総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻96号)』(転載)

二木立

発行日2012年07月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

論文「医薬品の経済評価で留意すべき点は何か?」(「深層を読む・真相を解く」(13))を『日本医事新報』2012年6月30日号に掲載しました。本「ニューズレター」97号(2012年8月1日配信)に転載予定ですが、早めに読みたい方は同誌掲載分をお読み下さい。

論文「民自公『社会保障制度改革推進法案』をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く」(14))を『日本医事新報』2012年7月7日号に緊急掲載します。これに大幅に加筆した同名論文(ただし、「『社会保障・税一体改革大綱』との異同を中心に」との副題を追加)を『文化連情報』2012年8月号に掲載し、それを本「ニューズレター」97号(2012年8月1日配信)に転載する予定です。両論文では、三党合意法案は、3代の民主党内閣はもちろん、それに先立つ福田・麻生自公内閣時代から確認されてきた社会保障の「基本的な考え方」を180度転換しており、小泉内閣時代の厳しい社会保障・医療費抑制政策が復活する危険があることを指摘しています。


1.『TPPと医療の産業化』出版記念インタビュー:TPPは「医療の営利化」の先兵

(『文化連情報』2012年7月号(412号):12-16頁)

――5月に『TPPと医療の産業化』を出版されました。

二木 『文化連情報』には、私の本が出るたびにインタビューしていただきありがとうございます。この本も、1年前に出した『民主党政権の医療政策』と同じように、主として『文化連情報』に連載させていただいている「二木教授の医療時評」がベースになっています。全部で24本の論文が収録してありますが、半分の12本が、『文化連情報』に最初に掲載した論文です。この本の主な生みの親は『文化連情報』であり、心からお礼申し上げます。

――こちらこそありがとうございます。この本の一番の狙いは何でしょうか。

二木 TPP問題は、民主党政権の医療政策で、医療分野への市場原理導入、いわゆる新自由主義的改革の流れが強くなってきたことの表れでもあります。政府の公式文書の言葉を使いますと、「医療の産業化」です。そのひとつの表れがTPP問題だと理解して、それに焦点を当てています。TPPと医療の産業化政策は5年、10年という単位で見ると、「医療の営利化」の先兵になる可能性が大きいと思います。もちろん昨年2月出版の『民主党政権の医療政策』の続編ですから、民主党の社会保障と税の一体改革などにも触れています。

医薬品・医療機器の価格規制撤廃・緩和

――農協グループはTPP断固反対です。医療分野においての危険性、問題点、先生の解明されている内容についてお聞かせください。

二木 私は日本のTPP参加には反対ですが、TPPが医療に与える影響は分析的に検討しなければいけないと思っています。農協グループが断固反対するのは当たり前ですが、医療の場合には、TPPに参加してストレートに国民皆保険が解体されるかというと、それはちょっと言い過ぎだと思っています。国民皆保険解体だけを強調すると、いわばオオカミ少年みたいになってしまう可能性があると思ったのです。

そこで、もし日本がTPPに参加した場合、アメリカ側は3段階の要求を出してくるだろうと整理してみました。第1段階は、医薬品と医療機器に対して行われている現在の価格規制の撤廃または緩和です。これは、実は新しいことではなくて、アメリカが毎年、「外国貿易障壁報告書」で公表しています。第2段階は、一部の地域、特区に限定した形での混合診療や株式会社による病院経営の解禁です。第3段階は、その全国への普及。つまり全国レベルでの混合診療全面解禁、株式会社による病院経営の全面解禁です。この3段階に整理すべきだと思っています。

日本がTPPに参加した場合、まず直面するのは第1段階で、一気に第3段階まではいきません。しかし、第1段階でまず崩されたら、次は第2段階、さらに第3段階も否定はできないというふうに考えるべきだと思っています。

第1段階でどのような問題が起こるかといいますと、価格規制が緩和ないし撤廃されたら、いわゆる画期的新薬の価格は上がります。さらに新しい医療機器の価格も上がります。しかも大事なのは、画期的新薬でも新しい医療機器でも、圧倒的に外資、特にアメリカ資本が強いということです。

そして、政府が医療費全体の上げ幅を決め、そこから薬価を引き下げて、その分を診療報酬の引き上げに回すという現在の医療費改定のやり方では、薬価が下がらなければ診療報酬が上がらなくなってしまいます。理念的な問題ではなく現実的な問題で、医療機関の経営にものすごく大きな影響を与えることになります。私は、このことはTPP反対運動の輪を広げるためにも非常に大事だと思って強調しています。

医療特区での混合診療と株式会社による病院経営

二木 さらにアメリカは次の段階で、医療特区に限定した混合診療と株式会社による病院経営の解禁を要求してくると思います。もちろん、アメリカは本音では全国レベルで一気に実現したいのですが、それをやるためには医療法や健康保険法の全面改定をしなければなりません。そんなことがすぐできないことはアメリカだって分かっているわけですから、アリの一穴という感じで、医療特区に限定した要求をしてくると思っています。

医療特区に限定した解禁は、今の法律でもできます。医療法や健康保険法を大幅に変えなくても、その時の政治的力関係で実施可能です。例えば、今後、小泉政権的な強権的政権が誕生した場合には、十分に可能性があると思っています。ただ、注意しなければいけないのは、これはアメリカ資本が日本を一気に支配するというよりも、日米合作でやってくると思います。小泉政権の時代もそうです。規制緩和のいろいろな要求は、医療でも、農業でも、アメリカが一方的に要求したわけではなく、それに呼応する形で、それにより利益を得る日本の大資本も要求し、そちらがむしろ中心だったという説もあるくらいです。

では、医療特区に限定していれば問題はないかというと、決してそうではありません。医療特区に限定するにしろ、混合診療と株式会社による病院経営が導入されて一番問題になるのは、医療の非営利性、医療者は国民・地域に奉仕するという医療の理念が崩れてしまう危険があることです。たとえ特区に限定されたとしても、医師や医療機関の中に、営利的な傾向が強まる危険があり、私はそれを一番心配しています。
厚生連病院のように純粋非営利の場合には、問題はあまり生じないと思いますが、一方で医療特区で医療を金儲けのために使っていいということになると、そういう気持ちが特区以外の医療機関や医師の間で強まる危険があります。そうなりますと当然、国民の医療不信が強くなります。そのために、私は、特区に限定してもやるべきではないという立場です。

さらにTPPが怖いのは、このままでいくと、投資家が国を訴えることができるISD条項が導入される危険が強いことです。そして、日本の特区に参入したアメリカ企業あるいは日米の合同企業体が、特区に限定されるのは差別的な扱いだ、特区に限定しているために自分達は儲からないということを国際裁判所(国際投資紛争解決センター)に訴え、その訴えが認められた場合には、それをテコにしてアメリカ政府が、混合診療全面解禁、株式会社による医療機関経営全面解禁を全国で実施しろ、と要求してくる可能性は大きいと思います。

医療特区に関しては、今の政権の延長でいけば、そう簡単に認められるとは思っていません。しかし、小泉政権の再来のような強権的政権ができた場合には、法改正がいらないですから、第2段階の特区ぐらいまでいく可能性があります。さらに、それに続いて、もし第3段階の要求までもが実現したとしたら、全国民の強制加入という意味での国民皆保険制度は残るとしても、保険給付の範囲やレベルは大幅に切り下げられ、「いつでも、どこでも、誰でも」良い医療を受けられるという国民皆保険制度の崇高な理念は失われ、国民皆保険制度が空洞化してしまう危険があると思っています。

いつでも、どこでも、誰でもよい医療をの原則が崩れる

二木 長期的に見てアメリカが全面解禁を要求してくることは、間違いありませんが、それを日本としてそのまま受け入れられない理由があります。それは経済的理由と、政治的理由です。経済的理由としては、医療分野に市場原理を導入すれば、医療費および公的医療費が上がってしまいます。これは学問的にも、アメリカの現実でも確認されています。だから、国家財政との関係で医療費を抑制しなければならないという国是に反するのです。

さらに政治的理由ですが、一番の基本は、日本の国民は少なくとも医療に関しては平等意識がものすごく強いのです。格差医療を支持する国民は、どんな世論調査でも1~2割で、6~8割が平等な医療に賛成です。さらに日本では、医師会、病院団体、すべての医療団体が、医療分野への市場原理導入に反対しています。特に医師会は、TPP問題では、農協グループの次に活発に反対運動を展開しています。しかもその反対の論理が非常にすっきりしていて、医療に対する市場原理導入に反対ということがベースにあって、TPPはその先兵になるという、きわめて正確な位置付です。

3番目に、混合診療の全国レベルでの全面解禁が困難な新しい理由があります。それは、昨年10月、混合診療をめぐる裁判で、最高裁が混合診療を原則禁止し、部分的に保険外併用療養費制度で認める現在のやり方が合法だという判決を出したことです。実は混合診療禁止は、法律の条文には明示されていません。そのため、東京地裁では原告側が勝ったのですが、東京高裁と最高裁は、そのことを認めた上で、法の全体的な体系の中でこれは合法だと判断したのです。これはすごく大きな意味があります。

私は、この最高裁判決がTPPの第3段階の要求に対する大きな法的な歯止めになると思っています。アメリカ側がいろいろな要求を突きつけてくることは確かで、それによって周辺から医療の営利化が進む可能性はあると思うのですが、それによって国民皆保険が全面的に解体されることはないと思っています。

――私どもはTPP参加阻止ということで頑張っています。厚生連病院で働く医療関係者へも含めて、もっとアピールすべきところがあればアドバイスをお願いします。

二木 2つあります。1つは、医師会は本当に早い段階から民主党政権の医療分野への市場原理導入政策とTPP参加を一体のものでとらえて反対していたのです。ただ、最初の段階では、いろいろ政治的な配慮あるいは思惑もあって、TPPへの参加そのものには保留でした。しかし、TPPに参加したら医療分野に市場原理が導入される。その点には厳しく反対するというものでした。しかしこの間、政府が誠実な対応をとらなかったこともあり、今年の3月からはTPP参加そのものに反対することを強調するようになりました。TPPの問題はそれだけ見ると空中戦に見えますが、TPP参加により、小泉政権時代から目指されてきた医療分野への市場原理導入が実現し、日本の医療の非営利原則、国民がいつでも、どこでも、誰でもよい医療を受けられる原則が崩れる危険があることを強調すべきだと思います。

2番目は実利の問題です、先ほども言いましたが、すぐ国民皆保険が解体することは起こらないにしても、医薬品や医療機器の価格がものすごく引き上げられ、それ自体が経営に大変な悪影響を与えます。それに加えて、診療報酬が上がらなくなり、場合によっては引き下げられるかもしれません。この点でTPP参加は医療機関の経営にもストレートに悪影響を与えることも、強調した方がいいと思います。

医療費の主財源は消費税ではない

――次に、社会保障と税の一体改革の内容や問題について、どのようなことが焦点になっているのか、お聞かせ下さい。

二木 私は、TPP参加や医療の産業化政策にはきわめて批判的です。しかし、社会保障と税の一体改革の問題は、それらと同列に置けないと思っています。私は原理的に言って、医療費について消費税を主たる財源にすることに賛成ではありませんが、消費税が一切使えないというのは多少厳しいと思っています。そのため、社会保障と税の一体改革に関しては、私流にいうと複眼的な評価をしています。

一番強調したいことは、小泉政権の後、福田・麻生政権の時に、事実上の政策転換が行われ、今回の社会保障と税の一体改革もその延長線上にあることです。医療費を大幅に上げることは出ていないですけれども、小泉政権時代と逆に、改革を進めると医療費が少し上がることは認めており、これ自体は意味があり、率直に評価すべきだと思います。

2番目に大事なのは、医療関係者にも医療費引き上げの主財源が消費税だと思っている人がいるのですが、それはとんでもない誤解だということです。今の医療保険制度の大枠は今後も維持され、2025年までのシミュレーションを見ても、主財源は社会保険料です。大ざっぱにいうと、5割が保険料、3割5分が公費です。公費の引き上げ分に消費税を主に使いますという話で、医療費全体が消費税で賄われるわけではないのです。

3番目は、社会保障と税の一体改革とセットになっている医療サービス提供体制の改革で、医療関係者はこれにもっと注目すべきだと思っています。かなり具体的な数字が出ています。例えば高度急性期は18万床などと書いてありますが、これは決して既定の事実ではなく、厚労省自身も「イメージ」という言葉を使っています。しかし、一部の病院関係者がこの数字を絶対化して、この18万床に自分の病院が残れるか残れないかだけを問題にしているのは先走りすぎだと思います。ただ、この「イメージ」には、地域一般病床も含まれており、決して間違ったものではないと思います。大きな方向としてはこの方向に行くと思います。

もう1つ、社会保障と税の一体改革の医療・介護の項で強調されているのが地域包括ケアシステムで、これは医療提供体制の再編と一体とされています。こ両方が医療・介護の今後の改革と理解する必要があります。また、地域包括ケアシステムは実態的には「システム」というより「ネットワーク」で、その具体的あり方は各地域によって相当異なります。

長期的な展望が示された改定

――厚生労働省は、今回の診療報酬・介護報酬改定は2025年改革に向けた第一歩だと言っています。今後の実現性も含めてどうでしょう。

二木 今年4月の診療報酬改定には、大きく言って2つの特徴があると思っています。

1つは、厚生労働省なりの2025年に向けた医療提供体制の改革イメージに沿った改定であることです。今までは個々の医療機関が2年ごとに振り回されていましたが、それぞれの医療機関のポジションを考える上では、今回の改定は参考になると思います。

もう1つは、今回の診療報酬改定のプロセスは、良い意味で従来型に戻ったことです。このことは、2年前と比べると分かります。2年前は政治主導でした。民主党政権ができたばかりで、既存のやり方を全部変えるということで大病院にかなり偏重した改定でした。それに対して今回は伝統的なやり方に戻り、中医協や社会保障審議会においていろいろな意見を汲み取っています。財源が限られているという枠内ではありますが、わりとバランスが取れたものになっていると思います。

個々に見ればいろいろな問題点があるのは当たり前ですが、この10年間の診療報酬改定の流れで見ると、曲がりなりにも長期的な展望が示された点、さらに一方的な政治主導ではなく医療団体の意見もかなり細かく聞いたというのが特徴ではないでしょうか。

――2025年の数値目標(イメージ)が出されますと、厚生連病院としても、どのポジションにいけばいいのかなど、不安になります。

二木 厚生連病院は法的には民間団体ですから、数値目標に強制力はまったくないのです。強制力があるのは国立病院機構だけです。あの数値は、あくまでも仮の数値であって、イメージなのです。だから、逆にいうと今後医療団体から違うイメージの数値を出せばいいわけです。
また、あの数値はかなりいいかげんなもので、要するに逆算しているだけです。これから高齢化がさらに進みます。当然、死亡者が増えます。しかし、予算制約のため、病床も増やせない、さらに入所施設も増やせない。そこを前提にして逆算しているので、極端に無理な平均在院日数(9日)になっています。逆に9日で退院させようとしたら、当然まだ患者は回復していませんから、亜急性期あるいは長期療養の病床がもっと必要となりますが、その辺は増やしていません。要するに、病床を増やさない、施設を増やさないという前提があってできた数値だから、そうなるのは当然です。

諦めずにTPP反対運動を

――最後に読者の皆さんに対してメッセージがあればお聞かせください。

二木 今日はTPP参加を前提にお話ししましたが、そもそもTPP参加でまとまるかどうかはまだ流動的です。TPPそのものが必ず発足するという保証さえありません。一方でアメリカと日本という先進国、他方では発展途上国があり、そんなに簡単にまとまるかどうかわかりません。さらに日本国内でも、民主党政権の中でも割れている、自民党も全面賛成とは言っていない。また、農協だけではなくて医師会が頑強に反対しています。TPPに日本が参加するかどうかはまだまだ流動的ですので、諦めずに反対運動を展開していってくださればと思っています。

さらに、TPPに入ろうが入るまいが、非営利の医療機関がきちんと地域密着型で合理的なマネジメントを行いながら、地域に貢献していく、そのための人材の養成がすごく大事になっていると思っています。私どもの大学でも、社会人大学院として医療・福祉マネジメント研究科というのをつくり、人材育成のお手伝いをさせていただいています。最後に一言、宣伝をさせていただきます。

――本日はありがとうございました。

(聞き手=文化連常務理事・山田尚之/5月14日)

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2.論文:宮田和明学長と21世紀COEプログラム

(日本福祉大学『社会福祉論集』故宮田和明前学長追悼号:85-95頁,2012年6月)

はじめに-宮田先生はCOEで強いリーダーシップを発揮された

私が宮田和明先生に初めてお会いしたのは、1985年4月に日本福祉大学に赴任する前年の1984年12月です。当時教務部長をされていた先生は、わざわざ私の当時の勤務先(東京・代々木病院)まで、「割愛願い」を持っていらっしゃいました。本学に赴任後、私が宮田先生の在籍中に担当したほとんどの役職-教務部副部長(1995~1996年度)、社会福祉学部長(2003~2004年度)、大学院委員長(2005~2008年度)-は、先生から直接依頼・指名されたものでした。そのために私は宮田先生から大学管理業務の心構えとノウハウを学んだと言っても過言ではありません。

しかし、私が宮田先生で忘れられないことは、先生が本学の文部科学省「21世紀COEプログラム」(以下、適宜、COEプログラムまたはCOEと略記)で、学長としての強いリーダーシップを発揮されたことです。先生は、文部科学省への申請時だけでなく、採択後も、COE推進本部長として、5年間(2003~2007年度)、大学全体の研究の推進・支援体制を確立・維持されながら、常に大局的かつ細部にわたってCOEの教育・研究活動を指導されました。COEプログラムの採択理由にも、「リーダーの意欲は高く、大学全体の支援も評価する」と書かれていました。私はCOEプログラムの「拠点リーダー」として5年間先生の指導を受けることにより、多数の教員・研究員・院生等が参加する大規模研究のマネジメント能力を身につけることができました。

本稿では、COEプログラムの5年間を振り返ることにより、宮田先生の追悼に代えさせていただきます。本文前半の「日本福祉大学・21世紀COEプログラム本格始動」はCOE採択直後に発表した文書を圧縮したものです(1)。後半の「21世紀COEプログラム-5年間の教育・研究の総まとめ」は、COEプログラム終了直前に発表した文書を一部補強したものです(2)。[ ]内は、現時点での補足・訂正またはCOE終了時(2008年3月)の最終数値です。COEプログラムの「キセル」的報告で恐縮ですが、この方が当時の熱気や高揚感が伝わるし、「歴史の証言」にもなると考えました。

I 日本福祉大学・21世紀COEプログラム本格始動(2003年度)

本学の研究教育プロジェクト「福祉社会開発の政策科学形成へのアジア拠点」が、わが国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成することを目的とした文部科学省の2003年度「21世紀COEプログラム(社会科学分野)」に採択されてから3カ月が経ちました。夏休み中に行った3回の準備会議を経て、9月23日に名古屋キャンパス北館で開催した第1回COE推進委員会全体会議で、それがいよいよ本格的に始動しました。

この全体会議には、当初の予定を大幅に上回る45名の教職員・院生が参加し、宮田学長のごあいさつの後、下記の3議題を中心に活発な討論が行われ、今後の研究方向と体制を確認しました。(1)拠点リーダーからの「基調報告」、(2)5分野の各グループ・リーダーからの研究・教育計画の報告、(3)本プロジェクトの全体像の共通理解と個別分野の諸研究・計画の融合・統合へ向けての自由討論。以下はそれのまとめです。

1 本学プロジェクトのポイント

本学の提案した研究教育プロジェクトの目的を一言で述べますと、本学の大学院社会福祉学研究科が蓄積してきた高齢者ケアを中心とする福祉分野の政策科学・評価研究と、本学の大学院国際社会開発研究科が蓄積してきた発展途上国の貧困地域の参加型社会開発研究とを融合・統合して、「福祉社会開発学」とでも呼ぶべき新しい学問領域を創出し、本学を中心にその「アジア拠点」を形成することです。本プロジェクトの申請母体は大学院社会福祉学研究科社会福祉学専攻ですが、実態的には大学院国際社会開発研究科との共同プロジェクトです。

この目的を達成するために、次の5つの分野の研究教育を推進します。(1)高齢者ケアの政策科学形成、(2)日本の中山間地における地域ケア、福祉社会開発モデル研究、(3)東南・南アジアにおける福祉社会開発の方法論的研究、(4)東アジア福祉社会開発研究、(5)保健医療福祉の統合システムの研究。

本プロジェクトは、本学の教員だけで約30人(うち「事業推進担当者」10人)、他大学の教員、本学の大学院生・研究員を加えると総勢50人が参加する、本学史上最大規模の研究・教育プロジェクトです。

2 本学の提案が21世紀COEプログラムに採択されたことの意義とその要因

ここで、21世紀COEプログラムに本学の提案が採択されたことが、どれほど画期的なことかを、次の3つの指標から確認したいと思います。第1は、本学が社会福祉系大学では「オンリーワン」の採択なことです。第2は、本学が社会科学分野全体でも「5大私学」の一角を占めたことです。ちなみに、本学以外の4大学は、慶応義塾大学、早稲田大学、同志社大学、関西学院大学という、東京と関西の超有力私学です。第3に、同じく社会科学分野では、国公立大学を含め、東海地方・中部地方で唯一の採択です。

次に、本学の提案が採択された3つの要因を述べます。第1は対外的要因で、文部科学省が当初の「トップ30」(大学単位の採択)から「21世紀COEプログラム(学問分野別の採択)」)に方針変更したことがあげられます。率直に言って「トップ30」は本学にとって高嶺の花でしたが、学問分野別の採択への方針変更により、「小さくてもきらりと光る」本学のような中堅大学のプロジェクトが採択される可能性が生まれました。それに加えて、採択にあたっての日本的「バランス主義」と福祉重視の「時代の風」が追い風になったことも見落とせません。第2の要因は、言うまでもなく、本学の50年の社会福祉教育・研究の蓄積です。特に、1990年代後半以降の本学の積極的な事業展開-特に、経済学部経営開発学科[2003年時・福祉経営学部]の開設、大学院強化、アジアの拠点大学(南京大学等)との提携-が、今回の採択に大きく寄与したことは間違いありません。第3の要因は、視野が広くしかも魅力的な研究テーマを設定したことです。これは今回の採択の直接的要因であり、その3大功労者は、短期間の「突貫工事」で膨大な申請書類をまとめた平野隆之社会福祉学部教授、穂坂光彦福祉経営学部教授、研究課秋田優氏と言えます。もちろん大学トップ(特に諏訪兼位前学長、宮田和明現学長、福島一政学長補佐)が準備作業を全面的に支えたことは言うまでもありません[肩書きは2003年度時]。

ただし、本学の提案はある意味で「条件付き」採択であることも冷静に認識する必要があります。21世紀COEプログラム委員長の江崎玲於奈氏によると、審査過程で、採択されたCOEプログラムは「3つの範疇」にランク付けされたそうです(「世界的研究促す助成計画」『読売新聞』2003年8月28日)。「3つの範疇」の詳細は公開されていませんが、本学の提案は採択後文部科学省から「拠点形成計画調書」の大幅な補強を求められたことから、第3ランク「計画の改善後、一層の努力で世界水準達成が期待されるもの」と位置づけられたと思われます。そもそも、21世紀COEプログラム自体に「中間評価制度」が組み込まれており、2年間で研究教育の実績があがらなければ、承認の取り消しもありうるのです。

それだけに、最初の2年間で、最低限、本学が「世界水準の拠点」となるための足がかりを築くために、各分野の個別の研究教育を旺盛に進めるとともに、それらを融合・統合した「福祉社会開発学」確立へ向けて「一層の努力」をする必要があります。

3 21世紀COEプログラム推進に当たっての本学の戦略目標と数値目標

(1)5年間の戦略目標と数値目標

COEプログラムを5年間推進する上での、戦略目標は以下の2つです。第1は対外的目標で、名実ともに、社会福祉学全般と国際社会開発の教育・研究の「アジア拠点」になり、国内外の研究者等から、「両分野は、日本では福祉大に学べ」と言われる大学になることです。第2は学内的目標で、COEプログラムをバネ・触媒として、2003年度に実現した大学院校舎の物理的統合(名古屋キャンパスの開設)から、大学院全体の組織的・機能的統合へ進むことです。

第1の戦略目標を達成するために、以下の数値目標を立てました。まず、確実に実行する必要がある数値目標は、COE関連の共同研究の成果をまとめた研究書を5年間で最低でも5冊以上出版すること、および国際シンポジウムまたは大規模研究発表会を毎年開催することです。なお、前者には単なる「報告書」は含まず、可能な限り叢書化をめざします。後者は、2003年度中に2回開催を予定しています。

数値目標の「努力目標」は、アジアの提携大学等からの大学院留学生の25人受け入れと博士号授与者をCOE非関連分を含め25人出すことです(内訳は、日本人院生10人、留学生10人、本学教員10人)。21世紀プログラムのヒアリングでは、本学の提案の最大の弱点として、留学生の大学院への受け入れ実績が少ないことと、大学院の博士号授与者の実績がわずか2人にすぎないことが指摘されましたので、この「努力目標」をたてました。

(2)最初の2年間の研究書出版目標・計画

最初の2年間に、COEを冠した研究書を3~5冊出版し、しかも可能な限り、それの叢書化を追求します。なお、商業ベースの出版が困難な場合は、「COE出版助成制度」を活用します。(以下、略)

4 5年間の研究教育推進体制

COEプログラムの5年間の研究教育推進体制は以下の通りです。なお、名古屋キャンパス北館7階にCOEプログラムの専用研究スペースを2室確保し、COE関連の研究会・会議は、原則としてすべてそこで開催します。

(1)COE推進本部会議とCOE推進委員会

COEプログラムは全学的事業ですので、「COE推進本部会議」と「COE推進委員会」という2段階の研究教育推進体制を発足させました。
COE推進本部(議長:宮田学長)は、は、COEプログラムのいわば「戦略本部」で、COEプログラム推進の全体的方針を検討・作成します。COE推進委員会(委員長:二木)は、COEプログラムのいわば「実施部隊」で、各グループの研究の進行状況の報告・点検・調整等を日常的に行うとともに、各分野の研究を融合・統合し、「福祉社会開発学」を創出するための討論を行います。COE推進委員会は、推進本部委員、プログラム参加教員・院生等の自由な参加を認める「開かれた」委員会とします。また、必要に応じ、プログラム参加教員・研究者全員が参加する「全体会議」を開催します。

(2)COE主担教員の制度化

COEプログラムの研究教育に専念する「COE主担教員」を制度化します(その後、教員制度改革検討委員会での議を経て、大学運営会議・評議会等で承認)。

COE主担教員は、社会福祉学領域、国際社会開発領域から各1人選出し、任期は1年としますが、継続も認めます。COE主担教員の、COEプログラム以外の業務は、原則として大学院教育と教授会出席のみとし、その他の校務は免除します。

(3)拠点リーダーの3つの役割

拠点リーダー(二木)は以下の3つの役割を果たします。

第1に、COE推進委員会を主催し、各チームの研究の進行状況の点検と調整等を行うとともに、各分野の研究を融合・統合した「福祉社会開発学」形成に向けての討論を組織します。第2に、「業績主義」に徹し、各チームおよび参加教員・院生の研究成果の発表(学会発表、論文執筆、本の出版)を点検・督促します。この点に関しては、各分野の単なる「調整役」に終わることなく、「詰めがキツイ」「赤ペン先生」の特技を発揮して、各研究への疑問・質問・要望を率直に出します。最低限、他分野の研究者・院生が読んで理解できるような、分かりやすい文書にすることを求めます。第3に、中身のある「COE推進委員会ニューズレター」を隔月発行します。

あわせて、「事業推進担当者」の一員として、「保健医療福祉の統合システムの研究」も進めます。

5 今後推進予定の5分野の個別研究の全体像

今後推進予定の研究は以下の5分野、10グループです(グループ名は略)。5分野は文部科学省に提出した「拠点形成計画調書」に明記しているため変更できませんが、各分野内の具体的な研究テーマは今後修正・統合する可能性があります:(1)高齢者ケアの政策科学形成、(2)日本の中山間地における地域ケア、福祉社会開発モデル研究、(3)東南・南アジアにおける福祉社会開発の方法論的研究、(4)東アジア福祉社会開発研究、(5)保健医療福祉の統合システムの研究。[第3年度から、次の5領域に再編しました:A融合推進研究、B先進国の政策評価研究、C日韓比較研究、D中国・モンゴル福祉社会開発研究、E南・東南アジア福祉社会開発研究。]

なお、2003年度は、時間的制約から、本学内での研究の推進に限定せざるをえませんが、2004年度からは、国内外(長野県、南京大学・延世大学・フィリピン大学等)での「拠点形成」・「共同研究センター」設置を進めるとともに、各種の「人材養成プログラム」を開始する予定です。

6 第1年度のCOE関連大規模研究会、COE推進委員会、「ニューズレター」発行の予定(略)

7 その他

(1)研究人材育成制度(略)、(2)大学院においての「COE特別講義体系」の創設(略)、(3)COE出版助成制度の創設(略)

II 21世紀COEプログラム-5年間の教育・研究の総まとめ(2007年度)

次にCOEプログラム5年間の総まとめを行います。手前味噌ですが、I-3-(1)で掲げた「戦略目標と数値目標」はほとんど達成できたと自己評価しています。

1 本研究プロジェクトの目的・原点:福祉社会開発学の構築

本研究プロジェクトの目的・原点は、先進国の高齢者ケアを中心とする福祉分野の政策科学・評価研究と発展途上国の参加型社会開発とを統合して、新しい学問領域である「福祉社会開発学」を創出し、本学を中心にその「アジア拠点」を形成することです。従来、これら2領域の研究は、国内的にも、国際的にも別個に行われており、それの統合・融合は世界初の野心的試みです。

そのために本研究プロジェクトでは、この5年間、関連する5分野(3年次からは5領域)の個別研究をすすめるとともに、全分野(領域)の研究者・大学院生が参加するCOE推進委員会などで、各分野の共通基盤となる福祉社会開発学の構築をめざして、学際的共同研究を進めてきました。

このような福祉社会開発学の確立へ向けての最初の成果・「中間報告」が、2005年3月に出版した『福祉社会開発学の構築』(ミネルヴァ書房)でした。本書により福祉社会開発学の基本的特徴は示せました。それらは、政策環境として「地域社会」を重視し、地域社会の各主体間の相互作用を重視する「プロセス・アプローチ」と「アウトカム評価」とを統合することです。

2 3本柱の研究・教育活動

COE研究プロジェクトは、このように福祉社会開発学の構築を大目標として、この5年間、以下の3つの柱の研究・教育活動を行ってきました。(1)福祉社会開発学の研究成果を「二本立」で発表すること、(2)COE関連の学位取得者を輩出すること、(3)福祉社会開発の研修・人材養成の国内外の拠点を形成すること。

(1)福祉社会開発学の研究成果を「二本立」で発表することの第1の柱は、5領域の個別研究を、福祉社会開発学への統合・融合を念頭に置きつつ、旺盛に継続し、その研究成果を国内外に発信することです。具体的には、専門雑誌での発表と専門書の出版に加えて、国際社会への発信を重視してきました。実は、この点は2005年度の「中間評価」において、本学の研究プロジェクトの弱点として指摘されたことでしたが、その後の2年間、この弱点は急速に克服されました。

国際社会への発信について本研究プロジェクトが特に重視していることは、英語によるものだけでなく、東アジア諸国の言語(中国語、韓国語、モンゴル語)での発表を積極的に行うことです。その第1弾として、2006年4月に、拠点リーダーである私の研究論文集の韓国語訳を韓国で出版しました(丁炯先延世大学教授訳『日本の介護保険制度と保健・医療・福祉複合体』(株)青年医師)。

研究成果の発表の第2の柱は5つの領域・各分野の研究を統合・融合した福祉社会開発学そのもの著書を世に問うことです。上述した、『福祉社会開発学の構築』はその第1弾でした。

(2)COE関連の学位取得者の輩出については、日本人大学院生だけでなく、留学生の大学院生の博士号取得を重視してきました。本プロジェクトが始まって以来、特に中国と韓国から優秀で意欲的な留学生が急増しているためです。さらに2006年度からは、本研究プロジェクトに参加している教員の学位(論文博士)取得を飛躍的に増やしました。隗より始めよで、拠点リーダーである私と近藤克則教授が2006年度、第2の博士号(社会福祉学)を取得しました。[最終的には、COE期間中(2003~2007年度)の博士号取得者はCOE非関連分も含めて23人、COE関連分に限定しても14人です(うち留学生4人、教員2人)]

(3)福祉社会開発の研修・人材養成の国内外の拠点の形成については、国内では、本学以外に最低1箇所「研修センター」を開設することを目的にしてきました。候補地は長野県佐久地域と山形県最上町です。国外でも、東南アジアの複数の国の大学への開設をめざしてきました。現時点でほぼ確実なのは、フィリピン国立大学とスリランカの国立ジャフ大学ですが、マレーシアの大学でも可能性を検討中です。なお、この場合は、各大学の研修センターの設立と運営に本学COEが協力する形をとる予定です。さらに、韓国・中国の有力大学との共同研究事業を定着させてきました。

3 世界水準または世界水準となりうる研究成果

福祉社会開発学のアジア拠点形成の目的に沿ったプログラム開始後の研究は多岐にわたりますが、特に世界水準または世界水準となりうる研究成果は、少なくとも4つあります。

第1は、介護保険の自治体単位および利用者単位のデータベースを構築・蓄積し、それに基づいて作成した高齢者ケア政策評価ソフトを開発・運用していることです。この研究事業は、本学大学院社会福祉学研究科の平野隆之教授グループが中心になって推進しています。これにより、高齢者ケアのマクロ・メゾ・ミクロレベルでの多面的評価が可能となり、その成果は全国の多数の自治体で、介護保険の政策評価や改革の基礎資料としても用いられています。これは世界最高水準のデータベースと評価ソフトで、現在、韓国の高齢者ケアの政策評価研究にも応用を準備中です。

第2は、本学大学院社会福祉学研究科の野口定久教授グループが進めている、福祉国家・福祉社会の日韓比較研究です。本研究は、本学を中心とする日韓研究者の共同研究で、従来の欧米諸国中心の福祉国家モデルとは異なる「東アジア福祉国家モデル」の可能性を提起するとともに、それを通して福祉国家の新たな国際比較の基準・視点を提起しています。この研究は、『日本・韓国-福祉国家の再編と福祉社会の開発』シリーズ(中央法規)として順次出版予定であり、その第1弾(第1巻)として、2006年12月に『福祉国家の形成・再編と福祉社会の開発』を出版しました。[第2巻『家族/コミュニティの変貌と福祉社会の開発』は2011年2月に出版しました。]

これは総論レベルの日韓比較研究と言えますが、保育・子育て政策に焦点化した日韓比較研究も進んでいます。これは本学大学院社会福祉学研究科の勅使千鶴教授グループが進めているものであり、2008年3月に『韓国の保育・幼児教育と子育て支援の動向と課題』(新読書社)を出版しました。

第3は、本学大学院社会福祉学研究科の近藤克則教授グループが鋭意進めている、日本の健康格差の実証研究です。これの最初の成果は、近藤教授が2005年に出版した『健康格差社会-何が心と健康を蝕むのか』(医学書院)で、これはその斬新な切り口・方法論が注目され、2006年社会政策学会奨励賞を受賞しました。さらに、現時点における日本の健康格差の実証研究の金字塔となるのが、近藤教授等が2007年出版した『検証 健康格差社会』(医学書院)です。本書は、本学COE研究プロジェクトが継続してきた大規模疫学調査により、日本における健康格差の実体を初めて包括的に明らかにした研究で、しかも単行本としては異例なことに査読を経て出版されました。この研究成果は、国際的にも大きな注目を集めており、これの一端を発表した報告は本年の第135回アメリカ公衆衛生学会学術集会で、若手研究者対象の学会賞を受賞しました。

第4は、本学大学院国際社会開発研究科の余語教授が中心となってまとめた『地域社会と開発の諸相』です。本書は、途上国のミクロ開発・研修分野で用いられてきた「余語理論」を集大成し、それを東南アジア・南アジア・アフリカ・南米の最高レベルの大学・研究者との共同研究によって検証しています。これは英文・全6冊の大著です。[その後、『地域社会開発叢書(全5巻)に変更され、2008年3月に 『第1巻:地域社会と開発-東アジアの経験』 が出版されました。]

4 アジア拠点形成のための組織的取り組み

次に、福祉社会開発学のアジア拠点形成のための組織的取り組み面での成果を紹介します。この取り組みは本学の研究プロジェクトがCOEプログラムに採択された2003年度から本格的に始めたものですが、研究・研修体制の両面で急速に整備されました。主な取組は以下の5つです。

第1に、学内の研究体制に関しては、研究活動の遂行・点検を本学の管理運営機構の中に明確に組み込みました。従来は、本学のような中規模・中堅大学でも、所属学部・研究科や研究領域の壁は厚かったのですが、この機構改革により、一気にそれらの枠を超えた学際的共同研究が進みました。[2007年度には、COEプログラムの教育・研究の成果を踏まえて、既存の3研究科の博士課程を統合した「福祉社会開発研究科」(当初4専攻。現在、社会福祉学専攻、福祉経営専攻、国際社会開発専攻の3専攻)を開設しました。]

第2に、韓国・延世大学、中国・南京大学、フィリピン国立大学、モンゴル国立大学などのアジアの有力大学およびイギリス・マンチェスター大学との共同研究・研究交流・共同研修事業が進みました。

この点で特筆すべきことは、韓国・延世大学と本学の共催で、2006年以降、毎年、「日韓定期シンポジウム」を開催することになったことです。第1回シンポジウムは、2006年5月ソウルで「高齢化による保健福祉政策の日韓比較」をテーマにして開催し、第2回シンポジウムは2007年6月に名古屋で「少子高齢化に直面する日韓の福祉政策」をテーマにして開催しました。いずれのシンポジウムでも、両国を代表する研究者による高水準の報告に続いて、「ディベイト」ともいうべき率直で活発な討論が行われました。第2回シンポジウムの全記録は日韓で出版しました(日本分は、『日本福祉大学社会福祉論集』特集号(3))。

第3に、COEプログラム採択後、中国・韓国、その他の途上国からの優秀な留学生の大学院入学も急増しています。特に、中国・韓国からの留学生はそれぞれ10名を超え、大学院生の「一大勢力」になっています。しかも、2005年度から、毎年、博士号取得者が生まれています

[COEプログラム最終年度の修士・博士課程の留学生(在籍者)は41人、これに2003~2006年度修了者36人を加えると77人に達します。留学生の国籍は、中国・韓国を中心にアジア11か国に達します。]

第4に、国内の中山間地域の再生・福祉社会開発のための人材養成の研修事業を、当該自治体の協賛を得つつ、各地で開催しています。

第5の、そしてもっとも強調すべき成果は、2005年度(COE3年次)以降、COEプログラム関係者から大量の博士号取得者を出していることです(2005年度5人、2006年度5人、2007年度4人)。実は、本学COE研究プロジェクトの第1・2年次の最大の弱点は博士号取得者がわずかであることであり、この点は2005年度の「中間評価」でも厳しく指摘されました。しかし2005~2007年度にはこの弱点を一気に挽回できました。しかも、2007年度以降も、着実に博士号授与者を出せる見通しが立っています。

5 5年間の研究の総まとめ-『福祉社会開発学』の出版

最後に、2007年度に本プロジェクトが最大の努力を注いだ『福祉社会開発学-理論・政策・実際』について紹介します(4)。これは、先述した『福祉社会開発学の構築』を、総論・各論の両面で大幅にレベルアップしたもので、大学院教育を念頭に置いた「より進んだ教科書」を目指しています。これの出版により、新しい学問である「福祉社会開発学」の確立と普及が一気に進んだと自己評価しています。それの構成は、以下の通りです。

第I部 福祉社会開発の理論:第1章 理論と方法の枠組み、第2章 福祉社会開発概念の諸側面。第II部 福祉社会開発の戦略:第3章 社会的排除と包摂戦略、第4章 貧困・障害と地域戦略。第Ⅲ部 福祉社会開発の実際:第5章 福祉社会開発のためのプログラム開発、第6章 福祉社会開発の人材養成、第7章 福祉社会開発によるプログラム評価。

[COEプログラム全体の研究成果と言える『福祉社会開発学の構築』と『福祉社会開発学』を含めて、COEプログラム期間中の5年間に、COE参加者が出版した書籍は30冊近くに達しました。このうち、2007年7月までの4年4カ月間に出版した22冊の概要は『COE推進委員会ニューズレター』8号に紹介しています(5)。]

おわりにーCOEの成果は今も続いている

以上、宮田先生が学長任期中に強いリーダーシップを発揮された21世紀COEプログラムの「初心」と5年間の「成果」について紹介してきました。COEプログラムが2007年度で終了してから今年度で4年目ですが、その成果は現在も続いています。ここでは主なものを3つ紹介します。

まず、研究組織としては、2008年度にCOEプログラムを引き継ぐ形で、「アジア福祉社会開発研究センター」が設立されました。これに加えて、「地域ケア研究推進センター」、「福祉政策評価センター」、「健康社会研究センター」の3センターでも、ポストCOE的研究が旺盛に進められています。

次に、学位取得面では、COE取得後も、毎年2桁(近い)博士号取得者が生まれています(2008年度10人、2009年度6人、2010年度6人,2011年10人)。特筆すべきことは、本学教員(特に社会福祉学部所属教員)の学位論文取得が継続していることです。本文では触れませんでしたが、これには、宮田先生が学長時代の2007年度に制度化された「学位取得目的留学制度」も大きな役割を果たしています。

第3に、大学の国際化という点でも、COEプログラム時代に始まった韓国・延世大学と南京大学等、海外の大学との研究交流が継続しています。例えば、本年度は11月12日に、本学と延世大学の共催で「日本と韓国の医療・福祉政策研究の最新動向」を統一テーマにして、「第6回日韓定期シンポジウム」を開催しました。実は、COEプログラム終了と同時に、留学生を対象にした各種の研究人材育成制度も終了したため、留学生の大学院入学は激減したのですが、2012年度からは、優秀な留学生(博士課程)に対する授業料の特別減免制度(最大3年間全額免除)を導入するなどして、留学生の大学院入学を再び大幅に増やすことを計画中です。

大学の国際化という点で見落としてならないのは、本学教員の国際学会での旺盛な研究発表(特にアジア地域での)が、COEプログラム終了後も定着していることです。例えば、本年9月に韓国釜山市で開催された第7回社会保障国際会議には、本学から5人が参加・研究発表しました(日本の他大学はほとんど1人の参加・研究発表のみ)。しかも、このうち4人は、COEプログラムへの参加者でした。

宮田先生がまかれた種は今もこうして毎年果実を実らせ続けています。宮田先生、安らかにお眠りください。

補遺-宮田先生は複眼的視点で福祉政策を研究をされた

宮田先生の研究業績については、他の方が詳しく書かれると思いますが、私にもぜひ一言書かせていただきたいことがあります。それは、宮田先生が政府・厚生労働省の福祉政策に批判的な視点を保ちつつ、それを全否定せず、常に「複眼的」視点から分析されていたことです(例:『新版 社会保障・社会福祉大事典』(旬報社,2004)の第3部第6章4「戦後社会福祉の政策研究と理論」)。これは、革新的福祉研究者の多くが、政府・厚生労働省の制度改革(社会福祉基礎構造改革や介護保険制度等)を「福祉切り捨て」・「福祉解体」と全否定しているのと対照的です。
実は私は、先生と同じ複眼的視点から、医療・社会保障政策の分析を行っていたのですが、20世紀末に、政府・体制内の医療・社会保障改革のシナリオが、究極的には国民皆保険・皆年金制度の解体を目指す新自由主義的改革シナリオ(経済財政諮問会議や経済官庁等)と国民皆保険・皆年金制度の大枠を維持しつつそれの部分的2階建て化を目指す改革シナリオ(厚生労働省)の2つに分裂したことを発見し、それらに公的医療・社会保障の拡充を目指す第3のシナリオを加えた「21世紀初頭の医療・社会保障改革の3つのシナリオ」説を、2001年から提起していました(6)。

この分析枠組みは医療経済・政策の研究者の間では多くの賛同を得ていたのですが、残念ながら、福祉政策の研究者からはほとんど注目されませんでした。しかし、宮田先生からは、2004年8月に私信で「社会福祉政策の批判的分析にあたっても『第1のシナリオ』と『第2のシナリオ』に相当するものをきちんと区別する必要性と重要性」があると評価していただき、大変意を強くしました。

引用文献

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3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その23):9冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『[エントーベン]医療、市場と消費者選択』
(Enthoven A: Health Care, the Market and Consumer choice. Edward Elgar, 2012,310 pages)[論文(評論)集]

1970年代後半から管理競争(マネジド・コンペティション)を提唱して一世を風靡し、アメリカだけでなく、イギリスとオランダの医療改革にも大きな影響を与えたエントーベン教授の初めての論文集(選)で、1978~2010年の33年間に発表された主要22論文が、ほぼ発表順に収録されています。第19,20論文(章)は、世界的に高名な経営学者・ポーター教授等が2006年に出版した大著"Redefining Health"(山本雄士訳『医療戦略の本質』日経BP社,2009)で行った、エントーベン教授の提唱する「包括的統合医療提供システム」批判とそれに代わる「疾病別に統合された診療ユニット」の提唱への反論です。

長い序文(17頁)は、エントーベン教授が国防研究から医療政策研究に転換して以降40年余の「自分史」・「研究史」かつ収録論文の「解題」・背景説明であり、アメリカの医療政策研究者必読と思います。これを読むと、エントーベン教授が、カイザー型HMOをモデルとする、消費者選択と管理競争に基づいた「統合的包括医療システム」の導入を一貫して主張し、それが現オバマ政権を含めて、アメリカの歴代の政権・有力議員の一部から超党派的支持を受けてきたこと、しかし現実の医療改革や医療政策は彼の意に添うものではなかったことがよく分かります。例えば、教授は、オバマ政権の2010年医療改革については、国民皆保険実現を目指すこと自体には賛成しつつ、医療費を抑制する有効な対策が組み込まれていないことを理由にして、「大変失望した」ときわめて批判的です。教授は、序文の最後で、オバマ改革に対置して、自身の4段階の改革案を示しているのですが、第1段階のメディケア改革により、短期的には医療費を30%、長期的には50%も削減できると豪語しており、「管理競争」により医療の質の改善と医療費の抑制を同時に実現できるという、1980年の"Health Plan"以来の教授の信念(信仰?老いの一徹?)の強さに改めて驚き、あきれました。

○『環境、健康、交通政策における死亡リスクの金銭表示』
(Lindhjem H, Navrud S, et al: Mortality risk valuation in Environment, Health and Transport Policies. OECD, 2012, 139 pages.[研究書]

環境、健康、交通等、死亡リスクに影響を与える政策の経済的評価に一部で用いられている「統計的生命価値」法(VSL: value of statistical life. 仮想評価法等に基づいて、統計的死亡リスクを回避するための個人の支払い意思額を推計)の先行研究をサーベイし、それの可能性と課題を検討した研究報告です。以下の7章構成です:第1章死亡リスクの金銭表示、第2章死亡リスクの金銭的表示の先行研究のメタデータベース、第3章統計的生命価値推計のメタ回帰分析、第4章便益移転のためのメタ解析の利用、第5章政策分析のために統計的生命価値をどのように推計するか?第6章政策分析のための統計的生命価値の勧告値、第7章政策評価における統計的生命価値利用のための勧告。OECD加盟国については、統計的生命価値は300万米ドル(2005年)を基準として、150~450万米ドルの範囲で設定することを提案しています。医療の経済評価(費用対効果)の研究者必読と思います。

<医療経済学教科書(7冊)…2012年は医療経済学教科書(改訂)の「当たり年」です>

○『[スローン等]医療経済学』
(Sloan F A, Hsieh C-R: Health Economics. The MIT Press, 2012,780 pages)[中級教科書]

アメリカの著名な医療経済学者スローン・デューク大学教授が筆頭著者の最新教科書です(同氏の著書『喫煙の価格』(2004)と『医療におけるインセンティブと選択』(2008)は、それぞれ本「ニューズレター」29号(2007年1月)、51号(2008年11月)で紹介しました)。新古典派の正統的教科書ですが、主に経済学部以外で使用されることを念頭において、新古典派のモデル図は最小限にとどめられています。経済学の概念と実証研究を結合していること、およびグローバルヘルスの視点、マクロ経済学的視点、包括的視点の3つが「売り」だそうです。

全4部17章構成です:第1部健康、医療、医療保険への需要 第2部医療サービス・保険の供給、第3部医療部門の市場構造、第4部医療部門のパフォーマンス:肯定的・規範的側面。第4部では、費用効果分析(第14章)、費用便益分析(第15章)に続いて、マクロ経済学的視点から「対人医療サービスの余命延長、国民の健康、経済成長への寄与」(第16章,693-735頁)を、以下の5つの柱で包括的に検討しています:(1)健康と経済部門の関係、(2)医療財政の国民経済に与える影響、(3)健康のインプットとアウトプットの決定因子の長期的趨勢、(4)対人医療サービスと医療技術進歩の国民の健康改善への寄与、(5)健康改善の経済成長への寄与。

○『[フォランド]健康と医療の経済学 第7版』
(Folland S, Goodman AC, Stano M: The Economics of Health and Health Care Seventh Edition. Pearson, 2013, 602 pages)[中級教科書]

アメリカの医療経済学書のなかで、次に紹介する『[フェルドシュタイン]医療経済学』と並んでもっとも版を重ねている、定評ある教科書の4年ぶりの改訂版です(第6版は本「ニューズレター」63号(2009年11月)で紹介)。第6版と同じく全6部25章構成ですが、節レベルでは新しいトピックスが相当含まれているそうです。アメリカ医療の4年間の最大の変化である2010年医療改革法(「患者保護・医療費負担適正化法」)は23章「医療制度改革」の最後で、詳細かつ比較的好意的に論述されています。本書はアメリカの医療経済学教科書の枠内ではもっともバランスが取れており、初版(1993年)から、アメリカの主要な医療経済学教科書としては初めて、「経済効率と費用便益分析」を独立の章にしていました(第7版では第1部第4章)。

構成は下記の通りです:第1部経済学の基礎的ツール、第2部供給と需要、第3部情報と保険市場、第4部医療部門の主なプレイヤー、第6部社会保険、第7部特別なトピックス。

○『[フェルドシュタイン]医療経済学 第7版』(Feldstein PJ: Health Care Economics Seventh Edition. Thomson Delmar Learning, 20012, 567 pages)[中級教科書]

アメリカのもっとも伝統ある(新古典派)医療経済学教科書の7年ぶりの改定です(初版は1986年。第6版(2005年)は本「ニューズレター」20号(2006年4月)で紹介)。全19章で、オバマ政権の2010年医療保険改革法(「患者保護・医療費負担適正化法」)について分析した第18章を含め、相当の変更が加えられているようです。初版から一貫して、(新古典派)経済学の基礎的概念、原則、理論が医療問題にどのように応用できるのかという視点で書かれており、医療サービスが市場で取り引きされることを前提とした、医療の需要・供給分析、医療保険・医師・病院等の市場分析が中心です。上掲Folland等の教科書と異なり、第6版までは、費用便益分析についてはほとんど触れていませんでしたが、第7版では、第4章「健康の生産:医療サービスが健康に与える影響」に「補論(Appendix):費用便益分析、費用効果分析、費用効用分析」が初めて付けられました!

○『[フェルプス]医療経済学 第5版』
(Phelps CE: Health Economics Fifth Edition. Pearson, 2013, 534 pages)[中級教科書]

数あるアメリカの医療経済学教科書の中でも、もっとも純粋な形で新古典派経済理論に依拠していたものの、2年ぶりの新版です(全16章。第4版は本「ニューズレター」63号(2009年11)で紹介)。第5版の最大の変更点は、2010年医療保険改革法(「患者保護・医療費負担適正化法」)について各章(第1・10・11・15・16章)で多面的に言及・分析していることだそうです。各章ごとに、より進んだ勉強のために、"Handbook of Health Economics"(医療経済学の国際的上級教科書)の対応する章が明示されています。

○『エルガー社版医療経済学便覧 第2版』
(Jones AM (ed): The Elgar Companion to Health Economics Second Edition, Edward Elgar, 2012, 621 pages)[中級教科書]

「ニューズレター」24号(2006年8月)で紹介したものの6年ぶりの改定版です。

全9部54章(初版は全9部50章)からなる医療経済学の小百科事典で、各章の参考文献も充実しています。編者はイギリス・ヨーク大学の医療経済学・関連教育学部長で、そのためにアメリカの教科書と異なり、医療の経済評価(臨床経済学)が2つの柱の1つとされ、3部20章が割かれています。構成は以下の通りです。

国民の健康と医療システム:第1部国民の健康、第2部医療の財政と需要、第3部健康と医療における公平、第4部医療市場の組織、第5部医療提供者への支払い、インセンティブと行動、第6部医療組織のパフォーマンスの評価。医療の評価:第7部便益の測定、第8部費用の測定と統計的事項、第9部経済評価と意思決定

○『医療の経済分析 第2版』(Morris S, et al: Economic Analysis in Health Care Second Edition. John Wiley & Sons,2012,386 pages)[中級教科書]

イギリスの4人の経済学者による、学部生と大学院生のための医療経済学の「中核的教科書」の第2版です(初版は本「ニューズレター」33号(2007年5月)で紹介)。イギリスの教科書らしく、ミクロ医療経済学と医療技術の経済評価の2本立て(全13章)となっており、大変バランスが取れています。本書にはこれ以外に2つの特徴があり、1つは国際的視点を重視していること、もう1つは理論分析とそれの応用のバランスをとっていることです。囲み記事で「イギリス、ヨーロッパ、およびそれ以外の国々の最新事例」が紹介されています。初版と同じく、第2版も、序文でアメリカの教科書への対抗意識がはっきりと書かれています:「アメリカの教科書の焦点はアメリカ以外の国の医療制度を検討する上では適切とは言えない」!しかも、序文では医療経済学の先達として、イギリスのウィリアムスとカリヤーと並んで、アメリカのフュックスの3人があげられています。これも、イギリスの教科書としてはきわめて異例です。

○『諸国民の健康-新しい政治経済学へ向けて』
(Mooney G: The Health of Nations: Towards a New Political Economy. Zed Books, 2012, 212 pages) [評論]

40年のキャリアを有する左派医療経済学者(現在はオーストラリア在住)が、国際的な不健康と健康の不平等の原因を探求し、アメリカ、イギリス、南アフリカ、オーストラリア、インド、ヴェネズエラ等の事例研究に基づいて、地域を基盤にした医療改革を提起した問題提起の書です。新自由主義的改革や伝統的な医療の政治経済学を激しく批判しています。以下の6部構成です:第1部序章、第2部なぜこうもうまくいかないのか?第3部事例研究、第4部解決策、第5部どうしたらうまくいくか?第6部結論。

なお、Mooneyの著書『医療経済学への挑戦』(2009)と『健康不平等の経済学』(2007)は、本「ニューズレター」56号(2009年4月)で紹介しています。これらよりも、本書の方が読みやすいと思います。

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算79回.2012年分その4:5論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足

○[アメリカの]メディケアとメディケイドの費用変動は病院圏レベルでは強くリンクしているが、州レベルではリンクしていない
Kronick R, et al: Medicare and Medicaid spending variations are strongly linked within hospital regions but not at overall state level. Health Affairs 31(5):948-955,2012[量的研究・評論]

医療費の地域格差縮小のための諸提案の大半は、メディケア(老人・障害者医療保険)の州レベルの医療費を用いた検討に基づいている。そこで、2001-2004年の、メディケア、メディケイド(医療扶助)、および両者以外の1人当たり医療費(以下、医療費と略)データを用いて、三者の相関を調べた。その結果、州レベルではメディケア医療費とメディケイド医療費の間に有意の相関はなかった(r=0.21)。それとは対照的に、各州の病院圏(Dartmouthが考案した三次医療の医療市場分析のための概念)レベルで比較すると、両者の間に強い相関があった(r=0.74. p<0.001)。このことは、病院圏レベルでは、病床数、専門医数等の医療資源が医療費の決定要因になっていることを示唆している。それに対して、州レベルで相関がないことは、これらの以外の要素(例:州レベルの貧困率)が州レベルの医療費に影響し、しかもそれらはメディケア医療費と非メディケア医療費に異なった仕方で影響していることを示唆している。以上の結果は、医療費の地域格差研究の焦点をメディケア加入者から全人口に拡大すること、およびメディケア支払い政策の変更が非メディケア加入者に与える影響も考慮することが重要であることを示している。

二木コメント-日本でも、都道府県レベルのデータを用いた医療費の地域格差研究や健康水準の決定要因研究が少なくありません。それらの研究は、暗黙のうちに、同一都道府県内の地域格差(市町村レベルや二次医療圏レベル)は、都道府県間の格差よりも小さいことを前提にしています。しかし、本論文はこの前提の妥当性に疑問を投げかけており、日本でも「追試」が必要と感じました。

○医療制度介入・改革の効果についての文献レビューにおける研究デザイン選択基準:メタレビュー
(Rockers PC, et al: Study-design selection criteria in systematic reviews of effectiveness of health
systems interventions and reforms: A meta-review. Health Policy 104(3):206-214,2012)[文献レビュー]

医療制度研究の体系的文献レビューにおける研究デザインの選択について広く受け入れられた基準はまだないが、コクラン共同研究医療の効果的実践・組織(EPOC)レビューグループはランダム化比較試験、比較臨床試験、前後比較研究、中断時系列研究を用いた研究のみを選択すべきと提案している。そこで、医療制度研究に関する2つの大規模データベース(マクマスター大学とEPOCが作成)から、2006年以降発表された医療制度介入・改革の効果を検討した英語文献の体系的文献レビュー414を抽出して、それらが用いている研究デザイン選択基準を検討した(これらが対象にしていた原著論文は延べ10,808)。医療制度介入・改革は医療制度のパフォーマンスの改善を意図したすべての改革と定義し、制度全体だけでなく、それのサブシステムの改革も含んだ。414レビューのうち13%は、研究デザイン選択基準を記載していなかった。それを記載していた359レビューのうち、50%は比較試験を行った研究のみを選択し(ランダム化試験のみ選択36%、ランダム化試験と比較臨床試験を選択14%)、50%は比較試験と観察研究の両方を選択していた。68%は上記EPOCの提案を全面的または部分的に採用していた。

二木コメント-医療制度改革の効果についての体系的文献レビューの世界初のメタレビューだそうですが、検討の対象は研究デザインの選択に限定されています。それにしても、この種の体系的文献レビューが414もあるとは驚きです。ただし、日本では医療制度改革という用語が主として国レベルの改革を意味するのと異なり、本論文では、抄訳にも書いたように医療制度改革は「医療制度のパフォーマンスの改善を意図したすべての改革」と定義され、「制度全体だけでなく、それのサブシステムの改革も含ん」でいます。日本ではこれらは「プログラム評価」と呼ばれることが多いと思います。なお、レビューされた論文のリストをチェックされた橋本英樹氏(東京大学)によると、「患者教育の介入試験から、支払い制度の介入、さらには病院マネジメント(情報管理やオーダーシステムとか)の介入と、とにかく健康からんでいるもの全部ほうりこんでいるので、いわゆる『制度』(保険制度や供給システムなど)の社会的介入はごくごく少数」だそうです。

○医療制度効率の決定要因としての医療政策手段(ツール):OECD加盟国から得られた根拠
(Wranik D: Healthcare policy tools as determinants of health-system efficiency: Evidence from the OECD. Health Economics, Policy and Law 7(2):197-226,2012)[政策研究・量的研究]

本論文では医療制度・政策に関連した諸特性のうちどれが、各国の医療制度効率に寄与するかを検討する。医療制度効率はストカスティック・フロンティア分析(確率変動するフロンティア分析。SFA)で測定した。1970~2008年のデータの得られたOECD加盟国21カ国(日本を含む)を対象として、以下の7つの医療制度・政策関連要因を説明変数、医療制度効率を被説明変数とする回帰分析を行った:医療制度の型、GPへの支払い、専門医への支払い、GPの門番機能、患者の自己負担、公的制度のカバー割合、公的医療費の割合。その結果、医療制度の型(ベヴァリッジ型かビスマルク型か)は、医療制度効率の有意の決定要因ではなかった。医療制度効率に有意に寄与するのは、患者行動に直接働きかける政策手段(患者の自己負担)と医師の行動に直接働きかける政策手段(医師への報酬支払い)であった。政策決定者の視点からは、患者の自己負担や医師への報酬支払いの変更の方が、医療制度の財政構造の根本的改革よりも政治的に容易である。なお、本論文で計算された各国の医療制度効率順位(スウェーデンが1位、日本は7位)と、WHOの健康アウトカム順位、同総合順位)との相関は弱かった(スペアマンの相関係数はそれぞれ0.252,0.369)。

二木コメント-最近流行し始めている計量経済学的医療政策研究ですが、結論は陳腐または常識的です。この論文で一番重要なことは、医療制度の国際比較では定番となっている公費負担方式対社会保険方式という2分法が、各国の医療制度の効率比較という視点からは意味がないことを示したことだと思います。もう一つは、各国の医療制度の順位は、用いる尺度によってガラリと変わることです。

○文献書誌学的視点からみた医療経済学の40年
(Wagstaff A, Culyer AJ: Four decades of health economics through a bibliometric lens. Journal of Health Economics 31(2):406-439,2012)[文献レビュー(メタアナリシス)]

EconLit(経済学データベース)の文献探索により収集した「メタデータ」とGoogle Scholarにより得られる引用データ等を用いて、過去40年間の医療経済学の計量書誌学的分析を行った。1969年~2010年に発表された医療経済学論文(英文)は33,000に達しており、教育の経済学より12,000も多かった。次に、論文数の経年的変化と引用頻度の多い300論文を調査した。流行の研究テーマは変化しており、「健康と不健康の決定要因」と「健康統計と計量経済学」が増加傾向にあった。研究対象も最近は発展途上国にまで広がっていた。論文の著者名、著者の国籍、著者の所属組織、掲載雑誌について種々の引用指標を用いて比較したところ、どの指標でも、それぞれGrossman、アメリカ、ハーバード大学、Journal of Health Economicsがトップまたは上位にランクされていた。

二木コメント-世界的に著名な2人の医療経済学者による、膨大かつオタク的な計量書誌学的研究です。医療経済学のスター研究者や研究テーマの流行の変遷を知るためには便利な論文とも言えます。

○アメリカ医療の無駄を省く
(Berwick DM, et al: Eliminating waste in US health care. JAMA 307(14):1513-1516,2012)[評論]

アメリカの医療費を、公費・私費負担分とも、持続可能なレベルにすることは喫緊の課題である。常識的には、医療費抑制プログラムは、報酬支払の削減や、給付範囲の制限、保険給付対象の制限による医療費削減を目指している。しかし、より実害の少ない戦略は、医療の無駄を減らすことであり、価値を増す医療を減らすことではない。それは、次の6つから生じる無駄を減らすことが重要である:過剰治療、医療連携の失敗、医療プロセスの遂行の失敗、複雑な管理運営、価格付けの失敗、および不正請求。これらによる医療費の無駄は総医療費の少なくとも20%を超え、現実にはそれよりはるかに多い(最大47%)。体系的で、包括的で、しかも連携のとれた医療を実現することによる得られる医療費の節減は、直接的で乱暴な医療費削減よりもはるかに大きい。ただし、この改革を一気に行うと重大な経済的混乱が生じるため、注意深い移行戦略に基づいた激変緩和措置が必要である。

二木コメント-日本でも有名な医療経営学者Berwick氏の、一見理想的だが、実現可能性はまったくない「抜本改革案」です。実現可能性を無視して「ムダを減らす」ことが声高に主張されるのは、日米共通と思い敢えて紹介しました。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その91)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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