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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻49号)』(転載)

二木立

発行日2008年09月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ


1.論文:後期高齢者の終末期(死亡前)医療費は高額ではない

(「二木教授の医療時評(その58)」『文化連情報』2008年9月号(366号):18~21頁)

中央社会保険医療協議会は、6月25日の総会で、舛添要一厚生労働大臣の強い要請に基づき、4月の診療報酬改定で導入されたばかりの「後期高齢者終末期相談支援料」(以下、支援料)の凍結を答申しました。これは、後期高齢者医療制度に対する国民の批判が高まる中で、この支援料についても、「医療費抑制が目的ではないか」、「延命治療の打ち切りを迫る」等の「誤解とそれに基づく不安」(中医協答申書)が生まれたことに対する緊急避難的な対応とされています。そのため、中医協答申は、支援料が「医療費抑制を目的とするものではない」としていますし、総会に出席した舛添大臣もそのことを強調しました。

しかし、厚生労働省の後期高齢者医療制度の担当自身が、終末期医療費を「抑制する仕組みを検討するのが終末期医療の評価[つまり、支援料-二木]の問題である」と明言したことは、中医協ではなぜか問題とされなかったようです。小論では、まずその発言や類似発言を紹介した上で、後期高齢者の終末期医療費が高額であるとの主張は事実誤認であることを示します。

厚生労働省担当者のトンデモ発言

まず、厚生労働省の後期高齢者医療制度の実務責任者である土佐和男氏(保険局国民健康保険課課長補佐、老人医療企画室室長補佐、高齢者医療制度施行準備室室長補佐)の「証言」を、少し長いですが、紹介します。これは、講演等での不規則発言・失言ではなく、同氏編著『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』という、同法の定番解説書の「後期高齢者の診療報酬体系の必要性」の項に明記されています(ゴチックは引用者)(1)。

「年齢別に見ると、一番医療費がかかっているのが後期高齢者であるから、この部分の医療費を適正化していかなければならない。特に、終末期医療の評価とホスピスケアの普及が大切である。実際、高額な医療給付費を見ると、例えば、3日で500万円、1週間で1000万円もかかっているケースがある。/そうしたケースは、終末期医療に多くある。後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が1時間でも、1分でも生かしてほしいと要望して、いろいろな治療がされる。それが、かさむと500万円とか1000万円の金額になってしまう。(中略)/家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が支援金として負担しなければならないということになると、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある。それを抑制する仕組みを検討するのが終末期医療の評価の問題である」。

私は、長年、厚生労働省高官や担当者の講演録や論文・著書を読んできましたが、これほどストレートに医療費抑制の目的を述べた文章に出会ったのは、現在の医療費抑制政策の出発点になった故吉村仁氏(当時保険局長)の有名な「医療費亡国論」以来、25年ぶりです(2)。しかも、吉村氏の発言が彼なりの危機意識に裏打ちされていたのとは異なり、土佐氏の発言はあまりにも軽く、トンデモ発言と言わざるを得ません。

ただし、(後期)高齢者の終末期医療費が高額であり、それが医療費増加の原因であるとの主張は、以前からよくみられます。最近では、高名な評論家の櫻井よしこ氏が「老人医療費の増加原因の1つとされるのが終末期医療での集中的な治療である」と主張しています(3)。しかし、土佐氏や櫻井氏は、超例外的事例に基づいて、高齢者医療費が高額であると感覚的に主張するだけです。しかし、それを否定するデータはいくらでもあるのです。

健保連と国保連合会の高額医療費調査

まず、全国レベルの高額医療費データは、健康保険組合連合会(健保連)と国民健康保険中央会(国保中央会)が発表しています。
特に健保連は、毎年、1000万円以上の高額レセプト件数と高額上位10位の詳細なデータを発表しています(「高額レセプト上位の概要」)。第10位の医療費は年によって多少変動しますが、直近の2006年度は1637万円でした。

それをみると、以下の3つのことが分かります。第1に、「高額レセプト上位10位」には後期高齢者はまったく含まれていません。最新の2006年度分にいないだけでなく、1996~2005年度の10年間(延べ100人)にも1人もいません。ちなみにこの100人の平均年齢は32.2歳です。第2に、2006年度の1000万円以上の116件でも70代は1人にすぎません。第3に、1996~2005年度の10年間の「高額レセプト上位10位」(延べ100人)の2005年度時点での死亡率は52%にとどまっています。

国保中央会は健保連のように毎年詳細なデータを発表してはいませんが、1996年10月に診療を受けた高額医療費患者348人を対象にして詳細な実態・追跡調査をしたことがあります(3)。健保連と異なり、国保中央会では450万円以上を高額医療費と扱っており、このうち1000万円以上は21人(6.1%)にすぎず、500~1000万円が59.5%を占めています(平均623万円)。この調査では、次の3つが注目されます。第1に、健保連調査と異なり70歳以上が112人(32.2%)と少なくありません。第2に、70歳以上の高齢者でも、当月死亡患者は26.8%にすぎず、全体の当月死亡率19.5%を少し上回るだけです。第3に、死亡者と生存者の医療費には、当月分医療費、当月を中心とする前後13カ月間の医療費とも、大きな差はありません。当月分医療費は死亡者636万円、生存者612万円です。ただし、これの年齢別データは不明です。

以上の全国データから、土佐氏の主張するような、終末期に「3日で500万円、1週間で1000万円もかかっているケース」は、少なくとも後期高齢者にはほとんどないことが明らかです。なお、高額医療費患者について「1か月以上延命する人はほとんどいない」と主張される方もいますが、それも誤解です。

高齢者と非高齢者の死亡前入院医療費の比較

次に、死亡前医療費を高齢者と非高齢者で比較した調査を紹介します。日本では残念ながらこれの全国調査はありませんが、私の知る限り、個別病院の実態調査(研究論文)が2つあります。

1つは、地域の基幹的な急性期病院(埼玉県・狭山病院)の2000年4月から2001年9月までの1年半の退院患者6545人の、年齢区分別、死亡・生存別、疾患グループ(悪性新生物、循環器疾患別、その他)別の入院医療費調査です(5)。死亡患者総数は480人です。全疾患でみると、死亡退院の1入院当たり医療費は非高齢者164.6万円、前期高齢者184.7万円、後期高齢者175.5万円であり、後期高齢者の方が前期高齢者よりも低くなっています(表4から二木試算)。高齢者の1入院当たり医療費が高いのは高齢者の在院日数が長いためであり、死亡患者の1日当たり入院医療費は非高齢者でもっとも高く、後期高齢者がもっとも低くなっています。

もう1つは、日本の北部の都市部の教育病院(病院名非公開)の1999年1月から2000年12月までの2年間の35歳以上の退院患者9695人を対象にして、患者の年齢と入院医療費との関連を詳細に検討した研究論文です(英文)(6)。死亡患者総数は550人です。死亡患者の1入院当たり医療費は年齢が高まるほど減少し、35~44歳の4万733ドルに対して、75~84歳ではその半額の2万1136ドル、85歳以上ではわずか8644ドルにすぎません。

さらに川渕孝一氏も、新著『医療再生は可能か』で、全国の84の急性期病院から回収したがん、心疾患、脳血管疾患の三大疾患のDPC関連データを分析した結果、「死亡前1週間前は、がん、心疾患、脳血管疾患ともに、後期高齢者の医療費の方が75歳未満よりも低いことが分かった」と紹介しています(7)。

以上の調査結果は、後期高齢者の死亡前(終末期)に過剰な医療、「集中的な治療」が行われているとする主張が事実誤認であり、逆に「急性期病院であっても75歳以上の後期高齢者には、一定の“節度ある医療"が行われている」(川渕孝一氏)ことを示しています

アメリカでも高齢者の死亡前医療費が高額という神話

なお、アメリカでも(後期)高齢者の死亡前に高額で無駄な医療が行われているとの主張がなされているのですが、最近、パン医師等は、論文「高齢者の死亡前医療費が高額という神話」で、それを明快に批判しています(8)。この論文は、これを含めて、アメリカの高齢者の医療と医療費についての以下の7つの神話を、豊富なデータによって論駁しており、日本での同様な神話を検討する上でも参考になります(カッコ内が事実)。

(1)高齢者の増加が医療費増加の主因である(人口高齢化による年間医療費増加率は1%未満)。(2)人口高齢化により高齢者医療費が不可避的に増加し国家が破産する(高齢者の有病率・障害率は低下し続けている等)。(3)後期高齢者の死亡前医療費に上限を設ければメディケアは医療費を大幅に節減できる(メディケア医療費中の死亡前1年間の医療費の割合は過去20年以上安定している)。(4)高齢者に対する高額な入院医療は効果が無く、金の無駄遣いである(メディケアの2万ドル以上の高額医療患者のうち半数は1年後も生存している)。(5)高齢者の終末期に高額のハイテク医療が広く行われている(死亡者の1人当たり医療費は70歳以降急速に低下する)。(6)メディケアは高齢者が必要とするすべての医療をカバーしている。(7)高齢者がリビングウィル等の事前指示(advance directives)を持てば、死亡前にどの程度濃厚な医療を行うべきかというジレンマを解決できる(リビングウィル等は死亡前医療の意思決定にほとんど影響を与えない)。

文献

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2.論文:医療・社会保障政策の部分的見直しが始まった-「骨太の方針2008」等を複眼的に読む

(「二木教授の医療時評(その59)」『文化連情報』2008年9月号(366号):21~25頁)

福田政権は6~7月に矢継ぎ早に、医療・社会保障改革の方針を発表しました。その中心は、6月27日に閣議決定された「経済財政改革の基本方針2008」(以下、「骨太の方針2008」)です。これに先だち、厚生労働省は6月18日に「安心と希望の医療確保ビジョン」を、社会保障国民会議も6月19日に「中間報告」を発表し、それらの内容の一部は「骨太の方針2008」の第5章「安心できる社会保障制度、質の高い国民生活の構築」に反映されました。さらに、福田首相の緊急指示でまとめられた「社会保障の機能強化のための緊急対策-5つの安心プラン」(以下、「5つの安心プラン」)が、7月29日の閣僚懇談会で了解されました。

私は、昨年来、医師・医療費抑制政策を転換するためには、2つの閣議決定の見直しが不可欠であると主張し、今年に入ってからはそれが「政治の射程に入ってきた」と判断していました(1,2)。2つの閣議決定とは、言うまでもなく、1997年の「医学部定員の削減に取り組む」閣議決定と、社会保障費の当然増(自然増)を5年間で1兆1000億円(1年当たり2200億円)抑制する「骨太の方針2006」です。
そして、「骨太の方針2008」では、ついに前者の見直しが行われました。後者は名目上は見直されませんでしたが、事実上の見直しにつながる内容が含まれています。このことは小泉政権時代の異常な医療費・社会保障費抑制政策の見直しが部分的にせよ始まったことを意味します。小論では、「骨太の方針2008」を中心として、この点を検討します。

医師数抑制政策の転換

「骨太の方針2008」でもっとも注目すべきことは、医師不足を公式に認め、「これまでの閣議決定に代わる新しい医師養成の在り方を確立する」としたことです。実は、「骨太の方針2008」の素案(6月17日発表)の段階では、この部分は「新しい医師養成の考え方について検討する」とアイマイに書かれていたのですが、閣議決定文書では表現が明確になるとともに、以下のように、注で数値目標も加えられました。「『財政構造改革の推進について』(平成9年6月3日閣議決定)において『大学医学部の整理・合理化も視野に入れつつ、引き続き、医学部定員の削減に取り組む』とされているが、早急に過去最大程度まで増員するとともに、さらに今後の必要な医師養成について検討する」。ちなみに、過去最大の定員は1982年度の8280人であり、これは2008年度の定員7793人を487人(6.3%)上回っています。

一般的には、政府公式文書は素案の方が具体的であり、最終決定に至る過程で、各省庁・与党関係者の利害調整によりアイマイな表現になるのが普通であることを考えると、このような逆方向の変化は注目に値します。ただし、過去最大の定員に戻すだけでは、OECD加盟国平均に比べれば、10数万人不足しているとされるわが国の深刻な医師不足は解消できず、それを大幅に上回る「今後の必要な医師養成について検討する」必要があると思います。ちなみに、民主党が6月18日に「次の内閣」閣議で決定した医師確保対策では、医学部の総定員を現行より5割(3800人)増やすとされており、私もそれが妥当と考えます。ただし、これは公的医療費の総枠拡大とワンセットで行うべきと思います。

「骨太の方針2008」では、医学部の定員増に加えて、「病院勤務医の就労環境の改善のため」、「現行の仕組みにとらわれない効果的な方策を講ずる」ことも決められました。

実は、「病院勤務医の就労環境の改善」という表現も、「骨太の方針」の素案にはなく、閣議決定時に新たに挿入されました。そして、「5つの安心プラン」の「2 健康に心配があれば、誰もが医療を受けられる社会」では、そのための具体的施策が示されました。
その大半は、既存の政策の列挙や延長線上にあるものですが、新たに、「救急医療を担う医師」、「地域でお産を支えている産科医」、および「へき地に派遣される医師」に直接支給する「手当などへの財政的支援の創設」が来年度の「新規事業」として盛り込まれました(ただし、現時点では最終決定ではなく、「概算要求予定」)。個別の医療機関に対する財政的支援は今までも行われたことがありますが、医師個人に公費で手当を支給するのはわが国の医療政策史上初めてであり、もし実現すれば画期的と思います。

医学部定員の増加に対しては、「医師が1人前になるまでに10年はかかるので、即効性がない」との醒めた意見も聞かれます。私自身も、医学部の定員増は、医師不足と医療危機を克復するための「十分条件」ではなく「必要条件」であり、それ以外の短期的な対策も不可欠と思います。しかし、ここで見落としてならないことが2つあります。

1つは、中澤賢次氏(済生会宇都宮病院院長)が先駆的に指摘したように、6年の大学教育と2年の臨床研修(合計8年)の「終了者はすぐに救急現場で力を発揮する」こと、および「教養課程を他学部と共有し、[医]学部入学の定員を増やせば2年早い6年後でも有効な増員は可能である」ことです(3)。もう1つは、医学部定員増への方針転換は過去10年間の医療制度改革でほとんど初めて無条件で「改善」と評価できるものであり、それが、現状に絶望したり屈服したりせず、積極的に声をあげたり運動を続ければ、政策は変えられるという希望や確信を、医師・医療団体さらには国民に与える強いアナウンスメント効果(あるいは心理的効果)を持っていることです。

社会保障費抑制方針は「堅持」だが抜け道もある

他面、「骨太の方針2008」では、第4章の3「歳出・歳入一体改革の推進」で、「『基本方針2006』及び『基本方針2007』を堅持し、歳出・歳入一体改革を徹底して進める」、「最大限の[歳出]削減を行う」こととされました。この表現は、昨年の「骨太の方針2007」(「『基本方針2006』で示された歳出・歳入一体改革を確実に実現する」、「最大限の[歳出]削減を行う」)とほぼ同じです(4)。この決定に基づき、7月29日には、2009年度も社会保障費の自然増分8700億円を2200億円抑制する方針を盛り込んだ「概算要求基準」が閣議了解されました。

他面、従来の「骨太の方針」と異なり、「骨太の方針2008」では、「重要課題実現のために、必要不可欠となる政策経費については、まずは、これまで以上にムダ・ゼロ、政府の棚卸し等を徹底し、一般会計、特別会計の歳出経費の削減を通じて対応する」とされ、その後、そのための「重点化枠」として3000億円が設定されました。この重点化枠の対象には、社会保障以外にも、環境問題、成長力強化等幅広い分野が対象になるため、社会保障にどれだけの財源を確保できるのかは不明です。しかし、社会保障のうち、「地域医療の確保、医師不足や勤務医の過重労働等に対する対応」(「5つの安心プラン」)は、「後期高齢者の円滑な運営のための負担の軽減等」と並んで優先順位が高いことを考えると、相当額の予算が確保されるのは確実です。

実は、社会保障費の2200億円削減の緩和には、もう1つ別の方法(奥の手)があります。それは、補正予算に社会保障費を計上することです。なぜなら、2200億円の削減は当初予算のみを対象にしているからです。実はこの手法はすでに昨年度用いられています。具体的には、2007年度の補正予算に、2008年度から始まる後期高齢者医療制度の高齢者負担増凍結のために1719億円が盛り込まれました。

政府・与党は、6月12日に、後期高齢者医療制度の見直し策(「高齢者医療の円滑な運営のための負担の軽減等について」)を決定し、さらに与党高齢者医療制度に関するプロジェクトチームは7月17日に、この見直し策に加えて、70歳から74歳の患者負担2割への引き上げの凍結を来年度も継続する方向で一致しました。これらを合わせると2500億円を超え、その財源は本年度の補正予算で確保することが予定されています。もしこれが実現すると、これだけで社会保障費2200億円の抑制は「骨抜き」にされるのです。ただし、この対策は経済学的には私費(高齢者・患者負担)から公費へのコストシフティング(転嫁)にすぎず、医療費の総枠が拡大するわけではありません。

なお、第二次小泉内閣で内閣府特命大臣(金融・経済財政政策担当)として、「骨太の方針2006」を取りまとめ、8月2日に発足した第二次福田内閣で再び同じ大臣に就任した与謝野馨氏は、最近、次のように、2200億円抑制が「紙の上」の数字であったと率直に認めています。「私も『骨太の方針2006』の作成に携わったんですが、歳出削減の部分は党が書いた。率直に申し上げて、2200億円というのは紙の上で『エイヤ!』と切ったもので、実証的に検証した数字ではないのです。結果的に、かなりの無理がきています。(中略)無理なものは無理なんですから。頑張ってあと1年は削れるかもしれないけれど、11年までの5年間で1兆1000億円削減というのは、もはや現実的ではない」(5)。

それだけに、「骨太の方針2006」の見直しには、道理も実現可能性もあると思います。ただし、これは小泉政権時代の異常な医療費抑制政策を見直すための「必要条件」にすぎず、1980年代以来30年近く続けられている医療費抑制政策を根本的に転換するための「十分条件」ではないことを見落とすべきではありません。

「社会保障の機能強化」を初めて掲げる

「骨太の方針2008」の社会保障政策には、従来の「骨太の方針」とは異なる、もう1つの特徴があります。それは、第5章の冒頭で、「制度の持続可能性を高めるとともに、社会保障の機能を強化し、国民に信頼される制度とする」ことが盛り込まれたことです。

小泉政権時代の一連の「骨太の方針」では、「制度の持続可能性」と社会保障費を含む「聖域なき歳出削減」のみが強調されていたことと比べると、これも部分的見直しと言えます。このような見直しは、「社会保障国民会議中間報告」ではより鮮明であり、「今後の社会保障改革の基本的方向」として、「『社会保障の機能強化』に重点を置いた改革を進めていくことが必要である」とされました。権丈善一氏(社会保障国民会議委員)によると、社会保障国民会議中間報告でまずこの方向が確認され、それが「骨太の方針2008」にも組み込まれたそうです(6)。

「社会保障国民会議中間報告」には、「骨太の方針2008」よりも踏み込んだ記述が少なくありません。その中で、特に注目すべきものは2つあります。1つは、「現時点におけるわが国の医療・介護サービスにかかる給付費は国際的に見ても必ずしも高くない」ことを認めたことです。さらに「中間報告」の参考資料には、日本の人口高齢化率が29%に達する2025年の社会保障給付費の国民所得比が、「改革未実施」の場合にすら、現在の主要ヨーロッパ諸国の水準(以下)にとどまることを示す図も示されています(資料7-3)。

もう1つは、「サービス費用の将来推計の実施」にあたっては、まず「医療・介護サービスのあるべき姿を具体的に示し」、その上で「それを実現し維持していくための費用はどの程度になるかを推計するという手順を踏むことが必要である」としている点です(「第二部会(サービス保障(医療・介護・福祉))中間とりまとめ」)。このような手順は、「聖域なき歳出削減」を強行しつづけた小泉政権時代の手順と逆であり、もしこれが最終的に政府の公式方針に採用されれば、画期的と言えます。

ただし、「第二部会中間とりまとめ」には、小泉政権時代ですら否定された、次の一文も挿入されています。「保険免責制の導入や混合診療、民間保険の活用などについてはその是非について様々な意見があることから、今後さらに具体的議論を深めることが必要である」。これは、社会保障国民会議座長で元経済財政諮問会議民間議員の吉川洋氏の強い意向により挿入されたと思われ、同氏の社会保障費抑制・私費負担拡大の執念には驚かされます。

しかし、このような小泉政権時代への「先祖帰り」が社会保障国民会議の最終報告に残る可能性は低いと思います。ちなみに、社会保障政策に強い影響力と高い見識を有する与党の有力議員は、「社会保障をぶっ壊した人[吉川氏]が、今度は社会保障を再建する座長をするとは、ブラックユーモアだ」と痛烈に批判しており、私も同感です。

小論では、「安心と希望の医療確保ビジョン」にはほとんど言及してきませんでしたが、注目すべきことが1点あります。それは冒頭で、「医療サービスの質を向上させるとともに、その量も増やしてほしいという国民の声も強」いことを認めていることです。そして、量を増やす「具体的な政策」のトップに「医師数の増加」があげられているのです。

実は、厚生労働省は、1987年6月の「国民医療総合対策本部中間報告」で、「医療サービスの量から質への転換」を提唱して以来、今日に至るまで20年以上、医療の量と質を機械的に対立させ、医師数だけでなく、医療施設・サービスの量の抑制をめざしてきました。それだけに、もし「安心と希望の医療確保ビジョン」が今後厚生労働省の公式方針として定着したとしたら、医療サービスの提供面でも従来の政策の見直しが生じると言えます。

最後に、小論で検討してきた「骨太の方針2008」を含む4文書はいずれも、医療費・社会保障費拡大の財源については具体的な言及を避けていますが、福田首相や有力閣僚は異口同音に消費税の引き上げを示唆しています。それに対して、私は、医療費増加の主財源は社会保険料とし、消費税を含む公費は補助的財源とするのが妥当かつ現実的であると考えています。私がこう判断する理由は、本「医療時評」で何度も論じてきたので、それをお読み下さい(2,7)。

文献

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3.インタビュー:「小さな変化」を拾い上げ「希望の芽」が拡大することを期待する

(『Visionと戦略』2008年9月号:1~4頁)

一番好きな言葉は、サルトルの「理解するとは変わることであり、自己の彼方に行くことである」。大学1年の時に著作で出会って以来、40数年心の中で生き続けている。新しいことを理解することで考えを変えることは何の問題もない。しかしその場合、自分の考え-事実認識でも、客観的将来予測でも、価値判断でも-が、変わったり間違っていると気付いたら即座に、それを著書や論文のなかで「こういう理由でこう変えました」と明示し、説明責任を果たす必要があるという信念。「そういう態度が研究者には不可欠だと思います」と真摯な姿勢は今も揺るがない。主に医療制度に関するお考えを伺った。

1947年生まれ、1972年東京医科歯科大学医学部卒業、代々木病院リハビリテーション科科長、病棟医療部長等を経て、1985年から日本福祉大学社会福祉学部教授。現在、大学院委員長。前21世紀COE プログラム拠点リーダー。医学博士(東京大学)、社会福祉学博士(日本福祉大学)。

「保健・医療・福祉複合体」「医療経済・政策学の視点と研究方法」「介護保険制度の総合的研究」「医療改革?危機から希望へ」、「講座 医療経済・政策学」シリーズ(共編)など著作多数。

■医療費適正化という名の医療費抑制策が打ちだされています。

二木 「文化連情報」6月号に掲載した「医療費適正化計画の二本柱は開始時から死に体」という論文に書きましたが、3月に厚労省がだした「医療費適正化に関する施策についての基本的な方針」に、(1)生活習慣病対策の医療費抑制効果が当面5年間はないこと、(2)医療療養病床を15万床に削減する数値目標を公式に取り下げただけでなく、医療療養病床の削減自体も事実上棚上げしたことが「さらりと挿入」されています。医療費適正化計画には二つの柱があり、一つは平均在院日数の短縮です。在院日数の長い療養病床を病院病床から外すと、定義上病床の在院日数は短くなることを狙ったものです。

もう一つの生活習慣病対策については、色々と調べて見ましたが、厚労省は一度も医療費が下がるという学問的根拠を示していません。2005年の介護保険法改正で新予防給付が導入された時には、厚労省は自信を持って文献集をだし、根拠に基づいた政策であると主張しました。しかし私がそれらを全部調べ直したら、少なくとも医療費抑制効果を証明した論文は世界的にも一つもありませんでした。この後、これに懲りていい加減な証拠をうかつにださないようにしたのではないかと思う位出していません。証拠を出さないだけでなく、法改正の前までは「生活習慣病対策で医療費抑制ができます」といっていながら、現在では「壮大な社会実験だ」と言い方を変え、根拠がないことを事実上認めています。

私は著作「医療改革」(勁草書房、2007)でも書きましたが(第2章第4節補注)、「生活習慣病対策には賛成だが、義務としての健康には反対」の立場です。医療費削減効果はないと言うだけでは、「後ろ向きだ」と批判を浴びますから。私は個人の責任で、それぞれの方が健康増進活動をし、それを行政が「支援」することには賛成しています。しかし、今回の生活習慣病対策は個人、保険者、自治体の各レベルに強制し、しかもペナルティまで加えています。現段階ではまだ個人には直接ペナルティを与えていませんが、厚労省高官のなかにはそれを主張している方もいます。さらに、週刊誌の報道などでは実際に「太っている人は雇わない」ことが始まっているといいます。そのため、今後は、肥満者に対する差別、排除が堂々と行われる可能性があり、かつてナチスが国家スローガンとして掲げた「義務としての健康」のように、医療費抑制の枠を超えた人権侵害の大問題になる危険があります。

■「基本方針2001」で小泉元首相が目指した(1)株式会社による医療機関経営(2)混合診療解禁(3)医療機関と保険者の直接契約の3つの施策は、事実上挫折しました。

二木 当時は、小泉政権の医療政策をどう見るかで論争があり、新自由主義的改革が一気に実現されると予測した人がむしろ多かったのです。医療関係者の中にも、今度こそやられてしまうという気持ちの方が少なくありませんでした。それに対して私はすぐに「小泉政権の医療改革を読む」という論文を発表し、この改革案には新自由主義的な改革と伝統的な医療費抑制策の両方が含まれるが、新自由主義的な改革の全面的な実施はない」と書きました。他面、医療費抑制策は厚労省のこれまでの施策と一致しているので、今まで以上に強化されるであろうと予測したのです。2001年6月時点で、このように正確に予測し、論文を発表したのは私だけでした。最近では、この新自由主義的改革がごく断片的にしか行われず、大枠では挫折したことは誰の目にも明らかになっています。

「医療経済・政策学の視点と研究方法」(勁草書房、2006)の第3章で詳しく書きましたが、この挫折には経済的理由と政治的理由の二つの理由があります。経済的理由は、医療分野に市場原理を導入すると、当該企業には利益がでますが、それを切っ掛けに公的医療費を含めた総医療費が増えます。このことは米国を中心とした世界的な経験から、政策的にも、学問的にも、疑問の余地なく明らかになっています。経済財政諮問会議などで議論された「公費部分を減らし、私費部分を増やす」という方針は机上の空論です。効果のある医療が私費医療にのみ導入され、その効果が証明されたら、それを公的医療に入れない訳にはいきません。その結果、総医療費も増加し、医療費抑制という国是と矛盾してしまうのです。これを私は「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と呼んでいます。

政治的理由は「日本人の国民意識の壁」です。日本の国民は医療不信が強く、公的医療費の拡大にはとても同意を得られる状況にありません。しかし平等な医療を受けたいという意見は強く、格差医療に対する拒否反応はもの凄く強いのです。どのような世論調査でも、混合診療を全面的に支持する国民は1割から多くても2割です。このような2つの理由から、今後5年、10年の単位で見ても、新自由主義的医療改革が再燃する恐れはないと見ています。

■後期高齢者医療制度について、どのような点が問題だとお考えでしょうか。

二木 評価できる点は何もありません。後期高齢者の医療を別建てにする根拠がないし、制度設計が「極めて複雑で分かりにくい」からです。そもそも、「文化連情報」8月号掲載の論文「私が後期高齢者医療制度廃止と老人保健制度復活に賛成する理由」に書いたように、「国民連帯という国民皆保険の根本理念にも、疾病リスクの高い加入者と低い加入者をプールして、リスクを社会的に分散するという社会保険の原則にも反して」います。ですから理念上も立法技術上も、後期高齢者医療制度に比べると、相対的には、遥かに優れている従来の老人保健制度に戻すべきと主張しているのです。

しかも後期高齢者医療制度の根拠法である「高齢者の医療の確保に関する法律」には、大変厳しい医療費抑制の仕組みが組み込まれています。そもそも第1条の冒頭には「医療費の適正化を推進するため」と最大の目的が明確に記されています。この法律を廃止しないと、死に体になっている医療費適正化計画を完全に無くすことはできません。

この論文で私はこの法律に示された4つの医療費抑制策を指摘しました。(1)特定健診・保健指導での保険者へのペナルティ(2)医療費適正化計画を達成できなかった都道府県への診療報酬点数の特例的引き下げ(3)70歳から74歳の自己負担割合の2割への引き上げ(4)資格証明書交付の後期高齢者への導入です。70歳から74歳のお年寄りも、この法律が残っている限り2割負担になります。低所得の保険料未納者に対する保険証の取り上げは今度の政府・与党の見直しで多少歯止めが掛かりましたが、これに先行した国民健康保険では市町村によっては相当強引に保険証の取り上げを実施しています。

後期高齢者医療制度を廃止すべきと主張すると、必ず「無責任だ」「対案を示せ」といわれますが、そのような批判は的外れです。老人保健険制度に戻すのは、立派な対案だからです。もちろん老人保健制度も、私の理想とする制度からすれば問題はあります。しかし今の後期高齢者医療制度よりはずっとましだと判断しています。この点を見落として、他の別の制度を示せというのは開き直りです。

「後期高齢者医療制度は10年以上もかけて、関係者の合意を得てやっとできた」という意見もありますが、それは嘘です。社会保障審議会等で長い間議論されたのは事実ですが、最後まで関係者の合意は得られませんでした。そのために、私は、もし2005年9月の郵政総選挙がなく、小泉首相がそれにより独裁的権力を獲得しなかったら、この法律は成立しなかったと判断してます。厚労省の中でも、この選挙前までは老人保健法の微修正で済ませるというのが大方の考え方だったと聞いています。ですからこの制度は「弾み」あるいは「時の勢い」でできたにすぎないのです。この制度が複雑怪奇であるのは、このように急ごしらえで作られ、しかも各団体の妥協の産物だからです。4月に制度発足してから自治体で様々なミスが起きましたが、これは元々の制度が複雑かつ問題だらけだったことに起因しています。

■医師数抑制策の転換を「希望の芽」と展望されておられます。

二木 私は、「骨太の方針2008」で、社会保障費抑制方針が見直されなかったことにはきわめて批判的ですが、医師不足対策が明記されたことは高く評価しています。「週刊東洋経済」の昨年11月3日号のインタビューでも述べたのですが、医療改革を本気でやるのなら、法律の次に政策を規定する閣議決定を変えなければいけません。それは2つあり、1つは1997年の「医学部定員の削減に取り組む」閣議決定であり、もう一つは言うまでもなく5年間で1兆1千億円抑制する「骨太の方針2006」です。部分的な希望の芽は昨年位からでていましたが、この二つの重しを取らないと本格的な見直しにはなりません。閣議決定には期限がありませんから、どこかで変えないと永遠に続きます。それが今回の骨太の方針で、前者については、明確に見直しが行われました。

実は私は、「骨太の方針2008」に医師不足対策がここまでストレートに書かれるとは想像していませんでした。それの第5章では、「医師不足の対策」を行うと書いた後に、「その際、これまでの閣議決定に代わる医師養成の在り方を確立する」と書かれていますが、閣議決定前の素案では「医師養成の考え方について検討する」だったのです。ふつうは、素案から最終決定に至る過程で方針は薄まるのが普通ですが、それが逆に強まっただけでなく、注で「早急に過去最大程度まで増員するとともに、さらに今後の必要な医師養成について検討する」とまで書かれたのです。これは事実上、数値目標が入ったことを意味し、画期的なことです。2006年までは厚労省も「医師の絶対的な不足はない、偏在だ」といっていたのです。しかし、本田宏先生などの現場のオピニオンリーダーだけでなく、医師会を含めたほとんどすべての医療団体が医師不足対策を訴え、マスコミもそれを全面的に支援しました。この10年の医療改革の中で、誰が見ても「改善」というのはこれが初めてです。実際に医師が増えるのは10年後だという「醒めた」意見もありますが、私は、国民と医師に対するアナウンスメント効果が非常に大きいことを見落とすべきではない思います。

■公的医療費増加の財源として、(1)消費税(2)歳出の無駄削減に対して、(3)主財源は社会保険料の引き上げ、補助的に他の税も用いるべきとの主張です。

二木 私は「主財源は社会保険料」と言っているのであり、社会保険料だけとは言っていません。よく日本は社会保険方式の国だと言われますが公費も相当投入されています。「国民医療費」ベースでは、社会保険料が50%、公費が35%です(残りは患者負担)。財源選択に関しては、「税が良いか、社会保険料が良いか」という原理主義的な選択はあり得ません。公費負担と社会保険のどちらが良いとは言えず、それぞれに一長一短があるからです。ですから「現実的にどちらに可能性があるか」だけが大事なのです。消費税がもし上げられたとして、年金の国庫負担、少子化対策、教育などで、ほとんど医療には回ってこないと思います。さらに日本は米国と並ぶ小さな政府ですから、政府の無駄を省くのは当然としても、それだけでは公的医療費増加の財源を捻出できません。

ただし、社会保険料の引き上げを行う際に、見落としてならないことがあります。それは、国民健康保険の保険料は定額負担と定率負担の組み合わせで、しかも保険料賦課の所得上限が低いため、被用者保険に比べて遥かに逆進性が強いことです。日本医師会の中川常任理事が定例会見で「被用者保険で保険料を付加する年収の上限を3千万円に引き上げることで0.1兆円、国民健康保険でも年収800万円までにすることで0.4兆円の財源が得られる」という試算を発表しましたが、この問題に手を付けず不平等感のあるままで社会保険料を上げることには、私も賛成できません。しかも、これらの施策は国民の理解も得られやすいでしょうし実現の可能性もあると思います。しかしこれだけでは財源としては焼け石に水なため、低所得者に対する充分な配慮を行いつつ、保険料そのものを引き上げることが不可欠なのです。

■先生の提唱された「複合体」は、今後どのようになっていくのでしょうか。

二木 2006年医療制度改革関連法による今後の医療制度改革の見通しを「医療改革」の第2章第4節に書き、第5の見通しとして「医療機関の複合体化の加速」をあげました。複合体にとって、2000年の介護保険は第1の追い風でした。そして05年の介護保険制度改革と翌年の医療制度改革関連法が第2の追い風になっています。ただ追い風といっても、2000年時とは二つの違いがあります。一つは介護保険制度創設時には、特養や老健は10%を軽く超える利益率が保障されていました。しかし今は一番新しいデータでも5%を切っています。そうなると今まで以上にマネジメントが求められます。医療法人の利益率は2、3%ですが、しっかりしている民間病院は10%近くです。もう一つは「居住系サービス」への転換により、サービス提供形態が大きな箱物から小規模施設に変わったことで、小規模の法人でも複合体化できるようになったことです。鈴木老健課長は6月の講演で、医療法人による居住系サービスの設置の重要性を指摘したのですが、これは「複合体にお墨付きを与えた」ようなものです。正に複合体が小規模なものまで含めて、活躍を期待されているのだと思います。保健・医療・福祉サービスが連携をとる方法には、ネットワークと複合体の2つがあります。しかしどちらか一方で成り立っている地域はほとんどなく、ほとんどの地域に複合体と単機能施設があり、それらが「競争的に共存」しているのです。そういう状態においては、複合体のマイナス面と言われる「囲い込み」はおきにくくなります

■先生の研究活動における基本的な姿勢について教えて下さい。

二木 ノーベル賞に一番近いといわれるリベラル派経済学者、ポール・クルーグマンの「格差は作られた」(早川書房)という本は、米国における社会改革の第一歩が国民皆保険制度の実現であるとして、そのための理想的な制度と次善の制度に分けて持論を展開しています。日本の医療改革を考える上でも示唆に富む本で、医療関係者にも一読をお奨めします。

最後に、私が、医療と医療政策の将来予測の指針にしているのは、ドラッカーの「すでに起こった未来」という視点です。具体的には、「すでに起こってしまい、もはやもう戻る事のない変化、しかも重大な影響力をもつことになる変化でありながら、まだ一般には認識されていない変化を知覚し、かつ分析すること」です。私の複合体の研究は、まさに「すでに起こった未来」の研究でした。手前味噌ですが、多くの方々が複合体は例外的なものとみなしていた10年以上前に、私は複合体の全国調査をして「介護保険を期に爆発的に増える」と予想し、その通りになりました。そして昨年4月の医学会総会の時には、医師・医療機関の間に絶望感が蔓延している状況を知りつつ、「小泉時代にはなかった3つの希望の芽がある」と敢えて主張したのです。その時は、一部の方からはかなり笑われ、「リアリストの二木先生は、いつからロマンチストになったのか」と嫌みを言われもしました。しかし、今では、誰もが、小泉政権時代の行き過ぎた医療改革の見直しが生じつつあることに気付き始めました。私がいち早くそれに気づいたのは、「一般には認識されていない変化を知覚し、かつ分析した」からです。

■「少しずつだが希望を持てる状況になってきた」と諭す先生の客観的判断に引き込まれた。「物事を全否定しない、できるだけ複眼的に見る」「ギリギリの局面では、どこまで妥協するか」は、これまでの学究活動や評論にも貫かれている。それでもなお「こと後期高齢者医療制度に関しては評価できない」と断言される。さてこの制度は総選挙を経て、どのような運命を辿るのだろうか。

(文/佐藤 昌俊・撮影/日野 道生)

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算37回.2008年分その5:8論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○地域居住の高齢者に対する学際的転倒予防プログラムの費用対効果:ランダム化試験(Hendriks MRC, et al: Cost-effectiveness of a multidisciplinary fall prevention program in community-dwelling elderly people: A randomized controlled trial (ISRCTN 64716113). International Journal of Technology Assessment in Health Care 24(2):193-202,2008)[量的研究]

オランダの地域居住の65歳以上の高齢者で転倒経験者333人(平均年齢74.9歳)を対象として、学際的転倒予防プログラムと通常の保健医療との費用対効果を比較した。対象はプログラム群と対照群にランダムに二分した。プログラム群に対しては、老年科医・リハビリテーション医・リハビリテーション看護師・作業療法士が転倒の危険因子等の総合的評価を行い、その結果と必要なサービスを主治医(GP)に文書で伝え、主治医がそれに基づいて対象を管理した。費用効果分析と費用効用分析は社会的視点から行い、費用は、公的医療費(介護費用とプログラム費用を含む)、患者・家族負担費用(家屋改造費、私費負担の介護費)、両者を合わせた総費用とした。転倒と医療利用は1年間継続的に記録し、ADLとQOLは開始時、4か月時、12か月時に評価した。その結果、費用は、公的医療費、患者・家族負担費用、総費用とも、両群に有意差はなかった(総費用はプログラム群4857ユーロ、対照群4991ユーロ)。転倒、ADL、QOLも両群で有意差がなかった。以上から、学際的転倒予防プログラムはオランダの通常の保健医療と比べて費用対効果に優れているとは言えなかった。

二木コメント-転倒予防プログラムの費用効果分析で、費用に公的費用だけでなく、プログラム費用、患者・家族負担費用まで含んだものは、私の知る限り、これが初めてです。それだけに、転倒予防プログラムに費用抑制効果がないという結果は重いと思います。

○政策的文脈でのメディケアの[慢性]疾患管理(Linden A, at al: Medicare Disease management in policy context. Health Care Financing Review 29(3):1-11,2008)[概説]

アメリカでは、2003年メディケア現代化法で医療費抑制のためのさまざまなモデル事業が始められた。その1つであるメディケア健康サポート・モデル事業により、営利企業による慢性疾患管理(以下、DM)が2005年から順次開始され、8社が認可された。ただし、そのうちの3社はすでに撤退している。残りの5社のDMの半年間の結果を検証した予備的報告では、それが短期的には医療費を抑制できなかったことが明らかになった。この結果は、現在のDMプログラムが、プロセス尺度でのコンプライアンスに焦点を当てており、その医療費抑制効果は長期的にしか生じないことを考えると、驚くべきことではない。ただし、最終的にも同じ結果出た場合には、CMS(メディケア・メディケイド・サービスセンター)は営利企業のDMを廃止し、他の慢性疾患ケアマネジメント戦略を採用するか否かの決断しなければならなくなるだろう。

二木コメント-「費用抑制は短期的には生じないが、長期的には生じうる」という主張は、日本のメタボリック症候群対策についての厚生労働省の弁解とソックリです。ただし、アメリカではすでにDMの廃止も選択肢にあげている点は大きく異なります。なお、本論文の「はじめに」によると、DMに医療費抑制効果がないことはすでに多くのレビュー論文で確認されおり、それの最新のものは以下の論文だそうです(317論文をレビュー)。Mattke S, et al:Evidence for the effect of disease management: Is $billion a year a good investment? American Journa of Managed Care 13:670-676,2007.

○マサチューセッツ州で2001-2003年に導入されたP4Pが医療の質に与えた影響(Pearson SD, et al: The impact of pay-for-performance on health care quality in Massachusetts, 2001-2003. Health Affairs 47(4):1167-1176,2008)[量的研究]

アメリカではP4P(医療の質に基づく支払い)が医療の質を改善するための主要な手法の1つになっているが、それの効果を評価した研究はごく少ない。そこで、マサチューセッツ州の大手営利医療保険5社が、2001~2003年に医師グループとの契約時に順次導入したすべてのP4P(合計18契約)が医療の質に与えた影響を検討した。なお、医療の質は13のパフォーマンス尺度で評価し、アウトカム尺度は用いていない。また、18の契約のうち、17の契約では医師が所定のパフォーマンスを達成した場合ボーナスが支給されることになっていた。その結果、2001~2003年に、ほとんどすべての医師グループで医療の質は改善していた。ただし、P4Pにより、医療の質向上の長期的な趨勢以上に、改善が加速しているとは言えなかった。

二木コメント-P4P先進国でも、複数のP4Pプログラムを含む州全体を単位として、それの効果を調査した研究はほとんどなかったそうです。私がこの論文で注目したことは、以下の3点です。(1)P4Pの対象が医師グループのみであり病院は含まれていない。(2)医療の質としてアウトカム尺度は用いられていない。(3)目標とされるパフォーマンスが達成された場合医師にボーナスが支払われるため総医療費は増加する(はず)。ただし、本論文には医療費データは示されていません。

○セーフティネット病院と非セーフティネット病院との医療の質の変化の比較(Werner RM, et al: Comparison of change in quality of care between safety-net and non-sefety-net hospitals. JAMA 299(18):2180-2187,2008)[量的研究]

アメリカのセーフティネット病院(主として低所得患者を診療する病院)は、一般に、非セイフティネット病院に比べて、医療の質が低いと言われている。医療の質の公開やP4Pは、パフォーマンスの悪い病院の医療の質を引き上げる可能性があるが、他面セーフティネット病院はそのための投資資金を欠いているため、非セーフティネット病院との医療の質の格差が拡大する可能性もある。

そこで、全米の3665急性期病院を対象にして、2002~2004年の医療の質とメディケイド患者の割合と関係を、時系列的に検討した。その結果、メディケイド患者の割合が高い病院は、この割合が低い病院よりも、医療の質が低く、改善率も低かった。著者は、この結果に基づいて、P4Pの導入は、病院間の医療の質の格差を拡大する可能性があると警告している。

二木コメント-従来のP4P研究の盲点を突いた研究と思います。P4Pの機械的導入は、「機会の平等」が保障されていない社会に一律に競争原理を導入するのと似ていると感じました。

○病院の手術件数、外科医の手術件数、およびガン手術に伴う患者の[入院]医療費(Ho V, et al: Hospital volume, surgeon volume, and patient costs for cancer surgery. Medical Care 46(7):718-725,2008)[量的研究(多変量解析)]

手術件数が多いほど術後死亡率が低いという先行研究は少なくないが、病院および医師の手術件数が手術を受けた患者1人当たり入院医療費(以下、入院医療費)に与える影響について検討したものはほとんどない。そこで、アメリカのフロリダ州・ニュージャージー州・ニューヨーク州の1989~2000年の退院患者データベースを用いて、6種類のガン手術について、病院および医師の手術件数と入院医療費(手術料は含まない)との関係、およびそれの推移を検討した。手術件数総数は267,558件で、部位別に見ると、もっとも多い結腸切除術は153,238件、もっとも少ない肺摘徐術でも7341件であった。病院および医師の手術件数はそれぞれ多い・中位・少ないに3分し、病院と患者の特性を調整した上で、手術件数と患者の入院医療費との関連を、多変量階層的回帰分析により検討した。

その結果、調査期間全体では、6種類の手術とも、手術件数の多い医師が執刀した患者の入院医療費は、手術件数の少ない医師の患者より有意に低かった。入院医療費の差が一番小さかった手術は結腸切除術(4.4%)、もっとも大きかったのは膵臓・十二指腸切除術(25.6%)であった。医師の手術件数と入院医療費との関連は、すべての手術で調査期間の前半(1993~1996年)より後半(1997~2000年)の方が強まっていた。それに対して、手術件数が多い病院の方が入院医療費が有意に低かったのは、結腸切除術のみであった。

二木コメント-手術成績に影響するのは病院の手術件数ではなく、医師の手術件数であることは先行研究でも明らかにされていましたが、医師の手術件数が入院医療費にも影響を与えることを実証したのは、この研究が初めてと思います。本研究を読むと、日本で2002年の診療報酬改定で導入された、病院の手術件数を基準にした手術料の選択的引き下げがいかに「根拠に基づく」ことのない乱暴な改定であったかが、改めて分かります。ただし、本論文に限らず、アメリカの入院医療費には医師技術料は含まれないことに注意が必要です(本論文では「手術料(surgery fee)は入手できなかった」とだけ書かれていますが、医師技術料全体も入っていないと思います)。

○[アメリカ・フロリダ州の急性期]病院の管理費用の変動(McKay NL, et al: Variations in hospital administrative costs. Journal of Healthcare Management 53(3):153-167,2008)[量的研究]

アメリカの病院の管理費用が高額であることはよく知られているが、病院種類別の調査はほとんど行われていない。そこで、フロリダ州の全急性期病院の2000~2004年のデータセットを用いて、病院種類別の管理費用とその推移を調査した。管理費用は、病院の間接費用のうち支持費用(support costs)を除いたものと定義し、具体的には、90の費用発生部門(operating cost centers)のうち、管理関連の12部門の費用とした。2004年の病院総数は164であり、開設者は営利46.3%、非営利42.1%、政府11.6%である。病院総数では、インフレーション調整済みの管理費用は2000~2004年に28.2%増加したが、営業費用中の管理費用割合は23%弱で安定していた。開設者別にみると、営利病院は、1入院当たり管理費用も、営業費用中の管理費用割合も一番高く、非営利病院は両者とも一番低く、政府病院はその中間であった(各年とも有意差あり)。2004年の営業費用中の管理費用割合は、営利病院23.7%、政府22.4%、非営利病院21.1%であった。病床規模別にみると、49床以下の小規模病院は、1入院当たり管理費用は低かったが、営業費用中の管理費用割合は高かった。

二木コメント-州単位の病院の開設者別・病床規模別の管理費用の調査は、アメリカでも初めてのようです。ただし、営利病院は非営利病院・政府病院に比べて、1入院当たり管理費用が高いことは、以前からよく知られています。

○ギリシャの公立病院での医師への謝礼(Liarpoulos L, et al: Informal payments in public hospitals in Greece. Health Policy 87(1):72-81,200)[量的研究]

ギリシャでは、公立病院を含む社会組織に非公式の支払いが埋め込まれている。本研究では、そのうち公立病院での医師への謝礼の実態を明らかにするために、全国から1616世帯の4738人をランダムに選択し、電話調査を行った。その結果、公立病院で治療を受けたことがある336人のうち、36%が最低1回医師への謝礼をしたと回答した。謝礼を支払った者のうち、42%は謝礼を払わないと質の低い医療を受けると恐れて支払っていたが、20%は医師から謝礼を求められていた。患者が謝礼を払おうとしても受け取りを断った医師は4%にすぎなかった。謝礼額の平均は、患者が自主的に支払った場合279ユーロ、医師が求めた場合535ユーロであったが、共にバラツキが非常に大きかった。家族の社会経済的特性と謝礼額との間に関連はなかった。回帰分析を行ったところ、入院待ちをジャンプしたいと願った患者の謝礼支払い率はそうでない患者より72%高く、手術を受けた患者の謝礼支払い率は受けなかった患者より137%も高かった。この結果に基づいて、著者は、ギリシャでは大半の国民が公的医療保険でカバーされているにもかかわらず、医師への謝礼が広範に行われており、それが同国の医療制度の不公平と不効率の主因になっていると、主張している。
二木コメント-医師の謝礼についての、世界初の全国調査と思います。

○アメリカの医療経済学者:われわれは何者で何をしているか?(Morrisey MA, et al: US health economists: Who we are and what we do. Health Economics 17(4):535-543,2008)[量的研究]

2005年秋に、18年ぶりに、アメリカの医療経済学者の実態調査を行った。国際医療経済学会またはAcademyHealth医療経済学部会の会員1439人に電子メールで質問票を送り、回答した460人のうち、医療経済学者であると自認した359人を対象にした。93%が博士号(PhD)を持ち、そのうち72%が経済学博士であった。勤務先は大学が64%、政府(ほとんど連邦政府)12%、非営利団体15%、営利団体9%であった。大学勤務者の所属をみると、公衆衛生が26%でもっとも多く、当初経済学部で採用された者は24%であった。専門領域(subspecialization.複数回答可)は、個人行動(労働経済学ベース)、政府の政策、アウトカム研究(費用効果分析、費用便益分析等を含む)が共に50%、医療保険が48%、企業行動(産業組織ベース)が34%であった。専門職業人としての満足度は概して高く、86%が現在の職場に満足していた。専門雑誌のピアレビュープロセスにも67%が満足していた。

二木コメント-経済学だけでなく、医療経済学も制度化されているアメリカならではの調査と言えます。「専門職業人としての満足度」は、日本的感覚からすれば驚異的高さですが、これはアメリカ人一般の生活・仕事満足度の高さ(あるいは満足度していると回答するメンタリティー)の反映と思います。例えば、ギャラップ社の最新の全米世論調査によると、経済がうまくいっていると感じている国民は6%にすぎないにもかかわらず、国民の80%以上は自分自身の生活(their own circumstances)に満足していると回答し、自分の仕事に対する満足度はさらに高いそうです(Workingman's blues. The Economist, July 26th, 2008, p.41)。なお、本論文では調査されていない「アメリカの医療経済学者の所得」は、Cawley J, et al: The earnings of U.S. health economist. Journal of Health Economics 26(2):358-372,2007で詳しく分析されています(本「ニューズレター」35号(2007年7月1日)

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その45)-最近知った名言・警句

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