『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻144号)』(転載)
二木立
発行日2016年07月01日
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目次
- 1. 論文:「地域包括ケア研究会2015年度報告書」を複眼的に読む
(「二木学長の医療時評」(139)『文化連情報』2016年7月号(460号):18-23頁) - 2. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算124回.2016年分その4:5論文) - 3. 私の好きな名言・警句の紹介(その139)-最近知った名言・警句
1. 論文:「地域包括ケア研究会2015年度報告書」を複眼的に読む
(「二木学長の医療時評」(139)『文化連情報』2016年7月号(460号):18-23頁)
地域包括ケア研究会(座長:田中滋慶應義塾大学大学院名誉教授)は、本年5月、報告書「地域包括ケアシステムと地域マネジメント」を公表しました(以下、「本報告書」。なお、報告書の表紙には「2016年3月」と書かれていますが、実際に公表されたのは5月です)。これは、厚生労働省老人保健健康増進等事業の一環として2008年に設立された地域包括ケア研究会の5回目の報告書です。地域包括ケア研究会の一連の報告書は地域包括ケアシステムの理念・概念整理と政策形成の「進化」を主導してきました。本稿では、本報告書のポイント・新しさを今までの報告書と比べながら検討します。第1~4回報告書はすでに詳しく分析したので、お読み下さい(1)。
「地域マネジメント」が中心テーマ
本報告書は、以下の5部構成です。「1.地域包括ケアシステムを構築するための『地域マネジメント』」、「2.2040年に向けた地域包括ケアシステムの展望」、「3.自治体による地域マネジメント」、「4.地域マネジメントを強化するために」、「5.『一体的』な改革を提供するためのケアマネジメント」。
本報告書の中心テーマは、自治体(主として市町村)による「地域マネジメント」で、これについては1、3、4で詳細に述べられています。「地域マネジメント」は、「地域の実態把握・課題分析を通じて、地域における共通の目標を設定し、関係者間で共有するとともに、その達成に向けた具体的な計画を作成・実行し、評価と計画の見直しを繰り返し行うことで、目標達成に向けた活動を継続的に改善する取組」と定義されています(4頁)。これは「地域包括ケアシステムの構築における工程管理」であり、その「単位としては、自治体が適当」とされています。「地域マネジメント」は医療関係者にはなじみのない概念ですが、個人を対象とした「ケアマネジメント」の地域への拡張版と言えます。
前回の2013年度報告書でも「自治体に求められる機能」は示されていましたが、記述は平板で、課題の列挙にとどまっていました。それに対して、本報告書の「3.自治体による地域マネジメント」には、試行錯誤を続けている「普通の自治体が地域包括ケアシステムを構築するための必要な方策」がきめ細かく書かれており、自治体関係者必読と言えます。
本報告書は、「地域マネジメント」に対応して、「専門職が個々の『利用者』に対してサービス提供を行う日常業務は当然として、さらに『地域』に対する貢献が今後の役割として期待されている」としています(16頁)。これは、保健医療福祉職に求められる新しい課題と言えます。福祉系大学の学長としては、この文脈で、「社会福祉の専門性を活かしたソーシャルワークの重要性は、これまで以上に大きくなる」と書かれれたことをうれしく思いました。それに対して、2015年9月に発表された「新福祉ビジョン」(後述)では、「社会福祉」も「ソーシャルワーカー」も使われていませんでした。
他面、本報告書は「地域マネジメント」を強調しているにもかかわらず、地域包括ケアシステムの構築と密接に関係する「地域医療構想」、および地域包括ケアシステムの福祉的側面を強化する上で重要な役割を果たす社会福祉協議会については触れていません。これは本報告書が厚生労働省老健局主導でまとめられ、他局との調整が十分に行われなかったためと思われ、残念です。
「シルバー新報」5月20日号(3面)は、本報告書の報道で、「今回は『地域マネジメント』と自治体の実務に的を絞った地味な内容だが、自由参入と競争の時代と決別し、自治体主導の協調の時代へ背中を押すかたちだ」と評しています。私もこの評価は的を射ていると思います。このような「路線転換」の背景には、「自由参入と競争」に依拠して地域包括ケアシステムを構築しようとすると、市町村間の格差、さらには同一市町村内でも地区間の格差が拡大し、それを市町村による「地域マネジメント」で是正する必要が生じていることがあると思います。
対象を「高齢者に限定しない」
「3.自治体による地域マネジメント」で注目すべきことは、以下のように、地域包括ケアシステムの対象拡大を提起していることです。「現在、自治体は、老人福祉計画・介護保険事業計画に加え、障害・子ども子育て・生活困窮や住生活、健康増進、母子保健、食育推進など多くの行政計画を立案している。これらの計画で規定される施策は、いずれも地域包括ケアシステムの一部といえる。このため地域マネジメントの推進に当たっては、同一自治体において策定される各種行政計画の調整、整合性を図る工夫が求められる」(27頁)。
「2.2040年に向けた地域包括ケアシステムの展望」では、よりストレートに、以下のように述べています。「元来、地域包括ケアシステムは、その対象を高齢者に限定しない概念として展開されてきた。その観点からみても、保健・福祉の専門職は、高齢者のみならず地域の諸課題に対処するプロフェッショナルとして、今後の地域包括ケアシステムにおいてその必要性がさらに強調されるだろう」(17頁)。
これらの提起・展望は、厚生労働省のプロジェクトチームが昨年9月に発表した「新福祉ビジョン」が提唱した「全世代・全対象型地域包括支援」と軌を一にしています(2,3)。本連載(138)で指摘したように、本年の診療報酬改定でも地域包括ケアシステムの対象が拡大されました(4)。
実は、地域包括ケア研究会は2012年度報告書で「地域包括ケアシステムは、元来、高齢者に限定されるものではなく、障害者や子どもを含め、地域のすべての住民にとっての仕組みである」と主張していました(7頁)。この先駆的指摘は、2013年度報告書ではなぜか消えていましたが、本報告書で復活したと言えます。今後、各地域で地域包括ケアシステムの構築を進めるときには、それの対象を「高齢者に限定しない」ことが求められると思います。
「複合体」の役割を積極的に評価
「3.自治体による地域マネジメント」で私がもう1つ注目したのは、「地方都市における単一事業者が高いシェアを占める状況について」の項(25頁)で、「単一の法人等が複合的にサービス提供を担うあり方」(私流に言えば、「保健・医療・福祉複合体」)の役割を認めたことです。具体的には、「地域におけるサービス供給が特定の事業者に偏ることを避けようとする傾向」に疑問を投げかけ、次のように述べています。「人口減少が進み、地域支援の確保が困難な地方の市町村で多様なサービスを提供する場合には、単一の法人等が複合的にサービス提供を担うあり方が、より効率的で合理的である場合も想定される」、「[大規模な社会福祉法人等の]単一事業所が一定の地域を担当する方が、運営が効率的であり、また地域に密着したサービス展開が可能になるため、望ましい結果につながるケースもあると考えられる」。
厚生労働省(関係)の公式文書が、人口が減少している市町村に限定したとは言え、複合体の役割を積極的に認めたのは初めてです。宮島俊彦元老健局長は、退官直後に介護保険の「事業主体の[組織的]統合」を提唱しましたが、それは「在宅系サービス事業所が複合化していくこと」に限定されていました(5)。それに対して、本報告書ではそのような限定は付けられていません。
私は、介護保険制度が発足した直後の2002年に、独立した医療・福祉施設(事業者)の「連携」と「複合体」は対立物ではなく、「スペクトラム(連続体)」を形成しており、「今求められていることは、(中略)それぞれの地域の実態と特性に合わせて、連携と『複合体』との競争的共存の道を探ることだ」と述べました(6)。それだけに、本報告書が「複合体」(「単一の法人等が複合的にサービス提供を担うあり方」)の方が、サービス提供の上で効果的・効率的である「場合も想定される」と認めたことは、遅きに失したとは言え妥当・現実的だと思います。
ただし、本報告書が指摘している、サービスが特定の事業者に集中しないための「集中減算」規定は、介護報酬だけでなく、診療報酬にもあります。2018年の診療報酬・介護報酬の同時改定では、それらの見直しが必要になると思います。
理念・概念面の4つの確認・進化と1つの退化
順番が逆になりましたが、本報告書の「2.2040年に向けた地域包括ケアシステムの展望」では、地域包括ケアシステムの概念・理念の確認と進化が書かれています。私が注目したことは以下の4点です。
第1に、「自助・互助・共助・公助」の説明では、自助は「自分のことを自分でする」等と個人レベルで定義し、家族は「互助」に含めています(10頁)。この説明は、2008年度の第1回報告書の再確認ですが、重要です。なぜなら、安倍政権は「自助」に本人だけでなく、家族を含める傾向が強いからです。
第2に、「人生の最終段階におけるケアのあり方を模索する」(13頁)で、「超高齢社会においては、(中略)人生の最終段階の医療や介護のあり方を含め、『治し・支える医療』が求められている」と、社会保障制度改革国民会議報告書(2013年)の提起を肯定的に引用しているのは重要な進化と言えます。人生の最終段階(終末期)では、「キュア」ではなく、「ケア」(のみ)が求められるとの俗説が今でも根強いからです。
第3に、2012年度報告書で初めて提起された地域包括ケアシステムの「植木鉢」図も進化しました(15頁。図)。最も重要な点は、植木鉢の土台である「本人・家族の選択と心構え」が、「本人の選択が優先される」ことを明確にするために、「本人の選択と本人・家族の心構え」に変わったことです(17頁)。その上で、「家族は、本人の選択をしっかりと受け止め、たとえ要介護状態となっても本人の生活の質を尊重することが重要である」としています。私はこの変更・指摘は、理念的には妥当だと思います。その他、「植木鉢」図では、従来の「生活支援・福祉サービス」が「介護予防・生活支援」に、「保健・予防」が「保健・福祉」に変わりました。
他面、今までの報告書と同じく、本報告書でも家族の範囲についての説明はありません。地域包括ケア研究会座長の田中滋氏は「日本医師会医療政策会議平成26・27年度報告書」所収の論文で、「植木鉢図」中の「本人・家族」の「家族とは主に配偶者を指し、独立家計を営む成人した子どもは別な主体と考えていた」と述べています(7)。田中氏は、最新のインタビューでさらに踏み込んで次のように述べています。「長年連れ添った夫婦は一体ですが、次世代は精神的サポートを行うべきにせよ、介護の責任を負わせてはいけない。独立して家計を営む次世代は家族ではなく、"親族"と割り切るべきです」(8)。このような明快な説明が本報告書にないのは残念です。
第4に、2013年度報告書で鍵概念とされ、13回も使われていた「規範的統合」というきわめて難解で高踏的な用語が、本報告書ではほとんど使われていません。具体的には、「(関係者間での目標や)考え方の共有」という誰にでも分かる日本語表現に置き換えられ、「規範的統合」は4回カッコ内で使われているだけです。これは用語面での「進化」と言えます。
しかし、退化も1つあります。それは、「介護保険法における基本的な視点の再確認」で、「自立支援」偏重の説明がされていることです(36頁)。2005年の介護保険法改正では、「自立支援」に高齢者の「尊厳の保持」が加えられ、2013年度報告書の「地域包括ケアシステムの基本理念」でも、高齢者の「『尊厳の保持』と『自立生活の支援』」(3頁)が同格で書かれていました。それと比べると、今回の退化は残念です。
【補足】塩崎厚生労働大臣も「地域包括ケアの深化」に言及
塩崎恭久厚生労働大臣は、5月11日の経済財政諮問会議に資料「経済・財政再生計画に沿った社会保障改革の推進②」(パワーポイント5枚)を提出しました。その4枚目の「地域包括ケアの深化に向けた新たな施策展開」の「基本的な考え方」で、「今後はさらに、地域の生活支援サービスの育成・支援を図る仕組みを整備しつつ、医療、介護等の公的サービスとの適切な組み合せにより、高齢者のみならず、地域で支援を必要とする方々の暮らしを支えられるよう、地域包括ケアを深化させていく」として、具体的に3点を「推進」・「展開」するとしています。その第2点には、「高齢者のみならず、地域住民の多様なニーズに応えるため、地域コミュニティにおける『支え合い』の機能の充実や民間事業者による保険外サービスの育成・活用を推進する」ことが示されています。
このような「地域包括ケアの深化」は、「新福祉ビジョン」や「地域包括ケア研究会2015年度報告書」で示された、地域包括ケアシステムの対象拡大と同一の改革提案と言えます。ただし、「保険外サービスの育成・活用」は、「新福祉ビジョン」や「地域包括ケア研究会2015年度報告書」には明示されておらず、官邸や経済財政諮問会議の指示に対応して挿入されたと推察します。なお、「議事要旨」を読んだ限りでは、この点について、資料に書かれている以上に踏み込んだ報告・討論はなされていません。
文献
- (1)二木立『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房,2015,第1章第2・3節。
- (2)二木立「厚労省PT『福祉の提供ビジョン』をどう読むか」。第45回全国社会福祉教育セミナー【京都2015】ソ教連主催緊急企画・発題1,2015年11月1日(『日本福祉大学社会福祉論集』第134号:1-8頁,2016。https://nfu.repo.nii.ac.jp/)。
- (3)二木立「地域包括ケアシステムから『全世代・全対象型地域包括支援』へ」『文化連情報』2016年4月号(457号):16-22頁。
- (4)二木立「2016年度診療報酬改定の狙いとその実現可能性・妥当性を考える」『文化連情報』2016年6月号(459号):20-27頁。
- (5)宮島俊彦『地域包括ケアの展望』社会保険研究所,2012,85-95頁。
- (6)二木立「医療・福祉の連携と『複合体』化の対立は無意味、真理は中間にある」『Gerontology』14(3):48-52頁,2002(『医療改革と病院』勁草書房,2004,97-106頁)。
- (7)田中滋「超高齢社会における地域の力:地域包括ケアシステム構築にあたって」『日本医師会医療政策会議平成26・27年度報告書』,2016年4月,13頁(日本医師会ホームページ「医療政策」欄に公開:http://www.med.or.jp/jma/policy/conference/000381.html)。
- (8)田中滋(インタビュー)「医療介護総合確保促進のポイントは"マネジメントできる人材"の育成」『Visionと戦略』2016年6月号:1-4頁。
[本稿の本文は『日本医事新報』2016年6月4日号(4806号)掲載論文「『地域包括ケア研究会2015年度報告書』をどう読むか?」」に加筆したものです。]
2最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算124回.2016年分その4:5論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○OECD加盟国における医療政策の効率:国際比較の体系的文献レビューとメタアナリシス
Varabyova Y, et al: The efficiency of health care production in OECD countries: A systematic review and meta-analysis of cross-country comparisons. Health Policy 120(3):252-263,2016.[国際比較の文献レビュー]
ノンパラメトリック手法およびパラメトリック手法を用いた医療制度の効率性の分析と比較についての関心が高まっている。本研究の目的はOECD加盟国の医療制度の効率にいての知見についての文献レビューとメタアナリシスを行うことである。2014年8月に5つの電子化されたデータベースを用いて体系的に文献検索し、国レベルの医療生産の効率を分析した22論文を同定した。まずそれらの標本数、研究方法と用いられた変数を要約した。次に、各論文の質を評価するために、以下の4つの側面から成る14のチェックリストを作成した:報告形式、外的妥当性、バイアスおよびパワー。さらに、知見の内的妥当性を評価するために、10論文で用いられた35のモデルに含まれる効率性推計のメタアナリシスを行った。論文の質的合成は、研究デザイン・方法面で大きな差があることを示している。メタアナリシスにより、各論文で報告された国別の効率性ランキングの相関は低いことが明らかになり、このことは各論文の効率性推計には内的妥当性がないことを示唆している。結論として、医療制度の効率性についての既存の国際比較研究は方法的に問題があるため、政策形成者のための意味のあるガイドにはならない。
二木コメント-著者によると、本研究はOECD加盟国の医療生産の効率性についての知見を合成した初めての文献レビューだそうですす。実際ていねいな文献レビューがなされていますが、結果はヒサンです。私は、以前から、国レベルでのマクロな医療効率の比較やランキングは「趣味の問題」であり、現実の政策形成には役立たないと感じていたので、多いに納得しました。
○医療制度の分類:我々はさらに先へ進めるか?
Toth F: Classification of healthcare systems: Can we go further? health Policy 120(5):535-543,2016.[理論研究・国際比較]
本論文は、既存の医療制度の分析モデルから一歩進むことを目指して、医療制度の分類について検討する。医療サービスの財源調達(financing)については、標準的な3分類(民間保険、社会保険、ユニバーサル給付)は、2つのタイプ(強制的国民健康保険と残余的プログラム)を加えて、5分類にすることで強化される。サービス提供と保険者・サービス提供者関係については、垂直統合された制度と分割された制度を区別することが重要である。本研究が既存の大半の研究と異なるのは、本研究には以下のロジックがあることである。すべての制度がハイブリッドであると見なして、本論文は医療制度分類の古典的ロジック(これによると、個々の国は医療制度の主な側面に基づいて別々のグループに分類される)を棚上げすることを提案する。このためには、(医療サービスまたは人口の)分割(segmentation)の概念が有用である。
二木コメント-私も、エスピン=アンデルセンによる「3つの福祉レジームに特定の国々を当てはめる…福祉国家類型論は、医療政策の国際比較にはまったく役立たない」と以前から主張しています(『医療改革と病院』勁草書房,2004,62-64頁)。そのため、「すべての[医療]制度がハイブリッドである」との著者の認識には賛成です。ただし、著者の提起している「10の医療制度モデル」は恣意的・独りよがりと思います。
○[日本を含む]先進7か国における健康状態の違いによる高医療費[高額の患者自己負担]の頻度
Baird KE: The incidence of high medical expenses by health status in seven developed countries. Health Policy 120(1):26-34,2016.[国際比較研究・量的研究]
医療政策は市民を医療ニーズに伴う経済的リスクから守ることを目ざしている。しかし医療費の増加により多くの国は、患者の自己負担が増加している。本研究は7か国(フランス、イスラエル、日本、ポーランド、ロシア、スロベニア、アメリカ)の2010年家計調査を用いて、自己負担が個人に与える重荷を測定し比較することを目的としている。そのために、健康問題を抱える市民の自己負担の家計所得に占める割合を比較する。それにより、フランス以外の6か国、およびやや程度が軽いとはいえスロベニアでは、健康問題を抱える市民は、それのない市民に比べて相当の自己負担に直面していることが明らかになる。アメリカ、ポーランド、およびイスラエルでは、健康状態が良くない市民の4分の1は、所得の相当部分を患者負担に割いている。本研究では、市民が高額の自己負担に直面する程度と、健康問題を抱える市民とそれがない市民との間の自己負担の格差との間には国レベルでの強い相関があることも示す。本研究で明らかにされた高額の自己負担と、それが7か国で健康問題を抱える市民に不平等なインパクトを与えていることは、自己負担が潜在的には医療制度の中核的目的である、市民の平等な経済負担、平等なアクセス、および健康の改善を浸食していることを裏付けている。
二木コメント-論文名と研究の視点は魅力的で、しかも日本も対象に含まれている、患者の自己負担についての貴重な国際比較研究と言いたいところですが、分析は表層的で、期待外れでした。
○ドイツ、オランダおよびイングランドにおける病院合併の規制:経験と課題
Schmid A, et al: Hospital merger control in Germany, the Netherlands and England: Experiences and challenges. Health Policy 120(1):16-25,2016.[政策研究・国際比較研究]
競争がもたらす効率向上と質の改善効果を目ざして、病院市場で競争を促進するための様々な取組が行われている。このメカニズムが働くためには、強固な競争政策が立案・実施される必要がある。ドイツ、オランダおよびイングランドの病院市場における競争の経験を、合併の規制策とそれの厳格さに焦点を当てながら、比較した。合併規制策の違いについて精査した結果、ゴールは似ているにもかかわらず、3か国の機関は非常に異なった方法を採用し、広く主張されている合併の便益とそれにより生じる市場統合のリスクとの間のバランスをとるために、根本的に異なる経路を採用したことが分かった。ドイツの競争所管機関は競争の前提条件を維持することに注力しているが、オランダは過去10年間、理論的想定に基づいて医療購入者が拮抗力を持つことに注力し、高度に寡占化した市場を受け入れてきた。イングランドは、合併の提案を最も包括的に評価しており、その評価は患者の選択と競争が医療の価格と質に好影響を与えるとの肯定的評価と一体となっている。3か国の機関とも合併シミュレーション・モデルやより進んだ計量経済学的方法を、評価に導入することには躊躇している。その理由は各国とも、これについての実証的エビデンスを持っていないためと思われる。
二木コメント-3か国の政府機関が採用している医療競争促進策と病院合併に対するスタンスの違いがていねいに比較されています。この点では、日本は一見「遅れている」ように見えます。しかし、日本の病院市場は3国より民間病院のシェアがはるかに高く、それに伴い病院間競争もはるかに強いと言えます。
○健康アウトカムの変動:[アメリカ各州の]2000-2009年の社会サービス費、公衆衛生費および医療費の役割
Bradley EH, et al: Variation in health outcomes: The role of spending on social services, public health, and health care, 2000-09. Health Affairs 35(5):760-768,2016.[量的研究・国際比較]
医療費と社会サービス費のGDPに対する割合はアメリカの州ごとに相当違うが、各州の健康アウトカムと各州の医療費・社会サービス費の配分との関連についてはほとんど明らかにされていない。この関連を推計するために、50州とワシントンDCの2000-2009年のデータを用いて、後方視的時系列分析・多変量解析(従属変数は8つの健康指標)を行った。その結果、社会サービス費・医療費割合(各州の社会サービス費・公衆衛生費合計の対GDP比を各州のメディケア・メディケイド費用の対GD比で除した数値)が高い州では、以下の7つの健康アウトカムが有意に高かった:成人の肥満、喘息、精神的に不健康な日数、活動制限の日数、肺癌死亡率、急性心筋梗塞死亡率、2型糖尿病死亡率。本研究は、医療費にどのくらい消費すべきかという論争を拡張し、健康にどのくらい投資すべきかという視点を加えること-医療だけでなく社会サービスと公衆衛生も-が望ましいことを示唆している。
二木コメント-医療と健康アウトカムとの関係の検討を、医療と公衆衛生・社会サービスと健康アウトカムとの関係の検討に拡張すべきことを示した貴重な研究であり、日本でも追試する価値があるかもしれないと感じました。ただし、本文の図3によると、各州の医療費の対GDP比は、社会サービス・公衆衛生費の対GDPと強い相関があり、両者は代替ではなく相補的なようです。
3.私の好きな名言・警句の紹介(その139)-最近知った名言・警句
訂正とお詫び:本「ニューズレター」7号(2005年3月)で紹介し、61号(2009年)と94号(2012年)に再掲した以下の名言の発言者に誤りがありました。
- ○伏見憲明(ゲイ・ライター。7号等では発言者を中村哲也氏(ゲイサークル「YOUgikai」)と誤って紹介)「怒りだけでは思想が乾く-差別される側が差別する側に怒りをぶつけるだけでは、思想が乾いてしまう。運動内部に権力関係も生まれやすい。生身の人間が生きていく矛盾や本音を抱え込みながら、手を替え品を替え、今までにない表現や運動をつくっていきたい。それがゲイの見せどころ」(『AERA』1995年1月16日号39頁)。
※私は、6月2日に閣議決定された「骨太方針2016」と「ニッポン一億総活躍社会プラン」を読んでいて、両決定に「性的指向、性的自認に関する正しい理解を促進するとともに、社会全体が多様性を受け入れる環境づくりを進める」という同一の1文があることに注目しました(それぞれ10頁、15頁)。このような表現が閣議決定に書かれるのは初めてであり、しかも5月18日に公表された両文書の「素案」・「案」にはこの表現はありませんでした。この一文が加えられた背景を調べる過程で、上記名言を思い出し、元の記事を読み直したところ、発言者を間違えて紹介していたことに気づきました。なお、この21年前の『AERA』記事「レズビアンとゲイ 解放の歌が聞こえる」は、一般誌がこのテーマについて先駆的かつ肯定的に取り上げた貴重な記録と思います。
<研究と研究者の役割>
- 鷲田清一(哲学者)「潜るばかりでなく、水平に奥行を増していくことも『深さ』。考えることを潜水でなく登山にたとえれば、見晴らしのよい場所に出て深呼吸できる喜びがある」(「朝日新聞」2016年4月28日朝刊、「鷲田清一さん 明治学院大で特別授業」)。二木コメント-私は研究者・大学教員は自己の専門を深めるだけでなく、幅広い教養・知識も身につける必要があると思っているので、多いに共感しました。
- ソ教連(ソーシャルワーク教育団体連絡協議会)「厚労省『新福祉ビジョン』に係る「特別委員会」(委員長:二木立)「中間報告」「ソーシャルワーカー養成教育に従事する教員の総合的な能力向上を図るべきである。最近は、福祉系大学でも教員の自己の専門領域への『タコツボ』化が生じているといわれているが、これでは『新福祉ビジョン』が提起している『分野横断的な福祉に関する基礎知識を持つ』ソーシャルワーカーを養成することはできない」(2016年5月28日の日本社会福祉教育学校連盟総会・社会福祉士養成校協議会総会で確認。http://www.jassw.jp)。
- 牧原出(東京大学先端科学技術研究センター教授、専門は政治学・行政学)「[安倍]政権の『今』を見るために、政権を支える制度の『今』、ひいてはその変化を考えてみたい。とはいえ、一口に『制度の変化をとらえる』といっても、何が変わったのかだけを見るだけでは、視野が狭くなってしまう。変わっていない部分との比較が重要である。なぜ変わったのか?という問いとなぜ変わっていないのか?という問いを立てると、制度のありようについて見通しを持つことができるのである」、「ジャーナリズムの報道は、今日の事件を明日に向けて読み解く必要に迫られている。(中略)これに対して、研究者は何年も先を見通しながら、今を考える。筆者のように、歴史研究の素材として新聞を読む場合は、遠い過去から日々の新聞を読み、それを遠い未来へと投影してみる」(『「安倍一強」の謎』朝日新書,2016,43,256-257頁)。二木コメント-私も同じ視点から、医療政策の分析と予測を行っているので、多いに共感しました。ただし、この本では、「安倍一強」の謎は解かれていないと思います。後半の言葉を読んで、クルーグマン氏の以下の名言を思い出しました。
- ポール・クルーグマン(アメリカ・プリンストン大学教授。2008年、ノーベル経済学賞受賞)「[本書に収めたエッセイの]多くがその時の出来事に応えて書かれたものだが、私はジャーナリストではない。私が時事問題の論議に貢献できるとすれば、それはより長期的な視野でそのニュースを考えることだろう」(三上義一訳『グローバル経済を動かす愚かな人々』早川書房,1999,14頁,「はじめに」。本「ニューズレター」62号(2009年10月)で紹介)。
<組織のマネジメントとリーダー シップのあり方>
- ボブ・ドール(アメリカ・共和党元上院議員・1996年の共和党大統領候補、92歳)「私が現役だった頃は、[共和党の大統領候補者は]支持者を広げようとしていました。レーガン大統領は現実的な保守主義者で、ある政策をめぐって私に『100%を得ることはできないが、70%ならば可能かもしれない』と話したこともあります。人によって考えが異なり、時には妥協をしないと何も得られないと分かっていたのです。しかし、今の政治は妥協が悪いこととされてしまいます」(「朝日新聞」2016年3月27日朝刊、「分断大国 アメリカの選択 時に妥協 両党まとめる大統領が必要」)。二木コメント-大学学長としても、日本社会福祉教育学校連盟会長としても、「妥協をしないと何も得られない」ことが少なくないのですが、「妥協が悪いこと」と批判されることが少なくないので、多いに共感しました。
- 内田樹(思想家・武道家、神戸女学院大学名誉教授)「統治者が政策の選択を誤ることは『よくあること』である。成熟した市民は無謬の統治者を求めたりしない。本来なら、『この政策はうまくいったが、こちらは失敗だった』と正確な評価のできる統治者の知性と判断力にこそ国民は信を置くはずなのである。だが、なぜか私たちの国ではそうなっていない」(『AERA』2016年6月13日号:5頁、「『リーマン前』発言の糊塗 自己の無謬性言い立てる執着心」)。二木コメント-私は、いつも、自己が示した方針の「正確な評価」を行うように努めているので、多いに共感しました。ただし、教員の中にも、このことを理解せず、管理者(理事長・学長)の「責任追及」のみを行う「成熟していない」方が少数存在します。
- 金田一秀穂(杏林大学教授、日本語学)「政治の言葉は、約束するとか、宣言するとか、基本的には行為としての言葉です。でも安倍さんは、言葉は『飾り』のようなもので、行為は別にやればいいと思っているんじゃないか。/政治家は、言葉それ自体が行為だと自覚しなくてはいけません。/(中略)安倍さんも勇ましい言葉は多い。『まさに』という言葉をよく使うんですね。スパッ、スパッと言い切っていく。深く考えないから言い切れるんです。考えている人間はなかなか言い切れないんですよ。/その割に失言が目立たないのは、やっぱり言葉が軽いからです」(「朝日新聞」2014年9月4日朝刊、『言葉の力信じない首相」)。二木コメント-2016年6月1日の安倍首相の消費増税率引き上げ延期についての記者会見をテレビで見ていて、この発言を思い出しました。
<その他>
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森原秀樹(元国会議員政策秘書。現在、様々な街づくりの活動に取り組んでいる)「[12年衆院選で原発ゼロ派は激減し]『NO』だけでは勝てない。痛感しました。(中略)反対の先にある経済や社会のあり方で期待を持たせることができず……(中略)人を動かすのは『NO』よりも『YES』。(中略)『NO』では、閉塞感を希望に変えていくことはできない。みんなが気づいていないものに価値を見いだし、『YES』で一緒に育てていこうというメッセージが大事だと思います」(「朝日新聞」2016年5月8日朝刊、「考2016 NOよりYES 希望育てる道を」)。二木コメント-私は、日頃、医療改革を実現するためには、政府の政策を批判するだけでなく、それに代わる改革案を示す必要があると考えているので、多いに共感しました。
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インドの詩人「昨日はただの夢であり/明日は予感にすぎない/…今日と精いっぱい向き合おう」(「毎日新聞」2015年11月11日朝刊、「余録」。ミャンマーのスーチー氏が5年前に自宅軟禁を解かれた後、初めて同紙に寄せた手紙で引用していた詩の一節と紹介)。
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沼野充義(文芸評論家・東京大学教授。新著に『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』)「現代日本も世界もむちゃくちゃになりつつあり、まともな人なら絶望したくなる状況です。しかし、それでも"三分の希望"はきっとある。チェーホフは、晩年になるほどペシミスティック(悲観的)になりますが、100%ではない。暗い真夜中だけど、遠くに灯(ともしび)が見える、遠いけれどちゃんとある、そんな希望を描きました。難病[結核-二木]にかかりながら、これだけのものを書き続けるのは、希望がなければできません」(「しんぶん赤旗日曜版」2016年6月15日号)。二木コメント-私は、「七分の絶望と三分の希望」という言葉が気に入り、沼田氏の『チェーホフ』をチェックしましたが、これはチェーホフ自身の言葉ではなく、沼田氏の解釈・造語のようです(3,351頁)。
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磯田道史(歴史学者、国際日本文化研究センター准教授。映画「殿、利息でござる!」原作者)「時折、したり顔に、『あの人は清濁併せ呑むところがあって、人物が大きかった』などという人がいる。それは、はっきりまちがっていると、わたしは思う。少なくとも、子どもには、違うと教えたい。ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。この国の歴史のなかで、わたしは、そういう大きな人間をたしかに目撃した。その確信をもって、わたしは、この本を書いた」(『無私の日本人』文春文庫、2015(単行本2012)、「あとがき」368-369頁)。二木コメント-篠田氏の定義する「ほんとうに大きな人」は、沼野氏の上記「三分の希望」に重なると直感しました。