総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻54号)』(転載)

二木立

発行日2009年02月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

私の最新論文「オバマ新大統領の就任演説を読む」が「日経メディカル オンライン」(医師向けのウェブサイト)に2月2日に掲載されます。これは『文化連情報』3月号と本「ニューズレター」55号にも転載予定ですが、早めにお読みになりたい方は上記サイトに掲載したものをご覧下さい。


1.論文:政府内の混合診療全面解禁論の凋落

(「二木教授の医療時評(その64)」『文化連情報』2009年2月号(368号):14-17頁)

はじめに

2008年は、医療改革の希望の芽が確実に拡大すると共に、医療分野への市場原理導入(新自由主義的改革)の象徴となっている混合診療全面解禁論が凋落した年にもなりました。

2007年11月に、東京地方裁判所が、混合診療を行った場合、保険診療部分を含む診療行為全体を保険適用外とする厚生労働省の法運用には「理由がない」とする判決を言い渡した直後、多くの医療関係者や医療ジャーナリストは、混合診療全面解禁論が再び盛り上がると見通しました。それに対して、私は、昨年1月号の本「医療時評」で、3つの理由をあげて、それは誤解であり、逆に混合診療解禁論は「空騒ぎ」に終わると予測しました(「混合診療禁止は違法?東京地裁判決をめぐる空騒ぎ」『文化連情報』358号,2008)。

そして、その後1年間の経過は、私の予測通りになりました。本稿では、2007年末~2008年末までの13か月間の3つの政府組織(規制改革会議、経済財政諮問会議、社会保障国民会議)の公表文書(議事録も含む)を検討し、混合診療全面解禁論が強まるどころか、逆に凋落したことを示します。

規制改革会議は混合診療解禁を「答申」に盛り込めず

規制改革会議は小泉政権時代に猛威をふるった規制改革・民間開放推進会議の後継組織として2007年1月に発足し、現在でも、混合診療全面解禁を主張している唯一の政府組織です。しかし、同年7月に内閣総理大臣に提出した「第1次答申」では、厚生労働省の強い抵抗にあい、医療分野の「具体的施策」に混合診療の全面解禁はおろか、混合診療の拡大すら入れることができず、苦杯を嘗めました。

規制改革会議は、上記東京地裁判決直後、それを追い風にして、「第2次答申」には混合診療の全面解禁を必ず盛り込むことをめざし、「厚生労働省と妥協するつもりはない」と豪語しました。しかし、同年12月に取りまとめられた「第2次答申」でも、医療分野の「具体的施策」に混合診療の全面解禁を盛り込むことに再び失敗し、「平成16年の基本的合意[混合診療の部分解禁-二木]を実効性ある形で実施するため…の施策を実施する」ことを求めるにとどまりました。

「第2次答申」では、「具体的施策」の前段の「問題意識」の項で、延々4頁にわたって「いわゆる『混合診療の見直し』」=「原則自由化」を主張しました。しかし、「具体的施策」が「政策提言として、政府に誠実な対応を求める事項」であり、政府に対してある程度の拘束力を持つのと異なり、「問題意識」は規制改革「会議におけるこれまでの議論を集約したもの」にすぎず、政府への拘束力はまったくなく、いわば「負け犬の遠吠え」にすぎません。しかも、従来の混合診療の「全面解禁」という、例外を認めない強い表現を、「原則自由化」という例外を認める弱い表現に変更していました。

さらに2008年12月22日に取りまとめられた「第3次答申」でも医療分野の「具体的施策」では、「高度医療評価制度の積極的運用」という現行制度の遵守を掲げるにとどまりました。これにより、規制改革会議は3連敗したことになります。規制改革会議は、政府への拘束力のない「問題意識」の項では、相変わらず「混合診療禁止措置を撤廃すること」も求めています。しかし、混合診療解禁の例として、過去の答申ではまったく言及したことのない「遠隔医療」を唐突にあげるなど、思いつき的でピント外れです。

厚生労働省は「答申」を一蹴

それに対して、厚生労働省は「混合診療の原則禁止措置の撤廃を国民や患者の多くは求めていない」と一蹴しました(「規制改革会議『第3次答申』に対する厚生労働省の考え方」12月26日)。

私が注目したのは、厚生労働省がその根拠として以下の2つの事実をあげたことです。(1)2004年12月に、衆参両院の厚生労働委員会が、「混合診療の導入は(中略)国民皆保険制度を破壊するものである」という趣旨の請願に全会一致で賛意を示し、国会の意思として採択を行った。(2)2007年12月に我が国最大の難病団体から「規制改革会議の混合診療解禁論に反対します」と題する意見書が国に提出されている。

特に(1)の請願は、日本医師会(植松治雄会長・当時)を中心とする多くの医療団体が結成した「国民医療推進会議」が全国600万人の署名を衆・参国会議員320名の紹介を得て提出し、採択されたものです。この国会の冒頭では小泉首相が混合診療解禁に積極的に取り組む所信表明演説を行っており、それと逆の請願が衆参両院で全会一致で採択されたことは過去に例がなく、混合診療解禁反対の国民運動の成果と言えます(「日本医師連盟ニュース」31号,2004年12月25日)。厚生労働省が、自省の文書ではなく、このような異例な経過で採択された国会請願を規制改革会議に対する反論の第一に掲げるのは極めて異例です。

私が厚生労働省の反論で注目したことはもう1つあります。それは、厚生労働省が混合診療の部分解禁(「保険診療と保険外診療の併用については、一定のルールの下で認めていく」)の前提として、「我が国の公的医療保険制度は、『必要かつ適切な医療は基本的に保険診療により担保する』という国民皆保険の理念に基づ」くことを再確認した上で、「安全性、有効性等が確認され、傷病等の治療に対して必要かつ適切な医療であれば、速やかに保険導入を進め、誰もが公平かつ低い負担で当該医療を受けることができるようにすることが、患者全体の利益になる」と従来よりも一歩踏み込んだ主張をしていることです。

経済財政諮問会議は全面解禁論を放棄

経済財政諮問会議の民間議員は、小泉政権時代には、規制改革・民間開放推進会議と一体となって、混合診療の全面解禁を主張しました。しかし、2007年11月の東京地裁判決直後(11~12月)に開かれた7回の会議では、混合診療全面解禁論の急先鋒である八代尚宏議員を含め、誰もそれを主張しませんでした。

同年12月14日の第30回会議では、民間議員4人が「患者の立場に立った混合診療の拡大を」という文書を提出しました。しかし、それは「平成16年『基本的合意』[混合診療の部分解禁-二木]の実効性ある実施を」求めるだけであり、草刈隆郎規制改革会議議長の主張する「原則解禁」論とは一線を画しました。太田弘子内閣府特命担当大臣(当時)もこの日の議論を、以下のようにまとめました。「混合診療については、すべて何もかもオーケーということではなくて、何らかの条件整備が必要であるということ。それから、皆保険という枠組みは、これはしっかり守っていくんだという点については、すべての人の意見は一致しておりました」。

2008年には経済財政諮問会議の会議は合計30回開かれ、そのうち少なくとも5回で、社会保障改革(医療改革も含む)が議論されました。しかし、混合診療という用語は一度も使われませんでした(議事要旨で確認)。

先端医療開発特区の混合診療は現行制度の枠内

なお、2008年3月18日の第5回会議では、民間議員4人が「イノベーションを支える『スーパー特区』の創設を」提案し、それの第一段が「先端医療開発特区」の導入とされました。それを具体化した厚生労働省等4省の合意文書は、5月23日の第13回会議で確認され、政府は11月18日に「iPS細胞医療応用加速化」等、24件を指定しました。

この「先端医療開発特区(スーパー特区)」の「具体的施策」の中には、「高度医療評価制度」の活用が盛り込まれており、医療団体や研究者の中には、これを問題視する方が少なくありません。私自身、講演で、混合診療全面解禁論が凋落したことを指摘したときに、このスーパー特区での混合診療をそれへの「反証」としてあげられたことが何回かあります。しかし、この混合診療は、上述した2004年12月の厚生労働大臣と規制改革担当大臣の混合診療部分解禁についての合意、およびそれに基づき2006年の健康保険法改正で制度化された「保険外併用療養費」制度(旧・特定療養費制度)の枠内のものであり、混合診療全面解禁とはまったく別次元です。

なお、一部の医療団体は両大臣合意や保険外併用療養制度を「混合診療の実質化」と全否定していますが、私はそれには与せず、それの肯定的面と危険な面を複眼的に評価すべきと考えています(詳しくは、『医療改革』勁草書房,2007,第1章第1節2「混合診療問題の政治決着の評価と医療機関への影響」)。

社会保障国民会議も混合診療解禁に触れず

社会保障国民会議は、福田康夫首相(当時)の肝いりで、2008年1月25日に閣議決定されました。それには3つの分科会があるのですが、2月26日に開かれたサービス保障(医療・介護・福祉)分科会の第1回会議では、澤芳樹委員(大阪大学)や齋藤正憲委員(日本経団連)等から混合診療拡大の意見が出されました。しかし、その後の会議(第2回~第9回)では、それに賛同する意見はまったく出されませんでした。特に、第4回会議(5月20日)で権丈善一委員(慶應義塾大学)が混合診療拡大論を系統的に批判してからは、混合診療についての議論自体がまったくなくなりました。

ところが、6月19日に社会保障国民会議の「中間報告」と一緒に発表された「第二分科会(サービス保障(医療・介護・福祉))中間とりまとめ」には、吉川洋座長の強い意向で、「保険免責制の導入や混合診療、民間保険の活用などについて…今後さらに具体的議論を深めることが必要である」との一文が挿入されました。吉川洋氏は、小泉政権時代に、経済財政諮問会議民間議員として、公的医療費の抑制のための混合診療解禁や保険免責制導入の急先鋒でした。

しかし、その後の分科会の会議ではこの点はまったく議論にならず、11月4日にまとめられた「最終報告」でも混合診療にはまったく言及されませんでした。「最終報告」に先だって発表された「医療・介護費用のシミュレーション」でも、国民医療費中の患者負担割合は現在の水準(14%)を維持することが前提とされ、混合診療の大幅拡大・全面解禁はまったく想定されていませんでした(「社会保障国民会議『医療・介護費用のシミュレーション』を複眼的に読む」『文化連情報』368号,2008)。

おわりに-全国紙の混合診療報道も沈静化

以上、混合診療全面解禁論が猛威をふるった小泉政権と異なり、その後の3政権では、政府組織の中でそれが凋落したことを示しました。規制改革会議だけは現在も頑なに「混合診療禁止措置の撤廃」を主張していますが、その主張は政府組織内でも完全に孤立しています。しかも、本誌前号の「医療時評(その63):世界同時不況と日本の医療・社会保障」で指摘したように、世界同時不況の到来により、1980年代以降、世界経済を理念的・政策的に主導してきたアメリカ流の市場原理主義・新自由主義の破綻が誰の目にも明らかになったことを考えると、混合診療全面解禁論が政府内で再び力を得ることは、少なくとも当分はありえないと言えます。

本稿では政府組織の動きのみを検討し、それ以外の組織・個人の動きは検討しませんでした。ここでは、世論に大きな影響を与える全国紙(「朝日」・「毎日」・「読売」・「産経」「日経」の5紙)の混合診療報道の沈静化について簡単に述べます。昨年1月号の「医療時評」で述べたように、2007年11月の東京地裁の判決直後は、全国紙の混合診療報道は過熱し、関連記事は5紙合計で11月68件、12月48件に達しました。ただし、「社説」で混合診療全面解禁を主張したのは「日本経済新聞」だけでした。

ところが、翌2008年1月になると、混合診療関連記事は5紙合計でわずか3件に激減しました。2008年全体でみても、混合診療関連記事は合計63件(1月当たり5件)にとどまりました。このうち「社説」で混合診療を取り上げたのは「読売新聞」だけであり、しかもそれは「混合診療 秩序ある適用拡大に努めよ」という穏健な(?)ものでした。「日本経済新聞」も2007年と異なり、2008年には混合診療全面解禁のキャンペーンは行いませんでした(以上、「日経テレコン」の検索結果)。

最後に、2008年に発表された、混合診療解禁論批判の決定版と言える研究論文を紹介します。それは、島崎謙治氏(政策研究大学院)の「混合診療禁止の法理と政策論」(『社会保険旬報』2363,2364号)です。この論文は、混合診療禁止の法理と保険医療政策上の意味を緻密に検証しており、この問題の必読文献と言えます(ただしかなり難解です)。

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2.対談:リハビリテーションの制度改革と診療報酬

(二木立・渡辺邦夫『作業療法ジャーナル』2009年1月号(43巻1号):7-14頁)

渡辺 今日は,医療のうち特にリハ診療報酬のこれまでの制度改革の流れ,そして診療報酬はこれからどうなっていくのかということについてお話をうかがいます.二木先生は著書の中で,必ずご自分のスタンスから説き起こしていますね.今日はそこからお話をうかがいたいと思います.

1 医療経済学者としてのスタンス

二木 たぶんそうおっしゃるのは医学会の発表や医学論文で,そんなことをされる人はいないから,ちょっと変わっていて興味があるということだと思います.実はそのことが医学と社会科学との違いにも重なるのです.リハ医学,作業療法学を含めた医学は自然科学的な側面が非常に強いのです.100%の自然科学ではないですが,事実の探究,あるいは客観的根拠に基づいた診断や治療法の是非が問われることが多いと思います.それに対して経済学を含めた社会科学あるいは政策科学の場合には,事実の探究のレベルで,そもそも事実とは何かという点で,人間の意識や価値判断から独立した客観的事実の有無について,まず議論があるわけです.そのために,自然科学と異なり,社会科学では事実(認識)と研究者の価値判断が密接に関連しており,両者が一体的に論じられることが少なくありません.それに対して私は,医師出身のためもあり,事実認識と価値判断を可能なかぎり区別し,ここまでは私の事実認識,ここからは私の価値判断と明示して話すようにしています.できるだけ事実認識に関しては同意を得たいからです.

私は医療経済・政策学研究と言論活動において,2つのスタンスをもっています.1つは医療改革の志を保ちつつ,リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から検討することです.リアリズムのみに徹すると非常に血の通わないものになってしまいますが,逆にリアリズムを欠いたヒューマニズムだけでは実現可能性のない話になってしまいます.実はリハ医療,これは以下全部作業療法を含めて総称して言いますが,その特徴の一つはほかの医療分野に比べて理念が非常に強調されていることです.私の恩師の上田敏先生の言葉をお借りすると,「リハの本質は全人間的復権」なのです.これに反対する人もいますが,私はこのこと自体はリハ医学,リハ医療の優れた点だと思います.他面,ほかの医学分野に比べて,それが強調されすぎたためにリアリズム,事実を冷静に分析する視点が歴史的にもやや弱かったのではないかとも思います.ただし,リアリズムとヒューマニズムの複眼的視点から検討することは,言うは易く行うは難しで,簡単ではありません.

2つ目のスタンスは,事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断に3区分して検討することです.医学の場合は調査結果イコール事実を示し,それに対して考察しますが,これは事実の解釈であり価値判断ではありません.それに対して社会科学では,先ほど述べたように,事実とは何かについて論争があるので,私は事実という言葉にあえて認識という言葉を付けて,「事実認識」という言葉を使っています.また「客観的」将来予測とは,自分の価値判断は一度保留して,現在の政治・経済・社会的条件が継続すると仮定した場合,今後起こる確率が高いと私が判断していることです.つまり,このことに必ずしも私が賛成するとはかぎらないのです.哲学的な言い方をすると,自己を対象化しないとリアルな将来予測はできないと思います.その結果,事実認識と「客観的」将来予測,それに加えて,常に自分自身はどうしたらよいかという自己の価値判断を明示するようにしています.

2 医療制度改革

1) 政策の側面と医療提供者の立場から

渡辺 先生は特に「客観的」将来予測という点について,臨床にいた頃から優れた業績を残されています.そうした視点から医療制度改革の方向性等について,政策の側面と医療提供者の立場の両面から,お話をうかがいたいと思います.

二木 政策の側面と医療提供者の立場の両面をみなければいけないというご指摘は非常に重要です.医療関係者と将来予測について話すとき,厚生労働省(以下厚労省)がどんなことを考えているか,その情報をできるだけ集めて対応する,あるいはそれより一歩先んじて考えると言う人が多いです.しかし医療政策に関しては,大きく分けると医療保障面の政策と,医療提供面の政策の両面があります.前者は一言で言うと政治的力関係で決まります.小泉政権時代には,小泉首相の力が圧倒的に強かったので,医療関係者の反対を押し切って,患者負担を増やし医療費を抑制する改革が矢継ぎ早に行われました.ただその後,安倍政権,福田政権になり,同じ自民党政権でも力が相当弱くなってくると,後期高齢者医療制度の迷走に象徴されるように,制度が始まった直後から社会問題になりました.はじめは制度をこのまま維持すると言っていましたが,結局大幅に変える方向になったわけです.

それに対して医療提供面での政策は,たとえ厚労省の力,あるいは政府の力が非常に強いときでも,厚労省が一方的に医療提供者に押しつけるわけにはいきません.医療提供者の協力を得なければ,医療サービスは提供できないからです.もう1つ,厚労省は医療費については多くの情報をもっていますが,医療サービスがどのように提供されているかということに関しては,必ずしも情報をもっていないことも挙げられます.

厚労省は医療費抑制という大目標のもとに,強引なことをやるという面がありますが,他方でその枠内では,やや主観的にせよ,少しでも医療サービスを良くしよう,そのためには先進的な医療機関の実践・提案を,部分的に汲み取ろうと行動する側面ももっています.たとえばリハの分野では,回復期リハ病棟がその典型です.

医療政策というと厚労省がこんなことを考えている,こんなことを決めた,それにどう対応するかという議論になりがちですが,少なくとも医療提供面の政策に関しては医療提供者側の役割が非常に大きいのです.逆に医療提供者がやるべきことをきちんとしないと,厚労省が一方的なことをすると言えます.

2) 危機から希望へ

医療政策の流れは2006年から2008年の3年間で大きく変わりました.2001年から2006年までが小泉政権時代で,特に2005年9月11日の郵政選挙のあと,自民党と公明党を合わせた与党が衆議院議席の3分の2を占めてからは,小泉首相の独裁政権と言ってよいくらい強力になり,四半世紀ぶりに医療制度の幅広い改革(医療制度改革関連法)が行われました.医療費に関しても,2006年に史上最大の診療報酬の引き下げがあり,リハでも相当強引な引き下げが行われました.それが1つの引き金になって,医療危機や医療荒廃,あるいは医療崩壊という社会問題が起きました.安倍政権の下でも当初は小泉政権時代の医療政策の延長で,厳しい医療費抑制が行われましたが,2007年頃からは小泉政権時代にはみられなかったような,さまざまな医療改革の希望の芽がみられるようになったのです.この点について,2007年頃はまだ半信半疑で絶望的な気分の医療関係者が多かったのですが,2008年になったら医療関係者も流れが変わったことを誰でもわかるようになってきたと思います.その一番良い例が後期高齢者医療制度に対して国民的な不満が出て,参議院限定ではありますが廃止法案が可決されたことです.

前政権である福田首相の遺産と言ってよいと思いますが,社会保障国民会議が立ち上げられ,その中間報告が2008年6月に出されました.そこでは今までと違って社会保障を単に維持するだけではなく,「機能の強化」という方針が打ち出されました.180度とまではいきませんが,それまでの一律医療費抑制の流れが変わってきたのです.つい最近でも2008年10月23日,社会保障国民会議が今後の医療・介護費用についての2025年までのあるべき姿を念頭に置いた費用推計を出しました.小泉政権時代は社会保障制度の持続可能性を,常に財政を基準に考えており,その結果,2006年の骨太の方針では今後5年間,社会保障費の伸びを毎年一律2,200億円削減するとされました.それに対して今回出された推計では,いろいろな限界はありますが,あるべき医療や介護にはどのくらいお金がかかるか,そのためにどうやって財源を集めるか,理念レベルでスタンスが変わってきています.

2008年6月の福田政権の骨太の方針では1982年以来,四半世紀続けられてきた厳しい医師養成数抑制政策を転換することが閣議決定されました.医療政策に限らず,前政権の閣議決定を否定することは,ほとんど起こりません.それを今回は,来年度からは過去最大数まで戻すと明文化されました.それだけでなく,これはまだ正式には決まっていませんが,医師数を欧米並みの水準にするために,医学部の定員を1.5倍,つまり5割増しに引き上げるというような,1~2年前には考えられなかったような方針が出されています.

このように医療危機が2006年に社会問題化して,2007年には希望の芽が少し出てきて,2008年にはその芽がさらに膨らんだことがはっきりしてきました.ただし,医療危機,医療荒廃が解決されたかというと,もちろんそうではありません.今は一方で医療危機,医療荒廃が進みつつ,他方で改革の希望の芽が出てきており,せめぎ合いの時期です.逆に言うと,非常に希望がもてる時代になったとも言えます.

3 医療政策の今後の道筋

渡辺 具体的な医療政策の今後を予想してみると,いくつかの道筋があると思いますが,いかがでしょうか.

二木 私が2000年から主張しているのは,医療・社会保障改革には3つのシナリオがあるということです.1990年代まで,政府は医療費全体の抑制という点で一枚岩だったのですが,1990年代末頃から小泉政権が成立した時期にかけて,政府の医療改革のシナリオが2つに分かれてきたのです.1990年代までは国民皆保険制度を維持し,その枠での医療費抑制ということでしたが,1990年代末からアメリカの影響を受けて,医療分野へも市場原理を導入するという動きが表れました.具体的に言うと,株式会社の病院経営を解禁することや,保険診療と自由診療を自由に組み合わせる混合診療を全面解禁すること,医療機関と医療保険者との契約を自由にして個別契約を認めるという3本柱です.このような1990年代までにはありえなかった政策方針が,小泉政権の下で閣議決定されたのです.その目的は,高所得者は自己負担増と引き換えに今よりもワンランク上の医療を受けられるようにすることです.

小泉政権の時代は経済全体のグローバル化の波が広がったこともあり,医療分野への市場原理の導入が随分声高に叫ばれました.しかし,小泉政権の時代ですら株式会社の医療機関経営はごく例外的にしか認められませんでした.混合診療に関しても,小泉首相が相当強く後押ししたにもかかわらず,先端医療に混合診療を認めることや,アメニティ,差額ベッドを認めることに限定されました.逆に言うと,効果が確認されて十分普及している医療技術に関してはすべて保険でみる,つまり適正な医療については保険で給付するという大原則が再確認されたのです.

その後,安倍政権,福田政権,さらに今の麻生政権になると,市場原理の導入を正面から声高に主張する組織はなくなりました.一番良い例が経済財政諮問会議という小泉政権下で医療分野の枠を超えて,市場主義的な改革を主導した組織です.そこにはつい最近まで医療分野への市場原理導入を主張する人も入っていたのですが,麻生政権になったら一人もいなくなってしまいました.これからも主義主張の問題として医療分野への市場原理導入を主張する人がゼロになることはないですが,それが大きな政策的な争点になることは最低限今後数年間はないでしょう.「100年に1度」と言われる世界同時不況のために,医療の枠を超えて政治・経済全体で,行き過ぎた市場主義の見直しが始まっていることを考えると,医療分野への市場原理の導入,学問的には新自由主義的改革と言うのですが,それが大きな流れとして再復活することはないでしょう.

小泉政権時代の過度の医療・社会保障費抑制はもう無理ですので,次の段階として,どのくらい医療・社会保障費を増やしたらよいのか,それらの財源を何にしたらよいのかという議論が焦点になってきています.

渡辺 具体的に,今後医療政策がどういう方向に行く可能性が高いとお考えでしょうか.

二木 まず,2006年の骨太の方針で決められた,今後5年間,社会保障費の自然増を毎年2,200億円抑制するという方針は,もう完全に死に体になっています.この方針は,建前としては2008年の骨太の方針でも掲げられましたが,現実は補正予算で後期高齢者医療費対策に2,000億円くらい,医師確保対策にも何百億円使うということで,崩れています.このように過度な医療費抑制がなくなったことは確かですが,ここで注意しなければいけないのは医療費抑制政策そのものは小泉政権時代に極端に激しくなりましたが,20年以上前から続いていることです.1981年の診療報酬改定が一番最初です.極端な医療費抑制政策はほぼ見直されますが,それ以前から四半世紀続いてきた医療費抑制政策,それが真綿で首を絞めるように現在の医療荒廃を生みだしたと言えます.それだけに今後どこまで医療・社会保障費が上積みされるかで,状況は変わると思います.

4 医療者の自己改革

渡辺 医療費の総枠拡大についての国民的理解を得るには,医療者の自己改革が求められてくると思いますが,これについてはどうお考えでしょうか.

二木 それは非常に大事なご指摘です.私は公的医療費の総枠を拡大する必要があると,20年以上一貫して言っています.他面,日本は民主主義国家で,国民の合意の下に政策を決めます.そういう点でみると,やはり国民の医療不信は非常に強いので,医療者のさまざまな面での自己改革が必要ということになります.このことは『医療改革―危機から希望へ』(頸草書房,2007)あるいはそれ以前の著書でも強調しています.当然その場合の医療者にはOTを含めたリハ関係者も入ります.単に今の経営が苦しいから医療費を上げてくれというだけでは,説得力がありません.そのために,国民皆保険制度を維持したうえで,それぞれの分野の技術の進歩に対応した高水準の医療を公平に国民に提供するためには,これだけの医療費引き上げが必要だと根拠を示して正面から主張すると同時に,医療者が自己改革をしなければいけないと思います.先ほど冒頭でも触れましたが,リハ医療ではリハの理念という言葉が強調される反面,リアリズムが足りない傾向があると思います.今後は限られた医療費を有効に利用するという,正しい意味での医療の効率化が不可欠だと思います.

5 これまでのリハ診療報酬

渡辺 1980年代から医療費抑制の基調はありましたが,リハ診療に限定して考えてみると,1980年代は理学療法・作業療法の個別の診療報酬について,むしろ追い風時代であった部分があると思います.そういう面で,医療費全体の問題とは区別して,リハ診療報酬の変化の流れを振り返ってみる必要があるのではないでしょうか.

二木 リハ診療報酬の改定の流れは一般医療と少し違っていました.一般医療は1981年の診療報酬改定から厳しい医療費抑制が始まりました.しかし,リハの場合は,正確に言うとリハ分野のうちPTやOTが常勤でおり施設基準を満たしている施設に関しては,1980~1990年代は診療報酬が随分引き上げられました.今ではもう,リハの補助者がいたことを知らない若い人が増えていると思いますが,当時はPTやOTが非常に少なくて金の卵と言われており,鍼灸・マッサージ師が多くて,PTやOTよりリハの補助者が中心の施設が圧倒的に多かったのです.1980~1990年代の診療報酬改定では,施設基準を満たしている承認施設(現在は施設基準適合施設)の理学療法・作業療法の点数は上がりましたが,非承認施設の点数は逆に大きく切り下げられました.当時のリハは医療費の1%程度にすぎなかったので,国民のリハに対する期待が強まったことも反映して,非承認施設から承認施設へのシフトをしながら,リハ医療費は少しずつ増えていきました.このこと自体はリハの質を担保するという面で,それなりに意味があったと思います.そのような改革の頂点とも言えるのが,2000年に回復期リハ病棟が設置されたことです.しかも回復期リハ病棟は厚労省が上から制度化したものではなく,初台リハ病院(当時は近森リハ病院院長)の石川誠先生や,日本リハ病院・施設協会がきちんとモデルを作り,しかも費用計算まで全部揃えて要求したものです.つまり先進的なリハ関係者の実践とアイデアが実現したという点で画期的でした.そのために私は,2000年までのリハ診療報酬改定の大きな流れは,非常に肯定的に評価しています.

6 最近のリハ診療報酬

1) 2002年以降のリハ診療報酬

二木 2000年までは,コストシフティングを伴いつつリハの点数は相当引き上げられましたが,リハ医療費の枠が徐々に大きくなったこともあり,2002年以降は逆にリハ診療報酬抑制の動きが出てきました.1980~1990年代までは質に応じた支払いが行われ,その先駆けがリハでしたが,2002年以降,リハは悪い意味での先駆けになったとも言えます.ほかの分野では医療費の規模が大きいから実験できないけれど,リハ分野は小さいから実験的にやってみようと,かなり強引な改革が行われるようになったのです.

具体的に言うと,2002年に患者一人当たりの合計回数の上限(制限診療)が導入されました.当時は回復期リハ病棟でも6単位まででした.それから2006年にリハ算定日数の上限が導入され,これは社会問題にもなりました.また,理学療法,作業療法,言語聴覚療法の区別がなくなり,リハの理念に基づいて制度化されたリハ総合承認施設が疾患群別の施設基準に解体されました.さらに2008年の改定では,モデル事業も行わずに成功報酬(「質に応じた評価」)が導入されました.その結果,回復期リハ病棟は二段階化されました.普通,施設基準は簡単に変えないのですが,毎回のように全面的に変えるのはルール違反と言えます.

渡辺 現場は大混乱で,大幅な減収になる施設も多かったということは確かです.2002年以降のリハ診療報酬の改定は,実験場と化していたと理解してよいでしょうか.

二木 まず影響が小さいリハの領域で試してみたのでしょう.その典型が2002年の患者一人当たりの合計回数の上限の導入と2008年の成功報酬の導入です.リハや回復期リハ病棟で実施して,うまくいった場合には,もっと多い医療療養病床にも導入することを考えている可能性があります.リハ医療費が非常に少ない場合には,それが増えても医療費全体への影響はありませんが,理学療法・作業療法・言語聴覚療法という狭い意味でのリハに限定しても,今は医療費の2%を超えています.回復期リハ病棟の入院料を含めると,さらに増えますので,医療費に対する割合が大きくなったために,ほかの医療分野と同じように医療費抑制の対象になったといえます.

それからもう一つ見落としてはならないことは,厚労省が医療保険の純化を目指していることです.今までは急性期,亜急性期,慢性期医療の全部を給付対象にしていましたが,2000年から医療保険の給付対象を,入院については急性期と亜急性期医療に限定して,慢性期の医療は介護保険に移すという方向を鮮明にしてきました.リハの場合は,患者さんの治療期間がほかの医療分野に比べて長く,慢性期の比重が高いので,ターゲットにされたと言えます.

2) リハ診療報酬体系

渡辺 回復期リハ病棟の診療報酬体系をみると,リハ診療報酬は上限があるものの一種の出来高払いが残っていますが,肝心の医療本体の治療・看護の部分については包括化されています.一方で出来高払いを残しておきながら,もう片一方で包括化していくという診療報酬体系は,ほかではみられないと思いますが,いかがでしょうか.

二木 私は,介護保険がスタートした2000年の段階では,中長期的には,リハ医療は回復期リハ病棟を含めて,包括払いに組み込まれるようになると予測していました.しかし,2003年3月に閣議決定された「医療制度改革基本方針」で,「診療報酬体系については,(1)医療技術の適正な評価(ドクターフィー的要素注1)),(2)医療機関のコストや機能等を適切に反映した総合的な評価(ホスピタルフィー的要素注1)),(3)患者の視点の重視等の基本的考え方に立って見直しを進める」とされたこと,および同年から大学病院等の特定機能病院を対象にして導入されたDPC包括評価の対象からリハ料が除外されたことを総合判断して,急性期・亜急性期医療(回復期リハ病棟も含む)のリハ料は,今後も出来高払いであり続けると考えるようになりました.「医療制度改革基本方針」では,「ドクターフィー的要素」の範囲は明示されていませんでしたが,DPC包括評価の実績から,それには医師技術料だけでなく,リハ料も含まれる=出来高払いとされると判断したわけです.その後の3回の診療報酬改定(2004,2006,2008年)により,急性期・亜急性期のリハ料は包括払いの対象に含めないとの方針は,既定事実化あるいは既得権化したと思います.

7 リハ医療の効率化

渡辺 リハも含めて医療費を急性期,亜急性期に重点的に配分する理由はどこにあるのでしょうか.

二木 厚労省は,集中的な治療をすれば慢性期に移行する人が少なくなるから,総医療費は抑制できると期待していると思います.しかし,医療経済学的に言えば,集中的な治療をすると1日当たりの単価が高くなるので,在院日数が短縮しても,総医療費が安くなることはないと言えます.

渡辺 短期間にリハを回転よく行うようになると,リハの需要のある人たちがたくさん入ってくるので,結果としてリハに関連する総医療費はむしろ増えるということでしょうか.

二木 そうです.患者さんのニーズに比べて供給が少ない分野の典型がリハなのです.その場合,在院日数が短縮しても次の患者さんが入院してくるため,一人当たりのリハ医療費は減りますが,ベッドの回転が良くなること(効率化)によって入院患者数が増え,トータルの医療費も増えるのです.逆に言うと,患者さんのニーズに比べて供給が過剰な分野では,そういったことはありません.リハはまだまだニーズのほうが多く,しかも今後もニーズが増え続ける分野であることは間違いないでしょう.

8 質の評価・担保のための規制強化

渡辺 回復期リハ病棟は都道府県別にみると,地域によって偏在がみられます.特に地方では,100床以上の回復期リハ病棟をもつ病院がありますが,実は地域の中で入院対象になる患者さんがそんなにいるわけがないという状況も聞きます.そのような中で制度に患者さんの診療日数を合わせるという動きが現実に起こっているようです.実習に行ってきた学生がそのような現実をみて,ショックを受けています.現実にそういうことが起きているとすれば,医療提供者側がきちんとした理念をもってリハを実践していかないと,正当に評価されないのではないかと思いますが,いかがでしょうか.

二木 大事な点だと思います.原則的に言えば,医療の質の管理・担保は専門職団体が自主的に行うべきです.しかし残念ながらリハ分野を含めてわが国の医療では,それが弱かったため,厚労省が代行するという形で規制強化をしてきた面があります.2008年の診療報酬改定における回復期リハ病棟の二段階化に関しても,私はモデル事業をまったく行わずに強引な決定がなされたことには反対していますが,それと同時に質の管理や効果判定を全然行わずに入院させ,ベッドを空けないために日数だけを稼ぐ病院がなかったとは,とても言えないと思います.逆に言うと,その点はそれぞれの専門職団体がガイドラインを決めて,遵守するようにさせるしかないでしょう.根拠に基づく医療(EBM)ということで,ガイドラインは少しずつ出てきていますが,まだ今の段階では個々の技術に限定したガイドラインと言えます.もう少し枠組みを広げたものを作る必要があるでしょう.

9 医療の質

渡辺 きちんと良い医療を提供していく仕組みというのは,どうあるべきなのでしょうか.

二木 わが国のリハ診療報酬では,ほかの医療分野に比べると,「質に応じた評価」が先駆け的に導入されてきました.医療の質には,「構造」でみる場合,「プロセス」でみる場合,「アウトカム」(最終的な結果)でみる場合の3つがあります.1981年以降は「構造」でみる,つまりPT・OTが何人いるか,訓練室が何平方メートルか,どんな機械・器具があるかという評価でした.1980年代の後半,正確に言うと1988年の診療報酬改定から早期加算が付くようになりましたが,これが「プロセス」の評価です.できるだけ早期にリハを実施すると加算を付けるということで,それなりの担保を取っていました.ただ,それがあまり普及していなかったので,2008年に科学的な根拠の裏づけがないまま回復度と自宅退院率の評価(成功報酬)が導入されました.

質を良くするためには「成功報酬」を導入することが強調されていますが,世界の流れは違います.医療の効果は,最終的な「アウトカム」だけで判断できるわけではありません.機能障害やADLがどこまで良くなるか,自宅退院ができるか否かは医療者の努力だけでは決まりません.患者の病状にも左右されますし,あるいは家族的な条件や地域的な条件でも違います.医療の質をきちんと担保するためには,それよりも「プロセス」の評価を中心にすべきです.クリニカルパスはまさに「プロセス」の評価といえます.「プロセス」の管理までは医療者側がコントロールできる,すなわち標準化できるのです.それを基準として,あとは医療者の努力に応じて結果が出ることが学問的に確認されたものについては,部分的に「アウトカム」も考慮に入れるのが妥当だと思います.

国際的にみても質に応じた支払いは,ほとんど外来医療と急性期入院医療のみを対象としており,今回のように亜急性期医療,リハ分野に一気に導入したのは世界初なのです.しかしこれは決して誇れることではなく,質の管理については,OT協会やPT協会,日本リハ病院・施設協会,全国回復期リハ病棟連絡協議会,リハ医学会等の専門職団体が協力してモデル事業を行うのが筋だと思います.幸いなことに,2008年の成功報酬の導入は正規の導入ではなく,試行(トライアル)です.2年間実施してみて,うまく結果が出なかった場合には廃止もありえます.これは中央社会保険医療協議会(中医協)ではっきり確認されていることなので,前向きにデータをきちんと出していくとよいでしょう.

10 リハ専門職の責務

渡辺 作業療法も含めたリハの課題として,きちんとアウトカムを出すことや,急性期と回復期の連携,回復期と地域の連携をきちんと図ることが重要になってくると思いますが,その点はどのようにお考えでしょうか.

二木 一般医療は大半が急性期医療または慢性期医療に二分されています.それに対して,急性期から慢性期まで同一の職種が関わっていることが多いのがリハ専門職です.リハの分野は,急性期と回復期の接点であると同時に,回復期と介護保険サービスの接点でもあります.今後,慢性期のリハのうち,かなりの部分が介護保険に移行する可能性があります.そうするとサービスが分断されないように,リハ専門職が架け橋になるしかありません.

11 これから作業療法は何ができるのか

渡辺 今,医療政策の大きな転換点を迎えていて,現実の中では効果測定等,さまざまな問題を抱えているリハですが,特に作業療法の分野の中で,これから何ができるのかということについて,ヒントがありましたら教えていただけますか.

二木 効果を測定する場合に客観的な指標だけでなくて,主観的な指標も相当組み込む必要があると思います.理学療法の場合は客観的な指標だけでかなり白黒がつきますが,作業療法は良い悪いではなくて職域が広く,精神領域まで入っているくらいなので効果測定が難しいのです.狭い意味での客観的指標だけでなく,主観的な指標,患者さんの満足度,家族の満足度等も重視すべきです.それと作業療法に限らず言えることですが,チームとしての効果を打ち出していくべきです.リハの一番の特徴はチーム医療で,医師や看護師,PT,OT,ST等が関わったうえで効果がみられるのです.作業療法だけの効果と言うのではなく,自分たちがチームの一員として,リハ全体の効果を出しているということをもっと強調したほうがよいと思います.

渡辺 今日はお忙しい中,貴重な示唆に富んだお話をありがとうございました.

Further readings!

渡辺邦夫1979年東京都立府中リハビリテーション専門学校卒業.同年,山梨温泉病院勤務.1982年湯村温泉病院勤務.1993年9月~2004年3月,山梨県作業療法士会アシスト・バン事業事務局長.2000年6月より帝京医療福祉専門学校勤務.2001年4月より同校作業療法科長.2006年4月より同校校長.

二木 立1972年東京医科歯科大学医学部卒業.代々木病院リハ科科長・病棟医療部長を経て,1985年より日本福祉大学教授.現在,同大学教授・大学院委員長.著書:『医療改革―危機から希望へ』(頸草書房,2007),『介護保険制度の総合的研究』(頸草書房,2007),他

注1) ドクターフィー的要素,ホスピタルフィー的要素:これらの表現は,坂口力氏(元厚生労働大臣)が2002年9月に「診療報酬体系の見直しについての改革私案」を発表したときに用いられ,「診療報酬体系を医療技術の評価(ドクターズフィー的要素)と医療機関の運営コストを反映した評価(ホスピタルフィー的要素)に再編」することを提起した.(『医療改革と病院』〔勁草書房,2004〕)

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算42回.2008年分その10:8論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカのプライマリケア医療の]電子カルテの構成要素と医療の質
(Keyhani S, et al: Electronic health record components and the quality of care. Medical Care 46(12):1267-1272,2008)[量的研究]

電子カルテは、医療の質を改善する重要なツールと称揚されているが、2007年に発表された「全国外来医療調査」では、電子カルテの使用と慢性疾患の適切な治療や適切なスクリーニング検査との間には何の関連もみられなかった(Linder JA, et al: Arch Inern Med 167:14000-1405,2007)。しかし、この調査では電子カルテの構成要素については調査していなかった。そこで、2005年の「全国外来医療調査」と「全国病院外来医療調査」の全外来医療受診記録(合計55,539件)を用いて、ロジスティック重回帰分析により、電子カルテの各構成要素と(1)血圧コントロール、(2)慢性疾患に対する適切な治療の実施との関連を検討した。この関係は「完全な電子カルテ」についても検討した。完全な電子カルテは、医師記録と看護記録、電子的再確認システム(reminder system)、電子的処方、電子的検査指示と検査結果のすべてを含んでいるものと定義した。

その結果、電子カルテ中の医師記録と血圧コントロール、適切な治療の実施との間には、喘息に対する吸入ステロイドを除いて、何の関連もなかった。電子的再確認システムと血圧コントロール、適切な治療の実施との間にも、一部の治療を除いて、何の関連もなかった。電子カルテ中の医師記録と医療の質のどの指標との間にも関連がなかった。完全な電子カルテと医療の質のどの指標との間にも関連がなかった。

二木コメント-電子カルテの先進国と言われるアメリカでも、全国レベルでは、電子カルテが医療の質を改善したとは言えないとする衝撃的報告です。

○[手術による]医療事故が発生後90日間の医療費とアウトカムに与える影響:[アメリカの]外科患者の調査
(Encinosa WE, et al: The impact of medical errors on ninety-day costs and outcomes: An examination of surgical patients. Health Services Research 43(6):2067-2085,2008)[量的研究]

本研究の目的は、手術による医療事故が発生後(または退院後)90日間の医療費、患者の死亡、再入院および外来医療に与えている影響を明らかにすることである。調査対象は企業提供医療保険グループ(加入者約560万人)の2001~2002年の医療費請求書のうち、手術を含む161,004件である。これらの記録を、医療研究・質庁(AHRQ)が作成した14の患者安全指標を用いて精査したところ、4140件(2.6%)に「潜在的に予防可能な有害事象」(adverse medical events)を認めた。propensity score matchingと多変量回帰分析により術後90日間の医療過誤による追加的費用とアウトカムの変化を推計した。

医療事故発生後90日間の追加的医療費は、事故の種類により異なったが、最低646ドル、最高28,218ドルであり、最高で退院後総医療費の20%であった。医療事故を受けた患者は対象の三分の一が退院後90日に死亡しており、そのうち医療事故が原因の死亡は0~7%と推計された。医療事故が原因の再入院率は0~8%と推計された。全体では、退院後90日間の全死亡の11%、再入院の2%、医療費の2%が医療事故によるものと思われた。以上の結果に基づいて、著者は、医療事故の影響は退院後も続くため、入院中の状態に焦点をあてた研究はそれを過小評価することになると警告している。

二木コメント-厳密には、medical error (医療過誤)とadverse event(有害事象)は異なりますが、本研究では同一視されているため、前者を「医療事故」と訳しました。

○競争は[HMOの]医療の質を改善するか?
(Scanlon DP, et al: Does competition improve health care quality? Health Services Research 43(6):1931-1951,2008)[量的研究]

HMO間の競争がHMOの医療の質に与える影響を検討するために、アメリカの全HMOが政府に提出した1998~2002年の5年間のデータを分析した。固定効果推定法(母数モデル)により、HMOの競争(Herfindahl指数またはHMO数)とHMOの医療の質との関連を検討した。その結果、競争が強まっても医療の質は向上していなかった。同様に、同一地域でのHMOのシェアが高まっても、医療の質は向上していなかった。逆に、競争と医療の質との間には負の相関があることが示唆された。以上の結果は、HMO間の競争促進戦略は、現在の市場構造のもとでは、必ずしもHMOの医療の質の向上には結びつかないことを示唆している。その理由としては、価格競争が支配すると医療保険の購入者も消費者も医療の質の改善より保険料が安いことを優先するようになること、および競争がサービスの断片化をもたらすことが考えられる。

二木コメント-HMO間の競争を促進しても医療の質は向上しないことを全米レベルのデータで実証した初めてのの研究と思います。

○[アメリカの]専門病院と総合的病院:費用[効率]の比較分析
(Carey K, et al: Specialty and full-service hospitals: A comparative cost analysis. Health Services Research 43(5,Part 2):1869-1887,2008)[量的研究]

本研究の目的は、医師所有の単科専門病院(循環器科・整形外科・一般外科)と診療科を多数有する総合的病院の費用効率を比較することである。対象は、専門病院が特に多いテキサス州、カリフォルニア州、アリゾナ州の全専門病院(合計43)とそれら病院と同じ診療圏にある全総合的病院(975)である。これら病院の1998~2004年のメディケア費用報告と退院患者データ等を用い、ストカスティック・フロンティア回帰分析等により、病院の費用関数を推計した。

その結果、専門病院が競合する総合的病院に比べて費用効率的であるとの証拠は得られなかった。具体的には、整形外科と一般外科の専門病院は総合的病院に比べて有意に費用非効率であり、循環器科専門病院の費用効率も総合的病院と変わらなかった。この結果に基づいて著者は、政策決定者は医師所有の専門病院が総合的病院に比べて患者サービスを効率的に提供しているとの主張を認めるべきではないと主張している。

二木コメント-専門病院の支持者はそれが総合的病院に比べて効率的であると主張しています(例:レジナ・E・ヘルツリンガー『米国医療崩壊の構図』一灯社,2008)。しかし、本研究によりそれと逆の結果が得られたと言えます。

○[アメリカの]病院の開設者と医療の質:何が先行研究の異なる結果を説明するか?
(Eggleston K, et al: Hospital ownership and quality of care: What explains the different results in the literature? Health Economics 17(12):1345-1362,2008)[文献レビュー]

本研究の目的は、体系的文献レビューにより、病院の開設者(営利、非営利民間、政府)と医療の質の関係を検討した先行研究の結果が大きく異なっている理由を明らかにすることである。レビューの対象は1990年以降に発表され、アメリカの非連邦立急性期総合病院の医療の質を多変量解析により検討した31論文である。開設者効果の蓄積推定値(pooled estimates)は、各論文で用いられている指標の選択、および対象病院の重複の程度により変わった。メタ回帰分析では、病院の開設者と患者のマイナスのアウトカムとの関係は、データソースや、調査時期、対象地域の影響を受けることが明らかになった。アメリカの全病院を代表するデータを用いた論文では、営利病院の医療の質は非営利民間病院よりも低いとの結果が得られやすかった。

二木コメント-本論文の最後には「もっと研究が必要だ」という決まり文句が書かれていますが、本研究により、営利病院の医療の質は非営利病院より高いという、営利病院の推進者がかつて行った主張は棄却されたと言えます。

○[アメリカの]病院間競争が入院医療の質に与える影響
(Mutter RL, et al: The effect of hospital competition on inpatient quality of care. Inquiry 45(3):263-279,2008)[量的研究]

病院間競争と医療の質に関する先行研究では確定的な結果は得られておらず、時には矛盾する結果も出ている。その原因としては、用いた方法、病院間競争の尺度、病院医療の質の尺度が違うことが考えられる。本研究では、まず医療研究・質庁(AHRQ)が作成した質指標38(入院医療の質指標18、入院患者安全指標20)を「1997年医療費用・利用プロジェクト州入院患者データベース」に応用して、入院医療の質38指標の異なる3版を作成した。次にこれら指標と12種類の病院間競争尺度との関連を、回帰分析により検討した。その結果、病院間競争はかなりの病院医療の質指標に影響を与えていたが、その影響の方向は一定していなかった。つまり、一部の指標は病院間競争が強いほど改善していたが、他の指標では逆の結果が得られたし、病院間競争と無関係な指標もあった。著者は、このような結果を説明する仮説を提示したが、それでも不明な点は残った。

二木コメント-要するに、どの指標を用いるかによって、結論は変わるどころか、逆になりうると言うことです。これは、病院間競争と医療の質の関係に限らず、一見緻密な量的研究の結果を解釈する際の盲点・注意点と言えます。

○[アメリカの]病院の非効率の測定:医療の質と患者の疾病負担を調整する影響
(Mutter RL, et al:Measuring hospital inefficiensy: The effects of controlling for quality and patient burden of illness. Health Services Research 43(6):1992-2013,2008)[量的研究]

各病院の医療の質と患者の疾病負担を調整した場合、SFA(stochastic frontier analysis)により算出される病院の費用非効率推定値と病院ランキングが、どのように変わるかを評価した。ここで患者の疾病負担は、より多くの医療資源が必要となる要因と定義され、具体的には疾病の重症度、併発症の有無と程度等を指す。2001年に全米20州の都市部で運営されていた1290病院を対象にして、アメリカ病院協会調査やメディケア費用報告のデータを用いた。医療の質の調整には、医療研究・質庁(AHRQ)が作成した患者安全指標や入院患者質指標等を用い、患者の疾病負担の調整にはHCUP(医療の費用と利用プロジェクト)が作成した併発症(comorbidity。主疾患とは別の重大な併発症に限定)ソフトフエアを用いた。

その結果、医療の質と患者の疾病負担の調整は、SFAにより得られる病院パフォーマンスの評価に小さくない(nontrivial)影響を与えることが分かった。併発症ソフトウェアの尺度を用いると、これを用いる前は適切に評価されていなかった患者の疾病負担の変動が相当説明可能になった。医療の質のアウトカム尺度からも病院の運営についての有用な情報が得られた。

二木コメント-この論文の著者は、上記「病院間競争が入院医療に与える影響」と同じで、「医療の質と患者の疾病負担の指標として何を選ぶかにより、SFAにより算出される病院の非効率の推定値と病院ランキングの結果は少なからず変わる」ことを明らかにしています。逆に言えば、これらの要因を考慮しない費用効率評価は非常に危険と思います。なお、SFAと次の論文で用いられているDEAについては、河口洋行『医療の効率性測定』(勁草書房,2008)参照。

○医療サービス提供の効率と生産性の測定[研究の文献レビュー]
(Hollingsworth B: The measurement of efficiency and productivity of health care delivery. Health Economics 17(10):1107-1128,2008)[文献レビュー]

医療サービス提供の効率と生産性の測定は今や小さな産業になっている。本研究では、1983~2006年の24年間に発表された、フロンティア効率分析の317論文をレビューする。主に用いられている技法はノンパラメトリックなDEA(data envelopment analysis)であるが、最近は、SFA等パラメトリックな技法の使用も増えている。これら技法の病院やそれ以外の医療組織に対する応用のレビューと要約を行い、部分的にはメタアナリシスも行った。その結果、医療サービスの公的提供は特定の条件の下では私的提供よりも潜在的には効率的かもしれないという「注意深い結論」が得られた。本研究では、効率の概念化も行う。最後に、効率研究の使用と有用性を判断するためのいくつかの基準を示す。

二木コメント-本論文は、Hollingsworthが1999,2003年に発表した体系的文献レビューの最新増補版で、この分野の研究者必読と思います。


4.私の好きな名言・警句の紹介(その50)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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