『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻105号)』(転載)
二木立
発行日2013年04月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:「麻生発言」で再考-死亡前医療費は高額で医療費増加の要因か?
(「深層を読む・真相を解く(21)」『日本医事新報』2013年3月9日号(4637号):30-31頁) - 2. 論文:規制改革会議の「保険外併用療養の拡大」方針を冷静に読む
(「二木教授の医療時評(その111)」『文化連情報』2013年4月号(421号):20-23頁) - 3. インタビュー:TPPは私たちの医療をどう変える?
(「朝日新聞」(東京版)2013年3月14日夕刊。東京都医師会の意見広告「人と医療の未来のために Vol.1」) - 4. 新著『福祉教育はいかにあるべきか?-演習方法と論文指導』(勁草書房,2013年4月1日発行,\2500+税)の「はしがき」と章立て
- 5. 日本福祉大学講師懇談会・全体懇談会での挨拶(2013年2月26日)
- 6. 大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書私的推薦図書私的推薦図書(2013年度版、Ver 15)より
- 7. 私の好きな名言・警句の紹介(その99)-最近知った名言・警句
お知らせ
1.論文:「麻生発言」で再考-死亡前医療費は高額で医療費増加の要因か?
(『日本医事新報』「深層を読む・真相を解く(21)」2013年3月9日号(4637号):30-31頁)。
「麻生発言」で見落とされていること
麻生太郎副総理は1月21日の政府の社会保障制度改革国民会議で、次のように持論を展開しました。「死にたい時に、死なせてもらわないと困っちゃうんですね。(中略)しかも、その金が政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」。麻生氏は批判を受けてすぐに発言を撤回しましたが、「大切なテーマなのでタブーにすべきでない」、「重要な問題提起」との擁護論も少なくありません。
しかし、私は、麻生発言で問題にすべきは、これの前段階で述べた次の主張だと思います。「やっぱり現実問題として、今経費をどこで節減していくかと言えば、もう答えなんぞ多くの方が知っている。高額医療というものをかけて、その後、残存生命期間が何か月だと、それに掛かる金が月千何百万円だ、1500万円だっていうような現実を厚生労働省が一番良く知っているはずですよ」。しかし、この部分は主要な全国紙はもちろん、専門誌もほとんど報じませんでした。私が調べた範囲でこれを報じた全国紙等は、「産経新聞」、「しんぶん赤旗」と時事通信だけでした。
麻生氏に限らず、死亡前医療費が高額であり、医療費増加の要因であると主張される方は少なくありません。例えば、高名な福祉ジャーナリストの沖藤典子氏は、新著『それでもわが家から逝きたい』(岩波書店,2012,122頁)で、「日本は終末期医療のコストが、医療費全体、社会保障費全体のコストを押しあげ」ていると根拠を示さずに主張しています。
田中早苗弁護士もNHK「視点・論点:終末期医療・お金の使い方」(2011年7月21日。http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/91698.html)で、「統計によって異なりますが、終末期医療費が全老人医療費の20パーセントを占めるとか、国民一人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2ヶ月に使われるという報告があります」と主張していますが、やはり根拠は示していません。しかもこの発言は、久坂部羊『日本人の死に時』(幻冬舎新書,2007,161頁)の無断引用・剽窃です。これが全くの事実誤認であることは、拙著『医療改革-危機から希望へ』(勁草書房,2007)の第5章第2節6「終末期医療費についてのトンデモ数字」で示しました。「後期高齢者の終末期(死亡前)医療費は高額ではない」ことは、その後『医療改革と財源選択』(勁草書房,2009,第5章第1節)でも改めて指摘しました。
今回は、個人・総医療費の2段階で死亡前医療費データ(死亡前1か月。以下同じ)を示し、それがとりたてて高額でも、医療費増加の要因でもないことを示します。
高額医療費の死亡患者はごく一部
個人レベルの死亡前医療費が分かる資料は2つあります。1つは健保連「平成23年度 高額レセプト上位の概要」で、1000万円以上の高額レセプト179件の月別医療費と主病名が示されています。患者の年齢や転帰は示されていなかったので、担当の「高額医療グループ」に電話で問い合わせました。
それによると、高額レセプト179件のうち、当月死亡はわずか15件(8.4%)にすぎません。次に179件の年齢分布をみると、もっとも多いのは0~9歳の61件、次は10~19歳の30件で、両方を合わせて全体の半数(50.8%)の91件を占めています。以下、20~29歳23件、30~39歳14件、40~49歳19件、50~59歳19件であり、60~74歳はわずか13件(7.3%)にすぎません(2008年度からは、後期高齢者は「高齢者医療制度」に移行)。
麻生氏に限らず、高額医療費患者の大半は死亡患者で、しかも高齢者というイメージを持つ人がいますが、これはまったくの誤解です。
もう1つの調査は、前田由美子・福田峰「後期高齢者の死亡前入院医療費の調査・分析」「日医総研ワーキングペーパー」144号,2007)で、3病院を対象に、2006年度に入院して死亡した70歳以上の高齢者403人の「死亡前30日以内1人1日当たり入院医療費」(以下、死亡前1日当たり医療費)を、死亡までの入院期間別に分析しています。
死亡前1日当たり医療費は、当然入院7日以内死亡群で一番高いですが、それでも平均は5.66万円です。しかもこの患者群は入院期間が3.6日ときわめて短いので、入院医療費総額は56.6万円にとどまります。死亡前1日当たり医療費は入院期間が長くなるほど低下し、365日以上入院群では2.01万円(1月当たり60.3万円)にすぎません。平均ではなく「最高値」をみると、一番高い7日以内死亡群でも27.52万円(仮に7日入院したとしても総額192万円)です。365日以上入院群では最高値でさえ3.80万円(1月当たり114万円)にすぎず、とても高額とは言えません。死亡月の入院医療費の内訳をみても、技術料の割合が50%を超えているのは、7日以内死亡群だけで、他の群では入院医療費等が60%以上を占めています。
以上の結果は、入院直後に死亡した患者を除けば、死亡患者に特に濃厚な医療が行われているわけではないことを示しています。
死亡前医療費は総医療費の3%
総医療費レベルで死亡前医療費を推計した調査報告は2つあります。
1つは、医療経済研究機構「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究報告書」(2000)で、1998年度の死亡前医療費総額は7,859億円と推計しました。これは同年度の一般診療医療費(23.28兆円)のわずか3.4%にすぎません。
もう1つは、上述した日医総研報告で、2005年度の70歳以上の死亡前入院医療費は4557億円であり、同年度の高齢者医療費13.34兆円の3.4%と推計しました。
死亡前医療費の総医療費に対する割合が、総死亡でも70歳以上の高齢死亡でもほとんど同じであることは、総医療費レベルでも、高齢の死亡患者に特別に濃厚な医療が行われているわけではないことを示しています。
上記医療経済研究機構報告書をとりまとめた片岡佳和氏は、その後、報告書が結論として「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくない」と述べていることを強調して、終末期ケアが「医療費の高騰につながる可能性は否定している」と明言しました(『社会保険旬報』2095号,2001)。私は、当時「これにより、終末期医療費をめぐる論争には決着がついた」と判断しました。ただし、これはあくまで研究について言えることであり、政治的には同じ誤りが何度も蒸し返されると、麻生発言を通じて、改めて感じました。
2.論文:規制改革会議の「保険外併用療養の拡大」方針を冷静に読む
(「二木学長の医療時評(その111)」『文化連情報』2013年4月号(421号):20-23頁)
政府の規制改革会議は2月15日に第2回会合を開き、安倍内閣が6月にまとめる新成長
戦略の叩き台の検討を始めました。会合では、「これまでに提起されている課題の代表例」として、(1)健康・医療、(2)雇用、(3)エネルギー・産業の新陳代謝の主要4分野の課題59項目が示されました。(1)は13項目あり、その5番目に「保険外併用療養の更なる範囲拡大」があげられました。これを受けて、2月15日または16日の全国紙は「混合診療拡大検討へ」(「朝日」15日夕刊)、「混合診療など主戦場に」(「日経」16日朝刊)等と報じました。他面、どの全国紙も、「保険外併用療養」という正式用語は使いませんでした。
その後、あるテレビ局の担当者から「混合診療の範囲拡大」について取材の相談があったので、私は、今までに書いた論文を送るとともに、次のように回答し、視聴者に無用な誤解や不安を与える報道・論評をしないよう求めました。(1)規制改革会議の文書には「混合診療」という用語は使われておらず、このことには大きな意味がある。(2)混合診療問題は、政治的にも、法的にも終わっている。(3)現行の保険外併用療養費制度と混合診療(原則)解禁とは異質。(4)混合診療解禁論が再燃することは少なくとも7月の参議院議員選挙まではない。
その後、その方からは私のコメントを取り上げる時間がなくなったとの連絡がありましたが、コメントが「辛口」すぎて、報道の趣旨に合わなかったのだと私は推察しています。ともあれ、医療関係者にも、新聞報道を読んで、混合診療が解禁されると心配されている方が少なくないようなので、上記4点について簡単に説明します。
「混合診療」は政府文書では死語
2月15日の規制改革会議には、事務局または委員が5つの資料を提出しましたが、そのいずれにも「混合診療」という用語は用いられていません。
上述した「これまでに提起されている課題の代表例」では、「保険外併用療養の更なる範囲拡大」について、以下のように説明されています。「保険診療と保険外診療の併用制度について、先進的な医療技術の恩恵を患者が受けられるようにする観点から、先進的な医療技術全般(薬剤を用いない医療技術、再生医療等)にまでその範囲を拡大すべきではないか」。
新聞報道を読んだだけでは、これが安倍内閣で新しく提起されたかのように思ってしまいますが、それはまったくの誤解です。なぜなら、菅直人内閣が2010年6月に閣議決定した「規制・制度改革に係る対処方針」には、「保険外併用療養の範囲拡大」、「現在の先進医療制度よりも手続きが柔軟かつ迅速な新たな仕組みを検討し、結論を得る」と、今回の文書とほとんど同じ表現が盛り込まれていたからです(1)。菅内閣のこの「対処方針」でも、それと同時に閣議決定された「新成長戦略」でも、「混合診療」という用語はまったく使われませんでした。
実は、民主党の鳩山内閣が発足直後の2010年1月に行政刷新会議の下に設置された「規制・制度改革に関する分科会」の「ライフ・イノベーション・ワーキンググループ」の第1回会議(3月29日)に提出された「検討テーマ」では、トップに「保険外併用療養(いわゆる「混合診療」)の原則解禁」がストレートに掲げられていました。しかし、第4回会議(4月29日)に、事務局が突然、「保険外併用療養の範囲拡大」に名称を改めることを提案し、了承されました。その後、政府文書からは「混合診療」という用語も、それの「原則解禁」という用語も消失し、いわば死語になりました(1)。
今回の規制改革会議の文書はこの延長線上にあり、この点では政権再交代による政策変更は(まだ)ないと言えます。
混合診療問題は政治的・法的に終わっている
ではなぜ、「混合診療」という用語が使われていないのか?それは、混合診療問題が政治的にも、法的にも「終わっている」からです。
政治的理由は、2004年の小泉政権時代に繰り広げられた混合診療解禁論争の結果、混合診療の「全面(原則)解禁」が否定され、それの部分解禁である保険外併用療養費制度の創設(旧・特定療養費制度の再構成)で、政治的妥協が成立したからです(2)。同年12月に結ばれた厚生労働大臣と規制改革担当大臣との「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」では、「一定のルールの下に、保険診療と保険外診療との併用を認めるとともに、これに係る保険導入手続を制度化する」とされ、しかもこの改革により「[規制改革・民間開放推進会議等からの]保険診療と保険外診療との併用に関する具体的要望については、今後新たに生じるものについても、おおむねすべてに対応することができる」とされました。
田村憲久厚生労働大臣は、2月15日の閣議後記者会見で、規制改革会議の上記文書を批判して、「現在は保険外併用療養費という制度がある。そのなかで、評価療養や先進医療などがあり、そこで十分に対応できている」と述べましたが、これはこの2004年「基本的合意」を踏まえた良識ある発言と言えます。
法的理由は、最高裁判所が2011年10月、混合診療禁止の是非をめぐってきて争われてきた訴訟で、混合診療を原則禁止し、保険外併用療養費制度でそれを部分的に認めている国(厚生労働省)の法解釈と政策を妥当とする判決を下したからです。これにより、厚生労働省による混合診療禁止の法運用には「理由がない」とした2007年11月の東京地裁判決以来続いてきた論争に法的決着が付けられました(3)。
保険外併用療養費制度と混合診療原則解禁とは異質
医療関係者のなかには、保険外併用療養費制度の「評価療養(先進医療)」の対象が拡大されれば、混合診療原則(全面)解禁と同じ意味を持つと思われている方が少なくありませんが、それは誤解です。なぜなら、混合診療が原則(全面)解禁された場合には、「公的保険の対象となる医療サービスを明確化し、それを超える医療部分には保険を適用しないという単純なルール」が適用され、しかもそれが「時限的措置ではなく、永続的なもの」とされる(八代尚宏氏(4))のに対して、保険外療養費制度中の「評価療養(先進医療)」は、「将来的な保険導入のための評価を行う」とされているため、もし先進医療の評価・確認手続きが適正に行われた場合には、結果的に保険導入のスピードが速まる可能性があるからです。この場合は、混合診療原則(全面)解禁論者の公的医療費抑制の思惑とは逆に、公的医療費はさらに増加することになります。
混合診療解禁論は参院選までは再燃しないが…
医療関係者の中には、安倍首相が小泉政権時代の重要閣僚として「構造改革」路線を推進したことを理由にして、混合診療原則解禁に舵を切ると心配されている方も少なくありません。しかし、安倍首相は、本年7月の参議院議員選挙で勝利することを至上命令として「安全運転」に努めているので、その可能性は短期的にはありません。
論より証拠。2月15日に規制改革会議文書が公表される前の1月31日の衆議院本会議の各党代表質問で、渡辺喜美みんなの党代表が、安倍首相に混合診療解禁を迫ったのに対して、安倍首相は、「最先端の医療機器や医薬品を用いる先進的な医療技術については、安全性や有効性を個別に確認した上で、保険診療との併用を認めることにしています」と答弁し、現行の保険外併用療養費制度の枠内で対処することを明言しました。
さらに、参議院議員選挙対策の枠を超えて、小泉前首相と安倍現首相との間には、政策的・思想的に大きな違いがあることも見逃せません。この点は意外に知られていないので、昨年12月の衆議院議員選挙直後のインタビューで私は以下のように注意を喚起しました(5)。
「安倍氏は小泉政権時代の重要な閣僚で尚且つ小泉氏の事実上の後継指名によって首相になりましたから、小泉氏と安倍氏とを一体的に考えている人が多いようですね。けれど安倍氏と小泉氏の信条・発想はかなり違います。小泉氏は都会的な個人主義の人で、新自由主義の権化みたいな人でした。それに対して安倍氏は、政治的にはウルトラ右派ともいえる人ですけれども、古い自民党的な側面が強く、共同体、家族を重視しています。一見すると2人とも『自助』を強調している点で同じに見えますが、違います。小泉政権時代の『自助』、これは2001年の経済財政諮問会議の骨太の方針に書いてありましたが、イコール『個人』です。家族機能が低下していることを認めたうえで個人の自立を求めています。それに対して安倍氏や今の自民党の『自助』は、『本人+家族』です。私はそれは幻想だと思いますが、家族や地域共同体を強化したいという意識が凄く強い。そうしますと、小泉・竹中氏の時代のようなむき出しの新自由主義的改革では家族や地域共同体は崩壊しますから、乱暴な改革はできません」。
ただし、本年7月の参議院議員選挙で自民党が圧勝し、しかも安倍政権内で新自由主義派の影響力が強くなった場合、あるいは自民党と混合診療解禁を主張する日本維新の会との連立政権が成立した場合、さらには日本がTPPに参加しアメリカ政府から日本の医療市場開放圧力が強まった場合には、混合診療原則(全面)解禁論が再燃する危険があると思います。
文献
- (1)二木立「『保険外併用療養の範囲拡大』はごく限定的にとどまる-2010年6月閣議決定の正しい読み方」『文化連情報』2010年8月号(389号):16-20頁(『民主党政権の医療政策』勁草書房,2012,82-89頁)。
- (2)二木立「混合診療問題の政治決着の評価と医療機関への影響」『月刊/保険診療』2005年2月号(60巻2号):87-92頁(『医療改革-危機から希望へ』勁草書房,2006,45-57頁)。
- (3)二木立「混合診療裁判の最高裁判決とその新聞報道等を考える」『文化連情報』2012年1月(406号):30-35頁:(『TPPと医療の産業化』勁草書房,2012,55-64頁)。
- (4)八代尚宏『規制改革』有斐閣,2003,146-147頁。
- (5)二木立「総選挙後の医療・社会保障政策を読む-参院選までは『安全運転』」『国際医薬品情報』2013年1月28日号(第978号):21-28頁。
ご挨拶-4月から日本福祉大学学長に就任します
私は本年3月で日本福祉大学教授を定年退職しましたが、4月から同大学学長に就任しました。言うまでもなく学長の仕事はたいへんな激職・重職です。しかも、急速に進む少子化と、首都圏・関西圏の巨大ブランド大学への受験生・学生の「二極集中」のため、本学のような地方の中規模大学は大きな困難に直面しており、学長の責務は従来に増して重くなっています。私は65歳で決して若くはありませんが、健康状態は概ね良好で、知力・気力も充実しており、4年間、日本福祉大学の生き残りと発展のために努力したいと思っています。と同時に、学長業務と研究のバランスに留意しつつ、医療・介護政策の研究と発信も続ける所存です。本誌の連載も「二木学長の医療時評」として、継続します(ただし、掲載頻度は多少減るかもしれません)。御指導・ご鞭撻いただくよう、よろしくお願いします。なお、言うまでもないことですが、本連載は私個人の見解を示すものであり、日本福祉大学の公式見解ではありません。
3.インタビュー:TPPは私たちの医療をどう変える?
(「朝日新聞」(東京版)2013年3月14日夕刊。東京都医師会の意見広告「人と医療の未来のために Vol.1」)
[政府が交渉参加に向けた検討を進めているTPP(環太平洋経済連携協定)を仮に日本が締結した場合、私たちの医療には多くの影響が出ると考えられます。TPPは医療の何を変え、どんな社会を生み出していくのか。専門家や識者とともに考えてみましょう。]
何をもって皆保険制度の「崩壊」「維持」とするか
TPPは私たちの医療をどう変えるのか。それを考えるうえでまずお伝えしたいのが、健康保険証を持っていれば、いつでも、どこでも、誰でも、適切な医療を受けることができる『国民皆保険制度』(下記参照)についてです。
この制度は世界に誇れる日本の財産だと思います。今、「TPPに参加すると崩壊する」「いや、TPPに参加しても維持される」と様々な意見があります。そもそも国民皆保険制度とは何なのか。何をもって「崩壊」もしくは「維持」と考えればよいのか、きちんと検証する必要があります。
昨年、民主・自民・公明の3党合意で「社会保障制度改革推進法」が成立しました。そこでは「国民皆保険を守る」という表現がなくなっており、「原則として全ての国民が(公的な保険制度に)加入する仕組みを維持する」と書かれています。逆にいえば、国民が全員加入さえしていれば、「皆保険は維持」ということになります。ですから「TPPに参加しても国民皆保険は崩壊しない」というのは、その範囲では正しいわけです。
しかし皆さんがイメージする国民皆保険は、単に国民が原則的に入るだけではなく、「いつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けられる」制度のことだと思います。例えば日本では、天皇陛下への世界最高峰のバイパス手術を成功させた、順天堂大学の天野先生のような超一流の先生からも、保険証があり、手術適応があえば誰でも施術を受けられます。
実は2003年3月に小泉内閣で閣議決定された医療制度改革には、国民皆保険制度を堅持するだけでなく、「良質で最適な医療を受けることを保障する」と書かれていました。この点で見ると、今度の社会保障制度改革推進法は、随分後退したと思います。言葉に惑わされず、しっかり中身を見る必要があります。
米国では所得水準により医療が変わることが公平
TPPは各国のGDP(国内総生産)の比率からすると、実質的にはアメリカと日本のFTA(自由貿易協定)に近いため、アメリカの主張が大きく影響します。TPPに参加することによって、経済的に豊かな人、中流の人、貧しい人とで受けられる医療が変わるということは、十分起こり得ることです。
アメリカと、日本を含めた先進国とでは医療の理念が違います。日本では基本的な医療に関しては、貧富の別なく受けられることが公平だと考えられています。一方、アメリカでは、所得水準によって受けられる医療が変わることが公平なのです。買う人の所得水準に応じて選ぶ車が変わるように、医療にも市場メカニズムを導入することが正しい、という考えです。一般の産業と同じ論理を医療にも当てはめ、日本にも導入しようとすることは、彼らからすれば自然なことなのです。
「高かろう・よかろう」は、一般の商取引ではおかしなことではありません。でも日本では、医療においてはそれはやめましょう、ということが社会のコンセンサスになっています。TPPの医療における問題は、基本的な医療は貧しい人も、豊かな人も平等に受けられるべきだという日本の理念と、自由な経済活動、市場原理を重視するアメリカ的な理念との対立です。どちらが正しいか間違っているかを、決められるものでもありません。
TPPに参加したら皆保険は空洞化の危険
もし日本がTPPに参加したら、アメリカは日本に3段階の要求をしてくるでしょう。第1段階は、医薬品・医療機器の公定価格の原則撤廃です。日本がこれを認めると、アメリカの巨大企業が得意とする画期的新薬や先駆的な医療機器の値段は確実に上がります。アメリカ商務省は、アメリカ以外の先進国が医薬品の公定価格を撤廃したら、処方薬の市場規模は3割増大すると試算しています。その結果、国民医療費は不必要に増えてしまいます。その次にアメリカが求めるのは、「医療特区」に限定した混合診療(下記参照)の全面解禁と株式会社による病院経営の解禁だと思います。第3段階として、アメリカは全国一律でこれらを解禁することまで求めてくるでしょう。
日本では病院や診療所などの医療の本体は「非営利の原則」が守られており、お金もうけを目的にした病院、診療所の開設は禁止されています。でもアメリカからすれば、それは市場メカニズムに反しているわけです。病院が株式会社になると、株主に配当を払わなくてはならず、非営利の病院より高い利益率を確保する必要があります。保険診療の範囲を超え、画期的な新薬や先駆的な医療機器を使い、高い技術の医療を提供するかわりに高い治療費をとる病院も現れるでしょう。受けられる医療がお金によって変わってくる。それはもはや、皆さんがイメージする国民皆保険とは異なるものでしょう。
日本がTPPに参加した場合、アメリカは医療にも市場原理を導入するという大原則を要求してくることは確実です。それを受け入れれば、「いつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けられる」という意味での国民皆保険は「崩壊」、というより徐々に「空洞化」していく危険があります。
TPPは狭い意味での貿易、日本の輸出が増えるとか減るとか、あるいは農業だけにかかわる問題ではありません。その対象は21項目にわたっていて、医療との関係でいえば、サービス貿易や知的財産の問題など広範囲に影響があります。
アメリカが今の時点で、日本の国民皆保険を解体するよう要求をしているわけではありません。しかし、TPPの参加により、アメリカの要求が部分的にでも認められれば、「千丈の堤も蟻の一穴」(頑丈な堤防も小さな穴から崩れることがある)という言葉の通り、今までの日本の理念は相当崩れ、殺伐とした医療になっていくと思います。
私たちが本当に守らなければならないのは、「いつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けられる」という意味での国民皆保険であることを忘れてはなりません。
(聞き手 川村二郎)
4.新著『福祉教育はいかにあるべきか?-演習方法と論文指導』(勁草書房,2013年4月1日発行,\2500+税)の「はしがき」と章立て
はしがき
本書は、私の日本福祉大学での28年間の教育の経験と工夫を、社会福祉学部の専門演習(ゼミ)指導と大学院での研究論文指導を中心に紹介し、社会福祉教育の改善に資することを目的としています。
本文は3章構成です。第1章「専門演習指導はいかにあるべきか」の第1節では、私の学部教育での経験と工夫を専門演習を中心として総括的に紹介します。本章の中心である第2節では、私のゼミの3つの目標を述べた上で、ゼミ生が6つの能力(規律、情報収集能力、作文能力、スピーチ能力、パソコン操作能力、社会福祉士国家試験に現役合格できる学力)を習得するための指導の実際、「愛の教育手帳」(ゼミ冊子)を用いたゼミ指導の標準化、および社会福祉士国家試験合格率9割への軌跡・ノウハウを紹介します。第3節ではゼミ指導の2つのモットー(ゼミ生を怒らない、学生を絶対に馬鹿にしない)と4つの心がけを紹介します。第4節では大学院での教育と経験の工夫を、第5節では日本福祉大学での研究と校務の経験を述べます。補論では、大教室での講義アンケートの工夫とノウハウ、それの解析から得られた知見、および私の講義の2つの「目玉」を紹介します。
第2章「研究論文指導はいかにあるべきか」では、大学院教育のうち、研究論文指導に焦点を当てて、私の経験と工夫を紹介します。第1節では、私の研究論文指導の原点である病院勤務医時代の経験を、第2節では指導の大前提となる私自身の研究論文執筆面での自助努力を紹介します。本章の中核である第3節では、大学院での研究論文指導の実際とそれを通して感じたことを可能な限り具体的かつ率直に述べます。例えば、私が修士課程の論文指導で重視している、(1)「形式第一、内容第二」、(2)積み重ね・プロセス重視、(3)院生どうしの「ピアレビュー」の義務化、(4)最新文献の紹介について、詳しく紹介します。第4節では、新しい挑戦として、(若手)教員・研究者の博士論文作成・博士学位取得支援の経験を紹介し、最後に私から見た「良い教師と良い弟子の条件」について率直に問題提起します。本章には、日本福祉大学大学院で用いている各種の資料も添付します。
第3章「大規模研究のマネジメント」では、「拠点リーダー」を努めた日本福祉大学21世紀COEプログラム(2003~2007年度)の経験を紹介します。
付録には、私が毎年ゼミ生および社会福祉学部の全教員に配布していた「二木ゼミ・愛の教育手帳」の最終版と、大学院入学式で毎年配布している「大学院『入学』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書」リストの最新版、および修士論文要旨と学部専門演習レポートの添削例を付けます。
本書で紹介した私の教育の経験と工夫の多くが、社会福祉領域だけでなく、他領域での教育の改善にも資することを願っています。
章立て
はしがき
- 第1章 専門演習指導はいかにあるべきか
-日本福祉大学での教育と研究と校務の23年、そして先へ- 補論 学生の声を講義改善に-講義アンケートのノウハウ
- コラム1 コンパでの新曲挑戦に開眼したのは『物々巻』
- コラム2 私の好きな名言・警句-教育と教育者のあり方
- 第2章 研究論文指導はいかにあるべきか
-研究倫理を踏まえた研究論文の書き方・指導方法- 添付資料1~4
- コラム3 業務分析は学術論文にならないか?
- コラム4 大学院修了者への勉強と研究の継続のすすめ
- 第3章 大規模研究のマネジメント
-宮田和明学長と21世紀COEプログラム-- コラム5 私の好きな名言・警句-研究者と「忙しさ」
- 付録
- 1 「愛の教育手帳(2009年度版)」
- 2 「大学院『入院』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書(2013年度版)」
- 3 修士論文添削例
- 4 学部レポート添削例
- あとがき
5.日本福祉大学講師懇談会・全体懇談会での開会挨拶(2013年2月26日)
4月から加藤現学長の後を継いで、4年間学長を務めることになった二木です。よろしくお願いします。私がお話ししたいことは2点あります。1点は私の自己紹介、もう1点は皆様へのお願いです。
私は加藤学長と同じ1947年生まれの65歳、「団塊の世代」のトップランナーです。本来は本年3月で加藤学長と同じく定年退職するハズで、決して若くはありません。そのためか、昨年10月の学長選挙で当選後、会う人、会う人から、「身体(からだ)に気をつけてください」と言われ続けています。そのため、私の学長としての最大の責務は、4年間健康を維持して学長の職務を遂行し、大学や教職員の皆さんに御迷惑をおかけしないことだと、肝に銘じています。
ただし、私は、酒豪の加藤現学長と違い、酒は飲まず、煙草は生涯一度も吸ったことがなく、夜9時就寝・朝5時起床・朝7時半には大学に着く「早寝早起き」で、3食はきちんと食べ、早足で歩くという生活を続けており、文部科学省または厚生労働省から表彰されるような「健康優良爺」(さん)です。学長就任後もこのスタイルを貫き、業務を遂行したいと思っています。
第2は、皆様へのお願いです。加藤学長が全体説明会の開会挨拶で述べたように、本学が直面している最大の課題は、2015年の東海キャンパス開設と美浜・半田キャンパスの整備を同時並行的に成功させることです。しかし、私は、大学教育では、ハコモノ(ハード)の整備以上に、教育の中身(ソフト)の充実が重要だと考えています。学長選挙でも、「教育重視」を、理念面でも、経営面でもさらに重視することを掲げました。
そしてこれは、常勤の教員だけでなく、非常勤講師の皆様の支えがなければとても実現できません。他の私学と同じように、本学でも、教育総コマの約4割は非常勤講師の皆様にお世話になっているからです。私は、大学の教育活動の点検を行う「全学評価委員会」の責任者を努めているため、常勤・非常勤を問わず、すべての教員のすべての科目(講義・演習)に対する学生の授業評価の結果の一覧表を見る立場にあるのですが、多くの非常勤講師の皆様の授業に対する学生の評価が、常勤教員以上に高いことにいつも感服しています。来年度以降は、この懇談会以外にも、皆様の率直な御助言や御提言をいただく機会を設け、それを本学の教育改善に生かしたいと思っています。
【司会者が、手を挙げて、3分経ったとの合図。←事前に合図するよう依頼】
ちょうど3分になりました。私は「定刻主義者」-imperialist(帝国主義者)ではなく「時間を厳守する」という意味での-ですので、私のご挨拶はこれで終わらせていただきます。
[私は即興的な発言・挨拶が苦手で、事前に発言のメモを用意しなければうまく話せないため、懇親会場に向かう地下鉄車中で、愛用のB6判カードに発言メモを書き込み、帰宅後それをすぐに「原稿化」しました。この挨拶後、多くの参加者から「健康優良爺」(さん)と「定刻主義者」という表現が良かった、インパクトが強かったとお褒めいただきました。学長就任後も、公式の挨拶はできるだけ原稿化し、適宜大学のホームページや本「ニューズレター」に掲載します。お気づきの点をお知らせいただければ幸いです。]
6. 大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書(2013年度版、Ver 15)より
この「私的推薦図書」リストは1999年度以来、毎年、日本福祉大学の入学式後の大学院合同オリエンテーションの「おみやげ」として配布しています。2013年度版に、新たに追加した12冊(うち新版への更新2冊)は以下の通りです(掲載順)。書名のゴチックは私のお薦め本、…以下は私のコメントです。
なお、「私的推薦図書」全文は、『福祉教育はいかにあるべきか?』に収録しました。
- 高橋俊一『すっきり!分かりやすい!文章が書ける』すばる舎,2011.…「言葉の配置」と「点の打ち方」が分かれば、分かりやすい文章が書ける。「悪い例」と「良い例」を対比して原則を解説。
- 戸田山和久『新版 論文の教室-レポートから卒論まで』NHKブックス,2012.…卒論・修論を書くための36の「鉄則」を、読みやすく物語風に示す。アウトラインの作り方と論証の仕方が詳しい。
- 佐藤優『読書の技法-誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門』東洋経済,2012,…博覧強記の著者の読書術を初めて体系化。「正しい読書法」だが、上級者でないと真似できない。
- 伊藤真『記憶する技術』サンマーク出版,2012.…記憶力は一生鍛えることができる!丸暗記でなく、「使いこなす」ための記憶する技術の方法。全体像を把握、アウトプットを意識て記憶等。
- 細川英雄『研究活動デザイン-出会いと対話は何を変えるか』東京図書,2012.…「研究活動とは出会いと対話」の思いから、自己の研究と生活、仕事としての教育のあり方を整理した「自分誌」。
- 須藤康介・他『文系でもわかる統計分析』朝日新聞出版,2012.…若手社会学者が対話形式でクロス集計から多変量解析まで、統計分析の原理と応用例を厚く記述。SPSSによる操作手順も紹介。
- ストリンガー、目黒輝美・他監訳『アクション・リサーチ』フィリア,2011.…英語の定番教科書第3版の翻訳。実践者向けに、理論と方法から、形式の整った報告書の書き方に至るまで詳述。
- 筒井真優美編『研究と実践をつなぐアクションリサーチ入門-看護研究の新たなステージへ』ライフサポート社,2010.…本法の背景~研究の進め方、研究成果の発表方法を解説。看護系院生必読。
- 小田博志『エスノグラフィー入門-<現場>を質的研究する』春秋社,2010.…「人々が生きている現場を理解するための方法論」エスノグラフィーを使い、「現場力」と「概念力」を身につける。
- コービン&シュトラウス、操華子・他訳『質的研究の基礎 グラウンデッド・セオリ-開発の技法と手順 第3版』医学書院,2012.…シュトラウス派GTの最新版教科書。GTを用いたい院生必読。
- ウヴェ・フリック、小田博志監訳『新版 質的研究入門-<人間の科学>のための方法論』春秋社,2011.…「入門書」ではなく、高度でバランスのとれた概説書。監訳者の解説と用語翻訳メモも充実。
- 木原雅子・木原正博訳『現代の医学的研究方法-質的・量的方法、ミクストメソッド、EBP』医学書院,2012.…主な方法の最新百科事典。「ミクストメソッド」と「参加型研究」予定者は必読。
7. 私の好きな名言・警句の紹介(その100)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 権丈善一(慶應義塾大学商学部教授)「政策論というのは、実証分析を行うだけでは絶対に不可能でありまして、政策論は規範分析を必要とし、その背後には価値判断があるわけです。/HTA[医療技術評価]の政策立案への活用可能性を考えるということは、残念ながら、規範分析の話に入ります」、「HTA研究者やQALY研究者は、自らが行っていることは、医学や薬学など自然科学では決してなく、モラル・サイエンスであるという自覚を持ち、自分たちの研究の中にどのような価値前提が内在されているのかを正直に明示していくことこそが、研究者としての誠実な姿勢となるはずです」(「研究と政策の間にある長い距離-QALY概念の経済学説史における位置」『医療と社会』22巻3号,2013,208,215頁)。二木コメント-医療技術評価やQALY研究は「価値自由」で(価値判断を完全に除いて)行えるとの幻想を持っているナイーブな研究者に対する痛烈な批判・忠告です。私も、「実証研究のみでは政策の妥当性は評価できないこと、そのために政策について論じる場合には自己の価値判断の明示が必要なこと」をいつも強調しているので、多いに共感しました(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,12頁)。
- 斉藤誠(一橋大学大学院教授、専門はマクロ経済学)「僕ら象牙の塔の人間は[経済政策の]良しあしを言いにくい。ところが経済学者の中にもさじ加減にまで口を出す人たちもいます。たぶんそういう人たちはスポンサーがいて、その意向で議論を展開しているのでしょう」(「朝日新聞」2013年2月27日朝刊、「経済学は無力か」)。
- 小島寛之(帝京大学経済学部教授、数学エッセイストとしても活躍)「テレビや新聞で、経済学があたかも堅固な真理性を備えたものであるかのようにうそぶく人がいるが、そんな言説に騙されてはいけない」、「経済学は、現実解析の学問としては、まだ完成からはほど遠い状態であり、社会設計や政策選択の科学としては無力に近い状態だ。世の中には、経済学的な主張をあたかも『科学的真実』かのように堂々と語る経済学者も多いが、きっとそういう人たちは、ある種の社会的立場からうそぶいているか、あるいは、物理学を勉強したことがないせいで『科学的真実』とはなんであるかがまったくわかっていないのであろう」(『ゼロからわかる経済学の思考法』(講談社現代新書,2012,4,20頁)。二木コメント-ここに引用した範囲では、上掲の権丈善一さんの主張と軌を一にしているように見えます。ただし、小島さんは「経済学は数理科学であるべきだと思うし、それしか成功の道はないと信じている」(234頁)そうで、権丈さんと異なり「規範分析」、「価値判断」の重要性には全く触れていません。この点は、小島さんが上掲書で引用している、次のノイマン等と共通しています。
- J・フォン・ノイマン、O・モルゲンシュテルン(ゲームの理論の創始者)「経済のあらゆる現象を、しかも<<体系的>>説明しようなどとしても徒労である。まずはじめに、ある限られた分野の知識をできる限り精密にし、それに完全に精通してから、つぎにそれより多少広い他の分野にというふうに進んでゆくのが健全なやり方というものである。またこのようにすれば、理論がまったく歯の立たないような経済改革や社会改革に、いわゆる<<理論>>なるものを適用しようとする、あの有害無益な実践行為からまぬがれることにもなるであろう」(銀林浩・他監訳『ゲームの理論と経済行動I』ちくま学芸文庫,2009,42頁(原著第1版は1943年に出版)。上記『経済学の思考法』149頁で引用)。
- コシノジュンコ(ファションデザイナー)「自分が感動しなければ本物は創作できない。何かをする時は『上手に賢く』ではなく『楽しむ』ことが大切。いくつになっても、人生は思い立った時が出発点です」(「読売新聞」2013年3月6日朝刊)。二木コメント-研究にもそのまま当てはまる名言で、孔子の『これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず』((金谷治訳注,岩波文庫版,84頁)に通じると思います。なお、渡部昇一氏は孔子のこの言葉を引用し、大学教員という「職業は、定年後もいわゆる知的生活を続けていきやすい職業である」「にもかかわらず、定年退職した途端に、木から猿が落ちたみたいに、腑抜け状態になってしまう人が多い」現状を批判して、大学教員が「『楽しむ』境地にまで至ったかどうかは、定年後にわかる」と述べています(『知的余生の方法』新潮新書,2010,37-44頁。本「ニューズレター」94号(2012年5月)で紹介)。
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- マックス・ウェーバー(ドイツの社会学者)「政治家にとっては、情熱-責任感-判断力の三つの資質が特に重要であるといえよう。(中略)実際、どんなに純粋に感じられた情熱であっても、単なる情熱だけでは充分でない。情熱は、それが『仕事』への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力-これは政治家の決定的な心理的資質である-が必要である。すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままにうけとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。『距離を失ってしまうことは』はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の一つである。(中略)実際、燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか、これこそが問題である」(脇圭平訳『職業としての政治』岩波文庫,1980,77-78頁(本書は1919年1月の公開講演をまとめたもの))。二木コメント-政治家に求められる「三つの資質」は、学長を含めた管理職一般にも求められると思いました。ウェーバーが「燃える情熱と冷静な判断力」という、「冷静な頭脳と温かい心」として知られているアルフレッド・マーシャルの有名な言葉に通じる表現を用いているのに驚きました。マーシャルはこの表現を1885年ケンブリッジ大学経済学教授の就任講演で用いたので、ウェーバーはそれを(無断)借用したのかもしれません。ただし、マーシャルの正確な言葉は、「冷静な頭脳を持ち、しかし温かい心をも兼ね備えた(cool heads but warm hearts)」です(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,104頁)。権丈善一氏は、2人の発言の共通性を次のように指摘しており、同感です。「ウェーバーの『実際、燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか、これこそが問題である』の文章をみると、ウェーバーの中でも、マーシャルと同じように、『but』でつながっていることも分かります。Cool head と warm heartが両立している人が、世間をみていますときわめて希少だと感じますが、マーシャルもウェーバーも両立の難しさを強く感じていたのだと思います」(2012年2月21日私信。引用許可済み)。
- マックス・ウェーバー「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が-自分の立場からみて-どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」(『職業としての政治』岩波文庫,1980,105-106頁。中野剛志『官僚の反逆』(幻冬舎新書,2002)が本文の最後(194頁)で引用)。二木コメント-私は、2011年から、「めげない(ぶれない)、媚びない、辞めない」を「役職者としての信条」にしているので、多いに共感しました。ウェーバーは、この直前に「10年後には反動の時代がとっくに始まっていて」、「多くの人が期待していたことのまずほとんどは」「実現されていないであろう」と予測した上で、「私はそのことを知ってくじけはしないだろうが、もちろん心の重荷にはなる」(103頁)とも率直に述べており、この姿勢にも共感しました。
- 渡辺和子(岡山市のノートルダム清心学園理事長、86歳。著書『置かれた場所で咲きなさい』は100万部突破)「私は意地悪くしようと思ったら、かなりの意地悪になれる人間なんです。でも、それを実行したら、自分が情けなくなるだけです。/思い出すのは厳しかった母の言葉です。『下らないことで腹を立てるあなたはその程度の器、小さな人間なのよ』。冷たいなぁ、一緒に怒ってくれたらいいのに、と幼い私は思いました。/でも母の言うとおりでした。誰かに腹を立てることは、その人の支配を受けることなのです。あなたが環境を支配する主になることが大切なのです」(「朝日新聞」2013年2月23日朝刊、「鏡に映った自分を受け入れて」)。
<その他>
- 渡辺和子「『どんな自分でも受け入れなさい。自分が見捨てたら、誰も拾ってくれないのですよ。ふがいない自分としっかり向きあって生きていくのです』--学生たちに、そう教えてきました。私が老いた自分と向き合えるようになってから、より真実味を伴った言葉になったようです」(「朝日新聞」2013年2月23日朝刊)。
- 熊谷榧(画家・熊谷守一美術館館長、83歳)「生きる限り生きていくということ。私は楽天家なんです」(「しんぶん赤旗」2013年3月3日、「本と人と」)。
- 宇都宮健児(弁護士・日本弁護士連合会前会長。2012年末の東京都知事選挙に立候補)「リベラルな勢力の人たちは『正しいことを言えば運動は広がる』と思っている気がします。正しい政策作りは1割の力で、残り9割は、有権者の心理に切り込む作戦に注ぐべきです。(中略)好きな言葉に『同質の集団の集まりは和にしかならないが、異質の集団の集まりは積になって広がる』というものがあります。違う考えの人たちが手を結べばかけ算で運動は広がる」(「民医連新聞」2013年3月4日号。全日本民医連第2回評議員会での講演)。二木コメント-本「ニューズレター」103号で紹介した湯浅誠さんの「共感の技法」や原昌平さんの「『ゆるさ』が必要」と、同じ問題提起と思います。同104号で紹介した、冨田和彦さんの「トップのコミュニケーションには、組織の空気を少しずつ変えていく根気強さが必要だ」とも一脈通じると感じました。