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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻103号)』(転載)

二木立

発行日2013年02月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


1.論文:論文:地域包括ケアシステムと医療・医療機関の関係を考える

(『日本医事新報』「深層を読む・真相を解く(20)」2012年1月19日号(第4630号):30-31頁)

昨年末の衆院選挙により自公政権が3年ぶりに復活しましたが、医療・介護提供体制改革については民主党政権のものが継続されることは確実です。私はその象徴が「地域包括ケアシステム」だと思います。これは前の自公政権時代の2008年に公式の検討が始まりましたが、民主党政権成立後も軌道修正されることなく2010年3月に「地域包括ケア研究会報告書」がまとめられ、その内容が「社会保障・税一体改革」に盛り込まれました。

ただし、医師・医療関係者の中には、地域包括ケアシステムは医療とは無関係で、逆にそれにより介護費が増えて医療費が圧迫されると心配している方が少なくありません。そこで今回は、地域包括ケアシステムと医療・医療機関との関係を複眼的に考えます。

実態は「システム」ではなく「ネットワーク」

地域包括ケアシステムを理解する上で重要なことは、(1)実態は全国一律の「システム」ではなく「ネットワーク」であり、それの具体的在り方は地域により大きく異なること、(2)主たる対象としては今後人口高齢化が急速に進む都市部が想定されていること--です。「地域包括ケア研究会報告書」の段階では、この点は必ずしも明確ではありませんでしたが、昨年からは、厚生労働省高官や上記研究会座長の田中滋慶大大学院教授が、次のように率直に語るようになっています。

武田俊彦厚生労働省社会保障担当参事官(当時)「[在宅について]あまり固定的に考えず、高齢者にとってどのような医療・福祉・生活のあり方が理想かを各地域で考え、その中に在宅医療をどう組み込むかを考えた方がいい」(『日本医事新報』4600号:15頁)。 田中滋氏「このシステムで日本中をカバーできるとはもともと考えていない。そもそも、この戦略の主なターゲットは"都市"とその近郊である」(『訪問看護と介護』17巻7号:598頁)。

医療・病院の位置づけを軌道修正

医師・医療関係者には、地域包括ケアシステムは介護保険制度改革であり、医療、特に病院とは直接関係ないとの理解が根強くあります。法的に言えばこれは間違いとは言えません。実際に、2011年の介護保険法改正直後の老健局長通知(同年6月22日)では、「[法]改正の趣旨」で、「医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスを切れ目なく提供する『地域包括ケアシステム』の構築」と述べている以外、医療への言及はありませんでした。

「地域包括ケア研究会報告書」も診療所の医療にしか触れていませんでした。しかも要介護状態の重度化等で「施設や病院に依存せざるをえない現状」が否定的に描かれ、「2025年の地域包括ケアシステムの姿」では、ターミナル期を含めて、「病院等に依存せずに住み慣れた地域での生活を継続することが可能になっている」ことを想定していました。

しかし、この点に関しては、厚生労働省高官が昨年から軌道修正を行うようになりました。それをもっとも直裁に述べたのは、明晰な頭脳と率直な発言で知られる香取照幸政策統括官(当時。現・年金局長)です。氏は、昨年6月の日本慢性期医療協会総会の講演で、地域包括ケアシステムの概念に「入院機能を持った病院を組み込むことが必要」、「これまでは有床診のような20床くらいの小規模なサービスを考えていたが、もう少し規模の大きいものを考えないといけない」と明言しました(『日本医事新報』4602号:22頁)。

私は、この軌道修正は現実的であると思います。そもそも、山口県御調町(当時)で1970年代に日本で最初に「地域包括ケア」を提唱・実践した山口昇医師は、「公立みつぎ総合病院を核とした地域包括ケアシステム」を想定していました(山口昇「地域包括ケアのスタートと展開」高橋紘士編『地域包括ケアシステム』オーム社,2012)。

「社会保障・税一体改革大綱」(昨年2月閣議決定)の「医療・介護等」改革では「医療サービス提供体制の制度改革」と「地域包括ケアシステムの構築」が二本柱であり、両者は一体と理解するのが自然です。

医療法人等のサ高住開設を奨励

前回(第4626号)も述べたように、私が注目しているのは、厚生労働省高官が、やはり昨年から、医療法人等によるサービス付き高齢者向け住宅等の開設を奨励する発言を繰り返していることです。「…粗悪な高齢者用住宅がつくられないよう、医療法人のような医療提供者が街づくりに関与するパターンがあってもいいと個人的には思っている」(武田俊彦氏。上掲誌)。「私は、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅のような集住系の施設に入ってもらい、そこに医療や介護サービスを付けて対応するしか方法がないと思っている。(中略)各医療法人が土地や建物、医療・介護サービスなどを提供することで、質や効率性を高めていくことが求められる」(鈴木康裕保険局医療課長(当時)。『日経ヘルスケア』2012年5月号:64頁)。

私はこのような率直な発言も現実的と思います。と同時に、これらの発言の背景には、厚生労働省の以下のような思惑・危機意識があると推察しています。今後急増する死亡者を病院ですべて看取ることは困難であるが、既存の老人福祉施設も財政制約上大幅には増やせない。かといって自宅での看取りを大幅に増やすことは困難なので、サ高住や有料老人ホームでの看取りを促進したい。しかし、粗悪なものが急増すると社会問題になるので、非営利でケアの質が担保されやすい医療機関を母体とするものを増やしたい。

ただし、有料老人ホームやサ高住の多くは実態的には「入所施設」に近いため、それらの整備については、国土交通省と厚生労働省との間に「温度差」があります。具体的に言えば、国土交通省が両者の整備に前のめりなのに対して、厚生労働省幹部の中にはそれに懐疑的な方が少なくありません。ともあれ、地域包括ケアシステムにおいて医療・医療機関が果たすべき役割が大きいことは明らかであると思います。

なお、私は「地域包括ケアシステム」の推進には賛成ですが、前回も指摘したように、それにより在宅ケアを拡充しても、今後の死亡急増時代に「自宅死亡割合」を大幅に高めることは困難であり、今後も死亡場所の中心は病院であり、それを老人施設やサ高住が補完するようになると予測しています。講演では、これの根拠として、「21世紀初頭の都道府県・大都市の『自宅死亡割合』の推移」(『文化連情報』2013年2月号)についても詳しくで紹介しました。

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2.論文:21世紀初頭の都道府県・大都市の「自宅死亡割合」の推移-今後の「自宅死亡割合」の変化を予想するための基礎作業

(「二木教授の医療時評(その109)」『文化連情報』2013年2月号(419号):16-27頁)

はじめに

21世紀に入ってからの医療政策・診療報酬改定では、在宅医療や自宅等での看取りが非常に重視されています。

小泉政権時代の2005年には、一時、「自宅等での死亡割合を4割」に引き上げる数値目標が示され、それにより2025年度には約5000億円の医療給付費を削減できるとの試算も示されました(2005年7月29日の社会保障審議会医療保険部会「中長期の医療費適正化効果を目指す方策について」)。ただし、これは小泉首相から医療費抑制の具体的方策を示すよう厳しく指示された厚生労働省がいわば苦し紛れに発表した数値にすぎず、小泉政権の終了と共に立ち消えになりました。

しかし、その後の毎回の診療報酬改定でも、在宅医療や在宅での看取りを促進するための施策が次々と打ち出されています。民主党野田内閣時代の閣議決定「社会保障・税一体改革について」(昨年2月17日)の「医療・介護等」改革でも、「できる限り住み慣れた地域で在宅を基本とした生活の継続を目指す地域包括ケアシステム」が柱の1つにされました。昨年8月に成立した「社会保障制度改革推進法」でも、「医療保険制度」(改革)の柱の1つとして、「医療の在り方については、(中略)特に人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境を整備する」ことが掲げられました。

最近は、これらの施策が大都市部では効果をあげ、在宅・自宅での死亡割合が上昇しているとの指摘もされています(1)。厚生労働省も、「在宅死亡率[正しくは割合]」が2005年の14.4%を底にして上昇に転じ、2009年度には15.7%になったと発表しています(2011年1月21日の中医協総会「医療介護の連携について(その2)」中の「在宅死亡率の推移(全国)」、他)。

そこで、本稿では、厚生労働省「人口動態統計」等を用いて、2000~2011年の「自宅死亡割合」の推移とその要因を、都道府県・大都市を中心にして検討します。次に、その結果を踏まえて、今後自宅死亡割合が増加するか否かについて考察します。主な調査結果は以下の通りです。(1)長年続いていた自宅死亡割合の低下は全国レベルでは2005・2006年で底を打ちましたが、その後は一進一退であり、明らかに上昇に転じたとまでは言えません。(2)自宅死亡割合の推移には大きな地域差があり、首都圏・関西圏やそれ以外の大都市では増加に転じていますが、「その他」地域では減少し続けています。(3)かつては、高齢者の子との同居割合が高い県ほど自宅死亡割合が高い傾向がありましたが、現在はそのような傾向は完全に消失しています。(4)東京都区部では自宅死亡が急増していますが、それの4割は「孤独死」の増加によるものです。

1.全国の自宅死亡割合の推移-2005・06年で下げ止まった後一進一退

まず、全国の「自宅死亡割合」(死亡総数に対する自宅での死亡数の割合)の推移を検討します。表1(PDFPDF)は、厚生労働省「人口動態統計」により、1990~2011年の死亡の場所別にみた死亡数割合の推移をみたものです。ここで注意すべきことは「自宅」には、グループホーム、サービス付き高齢者住宅、届け出のない老人施設も含まれていることです。前二者を含むことは、厚生労働省「平成24年度版死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」(8頁)に明記されています。届け出のない老人施設も含まれることは、統計情報部の担当者に直接問い合わせて確認しました。なお、「老人ホーム」には「養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム及び有料老人ホーム」が含まれます。

自宅死亡割合は1990年の21.7%から2000年の13.9%へと7.8%ポイントも低下しましたが、2000年以降は低下幅が徐々に縮小し、2005・2006年の12.2%を底にして、それ以降わずかに上昇し、2011年には12.5%になっています。ただし、2007年以降の4年間は文字通りの一進一退であり、現時点では、明らかに上昇傾向に転じたとは断言できません。ただし、死亡総数の増加に対応して、自宅死亡数は2006年の13.2万人を底にして、以後明らかに増加に転じています。2011年の15.6万人はほぼ1996年の水準(15.0万人)です。

「はじめに」で述べたように、厚生労働省は「在宅死亡率」が2005年の14.4%から2009年の15.7%へと上昇したと発表しています。しかし、この「在宅」には自宅だけでなく「老人ホーム」も含んでいます(このことは、図のどこにも書かれていません)。この期間に老人ホームでの死亡割合は2.1%から3.2%へと1.1%ポイント上昇しており、「在宅死亡率」上昇の大半はこれによるものです。ちなみに「人口動態統計」では、1994年までは「老人ホームでの死亡は、自宅又はその他に含まれ」ており、厚生労働省はこの古い定義を(意図的に)復活させたのかもしれません。ただし、厚生労働省が2008年以降発表している、有名な「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」では、「自宅」と「介護施設(老健、老人ホーム)」は区別されているので、2つの発表の間には明らかな不整合・矛盾があります。

2.都道府県別の自宅死亡割合・順位の推移

次に、都道府県別の自宅死亡割合の推移を検討します。表2(PDFPDF)は、2000~2011年の都道府県別の自宅死亡割合とそれの都道府県順位を示したものです。表1(PDFPDF)で示したように、2000~2011年の全国データは比較的安定していましたが、都道府県別レベルでは、自宅死亡割合・死亡順位とも激変しています。

東京都等で急増・急上昇

都道府県別死亡割合でもっとも注目すべきことは、東京都が2000年の12.2%から2011年の16.1%へと11年間で3.8%ポイントも上昇したことです(表には示しませんでしたが、東京都の1990年代の自宅死亡割合は12%台で一進一退しており、明らかに上昇傾向に転じたのは2000年以降です)。この上昇幅は47都道府県の中で突出しています。2位は神奈川県の2.0%ポイント増、3位は大阪府の1.1%ポイント増です。これら3都府県を含めて、この11年間に自宅死亡割合が少しでも増加したのは8都道府県にすぎません。逆に39府県で低下し、しかも、6%ポイント以上低下が6県、1%ポイント以上低下が37県もあります。

2000~2005年と2005~2011年に二分してみると、前者では自宅死亡割合が上昇したのは東京都と大阪府だけで、残りの45道府県で減少していました。それに対して、後者では減少は26県に減りました。

自宅死亡割合の都道府県順位をみると、やはり東京都の躍進が顕著で、2000年の39位から、2011年には2位へと37位も順位を上げています(東京都が2位になったのは2009年から)。2011年の1位は奈良県(17.2%。2005年から)、3位は兵庫県(15.7%)。大阪府も2000年の27位から、2011年の4位に躍進しました。

かつての「自宅ケア先進県」で急減

表2(PDFPDF)でもう1つ注目すべきことは、2000年に自宅死亡割合が高かった県では、その後自宅死亡割合・順位が急減していることです。一番目立つのは、2000年の介護保険制度開始前後には「自宅ケア(自宅での看取り)最先進県」と謳われていた長野県の自宅死亡割合が2000年の19.8%(1位)から2011年の13.6%(11位)へと6.3%ポイントも低下し(減少幅第3位)、東京都(16.1%)を下回るに至ったことです。同じく2000年には自宅死亡割合が2位だった新潟県も19.2%から12.5%(20位)へと6.8%ポイント低下し(減少幅1位)、2011年には全国平均(12.5%)と同水準になりました。3位だった和歌山県も18.9%から13.3%(12位)へと5.6%ポイント低下しました(減少幅4位)。自宅死亡割合の減少幅2位は、3世代家族・高齢者の子との同居割合が高く、やはり「在宅ケア先進県」と言われていた山形県で、2011年の18.0%(5位)から2011年の11.3%(30位)へと6.7%ポイントも減少し、2011年には全国平均(12.5%)さえ下回るに至りました。

なお、都道府県別の2000年の自宅死亡割合と2000~2011年の自宅死亡割合増減%ポイントとの相関係数は-0.581で、明らかな逆相関があります。このことは、統計的にも、2000年に自宅死亡割合が高かった県ほど、その後の自宅死亡割合低下幅が大きい傾向があることを示しています。

自宅死亡割合と子との同居割合との相関は消滅

表3(PDFPDF)は、1995~2010年の65歳以上の高齢者の子との同居割合(以下、子との同居割合)と自宅死亡割合、および各年の両者の都道府県別数値の相関係数の推移をみたものです。一見すると、全国レベルでは、子との同居割合の低下と自宅死亡割合の低下はほぼ並行しています。

しかし、都道府県別の子との同居割合と自宅死亡割合の相関係数は、1995年の0.605から2010年の-0.001へと、ほぼ一直線に低下しています。このことは、統計的には、ほんの15年前にはまだ存在していた子との同居率と自宅死亡割合との正の相関関係が、2010年には完全に消失したことを意味します。これにより、自宅死亡割合は高齢者の子との同居割合が高い(つまり家族介護力が高いはずの)県ほど高いというかつての常識は完全に覆されたと言えます。

順序が逆になりましたが、表4(PDFPDF)に2001年と2010年の都道府県別の65歳以上の者の子との同居割合と自宅死亡率を示します。特徴的な都道府県をみると、山形県は子との同居割合が2001年69.5%、2010年65.1%と高水準を維持しており、共に1位ですが、自宅死亡割合は同じ期間に17.0%(5位)から11.9%(23位)へと大幅に低下しています。同じ傾向は、新潟県でもみられます。逆に、東京都では子との同居割合の順位は2000年42位、2010年43位と低いままなのに、自宅死亡割合の順位は35位から2位に急上昇しています。同じ傾向は、大阪府、神奈川県でもみられます。他方、北海道、鹿児島県等では、子との同居率・順位も、自宅死亡割合・順位も低いままです。

死亡数の多い都道府県順位と累積死亡数・割合

表5(PDFPDF)は、2011年の死亡総数の都道府県別順位と累積死亡数・割合をみたものです。

死亡数が一番多いのは言うまでもなく東京都の10.6万人(8.5%)で、以下、大阪府の7.9万人、神奈川県の7.1万人、愛知県の6.0万人、埼玉県の5.8万人と続きます。ただし、ここまでの上位5都府県の累積死亡割合は29.8%にとどまります。死亡数上位10都道府県に拡げるとようやく49.5%と、ほぼ5割になります。逆に言えば、死亡総数の5割は残り37府県で生じています。

本稿の枠を超えますが、将来の都道府県別死亡数・割合は公式には報告されていないので、それの近似値として、2025年の65歳以上高齢者の都道府県別推計人口・割合を用いて、それの累積割合を計算すると、上位5都府県で33.5%、上位10都道府県で54.4%になり、2010年の累積死亡割合より、それぞれ3.7%ポイント、4.9%ポイント上昇するにすぎません(国立社会保障・人口問題研究所「日本の都道府県別将来推計人口-平成17(2005)~47(2035)年-平成19年5月推計」83頁。2010年の65歳以上の高齢者の死亡は死亡総数の85.2%を占める)。

このことは、現在も、将来も、死亡場所や自宅死亡の問題は、一部の大都道府県に限定された問題ではなく、全国的問題であることを示しています。

3.13大都市の自宅死亡割合の推移

ここまでは都道府県レベルの検討をしてきましたが、これだけでは、大都市とそれ以外の地方で起きている自宅死亡割合の変化を過小評価してしまう可能性があります。同一都道府県内でも、大都市部とそれ以外の地域では、自宅死亡割合に相当の違いがあることが予想されるからです。

表6(PDFPDF)は、2000~2011年の市部・郡部、13大都市・同所在都道府県「その他」の自宅死亡割合の推移をみたものです。ここで13大都市とは、東京都区部と2000年時点での政令指定都市12市を指します。神奈川県と福岡県には政令指定都市が2つあるので、大都市を有する都道府県数は11になります。なお、2011年には政令指定都市は19市に増加していますが、新しい指定都市の死亡数は2000年の「人口動態統計」には掲載されていません。

まず、市部・郡部別の自宅死亡割合をみると、2000年には市部13.2%、郡部15.9%で郡部の方が2.0%ポイント高かったのが、2005年には市部の方が0.1%ポイント高くなり、2011年にはその差は1.9%にまで拡大しています。ただし、市部でも2000~2005年には自宅死亡割合は低下しています。

それに対して、13大都市(合計)では自宅死亡割合は2000年の12.8%から2005年の13.2%、2010・2011年の15.2%へと増加し続けています。自宅死亡割合を13大都市以外の「その他」(全国)と比べると、2000年には1.3%低かったのに対して、2011年には3.4%も高くなっています。

13大都市別にみると、北九州市を除いた12大都市で、2000~2011年に自宅死亡割合が増加しています。特に増加が顕著なのは、東京都区部で、2000年の12.9%から2011年の17.5%へと4.6%ポイントも増加し、13大都市中1位になっています(ただし、2010年の17.8%からは微減です)。以下、(2)千葉市(3.2%ポイント増)、(2)横浜市(3.1%ポイント増)、川崎市・神戸市(2.7%ポイント増)で、増加幅が大きい上位5大都市中4大都市が首都圏に集中しています。

13大都市が所在する都道府県の「その他」の地域をみると、2000~2011年に自宅死亡割合が増加しているのは、東京都(2.4%ポイント増)と神奈川県(0.8%ポイント増)、大阪府(0.6%ポイント増)にすぎず、それ以外の8県の「その他」では低下しています。一番減少幅が大きい「その他」は、東日本大震災の影響があると思われる宮城県を除けば、京都府で4.5%ポイントも減少しています。ただし、2005~2011年に限定すると、上記3都府県に加えて、北海道、千葉県、兵庫県の「その他」でも、自宅死亡割合は増加に転じていました。

東京都区部の自宅死亡増加の4割は「孤独死」増加

ただし、表6(PDFPDF)で示した大都市部での自宅死亡割合の増加を、そのまま額面通りに受け取ることはできません。一般に「自宅死亡(在宅死)」というと、手厚い在宅ケア(医療・介護)に支えられた「家族による看取り」・「家族の中での安らか(平穏)な死」がイメージされがちです。しかし、統計上の「自宅死亡」には、グループホーム(正式名称は認知症対応型共同生活介護)やサービス付き高齢者向け住宅(2012年までは高齢者専用賃貸住宅)での死亡や、誰にも看取られることのない自宅での「孤独死」も含まれるため、これらの増加により見かけ上の自宅死亡割合が増加している可能性もあるからです。以下、この点を東京都(区部)について、検証します。

まず、東京都の自宅死亡割合の増加はグループホームと高齢者専用賃貸住宅の増加によるものとの仮説を立てました。そのために、厚生労働省「介護サービス施設・事業所調査」と財団法人高齢者住宅財団「高齢者専用賃貸住宅登録状況、総務省「日本の統計2012」を用いて、2010年の65歳以上人口に対するグループホーム定員と高齢者専用賃貸住宅戸数を計算したところ、東京都は共に全国最下位でした(全国平均はそれぞれ4.5人、1.4戸。東京都はそれぞれ1.5人、0.5戸。表は略)。これによりこの仮説は棄却されました。

次に、東京都区部の自宅死亡割合の増加は孤独死の増加によるものとの仮説を立てました。東京都区部では、全国で唯一、東京都監察医務院により、医師法第21条に基づく異状死のすべてが検案・解剖されており、このデータを基にして、金涌佳雅氏等は1987~2007年の「孤独死」(「一人暮らしの者の異状死死亡で死亡場所が自宅の場合」)が急増していることおよびその要因を報告しています(2,3)。

表7(PDFPDF)は、金涌氏等によるこの「孤独死」数データと「人口動態統計」のデータを接合して、1995~2011年の東京都区部の「孤独死」数と自宅死亡数・割合の推移をみたものです(2008~2011年については東京都監察医務院からデータ提供を受けました)。

2000~2011年に自宅死亡数は7636人から12,688人への66.2%増加していますが、そのうちの「孤独死」数は2454人から4490人へと83.0%も増加しています。そのため、自宅死亡に対する孤独死の割合は2000年の32.1%から35.4%へと増加しています。その結果この期間の自宅死亡数増加(5052人)に対する「孤独死」数増加(2036人)の寄与率は40.5%に達します。

視点を変えて、自宅死亡数から「孤独死」数を除いた死亡数の死亡総数に対する割合を再計算すると、2000年は8.8%、2011年は11.3%で2.6%ポイントの増加にとどまります。

以上から、東京都区部における自宅死亡数増加の4割は「孤独死」数の増加によるものであり、これを除いた自宅死亡割合は微増にとどまっていると言えます。

4.考察-今後の「死亡急増時代」に自宅死亡割合は増加するか?

これまでの分析結果をまとめると以下の通りです。(1)長年続いていた自宅死亡割合の低下は全国レベルでは2005・2006年で底を打ちましたが、その後は一進一退であり、明らかに上昇に転じたとまでは言えません。(2)自宅死亡割合の推移には大きな地域差があり、首都圏・関西圏やそれ以外の大都市では増加に転じていますが、「その他」地域では減少し続けています。(3)かつては高齢者の子との同居割合が高い県ほど自宅死亡割合が高い傾向がありましたが、現在はそのような傾向は完全に消失しています。(4)東京都区部では自宅死亡が急増していますが、それの4割は「孤独死」の増加によるものです。

これらの結果のうち、私自身にとっても一番意外だったのは(4)です。なぜなら、従来は、最近の大都市部における自宅死亡割合の増加は、在宅ケア(医療・介護)の拡充のためと考えられてきたし、それを示唆する統計も少なくなかったからです。例えば、厚生労働省は「高齢者の訪問看護利用者数が多い都道府県では、在宅で死亡する者の割合が高い傾向がある」(相関係数=0.64)というキレイな図を発表しています(2012年1月21中医協総会「医療介護の連携について(その2)」)。武林亨氏も、同様に、在宅看取率(自宅死亡割合)は、在宅看取り実施施設数、訪問看護ステーションへの指示書交付施設数、訪問看護ステーション利用者回数・利用実人数と統計的に有意な関係があると報告しています(4)。

しかし、「孤独死」の増加が東京都区部に限られず、他の大都市にも共通する現象であることを考えると、大都市の自宅死亡数・割合の増加、およびそれに対する在宅ケアの普及の寄与は、かなり割り引いて考えなければならないかもしれません。

ともあれ、以上の結果、および今後到来する「死亡急増時代」では単身高齢者・夫婦高齢者世帯の死亡が急増することを考えると、今後、「地域包括ケアシステム」を中心とする在宅ケア拡充策が推進されても、「孤独死」を除いた自宅死亡割合を大きく高めることは困難だと思います。

厚生労働省も自宅死亡割合を高めることは困難と認識

私は、賢明な厚生労働省も、建前とは別に、本音では、今後、グループホームやサービス付き高齢者向け住宅等での死亡を除いた「狭義の自宅死亡」割合を高めることは困難であると認識していると推察しています。

私がこう判断する根拠は2つあります。1つは、「はじめに」でも引用した厚生労働省「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」では、2030年の狭義の自宅死亡が約20万人(死亡総数の12%)とされ、この数値はこの推計の基準年とされている2006年の自宅死亡割合12.2%と同水準だからです。

もう1つの根拠は、これも「はじめに」で引用した、2012年2月の閣議決定「社会保障・税一体改革大綱」の「在宅サービス・居住系サービスの強化」の項で、「切れ目のない在宅サービスにより、居宅生活の限界点を高めるための24時間対応の訪問サービス、小規模多機能型サービスなどを充実させる」と書かれているからです。ちなみに、「限界点を高める」の初出は、社会保障審議会介護保険部会「介護保険制度の見直しに関する意見」(2010年11月30日)で、そこでは「居宅介護の限界点を高めていく」と表現されていました(5)。

上記閣議決定の表現は玉虫色ですが、「居宅生活の限界点を高める」とは、すべての高齢者を自宅・居宅で看取ることは不可能と認めたうえで、濃厚な在宅ケアの提供により、自宅での療養をギリギリまで追求するが、最期は病院・施設で看取ることを想定しているとも読めます。

私は厚生労働省のこのような(隠れた・本音の)判断はリアルだと思います。その理由は3つあります。第1は、2003年の厚生労働省「終末期医療に関する調査」によると、「自分が痛みを伴う末期状態の患者となった場合」、または「脳血管障害や痴呆等によって日常生活動作が困難となり、さらに治る見込みのない疾患に侵された場合」に、「自宅で最期まで療養したい」と考えている一般国民は、それぞれ10.5%、22.7%にすぎないからです(6)。第2の理由は、日本福祉大学の研究者が行った訪問看護ステーションの大規模全国調査で、死亡した在宅要介護者の遺族(介護者)の満足度は自宅死亡で常に高いとは限らず、介護者が病院を希望していたが自宅で死亡した場合には、病院に入院して死亡した遺族より低いことが実証されているからです(7,8)。

第3は、現在の診療・介護報酬を前提にする限り、自宅での看取りを可能にするための、24時間対応の濃厚な在宅ケア(医療・介護)が事業者の採算ベースにのる地域は人口が密集している大都市部に限られるからです。逆に、報酬をさらに引き上げると、公的医療・介護費用に限定しても(つまり、家族介護の「リアルコスト」を無視しても)、施設ケアよりも在宅ケアの方がはるかに高額になるのは確実です。現在の診療報酬でも、がん末期等重症患者の在宅医療に熱心に取り組んでいる診療所の医療費は、入院医療費に比較して必ずしも割安とは限らないことが示されています(9)。

サ高住等での「自宅死亡」は急増するか?

厚生労働省が上述したリアルな認識に基づいて、今後、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)が急速に整備され、そこでの死亡が急増することを期待しているのは確実です。既に述べたように、サ高住は「自宅」に含まれるので、今後、そこでの死亡を含んだ「自宅死亡割合」が増加する可能性は十分にあります。

ただし、都市部でのサ高住の料金の相場が1人月15~20万円であることを考慮すると、有料老人ホームはもちろん、サ高住を利用できるのは都市部の厚生年金族に限られると思います。この点について、「地域包括ケアシステム」の厚生労働省側の立役者と言える宮島俊彦前老健局長も「サービス付き高齢者向け住宅というのは、どちらかというと高齢者の単身・夫婦世帯が増える都市対策として考えられている」と明言しています(10)。

しかも、高齢者の持ち家比率およびそれへの満足度が非常に高く、共に8割を超えていることを考えると(総務省「住宅・土地統計調査(2008年)」、内閣府「国民生活に関する世論調査(2011年)」)、都市部の厚生年金族でも、もともと住んでいた自宅を売却しての有料老人ホームやサ高住への「早めの住み替え」が大規模に進むとは考えにくいと思います。さらに、日本の高齢者の医療依存(あるいは医療への信頼)の強さを考慮すると、医療のバックアップのないサ高住での死亡が急増することも考えにくいと言えます。

厚生労働省幹部が、最近、異口同音に医療機関によるサ高住の開設を推奨しているのはこのためだと思います。主な発言は以下の通りです。武田俊彦社会保障担当参事官(当時)「…粗悪な高齢者用住宅がつくられないよう、医療法人のような医療提供者が街づくりに関与するパターンがあってもいいと個人的には思っている」(11)。鈴木康裕保険局医療課長(当時)「私は、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅のような集住系の施設に入ってもらい、そこに医療や介護サービスを付けて対応するしか方法がないと思っている。(中略)各医療法人が土地や建物、医療・介護サービスなどを提供することで、質や効率性を高めていくことが求められる」(12)。

私はこのような率直な発言の背景には、厚生労働省の以下のような思惑・危機意識があると推察しています。今後急増する死亡者を病院ですべて看取ることは困難であるが、既存の老人福祉施設も財政制約上大幅には増やせない。かといって自宅での看取りを大幅に増やすことは困難なので、サ高住や有料老人ホームでの看取りを促進したい。しかし、粗悪なものが急増すると社会問題になるので、非営利でケアの質が担保されやすい医療機関を母体とするものを増やしたい。

ただし、有料老人ホームやサ高住の多くは実態的には「入所施設」に近いため、それらの整備については、国土交通省と厚生労働省との間に「温度差」があることも見落とせません。具体的に言えば、国土交通省が両者の整備に前のめりなのに対して、厚生労働省幹部の中にはそれに懐疑的な方が少なくありません。

先に述べた厚生労働省「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」では、2030年には、医療機関、介護施設(老健、老人ホーム)、自宅以外の「その他」の場所での死亡が47万人(28%)に達するとされ、それの多くが有料老人ホームやサ高住での死亡になると予想・期待されています。しかし、私は、この将来推計中の、医療機関での死亡数は今後一定という仮定、および介護施設での死亡数は施設整備数に比例するという仮定は非現実的であり、今後生じるであろう病院(特に慢性期病院)の在院日数のさらなる短縮と介護報酬による施設での看取り促進の政策誘導により、両者での死亡を大幅に上積みすることは十分に可能だと判断しています。今後の病院での死亡数増加の可能性については、別に詳しく論じたのでお読み下さい(13)。

謝辞

貴重なデータ・文献や御示唆をいただいた、以下の方々に感謝します(アイウエオ順)。

安藤高朗氏(医療法人永生会永生病院理事長)、池端幸彦氏(医療法人池慶会池端病院理事長)、太田貞司氏(神奈川県立保健福祉大学名誉教授)、金涌佳雅氏(防衛医科大学校助教)、吉良伸一郎氏(「日経ヘルスケア」編集部)、久保田文氏(「日経メディカル」編集部)、斉藤正身氏(医療法人真正会霞ヶ関南病院理事長)、村上正泰氏(山形大学医学部教授)。

引用文献

本「ニューズレター」転載時の補足

【補足1】自宅死亡割合が増えているのは悪性新生物だけ

自宅死亡割合が増加に転じた2005~2011年の、主な死因(悪性新生物、心疾患(高血圧性を除く)、脳血管疾患、肺炎、不慮の事故)別の自宅死亡割合の推移をみると、悪性新生物では5.7%から8.2%へと2.5%ポイント増加していました。それに対して他の4死因および主な死因以外の死因では、自宅死亡割合はすべて低下していました(悪性新生物以外のすべての死因の自宅死亡割合は15.1%から14.2%へと0.9%ポイント低下)。2005~2011年に自宅死亡数(総数)は22,957人増加していましたが、悪性新生物の自宅死亡数増加(11,648人)の寄与率は50.7%に達していました。ただし、2011年でも悪性新生物の自宅死亡割合(8.2%)は死亡総数の自宅死亡割合(12.5%)より4.3%ポイントも低いことも見落とせません。

【補足2】自宅死亡中の自殺・外因死の割合は低下

自宅死亡には自宅での自殺も含まれるため、自宅死亡増加に自宅での自殺増加が寄与しているとの「仮説」を立て、自宅死亡数が増加に転じた2005~2011年のデータを調べてみました(『人口動態統計』下巻の「死亡数、性・死亡の場所・死因(死因簡単分類別)」データ)。その結果、自殺のうち自宅死亡の割合は2005年の40.7%から2011年の43.9%に増加していましたが、自殺総数は30,553人から28,896人へと減少していたため、自宅死亡のうちの自殺の割合も9.4%から2011年の8.1%へと減少しており、この「仮説」は棄却されました。死因を「外因死」全体(不慮の事故+自殺+他殺+その他の外因)に拡げても、自宅死亡に対する割合は14.2%から13.4%へとやはり低下していました。

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3.特別インタビュー:総選挙後の医療・社会保障政策を読む-参院選までは「安全運転」

(『国際医薬品情報』2013年1月28日号(第978号):21-28頁)

民主党政権の失敗は官僚の排除

― 先の総選挙では民主党が惨敗し、与党の座から落ちました。3年余りの民主党政権の医療政策をどのように評価されますか。

二木 民主党の医療・社会保障政策に対しては、民主党が総選挙で圧勝し政権を得た2009年9月に、その危険性についての論文を発表しています (1)。

医療改革に限定して言えば、失敗した最大の原因は、財源が確保できなかったことです。09年総選挙のマニフェストでは、当時社会問題になっていた医療危機、医療荒廃に対する国民、医療関係者の怒りを反映して、医師数および医療費水準をOECD平均並みに引き上げるという画期的な数値目標を出しました。これによって開業医、勤務医を問わず医師の6割が民主党に投票したとも言われています。しかし私は当初から、数値目標を示したこと自体は高く評価しつつ、財源の裏打ちがないと指摘しました (2)。当時民主党は、国家予算や財政投融資の無駄を省くことで年16兆8000億円も捻出できる、だから国民負担の増加なく医療・社会保障の拡充が可能だと主張していました。ところが1年も経たないうちに破綻しました。もし医療・社会保障を充実させるなら、財源を確保する必要があります。それが、気が付けば消費税増税一本やりになっていました。

― 民主党に対しては脱官僚、政治主導を掲げながら腰砕けに終わったことを批判し、そこに失敗の原因があるとする論調もあります。

二木 世の中一般だけでなく、医療関係者の間でもそのような認識が広まっているようですが、それは根本的に間違っています。

官僚との関係では、民主党政権成立直後は極端な官僚バッシングが起こりました。医療の場合は中医協、社会保障審議会などの役割を全て否定して、民主党の一部医系議員が民主党ブレーンと言われた医師と一緒になって、諸悪の根源が厚生労働省技官にあると過剰なまでの非難を浴びせました。彼らは、日本医師会、既存団体へのバッシングも過熱させました。例えば医師会に対しては、法の理念を否定して中医協の診療側委員から医師会代表を全て排除しました。彼らは「政治主導」を呼号し、官僚に対して医療政策への口出しを禁じました。民主党政権が誕生してから翌年の参議院選挙で惨敗するまでの1年弱の期間は、厚労省の担当者はほとんど講演もできなかった。あるいは講演しても、公式文書に書かれたこと以外は言えませんでした。そういう強権的官僚支配が失敗したのです。

もっと突き詰めれば、医療関係者を含めて、当時は、自民党=小泉改革というイメージが強かったのですが、同じ自公政権でも、福田・麻生政権では医療・社会保障政策は180度といってもよいくらい変わっています。小泉政権は社会保障の持続可能性を重視して、2006年の骨太の方針(閣議決定)では07年から11年までの5年間にわたって1年間で2200億円、5年で1兆1000億円の社会保障費の自然増分を抑制することを決めました。それに対して福田・麻生政権は、社会保障の機能強化へ路線変更し、その最大の成果が社会保障国民会議の報告でした。理念として社会保障の機能強化を前面に出すと同時に、先ずはあるべき医療を考えて、それに要する費用を緻密に計算する手法を採ったのです。その結果改革によって医療・社会保障費が増えるというシナリオを出しました。これは、それまでの「改革=社会保障費の抑制」という認識を覆す画期的なものでした。民主党も、医療政策については福田・麻生政権と大差ありませんでした。本来民主党がすべきことは、官僚を正しく使い、日本医師会等の既存医療団体とも綿密に連携して社会保障の超党派的な改革の青写真であった社会保障国民会議の方針を具体化することでした。ところが、厚労省(特に技官)バッシングと医師会バッシングで、社会保障国民会議の報告を全否定してしまった (3)。そして民主党政権がゼロから改革案を作成すると豪語しました。しかし参院選で惨敗後はいつの間にか社会保障国民会議の報告が再評価された。社会保障・税一体改革における社会保障改革は殆どその焼き直しです。

ですから、民主党の失敗は使いこなすべき官僚を排除したところにあるのです。「官僚に大惨敗した」等の民主党批評は根本的に間違っています。

それから民主党が政権を獲ったことでよくわかったのは、医療政策、特に医療提供制度改革は、政権交代によって殆ど変わらない、ということです。これは諸外国でも証明済みの経験則です。大きくは変えられないし、変わるべきではない。特に日本の医療提供制度を支えているのは民間医療機関です。そのため、それを変えるには医師会・病院団体等の既存の医療団体との協議を積み重ねて広く国民合意を形成するという着実な歩みを進めるしかないとわかった。民主党政権が何を遺したかと言われれば、これが最大のものだと思います。

― 自民党でも小泉政権と福田・麻生政権では社会保障に対する考え方が全然違うというお話でした。第1次安倍政権は短命で色が見えにくかったのですが、今回の第2次安倍政権は社会保障費に対してどういうスタンスをとるでしょうか。

二木 安倍氏は小泉政権時代の重要な閣僚で尚且つ小泉氏の事実上の後継指名によって首相になりましたから、小泉氏と安倍氏とを一体的に考えている人が多いようですね。けれど安倍氏と小泉氏の信条・発想はかなり違います。小泉氏は都会的な個人主義の人で、新自由主義の権化みたいな人でした。それに対して安倍氏は、政治的にはウルトラ右派ともいえる人ですけれども、古い自民党的な側面が強く、共同体、家族を重視しています。一見すると2人とも「自助」を強調している点で同じに見えますが、違います。小泉政権時代の「自助」、これは01年の経済財政諮問会議の骨太の方針に書いてありましたが、イコール「個人」です。家族機能が低下していることを認めたうえで個人の自立を求めています。それに対して安倍氏や今の自民党の「自助」は、「本人+家族」です。私はそれは幻想だと思いますが、家族や地域共同体を強化したいという意識が凄く強い。そうしますと、小泉・竹中氏の時代のようなむき出しの新自由主義的改革では家族や地域共同体は崩壊しますから、乱暴な改革はできません。

社会保障制度改革の行方は参院選の結果次第

― 民主党政権が自民党案をほぼ受け入れる形で成立させた社会保障制度改革推進法では、「高齢化の進展、高度な医療の普及等による医療費の増大が見込まれる」と前置きしたうえで「医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持する」という表現を使っています。自民党が政権をとったことで社会保障分野への市場原理導入は加速するとみていますか。

二木 7月に予定されている参議院選挙の結果次第で全然違ってきます。それまでは大きな改革はありません。今回の総選挙で自民党が大勝したと言っても、参議院では民主党等の野党が多数を占めるねじれ国会ですから、大きな改革はできません。しかも、この数年の民意の振り子の大きさを考えれば、安倍政権が国民の反発を受けるような政策を出せば、参院選で惨敗する可能性も否定できません。05年の郵政選挙では自民党が3分の2を占めましたが、07年には惨敗しました。09年の選挙では民主党が圧勝しましたが翌年の参院選では民主党が惨敗しました。安倍首相は自民党が惨敗した07年の選挙がトラウマになっています。それを繰り返せば、安倍首相の政治生命も今度こそ終わります。ですから、参院選までは安全運転するしかありません。3党合意で成立させた消費税増税を予定通り実施するためにも、取り敢えず7月までは経済政策、デフレ脱却に全力投球すると思います。参議院選挙までは社会保障分野への市場原理導入の議論は出てこないでしょう。

今回の総選挙の、医療・社会保障関係者から見た一番の特徴は、医療・社会保障が選挙の争点にならなかったことです。本来なら社会保障・税一体改革、社会保障を維持するための消費税引き上げの是非を問う選挙のはずです。野田前首相が認めたように、民主党の2009年総選挙のマニフェストには、消費税の引き上げはまったく書いてありませんでした。消費税を引き上げなくても予算の無駄を省くことによって医療・社会保障を拡充できると言っていたのですから。ところがそれは選挙中、全く論点にならなかった。勿論その背景には、全ての全国紙が消費税増税に賛成して誘導したという面もありますが。

これについて国民が医療・社会保障に興味がないかといえば、それは大間違いです。共同通信社が総選挙直後の12月17~18日に行った全国緊急電話世論調査の結果は、安倍内閣が最も優先して取り組むべき課題の第1位が55.3%で景気雇用対策ですが、年金制度改革などの社会保障が32.8%と第2位でした。国民の関心の2番目が社会保障改革なのです。だから国民の意識と選挙の争点のずれがもの凄く大きかったと思います。

総選挙後もこの傾向は変わらず、安倍総裁は選挙翌日に行った記者会見で、医療は勿論社会保障に全く触れませんでした。12月25日にまとまった自公連立合意でも、社会保障については当たり障りのないことばかりで、市場原理導入などはまったく書かれてはいませんでした。

ですから安倍政権は今夏の参院選までは安全運転で、法改正を伴う改革は行わない、それは間違いありません。もし参院選までに行われるとしたら、法改革を伴わない改革ということになるでしょう。それは2つあります。1つは、70~74歳までの高齢者の窓口自己負担を1割から法定の2割にすること。むしろ今が特例ですから、可能性は十分あります。もう1つは、最近の生活保護バッシングを背景とした、生活保護費の抑制。不景気になると貧しい人へのバッシングが必ず起こります。自民党の政策集では生活保護給付を1割下げるなど恐ろしいことを書いていました。けれど自公連立合意はそこまで明確ではなく、「自立・就労などの支援施策と併せて、その適正化に向けた見直しを行う」という言葉としては妥当な表現になっています。単に生活保護を抑制すればよいのではなく、就労可能な人への就労支援は不可欠ですから。ただしこの2つですら本格的に行われない可能性もあると思います。

それから、小泉政権時代に構造改革を進めた竹中平蔵氏自身が、社会保障改革は長期的課題だと仰っている。「短期的にはデフレ克服、中期的には規制緩和・民営化、長期的には攻めの社会保障改革が課題」だと (4)。小泉改革時代に社会保障費用抑制の急先鋒だった竹中氏でさえ、社会保障制度改革は長期的課題なのです。

ですから、今回の総選挙で自公両党が3分の2を占めたからといって即社会保障費の抑制、社会保障分野への市場原理導入が加速することはあり得ません。ただし何度も言いますが、参院選までは、という限定付きです。もし参院選で自公二党で、あるいは日本維新の会と併せて多数を占めた場合には、両院で絶対多数となる上、その後3年間国政選挙はありませんから、TPPを含めて今まで封印していた色んな劇薬的な改革が行われないとは言えないと思います。だから参院選挙までは大きな医療・社会保養制度改革はない。しかし参院選の結果次第では何が起こるか分からない。2段階で予測するべきだと思います。

生活保護者への後発品義務化に潜む危険性

― 社会保障費の抑制に関しましては、消費税の引き上げ時に診療報酬の消費税分を損税のままとするか否かについての議論が棚上げになっております。新政権はどのようなスタンスをとるでしょうか。診療報酬と消費税の関係に対する先生のお考えと併せて、お聞かせください。

二木 次回の診療報酬改正は14年、つまり参院選の後です。選挙の結果次第で、大分変わるでしょう。と同時に見落としてはならなのは、社会保障・税一体改革で示された、25年の医療提供体制のイメージの大枠は変わらないことです。そもそもこのイメージは、民主党政権が新しく出したものではなく、福田・麻生政権時代の社会保障国民会議のイメージと同じです。先ほど言いましたように、政権が大きく交代しても、医療提供制度は大きくは変わりません。問題は、その場合の診療報酬の決め方です。今は先ず医療費全体の引き上げ率を決めて、薬価を下げた分を診療報酬に振り替えています。薬価がどれだけ下がるかで、医療機関への配分が自動的に決まります。

昨年、一時盛り上がった医薬品・医療技術の経済評価は、学問的には凄く面白い。けれど評価自体に厖大なお金がかかります。ですから費用対効果を考えれば全面的な導入ではなく、ショウウィンドウ的に、重粒子線治療などのごく限られた高額な医療への導入にとどめるべきだし、とどまるでしょう。

医療に対する消費税の扱いですが、原理的にはゼロ税率が一番合理的だと思います。ただしこれは政治的に不可能です。なぜなら89年の消費税導入時に非課税を求めたのは日本医師会でしたから。可能性があるのは、軽減税率です。軽減税率については、昨年12月25日の自公連立合意でも、社会保障と税の一体改革の項目に一般論として「複数税率導入の検討」が入っています。複数税率とは軽減税率のことです。これが実現されるとしたら、診療報酬にも軽減税率が導入される可能性もあります。

消費税率は14年には3%上がり8%に、15年には10%となる予定です。今までと同じ損税として診療報酬で補填するのか、あるいは軽減税率を導入するのか。損税扱いのままで10%まで引き上げた場合の医療機関の負担の大きさを考えれば、原理的なゼロ税率は難しいにしても、軽減税率の可能性は否定できないと思います。

― 医療費抑制策では、民主党政権下の行政刷新会議における「新仕分け」で生活保護受給者への「後発品の原則化」が議論に上がりました。自民党の総合政策集にも「ジェネリック薬の使用義務化」が明記されています。

二木 生活保護の不正受給を厳しく取り締まること自体は当然です。しかしながら、生活保護患者への後発品の原則化は、国にとっても製薬企業にとっても、危ないと思います。

この点については厚労省の官僚から意見を求められたこともありますが、これを実施すれば、「後発品=貧困者のための薬」というラベリングが起きます。すると一般の患者・国民はジェネリックを求めなくなり、医師側も処方しにくくなります。アメリカがそうです。私は適切な品質管理と本人の自由意思のもとであれば、後発品拡大には賛成ですが、強制には賛成できません。さらにそれを低所得者に義務化すれば、家計の工夫として捉えられつつある後発品に差別的イメージができます。いまはイメージの時代です。後発品イコール貧困者の薬となれば当然、ブランド薬に比べて質が落ちるというイメージもつきます。生活保護受給者が増えていると言っても人口の2%ほど、患者のごく一部です。"Penny -wise and pound-foolish".まさに一文惜しみの百失いで、かえって後発品の普及を大きく妨げる結果になるでしょう。

医薬品産業の育成には医療費のパイ拡大が必須

― 民主党政権が12年7月に発表した日本再生戦略では20年の目標として、医療・介護、健康関連サービスで約50兆円の新市場と284万人の雇用創出などを掲げていました。医療技術のソフト・ハードの海外輸出にも積極的でしたが、こうした目標や医療の産業化はどうなるのでしょうか。政権交代による政策の連続性について、お聞かせください。

二木:これは極めて単純です。元々民主党に独自の成長戦略などありません。野田内閣の日本再生戦略は菅内閣の新成長戦略をバージョンアップしたもので、新成長戦略は鳩山政権が09年12月に出した新成長戦略基本方針を元に、翌年6月に閣議決定しました。ところがこの新成長戦略は、麻生政権が09年4月に決定していた未来開拓戦略とほぼ同じです。項目も具体的な雇用の人数までもほとんど同じ。ですから、安倍内閣でも大枠は変わりようがないと思います。

私が今度の自・公政権合意で懸念を抱いたのは、次の箇所です。「二、景気・経済対策」の最後に「エネルギー・環境、健康・医療などの成長分野における大胆な規制緩和、新たな需要喚起・創出などにより、名目3%以上の経済成長を実現する」とあります。社会保障政策とは別に、景気・経済対策で、このように書かれています。文脈からいえばこの場合の健康・医療は、医薬品など、基本的には医療本体(医療機関)以外を指します。しかしこれが拡大解釈されれば、医療本体の営利産業化に繋がり、菅内閣や野田内閣が行おうとしたことと重なります。私は医療本体もその周辺の医薬品・医療機器も、産業として健全に発展させることには賛成です。けれど、医療本体部分はあくまでも非営利産業として発展させるべきだとも思っています。そのため、この合意は混合診療拡大の可能性を秘めていると思います。ただし先の衆院選で「混合診療の解禁」を公約に書いていたのは維新の会とみんなの党だけで、自民党は「現行の保険外併用療養費制度(評価療養)を積極的に活用し」と当たり障りのない表現にとどめていました。そのため、当面は、混合診療の全面解禁はしない形で進むと思います。

混合診療について大事なことは、現行の「保険外併用療養費制度」で既に部分解禁されている、ということです。正確に言うと、医療を本体部分と周辺部分とに分けると、周辺部分(差額ベッド代や食事代など)は「選定療養」で混合診療がほとんど全面解禁されています。差額ベッド代はいま、原則として5割まで自由で、厚生労働大臣の認可を受ければ、10割まで可能です。食事代の材料費相当分(1食260円)の自己負担は法定負担ではなく、「標準負担」です。そのため、富裕層向け病院では、1000円ほど取っているところもあります。ですから周辺部分は既に混合診療化・自由化され、医療の本体部分も保険外併用療養費制度の「評価療養」により、管理された部分解禁になっています。私はそれでいいと思います。

― 医薬品などの医療の周辺分野では景気・経済対策として規制緩和が進むということですか。

二木 ただし、規制緩和は内資の育成と矛盾する面があります。診療報酬とのかかわりでいえば医療費抑制とも矛盾します。私はこれを、「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」といっています (5)が、なかなか難しい問題で、一気呵成には進まないでしょう。

今後GDPの伸び以上に医療費が伸びていくのは確実です。他面、現時点では、日本の医薬品産業に大きな輸出力はなく、極端な入超になっています。もし今後輸出産業に変わることができたとしても10年単位であり、当面は内需依存でしょう。ですから医薬品産業や医療機器産業を育成するには、医療費のパイを大きくしなければいけません。一方で医療費を大きく抑制して、他方で医薬品・医療機器産業を育成することは困難です。

― こうしたなか安倍政権は経済財政諮問会議を復活させました。社会保障制度改革国民会議と経済財政諮問会議との位置付はどうなるでしょう。

二木 民主党政権の大失敗は、目の敵にしていた経済財政諮問会議を法的に廃止し忘れたことです。ですから、政権が変わった途端に復活しました。

経済財政諮問会議は恒常的組織で首相直轄組織でもあるので、社会保障制度改革国民会議より格は上です。しかも社会保障制度改革国民会議は8月21日までの期限つきです。けれど社会保障制度改革は、社会保障制度改革国民会議の提言をベースにして行うと、社会保障制度改革推進法に明記しています。尚且つ、自公合意でも「医療・介護・少子化対策など社会保障制度改革国民会議における議論を促進する」と明記しています。ですから8月下旬までは、社会保障制度改革国民会議の議論が優先されます。

社会保障制度改革国民会議は、その設置根拠法である社会保障制度改革推進法が「国民皆保険制度の堅持」という表現を削除し「原則として全ての国民が加入する」との限定表現を初めて用いたため、どのようなメンバー構成になるのか注視していました。実際に選ばれた15人は、福田・麻生政権時代か民主党政権時代に、社会保障機能強化を推進してきた委員が大半です。会長の清家篤氏も見識のある人です。ですから、社会保障制度改革国民会議が医療分野への市場原理導入や社会保障費の大幅抑制を打ち出すことは考えにくいでしょう。しかも何度も言いますが、経済財政諮問会議も当面はデフレ脱却に集中しますから、参院選までは社会保障についてはあまり議論しないと思います。

TPP問題は参院選まで棚上げの可能性大

― 社会保障分野への影響も大きいと医療関係者の関心も高いのが、TPP参加問題です。自民党は12年の政策集でも、「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、交渉参加に反対する」「国民皆保険を守る」、等の複数の判断基準を政府に示すと述べるにとどめ、選挙期間中も明確な態度を表明しませんでした。

二木 「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、交渉参加に反対する」とは、少しでも例外を認めれば参加する、ということですから、私は衆院選前から選挙後は交渉参加に舵を切る可能性があると思っていました。しかも、衆院選後の自公政権合意では「国益にかなう最善の道を求める」とさらに表現を緩めました。ただし、本年7月の参院選までは、水面下では議論を進めるにしても、交渉参加表明まではいかないでしょう。TPP交渉参加を表明すれば、今回大挙して自民党支持に回った農協票、医師会票を失いかねませんから。しかし、参院選で自公で、あるいは維新の会を含めて多数派を占めた場合には、交渉参加に踏み切る可能性が強いでしょう。

これまでTPPは経済協定のレベルで議論されていました。しかしそもそもTPPは、台頭する中国に対する封じ込め政策でもあります。中国との対決を見据えてアメリカの庇護のもとに入る。そういう、経済協定とは別の政治的判断が働くのが1つ。それから、安倍氏の著書『美しい日本へ』(文春新書,2006)で印象的だったのは、祖父である岸信介元首相への強い思い入れです。安保条約は軍事同盟であると同時に経済協力協定が入っていました。TPPは祖父の成立させた安保条約の経済協力促進条項の精神にも適うものですから、安倍首相は参加しようとすると思います。

ただし一方で、TPPに参加すると、日本の製薬産業は大打撃を受ける可能性がある。安倍氏は製薬産業の成長推進を掲げましたが、ここでいう製薬産業とは内資のことです。小泉氏の場合には製薬企業の国籍にはとらわれていなかった。市場原理が徹底しイノベーションが起これば外資中心でもよいという発想です。けれど安倍氏は違い、内資を強めなければいけないという思いが強い。今の製薬業界の画期的新薬の創薬力からすれば、外資と内資の格差は歴然です。新薬創出加算の獲得を見ても外資の一人勝ち状態ですね。薬価規制を緩和した場合、外資の一人勝ちをさらに促進してしまいます。そのことには凄く抵抗があるはずです。ですから今後紆余曲折があるでしょう。

国外を見ても、日本が途中からTPP交渉に参加することに対して、アメリカを含めた加盟各国は本心では快く思っていない。今まで進めてきた交渉が戻されてしまう可能性があるからです。ですから、アメリカからの参加圧力が本格的に強まるのはルール策定後になるでしょう。

こうした国内外の要因が重なると、色々アドバルーンを上げはしても来年の参院選までは明確な態度は表明しないだろうと思います。

― 先生はTPPに参加した場合に米国がまず要求するのは、医薬品や医療機器の価格規制の緩和・撤廃だと論じておられます (6)。医薬品の価格規制の緩和とはどういうことでしょうか。

二木 アメリカが要求するのは、究極的には公定薬価制度の廃止、つまり自由薬価制度です。しかしこれは国民皆保険制度の根幹にかかわります。

実は私が先の総選挙で一番心配したのは、維新の会の政策です。「診療報酬の決定を市場に委ねる」と書いてあります。まさに自由薬価制度の導入ですね。ただしこれを導入すれば、薬価が高騰するジレンマが起きます。当然医療費も上がります。では落とし所をどこにするか。私は「公定薬価制度の規制緩和」だと判断しています。今試行的に導入している新創加算の恒常化、市場拡大再算定の廃止。そういう形でのアメリカ側との妥協になると思います。

社会保障給付の公費負担分は新たな財源模索が課題

― 今回の衆院選では医師会は安倍政権を支持したというお話でした。今後の日本医師会と安倍政権との関係については、どう見ればよいでしょう。

二木 正確には、今回は日本医師会では積極的に候補者を立てていません。自民党、維新の会からたくさん当選しましたが、大物医師議員と呼べるのは鴨下一郎氏だけで、あとはほとんど新人です。しかも県医師会役員はゼロのはず。都道府県レベルで候補者と個別に協定を結び、医師連盟が追認するという形でした。ですから日本医師会として自民党を支持したわけではありません。ただ、今度の総選挙の結果を受けて横倉会長が「次の参院選では組織内候補を立てる」と言いだしていますから、今後は自民党支持に舵を切る可能性はあります。しかし、私から見ると、それは自らの首を絞めることになると思います。医師会はTPPに反対していますが、次の参院選で自民党が多数を占めれば、参加に弾みがつきますから。

― 最後に、あるべき社会保障制度改革について、先生からのご提言をお願いいたします。

二木 社会保険制度を維持するためには財源が必要です。財源のベースは社会保険料を主として、それを補助的に税金で賄うしかあり得ません。

すぐに立ち消えとなりましたが、2009年総選挙の民主党のマニフェストで私が一番評価していたのは、保険料の財政調整をすると書いていたことです。低所得者が多く加入する国民健康保険の保険料を引き上げることは不可能ですから、健康保険組合や共済組合との財政調整をすることが不可欠です。財政調整とは低所得層に配慮するということで、保険料を引き上げる場合には非常に意味のあることです。

社会保障給付の公費負担分については、消費税収を主財源としていますが、消費税を相対化して、他の財源も考えるべきだと思います。国際的に見てもまだまだ低い企業負担やこの20年間で極端に弱まった所得税の累進課税引き上げを含め、相続税、たばこ税、酒税、なども強化して総合的に上げるという方向で議論を進めるべきではないでしょうか。

(インタビューは2012年12月26日に行いました)

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算85回.2012年分その10:7論文。1論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカ]軍における禁煙のシミュレーションは生産性上昇で相殺される以上の生涯医療費増加を示している
(Yang W, et al: Simulation of quitting smoking in the military shows higher lifetime medical spending more than offset by productivity gains. Health Affairs 31(12):2717-2726,2012)[量的研究(シミュレーション)]

禁煙の効果が実証されているにもかかわらず、諸研究は喫煙者が禁煙した場合生涯医療費は増加することを明らかにしており、その理由の一つは禁煙による体重増加により2型糖尿病等の疾患リスクが増加するからである。アメリカ軍医療制度の612,331人の喫煙者の個人情報を用いてシミュレーションを行ったところ、禁煙は体重増加をもたらすが、平均余命は3.7歳延長すること、および健康状態の改善による医療費削減(5600ドル)は余命延長による医療費増加(7300ドル)により相殺されることが明らかになった。ただし、結果は年齢と性により異なり、例えば、18-44歳の女性が禁煙した場合には、生涯医療費が正味1200ドル削減された。禁煙後の体重増加を予防すれば、余命はさらに4年延長し、余命延長による医療費増加も700ドル減らせる。対象全体についても、禁煙者の生涯医療費の増加1700ドルはそれほど多額ではなく、被用者については、わずか1年間の生産性上昇(稼得の増加)で相殺される。

二木コメント-緻密なシミュレーションにより、禁煙により余命が延長し、生涯医療費も増加するが、その額は多くはないことを示しています。アメリカでは喫煙による肥満が大きな問題になっていることは初めて知りました。なお、1997年に、禁煙プログラム実施により、医療費は短期的には減少するが、余命の延長期間の医療費増加のため、長期的に(禁煙15年後以降)は累積医療費は増加に転じるとの先駆的シミュレーション研究が発表されていますが、それは本論文では引用されていません(Barendregt JJ,et al: The health care costs of smoking. N Eng J Med 337:1052-1057,1997)。なお、拙著『医療改革』(勁草書房,2007,31頁)ではこれを「アメリカの禁煙プログラム」の研究と紹介しましたが、オランダの誤りです。

○電子医療記録による[成人糖尿病の]臨床的意思決定支援システムの費用対効果
(Gilmer TP, et al: Cost-effectiveness of an electronic medical record based clinical decision support system. Health Services Research 47(6):2137-2158,2012)[量的研究]

医師グループは電子医療記録(EMR)に多額の投資を行っているが、EMRを用いた臨床的意思決定支援(CDS)(以下、EMR-CDS)の費用対効果はほとんど研究されていない。本研究では、医療制度の(社会的)視点から、成人糖尿病患者に対するEMR-CDSの費用対効果を検討した。アメリカ・ミネソタ州の成人糖尿病患者1092人を対象として行われたEMR-CDSのランダム化比較試験から得られたアウトカムと費用についてのデータを用いた。妥当性が確認されたシミュレーションモデルである「イギリス前向き糖尿病研究アウトカムモデル」を用いて、今後の余命、質調整生存年(QALY)、最大40年の生涯医療費を医療システムの視点から推計した。介入群の患者は対照群に比べて、A1cが有意に低かった(0.26%,p=0.014)。1人当たり介入費用は1年目は120ドル、2年目以降は毎年76ドルであった。EMR-CDSにより、介入群1人当たり、生涯QALYは基準年に比べて0.04向上し、生涯医療費は112ドル増加し、その結果QALY1年延長当たり費用は3,017ドルとなった。以上の結果から、洗練されたEMR-CDSは、大幅な医療費増加をもたらすことなく、糖尿病患者の医療の質を少し(modestly)改善する可能性があると言える。

二木コメント-最後の結論は回りくどいですが、要するに電子医療記録を用いた臨床的意思決定支援により、医療の質は高まるが費用も増加するという、ある意味で当然の結論です。

○経済危機と政府医療費増加との間に統計的関係は存在するか?ヨーロッパ24か国の分析
(Cylus J, et al: Is there a statistical relationship between economic crises and changes in government health expenditure growth? An analysis of twenty-four European countries. Health Services Research 47(6):2204-2223,2012)[国際比較研究・量的研究]

本研究の目的は、ヨーロッパにおける政府(公的)医療費増加は経済危機後に変化したか、その場合はどのような手段でどの程度変化したのかを明らかにすることである。そのために、OECD Health Data 2011に含まれるヨーロッパ24か国の医療費データを用いて、国家間(cross-country)固定効果多重回帰分析を行い、経済危機後の法定(公的)医療費増加が、それ以前の経済的趨勢から予測されるものと異なるか否かを検討した。変化のメカニズムを明らかにするために、コストシフティング(患者負担の増加)をもたらした政策変化とそれ以外の政策(効率向上等)を区別した。経済危機後の公的医療費増加率はそれ以前の長期的経済的趨勢から予測されるレベルに比べて低下していた。コストシフティングとそれ以外の政策の両方が増加率低下に関連していた。ただし、租税負担の医療費の変化が危機後コストシフティングとそれ以外の政策の両方に関連していたのに対して、社会保険医療費の変化はコストシフティングとのみ関連していた。医療費の大幅削減や医療費増加率抑制のためのコストシフティング依存は、平等、効率、医療の質、および医療アウトカムに悪影響を与える可能性がある。

二木コメント-タイトルは非常に魅力的なのですが、中身はやや期待外れです。

○韓国の民間医療保険:国際比較
(Shin J: Private health insurance in South Korea: An international comparison. Health Policy 108(1):76-85,2012)[量的研究]

本研究の目的は2つある。一つは韓国における民間医療保険拡大の歴史と政策的背景を国民健康保険(NHI)の文脈で示すこと、もう一つはOECD Health Data 2011中の加盟30か国の1980~2007年データを用いて、固定効果モデル推計を行い、民間医療保険の役割の増加が、政府財政、社会保険料、患者自己負担を相殺し、医療費総額の安定化に寄与するか否かの実証的根拠を提供することである。他のOECD加盟国と比べると、韓国の社会保険料は少なく、患者自己負担は多かった。上記推計によると、民間医療保険費は政府の医療費負担、社会保険料を減らしてはいなかった。患者自己負担は民間医療保険費により相殺される可能性が示唆されたが、その効果は限定的であった。民間医療保険は総医療費と、統計的に有意な正の相関があった。本研究により、民間医療保険給付が韓国のNHIプログラムの財政的困難に役立つとの根拠はほとんど得られなかった。
二木コメント-研究テーマは魅力的なのですが、2つの研究の「接ぎ木」で難解です。民間医療保険の役割の計量経済学的研究としては面白いのかもしれません。

○見当違いなことを心配する:[EUにおける]患者の[国境を越えた]移動対医療専門職の[国境を越えた]移動
(Glinos I: Worrying about the wrong thing: Patient mobility versus mobility of health care professionals. Journal of Health Services Research and Policy 17(4):254-255,2012)[評論]

ヨーロッパ連合(EU)の患者と医療専門職は加盟国間の移動の自由についての規定から利益を得ている。EU内での医師・看護師の移動数は患者のそれよりも多い。それにもかかわらず、患者の移動に対しては政策担当者や市民が注目しているが、医療専門職の移動は無視されている。これは逆説的かつ無分別である。患者の移動は限定的である。それに対して、現在および今後予想されているEU全体での医療専門職不足、医療専門職を求めての国際競争、および最近の経済危機を考えると、医療専門職の移動とそれが医療制度に与える影響こそ心配する必要がある。

二木コメント-EUでの「医療ツーリズム」論議の盲点を突いていると思います。


5.私の好きな名言・警句の紹介(その98)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<教育と教育者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方(再開)>

私は、4月から日本福祉大学学長に就任しますので、53号(2009年1月)~82号(2011年5月)に不定期で掲載したこの領域の名言・警句の紹介を、やはり不定期で再開します。

<その他>

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