『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻88号)』(転載)
二木立
発行日2011年11月01日
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目次
- 1.論文:吉村仁氏の「医療費亡国論」は幻か?-1980年代前半の「医療費適正化」政策の再検証
(「二木教授の医療時評(その96)」『文化連情報』2011年11月号(404号):14-18頁)
- 2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算71回.2011年分その8:6論文)
- 3.私の好きな名言・警句の紹介(その83)-最近知った名言・警句
お知らせ
『日本医事新報』2011年11月12日号(4568号)に論文「混合診療裁判の最高裁判決とその新聞報道をどう読むか?」(連載「深層を読む・真相を解く」の第8回)を掲載する予定です。ご承知のように、最高裁判所は10月25日、混合診療禁止の是非をめぐって争われてきた訴訟で、国の法解釈と政策を妥当とする判決を下しました。本稿では、まずこの最高裁判決のポイントを紹介し、その意義を考えます。次に、この4年間で原告の主張が大きく変わったことを指摘します。最後に、全国紙の最高裁判決報道を比較し、「日本経済新聞」の報道・主張には偏りと重大な事実誤認があることを批判します。この論文は本「ニューズレター」89号(12月1日配信)に転載予定ですが、早めに読みたい方は同誌掲載論文をお読み下さい。
1.論文:吉村仁氏の「医療費亡国論」は幻か?-1980年代前半の「医療費適正化」政策の再検証
(「二木教授の医療時評(その96)」『文化連情報』2011年11月号(404号):14-18頁)
はじめに-吉村仁氏は「医療費亡国論」を主張していない??
厚生省の吉村仁保険局長(当時)が1983年に『社会保険旬報』で「医療費亡国論」を主張し(以下、吉村氏の『社会保険旬報』論文)、その後の厳しい医療費抑制政策に大きな影響を与えたことはよく知られた歴史的事実です(1)。「医療費亡国論」という用語はフリー百科事典『ウィキペディア』にも掲載されています。
ところが、最近それを正面から否定する言説が登場しました。私が最初にそれに出会ったのは、幸田正孝元厚生省事務次官の『オーラル・ヒストリー』で、質問者(三谷宗一郎氏)が「吉村さんの『医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方』という論文…は、よく医療費亡国論と語られがちですが、実際はそうではないということが読んだら分かります」と述べていた時でした(2)。
その後、この言説の初出は、高名な医療政策研究者である印南一路氏等が本年8月に出版した『生命と自由を守る医療政策』中のコラム「医療費亡国論の真相」であることを知りました(3)。そこで印南氏等は、次のように主張しています。「医療費亡国論を吉村仁氏(元厚生省保険局長)が主導したというのは、正確な記述ではない」、「吉村氏は当時の医療費をめぐる情勢に関する視点として、(1)医療費亡国論(医療費増大→社会の活力低下)、(2)医療費効率逓減論…、(3)医療費需給過剰論…の3つの考え方があると整理し、それぞれへの対応をまとめているだけである」、「(1)に対しては、医療費総額を抑制しようというよりも、保険料の負担率に関心を持つべきことを、…述べている」、吉村氏を「医療費亡国論の首謀者にすることは不適切である」。
私自身は、吉村氏の『社会保険旬報』論文をその後の医療費抑制政策と医師数抑制政策の「原点」・「すべて」とする多くの医療関係者の主張は不正確・過大評価で、それらを最初に提起したのは1980年前半に鈴木善幸・中曽根康弘政権の下で超法規的強権を発揮した第二次臨時行政調査会(土光敏夫会長)であり、「吉村氏や厚生省は、医療費抑制政策・医師数抑制政策の主導者ではなく、政府決定の具体化を図った『番頭』」と判断しています(4)。しかし、吉村氏が「医療費亡国論」を主張・主導していないとの言説は、控えめにいっても逆の極端、率直に言えば明白な誤りです。
本稿では、吉村氏の主張を1980年代前半に医療費抑制(公式表現は「医療費適正化」)政策が本格的に導入された文脈の中で検証し、印南氏等の主張の3つの問題点を指摘します。第1は、吉村氏は『社会保険旬報』論文で、「医療費亡国論」をはっきりと主張していたことです。第2は、吉村氏がそれ以外にも少なくとも2回、「医療費亡国論」を正面から主張したことを見落としていることです。第3のそして最大の問題点は、吉村氏が「医療費亡国論」により、医療費抑制の従来の数値目標を強引に「下方修正」・すり替えたことを見落としていることです。以下、この順番で述べます。
『社会保険旬報』論文の中心は「医療費亡国論」
印南氏等が指摘するように、吉村氏が『社会保険旬報』論文で、「3つの考え方」を主張したのは事実です。しかし、それらは並列されたわけでなく、第1の「医療費亡国論」が中心的主張であり、第2・第3の考え方はそれを補足・補強するものでした。しかも、吉村氏は、「『医療費亡国論』への対応は、率直にいえば、医療費総枠の抑制ということになる」と明快に言い切り、そのための「公共医療費」抑制の目標(後述)を示しました。
なお、当時、厚生省幹部が考えていた「医療保険政策の構想」の全体像を知るためには、吉村氏の『社会保険旬報』論文よりも、『健康保険』1983年4・5月号に発表された論文の方が優れていると思います(5)。この論文は、「医療費亡国論」等のドギツイ表現を用いることなく、多数の統計数値も用いながら、厚生省の立場から見た医療費抑制の必要と医療保険制度改革の構想をていねいに説明しているからです。この論文は「医療保険政策研究会」名で発表されましたが、実際は1984年の健康保険法大改正を控えて行った吉村局長、下村健審議官等との勉強会をもとにして、和田勝氏保険局企画課長補佐(当時)が執筆したそうです(6,7)。その和田氏は、吉村氏の「医療費亡国論」を「社会的関心を呼ぶために意図的な、いわばポルノ的手法によった問題提起であった」と、言い得て妙な評価をされています(6)。
吉村氏は公式にも「医療費亡国論」を主張
吉村氏の『社会保険旬報』論文は「投稿」であり、形式上は氏の個人的主張です。しかし、吉村氏は、保険局長在任中に、少なくとも2回、公式の場で「医療費亡国論」またはそれに直結する主張をしました。
最初は、1982年8月末に保険局長に就任した後に行った『社会保険旬報』の2回目のインタビューで、医療費が増えるのは「悪い」と断言し、「もう医療費に回す財源はない」とまで主張しました(8)。当時、第二次臨時行政調査会「基本答申」(1982年7月30日)は「租税負担と社会保障負担とを合わせた全体としての国民の負担率(対国民所得比)」は、「現状(35%程度)よりは上昇することにならざるを得ないが、徹底的な制度改革の推進によりヨーロッパ諸国の水準(50%前後)よりはかなり低位にとどめる必要がある」との数値目標を提起していました。吉村氏はその下限と言える「国民所得の45%が負担限度」とする独自の数値目標を提示しました。
もう1つの公式発言は、1983年1月末に開かれた全国保険・年金課長会議において、「医療費の適正化」の情勢分析・処方箋を示した「保険局長説示」です(9)。吉村氏は、「今後、医療費が増えていけば、当然に負担面が相当に増えていくこととなり、それが結局、わが国を滅ぼし、活力をなくするおそれがあるとの論点」を第一に提起し、「これに対しては抑制を考えていかなければならないので、抑制という処方せんを書かざるを得ない」とストレートに主張しました。これが吉村氏の「医療費亡国論」の初出であり、しかも氏は「医療費の適正化」を医療費抑制と同じ意味で用いました。
実は印南氏等が指摘しているように、厚生省は、1980年代初頭に「医療費適正化」が政策課題となった当初は、それと医療費抑制とを区別していました(3:78頁)。例えば、『昭和57年版厚生白書』(83頁)では、「医療費全体にかかる無差別な抑制を図ることは望ましい姿ではない。重要なことは、制度に随伴する不正や不当な行為、非効率に基づく無駄を厳しく排除し、それと同時に必要な医療には十分な費用を投下していくことである」と、少なくとも言葉の上では複眼的な主張をしていました。しかし、吉村保険局長が「医療費亡国論」を主張して以降は、「医療費適正化」はほとんど医療費抑制と同義となり、昭和58年版以降の『厚生白書』からは、57年版のような複眼的主張は消失しました。
以上から、印南氏等の主張とは逆に、吉村氏が「医療費亡国論」と医療費総額・総枠の抑制を主張・主導したことは明らかです。
吉村氏は医療費抑制の数値目標を「下方修正」
私は吉村氏の「医療費亡国論」の最大の問題点は、従来の厚生省の医療費抑制の数値目標を一方的に「下方修正」・すり替えたことだと考えています。この点は、1994年に拙著『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』で指摘したのですが、現在ではほとんど知られていないので、改めて述べます(10)。
厚生省の社会保障長期展望懇談会(有沢広巳座長)は1982年7月に「社会保障の将来展望について」の提言(以下「提言」)をまとめ、「将来における国民医療費の規模については、国民所得の伸びに人口の高齢化を加味した伸び率の範囲内にとどめることを目標にしていくべきであろう」と提起しました。この数値目標は、当時、「厚生省が臨調に対抗するために温めてきた」ものであり、「財界や臨調の社会保障負担の当面の増大を食いとめようとするキャンペーンに釘を刺している」と高く評価されました(11)。厚生省幹部も1980年代初期には、この提言と同趣旨の発言をしていました。
ところが、吉村氏は、『社会保険旬報』論文等で、この「提言」を黙殺し、一方的に「公共医療費(保険点数表によって決済される医療費)」の伸び率を「国民所得の伸び率程度の伸び」に抑制するというより厳しい数値目標を示しました。なお、先述した「医療保険政策の構想」は、「提言」の数値目標をきちんと明示した上で、それよりも「公共的な医療費の伸び率を国民所得の伸び率程度にとどめることを目標とすることが適当である」と主張していました(5)。ただし、その理由は、第二次臨時行政調査会「基本答申」・「最終答申」と同じく、「先進国病」の予防でした。
ともあれ、このような医療費抑制の数値目標の転換は、厚生省内および各種の審議会で公式に検討されることなく、1983~1984年の健康保険抜本改革論議の中で、なし崩し的に厚生省の「公式見解」となりました。例えば、『保険と年金の動向 昭和59年』(16頁)では、「今回の[健保法]改正に際して、『医療費の規模を中長期的には国民所得の伸び率程度にとどめ、国民所得に占める医療費の割合は現行水準程度とする』という政策目標を示した」と書かれ、翌年の『昭和60年版厚生白書』(73頁)でも、「国民医療費の伸びは国民所得の伸びの範囲内に抑えていくことが是非とも必要」とされました。
小泉政権時代に、医療分野への市場原理導入と医療費の厳しい抑制を執拗に提起した経済財政諮問会議は、小泉政権発足当初の2001年から2005年2月まで、医療費抑制の数値目標として「名目GDPの伸び率が妥当」と主張していましたが、厚生労働省等が強く反対したため、2005年4月の第9回会議からは、人口高齢化の影響を多少なりとも加味した「高齢化修正GDP」に変更しました(12)。これと比べると、吉村氏の提起した数値目標がいかに厳しいものであったかが分かります。
しかも、この数値目標は1980年代全体を通じて掲げられ、1980年代に人口高齢化が急速に進行したにもかかわらず、国民医療費の水準(対GNP比)は1980年の4.9%から1990年度の4.7%へとわずかながら低下しました。OECD(経済協力機構)の当時の加盟24か国中、1980年代に医療費水準が低下した国は、日本以外に2カ国(ルクセンブルグとスウェーデン)しかなく、しかも両国の医療費水準は日本よりずっと高かったのです(10:2頁)。
1980年代には日本はまだ中成長を続けており、医療費水準を引き上げ、OECD平均値にキャッチアップする客観的条件があったにもかかわらず、それはなされませんでした。その原因の一つは吉村氏が強引に導入した医療費抑制の数値目標がその後も厚生省を呪縛したことであり、それだけに吉村氏の「医療費亡国論」の罪は重いと思います。和田勝氏も、1982年度以降、麻生内閣まで続いてきたシーリング予算制度の下で、厚生(労働)省は悪戦苦闘し、それが「社会保障体制への国民不安を拡大させ、近年の医療崩壊を招くことにつながったといっても過言ではない」と率直に認めており、私も同じ意見です(6)。
おわりに
以上から、吉村氏が「医療費亡国論」の命名者・主導者であったこと、および氏がそれに基づいて提唱・導入した医療費抑制の厳しい数値目標がその後日本医療に大きな被害を与えたことは明らかです。
最後に公平のためにいえば、印南氏等は「医療費亡国論」そのものを支持しているわけではなく、逆に「医療費が増大することによって国の経済が危うくなるという論には根拠が乏しく、また何らかの理由で、国の経済が危うくなる事態が生じたとして、その主因に医療費の増大をあげることは論理の飛躍であろう」と正確・正当に主張しています(3)。
それだけに、医療政策に精通されているはずの印南氏等が、吉村氏が「医療費亡国論」を主導した歴史的事実をなぜ否定されるのか理解に苦しみます。幸田正孝氏の『オーラル・ヒストリー』は資料的価値が非常に高く、印南氏等の新著『生命と自由を守る医療政策』も野心的著作であるだけに、このような不正確な記述が含まれることが悔やまれます。
文献
- (1)吉村仁「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」『社会保険旬報』1424号:12-14頁,1983年。
- (2)幸田正孝・印南一路・中静未知・清水唯一郎『国民皆保険オーラル・ヒストリーⅠ 幸田正孝』医療経済研究機構,2011,107頁。
- (3)印南一路・堀真奈美・古城隆雄『生命と自由を守る医療政策』東洋経済新報社,2011,82-85頁。
- (4)二木立「医師数と医療費の関係を歴史的・実証的に考える」。『医療改革と財源選択』勁草書房,2009,166-167頁。
- (5)医療保険政策研究会「医療保険政策の構想-低成長下における医療保障のあり方(上)(下)」『健康保険』1983年4月号:18-36頁、同5月号:30-45頁。
- (6)鈴木寛・西村周三・和田勝・河北博文「(座談会)日本の医療の可能性-医療費亡国論再考」『病院』69巻4号:254-259,2010。
- (7)吉原健二・和田勝『日本医療保険制度史[増補改訂版]』東洋経済,2008,318頁。
- (8)吉村仁「医療費適正化対策に全力-今後の保険行政がめざすもの」『社会保険旬報』1408号:8-13頁,1982。
- (9)吉村仁「吉村保険局長説示」『週刊社会保障』1213号:11-12頁,1983。
- (10)二木立『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房,1994,47-48頁。
- (11)(時論)「長期懇の提言」『社会保険旬報』1403号:3頁,1982。
- (12)二木立『医療改革-危機から希望へ』勁草書房,2007,91-92頁。
[本稿は『日本医事新報』2011年10月15日号(4564号)に掲載した同名論文(ただし副題はなし)に大幅に加筆したものです。]
2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算71回.2011年分その8:6論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○[オランダにおける]基準年の健康と継時的入院費用の関係
(Wouterse B, et al: The relationship between baseline health and longitudinal costs of hospital use. Health Economics 20(8):985-1008,2011)[量的研究]
基準年(調査開始時)の健康とその後8年間の1年当たり入院費用(以下、入院費用)との関連を調査した。オランダの横断面健康調査データとオランダ全国病院登録から得られる情報を結合して、スリー・パート・モデルによる回帰分析を行った。健康の指標として、健康の自己評価、長期間の障害、ADL制限、持病(comorbidity)の有無を用いた。調査対象は調査開始時に50歳以上の成人に限定した。調査開始時に50~70歳だった人々では、基準年に健康だった人々と不健康であった人々との間の入院費用の差は大きく、しかも全期間継続した。しかし、調査開始時に70歳以上だった人々では、基準年に不健康だった人々の入院費用は急速に低下し、6~7年後には基準年に健康だった人々の入院費用を下回るようになった。これの主因は基準年に不健康であった人々の死亡率が高いことであった。この関係は4つの健康指標すべてで確認された。この結果は、健康改善により医療費抑制を目指すことは楽観的すぎ、医療費の将来予測を行う場合には、健康と死亡率の交互作用を考慮すべきことを示している。健やかに老いることは、医療費抑制のためというより、健康利得そのもののために重要なのである。
二木コメント-健康増進が必ずしも(累積)医療費を低下させないことは、従来いくつかのシミュレーション研究で示されてきましたが、継時的データを用いて実証したのは、この論文が世界初かもしれません。ただし、本論文では、各年齢の1年当たり入院医療費のみが示され、累積医療費は計算されていません。私がよく覚えているシミュレーション研究「禁煙の費用」では、禁煙プログラムの実施により、医療費は短期的には減少するが、喫煙を止めた人々の余命の延長とそれによる医療費増加のために、長期的には(15年後以降は)累積医療費は増加に転じるという結果が得られています(Barendregt JJ,et al: The health care costs of smoking. N Eng J Med 337:1052-1057,1997)。なお、私は、拙著『医療改革-危機から希望へ』(勁草書房,2007,31頁)等で、この研究をアメリカの研究と紹介しましたが、それは誤りで、本論文と同じくオランダの研究です。ただし、本論文ではこの研究はなぜか引用されていません。
○メディケアのための管理競争?オランダからの酔いを覚ます教訓
(Okma KGH, et al: Managed competition for Medicare?: Sobering Lessons from the Netherlands. The New England Journal of Medicine 365(4):287-289,2011)[評論]
アメリカの医療改革論争では、オランダで2006年に導入された医療保険改革(民間医療保険間の管理競争)に関心が寄せられている。この改革は、下院予算委員会のライアン委員長(共和党)がまとめたメディケア改革案(現行制度を廃止し、被保険者に医療保険購入の金券(バウチャー)を給付)と一見類似しているからである。しかし、オランダの医療保険改革後4年間の現実は以下の4点で、当初の期待とは異なっている。(1)民間医療保険間の競争は医療費増加率を抑制しなかった。改革後の医療費の年平均増加率は5%である。(2)かなりのオランダ国民が無保険のままである。改革後、公式の無保険者は24万人から15万人に減ったが、保険料の6か月以上の未納者は2010年に31.9万人に達している。保険会社はこれら未納者への保険給付を停止できる。未納者と無保険者を合わせると人口の3%に達する。(3)民間医療保険の選択の幅は拡大しなかった。2006年には国民の18%が加入する医療保険を変えたが、2007年には5%以下に急減し、その後その状態が続いている。しかも、変更した人々の80%が、自己の判断ではなく、雇用主の都合で変えていた。民間医療保険に対する不満も強く、最近の世論調査では65%がそれを信頼していないと回答した。(4)オランダの改革では言葉の上では競争が重視されたが、現実には、総予算制度(global budget)、医療価格と患者自己負担の規制等、たくさんの規制が維持されている。
二木コメント-この論文の結論は、改革後2年間の実績を評価した以下の論文の結論とほとんど同じです(「管理された競争と強制加入の皆保険の実験:新しいオランダの医療保険制度」(Rosenau PV, et al: An experiment with regulated competition and individual mandates for universal health care: The new Dutch health insurance system. Journal of Health Politics, Policy and Law 33(6):1031-1055,2008.本「ニューズレター」55号(2009年3月)で紹介)。日本でも一部ではオランダの医療保険改革が高く評価されていますが、それは夢・レトリックと現実を取り違えていると言えそうです。
○病院認証と入院医療への患者満足とに関連はあるか?[ドイツの]73病院で治療を受けた3万7000人の調査
(Sack C, et al: Is there an association between hospital accreditation and patient satisfaction with hospital care? A survey of 37000 patients treated by 73 hospitals. International Journal for Quality in Health Care 23(3):278-283,2011)[量的研究]
多くの国は、強制的または自発的な病院の認証を行っている。それが医療の質と患者満足を改善すると信じられているからである。本研究の目的は、患者満足と病院認証の有無との関連を評価することである。2007年1~5月に、ドイツ・ルール地方の73病院の328診療科を退院した患者78,508人を対象にして、退院後4週間時に郵送による質問紙調査を行い、有効回答が得られた36,777人(55%)の分析を行った。患者が自分が入院した病院への入院を他人に推薦する割合(以下、推薦率)をエンドポイントとして、単変量分析と多変量回帰分析を行った。病院認証として、ドイツでもっとも普及しているKTQとpCCを用いた(アメリカのJCAHOと類似)。多変量回帰分析では、性、年齢、病院病床数、教育病院で標準化を行った。全体では推薦率は66.3%であった。しかし、単変量分析でも、多変量回帰解析でも、推薦率は病院認証の有無とは関連していなかった。病院認証は総合的質マネジメントに向けてのステップかもしれないが、この結果は病院認証は患者自身が感じる医療の質とはリンクしていないことを示している。
二木コメント-この種の調査の多くはアメリカで行われているだけに、ドイツでの調査は貴重です。「推薦率」を患者が感じる医療の質の指標として用いたのはユニークと感じました。
○質改善は正当性危機に直面しているか?調査の質の低さと効果の少なさ
(Groene O: Does quality improvement face a legitimacy crisis? Poor quality studies, small effects. Journal of Health Services Research and Policy 16(3):131-132,2011)[評論(小文献レビュー)]
医療における質と安全を改善するための試みには長い歴史がある。組織認証、マネジメントシステム、診療ガイドライン等である。しかしそれにもかかわらず、低い質と安全の問題は無くならず、それを改善するための諸戦略の効果についての論争が続いている。イギリスの医療を対象にしたAngelowとBlackによるレビュー論文(2011年)では、12論文はいずれも横断面調査であり、医療アウトカムを評価したものはなかった。Grimshawらの診療ガイドライン導入についての235論文のレビュー(2006年)でも、大半の論文の質が低いことが示されている。Jamtvedtらの118論文のレビュー(2006年)でも、診療改善のための監査・フィードバックの効果は少ないことが示されている。(他の4論文の紹介は略)以上の文献レビューは網羅的ではないし、効果がないことも意味しないが、質改善のエビデンスがごく限られていること、および効果はあっても小さいことは明らかである。質改善研究を進める上での最大の問題は、ドナベディアンの構造・プロセス・アウトカムモデルを超える、質改善システムを構成する統合モデルが存在しないことである。質と安全の改善のためにどの程度の資源を投入すべきかについての判断が求められる。
二木コメント-医療の質・安全改善の努力に「水を差す」評論とも言えますが、著者の主張の根拠となる文献が明示されており、この分野の研究者必読と思います。著者はスペイン・バルセロナの大学の研究者です。
○[デンマークにおける]脳卒中ユニットでの医療の質と患者アウトカム[との関連]-診療科の違いは重要か?
(Svendsen ML, et al: Quality of care and patient outcome in stroke units - Is medical specialty of importance? Medical Care 49(8):693-700,2011)[量的研究]
専門の脳卒中ユニットが脳卒中患者のアウトカムを改善することはすでに実証されている。しかし、脳卒中ユニットが神経内科病棟とそれ以外の病棟(内科、老年科等)のいずれに置かれるべきかについてはまだ明らかにされていない。そこで、2003-2008年にデンマークの全急性期病院の脳卒中ユニットに入院した18歳以上の急性期脳卒中患者45,521人を対象として、追跡調査を行った。患者の重症度は、スカンジナビア脳卒中スケール、Carlson併発症指数等で評価した。医療の質は根拠に基づく急性期脳卒中医療を受けたか否かで評価し、アウトカムは発症後30日および1年後の死亡率、在院日数、退院30日以内の再入院で評価した。比較は、患者と病院の特性を調整した上で行った。神経内科病棟内の脳卒中ユニットでは、それ以外の病棟よりも、早期の抗凝固剤療法、CTまたはMRIの実施率が有意に高かった。しかし他の医療の質とアウトカムについては差はなかった。中等度の併発症を有する患者では、神経内科病棟内の脳卒中ユニットに入院した患者の方が1年後死亡率が有意に高かったが、併発症の重症度で層別化すると有意な差はなかった。
二木コメント-脳卒中ユニットが神経内科病棟にあるか他病棟にあるかで、診療内容の一部には差があるが、死亡率等にのアウトカムに有意な差はないという結果は、かつてリハビリテーション専門医だった私からみると当然と思えます。
○特集:[アメリカの]医療改革についての評論集
(Special issue: Critical essays on health care reform. Journal of Health Politics, Policy and Law 36(3):367-633,2011)[論文集]
オバマ政権の2010年医療改革(「患者保護・医療費負担適正化法(The Patient Protection and Affordable Care Act (ACA)」についての大特集で、35論文が収録されています(序文を除く。全267頁)。以下の8部構成です:第1部「改革の政治的重要性」、第2部「改革の政治的理解」、第3部「費用抑制と規制政策の政治学」、第4部「重要事項(substantive issues)の批判的検討」、第5部「既存プログラムへの影響」、第6部「批判的比較」、第7部「更なる改革の必要性」、第8部「今後の政治」。オバマ政権の医療改革についての現時点での最も包括的な分析であり、アメリカ医療の研究者必読だと思います。
3.私の好きな名言・警句の紹介(その83)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 蓮実重彦(フランス文学者、元東京大学総長。本書出版時65歳)「…『とは何か』という問いを口にすることは、老年に達してもなおわたくしにはできない。そう強く感じました。哲学者ではないわたくしにできるのは、『これは何々である』あるいは『あれも何々である』という列挙に近い指摘につきております。言い換えれば、本質を迂回しながら、『とは何か』ではなく、『これは何々であり』また『あれも何々である』ということだけが、わたくしにできることではないかと思ったのです。/(中略)わたくしはそのように考えました。それは、たんにわたくしの資質や性格によるのではなく、まわりを見回してみると、何かにつけて『とは何か』という原理的な問いを立てたがる人に、ろくな人間がいたためしがないからです。/実際、そうした問いのほとんどは、歴史に背を向けた抽象論にゆきつくばかりです」(『私が大学について知っている二、三の事柄』東京大学出版会,2001,204-205頁。吉見利弥『大学とは何か』(岩波新書,2011)の「あとがき」で紹介。ただし、吉見氏は「それにもかかわらず」、敢えて「大学とは何か」を問うた)。二木コメント-私も以前から「原理的な問い」を立てることはしない&できないと自覚していましたが、今までそれは「わたくしの資質や性格」(私流に言えば「趣味の違い」)によると思っていました。それだけに、蓮實氏の「原理的な問いを立てたがる人に、ろくな人間がいたためしがない」という断言は痛快です。なお、『大学とは何か』は、世界と日本の超一流大学の「歴史的変容」を「100年、200年単位の射程で考え」ており、たいへん示唆に富む本ですが、<大学=東京大学等の超一流大学>という発想はあまりに尊大であり、(東京大学教授という)「存在が意識を規定する」と感じました。
- 北野大(明治大学教授。東京都立大学で工学博士号取得、指導教授は荒木峻先生)「[荒木先生に]博士号をもらう時に言われた言葉も忘れられません。『北野君、間違えちゃいけないぞ。これは君の5年間の仕事が博士に相当するから出すんじゃない。将来、相当する研究をしてくれる期待感で出しているんだ』。/先生は今も90歳代半ばでお元気です。博士号はゴールじゃなくてスタート。僕は今、同じ言葉を毎年、うちの学生に贈っています」(「読売新聞」2011年9月21日朝刊「私の先生 自立できる研究者養う」)。二木コメント-「期待感で出す」は言葉の綾と思いますが、「博士号はゴールじゃなくてスタート」は、現在の博士課程の位置づけを正確に表現しています(「博士課程は、研究者として自立して研究活動を行うに足る…学識を養う課程である」。中央教育審議会答申「新時代の大学院教育」2005年9月)。私も毎年、大学院の卒業式の挨拶で、この答申を踏まえて、博士号取得は「自立した研究者」としてのスタートラインに立ったと認定されただけであり、大学院修了後も勉強と研究を続けないと、せっかく在学中に身につけた研究能力がドンドン低下してしまうと警告しています。逆に、博士号取得を目指す大学院生や若手教員には、リラックスして、しかしコツコツとそれに挑戦するよう指導・助言しています。
- 梯久美子(ノンフィクション作家)「スポーツ選手がよく『集中しつつリラックスしている』状態が大切だと言うが、インタビューでそうした状態を作るためには、取材相手とひとつの繭の中にはいることをイメージするのが効果的なのだ」(「日本経済新聞」2011年9月18日朝刊「インタビューの極意」。「繭」とは「周囲と完全に遮断するのではなく、やわらかく隔てる薄い膜。半透明のカプセルといってもいい」)。
- 小熊英二(慶應義塾大学教授、歴史社会学)「東日本大震災を『日本の危機』『第2の敗戦』などという論者に限って、『危機』を枕詞に従来の主張を繰り返す。震災をネタに、自分の依拠する利害構造を増幅して主張しているだけに見える」(「毎日新聞」2011年9月28日朝刊。鈴木英生(東京学芸部記者)「記者の目 東日本大震災後の論壇 」で、2011年5月初めに東京・一橋大学で開かれた公開講座で、小熊氏が「こんな趣旨の発言」をしたと紹介。正確な発言は、赤坂憲雄・小熊英二・山内明美『「東北」再生』イースト・プレス,2011,19頁)。二木コメント-これを読んで、東日本大震災直後に、「災後政治」を理由にして、「規制の法的シバリからの解放を行わねばならない」と主張した御厨貴氏を、真っ先に連想しました(「『災後政治』の時代」「読売新聞」2011年3月24日朝刊)。
<東日本大震災・福島第一原発事故(支援)についての心に響く名言>
- 浅尾拓也(プロ野球・中日ドラゴンズの2年連続リーグ優勝を支えた中継ぎエース。2007年日本福祉大学卒業)「[東日本大震災後は]野球をやっていていいのか、もどかしい時期もあったが、全力のプレーを見せるのが自分たちの仕事」(「中日新聞」2011年10月12日朝刊「被災地への思い胸に」)。
- 大和田新(ラジオ福島編集局長。東日本大震災直後から12時間、アナウンサーとして話し続けた)「[東日本大震災・原発災害への]最高の支援は忘れないことです」(「中日新聞」2011年10月8日朝刊、榎本衆「編集局デスク」で紹介)。
- 田中弥生(言論NPO理事)「本書の執筆も終盤にかかった時、東日本大震災が起きた。被災地の映像を前に救援活動の技術も専門知識も持たず、何もできない、非力な自分を悔やんだ。そのとき、阪神・淡路大震災を経験した知人が『記録をすること、適切な議論を伝えることも重要だよ』と助言をしてくれた。/その言葉を胸に、書きかけていた本著に可能な限り、被災地で起こる市民やNPOの動向を記すことを決めた」(『市民社会政策論-3・11後の政府・NPO・ボランティアを考えるために』明石書店,2011,373頁(「おわりに」冒頭))。
- 池澤夏樹(作家)「震災と津波はただただ無差別の受難でしかない。その負担をいかに広く薄く公平に分配するか、それを実行するのが生き残った者の責務である。亡くなった人たちを中心に据えて考えれば、我々がたまたま生き残った者でしかないことは明らかだ」(『春を恨んだりはしない-震災をめぐって考えたこと』中央公論新社,2011,108頁)。
- 河合弘史(弁護士、中部電力浜岡原発訴訟の原告弁護団長)「もう私たちは『オオカミ少年』ではない」(「毎日新聞」2011年9月20日朝刊「この国と原発(4)第2部司法の限界」。東日本大震災・福島第一原発事故後、高等裁判所の態度が一変し、裁判長が「安全性が立証できなければ(原発は)止めるということが当たり前と発言したことなどを評して)。
- 大江健三郎(作家)「恩師・渡辺一夫先生の文章の『狂気』を『原子力エネルギー』に変えると次のようにいえると思います。『原子エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないという人びともおられます。それはウソであります。原子力エネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います』」(「しんぶん赤旗日曜版」2011年9月25日。6万人が集った9月19日「さようなら原発5万人集会」でのあいさつ。全文は『世界』2011年11月号,62頁)。二木コメント-渡辺一夫氏「狂気について」の該当個所(結論部分)は以下の通りです。
- 渡辺一夫(フランス中世文学研究の泰斗)「狂気なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々もおられます。私は、そうは思いません。『狂気』によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲とを伴います。真に偉大な事業は、『狂気』に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです。やかましく言われるヒューマニズムというものの心核には、こうした自覚があるはずだと申したいのであります。容易に陥りやすい『狂気』を避けねばなりませんし、他人を『狂気』に導くようなことも避けねばなりませぬ。平和は苦しく戦乱は楽であることを心得て、苦しい平和を選ぶべきでしょう。冷静と反省とが、行動の準則とならねばならぬわけです。そして、冷静と反省とは、非行動とは同一ではありませぬ。最も人間的な行動の動因となるべきものです。ただし、錯誤せぬとは限りません。しかし、常に『病患』を己の自然の姿と考えて、進むべきでしょう」(大江健三郎・清水徹編『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二編』岩波文庫,1993,131-132頁。この評論の初出は1948年)。
<その他>
- イチロー(アメリカ大リーグ・シアトリマリナーズ外野手。11年連続の2000安打達成ならず)「[苦しい時期を]支えたのは、元気な体じゃないですか。心はポキッと折れたことがありますけど、体はとにかく元気だったから、それに支えられた。普通は、体がしんどくなってくるから、それを心が支えるという順番が多いが、全く反対だった。折れた心を体で支えていたという特殊な現象があった」(「朝日新聞」2011年9月30日朝刊「記者団と一問一答」)。
- 劇団ひとり(タレント)「こう見えて落ち込みやすい性格である。そんな僕が数年前から実践しているのが『ガッツポーズ健康法』というもの。方法は至って簡単。落ち込んだから、とにかくガッツポーズ。なにも喜ばしいことがなくたっていいから満面の笑みを作り、渾身の力で天を突き割るかの如く『やった!』とガッツポーズ。すると不思議なもんで一瞬元気が出る」(「読売新聞」2011年9月18日朝刊「ビタミンBook」)。
- アラン(フランスの哲学者)「気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。判断力ではどうにもならない。そうではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。(中略)ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段である。こんな実に簡単な運動によってたちまち内蔵の血液循環が変わることを知るがよい」、「不安になやまされている時は、理屈でもって考えようとするのはやめたまえ。なぜなら、自分の理屈で自分自身の方が責め立てられることになるから。それよりもむしろ、今ではどこの学校でも教えているあの腕を上下に伸ばしたり左右にまわしたりする体操をやってみたまえ。その効果におどろくだろう」(神谷幹夫訳『幸福論』岩波文庫,1977,49,64-65頁。劇団ひとりが、上掲エッセーで『漫画で読破 幸福論』を引用)。