『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻55号)』(転載)
二木立
発行日2009年03月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.論文:オバマ新大統領の就任演説を読む(「日経メディカルオンライン」2009年2月2日。『文化連情報』2009年3月号(369号):10-12頁に転載))
- 2.書評:『米国医療崩壊の構図』(『週刊社会保障』2009年2月23日号(2519号):36頁)
- 3.重度障害者の在宅ケア費用は施設ケア費用よりも高いことに言及した拙著一覧
- 4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算43回.2008年分その11:8論文)
- 5.私の好きな名言・警句の紹介(その51)-最近知った名言・警句
- 補. 論文「医療改革と財源選択」(『保健医療社会学論集』19(2):33-42,2009.2.15)(PDF)
…昨年発表した3つの論文((1)「医療改革-希望の芽の拡大と財源選択」(本「ニューズレター」45号)、(2)「医療費の財源選択についての私の考えの変化」(同47号)、(3)「医療・社会保障政策の部分的見直しが始まった」(同48号))を統合して、2008年8月に執筆した論文です。
1.論文:オバマ新大統領の就任演説を読む
(「日経メディカルオンライン」2009年2月2日。『文化連情報』2009年3月号(369号):10-12頁に転載)
バラク・フセイン・オバマ氏は1月20日、アメリカの第44代大統領に就任し、クリントン政権以来8年ぶりに民主党政権が復活しました。オバマ新大統領の就任演説は、大統領選挙中に連発した「変革(change)」をほとんど封印し、アメリカが抱える未曾有の危機を直視した悲壮感漂うものでしたが、ブッシュ前政権の軍事・外交政策と経済政策からの転換を明確に宣言したものでもありました。
本稿では、オバマ氏の大統領就任演説と同氏が大統領就任前後に発表した2つの文書を、医療制度改革に焦点をあてながら検討し、オバマ政権の下でも国民皆保険制度が実現する可能性はほとんどないことを示します。
国民皆保険制度には触れず、医療費抑制に焦点
オバマ大統領は、20分弱の就任演説の中で、医療(ヘルスケア)について「2回半」言及しました。まず、演説の最初の部分でアメリカが「危機のさ中にある」と述べ、「危機の指標」として、戦争、経済、住宅、雇用の次に、「医療費は高すぎる」(our health care is too costly)と述べました。
次に、「アメリカを再生する仕事」について述べたときに、雇用の創出、経済成長の新たな基盤を築くためのインフラ整備に続いて、「技術の驚異的な力を用いて、医療の質を高め費用を下げる」と述べました。それに続いて、小さな政府を否定した(後述)直後に、「各家庭がまっとうな賃金の仕事を見つけたり、支払い可能なケアを購入できる…よう、政府は援助する」と述べました。ここでは「ヘルスケア」ではなく「ケア」という用語を用いているため、0.5回とカウントしました。ケアを「医療・福祉」と訳している新聞もありますが、演説全体の文脈から、「医療」または「医療保険」と理解すべきと思います。
以上から分かることは2つあります。1つはオバマ大統領が、国民皆保険制度の創設を政策課題には掲げていないこと、もう1つは大統領がアメリカ医療の危機を医療費の高騰と理解していることです。
このようなスタンスは、オバマ氏が大統領就任直前の1月上旬に発表した「アメリカの回復と再投資計画」でも、1月24日の大統領就任後初めての公式演説でも一貫しています。前者では、5年以内に全カルテを電子化し、それにより「医療費のムダを削減し、お役所的形式主義を駆逐し、高価な検査の繰り返しを減らす」と述べています。これは、大統領選挙期間中に発表した医療政策の繰り返しですが、私の知る限り、電子カルテによりマクロの医療費を抑制できるとの実証研究はありません。1月24日の演説では、それに加えて、「800万人以上の医療保険を守る」と、一歩踏み込んで述べていますが、これは医療保険給付の対象拡大策ではなく、雇用創出と失業対策(失業者への医療給付継続)です。
この点では、クリントン大統領が、大統領選挙期間中から、政権発足後100日以内の国民皆保険制度創設を公約し、大統領就任前の1992年12月にそれの骨格を発表し、大統領就任直後の1993年1月21日には、ヒラリー夫人を特別プロジェクトチームの責任者に任命したことと対照的です。ただし、クリントン大統領も、1993年の就任演説では、国民皆保険制度の創設には言及せず、「医療費の負担が家族にのしかかり、多くの大企業、中小企業を破綻させようとしている」と述べるにとどまっていました。この点では、医療費の高騰を「危機の指標」としたオバマ大統領と共通しています。
日本では、アメリカの抱える最大の医療問題は4700万人に達する無保険者であると理解されていますが、両大統領の就任演説は、アメリカの一般的認識がこれとは相当異なることを示しています。
日本の医療関係者やジャーナリストのなかには、オバマ大統領が大統領選挙期間中に国民皆保険制度の創設を公約したと思っている方が少なくありませんが、それは誤解です(拙論「オバマ・アメリカ次期大統領の医療制度改革案を読む」『文化連情報』2008年12月号)。しかも、就任演説等により、オバマ政権では国民皆保険制度の創設は当面の政策課題に含まれないことが確定したと言えます。
ただし、対象を子どもに限定した医療保険制度の拡充(あるいは子ども皆保険制度)は、オバマ大統領の選挙公約であり、しかも共和党議員の賛同も得られやすいため、経済対策が一段落した後に、提案され、成立する可能性もあると私は判断しています。
大恐慌が再来したら、国民皆保険制度が実現する可能性
オバマ大統領の就任演説からは離れますが、私は、オバマ政権で国民皆保険制度が実現するごく小さな可能性が1つだけあると思っています。それは、オバマ大統領の果敢な経済対策にもかかわらず、アメリカ経済が1929年大恐慌並みの深刻な恐慌に陥り、民間企業・民間保険主導の医療保険制度が崩壊した場合です。この時には、ルーズヴェルト大統領が1929年大恐慌からの脱出を大義名分として社会保障法(ただし中心は所得保障)を成立させたのと同じように、オバマ政権が政府主導の国民皆保険制度の導入に成功する可能性がないとはいえません。
ただし、これは私独自の見解ではなく、フュックス教授(アメリカの高名な医療経済学者)の持論の「受け売り」です。フュックス教授は、1990年代前半から、アメリカで「長期的には、国民皆保険は実現不能とは言えない」が、それが実現するのは、「政治的環境が激変しているとき」であり、具体的には「戦争、不況、あるいは大規模な社会不安に伴って生じる」と予測していました(江見康一・二木立・権丈善一訳『保健医療政策の将来』勁草書房、1995、261頁)。
フュックス教授は2007年(つまり経済危機発生前)に発表した論説でも、「2008年の大統領選挙で民主党と共和党のいずれが勝利した場合にも、新政権は外交政策で手一杯であろう」と悲観的な見通しを述べつつ、「ただし、重大な経済的、政治的、社会的、公衆衛生的危機が生じれば、改革の可能性は劇的に高まるであろう」とも指摘しています(Fuchs VR: What are the prospects for enduring comprehensive health care reform? Health Affairs 26(6):1542-1544,2007)。
小さな政府を否定し、無宗教者にも言及
オバマ大統領の就任演説で、医療に言及した部分以外に、私が注目した個所は2つあります。
1つは、「アメリカを再生する仕事」について述べたときに、「私たちが今日問わなくてならないことは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、それが機能するかどうかだ」と明言し、さらに「市場の力は比類なきものだ。しかし、今回の(経済)危機は、市場は注意深い監視がなされなければ、制御不能になるおそれがあることを、私たちに思い起こさせた」と述べたことです。この部分については、オバマ大統領が大きな政府と小さな政府、市場と規制の「二者択一を拒絶」したとの理解が少なくありません。
しかし、1981年に発足したレーガン共和党政権以来、クリントン民主党政権時代を含めて、28年間も「小さな政府」・市場(原理)主義が推進されてきたことを考えると、それは皮相な理解であり、この発言は「小さな政府」・市場(原理)主義を明確に否定する一方、アメリカが直面する危機から脱出するためには「大きな政府」・規制強化の選択もありうることを示唆したものと理解すべきです。
ちなみに、クリントン大統領は、国民皆保険制度創設に頓挫した後の1996年1月の一般教書演説で、「大きな政府の時代は終わった」、「現代は均衡財政と小さな政府の時代だ」と繰り返し、前年の中間選挙で議会多数派となった共和党にすり寄っていました。それに対して、オバマ大統領は、先述した「アメリカの回復と再投資計画」で、「政府のみがアメリカの不況が深く重大になることを防ぐ刺激策をとることができる」として、財政赤字が増えても政府支出を大幅に増額すると明言しました。
アメリカの代表的保守派政治学者であり、本来はオバマ政権を批判する立場にあるフランシス・フクシマ教授も、オバマ政権が、「レーガン時代以来の多くの理念の明らかな失敗」を再編・廃棄する「新しい時代」の始まりになる可能性があると指摘しています(Fukuyama F: A new era. the American Interest Vol.4,No.3,2009)。
もう1つ私が注目したことは、アメリカの「多様性という遺産は、強みであり、弱点ではない」ことを強調したときに、「私たちの国は、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無宗教者(non-believers)からなる国だ」と述べたことです。
私が調べた範囲では、少なくとも、第二次大戦後の大統領の就任演説で、無宗教者という言葉が用いられたのはこれが初めてです。
「宗教国家」とも言われるアメリカで、無宗教者(無神論者)が忌み嫌われていることを考えると、これは極めて勇気ある発言と言えます。例えば、2007年に大統領選挙に関して行われた全国世論調査では、たとえ資質の高い大統領候補者であっても無神論者(神を信じない人)には投票しないという回答が61%に達し、イスラム教徒や同性愛の候補者に対する拒否率よりはるかに高かったのです(それぞれ45%、43%)。
オバマ大統領の無宗教者への言及を、今回の大統領選挙で歴代の共和党政権を支えてきたキリスト教右派(保守的福音派)の退潮が鮮明になったことと重ね合わせると、今後オバマ政権の下で、アメリカの宗教面での非寛容が多少は和らぐ可能性があると思います。
2.書評:レジナ・E・ヘルツリンガー著、岡部陽二監訳、竹田悦子訳『米国医療崩壊の構図-ジャック・モーガンを殺したのは誰か?』一灯社,2009,\2200(『米国医療崩壊の構図』(『週刊社会保障』2009年2月23日号(2519号):36頁)
本書は全4部11章で構成される。第1・2部はアメリカ医療の告発編、第3・4部はアメリカ医療の改革編と言える。
告発編の構成は『オリエント急行殺人事件』ばりの推理小説仕立てである。第1章で、医療保険(HMO)に加入していたにもかかわらず腎移植手術を受けられずに死亡した仮想的患者ジャック・モーガンの悲劇が示され、第2~6章でその犯人(「殺人者」)探しが行なわれる。犯人は、医療保険会社、総合病院、雇用主企業、米国議会、専門家集団であり、彼らは共犯関係にあるとされる。
まず、医療保険会社に関しては、「高品質で効率のよい医療を患者に提供する」ことを目指して生まれたマネジドケア運動が、最悪のビジネスに転換したことが批判される。以下、「医療の質が低く、医療費が高い」総合病院、従業員から医療保険の選択肢を奪う雇用主企業、無用な規制を導入した米国議会が批判される。日本でも最近注目されている「成果支払い」も新たな規制と批判される。5番目に批判されるのは専門家集団であるが、批判の対象は医師ではなく、医療公共政策を分析・提言するエリートの専門家集団である。
第3・4部改革編では、まず第7章で、「消費者が動かす医療サービス市場」(著者の造語)の仕組みが紹介される。これは、消費者が革新的医師・専門病院と協働して、治療法を自己選択するシステムであり、低所得者には補助金を支給するなどして、全国民に、免責額は高いが保険料は安い医療保険の購入を義務づけ、節約した医療費は個人医療貯蓄口座に貯めておくものである。これにより、患者は「同じ価格で最高の価値を提供してくれる医療機関と契約する」ことになり、医療費を抑制しつつ、医療の質を高めることが可能になるとされる。第8~11章は、改革の各論であり、諸外国や他産業からの教訓、これを実現するためのアメとムチ、法律と政府(連邦・州)の役割が示される。
本書は、二重の意味でユニークなアメリカ医療改革論である。1つは、市場主義の立場から、アメリカ医療を崩壊させた者を激しく告発していることである。従来、既存の医療制度への「全面攻撃」は左派のものと相場が決まっていた。もう1つは、市場主義の立場から、「消費者が動かす医療サービス市場」の実現により国民皆保険を達成することを主張していることである。従来、市場主義者は国民皆保険制度に頑強に抵抗していた。
ただし、著者の主張には疑問もある。1つは、昨年勃発した世界金融危機により、市場原理の限界が誰の目にも明らかになっているにもかかわらず、規制のない市場を礼賛していること。もう1つは、医療の質の向上と医療費抑制の両立は不可能であるという医療経済学の膨大な実証研究を無視して、小売業等の限られた経験に基づいて、それが可能だと主張していることである。
3.重度障害者の在宅ケア費用は施設ケア費用よりも高いことに言及した拙著一覧(2月22日の第5回かながわ地域リハビリテーションフォーラム・講演「リハビリテーション医療制度の課題と提言」で配布した「添付資料3」)
○『医療経済学』(医学書院,1985):第3章Ⅱ「医療の質を落とさない医療費削減」で「脳卒中医療・リハビリテーションの施設間連携の経済的効果の試算」(シミュレーション)を行い、自宅退院患者の医療費に「生活費・介護手当の加算」を行った「『社会全体としての資源の利用』という枠組みでみる限り、重度患者[全介助患者]の在宅費用は、施設入所に比べて決して安くはない」ことを示した(77-92頁。元論文は『病院』42:37-42,1983)。
○『リハビリテーション医療の社会経済学』(勁草書房,1988):Ⅰ-5「障害老人の在宅ケア-条件と費用効果分析」で、「欧米諸国での費用効果分析の結果を紹介して、「障害老人の在宅ケアは費用を節減しない」ことを示すとともに、その理由を説明し、最後に今後求められるのは「在宅ケアと施設ケア両方の充実」であると主張した(98-120頁)。
○『90年代の医療』(勁草書房,1990):Ⅱ-3「在宅ケアの問題点を探る」で、私が指導した日本福祉大学大学院生吉浦輪君の修士論文中の「寝たきり老人の在宅ケアのADL自立度別社会的総費用」データを紹介して、完全寝たきり群の社会的総費用は老人病院費用や特養費用を上回ることを示した(123-137頁)。
○『複眼でみる90年代の医療』(勁草書房,1991):3章「90年代の医療供給制度」の中で、在宅介護の大半を「外部化」した事例の金銭費用調査に基づいて、「在宅ケアは施設ケアに比べて安価ではない」ことを示すとともに、ある精神障害者団体が行ったシミュレーション調査に基づいて、精神病院に長期間入院している精神障害者を病院から退院させ、地域ケアに切り換えた場合には、入院時よりもはるかに多額の公的費用がかかることを示した(122-126頁)。
○『90年代の医療と診療報酬』(勁草書房,1992):Ⅱ-5「90年代の在宅ケアを考える」の「在宅ケアの医療費節減効果をめぐる論争の決算」で、予防接種ワクチン禍訴訟の原告(重度の脳障害児)の生活時間調査に基づいて、障害児が家族の手厚い介護により「寝かせきり」の生活を脱してより高いQOLを享受するためには、「寝かせきり」の介護より、はるかにコスト(介護時間・金銭的出費)がかかることを示した(134-140頁)。
○『日本の医療費』(医学書院,1995):第4章「医療効率と費用効果分析」で、「欧米諸国の地域ケアの費用効果分析の概要」を詳しく紹介し、「驚くべきことに、費用に家族の介護費用を含めず、公的医療費・福祉費に狭く限定した場合にさえ、地域ケアのほうが費用を増加させるとする報告が多い」ことを示した(173-197頁)。
○『21世紀初頭の医療と介護』(勁草書房,2001):第Ⅲ章「わが国の高齢者ケア費用-神話と真実」の5で、わが国の実証研究データ(国民健康保険調査会、広島県御調町)を紹介して、「在宅ケアを拡充すれば施設ケアは減らせる、わけではない」ことを示した。最後に、「わが国の地域包括ケア最先進地域で、いわば介護保険を先取りした高水準の在宅ケアを提供している…御調町の経験は、今後わが国で介護保険制度により在宅ケアを大幅に拡充しても、施設ケアを減らすことはできないことを暗示している」と指摘(192-197頁)。
4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算43回.2008年分その11:8論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○アメリカの医療制度のムダ:概念的分析枠組み(Bentley TGK, et al: Waste in the U.S. health care system: A conceptual framework. Milbank Quarterly 86(4):629-659,2008)[理論研究]
アメリカの医療費は他の先進国よりはるかに高い。医療(費)のムダは、それを減らせば和らげられるような望ましくない結果をもたらしている。本研究は医療のムダの概念的分析枠組みを提示し、研究者と政策担当者がムダを評価し、ムダの削減戦略を実行し、不必要な医療費の重荷を軽減する際の一助としたい。
本研究ではまず、医療のムダを行政上の(administrative)ムダ、個々の医療機関の管理運営上の(operational)ムダ、臨床上の(clinical)ムダに三分して、それぞれを概観することにより、研究者が各レベルのムダを定量化し、それの削減に取り組めるようにする。ムダは、医療保険や医療の不確実性等の要因によって生じる。ムダを減らす努力は、初期投資の費用が高額であること、意図せざる行政機構の複雑さ、および患者・支払い者・医療提供者の利益のトレードオフ(二律背反)といった困難に直面する。ムダを減らす戦略を成功させるためには、医療の行政、管理運営、臨床を統合すること、およびゴールを明確にし、制度のインセンティブを変え、個別のプロセスを改善する必要がある。
二木コメント-タイトルに惹かれて読んだのですが、なんとも思弁的な論文です。ただし、簡単な国際比較も行われています。
○[アメリカとイギリスにおける医療]購入者の医療の質に応じた支払いプログラムの評価からの教訓:根拠のレビュー(Christianson JB, et al: Lessons from evaluations of purchaser pay-for-performance program - A review of the evidence. Medical Care Research and Review 65(6, supplement):5S-35S,2008)[文献レビュー]
経済的誘因を用いて医療の質の改善を促進することに対する関心が高まっている。特定の誘因を含むプログラムの影響をレビューした論文はいくつかあるが、それらが検討したのは小規模な実験であり、その結論を一般化することはできない。本研究では、医師を対象にした医療の質に応じた支払いプログラムで、医療保険または医療保険と共同した医療提供組織が現実に導入し、その結果が査読付きの雑誌に比較的最近掲載された10論文のレビューを行った(イギリスの1論文以外はアメリカの研究。9論文は2003~2007年の発表。非ランダム化試験も含む)。その結果、ほとんどのプログラムでは、選択された医療の質の尺度は改善していたが、経済的誘因がその改善にどれほど寄与しているかは明確でなかった。なぜなら、経済的誘因は他の医療の質改善の方策と一緒に導入されることが多く、しかも明確な対照群が設定されていないからである。ただしこれら文献は、医療の質に応じた支払いプログラムの設計と実施を改善するための重要な事項を明らかにしてもいる。
二木コメント-医療の質に応じた支払いプログラムの経済的効果についての最新の文献レビューです。なお、Medical Care Research and Review 65巻6号(supplement)は「誘因と情報による経済変容」の特集号で、本論文以外に、個人の健康行動に対する経済的誘因についての文献レビューと、意思決定支援ガイド(decision aids)の効果についての文献レビューが掲載されています。
○先駆的な[医療の]質に応じた支払い:[アメリカの]結果に報酬を支払うモデル事業の教訓 (Young GJ, et al: Pioneering pay-for-quality: Lessons from the rewarding results demonstrations. Health Care Financing Review 29(1):59-69,2007[実際の発行は2008年末])[文献レビュー]
アメリカの7つの先駆的な医療の質に応じた支払い(以下、P4Q)運動を、P4Q推進者側の課題という視点から検討したところ、以下の6つの教訓が得られた。(1)P4Qは医療供給側の質のゴールの優先順位を設定できる。(2)医療供給側をP4Qに積極的に参加させるのは困難である。(3)P4Qはデータの正確性と信頼性に対する関心を高める。(4)P4Qは全人口対象の情報技術・インフラに対するニーズを高める。(5)質インフラに対する投資を促進することと個人に対するインセンティブの力を弱めることとの間にはトレードオフが存在する。(6)正の投資利益(a positive return on investment)を証明することは大きな課題である[投資にみあった利益を得るのは困難である]。
二木コメント-上記論文と相補的であり、ポイントは(6)と思います。この論文ではなぜか、pay-for-performanceではなく、pay-for-qualityという用語が用いられています。なお、Health Care Financing Review 29(1)は、Pay-for-Performanceを特集しており、本論文を含めて6論文が掲載しています。
○[心筋梗塞後]冠動脈性心疾患患者に対する疾病管理プログラム-ドイツのプログラムの実証研究(Gapp O, et al: Disease management programmes for patients with coronary heart disease - An empirical study of German programmes. Health Policy 88(2-3):176-185,2008)[量的研究]
ドイツでは、2001年から、全国レベルで、社会保険加入者を対象にして、心筋梗塞を発症した冠動脈性心疾患患者を対象にして、根拠に基づいた疾病管理プログラムが導入され、非薬物療法(禁煙・栄養・運動についての医師のカウンセリング)、ランダム化試験で効果が証明された薬物の処方、および冠動脈造影が行われている。
1985~2004年に心筋梗塞を発症し、2006年現在生存し、しかも社会保険に加入していた患者を3867人に郵送調査を実施し、回答した2360人を対象にした。そのうち665人(28.3%)が疾病管理プログラムに参加していた。疾病管理プログラム参加群(以下、参加群)は、非参加群に比べて、有意に、平均年齢が低く、糖尿病合併率が高く、心筋拘束後発症後平均年限が短かった(それぞれ7.8年、8.8年)。このように疾病プログラム参加には選択バイアスが存在するため、この点を傾向スコア(propensity score )プロペンシティ指数で調整した上で、参加群と非参加群の比較を行った。その結果、参加群は、カウンセリングを受けている率、スタチンとβブロッカー処方率が高かった。しかし、アウトカムに関しては、QOLについても、BMI(肥満度判定の算出に使われる体格指数)についても、両群で有意差はなく、参加群で喫煙率がわずかに低いだけであった。疾病管理プログラム開始後2年では、有意な健康増進効果は得られなかった。
二木コメント-本研究は郵送調査に基づいているため、両群の医療費の比較は行われていません。しかし、疾病管理プログラムでは通常治療にプログラム費用が加わり、しかも健康増進による医療費削減もないことから、参加群の方が総費用(医療費+プログラム費用)が高いのは確実です。
○[アメリカでは]医師の多い州ほど医療の質は高い(Cooper RA: States with more physicians have better-quality health care. Health Affairs web exclusive w91-w102,2008)[量的研究]
悪化する医師不足に対応した医師労働力拡大政策が始まり、医師の価値に対する関心が高まっている。専門医の多い州は医療の質が低い反面、家庭医の多い州の医療の質は高いと広く信じられているが、これは神話である。医療の質(Commonwealth Fundが作成した、高パフォーマンス医療制度についての州別ランキング)は、専門医と家庭医を合計した医師総数(人口10万対)が多い州ほど高い。医療へのアクセスは、専門医か否かではなく、医師総数の供給に依存するからである。人口密度、1人当たり所得、地域的要因のすべてがこの関係に影響するが、基本的結果は変わらない。
二木コメント-テーマは魅力的なのですが、医療の質の指標があいまいで、しかも分析方法はきわめて単純(2変数の相関図ばかり)なため、結論は参考程度にとどめた方が良いと思います。
○なぜ非緊急患者はプライマリ医療より救急医療を選ぶのか?[イタリアでの]実証的根拠とマネジメント面での含意(Lega F, et al: Why non-urgent patients choose emergency over primary care services? Empirical evidence and manegerial implications. Health Policy 88(2-3):326-338,2008)[量的研究]
イタリアでは、非緊急患者の救急外来受診が重大な問題になっている。そこで、非緊急患者がプライマリ医療よりも救急医療を選ぶ構造的・心理的要因を明らかにすることを目的にして本研究を実施した。対象は、2006年12月~2007年2月に、Macerata州立総合病院の救急外来を受診したが非緊急患者と判定された患者と同州の一般医診療所を受診した患者であり、最終的にそれぞれ145人、167人に対して、構造化された調査票(Structured Questionnaire.回答形式が事前に決められている)を用いたインタビュー調査を実施した。その結果を用いて、線形判別分析により「認識地図」を作成した。なお、救急外来受診者のうち、緊急患者と判定されたのは25%であった。その結果、救急外来を受診した非緊急患者は、一般医診療所受診患者に比べて、不安感と重症感が優位に強かった。社会人口学的特性についても、非緊急患者では、25歳未満の若年者と後期高齢者、非熟練労働者、短期滞在の外国人、低学歴者等の割合が有意に高かった。
二木コメント-この論文もテーマは魅力的なのですが、分析方法は単純(2×2のχ二乗検定のみ)、結果の解釈では「統計的有意差症候群」に陥っています。著者は、この結果に基づいて、「非緊急患者の救急外来受診は減らせる」と主張していますが、具体的方策は示していません。ただし、日本でも同様の調査を行う価値はあると思います。
○管理された競争と強制加入の皆保険の実験:新しいオランダの医療保険制度(Rosenau PV, et al: An experiment with regulated competition and individual mandates for universal health care: The new Dutch health insurance system. Journal of Health Politics, Policy and Law 33(6):1031-1055,2008)[医療政策研究]
2006年にオランダで実施された医療保険改革は、エントーベンのアイデアに基づいて、管理された競争と国民への医療保険購入の義務づけを二本柱としているため、皆保険を目指しているアメリカの政策担当者にも参考になる。現在も続いているこの実験は、標準化された基礎給付パッケージの価格競争、均一保険料、医療保険料に対する所得スライド制補助金、医療保険間のリスク調整等を含んでいる。
オランダ中央銀行統計、全国世論調査、患者調査、および政策担当者へのインタビュー調査に基づいて、開始後2年間の実績を評価したところ、アメリカにも参考になる以下の4つの教訓が得られた。第1に、オランダの新しい医療保険は医療費を削減しそうにない。現在まで、保険料は増加し続ける一方、保険会社は基礎的保険は赤字だと報告している。第2に、管理された競争は有権者・市民を幸福にしそうもない:市民の満足度は高くなく、医療の質も低下したと感じている。第3に、消費者である市民は(新古典派の)経済モデルが予測するようには行動しているとは言えない。最後に、政策担当者は、専門職としての仕事に誇りを持ち、それが市場競争とは両立しないと考えている医療提供(医師)側の反対を過小評価すべきではない。
二木コメント-オランダの2006年医療保険改革と理論と実際、当初予定と結果は相当乖離しているようです。Journal of Health Politics, Policy and Law 33(6)には、本論文に対するOkuma KGのコメントと、著者による回答も併載されており、オランダの医療保険(改革)の研究者必読と思います。なお、オランダの2006年改革実施直後の現地調査報告には、高橋圭一郎「オランダ医療保険制度における市場の拡大と民間保険会社の参入」(『健康保険』2007年2,3月号)があります。
○医師ストライキと死亡率:文献レビュー(Cunningham SA, et al: Doctors' strike and mortality: A review. Social Science and Medicine: 67(11):1784-1788,2008)[文献レビュー]
医師ストライキについての文献では、ストライキ期間中、住民・国民の死亡率は変わらないか低下するという逆説的結果が示唆されている。過去40年間の文献レビューでこの逆説の真偽を評価した。PubMed等3つの文献データベースを用いて、査読付きの英語論文で、医師ストライキと死亡率の関係を定量的に検討したものを検索し、最終的に7論文を選んだ。これらの論文は1976~2006年に、全世界の4つの国と地域で生じた5つの医師ストライキを分析していた(イスラエル(2回)、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス郡、クロアチア、スペイン)。ストライキ期間は最短9日、最長17週であった。
その結果、全論文で、ストライキ期間中死亡率は不変か、低下していた。この逆説は以下の要因によって説明されるかもしれない:非緊急手術が減らされた、救急医療はストライキ期間中も確保されていた、ストライキの期間が短かった。
二木コメント-世の中(世界)にはいろいろな研究があるものです。なお、日本でも、日本医師会は1970年7月に1カ月間のストライキ(保険医総辞退)を敢行しましたが、私の記憶ではそれの医学的影響についての実証研究はなかったと思います。この保険医総辞退の分析の中では、川上武「一医師がみた保険医辞退」(『現代の医療問題』東京大学出版会,1972,所収)が白眉と思います。
5.私の好きな名言・警句の紹介(その51)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- ジョセフ・E・スティグリッツ(米・コロンビア大学教授。2001年ノーベル経済学賞受賞)「私は何事も厳しく評価する人間だが、基本的には評価は相対的に行っている。それ以前の政権、そして何よりも以後の政権とくらべれば、クリントン政権の評価は実に高いものとなる」(鈴木主税訳『人間が幸福になる経済とは何か-世界が90年代の失敗から学んだこと』徳間書店,2003,19頁)。二木コメント-「厳しく」しかし「相対的に」評価する、これは研究者が政策評価を行う際の金言です。本書は、1990年代のクリントン政権の規制緩和と金融自由化の推進政策が、空前の好況をもたらす一方で、その後の「崩壊の種子」を招いたことを活写しており、本「ニューズレター」54号で紹介したクルーグマンの新著"The Return of Depression Economics and the Crisis of 2008"と並んで、現在の世界金融危機・世界同時不況のアメリカ側のルーツを理解するうえための必読書です。
- 堂目卓生(大阪大学教授)「[アダム・]スミスは、イギリスがとるべき政策に関して、一方では、非常に慎重な態度をとりながら、他方できわめて大胆な提案を行った。スミスにとって、政策を立案する際に、最も重要なことは、今なすべきことと、そうでないことを見分けることであった。今が動くべきときかそうでないときかを見分けることであった。(中略)スミスの判断の基礎にあるのは、人類の歴史に関する豊富な知識と、その知識を通じて獲得された人間への深い理解にあったのではないかと思われる」(『アダム・スミス-「道徳感情論」と「国富論の世界」』中公新書,2008,278頁)。
- 内田樹(思想家。神戸女学院大学教授)「メディアで発言する人には、判断や予測を誤ったとき、なぜ誤ったのかを検証して公開する責任があると私は思っている。自分は何を勘定に入れ忘れたのか、何を過大あるいは過少評価したのか。それを吟味することは『自分の愚かさの成り立ち』を理解するうえでたいへんに有用である」(『AERA』2009年1月12日号,13頁「内田樹の大市民講座:2009年、私の予言」)。二木コメント-私も医療政策についての「判断や予測を誤ったとき」同じことを励行しているので、大いに共感しました。内田氏はこれに続いて、本年の国内政治についての「私の予言」を公開しています。しかし、私は「政策の予測はするが、政治・政局の予測はしない」ことにしています。「政界は一寸先は闇」(川島正次郎自由民主党副総裁(故人)の有名な名言)だからです。
- 西広市(株式相場解説を1万回以上続ける日興コーディアル証券部長)「『予想』は下から読むと、『ウソよ』になる」(「朝日新聞」2009年2月25日朝刊「ひと」。市場に1日として同じ日はなく、読み切れぬ動きを見せることもあると、こう自戒)。二木コメント-医療政策の予測でも大事な自戒です。予測の誤りの最大の原因はマンネリだからです。
- 湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長・年越し派遣村村長)「私は[ボランティアを]利他的にやっているつもりはないんです。貧困を放置する世の中が嫌だからやっている」(『AERA』2009年2月9日号、32頁「勝間和代の変革の人[第4回]貧困の本質)。
- 司馬遼太郎(国民的作家。故人)「早川[和男]教授の学問を支えているのは、社会との関わりというよりも、愛と義憤というものでしょう。早川教授の学問は、隣人へのいたわりが基礎になっていると思います」(早川和男『私の研究生活小史2008』早川和男先生の喜寿を祝う会,2008,30頁。早川先生の還暦記念エッセイ集『住宅人権によせて』(1991年)に寄せられた言葉)。
- 早川和男(神戸大学名誉教授。日本で最初に「住宅は人権」と主張)「なぜ学者が権力にとりこまれていくのか(中略)彼らが部品労働者化しているからではないか。御用学者は一種の部品労働者であると、言えないこともない。研究者としての主体性がないから、研究の方法論を考える必要もない。要するにこれは研究や研究者のあり方の問題ではないか」(上掲『私の研究生活小史2008』67頁。『権力に迎合する学者たち-反骨的学問のすすめ』(2007,三五館)を企画したときに考えたこと)。二木コメント-これは本「ニューズレター」53号で紹介した、加藤周一・サルトルの知識人論と重なると思います。
- ティム・ワイナー(米中央情報局(CIA)の暗部をえぐるジャーナリスト。5万点に及ぶ開示資料をもとに元長官ら300人以上の証言を積み重ねた『CIA秘録』(文藝春秋)は世界27カ国でベストセラーになっている)「動物園で取材したからといって象と一緒に寝ますか。踏みつぶされてしまう。ジャーナリストは権力の中に入ったらおしまいだ」(「朝日新聞」2009年1月9日朝刊「ひと」。権力インサイダー型の取材をこう批判)。
- 米国グラッドストーン研究所所長「ビジョン&ハードワーク(V&H)。成功するためにはこの2つが必要だ」(『日本医事新報』2009年1月3日号(No.4419),27頁「ひと」。山中伸弥京大教授(物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長)が同研究所に3年半留学して、一番学んだこととして、所長がずっと言っていたこの言葉を紹介)。
- 鈴木光太郎(新潟大学人文学部教授。専門は実験心理学)「どうしたらこうした[心理学の]神話の呪縛から逃れ、ウサン臭さを払拭できるだろうか。答えはひとつ。論理的にものを考える以外にない。心理学が科学として認めてもらうためには、とるべき道はそれしかない。そして原典にあたること。噂に頼らぬこと。疑うこと。そうすれば心理学のなかに似非科学の部分ははるかに少なくできるに違いない」(『オオカミ少女はいなかった-心理学の神話をめぐる冒険』新曜社,2008,216頁)。
<その他>
- 益川敏英(京都産業大学教授。2008年ノーベル物理学賞受賞)「ぼくは物理屋でいるときは悲観論者だが、人間の歴史については楽観的。人間はとんでもない過ちを犯すが、最後は理性的で100年単位で見れば進歩してきたと信じている。その原動力は、いま起きている不都合なこと、悪いことをみんなで認識しあうことだ。今の米国がそう。黒人差別が当然とされていた国で、黒人のオバマ大統領が誕生するなんて誰が信じただろう。脳天気だと言われるかもしれないが、戦争だってあと200年くらいでなくせる」(「朝日新聞」2009年1月31日夕刊「平和 日々願う-益川敏英教授語る」)。
- 小池晃(日本共産党参議院議員)「[議員力とは]痛みのわかる心」(「しんぶん赤旗」2009年1月29日。2009年1月28日放送のフジテレビ系番組「とくダネ!」に出演し、「『議員力』とは何だと考えるか」との問いかけに、こう答えた。この番組には4党4人の議員が出演して、民間の事業組合・議員力検定協会が作成した、国政や地方自治などに関する四択方式の試験問題20問題に挑戦し、小池議員だけが満点を獲得した)。
- 仲代達也(俳優・「無名塾」主宰)「役者なら一度は演じたいとあこがれる役の一つがシェークスピアの『ハムレット』ですが、実は私は若いころからハムレットが好きじゃなかった。『生きるか死ぬか、それが問題だ』なんて、そんなの言っていること自体がおかしい。なんでそんなことで悩むんだ、と。こちらはガキの頃から食えなくて、毎日空襲にあって逃げ回っていたんです。『今日はなんとか生き延びたぞ』って思っていたんですから」(「朝日新聞」2009年1月4日朝刊「耕論 うろたえるな-不況の時代に」)。二木コメント-小田島雄志氏は、上記「生きるか死ぬか、それが問題だ」("To be, or not to be, that is the question")を、「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳しており、その理由も説得的です(『シェイクスピアの人間学』新日本出版社,2007,124頁。本「ニューズレター」35号(2007年7月)参照)。
○松坂慶子(女優。新作「大阪ハムレット」で、バイタリティあふれる肝っ玉母さん・久保房子を演じる)「生きるべきか死ぬべきか、生きとったらそれでええやんか、幸せってごっつシンプルやで」(2009年1月17日、シネスイッチ銀座での「大阪ハムレット」初日舞台挨拶で、久保房子の性格をこう紹介。http://eiganavi.gyao.jp/news/2009/01/post-5728.html)二木コメント-なぜか、この台詞は映画には出てきませんでしたが、上記小田島雄志氏の訳は出てきました。 - 立川談志(落語家。喉頭がんを克服して、昨年暮れ、高座に復帰。73歳)「年だからって戦線を縮小するつもりはない。でも自然にそうなっちゃうかも知れない。それがひどいなと感じたら、『やめよう』ということになる」(「朝日新聞」2009年2月3日朝刊「老いても枯れない」)。
- 浦田憲治(日本経済新聞編集委員)「城山[三郎]には好きな言葉がある。『自分のやるべきことはやり遂げた。この一言を残して世を去りたい』(ジョン・スチュワート・ミル)。城山はその通りにしてこの世を去っていった」(「日本経済新聞」2009年1月25日朝刊「彼らの第4コーナー:城山三郎(4)(最終回)」の最後の一文。城山三郎(小説家)は、2007年3月22日、79歳で死去)。
- フィデル・カストロ(前キューバ国家評議会議長。82歳)「私の執筆活動や健康状態、死に(党や政府の)誰も影響を受けるべきでない」(「東京新聞」2009年1月24日朝刊。政府のウェブサイトに、オバマ氏のアメリカ大統領就任についてのコラムを掲載し、新大統領を積極的に評価しつつ、こう述べた)。二木コメント-私は、1960年代後半の学生時代から、移り気な「革命浪人」チェ・ゲバラより、着実に新国家建設を進めていたカストロ(首相)に共感を感じていました。それだけに、「ゲバラは自分の革命家幻想に酔って突っ走って、そして大きな世界政治の狭間で冷酷に殺された」のであり、「ゲバラへの賞賛は『ただの幻想文学』」とする副島隆彦さんの超辛口評価に同感です(『エコノミスト』2009年2月3日号、102頁「シネマ館[チェ28歳の革命][チェ39歳の別れの手紙]」)。