『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻163号)』(転載)
二木立
発行日2018年02月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:「モラルハザード」は倫理の欠如か?-医療経済学での用法(「深層を読む・真相を解く」(71)『日本医事新報』2018年1月13日号(4890号):20-21頁)
- 2. 新著『医療経済・政策学の探究』(勁草書房,2018年2月出版予定)はしがき
- 3. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算143回.2017年分その12:8論文) - 4. 私の好きな名言・警句の紹介(その158)-最近知った名言・警句
訂正とお知らせ
1.訂正:「ニューズレター」162号転載論文「『平成29年版厚生労働白書』を複眼的に読む」の5頁第3段落3行目の「負担額を上回っている」は「負担額を下回っている」の誤記です。大変失礼しました。
2.論文「日本のソーシャルワーク・社会福祉領域で常用されている概念・用語に対する私の3つの疑問と意見」が日本ソーシャルワーク教育学校連盟のHPに、1月28日、「特別寄稿論文(個人論文)」として掲載されました(http://www.jaswe.jp/)。
3.インタビュー「薬価制度改革案と費用対効果評価導入をどう読むか」が『国際医薬品情報』1月29日号に掲載されました。
4.論文「在宅での看取りの推進で医療介護費の抑制は可能か?」を『日本医事新報』2月3日号に掲載します(「深層を読む・真相を解く」(72))。
2~4は「ニューズレター」164号に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌等をお読み下さい。
4.李榮成(韓国保健医療研究院長)「文在寅大統領政府の保健医療政策と急性期病院の対応戦略」が『月刊/保険診療』2018年2月号(2月11日発行)に掲載されます。本論文は昨年11月18日に日本福祉大学で開催された「日本福祉大学・延世大学第12回日韓定期シンポジウム」での報告に、その後の情勢の変化を加筆したもので、韓国新政権の医療改革についての日本で最初の報告です。ご一読をお勧めします。
1. 論文:「モラルハザード」は倫理の欠如か?-医療経済学での用法
(「深層を読む・真相を解く」(71)『日本医事新報』2018年1月13日号(4890号):20-21頁)
今号は新年第2号ですから、最新の医療・福祉政策の分析からは離れ、やや「浮世離れ」したことを書きます。それは「モラルハザード」という用語には、(医療)経済学上は、「モラルの欠如」等の道徳的な悪い意味はないことです。
このことを書こうと思った直接のきっかけは、昨年9月の医療経済学会第12回研究大会の複数の一般演題が患者負担の減少による医療受診・医療費の増加を「モラルハザード」と否定的に呼んでいたからです。以下、この用語について私が今までの勉強で得た知見を、学んだプロセスに沿って紹介します。
このことを書こうと思った直接のきっかけは、昨年9月の医療経済学会第12回研究大会の複数の一般演題が患者負担の減少による医療受診・医療費の増加を「モラルハザード」と否定的に呼んでいたからです。以下、この用語について私が今までの勉強で得た知見を、学んだプロセスに沿って紹介します。
医療経済学上は「合理的な行動」
私が「モラルハザード」という用語の(医療)経済学的な意味を最初に学んだのは1985年に読んだFeldstein PJ "Health Care Econoimics"(第2版,1983)においてでした。同書は医療保険の章で、以下のように書いていました。「保険が個人が支払う医療価格を下げるので、個人は全額支払う場合よりも多くの医療を消費する。個人のこの行動が『モラルハザード』と称される。このような条件で医療を消費する個人にとっては、これは完全に合理的な行動である」(126頁)。1993年にアメリカUCLA留学中に読んだPhelps CE "Health Economics"(初版,1992)にも以下のように書かれていました。「モラルハザードはモラルとは無関係で、予期可能なため危険ですらない。モラルハザードは合理的消費者の価格低下に対する予期可能な反応である」(288頁)。私は、この2冊により、「モラルハザード」は「消費者にとって合理的な行動」、「モラルとは無関係」との理解を刷り込まれました。
しかし2003年に、私の信頼する経済学者が「モラルハザード」を否定的に用いた論文を読んで、上記の理解が「古い」かも知れないと思いました。そこで、アメリカの医療経済学の代表的教科書の最新版7冊(上記2冊の最新版を含む。すべて新古典派)の「モラルハザード」の説明を読み比べましたが、結果は基本的に同じでした。例えば、当時、一番人気のあったFolland S,et al "The Economics of Health & Health Care"(第3版,1993)には、「モラルハザードは一般に、保険加入のために医療の純価格が低下した結果、医療需要量が増加することを指す」(272頁)と書かれていました。しかも、版を重ねていたすべての教科書で、説明の変更はありませんでした。一部の教科書では、「情報の経済学」に基づく説明もされていましたが、中立的用法に違いはありません。
保険論と経済学では意味が異なる
2003年の勉強では、新たに次の2つのことを学びました。
1つは、医療保険の「モラルハザード」の定義には、保険論(保険経済論)によるものと、医療経済学によるものとの2種類があり、保険論では、モラルハザードは「道徳的危険(moral hazard)」と「士気的危険(morale hazard)」に2分され、いずれも否定的現象とされていることです。実は、私が検討した7冊の医療経済学教科書のうち、Santerre RE,et al "Health Economics"(第2版,2000)には、保険論的説明と医療経済学的説明とが混在していましたが、私からみると説明は混乱していました。
なお、経済学が「消費者主権」を出発点とするのとは逆に、保険論は「モラルハザード」の説明に限らず、保険会社(供給側)を出発点としています。他の例を挙げると、保険は、他の商品と同じく、消費者が自主的に「選択」して購入するものであるのに、それにより「逆選択」が生じると見なします。
もう1つは、歴史的には、モラルハザードの研究は保険論の分野で始まり、後に医療経済学がその用語を借用したのですが、同じ用語に保険論とは異なった説明を加えたため、用語の混乱が生じたことです(この点は後述)。しかも、日本の新古典派の(医療)経済学研究者の多くは、両者の違いに無自覚で、最初からモラルハザード=悪と思いこんでいる傾向があることが分かりました。
井伊雅子氏の「モラルハザード」=倫理の欠如説
私の調べた範囲で、経済学者で「モラルハザード」をもっともストレート・素朴に悪いことと見なしているのは、井伊雅子氏(横浜国立大学・当時)で、以下のように主張していました(「日本経済新聞」1999年11月24日朝刊「医療と消費者②:2つのモラルハザード」)。
氏は、医療保険制度は「通常の経済分析で期待されるような効率的な資源配分を達成するという市場経済における価格の最も重要な役割を弱める」と断定した上で、「具体的には、2つのモラルハザード(倫理の欠如)が起きている」と主張します。「病気になっても医療費の一部だけを負担すればよいので、病気を予防する注意や努力を怠りがちになること」と、「保険があるために、ちょっとした病気でも医者(それもより高機能な病院)にかかろうとすること」です。そして「前者の例としては、大酒飲みでちっとも健康管理しない人、後者では心配症でちょっとした頭痛でも大病院に駆け込む人が挙げられる」とします。その上で、「このようなモラルハザードを防ぐため」の制度改革として、「現行の出来高払いの医療保険の仕組みを、マネジドケアや民間の保険に移行する案」をあげ、それらの利点(だけ)を述べました。
しかし氏があげた事例は、いずれも極めて例外的であり、しかも「心配症」まで「倫理の欠如」と決めつけるのは乱暴です。田村祐一郎『モラル・ハザードは倫理崩壊か』(千倉書房,2008)も、「モラル・ハザードは道徳とは無関係」の項で、井伊氏の上記論文を引用し、「もしこうした事例がモラルの問題であるとすれば、どの程度の自覚症状で医者に出かけるとモラルに反しないのかが示されねばならないだろう」(89頁)と的確に批判しています。 なお、井伊氏の主張は、同じ1999年の「経済戦略会議答申」が提唱した「日本型マネジドケア」導入論=国民皆保険解体論の変化球と理解できます。
経済学の最新の知見
冒頭に述べた医療経済学会後、友人の医療経済学者・保険研究者から「モラルハザード」関連の最新文献を教えて頂き、読み漁りました。
それらのうち日本語文献で一番参考になったのは
神取道宏『ミクロ経済学の力』(日本評論社,2014)でした。氏はモラルハザードの原因を「情報の経済学」に基づいて、「行動が観察できないという情報の非対称性」と説明しており、それを「倫理の欠如」と訳すことを批判しています(405-406頁)。
英語文献で一番参考になったのは、モラルハザードの歴史的ルーツを探究したDembeとBodenの論文です(Moral hazard.New Solutions 10(3):257-279,2000.ウェブ上に全文公開)。以下、そのポイントを紹介します。
モラルハザードという用語は保険論では1940~1980年代に否定的な意味で用いられていましたが、経済学に初めて持ち込んだのは高名な経済学者のArrowである(1986年の「不確実性と医療の厚生経済学」等)。それに対して、Paulyは1968年に医療保険でのモラルハザードがモラルの問題ではなく「合理的な経済行動」だと指摘した(氏の主張は、上述した医療経済学教科書におけるモラルハザードの説明と一致します)。しかし、Arrow論文は極めて影響力があり、これが転換点となって、本来経済学的には「価値中立的」であった概念が否定的・侮蔑的意味でも用いられるようになり、それ以降、用法の混乱が続いている(260-263頁)。私はこれを読んで、Arrowの「罪は重い」と感じました。
以上、今回は理屈っぽい議論になりましたが、読者が「モラルハザード」を「倫理の欠如」、「無駄遣い」、「制度の悪用」等の意味で安易に用いないことを期待します。
2.新著『医療経済・政策学の探究』はしがき
(勁草書房,2018年2月10発行、5000円+税)
本書は私が日本福祉大学在職中の33年間(1985~2017年度)に行った医療経済・政策学研究(単著23冊と単著に準ずる共著2冊)の総括かつエッセンスです。
私はこの間、医療経済・政策学の視点から、政策的意味合いが明確な実証研究(量的研究)と医療・介護・福祉政策の分析・予測・批判・提言(政策研究)の「二本立」の研究を行ってきました。その際、現実の医療と医療政策の問題点を事実に基づいて明らかにするだけでなく、「研究のための研究」ではなく、日本の医療制度・政策の改善に多少なりとも寄与しうる「生きた研究」や提言も行うように努めました。
本書は、序論と第Ⅰ部、第Ⅱ部の3部構成です。
序論「私の医療経済・政策学研究の軌跡」第1節は、各著書のほぼ発行順の「解題」です。ただし、網羅的説明は避け、各著書に収録した論文のうち、学術的価値が高いか、先駆的で歴史的価値が高いと自己評価しているか、私にとって思い出深いもの(実証研究と政策研究の両方)中心に紹介しました。ここでは、一部の論文に含まれていた事実認識と「客観的」将来予測の重要な誤りについても述べました。第2節では、日本医療の将来予測を行うために考案した3つの分析枠組み・概念を紹介します。私は、現在ではこれらは「将来予測」だけでなく、個々の政策を大局的・歴史的視点から把握する「現状分析」でも有効だと判断しています。
第Ⅰ部「テーマ別の主要実証研究」は「自選論文選」です。各著書に収録した実証研究論文のうち、特に学術的価値が高いか先駆的で歴史的意義があり、現在でも読むに値すると自己評価した26論文を以下の6つのテーマ別に、発表順に収録しました:①脳卒中リハビリテーションと地域・在宅ケアの経済分析(3論文)、②人口高齢化と医療費増加(2論文)、③技術進歩と医療費増加(4論文)、④医療提供体制の変貌-病院チェーンから複合体へ(7論文)、⑤医師の所得と勤務形態および医師数と医療費との関係(3論文)、⑥終末期医療費(4論文)、⑦その他(3論文)。
第Ⅱ部には全単著のはしがき・あとがきと目次を収録しました。私は日本福祉大学赴任1年目に出版した最初の単著『医療経済学』(1985年)以来、すべての著書の「はしがき」で、冒頭にその著書の目的・意義を書いた上で、各章のポイント・「売り」を書き、「あとがき」では前著出版以降の自分史・研究史、今後の研究計画・抱負を書くようにしています。そのために、第Ⅱ部を読んで頂ければ、私の研究面での認識の変化・「進化」を理解して頂けます。さらに第Ⅱ部から、序論では触れられなかった論文で読者の個人的興味・関心にかなうものを発見して頂けると思います。
本書が、今後の超高齢・少子社会に対応した、メイドインジャパンの医療経済・政策学研究を発展させる「踏み台」になることを期待しています。
2018年1月 二木 立
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算143回)(2017年分その12:8論文)
※論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○アメリカにおける[2010~2016年の]医療市場集中の趨勢:エビデンスと政策的対応
Fulton BD: Health care market concentration trends in the United States: Evidence and policy responses. Health Affairs 36(9):1530-1538,2017[量的研究]
政策の決定者・分析者は医療の提供者と保険者の市場集中度が高まっていることに懸念を表明しており、その懸念にはそれが医療の費用と質に悪影響を与える可能性が含まれている。大統領経済諮問委員会は最近、 アメリカ経済の多くの部門で市場集中度の推計が欠如していることに懸念を表明した。医療におけるこのギャップを埋めるために、2010~2016年の、病院と医師組織と保険会社の市場集中の趨勢を分析した。この期間に病院と医師組織の集中度は上昇し続けていた。プライマリケア医組織の集中度上昇が一番顕著であり、その主因は病院と医療システム(病院チェーンやIDS等の医療統合組織)がそれらの買収を行ったからである。プライマリケア医のうち病院または医療システム所有組織で働いている者の割合は、2010~2016年に28%から44%に急増した。2016年には、大都市統計圏(MSAs)の90%では病院の集中度が高度であり、65%では専門医組織の、39%ではプライマリケア医の、57%で保険会社の集中度が高度であった。集中度高度は、ハーフィンダール・ハーシュマン・インデックス(各産業に属するすべての企業の市場占有率の2乗和。最小0~最大10,000)が2500以上と定義した。346大都市統計圏の91%では、2016年の集中度の高さと2010年以降のそれの上昇が懸念され、精査が必要と思われる。競争を促進する公共政策-独占禁止法の厳格な運用、参入障壁の引き下げ、競争制限的な行動の抑制等-が必要である。
二木コメント-日本でも、アメリカにおける病院市場における寡占化はよく知られていますが、その波が医師、特にプライマリ医にまでも及んでいることを示した初めての論文と思います。なお、Health Affairs 2017年9月号は「市場集中(market concentration)を特集しており、本論文と次の論文を含めて、8論文を掲載しています。本特集に含まれる「垂直統合についての一医師の見解」(Berenson RA: A physician's perspective on vertical integration. Health Affairs 36(9):1585-1590,2017)は、本「ニューズレター」161号(2017年12月)で紹介済みです。
○[アメリカでは]法人投資家は病院、急性期後医療、ホスピス部門での共同所有を増やしている
Fowler A, et al: Corporate investors increased common ownership in hospitals and postacute care and hospice sectors. Health Affairs 36(9):1547-1555,2018[量的研究]
企業の共同所有は競争に負の影響を与える可能性があるため、独占禁止政策における新しい焦点になっている。歴史的には、医療では病院等は単一組織が所有してきたが、近年は共同所有も増えている。しかし、医療提供システム全体での共同所有の構造や趨勢についてはほとんど知られていない。我々は「メディケア・メディケイド・サービス・センター提供者登録・チェーン・所有システム」調査のデータを用いて、同一地域市場内の急性期医療、急性期後医療、ホスピス各部門の法人投資家共有権を調査した。我々の知る限り、本研究は医療部門での共同所有についての初めての調査である。
その結果、急性期後医療部門またはホスピス部門に共有権を持っている急性期病院の割合は2005年の24.6%から2015年の48.9%へと増加していた。このような変化は、独占禁止、支払い、および規制政策に関して重要な意味がある。
二木コメント-タイトルの"corporate investors"はとりあえず「法人投資家」と訳しましたが、本文を読むと、営利企業と非営利企業の両方を含む法人投資家による、各種医療提供組織の「共同所有」をテコとした実質的「垂直統合」についての初めての調査のようです。
○[アメリカの入院]患者は退院時にスキルド・ナーシングホームのケアの質についてのデータを与えられていない
Tyler DA, et al: Patients are not given quality-of-care data about skilled nursing facilities when discharged from hospitals. Health Affairs 36(8):1385-1391,2017[質的研究(多元的事例研究法)]
病院はオバマケア法で課された規則と誘因により、現在ではメディケア患者の退院後ケアに少なくとも部分的には責任を負うようになっている。しかし、患者がどのように急性期後施設を選択するかについてはほとんど知られていない。多元的事例研究法(mutliple case study approach)を用いて、急性期後ケアを必要とする患者がどのスキルド・ナーシングホーム(以下、ナーシングホーム)を選んでいるか、及びこの意思決定における病院職員の役割について調査した。16病院と25ナーシングホームの職員138人、及び14ナーシングホームの患者98人にインタビュー調査を行った。病院では、ネットワーク開発責任者、医師部門責任者、退院計画担当者とホスピタリスト(病棟専属医)に、ナーシングホームでは施設管理者、入所コーティネーターと看護部長に、インタビューした。
ほとんどの患者は病院職員からナーシングホームのリストのみを受け取ったと答え、病院職員は手持ちのナーシングホームの質についてのデータを患者と共有しなかったと報告した。その理由は、患者の選択についての規則がそれを禁じていると信じていたからである。その結果、現に入手可能な質的データに基づいて選択している患者は稀であった。メディケアの退院計画についての規則を変えればこの問題を改善できうる。さらに、患者選択に係る規則の解釈を少し緩めれば、病院は退院計画のプロセスを柔軟化し、患者に質のよいナーシングホームを紹介できるようにであろう。
二木コメント-従来はほとんど知られていなかったアメリカの病院の「退院計画」の一面を明らかにしていた貴重な研究で、日本でも同種の研究が待たれます。私が一番興味を持ったのは、アメリカでは病院でもナーシングホームでも、職員インタビューの対象にソーシャルワーカーが含まれていないことで、このことはアメリカでは病院の退院計画にソーシャルワーカーがほとんど関与していないことを意味しています。
○価格透明化ツールを提供しても[アメリカ・]カリフォルニア州の公務員と退職者の医療費は減らなかった
Desai S, et al: Offering a price transparency tool did not reduce overall spending among California public employees and retirees. Health Affairs 36(8):1401-1407,2017.[量的研究]
保険者も、雇用主も州政府も医療価格の透明化を奨励し、それによって患者が医療サービスの価格を医療提供者間で比較できるようにしている。しかし、価格透明化ツールにより患者が安価な医療を選ぶか否かのエビデンスはまだ限られており、しかも結果は一致していない。価格透明化ツール(ウェブ上で各医療サービスの医療機関別の価格と自己負担を比較できる)を提供されたカリフォルニアの大規模医療保険(カリフォルニア公務員退職制度。自家保険)加入者の経験を、「ショッピング可能」("shoppable")サービス(臨床検査、医師受診、高度画像診断)に焦点を当てて、報告する。全体としては、ツールの提供は「ショッピング可能」サービス利用と関連していなかった。ツールを提供された被用者のうち、最初の15か月間にそれを利用したのは12%に過ぎず、しかもツールの利用は安価な臨床検査と医師受診と関連していなかった。画像診断の価格に関しては、価格の比較をした患者では、しなかった患者より14%安かった。しかし、高度画像診断を受けた患者のうち、価格の調査をした患者はわずか1%に過ぎなかった。以上の結果は、単に価格透明化ツールを提供するだけでは、医療の価格や費用を減らすことはできないことを示している。
二木コメント-医療サービスの公定価格が無く、医療機関により医療サービス価格がバラバラなアメリカでのみ実施できる、しかし結果は月並みな研究と思います。
○[世界各国の管理医療における]選択的契約と優先提供者への患者の誘導:スコーピングレビュー
Bes RE, et al: Selective contracting and channelling patients to preferred providers: A scoping review. Health Policy 121(5):504-514,2017[文献レビュー]
医療保険が医療提供者と選択的契約を結び、患者を契約提供者に誘導することは、管理競争(managed competition)に基づく医療システムでは決定的に重要である。それは価値に基づく医療提供をもたらすはずだからである。しかし、その結果、医療保険は加入者の医療提供者の選択に介入するという重大な結果をもたらす。本スコーピングレビュー(利用可能な文献の範囲と潜在的な規模の、予備的評価)の目的は、選択的契約について何が知られているのかを、加入者の視点から明らかにすることである。文献検索を行うと共に、専門家に相談して追加の情報や文献を得、最終的に46論文を選んだ。それらの大半はアメリカで行われていたが、それ以外にオランダ(8論文)、サウジアラビア、スイス、ベルギー、ドイツ、イスラエル、中国で行われた研究(合計8か国)も含んでいた。
選択的契約と患者の誘導はいくつかの国で実施されていた。そのほとんどは(正のインセンティブよりは)負の経済的インセンティブを用いて行われており、それがもっとも効果的な戦略でもあった。しかし、加入者は医療保険が導入した医療提供者の制限に極めて否定的であり、その結果、加入者の医療提供者と医療保険の両方に対する満足度が低下するだけでなく、信頼も低下していた。選択は決定的に重要である。というのは、加入者は医療提供者を自分で選択できる時に、医療保険と医療提供者に対する満足度を高めるからである。
二木コメント-医療保険加入者の医療機関選択の自由を制限することにより医療費は抑制できるが、それにより加入者の満足度は大幅に低下するという結果は、アメリカの先行研究と同じですが、①アメリカ以外の国の研究も含んでいること、および②加入者の「満足」に「信頼」という視点を加えていることが新しいと思います。
○高齢者入所施設では規模は問題か?施設定員と質の関係についての文献レビュー
Baldwin R, et al: Does size matter in aged care facilities? A literature review of the relationship between the number of facility beds and quality. Health Care Management Review 42(4):315-327,2017[文献レビュー]
理論は高齢者施設の規模(入居定員)などの構造的要因がサービスの質に影響すると示唆している。最近はこの理論を支持する研究は発表されておらず、その結果、入手できる文献は意思決定者が施設規模についての投資の決定を支援する際に有用な役割を果たせていない。本研究の目的は高齢者施設の規模(定員で測定)とサービスの質の関係についての国際的文献レビューを行い、上記の欠陥を埋めることである。体系的文献レビューにより、上記の関係について報告し、しかも他の論文と比較可能なデータを十分含んでいる30論文を同定した(アメリカの研究23、カナダの研究3、オーストラリア、オランダの研究各2。発表年は1992~2012年)。それらは質の測定方法に基づくと、以下の3群に分けられた-入居者のアウトカムのみを測定、合成的指標によりケアと入居者のアウトカムを測定、規制の遵守に焦点。
全体的にみると、規模は質の要因であり、規模が小さいほど望ましい結果が得られるとの理論仮説は、大枠で支持された。多次元尺度を用いてサービスの質を測定した諸研究は、小規模施設に有利な結果をより明確に示した。規則の遵守を指標にした研究でも同様であった。高齢者ケア施設の規模(定員)がサービスの質に影響するとの理論がレビューした30論文中26論文で支持された。
二木コメント-病院では特定の手術成績等については規模の経済が存在するのと逆に、高齢者ケア施設のサービスについては「規模の不経済」(小さいことは良いことだ)が存在することを示した貴重な文献レビューで、高齢者ケア施設の質研究者必読と思います。ただし、本論文では、施設規模と費用、費用対効果のレビューはされていません。
○[アメリカにおける]営利・非営利ナーシングホームにおける財務実績、従業員のウェルビーイングと利用者のウェルビーイング[の比較]:体系的文献レビュー
Bos A, et al: financial performance, employee well-being, and client well-being in for-profit and not-for-profit nursing homes: A systematic review. Health Care Management Review 42(4):352-368,2017[文献レビュー]
営利ナーシングホームの参入機会を増やすことは、西側社会における拡大するナーシングホーム部門の持続可能な組織についての論争の中心的テーマとなっている。本論文の目的は、過去10年間の体系的文献レビューを行い、アメリカにおけるナーシングホームの開設者の幅広い影響を決定することであり、主なゴールは以下の2つである。①ナーシングホームの開設者と財務実績、従業員のウェルビーイング、利用者のウェルビーイングとの関係についてどんなトピックスが研究されているかを明らかにする。②これらトピックスに関する結論を評価する。5つの探索戦略等に基づいて、最終的に50論文を同定した。得られた知見は、財務実績(利益率、効率)に関連するもの、従業員のウェルビーイング(職員数配置レベル、離職率、仕事満足度、職員給付(給与と職員研修))に関連するもの、利用者のウェルビーイング(ケアの質、入院率、訴訟・苦情)に関連するもの3つに分類し、一般的特性に基づいて分析した。
その結果、営利ナーシングホームは非営利ナーシングホームに比べて、財務実績では優れているが、従業員のウェルビーイングと利用者のウェルビーイングでは劣っていた。ナーシングホームの財務実績の良さは、従業員と利用者のウェルビーイングの悪さと関連していると思われた。
二木コメント-先行文献レビューの結果を再確認していると思います。
○[アメリカの病院における]ハイテク対ハイタッチ:入院費用構成の[病院間で]バラツキは非常に大きい
Song PH, et al: High-tech versus high-touch: Components of hospital cost vary wildly. Journal of Healthcare Management 62(3):186-194,2017[量的研究]
メディケア・メディケイド・サービスセンターが2013年に公表した病院の医療費請求・償還データは入院の費用と価格についての全国規模での論争を再燃させた。しかし、入院医療価格の増加要因を理解し費用抑制の戦略を開発するためには、入院サービスを提供するための費用を理解することが重要である。我々は2008~2013年の上記センターの公表データを用いて、「ハイテク資源」(技術/医療機器集約的資源)、「ハイタッチ資源」(労働集約的資源)および「その他」の、総費用に対する割合を計算し、併せてこれら費用の経年的変化を評価した。その結果、外科的サービス(下肢関節置換術)ではハイテク関連投入の割合が高かったが、内科的サービス(敗血症治療)ではハイタッチ関連投入の割合が高かった。サービス総費用の割合は経年的に大きくは変化しなかったが、個別病院単位で見るとハイテク、ハイタッチ、およびその他のサービスの割合は相当ばらついていた。資源投入と疾病による投入のバラツキを理解することは、効果的な費用抑制戦略を開発する第一歩である。
二木コメント-医療サービスの「ハイテク」対「ハイタッチ」の2分類に懐かしさを感じました。この対比が日本で広まったのは、1983年(=35年前)に訳書が出版されたジョン・ネイスビッツの『メガトレンド』(竹村健一訳、三笠書房)で、同書は、今後の医療にはハイ・テクとハイ・タッチの両面が求められていると提起しました。私は代々木病院勤務医時代の最後に書いた論文(エッセイ)「リハビリテーションとボランティア」(『理学療法と作業療法』1985年3月号:143頁)の冒頭でこれを引用し、「ハイ・タッチ医療(心の通い合う医療)突現のためにはボランティアの参加が不可欠である」と主張し、代々木病院での経験を紹介しました(拙論をご希望の方にはPDFファイルをお送りするので、ご連絡下さい)。ただし、本論文は「スケッチ論文」です。
4.私の好きな名言・警句の紹介(その158)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- 松本零士(漫画家。2018年1月に80歳になるが、「銀河鉄道999」の続編の開始に向けて準備を進めるなど、創作意欲は衰えない)「漫画を描くのは、読者に読んでもらうためです。自分が何を描きたいか。信念や目的意識をはっきりさせなければ、読者には伝わりません。伝わらないと言うことは、読者の共感を得ることができず、読んでもらえないということになります。長く続けるには、信念を持って描くことが大事です」(『週刊エコノミスト』2018年1月9日号:83頁、「ワイドインタビュー問答有用(676)」)。二木コメント-この心構え・覚悟は、研究にもそのまま通じると思います。ただし、私の経験では、特に社会福祉領域では、自己の「信念」(価値判断)の表明に急で、記述・論理展開が粗雑なため、読者には伝わらない書籍・論文も少なくありません。
- さんきゅーたつお(日本初の学者芸人、早稲田大学大学院後期課程修了)「研究者たちは、主観の頼りなさをだれよりも知っているので、いろいろなことがわかっていくなかで、『あ、この判断やっぱり間違いだったわ』と、自説を下ろす準備はいつでもできている。真の学者は、自分のプライドよりも、とにかく『真実』に重きをおく。彼らは『いままで分からなかったこと』が知りたいだけなので、自分の正しさを主張したい、ということはないのである」(『ヘンナ論文』角川文庫,2017(単行本は2015),31-32頁)。二木コメント-私も、主観的にはこのような態度を守ってきたツモリです。ただし、私の経験では、特に社会科学分野では、いくら批判を受けても、「自分の正しさ」に拘泥し、自説を変えない研究者も少なくありません。リチャード・セイラー『行動経済学の逆襲』(早川書房,2016)には、行動経済学者の膨大な実証研究により「効率的市場仮説」を否定するエビデンス(アノマリー)がいくら示されても、その仮説に固執するアメリカ経済学界の権威たち(新古典派)の姿が生々しく描かれています。
- 新家義貴(しんけ・よしき。第一生命経済研究所主席エコノミスト、42歳。エコノミストの経済予測を集計するESPフォーキャスト調査の「優秀フォーキャスター」に、2016年度まで9年連続で選ばれた)「自分を優秀だと思ったことはありません。実は、自分が優秀だなどと思っていると、過去の分析に固執する結果を招いてしまい、予測の精度が下がりかねないのです」、「自分の能力の過信は禁物です。先入観を持つことなくデータを分析し、間違った判断をしていたことがわかったら素直に誤りを認めて修正しています。よく言えば謙虚、悪く言えば無節操。それでいいと思います」、「現在を知ることは簡単に思えますが、実はこれは意外に難しいことです。予測の誤りの多くは、現状判断のミスに起因します。将来の兆候は足元で出ていることが多いので、重要なのは幅広くデータを集めることです」、「政策の『べき論』と予測を混同しないことも肝要です。政策が自分の意見と異なる方向に向かいそうな場合でも、見通し自体は客観的に示していく必要があります」(「日本経済新聞」2017年12月25日朝刊、「人間発見:経済予測で勝ち続ける①)。二木コメント-私の「客観的」将来予測の視点と方法と共通しているので、大いに共感しました。新家氏の「将来の兆候は足元で出ている」は、私の好きなドラッカーの「すでに起こった未来」と同じと思います。
- ドラッカー「重要なことは、『すでに起こった未来』(the future that has already happened)を確保することである。すでに起こってしまい、もはやもう戻る事のない変化、しかも重大な影響力をもつことになる変化でありながら、まだ一般には認識されていない変化を知覚し、かつ分析することである」(上田惇生・他訳『すでにおこった未来-変化を読む眼』(ダイヤモンド社,1994,313頁。「ニューズレター」7号(2005年3月)で紹介)。二木コメント-同号と『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)のコラム7(44-46頁)では、「将来予測のスタンス」についての名言をまとめて紹介しました。
- 伊東光晴(理論経済学者、日本の経済学の重鎮。1927年生)「道徳科学としての経済学は、事実に関する正確な知識と人間性、社会関係、その時間的発展に関する深い理解に支えられた直覚にもとづくものでなければならないのである。ケインズは、こうした素質をそなえ、アダム・スミス以来流れるイギリスの経済学-事実を正確に調べ、その核心を摘出する『強烈なリアリズム』の上に立つ『常識の科学』-の伝統を現代化させようとしたのである」(『現代に生きるケインズ-モラル・サイエンスとしての経済理論』岩波新書,2006,47-48頁)。二木コメント-正月休みに12年ぶりに再読したのですが、先生が79歳時に、視野が広く、しかも分析が極めて緻密な書物を出版されていたことに驚嘆しました。この記述を読んで、かつて大いに共感した、先生の次のコメントを思い出しました。
- 伊東光晴「経済学者というのはコモンセンスがなければだめです。異常な、極端な性格の人間は芸術家としては成功するけれど、社会科学者としてはだめです」(河合正弘氏との「対談 デフレに有効な政策はありうるか」『世界』2002年5月号,138頁。本「ニューズレター」10号(2005年6月)で紹介)。
- リチャード・セイラー(シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス教授。行動経済学者、2017年ノーベル経済学賞受賞)「[新古典派-二木]経済学の訓練を受ける学生たちはエコン[ホモエコノミカス(合理的人間モデル)の略]の行動について膨大な洞察をたたき込まれるが、その代償として、人間の性質や社会の相互作用に対する常識的な直感を失う。自分たちはヒューマンが暮らす世界に住んでいるということを忘れてしまうのだ」(遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』早川書房,2016,145頁)。
- 伊東光晴「経済効率の追求について、ケインズは『批判的精神と警戒心と技術的知識を必要とする』と述べている(「自由主義と労働党」『説得論集』。「ケインズ全集」第9巻,311頁[原著の頁。訳書は374頁-二木])。ケインズの考えの中には、批判的精神や警戒心のないたんなる経済的効率の追求は、望ましい社会制度を壊すかもしれない、あるいは同じことであるかもしれないが、経済効率を損なっても望ましい精度を維持した方がよいこともあるという考えがあったにちがいないのであるのである」(『現代に生きるケインズ』37-38頁)。二木コメント-私は「医療効率を考える上での3つの留意点」(①公平への配慮、②公的医療費ではなく社会的資源として把握、③効果を総合的に評価)をあげ、「医療の効率を考える『前提』として、国民・患者の医療を受ける権利を保証する必要がある。(中略)医療以外の分野では、一般に効率と公平との『バランス』が重視されるが、医療の場合には、効率の『前提』として、公平の保証が求められる」と主張しているので、大いに共感しました(『日本の医療費』医学書院,1995,第4章「医療効率と費用効果分析」,175頁。本章は新著『医療経済・政策学の探究』(勁草書房,2018年2月)にも収録)。
- さんきゅーたつお「人の好奇心は衰えない。肉体が衰えても、好奇心、心は衰えない。私の指導教授も、定年後でもずっと研究を続けている。学者はつねに、残り時間との戦いだ」(『もっとヘンな論文』角川書店,2017,253頁(あとがき))。二木コメント-最後の1文以外は、大いに共感しました。最後の「残り時間との戦い」という発想も新鮮でした。ただ、「私は昨年7月に70歳になりましたが、幸い心身とも健康なので、(中略)研究と言論活動および社会参加は少なくとも85歳までは続けようと、ますます前向きに考えて」いるので(新著『医療経済・政策学の探究』勁草書房,2018「あとがき」)、現時点では、残りの人生の「研究計画」を立てる気はありません。
- 岡本重夫(社会福祉研究者。2001年、95歳で死去。『地域福祉論』(1974年)、『社会福祉原論』(1983年。77歳時)等の著書は、現在も読み継がれている)「死んでも仕事は残る」(白澤政和『ケアマネジメントの本質』中央法規,2018,463頁(「あとがき」の最後)。白澤氏の師である岡本氏が、亡くなる数日前、自信に満ち溢れた顔で白澤氏にこう語られたと紹介)。二木コメント-今の私にはとてもこう言い切る自信はありませんが、これからも研究を続けて、死んでも残る仕事をしたいと思います。
<その他>
- 森達夫(映画監督)「主語が複数になると述語が暴走する」(鈴木邦男『<愛国心>に気をつけろ!』岩波ブックレット,2016,21頁。鈴木氏が雑誌で対談したとき、こう言ったと紹介し、次のように解釈)。
- 鈴木邦男(元「一水会」顧問。長年右翼運動を行い、改憲を主張。現在も改憲派だが、「今の右傾化ムードの中で急に改憲するのは危ない」と主張)「主語が『私』だと、みな謙虚に話をするし、自己批判もする。ところが、主語が『我々』になると、自分のことを客観的に見ることができなくなる。『我々』という主語を使うときは、右翼や左翼、宗教、市民運動などの共通項をもっている。たまたま、その場や時間を共有しているだけでは、『我々』とは言わない」(上掲書,21頁)。二木コメント-少し次元は異なりますが、私も学部・大学院講義の感想レポートで、学生・院生に「自分個人の意見を、具体的に書く。『私たち』、『皆』は禁句」と指示しているので、大いに共感しました。私の経験でも、「私たち」ではなく「私」と書かせることにより、無責任な意見は激減しました。
- 村本大輔(お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」のボケ担当。テレビ番組で、原発や沖縄の基地問題、日米安保などをネタに、今の日本の政治を痛烈に風刺)「心に残るのは、沖縄や熊本の人たちの『(私たちを)忘れないで』という言葉」、「空気のようにスルーされないように、発言しなければならない。(中略)抑圧された息苦しい、我慢しているところに、でっかい穴を空けて風を通しやすくするのがお笑いの仕事だと思っている」(「中日新聞」2017年12月27日朝刊、インタビュー)。