『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻188号)』(転載)
二木立
発行日2020年03月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
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1. 論文:地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」を複眼的に読む
(「二木教授の医療時評」(177) 『文化連情報』2020年3月号(504号):18-22頁) - 2. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算168回:2019年分その12:8論文)
- 3. 私の好きな名言・警句の紹介(その183)-最近知った名言・警句
- 番外:「医療・福祉研究塾(二木ゼミ)」2020年度のご案内
お知らせ
1.論文「地域包括ケアがネットワークであることに関わって留意すべことは何か?-多職種連携を中心に」を『日本医事新報』2020年3月7日号に掲載します。本論文は、本「ニューズレター」189号(2020年4月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。
2.特別対談「KAIGO次世代へ贈るメッセージ」(私×湖山泰成氏(湖山医療福祉グループ代表))を『月刊介護保険』2020年3月号(289号。3月1日発行)に掲載します。
1. 論文:地域共生社会推進検討会「最終とりまとめ」を複眼的に読む
(「二木教授の医療時評(177)『文化連情報』2020年3月号(504号):18-22頁)
はじめに
厚生労働省の「地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会」(地域共生社会推進検討会。座長・宮本太郎中央大学法学部教授)は、昨年12月26日に「最終とりまとめ」を公表しました。厚生労働省は、「最終とりまとめ」を踏まえて、本年の通常国会に社会福祉法改正案を提出する予定と報じられています。そのため、「最終とりまとめ」は、今後の「福祉の政策領域における地域共生社会の在り方」を考える上での必読文献と言えます(「福祉の政策領域」という限定表現を用いる理由は本文で述べます)。
本稿では、同検討会の「中間とりまとめ」(昨年7月公表)と「最終とりまとめ(素案)」(昨年11月公表)、および「地域力強化検討会最終とりまとめ」(2017年9月公表)との異同にも触れながら、「最終とりまとめ」の内容を複眼的に評価します。
私は、「最終とりまとめ」が政府・厚生労働省関係の文書として初めて地域共生社会の理念と個別施策との関係を明示したことを高く評価するとともに、それが提起した「福祉政策の新たなアプローチ」と「3つの支援」事業も、必要な予算措置がとられれば、福祉施策の革新につながると期待しています。他面、この事業を担う「専門職」として、ソーシャルワーカーにまったく触れていないことには強い疑問を持っています。
「地域共生社会の理念と射程」を明記
「最終とりまとめ」は次の5部構成・全31頁です。Ⅰ 地域共生社会の理念と検討の経緯、Ⅱ 福祉政策の新たなアプローチ、Ⅲ 市町村における包括的な支援体制の整備の在り方、Ⅳ 市町村における包括的な支援体制の整備促進のための基盤、Ⅴ 終わりに。以下、順に検討します。
私は「最終とりまとめ」でもっとも注目すべきことは、Ⅰの1「地域共生社会の理念とその射程」の項で、政府・厚生労働省関係の文書として初めて、地域共生社会の理念と個別施策との関連をていねいかつ明確に示したことだと思います。実は、「中間とりまとめ」にはこの説明がなく、最初から最後まで社会福祉分野の施策のみを論じていたため、地域共生社会は生活困窮者自立支援制度等の個別の社会福祉施策の拡充にすぎないとの誤解を招く危険がありました(1)。
それに対してⅠは、「地域共生社会」の理念として、2016年の閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」の定義を示した上で、次のように述べています。「その射程は、福祉の政策領域だけでなく保健、医療など社会保障領域、さらに成年後見制度等の権利擁護、再犯防止・更生支援、自殺対策など対人支援領域全体にわたる。/加えて、一人ひとりの多様な参加の機会の創出や地域社会の持続という観点に立てば、その射程は、地域創生、まちづくり、住宅、地域自治、環境保全、教育など他の政策領域に広がる」(2-3頁。これらのことはⅤ「終わりに」でも再度強調されています(31頁))。
その上で、「この言葉を用いた政策論議においては、いかなる分野での問題提起をしているのかを明確にしつつ議論を進める必要がある」と述べ、「最終とりまとめ」は「主には福祉の政策領域における地域共生社会の在り方を示す」としています。このように地域共生社会の理念と個別施策との違い・関係が明確にされたことにより、上述した誤解が払拭されると期待できます。
もう1つ評価できることは、「中間とりまとめ」が「多職種連携」についてまったく触れていなかったのに対して、「最終とりまとめ」が、「多職種(の)連携」や「多機関(の)連携」の必要性や重要性に7回も触れていることです(3頁,13頁(4回)、26頁(2回))。
さらに、Ⅲの4「地域づくりに向けた支援」の項では、医療法人やかかりつけ医の事例を示し、「医療の分野においても、地域住民との協働への意識が醸成されている」(20-21頁)と書いていることも評価できます。従来、「中間とりまとめ」を含めて、「地域共生社会」のほとんどの説明が医療に触れていなかっただけに、この記載は重要と思います。
「地域包括ケアシステム」について含みのある表現
残念ながら「最終とりまとめ」には、地域共生社会と地域包括ケアとの関係についてのまとまった記述はありません。しかし、「中間とりまとめ」が地域包括ケアシステムについてまったく触れていなかったのと異なり、「最終とりまとめ」は2個所でそれに言及しています。
私は「高齢者から始まった地域包括ケアシステム」(3頁)という微妙な(または含みのある)表現に注目しました。実は、昨年11月18日に公表された「最終とりまとめ(素案)」では、「高齢者に関する地域包括ケアシステム」という公式的表現が用いられていました(2頁)。「最終とりまとめ」におけるこの変更は、地域包括ケアシステムの根拠法である医療介護総合確保推進法(2014年)で高齢者に限定されている地域包括ケアシステムを「全世代・全対象型」に拡張するための布石とも考えられます。
現に、地域共生社会推進検討会の事務局を務めた吉田昌司社会・援護局地域福祉課生活困窮者自立支援室長・地域共生社会推進室長は、「最終とりまとめ」公表に先立つ昨年11月20-21日に開催された「第20回地方から考える『社会保障フォーラム』セミナー」での講演で、「地域包括ケアの理念は高齢者以外にも普遍化できるもので、全ての人に広げていくことができる」と明言しました(2)。
もう1つ私が注目したことは、地域包括ケアシステムが生活困窮者自立支援制度、地域子ども・子育て支援事業等と、同格で扱われていることです(21頁)。この点は、「中間とりまとめ」や『平成30年版厚生労働白書』では、地域共生社会が生活困窮者自立支援制度を中心とするかのように記述されていたことと違います(1)。
この新しい説明は厚生労働省幹部も共有しているようで、鈴木俊彦事務次官は、1月17日の医療介護福祉政策研究フォーラムの基調講演「これからの医療・介護を語る」で、地域共生社会を支える3つの制度として「地域包括ケア」、「障害者自立支援」、「生活困窮者自立支援」をあげました。
「福祉政策の新たなアプローチ」には賛成だが「手続的給付」には疑問
Ⅱ「福祉政策の新たなアプローチ」は、「保健医療福祉等の専門職による対人支援」の「2つのアプローチ」として、伝統的な「具体的な課題解決を目指すアプローチ」に、「つながり続けることを目指すアプローチ」を加え、後者を「伴走型支援」と呼んでいます(5頁)。そして伴走型支援を「具体化する制度は、本人の暮らし全体を捉え、その人生の時間軸も意識しながら、継続的な関わりを行うための相談支援(手続的給付)を重視した設計となる」と書いています(5頁)。
この手続的給付は「伝統的な社会保障の現金給付や現物給付といった実体的給付につなげることを含め、様々なニーズを抱える個人の自律に向けたプロセス(手続き)への積極的な支援であり、それ自体で固有の価値のあるもの」と定義しています(5頁注)。その上で、「専門職の伴走型支援と住民相互のつながりによるセーフティネットの強化」を提起しています。
私はこのような「新たなアプローチ」、「相談支援」に賛成です。しかし「手続的給付」の意味も、それを新たにいわば第3の給付として「設計」する意義もさっぱり理解できません。そもそも、現在の福祉行政でも、社会保障法学や社会福祉学の領域でもまったく使われていない「手続的給付」という新語を、社会福祉法改正の基礎となる重要文書で唐突に用いるのは、不適切と思います。なお、「手続的給付」に近い給付としては、介護保険制度のケアマネジメント(居宅介護支援給付)がありますが、これは一般には現物給付と位置づけられています。
念のために、「手続的給付」という用語について、私の友人である何人かの福祉行政に携わる地方公務員にメールで意見を聞いたところ、全員から「違和感がある」、「理解できない」、「代書屋に依頼するような軽い印象」等の返事をいただきました。ある方は、「県では事務局として報告や計画の作文に当たっては、一般人に理解困難な用語は使用しないように言われてきました」と書かれていました。
「新たな事業」には賛成だが2つの懸念
Ⅲ「市町村における包括的な支援体制の整備の在り方」は「最終とりまとめ」の肝とも言え、「以下の3つの支援を内容とする、新たな事業の創設を行うべき」としています:①断らない相談支援、②参加支援(社会参加に向けた支援)、③地域づくりに向けた支援(8頁)。
「新たな事業は実施を希望する市町村の手上げに基づき段階的に実施すべきである」としています。①~③とも「財政支援」に触れており、「国等による財政支援は、介護、障害、子ども、生活困窮等の各制度における関連事業に係る補助について、一体的な執行を行うことができる仕組みとすべき」と書いています(23頁)。しかし、財政支援の総額を増やすことには触れていません。
私は、分野横断的な新たな事業を創設し、それらの「一体的な執行を行うことができる仕組みにする」ことには大賛成です。従来の個別制度ごとの「縦割り行政(支援)」の弊害が相当改善できると期待できるからです。
ただし、以下の2つの懸念もあります。第1の懸念は、財政支援の総額を増やさないで、国等の補助金の「一体的な執行」を行うと、ゼロサムゲームの予算争奪戦になり、自治体によっては特定の制度に偏った運用がなされる危険があることです。この危険は昨年12月10日の第9回会議で奥山千鶴子構成員(NPO法人子育てひろば全国連絡協議会理事長)も指摘し、「これまでの制度・実施体制を確保・強化したうえで、共生型社会に向けてプラスの予算を確保して実施してほしい」と訴えています(参考資料1)。
公平のために言えば、Ⅳの最後には、「現行の各経費の性格の維持など国による財政保障にも十分配慮する観点から、シーリング上、現在義務的経費とされているものについては、引き続き義務的経費として整理できるような仕組みとすべきである」と書かれています(23頁)。これは、検討会としての財務省向けの予算獲得アピールと読めます。
第2の懸念は、新たな事業を市町村の手上げ方式で実施することにより、現在でも大きな地域共生社会づくりの市町村格差がさらに拡大することです。私は、制度改正前に、市町村の手上げ方式で「モデル事業」を行うことには賛成ですが、社会福祉法改正で「手上げ方式」を明記し、固定化することには疑問を感じます。
ソーシャルワーカーの記述がない!?
Ⅳ「市町村における包括的な支援体制の整備促進のための基盤」の1は「人材の育成や確保」で、その(1)が「専門職に求められる資質」です。そこで書かれている資質は内容的には、ほとんどソーシャルワーカーの資質と理解できます。例えば、「断らない相談支援においては、本人や家族を包括的に受け止めるためのインテークの方法や、課題を解きほぐすアセスメントの視点、さらに市町村全体でチームによる支援を行うための総合的調整等に関する手法・知識が求められる」と書かれていますが、このような手法・知識を持っているのはソーシャルワーカーです(24頁)。
しかし、驚いたことに、Ⅳでは、社会福祉士や精神保健福祉士という個別資格名だけでなく、「ソーシャルワーカー」という総称もまったく使っていません。「最終とりまとめ」全体も、「専門職」という用語は19回も使っている反面、「ソーシャルワーカー」という表現は一度も使っていません。実は、昨年11月18日に公開された「最終とりまとめ(素案)」は「福祉専門職」という表現を1回使っていたのですが、それも削除されました。
この点は、「地域力強化検討会」(座長・原田正樹日本福祉大学教授)の「最終とりまとめ」が「ソーシャルワークの5つの機能」を明記するなど、ソーシャルワーク、ソーシャルワーカーの役割を強調していたのと対照的です(3)。地域共生社会推進検討会の構成員19人のうち6人は地域力強化検討会の構成員でもあっただけに、この「断絶」・「後退」は気になります。
公平のために言えば、上述したように、5頁には「保健医療福祉等の専門職による対人支援」という表現が1回使われているし、私も「最終とりまとめ」で書かれている様々な「支援」をソーシャルワーカーだけでなく、ケアマネージャー、保健師・看護師等、地域医療・地域福祉の様々な専門職が担っていることはよく知っています。しかし、「福祉の政策領域における地域共生社会」づくり(3頁)、「福祉政策の新たなアプローチ」(30頁)で「福祉の対人支援」(30頁)を中心的に担う人材はソーシャルワーカーであると考えます。
ソーシャルワーカーという職種名を明記するとそれの配置やそのための予算確保が求められるため、市町村関係者が難色を示したのかもしれませんが、深刻な課題を抱えた人々にソーシャルワークの専門的手法・知識がない支援者が関わることには大きな危険があると思います。
なお、日本ソーシャルワーク教育学校連盟(ソ教連。会長・白澤政和国際医療福祉大学教授)は、「最終とりまとめ」公表直後の昨年12月27日に、「専門職による対人支援」・3つの機能をソーシャルワーカーが担うと解釈し、それに沿った社会福祉士や精神保健福祉士のソーシャルワーカー養成を進めるとの「声明」を発表しています(4)。このような機敏で前向きな対応は大変好ましいと思います。
文献
- (1)二木立「『地域共生社会』は理念と社会福祉施策との『二重構造』」『文化連情報』2019年10月号(499号):20-25頁。
- (2)吉田昌司「地域共生社会の実現に向けた包括的な支援体制の整備について(講演要旨)」『社会保険旬報』2020年1月21日号:28-33頁(発言は28頁)。
- (3)二木立『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』勁草書房,2019,50-59頁(「『地域力強化検討会最終とりまとめ』を複眼的に読む-ソーシャルワーカーの役割を中心に」)。
- (4)日本ソーシャルワーク教育学校連盟会長・白澤政和「『地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会 最終とりまとめ』を受けて <声明>」http://www.jaswe.jp/doc/20191227_tiikikyosei_seimei.pdf
[本稿は『日本医事新報』2020年2月1日号(4997号)に掲載した「地域共生社会推進検討会『中間とりまとめ』をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く」(94))に大幅に加筆したものです。]
2. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算168回)(2019年分その12:8論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○[アメリカの]ナーシングホームの質は反景気循環的か?2001-2015年[のデータ]から得られたエビデンス
Huang SS, et al: Is the quality of nursing homes countercyclical? Evidence from 2001 through 2015. The Gerontologist 59(6):1044-1054,2019[量的研究]
本研究の目的は、失業率が高い時にナーシングホームの質は良くなる(反景気循環的)かについて検証し、質と失業率との関係に寄与するメカニズムを探究することである。本研究は2001-2015年のアメリカ本土の民間所有の独立型ナーシングホームについてのデータを用いる。パネルデータを用いた固定効果回帰分析を行い、中心的独立変数は郡レベルの失業率とした。従属変数であるナーシングホームの質は、基準違反(deficiency。州の監査で発見された、連邦政府が定めた170を超える基準の違反数・指数)、及びアウトカムとケアプロセス指標(褥創、身体拘束、極端な体重減少等のある入所者の割合)で測定した。従属変数としては、看護・ケア職員レベル(nursing staff levels)、及び職員退職率と職員定着率(retention rate.1年以上継続勤務した職員の割合)も用いた。
その結果、ナーシングホームの質は失業率が高い時に高かった。高い失業率は少ない基準違反数・指数と関連していた。このような反景気循環的関係は他の質指標でも認められた。失業率が高くなると、看護・ケア職員レベルが高まり、職員退職率が下がり、職員の定着率も改善するというメカニズムを見いだした。不況期の職員レベルの改善はケアの質の改善に寄与すると考えられる。興味深いことに、これらの効果のうち、基準違反と職員レベルに関しては、主に営利的ナーシングホームで見られた。
以上からナーシングホームの質は反景気循環的と言える。失業率が歴史的に低い水準である2018年には、規制当局はナーシングホームの質に十分注意を払うべきである。他方、今回得られた失業率と看護・ケア職員レベル、退職率の関係は、職員を増やし退職率を減らす政策はナーシングホームの質を改善するだけでなく、景気循環に伴うナーシングホームの質の変動を緩やかにする可能性も示唆している。
二木コメント-日本でも、高齢者介護施設の職員採用が景気循環の影響を強く受ける(不況期に改善し、好況期に厳しくなる)ことは経験的によく知られていますが、それがケアの質にも影響を与えることを実証した研究はないと思います。本論文のタイトル(その真意は要旨の最後の1文)は実にウマイ(英語で言えば、eye-catching)と感じました。
○アメリカにおける死亡場所の変化
Cross SH, et al: Changes in the place of death in the United States. NEJM 381(24):2369-2370,2019[短報]
アメリカの疾病管理・予防センターと健康統計全国センターの2003-2017年の自然死データ(外因死は除く)を用いて、死亡場所の変化を分析した。病院死は2003年の905,874人(39.7%)から、2017年の764,424人(29.8%)に減少していた。同じ期間に、ナーシングホームでの死亡も543,817人(23.6%)から、534,714人(20.8%)へと減少していた。それに対して、自宅死亡は543,874人(23.8%)から788,757人(30.7%)へと増加し、ホスピスでの死亡も5395人(0.2%)から212,652人(8.3%)へと激増していた。これらの趨勢はすべての疾患分類で共通していた。なお、ホスピスには、在宅ホスピス、ナーシングホーム内のホスピス、一部のケア付き施設(some assisted-living facilities)内のホスピス(自宅に分類される)を含んでいるが、その内訳は不明である。
若年患者、女性患者、人種的・エスニック的少数派の死亡確率(オッズ比)は、高齢患者、男性患者、白人患者より低かった。疾患分類間で比較すると、ガン患者の自宅およびホスピスでの死亡確率はもっとも高く、ナーシングホームでの死亡確率はもっとも低かった。認知症患者のナーシングホームでの死亡確率はもっとも高く、呼吸器疾患患者の死亡確率は病院でもっとも高かった。脳卒中患者の自宅での死亡確率はもっとも低く、心循環器系疾患患者のホスピスでの死亡確率はもっとも低かった。
自宅が病院に代わって死亡場所の首位になったのは21世紀初頭からである。アメリカの病院死の割合はカナダ(59.9%)、イングランド(46.0%)よりもかなり低い。
二木コメント-対象が自然死に限定されてはいますが、アメリカの死亡場所の推移についての貴重なデータです。自宅には一部のケア付き施設内も含まれるようですが、その点を考慮しても、21世紀に入って自宅死亡割合が急増し続けていることは日本とまったく異なっており、重要な日米比較のテーマと思います。
○ヨーロッパの集中治療室における1999-2016年の終末期治療の変化
Sprung CL, et al: Changes in end-of-life practices in European intensive care units from 1999 to 2016. JAMA 322(17):1692-1704,2019[量的研究]
全世界の集中治療室(ICU)で終末期治療の意思決定が日常的に行われている。本研究の目的は過去16年間の変化を明らかにすることである。「倫理1研究」(1999-2000年)に参加したヨーロッパの37ICUに呼びかけて、参加に応じた14か国の22ICUを対象にして「倫理2研究」を実施した。各施設は2015年9月~2016年10月の14か月間のうち任意の連続6か月間を選んで、死亡するか終末期治療の制限を受けた患者について報告した。患者は死亡まで、または治療制限が決定されてから2か月間追跡し、その結果と1999-2000年の結果を比較した。終末期のアウトカムは、以下の5つに分類した(相互排他的):①延命治療の差し控え(withholding)、②延命治療の停止、③死亡過程の意図的短縮、④心肺蘇生の失敗、⑤脳死)。主要アウトカムは患者が治療制限(上記①~③)を受けたか否かであり、上級集中治療専門医が判定した。
2015-2016年年の調査期間にICUに入院した患者13,625人のうち、1,785人(13.1%)が死亡(脳死)するか、上記治療制限を受けており、本研究の対象となった。1999-2000年調査のコホートと比べると、2015-2016コホートの患者は有意に高齢(年齢の中央値:70歳対67歳)だったが、男女比は同じだった。2015-2016年コホートでは、治療制限(上記①~③)の実施率が有意に高かった(89.7%対68.3%)。①延命治療の差し控えは40.7%から50%に、②延命治療の停止は24.8%から38.8%に増加していた。それに対して、③死亡過程の意図的短縮は2.9%から1.0%に減っていた。④心肺蘇生術の失敗は22.4%から6.2%に、⑤脳死も9.3%から4.1%に激減していた。
以上から、2015-2016年には延命治療の実施率は1999-2000年に比べて低下したと結論づけられる。この結果は、ヨーロッパのICUにおける終末期治療のシフトを示唆している。ただし、本研究はICU入院後治療制限を受けず生存退院した患者を除外しているという限界がある。
二木コメント-ヨーロッパのICUで延命治療実施率が低下していることを明らかにした初めての研究のようです。
○終末期の健康利得に対する市民の選好の謎を解く:[デンマークの一般市民では]終末期のプレミアム[割り増し評価]の支持がないことの更なるエビデンス
Hansen LD, et al: Disentangling public preferences for health gains at end-of-life: Further evidence of no support of an end-of-life premium. Social Science & Medicine 236:112375,2019[量的研究]
多くの国で、終末期患者の健康利得(health gains)を他の患者の健康利得より高く価値づけるべきかについての論争が公に行われている。その結果、終末期のプレミアム(割り増し評価)を正当化できるか否かについてたくさんの選好研究がなされたが、結果はバラバラである(mixed findings)。本研究では、様々なタイプの健康利得について仮想的な二択の選択を問う単純な表明選好法を用いて、個人的・社会的選好を調査した。具体的には、終末期の健康利得-QOLの改善または平均余命の延長-は、予防的治療や一過性の疾患の治療から得られる同程度の健康利得とは異なった価値付けがなされるか否かを調査した。社会的選好は想定された患者の年齢で影響されるかも調べた。2015年にデンマークの一般市民からランダムに選択した2057人を対象にしてウェブ調査を行い、1047人から回答を得た。
全体としては、他の健康利得と比べ終末期の健康利得のプレミアムを支持するエビデンスは、回答者が社会的視点で判断した場合も、個人的視点で判断した場合も得られなかった。終末期の健康プレミアムは余命の延長よりも、QOL改善に対する方が大きかった。最後に、選好は回答者の特性と視点、及び想定された患者の年齢で異なること(heterogeneity)も見い出した。
二木コメント-緻密な分析により、終末期の健康利得のプレミアム(割り増し評価)は必要ないとの結論を導いています。ただし、本論文の冒頭でも書かれているように、このテーマについての類似調査の結果はバラバラです。このテーマに興味のある方は、本「ニューズレター」169号(2018年8月)で紹介した次の文献もお読み下さい:「終末期の健康の価値付け:社会科学文献における表明選好調査の文献レビュー」(Shah KK, et al: Valuing health at the end of life: A review of stated preference studies in the social science literature. Social Science & Medicine 204:39-50,2018)。
○アメリカの医療制度における無駄-費用と節減可能額の推計
Shrank WH, et al: Waste in the US health care system - Estimated costs and potential for savings. JAMA 322(15):1501-1509,2019[量的研究]
アメリカの医療費は世界のどの国よりも多く、GDP対比18%に近づいている。先行研究は医療費の約30%が無駄の可能性があると推計した。過剰な治療を減らし、医療の質を高め、過剰支払いに対処する努力が払われてきたが、アメリカの医療制度にはまだ相当の無駄が残っている可能性がある。本研究の目的はアメリカの医療制度における現在の無駄のレベルを、以前開発された6領域で推計し、各領域ごとの節減可能額の推計を報告することである。
2012年1月から2019年5月に発表された査読付き論文または「灰色文献」("gray" literature)から、旧・米国医学研究所[現・全米医学アカデミー]とBerwick等が同定した以下の6領域の無駄に焦点を当てているものを探索した:医療提供の失敗、医療コーディネーションの失敗、過剰治療または価値の低い医療、価格付けの失敗、不正行為(fraud and abuse)、管理運営の複雑さ。各領域ごとに、浪費関連費用と介入によるそれの削減額の推計を収集し、必要な場合はそれらを2019年価格に変換した後、合計した。
最終的に、54の査読付き論文、政府関連報告書、灰色文献から、71の推計を集めた。それらに基づいて、6領域ごとの全米医療費の無駄(年額)を以下のように推計した:医療提供の失敗1024-1657億ドル、医療コーディネーションの失敗272-782億ドル、過剰治療または価値の低い医療757-1012億ドル、価格付けの失敗2307-2405億ドル、不正行為585-839億ドル、管理運営の複雑さ2656億ドル。各領域ごとの無駄を無くす介入による費用節減額も推計した(略。管理運営の複雑さに焦点を当てた介入についての文献は得られなかった)。無駄の総額(年額)は7600-9350億ドルで、総医療費の約25%に相当した。介入による節減可能額は1910-2820億ドルと推計したが、これは医療費の無駄総額の約25%にとどまった。
二木コメント-アメリカで時々(周期的に?)発表されている医療の無駄推計の最新版です。本研究の新しさは、従来の推計が、推計された医療費の無駄のすべてが削減可能とナイーブに見なしていたのと異なり、介入による削減額は推計された無駄総額の約25%にとどまるとごく控えめに述べていることです。ただし、6領域の無駄のうち最大規模である「管理運営の複雑さ」(無駄総額の約3割)の削減可能性に最初から触れていないことには疑問が残ります。なお、私は、本研究も含めてこの種の研究はすべて「頭の体操」であり、現実の医療政策にはなんの影響も与えていないと思っています。その理由は、「無駄」が生じている歴史的・制度的背景を無視し、それを減らすための具体策を示していないからです。
○[アメリカの]メディケアの年1回の健康審査とがんスクリーニング、[他の専門職への]紹介、[医療]利用及び費用との関連
Ganguli I, et al: Association of Medicare's annual wellness visit with cancer screening, referrals, utilization, and spending. Health Affairs 38(11):1927-1935,2019[量的研究]
メディケアの年1回の健康診査(医療機関を受診して実施)はオバマケアにより2011年に導入され、その目的はエビデンスに基づく予防医療を促進し、高齢者のリスクファクターやそれまで診断されていない疾患を見つけることとされた。それ以降、これの受診は着実に増加しているが、その便益は不明なままである。出来高払いで医療を受けている全米のメディケア加入者の2008-2015年の医療費請求データを用い、健診を受けた加入者と受けなかった加入者を比較した。差の差法を用いて、両群でのガンスクリーニング、日常生活面または神経精神的ケア、救急部門受診、入院、及び総医療費の6つの指標の変化を比較した。
1780万加入者・年のデータを調べた結果、エビデンスに基づくスクリーニング受診のわずかだが(modest)有意な上昇と救急部門受診のわずかの減少を認めた。他の4つの指標は2群で有意差がなかった。しかし、健康診査導入前の趨勢を考慮すると、上述した便益は共に消失した。結論として、年1回の健康診査と医療の改善とのあいだに実質的な関連は認められなかった。
二木コメント-アメリカの高齢者健診でも、多数の指標を用いても、明らかな便益は認められなかったという結果は重いと思います。
○[アメリカで]社会的ケアを医療提供に統合する
Bibbins-Dommingo K: Integrating social care into the delivery of health care. JAMA 322(18):1763-1764,2019[評論]
社会的要因が健康に影響することはよく知られている。最近は、医療提供の文脈で社会的ニーズに取り組むことへの関心が高まっており、それは部分的には良質・高価値の医療を実現するためには、住居、食事、移動等の非医療的要因に注意を向ける必要があるとの認識に駆動されている。健康の決定要因に取り組むことは、個々人レベルだけでなく、社会的ニードの大きな地域における健康格差に取り組む際にも重要である。米国科学工学医学アカデミーの合意形成委員会が最近発表した報告書は、この領域での実践と政策論議のための勧告を行っている。
同報告書は社会的ケア(健康関連の社会的リスク要因や社会的ニーズに取り組む活動と定義)の医療提供への統合を促進するための医療分野での活動として次の5Aを提起している。Awareness(課題への気付き)、Adjustment(診療を社会的障壁に対処するよう調整)、Assistance(社会的リスクを減らすための支援)、alignement(地域レベルでの資源の調整)、Advocacy(政策変更を促進するための活動)。さらに報告書は、次の5つの包括的目標を示し、それを実現するための諸勧告を行っている。①社会的ケアを医療に統合するように医療提供をデザインする。②社会的ケアを医療に統合するための人材確保(ソーシャルワーカー等を活用し、彼らの業務を標準化したうえで、それをメディケア・メディケイドの償還対象に加える)。③医療組織・社会的ケア組織間で相互運用可能なデジタル・インフラを開発する。④医療と社会的ケアの統合のための資金提供を行う。⑤医療における社会的ケア実践の効果と実施状況についての研究・評価に資金を拠出し、実施し、説明する。
二木コメント-米国科学工学医学アカデミーが最近発表した報告書(National Academies of Science, Engineering and Medicine. Integrating Social Care into the Delivery of Health Care: Moving Upstream to Improve Nation's Health. Washington, DC: National Academy Press;2019)の紹介論文で、この報告書は医療の社会的決定要因研究者必読と思います。私は5つの目標のうち、③に注目しました。社会的決定要因に取り組む際、医師・医療職が業務を拡大するのではなく、ソーシャルワーカー等の福祉職を医療分野に統合することを目指すのは、専門職社会であるアメリカに特徴的であり、医師(開業医)等の「社会的処方」に重点を置いているイギリスとは対照的と感じました。
なお、この報告書はNational Academy Pressのホームページから、簡単な登録により、無料でダウンロードできます。この論文の紹介は簡潔すぎるので、報告書のSummary(全17頁)を読むことをお奨めします。上記JAMA論文では触れていませんが、Summaryでは、統合成功の必要条件として、以下の3つをあげています:①適切に訓練された人材の配置、②医療情報技術のイノベーション、③新しい財政モデル。①では特に「多専門職チーム(interprofessional team)の重要性を繰り返し強調しています(4-5頁)。
○医療サービスの空間的平等はどのように定義・測定されるべきか?空間的平等の定義と測定の体系的文献レビュー
Whitehead J, et al: How can the spatial equity of health services be defined and measured? A systematic review of spatial equity definitions and methods. Journal of Health Services Research & Policy 24(4):270-278,2019[文献レビュー]
空間的公平分析は多様な文脈、様々な医療サービスについて行われてきた。しかし、空間的公平の定義と尺度についての明確な合意はない。本文献レビューはその点についての知見をまとめる。2つの電子データベースと6つの雑誌から、空間的公平の定義を示しているか、医療サービスについての空間的公平分析を行っている文献を検索した。文献は、以下の4つのテーマに分類した:(1)分配的公平、(2)ニーズを基準にした分配、(3)アウトカムと原因に焦点化、(4)定義が明示されていない(not provided)。
その結果、75文献が我々の基準に合致した。61論文は空間的公平の定義を示しており、残りの14論文はそれの定義を示さずに医療サービスの空間的公平の分析をしていた。大半の論文(45論文)がニーズを基準にした空間的公平の定義を用いており、測定尺度としてはジニ係数がもっともよく用いられていた(17論文)。分析方法は各論文の空間的公平の定義に応じて異なっていた。ニーズ基盤の定義を用いた研究でもっともよく用いられていた尺度は空間的自己相関(autocorrelation)またはLISA(Local indicators of spatial association)だった(45論文中10論文)。我々の知る限り、これが空間的公平の定義と分析法についての最初の体系的文献レビューであり、定義と測定尺度についての合意のなさが続いていることを確認できた。
二木コメント-空間的公平についての世界初の文献レビューとのことなので、この分野の研究者必読と思います。ただし、得られた結論が、空間的公平についての定義と測定尺 度についての合意がないことの確認(だけ)とは、寂しい限りです。お疲れ様!
3. 私の好きな名言・警句の紹介(その181)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- 中村秀一(医療介護福祉政策研究フォーラム理事長、国際医療福祉大学教授)「私の経験では、大蔵省・財務省は文書を極めて大事にしていた役所である。(中略)それに対し、現業官庁である当方[厚生労働省]は野戦病院のような騒ぎで仕事をしているので、自慢にならないが文書管理はお粗末だった」(『平成の社会保障』社会保険出版社,2019,485-486頁)。二木コメント-私の経験では、残念ながら、厚生労働省の文書管理軽視の傾向は最近強まっていると思います。
- 土井脩(医薬品医療機器レギュトリーサイエンス財団理事長、元厚生省大臣官房審議官(薬務担当・医薬安全担当))。2019年12月29日死去、76歳)「アリバイづくりの制度になってはいけない」(『国際医薬品情報』2020年1月27日号:37頁。岩垂廣同誌編集長が「追悼 土井脩氏の死を悼む」で、土井氏がよく使っていたフレーズとして紹介し、それに続けて、土井氏を以下のように評した。「制度は目的を達成するための手段にすぎないから、その目的を見失わないよう制度に魂を込めた。また、自然科学への畏敬とともに、全ての判断基準に科学に基づいた合理性を求めた」)。二木コメント-安倍内閣の下では、「アリバイづくりの制度」やスローガン倒れの政策が増えている気がします。
- 堤修三(元厚生労働省老健局長)「官僚のMoral(倫理)の最低限の基本は、法治主義にある。(中略)官僚の広義のMoralを担保するものはなんだろうか。それは、法律案作成を含む行政運営における個々の選択・判断に至る経緯についての正確な記録の作成・保存・(一定期間経過後の)公表である。(中略)こうした観点からは、近年の公文書管理や情報公開制度の後退とも思える運用は大きな問題だというほかない」。「現在、官邸官僚などと言われて幅を利かせている人々は徳川幕府で言えば『側用人』のようなものであろう。閣老(閣僚)を凌ぐ権勢を振るうことがあるというところも似ている。内閣官房の官僚には組織のミッション実現に向けたMorale[志気]は不要で、ただ官邸の主に対する個人的忠誠心があればいいのだ。彼らに各省の官僚と同様のMoralとMoraleを期待するのは難しいと言うべきか」(『国際医薬品情報』2020年2月10日号:22-24頁、「官僚のMoralとMorale~極私的官僚論」)。二木コメント-この論文は、安倍内閣・官邸(官僚)による公文書管理のずさんさ(隠蔽・破棄)が官僚のmoralとmoraleの低下を招いている様を活写しており、ご一読をお勧めします。官邸官僚=「側用人」との比喩は秀逸です。
- 苅谷剛彦(オックスフォード大学教授、教育社会学者)「これまでの教育実践の蓄積から帰納することで、政策を立てるという発想=思考の回路は封じられ、それゆえ実態把握(帰納のための知識の基盤)を欠いたままでも、つぎつぎと教育政策の言説を生産できる。(中略)エセ演繹型思考による政策立案が、実態把握の必要性を感知させないことで、エビデンスに基づく政策立案を阻んできたのである」(「エセ演繹型思考による政策決定を駁す 教育改革神話を解体する」『中央公論』2020年2月号:50頁)。二木コメント-私も、日本福祉大学学長時代(2013-2016年度)、大学の生き残りのため、文部科学省の「エセ演繹型思考による政策立案」に対応しなければならなかったので、大変よく分かります。文部科学省に比べると、厚生労働省の医療政策(特に診療報酬改定)では、(相対的には)「エビデンスに基づく政策立案」が行われていると思います。その最大要因は、文部科学省が「一人横綱」である教育行政と異なり、医療行政には日本医師会という日本最大の専門職集団が厚生労働省に対する「拮抗力」として存在し、厚生労働省の独走・独裁を防いでいるからだと思います。
- 森田長太郎(SMBC日興証券チーフ金利ストラテジスト)「米国の経済学者は、事後的に自らの考えの誤りを認めることは意外に躊躇しない。ディベートを重んじる米国流の考え方で、自らの考えを強力に主張し、反論を受けたり新たな事実が出てくれば素直に良しとする面もある。しかし、だからと言って、それが実際に政治的なプロセスを経て政策に反映され採り入れられているという現実が軽視されるべきではないだろう。政策を実行した結果に対して、経済学者もまったく責任を負わないということは容認されないのではないだろうか」(『経済学はどのように世界を歪めたのか-経済ポピュリズムの時代』ダイヤモンド社,2019,233頁)。二木コメント-日本では、ほとんどの経済学者は「事後的に自分の誤りを認める」ことをしないし、自己の考えが採用されて「政策を実行した結果に対して[も]、…まったく責任を負わない」と思います。
- 伊関友伸(城西大学経営学部教授。研究分野は行政学・地方自治論。「わが国で一番自治体病院の統合再編等の事例に関わった研究者であることを自負」)「行政と医療者とのコミュニケーションの断絶を埋めるためには何が必要か。全国の自治体病院の現場に入っての実感からいえることは、なによりもまず、行政が医療者に歩み寄ることが必要である。両者の溝を埋める共通の言語が必要であり、その共通言語は『質の高い医療』である」(『人口減少・地域消滅時代の自治体病院経営改革』ぎょうせい,2019,180頁)。二木コメント-この視点は、自治体レベルだけでなく、国の医療・病院行政でも不可欠と思います。本書を読んで、厚生労働省医政局が昨年9月に発表した「地域医療構想の実現に向けて」で、「地域医療構想の目的」から「質のよい(高い)医療」、「良質の医療」という定番表現を(ウッカリ?)削除したことの重大さを再確認しました(本「ニューズレター」186号の「地域医療構想における病床削減目標の4年間の激変の原因を考える」の「おわりに」参照)。
- ギデオン・ラックマン(フィナンシャル・タイムズ紙チーフ・フォーリン・アフェアーズ・コメンテーター)「大国の支配エリート層が世界での役割や直面する難題をどう見ているのか理解したいと考えている。思うに、こうしたことはおもに報道と分析に関わる作業だ。実のところ、正確な報道には報道対象者の身になって考える能力がある程度必要とされるので、感情的な共感が強すぎると分析作業に支障をきたす」(『イースタニゼーション-台頭するアジア、衰退するアメリカ』日本経済新聞出版社,2019,11頁)。二木コメント-私も「生きた医療政策研究」を目指しており、それには「対象者の身になって考える能力」が不可欠ですが、その際も、対象者に「感情的な共感」を持ちすぎて、分析・批判の筆が鈍らないように心がけています。これを読んで、2006年4月に、デンマークの高齢者福祉の評価についてある研究者と意見交換した際、その方から、「外国を眺める場合は、『可愛さあまって憎さ百倍』に陥ることなく、清濁併せ飲むようなタフな眼差しが必要だと思います。その上で、自分の対象国を愛することも必要だと思います」と言われ、次のように答えたことを思い出しました:「外国を眺める場合」に、「清濁」あわせ飲むようなタフな眼差しが必要」とのご指摘には大賛成ですが、「自分の対象国を愛することも必要」とまで言われることには賛成しかねます。アメリカを例にとればお分かりいただけると思います(本「ニューズレター」145号(2016年8月)でも紹介)。
- 佐藤郁哉(同志社大学商学部教授。専攻は社会調査方法論、組織社会学)「現在の中国では、国家からおろされてくる政策への典型的な対応として『上有政策、下有対策(上に政策あれば下に対策あり)というものがあるそうです。つまり、中央政府などが決定した政策を出し抜いて、現場レベルで骨抜きにしてしまうというやり方です」(『大学改革の迷走』筑摩書房,2019,223頁)。二木コメント-私も日本の医療政策について説明する時に、「上に政策あれば、下に対策あり」という詠み人知らずの名言(?)をよく引用しています(例:『地域包括ケアと地域医療連携』勁草書房,2015,63,71頁)。しかし、同じ言葉が中国語にもあることは今まで知りませんでした。Googleで「上有政策下有対策」で検索したら、724万件もヒットしました!(2020年2月1日)。
- ジャレド・ダイアモンド(米・UCLA教授)「わたしは82歳です。60歳になる直前に『銃・病原菌・鉄』を刊行しました。振り返ってみるともっとも生産的だったのは70歳代でした。もし70歳で強制的に退職されていたら、世界の読者に貢献できる機会を奪われていたでしょう。(中略)誰も働き続けることを義務づけられるべきではありません。でも、まだ働きたいと思っているクリエイティビティが絶頂期を迎えている人を無理に引退させるのは悲劇です」(「人口減少社会を恐れるな」『文藝春秋』2020年2月号:243頁)。二木コメント-私も「もっとも生産的だったのは70歳だった」と言えるように精進します。
- 中村哲(医師・NPO「ペシャワール会」現地代表。2019年12月4日、アフガニスタンで銃撃され死亡、享年73)「あと20年は活動を続ける」(「朝日新聞」2019年12月5日朝刊。佐々木亮氏が「評伝」の最後で、中村医師が周囲にこう語っていたと紹介し、「無念さはいかばかりか」と結ぶ)。二木コメント-私も佐々木氏とまったく同じ気持ちです。
<その他>
- 玉城智恵子(沖縄県知事・玉城デニー氏の妻、保育士)「地球46億年の歴史に比べれば、人の一生なんてわずかな点だよ。好きな仕事を思いっきりやればいいさぁ。あなたも自分の道を選べばいいよ」(『AERA』2019年12月2日号:62頁(山岡淳一郎「(現代の肖像)玉城デニー」)。デニー氏が「真面目に働けば働くほど業界の水が合わず、職を転々」としていた時に、こう励ました)。
- 美輪明宏(歌手、優、演出家、タレント、霊能力者、84歳。2020年2月11日、TV番組「徹子の部屋」での発言。2019年9月、軽い脳梗塞を発症し入院、舞台公演が中止になるが、約2か月後の同年年11月、TBSラジオ「美輪明宏薔薇色の日曜日」で仕事復帰)「感情に負けない」。
番外:「医療・福祉研究塾(二木ゼミ)」2020年度のご案内
○趣旨:私は2018年4月以降、日本福祉大学定年退職後の「社会貢献活動」(プロボノ)として、医療・福祉領域の(実証)研究能力を身につけるか、磨くことを希望する方を対象にして、研究会を月1回開催しており、毎回20人前後が参加しています。
2020年4月から新年度が始まるので、新たに参加希望者を募ります。
○2020年度は下記の日程(すべて土曜)で、午後1時半~4時半、日本福祉大学名古屋キャンパス(JR中央線鶴舞駅下車。名古屋駅から2つ目))南館の502教室等で行います。
4月25日、5月23日、6月20日、7月18日、8月22日、9月19日、
10月17日、11月28日、12月19日、2021年1月9日、2月20日、3月13日。
○方法:毎回3時間、「ゼミ形式」で行います。
*冒頭、参加者全員の「1分間スピーチ」(約20分)と私からの情報提供(約20分)。
*第1部(50分):私の著作をテキストとし、ゼミ生が報告し討論(報告25分+討論25分)。2020年度のテキストは前半が『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)、後半が『20年代初頭の医療政策』(仮題。勁草書房から9月出版予定)です。
*休憩10分。
*第2部(75分):参加者2人が自己の研究計画・学会発表等について報告し討論 (主報告25分+討論25分、副報告15分+討論10分)。テーマは各自が自由に選択。
*レポート枚数:第1部と第2部主報告はA4判(40字×40行)4枚(以内)。第2部副報告は同2枚。
※レポートは毎月の塾の2日前の午後6時までに私にメールで提出。それらを私が添削し、当日そのコピーを配布。
○世話役:日本福祉大学藤井博之教授、保正友子教授と林祐介同朋大学常勤講師。
○参加者の義務:毎回、テキストを事前に読み、質問や意見等を考えておく。
毎回、1分間スピーチ以外に、最低1回発言する。
毎月、「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」に目を通す。
○参加者の努力目標:単にお勉強するだけでなく、自分で研究論文を書くよう努力する。
年間、二分の一以上出席するよう努力する。
年1回は自己の研究計画等について発表するよう努力する。
○参加費(資料代):1回500円。
参加を希望される方は、二木(niki@n-fukushi.ac.jp)まで直接メールでお申し込み下さい。
その際、所属と簡単な自己紹介を書いてください。希望者は原則として全員受け入れます。
参加希望者には折り返し最新の「二木ゼミ通信(君たち勉強しなきゃダメ)」を配信します。
なお、参加は随時受け入れています。