のように日本経済(全体)が比較的短期間に復興するか、それとも日本経済の衰退に拍車がかかるかで異なります。前者の場合は、医療・社会保障政策への影響は長期的には小さいと思います。日本だけでなく世界の自然災害の経験でも、経済の落ち込みはごく一時的とされています("The cost of calamity," The Economist March 19th, 2011:72)。
ただし、今回はそれに重大な原発事故が加わったので、過去の経験則をそのまま当てはめることはできません。もし日本経済が衰退した場合は、医療・社会保障の拡充どころか維持の財源確保も困難になり、厳しい医療費抑制政策-診療報酬の引き下げと保険給付範囲の縮小(混合診療の拡大、免責制の導入等)-が実施される可能性が大きいと言えます。今後、「震災復興税」(仮称。消費税または所得税等)が時限的に導入されると思いますが、それが医療に回る可能性は被災地を除いてまったくないし、震災復興税と同時に医療・社会保障拡充の国民負担増を行うのは不可能です。
中長期的影響(2)-国民の社会連帯意識が長期間続くか否かで変わる
次に、大震災の中長期的影響は、政治的・社会的には、大震災後に突然高揚・復活した国民の社会連帯意識・「共同体感情」(中井久夫氏)が長期間続くか、それとも短期間で消えるかで、異なります。言うまでもなく、大震災後の被災者の沈着な行動と国民全体の社会連帯意識の高揚は日本社会の誇るべき財産です。この点は、アメリカでは、2004年の大ハリケーン後、被災地で略奪と商品の「便乗値上げ」が横行し、しかも主流派経済学者が便乗値上げを理論的に支持したのと対照的です(マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』早川書房,2010,第1章)。
国民の社会連帯意識が長期間続き、しかも日本経済が復興した場合は、医療・社会保障を含めた「自律的な内需主導型成長」社会に転換する可能性があります。これは、2008年のリーマンショック直後のG20サミットで、麻生首相(当時)が行った国際公約です(「危機の克服-麻生太郎の提案」)。民主党も2009年総選挙マニフェストでは同種の主張をしていました。この場合には、医療・社会保障への市場原理の本格的導入も棚上げされ、「バラ色シナリオ」と言えます。
逆に、国民の社会連帯意識が短期間に消え、しかも日本経済が衰退し、国家財政破綻が生じた場合には、経済成長・再建の切り札の一つとして、医療・社会保障への本格的市場原理導入=新自由主義的改革が「ゾンビ」のように復活する危険があります。最悪の「地獄のシナリオ」は、今後、民主党と自民党の大連立政権が成立し、それが災害の復興が一段落した段階で、「日本(経済)復活」を大義名分にして、TPP参加と医療・社会保障分野への本格的市場原理導入(混合診療と株式会社による医療機関経営の全面解禁等)および厳しい医療費抑制政策をワンセットで強行することです。
「中間シナリオ」が実施される可能性
中井久夫氏は、阪神淡路大震災後わずか3週の時点で、「『共同体感情』が永続しない」と喝破しており、現実はその通りになりました。しかし、今回の大震災の被害は当時とは桁違いに大きく、東北地方の復興に長期間(5~10年)を要することを考慮すると、短期間で国民の共同体感情が消失するとは考えにくいと思います。
大震災で大きな被害を受けた東北各県が農業県であることを考えると、日本農業に壊滅的打撃を与えるTPPへの参加決定が見送られる可能性もあります。仮に大連立政権が日本のTPP参加を決定した場合にさえ、国民統合の重要な柱になっており、8割の国民が「信頼している」国民皆保険制度を解体することはあり得ません(「朝日新聞」3月22日朝刊の世論調査)。なお、TPPではサービス貿易自由化を含め「例外なし」が原則とされていますが、これは建前で、現実には、現在の参加予定国9か国の交渉は難航し、「参加国間で関税を全てゼロにするのは不可能」とされています(「日本経済新聞」3月11日朝刊。シンガポール国際問題研究所チア上級研究員)。
以上から、私は、上述した2つの極端シナリオの中間のシナリオが実施される可能性が高いと予測します。しかも、社会のインフラである医療(費)が今後もGDPの伸び率を上回って増加し続けることは確実で、医療は永遠の安定成長産業であると言えます。
2.論文:TPPと日本の医療
(「二木教授の医療時評(その88)」『文化連情報』2011年5月号(398号):22-26頁)
本誌5月号の拙新著『民主党政権の医療政策』出版記念インタビューの最後の方で、「TPP問題と医療について」質問をいただきました。それにより、本誌の読者は大半が厚生連病院で働いているため、一般の医師・医療関係者とは桁違いに、TPP問題に関心・懸念が強いことがよく理解できました。しかしこの時は、時間と紙数の制約のため、「アメリカ資本が医療を支配することはない」等、ごく断片的にしかお答えできませんでした。そこで、本稿では、この問題についての私の事実認識と価値判断、および「客観的」将来予測を包括的に述べたいと思います。
私は、日本がTPP(環太平洋戦略的連携協定)に参加することには絶対反対です。その最大の理由は、生産性と価格競争力の点でアメリカやオーストラリア等に到底太刀打ちできない日本農業が壊滅的打撃を受け、日本の食の安全が脅かされるからです。それに加えて、TPPは、物品の貿易だけでなく、サービス貿易、政府調達、知的財産、金融あるいは人の移動なども対象にする包括的な自由貿易協定であるため、日本が参加した場合には、アメリカから医療サービスの自由化=混合診療の原則解禁や株式会社による病院経営の解禁が求められ、それにより医療の営利化が進む危険が強いからです。
他面、一部の医療関係者・医療団体が、TPPに加入すると日本医療・国民皆保険制度が崩壊すると主張していることには、疑問も感じています。
私は、ちょうど20年前の1991年に出版した『複眼でみる90年代の医療』で、日本医療の「将来予測をする場合のスタンス」について、次のように述べました。「私は、……医療団体(特に運動団体)が、厚生省の最大限願望が実現した場合に、将来起こりうる最悪の事態=『地獄のシナリオ』を示して、警鐘乱打するのも、ある程度は当然だ、とも思っている。医療関係者や国民・患者の注意を喚起し、医療運動の高揚をはかるために、厚生省の施策の危険な側面に焦点をあてることは、それなりに了解できる。/しかし、この場合にも、それだけでは、将来的に起こりうる事態が、短期的に必ず起こると誤解され、医療関係者や患者の間に、無用の混乱や不安を生む危険がある。(中略)/私は、…研究者の立場から、90年代医療の最も確率の高い客観的・実証的予測を行い、それが80年代医療に比べてどのように変わるのか変わらないのか、どのような『光と影』(積極面と否定面)を持っているのか、を複眼的に考察したい」(1:4頁)。
本稿でも、この複眼的スタンスから、TPPが日本医療に与える影響を、アメリカが日本の医療(保険・提供)制度にどのような要求を与えるかに焦点を当てて、検討します。なぜなら、TPPは、日本を含めた交渉参加(予定)10か国のGDP規模からみて、日米が約90%を占め、実質的に「日米FTA(自由貿易協定)」と言えるからです。
アメリカ政府の医療に関する対日要求
ただし、TPPに関する情報、特に農業以外の分野にどのような影響があるかについての情報は、菅政権の担当閣僚自身が「十分な情報が得られていない」と認めているように、現時点ではほとんど明らかにされていません(2月26日「開国フォーラム」)。そのために、上述した「地獄のシナリオ」が語られる一方で、関係閣僚がそれを否定する構図になっていますが、両者とも確証があるわけではありません。
そこで、その手がかりを得るために、アメリカ政府が日本医療の市場開放について、どのような要求をしているかを検討します。この点については、最近、坂口一樹氏(日本医師会総合政策研究機構研究員)が、優れたレポートを発表しているので、そのポイントを紹介します(2)。
坂口氏は、アメリカ通商代表部(USTR)が公表した、2007~2010年の『外国貿易障壁報告書』を検討し、医療に関連するアメリカ政府の対日要求は、年を経るごとに、より広範に、より詳細になっていることを明らかにしています。特に、オバマ政権が成立した2009年を境に、それまでの医薬品・医療機器分野における規制改革要求と保険分野および医療サービス分野における参入障壁撤廃要求に加え、新たに医療IT分野の規制改革要求を取り上げるようになったことは注目されます。
医療の中核を占める「医療サービス」については、この期間、次の2つを論点として取り上げています。「日本の規制が、日本の医療サービス市場への外国資本の参入を妨げている」、「米国政府は、日本政府に対して、外資への医療分野への市場開放のファースト・ステップとして、営利法人が営利病院を運営し、すべての医療サービスを提供できるようにする機会(経済特区を含む)を開くことを要求している」。
もし日本がTPPに参加した場合には、アメリカからの日本の医療市場開放要求が格段に強まり、日本医療の市場化・営利化が進むことは確実です。
医療の市場化・営利化要求は日米大企業の合作
ただし、ここで見落としてならないことが2つあります。1つはアメリカは決して一枚岩ではなく、その要求も必ずしも一貫しておらず、「場当たり的」であることです。この点については、少し古い(1996年)ですが、次のような率直な証言があります。「アメリカの対日通商政策は往々にしてあまりに場当たり的で、近視眼的であるため、日本側に『規制撤廃改革』を起こさせるまでに至っていない。(中略)アメリカの対日規制撤廃提案は、しばしば政治力のある会社や産業に直接からんだ目先の規制問題を反映したものになりがちで、将来を見据え、念入りに作りあげた計画にはどうしてもならないのである。(中略)[その結果-二木]規制の原因となっている制度そのものを改正しないで、規制措置を一部撤廃するだけでアメリカの規制撤廃圧力を沈静化できるという自信を、日本の官僚に与えることになるのだ」(J・P・スターン米国電子業界事務所総代表)(3:253-254頁)。その後、「構造改革」が強力に推進された小泉政権の時代でさえ、日本の医療サービス市場の開放や医療の市場化・営利化がごく限定的にしか進まなかったことを考慮すると、日本の(厚生労働省)官僚は現在もこのような「自信」を持っていると思います。
もう1つ見落としてならないことは、医療の市場化・営利化は決してアメリカ側だけの要求ではなく、日本の大企業も求めていることです。この点については、チャールズ・レイク元USTR日本部長が次のように、ストレートに述べています。「米国提案の多くはすでに日本の省庁が審議会などで議論していたものばかりです。だから、日本が米国の圧力に屈して、いやいや合意したものではなかったのです。日本政府が国内の抵抗勢力を説得するために構造協議が使われた、という方が実態に近い。いわば『歌舞伎の敵役』を米国が演じたということです」(4:73頁)。つまり、「規制制度改革」=医療の市場化・営利化は単なる米国からの一方的圧力ではなく、日米合作なのです。
なお、日本医師会は、昨年12月から本年2月に、連続的にTPPに関する「見解」等を発表し、しかもいずれの場合も「医療における規制制度改革とTPPの問題点」をワンセットで指摘しており、大変見識があると思います(5)。
規制制度改革分科会の市場原理導入改革案はすべて削除された
このような「合作」または「共犯」関係は、自公政権時代だけでなく、民主党政権になっても変わっていません。事実、昨年11月9日のTPPに関する閣議決定「包括的経済連携に関する基本方針」では、「経済連携交渉と国内対策の一体的実施」として、「農業分野、人の移動分野及び規制制度改革分野において、適切な国内改革を先行的に推進する」とされていました。
さらにこの閣議決定に基づいて、行政刷新会議「規制・制度改革に関する分科会」は、本年1月29日に、約250項目の規制・制度改革事項を示した「中間とりまとめ」を発表しました。そして、それの中には医療への市場原理導入の呼び水・火種になる重大な「規制改革事項」がいくつも含まれていました。その中心は「ライフイノベーションWG」が提起している「各府省庁が取り組む規制・制度改革事項」の(3)「医療法人の再生支援・合併における諸規制の見直し」で、「営利法人の役職員が医療法人の役員として参画することや、譲受法人への剰余金配当等が認めるべき」という「分科会・WGの基本的考え方」が示されたことでした。
もしこれが認められると、将来それが医療法人全体に拡張され、結果的に営利法人による医療機関経営の解禁につながる危険がありました。上述したように、これはアメリカ通商代表部の長年の要求でもあります。
しかし、これに対しては、日本医師会や各病院団体が強く反対し、厚生労働省や民主党の良識派議員もそれに後押しされて強く抵抗した結果、3月6・7日の「規制仕分け」の対象から、医療分野への市場原理導入につながる改革事項はすべて削除されました。これにより、「規制制度改革分野において、適切な国内改革を先行的に推進する」との菅政権の思惑は完全に出端を挫かれました[注]。
落とし所は「経済特区」だが可能性は低い
以上、TPPの医療への影響を考える上で見落としてならないことを2つ指摘しました。この2つを考慮すると、仮に日本がTPPに参加した場合にも、アメリカ側の要求通りに、医療の市場化・営利化が全面的に進み、日本の医療制度・国民皆保険制度が崩壊する可能性はほとんどないと思います。私は、日米交渉のギリギリの「落とし所」は、アメリカ通商代表部の文書が明記している「経済特区」に限定した、混合診療の原則解禁や株式会社による病院経営の解禁になると予測します。その場合、それがアメリカ資本単独ではなく、日米合作で進められるのは確実です。言うまでもなく、経済特区を利用できるのは、国内外の富裕層の患者に限られます。
他面、経済特区で行われる「格差医療」が、その後全国に一気に広がる可能性はほとんどないとも考えています。それには、2つの理由があります。まず、富裕層対象の医療は一般の医療に比べるとはるかに高額であるため、それを全国規模で実施すると、総医療費だけでなく公的医療費も急騰するからです。これは、典型的な「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」です(「医療の市場化・営利化は、企業にとっては新しい市場の拡大を意味する反面、医療費増加(総医療費と公的医療費の両方)をもたらすため、(公的)医療費抑制という『国是』と矛盾する」(6:21頁))。
もう1つの理由は、マクロ的な効率(費用対効果)が世界一であり、しかも国民の81%もが「信頼」している国民皆保険制度の根幹(平等な医療の提供)を崩すことは、どんな政権でも政治的に不可能だからです(「朝日新聞社世論調査」2011年3月22日朝刊。「大いに信頼している」14%+「ある程度信頼している」67%)。
ただし、たとえ経済特区に限定されるとは言え、医療分野に市場原理が導入された場合には、医療の非営利性の根本理念が崩れ、経済特区以外でも、一部の医師・医療機関の営利的行動が強まります。かつてグレイは1980年代のアメリカ医療の営利化を検討した際、「医療倫理の最大の脅威は営利企業の参入そのものではなく、企業家的に行動する医師や非営利病院が増えていることである」と指摘しました(7:334頁)。これと同じことが日本でも生じ、ひいてはそれが国民の医師・医療機関への信頼を低下させる危険があります。私がTPPの医療に与える影響で一番心配しているのはこの点です。
おわりに-大震災後はTPP参加決定は困難
以上、アメリカ通商代表部の対日要求等を手がかりにして、日本のTPP参加が医療に与える影響を検討し、医療の市場化・営利化が現在より進むが、「国民皆保険制度崩壊」が生じることはないとの結論を得ました。私は今後、医療界でもTPP参加反対の運動が高まることを願っていますが、その際、いたずらに「地獄のシナリオ」を煽る言説には与しない冷静な対応が必要であるとも思っています。
なお、以上の検討では、便宜上、日本がTPPに参加することを想定しましたが、私は、3月11日の東日本大震災後は、それの可能性は、少なくとも短期的には、きわめて低くなったと判断しています。なぜなら、大震災後は、日本の社会と経済の復興が最大の政治的・国民的課題になっており、支持率が2割を割っている菅弱体政権が国論を二分するTPP参加を強行決定できるとは考えにくいからです。
補足:「地獄のシナリオ」とその顛末-歴史に学ぶ
歴史的に言えば、アメリカの株式会社制病院チェーンが日本の医療市場を支配するとの「地獄のシナリオ」は過去2回主張されました。
最初に主張されたのは1980年代後半で、アメリカの株式会社制病院チェーンが日本にすぐにも上陸し、日本の病院市場を支配するかのような主張がなされました。日経産業新聞編『医療ビジネス-新時代の病院経営』はそのような論調のはしりで、「アメリカの病院経営会社が日本の病院市場への上陸を狙って動き始めた」と書いていました(8:47頁)。それに対して、私は1986年に発表した論文「医療における民活導入と医療経済への影響」で、アメリカ流の病院チェーンが全国展開することは、今後もあり得ないと予測しました(9)。現に、アメリカの病院経営会社の日本上陸は、まったく起こりませんでした。
次に主張されたのは1990年代後半で、一部のジャーナリストは、1993年のガット・ウルグアイラウンドで、医療を含めたサービス貿易の自由化が原則合意されたことを根拠にして、1980年代前半と同様の主張を、より激越に行いました。その代表は、丹羽幸一・杉浦啓太『病院沈没-外資参入で医療ビッグバンが始まった!』で、「2005年までに……日本の[医療]市場は外国資本に蹂躙されることは必至である」(10:10頁)と言い切りました。しかし、その後、ウルグアイラウンドを引き継いだWTO(世界貿易機関)でのサービス貿易の自由化についての協議は難航し、2008年7月に非公式閣僚会議の協議が決裂してからは完全に「死に体」となっています。その結果、このような言説も自然消滅しました。
文献
- (1) 二木立『複眼でみる90年代の医療』勁草書房,1991.
- (2) 坂口一樹「米国の政権交代後の対日通商外交政策とわが国の医療に及ぼす影響」『日医総合研ワーキングペーパー』No.228,2011.2.2.
- (3) フランク・ギブニー監修『官僚たちの大国-規制撤廃と第3の開国を』講談社,1996.
- (4) 朝日新聞「変転経済」取材班編『失われた<20年>』岩波書店,2009.
- (5) 日本医師会「危機にさらされる日本の医療-医療における規制制度改革とTPPの問題点」2011.2.16.
- (6) 二木立『医療改革と病院』勁草書房,2004.
- (7) Gray BH: The Profit Motive and Patient Care - The Changing Accountability of Doctors and Hospitals. Harvard University Press,1991.
- (8) 日経産業新聞『医療ビジネス-新時代の病院経営』日本経済新聞社,1985.
- (9) 二木立「医療における民活導入と医療経済への影響」『病院』45(12),1986(『リハビリテーション医療の社会経済学』勁草書房,1988所収).
- (10) 丹羽幸一・杉浦啓太『病院沈没-外資参入で医療ビッグバンが始まった!』宝島社,1999.
【注】4月8日閣議決定で医療営利化の火種が復活
菅内閣は4月8日に「規制・制度改革に係る方針」を閣議決定しました。ライフイノベーション分野の改革事項は19項目あり、うち17項目が医療分野です。そのトップが「医療法人の再生支援・合併における諸規則の見直し」で、以下の3つが示されました。(1)「医療法人と他の法人の役職員を兼務して問題ないと考えられる範囲の明確化を図る」。(2)「医療法人が他の医療法人に融資又は与信を行うことを認めることの必要性について検討する」。(3)「法人種別の異なる場合も含めた医療法人の合併に関するルールの明確化や、医療法人が合併する場合の手続きの迅速化について検討する」。
本「医療時評(86)」(3月号)の「補足」で述べたように、行政刷新会議「規制・制度改革に関する分科会」が1月26日に発表した規制・制度改革の「中間とりまとめ」には、「医療法人の再生支援・合併における諸規制の見直し」で、「営利法人の役職員が医療法人の役員として参画することや、譲受法人への剰余金配当等が認めるべき」等、医療への市場原理導入の呼び水になる事項が含まれていました。
これが認められると、将来それが医療法人全体に拡張され、結果的に営利法人による医療機関経営の解禁につながる危険がありました。しかし、日本医師会や病院団体が素早く反対運動を起こした結果、本文に書いたように、これは3月6・7日に実施された「規制仕分け」の対象から削除されました。
規制仕分け後も、「医療法人の再生支援・合併における諸規制の見直し」については、公式の議論も報道発表もありませんでした。そのため、今回の閣議決定は行政刷新会議が標榜している「事業仕分け」の原則(「外部性」と「公開性」)に反します。これにより、民主党政権の「手続き民主主義」無視の危うい政策手法が改めて浮き彫りになったと言えます。
ただし、閣議決定では、「営利法人の役職員」が「他の法人の役職員」に、「認める」が「明確化を図る」・「検討する」に置き換えられるなど、「中間とりまとめ」のストレートでしかも確定的な表現は削除されました。従来の「霞ヶ関文学」の慣例では、これは改革棚上げを意味します。この意味では、行政刷新会議が当初目指していた、医療分野への部分的市場原理導入は頓挫したと言えます。
しかし、政治主導を掲げる民主党政権が政策の継続性にも、先例にもとらわれないことを考えると、たとえ抽象的表現にせよ、「中間とりまとめ」の内容の復活が医療への市場原理導入・医療営利化の火種になり、今後政権内外で(不毛な)論争が継続することは確実です。
なお、「中間とりまとめ」の「医療分野における制度改革の方向性」(前文)には「医療の産業化」や「公的保険の適用範囲の再定義」が書かれていましたが、閣議決定にはこれらの表現はまったく含まれていません。
3.論文:なぜ民主党政権で医療分野への市場原理導入論が復活したのか?
(新連載「深層を読む・真相を解く(1)」『日本医事新報』2011年月4月2日号(4536号):31-32頁。『文化連情報』2011年5月号(398号):27-29頁に転載)
本年に入り、民主党菅政権の自壊過程に拍車がかかり、同政権に対する絶望が広まっています。ほんの1年半前の政権交代時の「明治維新以来140年ぶりの大改革」、「擬似革命」等の高揚した評価とは様変わりです。それだけに、最近、医療関係者から、民主党政権の医療政策はなぜ行き詰まったのか?との質問を受ける機会が増えました。医療政策全般の行き詰まりの主因が、同政権が公的医療費増加の財源を見いだせなかったことにあるのは自明です。しかし、特に昨年6月の菅政権成立後、小泉政権時代に政治的にも政策的にも決着した混合診療原則解禁等、医療分野への市場原理導入論(新自由主義的医療改革論)が部分的にせよ復活していることは、それだけでは説明できません。
本年2月に出版した拙新著『民主党政権の医療政策』(勁草書房)では、民主党政権の医療政策の変質を時系列的に検討しましたが、この点については断片的にしか論じられませんでした。そこで、本稿は同書の「補論」として、この点を包括的に検討します。私は、以下の4つの理由があると考えます。
「オリジナル民主党」は「構造改革」指向
第1の、そして根源的理由は、二大政党の一翼を担うべく1998年に成立した「オリジナル民主党」が、当時与党だった自由民主党より、はるかに「構造改革」指向だったことです。同年4月の統一大会で決定した「基本方針」では、「医療・医療保険制度は、市場原理をも活用しながら、情報公開を徹底し、抜本的な制度改革を行う」ことが宣言されました。その結果、民主党は2006年まで、自公政権よりはるかに厳しい医療費抑制・病床削減を主張していました。例えば、「崖っぷち日本を救う-民主党の考える医療改革案」(2006年)では、無駄の排除と予防医療の推進により「中期的には医療費総額・医療給付費はいずれも政府の推計値を下回る可能性が高い」と主張する一方、「病床削減」を全面に掲げ、一般病床26万床、精神病床7万床、療養病床11万床の削減を明記しました。
小沢代表の路線転換は底が浅かった
第2の理由は、2006年4月に代表に就任した小沢一郎氏は「国民の生活が第一」を掲げ、翌2007年の参議院議員選挙前後から、医療政策についても医療費・医師数増加に転換したものの、この転換は「政策よりも選挙」を持論とする小沢代表の鶴の一声で行われ、党内議論がほとんどなされなかったことです。この点は、小泉政権時代の「小さな政府」路線から、福田・麻生政権時代の「社会保障の機能強化」路線への転換に際して、自由民主党内で激しい路線論争が行われたのと対照的です。
そのためもあり、小沢代表時代だけでなく、小沢幹事長が実権を握っていた鳩山政権時代にも、民主党関係者には「自由民主党から自由がなくなったのが民主党」と自嘲する方が少なくありませんでした(菅首相が昨年の参議院議員選挙の大敗後、求心力を失ってからは、逆に「自由(放任)党」になったようです)。そのために、民主党の医療政策は底が浅く、党内外の事情で簡単に変わりうるのです。
菅政権で「オリジナル民主党」幹部が主導権
第3の、そして決定的理由は、鳩山政権による2010年度予算編成の段階で、税金の無駄遣いの根絶と「埋蔵金」の活用だけでは、医療・社会保障費拡充の財源が確保できないことがはっきりしたこと、および昨年6月に成立した菅政権では、鳩山氏以外の「オリジナル民主党」の幹部=「構造改革」派(菅、岡田、仙谷氏等)が主導権を握ったことです。菅政権が成立直後の6月に閣議決定した「新成長戦略」では、医療政策についても市場原理を部分的に導入する路線転換が鮮明になりました。
ただし、ここで見落としてならないことは、この路線転換は菅政権になって突然生じたのではなく、鳩山政権時代から徐々に進んでいたことです。鳩山首相は、2009年10月26日の施政方針演説で、「財政のみの視点から医療費や介護費をひたすら抑制してきたこれまでの方針を転換」すると約束しました。しかし、2009年3月に発足した行政刷新会議の規制・制度改革に関する分科会の構成員には、それの前身組織である規制改革会議で医療分野への市場原理導入論を主導した委員(草刈隆郎氏、松井道夫氏等)が多数任命され、第1回会議(3月29日)の「ライフイノベーションWG」の「検討項目」のトップには「保険外併用療養(いわゆる「混合診療」)の原則解禁」が掲げられました。
さらに「ライフイノベーションWG」では、規制改革会議から横滑りした構成員(土屋了介氏、松井道夫氏、阿曽沼元博氏等)が主導して、「規制・制度改革事項」に、混合診療の原則解禁や、株式会社の医療機関経営参入に道を開く「営利法人の役職員が医療法人の役員として参画すること」等が含まれました。ただし、日本医師会や厚生労働省の反対・抵抗により、前者は昨年6月の閣議決定時にごく限定的な「保険外併用療養の範囲拡大」に変えられ、後者は本年3月6・7日の「規制仕分け」の対象から外されました。
「新成長戦略」で「公的保険制度の枠外」の産業育成に幻想
第4の理由は、鳩山・菅政権が、自由民主党や財界、マスコミからの「民主党政権には成長戦略がない」との(なかばためにする)批判に応えるため、急遽「新成長戦略」を作成したものの、厳しい財政制約のため、医療政策に関しては「公的保険制度の枠外」の産業育成に期待を持ったことです。しかし、「新成長戦略」や経済産業省「医療産業研究会報告書」で「医療の産業化」の目玉とされていた混合診療の部分拡大、医療ツーリズム、健康関連サービス産業の経済成長効果はごくごく限定的であり、それにより医療を「成長牽引産業」化するのは幻想です(前掲書第2章第5節)。
実は、私は、2009年9月の民主党政権発足直後に発表した論文「民主党政権の医療政策とその実現可能性を読む」(『現代思想』2009年10月号。前掲書第2章第1節)で、民主党が総選挙マニフェストで掲げた医療費・医師数の大幅増加の数値目標を高く評価しつつ、同党の医療政策の最大の弱点が「医療費財源の長期見通しが示されていない」ことであることも指摘し、「民主党の医療政策が今後[公的医療費抑制や混合診療拡大に]再転換する可能性」があると予測していました。ただし、それは次(4年後)の総選挙で生じる可能性があると考え、政権発足後わずか1年で生じるとは予想していませんでした。
[本稿は2月18日の日本医師会第4回医療政策会議での報告の一部に加筆したものです。]
4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算65回.2011年分その2:5論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○保健医療は市場の力に対して脆弱である
(Brezis M, et al: Vulnerability of health to market forces. Medical Care 49(3):232-239,2011)[総説・ディベイト]
本論文では、営利企業が医療と公衆衛生に与える有害な影響についての文献レビューを行い、この問題が公共政策で重要であることを示す。営利医療産業は医療費を増加させ、医療の質を低くし、市場の失敗を生んでいる。製薬・医療機器企業は、戦略的に、偏った推論や研究者と医師への影響力行使、国民対象のマーケティング、自産業への規制を抑制するためのロビー活動を行っている。彼らはマーケティングにより、安価な一般薬等に代えて、高額で利潤を生む薬や医療機器の使用促進を図っている。資源は限られているため、高額医薬品等の過剰使用は医療費高騰を招き、国民皆保険の妨げとなっている。自由市場は、タバコ、食料品等の産業を繁栄させている。このような市場の力の最大の犠牲者は子ども、低所得者、病者および低学歴者である。自由市場と企業の利潤増加・株主配当義務は健康と医療に害を与えている。企業主導の市場がもたらす保健医療リスクを認識することが公共政策では重要であり、企業の力を抑制する改革が求められている。
二木コメント-要旨はイデオロギー過剰と言えますが、本文ではこのような主張の根拠になっている膨大な文献(合計108)を示しており、日本における医療の市場化・営利化を考える上で便利な文献とも言えます。これに続く第2論文「保健医療でどのように市場競争を創り出すか」(Holman KH, et al: How to make market competition work in health care)は、第1論文の論点には正面から反論せず、必要なのは市場・競争を活用してアメリカの医療制度を変えることだと主張しています。第3論文では第1論文の著者がそれに対する反論を行っています。"Medical Care"誌は従来、実証研究論文のみを掲載していたことを考えると、この「ディベイト」は異例ですが、編集長によると今後も同種の誌上ディベイトを継続する方針だそうです。
○OECD加盟[13か]国における健康[平均寿命]とGDPの関係の超長期的検討
(Swift R: The relationship between health and GDP in OECD countries in the very long run. Health Economics 20(3):306-322,2011)[量的研究]
Johnasen多変量共和分分析(時系列分析手法の1つ)を用いて、OECD加盟13か国(オーストラリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、イギリス、フィンランド、フランス、イタリア、オランダ、ノルウェイ、スペイン、スウェーデン、スイス)の健康(平均寿命)とGDPとの関連を超長期にわたって検討した。最長はスウェーデンの1820-2001年で、最短はオーストラリアとカナダの1921-2001年である。すべての国で、平均寿命と総GDPおよび平均寿命と1人当たりGDPとの間に、類似した長期に渡る相互作用的関連(cointegrating relationship)が推計された。大半の国で、平均寿命の1%の延長により、長期的には総GDPは6%、1人当たりGDPを5%増加していた。逆に、大半の国で総GDPと1人当たりGDPの増加により、平均寿命が延長していた。この関連は長期的に安定しており、このことは疾病・死亡構造の変化は健康と経済成長との関連に影響しないことを示している。
二木コメント-平均寿命とGDPとの相互作用的関連を2世紀にわたって推計したスケールが大きく、かつ緻密な研究です。疾病・死亡構造が急性疾患・伝染病中心から慢性疾患中心に変化したにもかかわらず、この関係が一定だとはやや意外です。ただし、この論文では、医療費(総医療費・1人当たり医療費)と平均寿命、GDPとの関連にはまったく検討していません。
○[アメリカの]メディケア加入者の[重篤慢性疾患の]診断頻度と死亡リスクの地域差
(Welch HG, et al: Geographic variation in diagnosis frequency and risk of death among Medicare beneficiaries. JAMA 305(11):1113-1118,2011)[量的研究]
一般に診断は純粋に患者の特性であると見なされており、そのため診断は効率的で良質な医療により多く報酬を支払うように計画されたリスク調整政策において決定的に重要な要素となっている。他面、最近、疾患の診断頻度には地域差が大きいことも明らかにされている。そこで、2007年に出来高払いの診療を受けたメディケア患者515万3877人を対象にして、9つの重篤慢性疾患(予後不良のガン、閉塞性肺疾患、冠動脈疾患、うっ血性心不全、末梢血管疾患、重篤肝疾患、末端器疾患を伴う糖尿病、慢性腎不全、認知症。以下、慢性疾患)の地域別の診断頻度(メディケア加入者当たり)と死亡率(mortality.老年人口1000対死亡率)、致死率(case-fatality rate。疾患別死亡率)との関連を検討した。地域区分には全米306の「病院医療圏」(hospital referral regions)を、致死率には2007年の性・年齢・人種調整済み人口1000対致死率を用いた。地域別の患者1人当たり慢性疾患数の中央値は0.87、最大1.23、最少0.58であり、患者単位でみると、慢性疾患数が多いほど致死率が高かった。しかし、慢性疾患の診断頻度により地域を5区分して比較すると、慢性疾患の診断頻度と死亡率との間には関連がなかった。このパラドックスは、慢性疾患の診断頻度が高い地域ほど、致死率が低いことで説明できた。
二木コメント-「死亡率」と「致死率」を分離し、慢性疾患の診断頻度が高い地域ほど致死率が低いことをキレイに証明して従来の研究の盲点をついているのは見事と思います。
○[日本における]全国規模の診療報酬[DPC]データベースを用いた病院の[急性胆管炎の]患者数が診療ガイドライン遵守に与える影響についての観察研究
(Murata A(村田篤彦), Matsuda S(松田晋哉), et al: An observational study using a national administrative database to determine the impact of hospital volume on compliance with clinical practice guidelines. Medical Care 49(3):313-320,2011)[量的研究]
病院の患者数と診療ガイドライン遵守との関係についての報告はほとんどない。そこで、日本のDPC包括払いを算定している病院を対象にして、病院の急性胆管炎患者数と急性胆管炎診療ガイドライン(日本が世界に先駆けて確立)との関係を検討した。829病院の60,842人のデータを用いた。病院は患者数の多さにより、患者数が少ない病院(LVHs)、中等度の病院(MVHs)、多い病院(HVHs)に3分した。個々の患者ごとに診療ガイドライン遵守の程度(0-10)を判定し、それを病院単位で集約して「診療ガイドライン遵守指数」(以下、遵守指数)を計算した。その結果、HVHsでの順守指数はMVHs, LVHsより有意に高かった(それぞれ、6.8、5.6、3.9)。線形回帰分析では、遵守指数にもっとも関連していたのは患者数であった。ロジスティック回帰分析では、HVHsにおける急性胆管炎による院内死亡率はLVHsに比べて有意に低かった(オッズ比0.856)。
二木コメント-産業医科大学の松田晋哉教授グループによる手堅い実証研究です。
○医療サービス・マネジメント研究での質的研究法の使用:10年間の文献レビュー
(Weiner BJ, et al: Use of qualitative methods in published health services and management research: A 10-year review. Medical Care Research and Review 68(1):3-33,2011)[文献レビュー]
9つの主要医療サービス・マネジメント雑誌(すべて英文)に1998~2008年の11年間に掲載された8377論文から、質的研究法を用いた実証研究論文329を抽出し、趨勢と特徴を検討した。質的研究法は、単一事例研究、複数事例研究、エスノグラフィー、グラウンデッドセオリー、現象学研究、伝記、特定の方法を明示せずの7種類とした。質的研究法を用いた論文の全実証研究論文に対する割合は11年平均で9%であり、年により11~5%の幅があるが、この割合は2006~2008年は減少傾向であった。329論文のうち、約5割はHealth Affairs誌とJournal of Health Politics, Policy and Law誌に掲載されていた(それぞれ約25%)。政策・マネジメントの多様なテーマが検討されており、もっとも多いのは医療サービスのアクセス(28論文)であった。研究方法では複数事例研究(59%)が飛び抜けて多かった。ただし、約半分の論文は研究方法の詳細についてほどんど~まったく説明していなかった。
二木コメント-質的研究法を用いた医療サービス・マネジメント研究の趨勢を鳥瞰できる便利な論文です。引用頻度がもっとも高い25論文も示されています。本論文に対する2つのコメント論文も掲載されています。
5.私の好きな名言・警句の紹介(その77)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 林望(作家・書誌学者)「ものを書くというのは、一種のプレゼンテーションだというのが私の考えです。つまり、伝えるべき相手があってのものだということです。/(中略)逆に『俺が言いたいことをとにかく全部書く』なんて考えで、頭に浮かんだことを片っ端から書き連ねていっても、そんなものは誰も読んではくれません。(中略)/書くという作業は、常に相手をイメージしながら進めることが必要であり、そのあたりの呼吸がわからないと、なかなか進歩は望めません。プロの書き手は、書いているときに必ず読者層を想定して書いています」(『「時間」の作法』角川SSC新書,2011,40頁)。二木コメント-私の場合は、特に「仮想敵」が明確な論争的論文だけはすぐに書けます。ただし、これは私が学生運動世代(団塊の世代)である特殊要因かもしれません。
- 島田裕巳(宗教学者)「[夏目]漱石は、自分がいかなる読者を対象としているのか、それを明確に意識していた。読者が感情移入しやすい筋立てを考え、それを形にして表現したのである」(『人はひとりで死ぬ-「無縁社会」を生きるために』NHK出版新書,2011,74頁。漱石の初期の代表作である『三四郎』の背景説明)。二木コメント-本書は、無縁社会を全否定し、その対極にある「個人を縛る『有縁社会』」を理想化する最近の言説の陥穽を指摘しており、特に地域福祉(論)の実践者・研究者必読と思います。
■東日本大震災・原発事故後「研究者の社会的責任」について考えさせられた名言■
- 高木仁三郎(多くの学者が原発推進の国策になびく中、脱原発を貫いた「市民科学者」。2000年死去)「私としては、せめて科学の変革、『市民の科学』という面で、そのお手伝いができればよいと思う。ふだん言っている言葉で言えば、『市民の不安を共有する』ところから出発して、『不安のもとを取り除き、人々の心に希望の火を燃やす』ために取り組む人たちが多く生まれてくればよいと思う」((『人間の顔をした科学』七つ森書館,2001,63-64頁。「朝日新聞」2011年3月30日朝刊「天声人語」がゴチック部分を紹介)。
- 池内了(総合研究大学院大学教授。宇宙物理学)「科学者・技術者の役割は、安全を保証したり、役に立つと強調したりすることではなく、科学・技術の限界を語り、それを超えれば科学・技術は災厄となりうることを常に語る習慣を身につけることである」(「専門家の社会的責任」『世界』2011年5月号「東日本大震災・原発災害 特別編集 生きよう!」56頁)。
- 鶴見俊輔(哲学者)「敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するのかの認識と、その敗北をどのように受けとめるかの気構えから成る。/(中略)/今回の原子炉事故に対して、日本人はどれほどの敗北力をもって対することができるのか。これは、日本文明の蹉跌だけではなく、世界文明の蹉跌にもつながるという想像力を、日本の知識人はもつことができるのか」(「敗北力」『世界』2011年5月号45-46頁)。
- 岡井隆(歌人)「大震災以来、『言葉を失いました』とか、(この惨状を前に)『言葉もありません』というのが多くの人の合言葉となった。/だが、どのような場合にも、言葉を見つけ出しなにかを言うのが、もの書きの因果な宿命なのである」(「日本経済新聞」2011年4月11日朝刊「大震災後に一歌人の思ったこと」)。
- 森村誠一(作家、78歳。『悪道』で吉川英治賞を受賞)「いずれ被災者が心の再生を求められる時が来る。文芸には全ての芸術と同じく心を豊かにする機能がある。体力がなくて肉体的貢献はできない自分でも、精神的ボランティアはできる」「権威ある賞をもらって、食い逃げはできない。あと50冊は書きたい」(「読売新聞」2011年4月19日朝刊「吉川英治賞に森村誠一さん)」)。
- 芥川龍之介(作家・故人)「芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである」(「大正一二年九月一日の大震に際して」『[筑摩書房版]芥川龍之介全集第四巻』所収。インターネット図書館「青空文庫」に全文公開。「毎日新聞」2011年4月7日朝刊「余録」が、「[関東]大震災の後に文筆家の矜持をこう記したのは芥川龍之介だ」と、ゴシック部分を紹介)。
- 小熊秀雄(詩人・小説家。1901-1940年)「私は君に抗議しようといふのではない、/――私の詩が、おしやべりだと/いふことに就いてだ。/私は、いま幸福なのだ/舌が廻るといふことが!/沈黙が卑屈の一種だといふことを/私は、よつく知つてゐるし、/沈黙が、何の意見を/表明したことにも/ならない事も知つてゐるから――。/私はしやべる、/若い詩人よ、君もしやべり捲くれ、(後略)(「しゃべり捲くれ」『小熊秀雄詩集』岩波文庫,1982,89頁。本詩は昭和10年(193年)に出た最初の詩集に収録。アーサー・ビナード『空からきた魚』(集英社文庫,2008,256-257頁)が上掲部分を引用し、次のように紹介:「厳しい検閲とつまらない評論家に対して、まくし立てている作品だ。が、そのときぼくは、発破をかけられているように感じた。間違ったっていい、周りを気にするな、と小熊に励ましてもらったのだ」)。
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- 佐藤優(作家・元外務相主任分析官)「新社会人には、菅首相、海江田経産相を反面教師にして、『大将は動いたらいけない』という原則を覚えてほしい。(中略)/危機管理において、大将は動いてはならず、部下がたとえ基準に達していなくても、むやみに怒鳴ってはいけないのである」(「知の技法 第192回 危機を乗り切るための指導者の技法とは」『週刊東洋経済』2011年4月9日号,85頁)。二木コメント-これを読んで、今からちょうど30年前、私が東京民医連・代々木病院の勤務医だったときに院長から学び、私の初めての単著『医療経済学』(医学書院,1985頁)で紹介した次の名言を思い出しました。
- 稲田龍一(代々木病院院長・当時。元都立墨東病院院長)「一般の企業の中でいわれているリーダーの要件というのは、かなりたくさんあります。(中略))(27)トップはあまり働かないこと。とくに、この(27)については、民医連のトップは働きすぎると思います。民医連ではトップの人たちが働き過ぎるので中堅がなかなか育ちにくい。(中略)[リーダー・トップは]先頭に立って真っ先にやるよりは一歩さがって後方から全般をみて誘導することが必要です」(「民医連新聞」1981年4月1日号、「病院長の業務について~2~トップは働きすぎないこと」。本「ニューズレター」49号(2008年9月)で紹介)。
- むのたけじ(96歳の今も現役のジャーナリスト。敗戦時に、ジャーナリストの責任をとって朝日新聞を辞め、フリーの立場で言論活動を続けてきた)「今考えると、まったく愚かな辞め方だった」(「朝日新聞」2011年3月9日朝刊、外岡秀俊「非戦・人権精神を受け継ぐ」で紹介。こう考えるようになったきっかけは、2004-2005年に「琉球新報」が14回にわたって特集した「沖縄戦新聞」(もし戦時に検閲がなかったら、どんな報道をしていたか、戦後にわかった史実や証言に基づき、正確に再現した)を読んだこと。「これだ、と思った。戦時中、記者は事実をまげた。敗戦後、我々は数十年でもかけて、戦争の実態を検証すべきだった」)。二木コメント-本「ニューズレター」77号(2010年12月)で紹介したように、私は、大学内外でさまざまな改革に取り組む際に、「めげない(ぶれない)、媚びない、辞めない」をモットーにしているので、大いに共感しました。
- 大畑大介(日本を代表するラグビー選手。小学校2年から25年間ラグビーを続け、2011年2月に引退)「僕の一番の才能は辞めなかったことだと思います」(「NHK総合テレビ」2011年3月5日朝7時半からの「中部ウィークリー」でのインタビュー)。
<その他>
- 林望(作家・書誌学者、62歳)「還暦を過ぎて、これまでの人生を振り返ると、二十代のころはどうすべきであったか、三十代ではどうしたらよかったか……というように、その年代の持つ意味というものが見えてきます。/まず、二十代というのは何はともあれ、仕込みの時間だと思います。三十歳までにどこまで仕込んだかで、その後の人生が決まる、といっても過言ではありません。(中略)/二十代を闇雲に頑張っていると、三十代になって自分の進むべき道が見えてきます。(中略)/今まで積み重ねてきた努力が正しいかどうか、本当に自分の成すべきことは何か、ということが分かるのは、四十歳を過ぎてからです。(中略)/そういうふうに考えると、四十代で人生の実相が見えてきて、自信を持ってその道を邁進できるという意味では、五十代がいちばん人生の脂の乗り切った、自己実現をしている時期ではないでしょうか。/(中略)逆に言うと、四十代までに自分の成すべき道を確立できていない人は、五十代になってからが非常につらいと思います。/(中略)そして、六十歳を過ぎて私が何を考えたかというと、人生の残りはあと何年あるのだろうかということです。/(中略)つまり、六十歳になると急に終着駅が見えてくる。七十歳を過ぎたら残りは余生です」(『「時間」の作法』角川SSC新書,2011,163-165頁)。二木コメント-この「人生の振り返り」は、最後の二文を除いて、私自身の実感とほとんど同じです。ただし、私にはまだ「終着駅」は見えず、七十歳を過ぎてのことも想像できません。これは私の想像ですが、著者のこの人生の「振り返り」は、孔子の有名な述懐(「吾れ十有五にして学に志す…七十にして心の欲する所に従って、矩をこえず」『論語』巻第一為政第二、岩波文庫28頁)を意識している気がします。なお、加藤徹『本当は危ない「論語」』(NHK出版新書,2011,124-127頁)は、この述懐を「孔子の最後の言葉」とみなし、孔子の人生「七十年の『負け自慢』」とする独自の解釈をしています。