『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻135号)』(転載)
二木立
発行日2015年10月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:病院病床の大幅削減は困難と考えるもう1つの理由-削減策失敗の歴史に学ぶ(「深層を読む・真相を解く」(47)『日本医事新報』2015年9月12日号(4768号):15-16頁)
- 2. 拙新著『地域包括ケアと地域医療構想』(勁草書房,2015年10月出版)「はじめに」
- 3. 最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その29):7冊 (「二木学長の医療時評」(133)『文化連情報』2015年9月号(450号):8-20頁)
- 4. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算115回.2015年分その6:6論文)
- 5. 私の好きな名言・警句の紹介(その128)-最近知った名言・警句
「第10回日韓定期シンポジウム」のお知らせ
日本福祉大学と延世大学主催、駐名古屋大韓民国総領事館共催で、10月17日(土)9時半~17時20分に、本学東海キャンパスで開催します(詳細は添付ファイル参照 (PDF)。
シンポジウムテーマは「高齢社会における医療・福祉・介護制度改革の課題と展望」で、私も第1セッションで、「第二期安倍政権の医療制度改革-『骨太方針2015』と医療提供体制改革を中心に」ついて報告します。
参加費は無料です。参加ご希望の方は、添付している「参加申込書」に必要事項をご記入のうえ、日本福祉大学名古屋研究支援室にお申し込み下さい。電子メールでの申し込みも可能です。
1.論文:地域包括ケアシステムと地域医療構想との関係をどう考えるか?
(「深層を読む・真相を解く」(47)『日本医事新報』2015年9月12日号(4768号):15-16頁。)
地域包括ケアシステムは、2003年に初めて提唱されたとき、「介護サービスを中核」とする介護保険制度改革と位置づけられ、医療は診療所・在宅医療に限定されました(高齢者介護研究会「2015年の高齢者介護」)。そのため、医療関係者の多くには、それは医療とは無関係との誤解が生まれました。
しかし、その後地域包括ケアシステムの概念・範囲は徐々に拡大され、2012年以降は病院医療を含むことが明確になりました。その結果、最近では、地域包括ケアシステムの研究者や実践家からは、それが今後の医療・福祉改革の「中核」・「上位概念」であり、「地域医療構想」や急性期医療は下位概念、「脇役」との主張がなされ始めました。
例えば、筒井孝子氏(兵庫県立教授)は「医療・介護サービスの適切な利用を支えるための提供システムのデザインが地域包括ケアシステムであり、地域医療構想は、この地域包括ケアシステムのうちの医療サービス提供体制に着目し、その改革の方向性を示すとともに、PDCAサイクルの工程による計画を記したもの」と説明しています(『病院』2015年5月号:326-331頁)。櫃本真聿氏(愛媛大学病院総合診療サポートセンター長)は「急性期病院は、今後、医療の中で"脇役"と位置づけるべき」と主張しています(『日経メディカル』2015年5月号:71頁)。
しかし、これらの主張は地域包括ケアシステムの過大評価と地域医療構想の過小評価に基づく誤解です。本稿では、両者が法・行政的にも、実態的にも、同格・一体、相補的であることを示します。
法・行政的には同格・一体
本連載(40)(2015年2月14日号:14-15頁)で指摘したように、地域包括ケアシステムという用語は、2003年に初めて提唱されたものの、2004~2008年(小泉内閣・第一次安倍内閣時代)には政府(関連)の公式文書からほとんど消え、それが復活するのは2009・2010年の「地域包括ケア研究会報告書」においてでした。
その後、この用語は、2012年2月に民主党野田内閣の閣議決定「社会保障・一体改革大綱について」で、初めて用いられました。それの「医療・介護等[1]」の副題は「地域の実情に応じた医療・介護サービスの提供体制の効率化・重点化と機能強化」とされ、「(1)医療サービス提供体制の制度改革」と「(2)地域包括ケアシステムの構築」が同格・同列に位置づけられました(8-9頁。(3)は「その他」)。
医療提供体制改革と地域包括ケアシステムの同格・同列視は、2012年末に成立した第2次安倍内閣でも踏襲されました。2012年8月の「社会保障制度改革国民会議報告書」は、「地域包括ケアシステムの構築」と「医療機能の分化・連携」を併記し、「医療の見直しと介護の見直しは、文字どおり一体となって行わなければならない」と強調しました。
2013年12月に成立した社会保障改革プログラム法は、地域包括ケアシステムの法的定義を初めて規定したのですが、第4条第4項で「政府は、<1>医療従事者、医療施設等の確保及び有効活用等を図り、効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、<2>今後の高齢化の進展に対応して地域包括ケアシステム(中略)を構築することを通じ、地域で必要な医療を確保するため」(以下略)とされ、「効率的かつ質の高い医療提供体制」と「地域包括ケアシステム」の構築は同格・一体とされました(<1>と<2>は私が便宜的に付けました。<1>の具体化が現在の「地域医療構想」です)。この扱いは、2014年の医療介護総合確保推進法でも踏襲されました。
医療を含まない地域包括ケアもある
本連載(20)(2013年1月19日号:30-31頁)で強調したように、地域包括ケアシステムの実態は全国一律の「システム」ではなく、「ネットワーク」であり、それの具体的在り方は地域により大きく異なります。しかもその多くが発展途上であり、病院を含まないものがむしろ多いとも言えます。歴史的にみれば、地域包括ケアシステムには「保健・医療系」と「(地域)福祉系」の2つの源流があるのですが、後者には医療そのものを含まないか、含んでも診療所・在宅医療のみであり、病院医療とは断絶しているものが少なくありません。
意外なことに、厚生労働省の「地域包括ケアシステムへ向けた取組事例」(同省HPに掲載)に示された10の「先進的な取組事例」の「イメージ図」「取組の概要」等には、病院についての記載はほとんどありません(実際には、3例は「保健・医療・福祉複合体」母体の特別養護老人ホームの取り組みですが、病院との関係は示されていません)。
最近、山梨県下の自治体の地域包括ケアシステムづくりを進めてきた「チーム山梨」の優れた実践記録が出版されましたが、同県では保健福祉職主導が徹底しており、「往診をしてくれる医師や、医療機関そのものとの連携については、じっくり踏み込めていない」と明言しています(竹端寛・他編著『自分たちで創る現場を変える地域包括ケアシステム』ミネルヴァ書房,2015,184頁)。
以上から、実態的にも、地域包括ケアが地域医療構想の「上位概念」でないことは明らかです。
地域包括ケアシステムに含まれる病院も多様
ただし、法・行政的には、地域包括ケアシステムと地域医療構想との具体的な関係・線引きは示されていません。先述したように、現在は地域包括ケアシステムには病院医療を含まれますが、それは主として地域密着型の中小病院(概ね200床未満)であり、高度急性期を担う大病院は想定されていないと思います。厚生労働省の地域包括ケアシステムのポンチ絵もそのように読めます。
ただし、この点についての明示的な規定はなく、例えば、私の地元の愛知県では、藤田保健衛生大学病院や名古屋第二赤十字病院等の大規模病院が地域包括ケアに積極的に関わっています。また、大規模急性期病院が多い「地域医療機能推進機構(旧・全社連・厚生団・船保会が合同)も、「全国57病院が一丸『地域包括ケア』の牽引役を担う」とアピールしています(『Doctor's Magazine』2015年4月号:13頁)。
私は、大病院の地域包括ケアへの関わりは、それぞれの病院・地域が決めればよいと思っています。この点でも、地域包括ケアはシステムではなくネットワークと言えます。
後期高齢者急増でも急性期医療ニーズは減らない
在宅医療や地域包括ケアシステムを過大評価する方の中には、地域包括ケアシステムでは「治す医療」(キュア)から「支える医療」(ケア)に転換する、今後急増する後期高齢者には「治す医療」ではなく「支える医療」が必要になるので、急性期医療のニーズは縮小すると主張している方もいます。
しかし、日本の後期高齢者は、他国と比べてもきわめて健康であり、約7割が健康意識が「よい」か「ふつう」と回答しています(厚生労働省『平成25年国民生活基礎調査』等)。このような人びとが心筋梗塞や脳卒中等の急性疾患になった場合に、「治す医療」をせずに、最初から「支える医療」のみをすることは、本人・家族の希望に反するし、現在の国民意識と乖離していると思います。
それに対して、「社会保障制度改革国民会議報告書」は、病院が「治す医療」から「治し・支える医療」の担い手に変化することを提起しました。武田俊彦厚生労働省大臣官房審議官も、2015年4月の講演で、「救急の受け入れ体制は地域包括ケアと不可分」、高齢者の第二次救急(病院)の問題は「地域包括ケアシステムそのものである」と強調しています(『社会保険旬報』2605号:12-18頁,2015)。
私はこれらの指摘は正鵠を得ており、この点からも地域包括ケアシステムと地域医療構想は同格・一体、相補的と考えます。
2.拙新著『地域包括ケアと地域医療構想』(勁草書房,2015年10月出版,2700円+税)
はしがき
本書の目的は、前著『安倍政権の医療・社会保障改革』(勁草書房,2014年4月)に続いて、第2・3次安倍政権の医療・社会保障政策を、「地域包括ケアと地域医療構想」に焦点を当てつつ、包括的かつ歴史的に検討することです。そのために、どの政策についても、それの出自にまで遡って分析するように心がけました。「地域包括ケアシステム」についての書籍はたくさんありますが、それと医療政策・「地域医療構想」との関係を正面から検討したものは本書が初めてです。
第1章「地域包括ケアシステムの展開と論点」では、今や「国策」とも言われるようになっている地域包括ケアシステムの歴史的展開・「進化」とそれをめぐる論点について検討します。第1節では、まず地域包括ケアシステムの歴史を2つの源流と法・行政面での「進化」の両面から検討します。次に、地域包括ケアは「システム」ではなく、実態は「ネットワーク」であり、主たる対象は都市部であることを指摘します(書名を「地域包括ケアシステムと地域医療構想」ではなく「地域包括ケアと地域医療構想」としたのは、このためです)。第3に、医療経済・政策学の視点から、今後の地域包括ケアシステムについて、医療・医療費と関わる3つの論点を述べます。最後に、今後、地域包括ケアシステムを確立する上での2つのブレーキを指摘します。私が一番強調したいのは、この点です。第2節は、地域包括ケアシステムの法・行政上の出自と概念拡大の経緯を探った歴史研究です。第3節では、2014年の「地域包括ケア研究会[第4回]報告書」の新しさ・「変化」と「不変化」を明らかにします。
第2章「地域医療構想と病院再編」では、2015年に医療提供体制改革の焦点として急浮上した「地域医療構想」およびそれと密接に関連する病院再編政策を多面的に検討し、一部の医療関係者・医療ジャーナリストが危惧・主張している病院病床の大幅削減や病院の大規模再編はないと結論づけます。第1節では、厚生労働省「地域医療構想策定ガイドライン」と関連施策・文書との関連を検討します。第2節では、政府の社会保障制度改革推進本部の専門調査会が発表し、20万床床削減と大きく報道された「第1次報告」と上記「ガイドライン」との異同を検討します。第3節では、過去4回の病院病床削減策がすべて失敗していることを明らかにします。第4節では、2014年度診療報酬改定で導入された7対1病床削減策を批判的に検討し、それの大幅削減はありえないと予測します。第5節では2013年の「日本再興戦略」で提起された「ホールディングカンパニー型法人」(メガ医療事業体)が迷走の末挫折したこと、それに代わって制度化された「地域医療連携推進法人」は実効性に乏しいが、3つの火種があることを指摘します。
第3章「2000年以降の医療・社会保障改革とその加速」では、2000年以降の医療・社会保障改革を鳥瞰した上で、第3次安倍政権の下で、日本の医療・社会保障改革が加速していることを指摘します。第1節では、2000年以降の日本の歴代政権の医療・社会保障改革を概観し、政権交代で医療政策は大きく変わらないとの「経験則」を引き出します。第2節では、医療介護総合確保推進法(2014年)について、医療提供体制改革部分を中心にして、3つの疑問を述べます。第3節では、2014年12月の総選挙結果を複眼的に分析した上で、第3次安倍政権の医療政策を包括的に検討し、医療政策の基調は変わらないが、公的医療費抑制の徹底と医療への部分的市場原理導入がさらに進むと予測します。第4節では、財務省が2015年4月に発表した資料「社会保障」の「基本的考え方」と医療制度改革について検討します。第5節では「骨太方針2015」が小泉政権時代を上回る社会保障費(国庫負担)の抑制(5年間で1.9兆円)を「目安」としていることを明らかにします。第6節では、以上のような政策動向にもかかわらず、私が公的医療費抑制と医療の営利化は「避けられない現実」とは考えていない理由を述べます。
第4章「日本における混合診療解禁論争と『患者申出療養』」では、日本において医療への市場原理導入論の象徴となっている混合診療解禁についての論争を概観した上で、安倍首相が2014年に閣議決定した「患者申出療養」の内容・背景と今後の影響について複眼的に検討します。
第5章「リハビリテーション医療と健康・予防活動の経済分析」では、近年の保健・医療制度改革で注目を集めるようになっているリハビリテーション医療と健康・予防活動について、医療経済・政策学の視点から分析します。
第6章「2012~2014年の保健・医療部門の学術研究の回顧と展望」は、2012~2014年前半の2年半に発表された保健・医療部門の日本語の学術研究のレビューです。
安倍首相・安倍政権は、2014年12月の総選挙で議席面で大勝して以来、国民や野党、大半の憲法学者の強い反対を押し切って安全保障関連法案の強行成立を図るなど、政治・外交面で「タカ派」的政策・行動をますます強めています。医療政策に関しても、歴代政権が進めてきた公的医療費抑制・患者負担拡大と医療への部分的市場原理導入(営利産業化)を、一段と加速しつつあります。安倍首相は、当初は民主党政権の「社会保障・税一体改革」の継承を表明していましたが、最近はそれの鍵言葉であった「社会保障の機能強化」は政府の公式文書から消え、逆に、個人と家族による「自助」を第一とし、それを促進するための「インセンティブ改革」を強調しています。
しかし、本書を読まれれば、医療・社会保障については今後も「抜本改革」(病院病床の大幅削減や医療の全面的営利産業化等)はなく、あくまで「部分改革」(その中核が地域包括ケアシステムと地域医療構想)にとどまること、および公的医療費抑制や医療の営利産業化は決して「避けられない現実」ではなく、別の選択肢もあり得ることをご理解いただけると思います。
2015年8月 二木 立
3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その29):7冊
※書名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○『日本の医療技術[医療機器]-規制の政治学』
Altenstetter C: Medical Technology in Japan - The Politics of Reguration. Transaction Publishers, 2014, 204 pages. [研究書]
日本における医療機器承認の仕組みとその展開について、政治学の視点から検討しています(著者はニューヨーク市立大学教授)。構成は以下の通りです:1序章、2知識、分析と経験、3医療機器の規制、4薬事法、5外圧への反応、6組織改革と政府責任、7諮問委員会、科学と償還、8イニシアティブ、オペレーションとプロセス、9臨床医学のリアリティ、要約と結論。著者は、日本では欧米に比べて最新の医療機器の承認が遅いことを前提にしていますが、このような「デバイス・ラグ」は最近ではほぼ消失していると思います。また、用いられている図表から判断して、分析は表面的な気がします。このテーマに関心のある方には、最後の「要約と結論」(169-176頁)を読むことをお勧めします。
○『[アメリカにおける]医療技術の購入-適切な正しい技術を、適切な患者に、適切な価格で』
Robinson JC: Purchasing Medical Innovation - The Right Technology, For The Right Patients, At The Right Price. University of California Press, 2015, 172 pages.[研究書]
新しい医療技術が医療の質の向上と医療費増加の両方をもたらしすとしたら、国はイノベーションのダイナミズムを阻害せずに、どうやって両者のバランスをとるべきか?その唯一の解決策は、技術の評価、購入、使用のプロセスを改善することである。本書は、この視点から、FDA、保険者、医師と病院、消費者(患者)の四者を含む分析枠組みを用いて、アメリカにおける医療技術の承認と購入の実態を分析し、よりよい購入方法を探求しています。この分析枠組みは非常に広くすべての医療技術に応用可能ですが、本書では主に人工心臓弁等の植込型医用機器と膝・股の人工関節が詳細に分析されています。著者は高名な新古典派医療経済学者(カリフォルニア大学バークレイ校教授)ですが、本書では(新古典派)モデル図や数式はまったく使われていません。序章を除いて、以下の7章構成です。1.上市前の[FDAによる]規制、2.保険の給付と償還、3.医療技術の支払い方式、4.購入者としての病院、5.[病院と医師の]技術購入の組織的能力、6.購入者としての患者、7.医療技術産業のための含意。
○『医療の費用曲線を曲げる[医療費の増加率を抑制する]-国際的視野から見たカナダ諸州』
Marchildon GP, Matteo L (Ed.): Bending the Cost Curve in Health Care - Canada's Provinces in International Perspective. University of Toronto Press, 2015, 479 pages.[研究論文集]
書名のテーマで2012年9月にカナダで開かれた国際カンファレンスでの報告をベースにした論文集です。次の4部構成です(序章を除いて全19章):第1部医療費カーブを曲げることについての総合的考察、第2部カナダ全体での費用増加要因と政治的考察、第3部カナダの諸州での経験、第4部カナダは国際的エビデンスから何を学べるか?
○『NHSが売りに出されている-神話と嘘と裏切り』
Davis J, Lister J, Wringley D: NHS for Sale - Myths, Lies & Deception. Merlin Press, 20445 15, 367 pages. [評論]
キャメロン首相が率いる保守党・自由民主党の連立政権が2010年に始めたNHS改革(医療費抑制と部分的民営化)を正面から批判し、NHSを守るためにすべきことを提起した論争の書です。全12章で構成され、第2~10章では、政府のNHS改革についての9つの主張を神話と批判しています:NHSは非効率で費用がかかりすぎている、NHS改革は患者の選択を増す、NHS改革は一般医を主役にする、NHS改革は官僚主義を抑制し費用を節約する、NHS改革は地域の人々の力と発言力を増す等。NHS研究者必読と思います。
○『新自由主義的医療編成-コミュニケーション、意味と政治』
Dutta MJ: Neoliberal Health Organizing - Communication, Meaning, and Politics. Walnut Greek, 2015, 264 pages.[研究書]
国立シンガポール大学教授(専門は医療コミュニケーション)が執筆した、医療分野における新自由主義的ガバナンスの確立について、世界各国の事例を紹介しながら包括的かつ理論的に論じた珍しい本です。ただし、国際的な新自由主義的潮流とは一線を画して、草の根からの参加型の代替戦略を提起しています。以下の8章構成です:1 新自由主義と医療、2 開発コミュニケーション介入と帝国主義、3 新自由主義的介入の基礎、4 国境を越えた資本と医療、5 NGO、医療コミュニケーションと民主主義、6 安全保障としての医療:危機、監督とマネジメント、7 コミュニケーション技術と医療、8 エピローグ:新自由主義的医療と代替案。
○『医療サービス入門-基礎と課題』
Healey BJ, Evans TM (Ed.): Introduction to Health Care Services. Jossey-Bass, 2015, 445 pages.[初級教科書]
アメリカの医療と医療経営についての初級教科書です。全3部・15章で構成されています:第1部医療サービス提供組織の概観、第2部医療サービスにおける主なプレイヤー、第3部医療提供面での課題。類書に比べて守備範囲が広いこと(精神衛生や公衆衛生も含む)、「未来志向」(予防・外来サービスへのシフト)であること、および医療経営の原則を学ぶ4つの「ケーススタディ」を含むことが、本書の「売り」のようです。
○チャールズ・ヴィンセント著、相馬孝博・藤澤由和訳『患者安全 原書第2版』篠原出版新社,2015,442頁,6200円+税[研究書・上級教科書]
Vincent C: Patient Safety, 2nd Edition, Wiley & Son Limited, 2010.
医療安全・患者安全の研究で世界的に高名な、イギリス・オックスフォード大学教授兼「患者安全・サービスの質医療研究センター国立研究所」責任者であるチャールズ・ヴィンセント氏が単独で執筆した研究書兼上級教科書の第2版です。以下の7部(20章)構成で、患者安全の全体像が示されています:第1部患者安全の進化、第2部医療の潜在的危険性、第3部事故の分析からシステムの設計まで、第4部余波…医療の害による、第5部デザイン、テクノロジー、標準化、第6部人が安全を創る、第7部安全への道程。ただし、医療事故(対策)の経済評価には触れていません。著者が「本書の性質」の最後で述べている次の言葉が印象的です。「人間が個人あるいはチームの一員として積極的に安全を創り出すための様々な方法の検討に本書全体の4分の1を充てているという事実は、どのような人間でも(属する分野やレベルに関係なく)医療安全を向上させることができるという筆者自身の信念を反映している。システムやプロセスも重要であるが、最終的に違いをもたらすのは人間なのである」(viii頁)。翻訳はたいへん分かりやすく、医療安全・患者安全の研究者・関係者必読と思います。
4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その29):7冊
※書名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○[オーストリアにおける]健康スクリーニングの効果
Hackl F, et al: The effectiveness of health screening. Health Economics 24(8):913-935,2015.[量的研究]
オーストリアはビスマルク型の全国民強制加入の医療保険制度を有し、被保険者・被扶養者は年1回、任意の健康スクリーニングを一般医を受診して受けることを推奨され、その費用は医療保険から支払われる。北オーストリアのすべての民間事業所被用者とその扶養家族の1998~2007年のデータを用い、被保険者・一般医を組み合わせたパネルデータを用いて、回帰分析により、一般的(医療保険加入者全体を対象にした)健康スクリーニングプログラムが個人の健康状態と医療費に与える影響を推計した。スクリーニング参加の選択バイアスを説明するために、供給者誘発需要によるスクリーニング需要の強さの地域差を操作変数として用いた。健康スクリーニング参加は入院医療費と外来医療費の両方を、短期的(スクリーニング後2年間)に増加させていた。中期的(同3~5年)には外来医療費の節減が生じていたが、長期的(同6年以降)には、健康スクリーニングは外来・入院医療費に対して統計学的に有意な影響を与えていなかった。要約して言えば、健康スクリーニングは医療費を増加させる。健康スクリーニングが個人の健康状態に対してはどの時点でも、統計学的に有意な影響を与えていなかったことを踏まえると、一般的な健康クリーニングは推奨しない。ただし、若年層の被保険者のサブ・グループについては費用節減の可能性があるので、もっと対象を限定したスクリーニングが妥当と示唆する。
二木コメント-10年間の縦断的「ビッグデータ」を用いた、詳細な計量分析で、健康スクリーニングは医療費を増加させるとの(日本以外での)国際的常識が再確認されています。なお、オーストリアではスクリーニング費用は医療保険から支払われるため、それの費用は医療費に含まれていると考えられます。
○台湾の国民医療保健での[無料の]予防医療が高齢者の治療リスクを抑制する効果
Chen C-S, et al: The effectiveness of preventive care at reducing curative care risk for the Taiwanese elderly under National Health Insurance. Health Policy 119(6):787-793,2015.[量的研究]
国民医療保健において高齢者への無料の予防医療の提供が治療リスクを減らすか否かについて、台湾で大きな関心が持たれている。本研究では、健康診査利用の外来・入院医療に対する影響を分析する。2005年全国健康インタビュー調査と全国医療保険研究データベースを用いて、2段階モデル(回帰分析)による推計を行った。予防医療利用と入院医療(在院日数と医療費)の間に負の関連があった。平均して、予防医療を利用した高齢者はそうでない高齢者に比べて、病院の在院日数が16日短く、入院医療費も64,220台湾ドル(NTD。NTD30=US$1)低かった。高齢者の健康を改善しつつ、医療費の急増を抑制するために、医療保険に予防医療を加えることは非常に効果的な戦略である。
二木コメント-上記の要旨だけを読むと、予防医療の治療費抑制効果が示されたように見えますが、予防医療利用群の費用に予防医療の費用(介入費用)は含まれていませんし、健康状態の変化も調査されていません。このような粗雑な論文に比べると、厚生労働省「特定健診・保健指導の医療費適正化効果等の検証のためのワーキンググループ」の「中間とりまとめ(第二次、第三次)が、特定保健指導の積極的支援の参加群の1人当たり外来医療費は非参加群に比べて有意に低いと発表しつつも、特定保健指導の費用(介入費用)も併せて示し、それを加えると、特定保健指導参加者1人当たりの総費用(医療費+介入費用)は不参加者よりも逆に高いことがすぐに分かるようになっており、「良心的」と言えます(詳しくは、拙著『地域包括ケアと地域医療構想』勁草書房,2015,206頁【補注1】)。
○[アメリカの]ナーシングホーム内ホスピスケアの増加に伴うメディケア費用の変化
Gozalo P, et al: Changes in Medicare costs with the growth of hospice care in nursing homes. NEJM 372(19):1823-1831,2015.[量的研究]
ナーシングホーム入居者のホスピス利用は相当増加したが、ホスピス利用増加が終末期医療費を減らしたか否かは明らかではない。2004~2009年のホスピスの拡大を自然実験として、差の差マッチド解析により、ホスピス利用拡大に伴う死亡前1年間のメディケア費用の変化を検討した。ナーシングホーム入居者の死亡前30日間のICU利用、重度認知症者については死亡前90日以内の経管栄養の実施と病院への転送も評価した。2009年のナーシングホーム入居者のうちのホスピス利用者(ホスピス利用はホスピス拡大のためと見なせる)と2004年のホスピス非利用者(仮に2009年に死亡した場合ホスピスを利用したと見込める)をマッチさせ、医療費を比較した。
ナーシングホームの総死亡者786,328人(2004、2009年)のうち、2004年には27.6%が、2009年には39.8%がホスピスを利用していた。2004年と2009年のマッチングを行ったホスピス利用者と非利用者は類似していた(平均年齢85歳、男35%、癌患者25%)。ホスピス利用の増加は、病院への移送の減少(2.4ポイント減)、経管栄養実施の減少(1.2ポイント減)、ICU利用の減少(7.1ポイント減)と有意に関連していた。ホスピスの平均滞在期間は2014年の72.1日から、2009年の92.6日へと20.5日延長した。2004~2009年のホスピスの拡大は、1人当たりメディケア医療費6761ドルの純増加と関連していた(入院費用等は3430ドル減少したが、ホスピス費用が10,191ドルも増加したため)。
以上から、ナーシングホーム入居者に対するホスピスケアの拡大は死亡前の病院での医療を減らしたが、メディケアの総費用は増加させたと結論付けられる。
二木コメント-ナーシングホーム入居者に対する終末期のホスピスケアは、入院医療費は減らすが、総医療費は増加させるという、ある意味で当然の結果です。日本でも、介護保険施設での「看取り」の増加が政策的に進められていますが、この結果を踏まえると、それは必ずしも総費用の削減をもたらさない可能性があると思います。
○[アメリカの障害者]支援技術(機器)がフォーマル及びインフォーマルな在宅ケアに与える影響
Anderson WL, et al: The impact of assistive technologies on formal and informal home care. Gerontologist 55(3):422-433,2015.[量的研究]
支援技術(以下、支援機器)は障害者が自己の機能障害を代償するのを助ける。本研究では5種類の支援機器(屋内・屋外移動、ベッドへの移動、入浴、排泄動作、電話の支援)のどれが人による支援[家族等による無償のインフォーマルな支援とヘルパー等による有償のフォーマルな支援の両方]の代替なのか補足なのかを評価した。そのために、支援機器を用いた場合と用いなかった場合の、過去1週間に受けた対人支援サービス(PAS)総時間、フォーマルなPAS時間を比較した。対象は、2004年の全国長期ケア調査の回答者で、日常生活活動の支援を受けている地域居住の障害者2081人である。標本全体を対象にして最小二乗法を用いた回帰分析により総PAS時間を推計し、ロジットモデルおよび最小二乗法モデルにより、それぞれ、フォーマルなPASを受ける確率とその時間を推計した。屋内・屋外移動、ベッド移動、及び入浴の支援機器は総PASの代替となっていたが、ベッド移動と入浴の支援機器はフォーマルなPAS利用の補足となっていた。電話支援機器は総PAS時間にもフォーマルなPAS時間にも有意な関連はなかった。以上から、高齢障害者が利用する一部の支援機器は人によるインフォーマルなケア時間を減らしているが、有料のPAS時間は減らしていないと結論付けられる。そのため、本研究は支援技術の利用は有料ケアの利用を減らすことにより、長期ケアの費用を減らすとの仮説を支持しない。
二木コメント-障害者の支援機器(福祉機器)の多くは、人によるフォーマルな支援は代替しないため、長期ケアの費用も減らさないという、やや残念な結果です。
○フォーマル[なケア]か、インフォーマル[なケア]か、誰が気にするか?[オランダとドイツの]公的長期ケア保険の影響
Bakx P, et al: Going formal or informal, who cares? The influence of public long-term care insurance. Health Economics 24(6):631-643,2015.[質的・量的政策研究]
長期ケア利用における国際的な差についてはよく記録されているが、よく理解されてはいない。普遍的長期ケア保険を有する2か国(オランダとドイツ)の比較可能なデータを用い、制度的な違いがインフォーマルな長期ケアとフォーマルな長期ケアについての両国の選択の違いにどのように関連しているかを検討する。総長期ケア利用率は両国で類似しているが、フォーマルケアの利用はオランダで多く、インフォーマルケアの利用はドイツで多い。2国間のフォーマルケアとインフォーマルケアの利用の違いの要因分析をしたところ、主な要因は人口特性の差ではなく、両国の制度的な差に伴う特性の影響の差であることが分かった。この結果は、サービス利用基準(eligibility rules)や給付の寛大さのような制度的特性、および間接的には社会的選好が、フォーマルケアとインフォーマルケアの選択に影響することを示している。包括的な給付のレベルの低さはサービス利用の平等性にも影響する:低所得者にとって、フォーマルな長期ケアに対するアクセスは、ドイツではオランダよりも困難である。
二木コメント-要旨だけを読むと「制度が問題だ」という一見平凡な結論ですが、本文はオランダとドイツの介護保険制度の違いがサービス利用にどのように影響するかを詳細に分析しています。介護保険研究者や長期ケアの国際比較研究者は必読と思います。
○アメリカのインフォーマルな高齢者ケアの機会費用:アメリカ人の生活時間調査を用いた新しい推計
Chari AV, et al: The opportunity costs of informal elder-care in the United States: New estimates from the American time use survey. Health Services Research 50(3):871-882,2015.[量的研究]
アメリカにおけるインフォーマルな高齢者ケアの機会費用を全米代表標本(2011・2012年「アメリカ生活時間調査」の個票)を用いて推計した。賃金を個人の時間価値(機会費用)の尺度とし、就業していない個人については「選択[バイアス]訂正回帰分析」(selection-correction regression methodology. Heckmanが1979年に提唱)により、帰属賃金を推計した。インフォーマルな高齢者ケアの機会費用総額は、年間5220億ドル(1ドル100換算で50兆円)に達した。このケア費用を、未熟練労働者によるケアと熟練労働者によるケアで置き換えると、それぞれ2210億ドル、6420億ドルになると推計された。以上から、アメリカではインフォーマルなケアは重要な現象であり、多額の機会費用を発生させていると結論づけられるが、それでも熟練労働者によるケアに比べれば安上がりである。
二木コメント-インフォーマルケアの機会費用は多額だが、「熟練労働者に比べれば安上がり」という解釈はいかにもアメリカ的と感じました。なお、2015年5月に発表された日本における「認知症の社会的費用の推計」(慶應義塾大学医学部の佐渡充洋氏等)では、社会的費用総額は年間14.5兆円であり、そのうちインフォーマルケアのコストは6.2兆円とされています。「地域包括ケアシステム」では家族等によるインフォーマルケアの拡大が目指されているので、日本でも、要介護高齢者全体(本来なら要介護者全体)のインフォーマルケアの費用推計が必要と思います。
5. 私の好きな名言・警句の紹介(その128)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- 野田聖子(自由民主党衆議院議員。2015年9月の自民党総裁選挙への立候補を模索したが、推薦人20人を確保できず断念)「この道も、あの道もある」(「朝日新聞」2015年9月8日朝刊。党本部に提出した公約で、安倍晋三首相のキャッチフレーズ「この道しかない」に対抗して、これを掲げた)。二木コメント-最近は、社会保障研究者の中にも、「社会保障改革しか道はない」(NIRA)等と断定的に主張する方が少なくないので、大いに共感しました。ちなみに、1970年代から世界に先駆けイギリスで新自由主義改革を断行したマーガレット・サッチャー首相の口癖も"There is no alternative"でした。
- 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)「[ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が権力の座について3年たった1988年秋に]ソ連共産党は、『この道しかない』というスローガンを掲げた。テレビ、ラジオは『改革のためには、この道しかない』とがなり立てていた。(中略)/今になって振り返ると、このあたりからソ連のペレストロイカ路線はおかしくなってきた。なぜなら、複数の考え方、複数の選択を認め、社会を活性化していこうとすることでソ連社会を活性化するという発想と、ソ連共産党が『この道しかない』という路線を国民に押しつけることが矛盾していたからだ。/そして、『この道しかない』というスローガンが掲げられてから3年後の1991年12月にソ連国家は崩壊した」(「中日新聞」2014年12月19日朝刊、「本音のコラム この道しかない」)。
- 津野海太郎(評論家)「戦後すぐ、まだ若者だった鶴見俊輔はプラグマディズムの始祖、チャールズ・パースが提唱した『まちがい主義』の核心を、『われわれの知識はまちがいを何度でも重ねながら、まちがいの度合いの少ない方向に進む』と簡潔にまとめてみせた。/そして生涯にわたる『まちがい主義』の徒として、鶴見さんはまちがいをおそれず、まちがうたびに方向をちょっとずつ修正し、いつまでも到達できない知識(真理)への長い旅を続けてきた」(「読売新聞」2015年7月27日朝刊、「追悼 鶴見俊輔さん」。鶴見さんは2015年7月20日死去、93歳)。二木コメント-「まちがい主義」は、上述した「この道しかない」の対極にあると思います。
- 鶴見俊輔(ベ平連の生みの親の1人)「そもそもベ平連というのは、ファリブリズム[falliblism]、間違い主義なんです。このファリブリズムという言葉、もともとはプラグマティズムの創始者の一人、チャールズ・パースがつくったもので、まちがいからエネルギーを得てどんどん進めていく、まちがえることによって、その都度先へ進む、それが何段階かのロケットにもなっていくわけです」(『言い残しておくこと』作品社,2009,121頁,「『まちがい主義』のベ平連」)。二木コメント-私も、自己の誤りは「潔く認めるとともに、大きな誤りの時にはその理由も示す」「フェアプレイ精神」を研究の心構え・スタンスの一つにしているので、大いに共感しました(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,106頁)。以上、本「ニューズレター」68号(2010年4月)より。
- 赤川次郎(作家。「安倍政治」に対して積極的に発言している)「政治家にとって言葉は命。命がけの真剣勝負であるべきなのに…」、「作家は進歩的であれというつもりはない。しかし、言葉を馬鹿にされたら怒るべきだ」(「中日新聞」2015年8月29日朝刊、「赤川次郎さん 政治に怒る」)。
- ミハイル・シーシキン(ロシアを代表する作家)「作家は国を変えることはできないが、できることをしなければならない。それは沈黙しないことだ」。多和田葉子(ドイツ在住の日本人作家)「作家の言葉はずっと残り、後に考えるときの地盤」になる(「日本経済新聞」2015年8月24日朝刊、「文化往来」。共に、2015年8月7日に千葉市で開かれた国際シンポジウム「スラヴ文学は国境を越えて」での発言)。
二木コメント-3人の発言中の「作家」はそのまま「研究者」に置き換えられると思います。私はこの視点から、『文化連情報』と『日本医事新報』の連載を続け、それらを1~2年おきに論文集にまとめて「歴史の証言」としています。 - 浜田文人(作家、新作に『禁忌』。1949年生まれ、30代はマージャンのプロとして過ごした)「誰でも一生懸命やれば、それぞれの分野で10段階のうち7か8までは達することができるが、その上に透明な壁がある。僕も結局マージャンのタイトルはとれなかった」(「日本経済新聞」2015年6月28日朝刊、「あとがきのあと」)。二木コメント-研究についても、努力だけでは超えられない「透明な壁」があり、これを突破できないと全国区で通用する研究者にはなれないと思います。
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- 映画「テッド2」"The public doesn't judge by reason, it judges by emotion."「人[陪審員]は理性では判断しない、感情で判断するのだ」(人の心を持ったぬいぐるみのクマ・テッドが、自分が人間であることの証明を求めて裁判に訴えるが下級審では負ける。控訴審を前に、新たに無償(pro bono)で弁護人を引き受けた人権派のベテラン弁護士はテッドにこう諭した。この弁護士の巧みな弁論でテッドは勝訴し、その後、テッドは法廷前に集まった記者や支持者に"I invite you to change the world!"「世界を変えるために立ち上がろう」と高らかに呼びかけた)。二木コメント-私は、日本福祉大学学長や日本社会福祉教育学校連盟会長として、構成員の合意形成を図るためには、彼らの理性だけでなく、感性(感情・人情)にも訴える必要があると実感しているので、大いに共感しました。
- 霜山徳爾(臨床心理学者。故人)「信頼とは獲得するものではなく、贈られるものである」。上野千鶴子(社会学者)「私を信じてくださいというのは白紙委任と同じ」、「信頼は自分が欲しいと求めるものではなく、信頼を受ける相手から贈られるもの。すばらしい言葉でしょ。求めて得られるものじゃないんです」(「中日新聞」2015年8月18日朝刊、「曖昧語が映す社会 戦後70年(3) 信頼」。上野さんは、「政治家は、本来、信頼という言葉をどう使うべきなのかという問うた記者に霜山の言葉を教えた上で、こう述べた)。二木コメント-私も、つい「私を信じてください」と言うことがありますが、ほとんどの場合、相手には通じません。これからはお二人の言葉を肝に銘じたいと思います。
- 栗谷義樹(地方独立行政法人山形県・酒田市病院機構日本海総合病院院長)「どんなことがあっても生き残ること。スタッフを路頭に迷わせるようなことはしてはなりません。それは同業他病院職員も同様に守られるべきで、それぞれ院長になった者の責任です。職員を守れないものに地域を守ることはできません」(『文化連情報』2015年9月号、インタビュー「新公立病院改革と生き残り戦略」,42頁)。二木コメント-私も、日ごろ、日本福祉大学学長としての最大の使命は、「大学冬の時代」にも本学が必ず生き残り、新たな発展を目指すことだと考えているので、大いに共感しました。
- 岡田玲一郎(経営コンサルタント)「『この国の社会保障は……』とか、最近の政治家は『わが国の』を使う人が少なくなった。これもわたしがよく言う『ウチの病院』と『この病院』の病院職員の意識差と同じだ。『この病棟は…』から始まるのは、必ず、不平、不満だ。『ウチの病院』あるいは『ウチの病棟』から出てくる言葉は、ポジティブだ」( 「社会医療ニュース」481号:5頁,2015年8月15日)。二木コメント-これを読む直前に、本学のある気骨ある幹部職員から、自分が勤務している大学のことを「この大学」と言う教員は、傍観者的で当事者意識に欠けるとの批判を聞いていたので納得しました。
<その他>
- 松本俊彦(国立精神・神経医療研究センター部長)「悩める人から『死にたい』と言われたら、感謝すべきなのだ。人は追い詰められるほど『死にたい』と言いづらくなる。そのような状況に追い詰められた自分を恥じているし、告白を軽く受け流される不安におびえ、安易な励ましや説教を恐れている。告白が場の空気を白けさせ、相手を悩ませることへの気遣いもある。/(中略)9月10日は世界自殺予防デーだ。だから、この機会に確認しておこう。『死に体』という言葉には『死にたいくらいつらいが、このつらさが少しでも和らぐのであれば、本当は生きたい』という意味がある。/求められるのは、安心して『死にたい』と言える社会だ」(「毎日新聞」2015年9月14日朝刊、「松本俊彦のこころと向き合う(6))。二木コメント-松本さんの「『死にたい』と言える社会」は、奧田知志さん(ホームレス支援全国ネットワーク代表)の提唱する「『助けて』と言える社会」に通じると思いました(茂木健一郎との共著『「助けて」と言える国へ-人と社会をつなぐ』集英社新書,2013)
- 美智子皇太子妃(当時)「だれもが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認めあいながら、なつかしみあい、励まし合っていくことができればと、そのように考えて人とお会いしています」(矢部宏治『戦争をしない国-明仁天皇のメッセージ』小学館,2015,112頁。1980年10月18日の46歳の誕生日会見)。二木コメント-この本は、明仁天皇が、太平洋戦争に対する深い反省と日本国憲法遵守の信念に基づいて、日本が「戦争をしない国」・「平和国家」である&あるべきことを、静かに訴え続けていることを描いた清々しい本です。
- 佐藤優(作家・元外務省主席分析官)「筆者も鈴木宗男疑惑で激しいメディアバッシングにさらされたことがある。それだから[東京五輪・パラリンピックのエンブレムを取り下げた]佐野[研二郎]氏の心理状態は理解できる。しかし、公の世界にプロとして提出した作品を、自分や家族がつらいという私的理由で撤回することは筋が通らない。プロの表現者として公私混同は許されない」(「毎日新聞」2015年9月24日朝刊、「本音のコラム 公私混同」)。