総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻196号)』(転載)

二木立

発行日2020年11月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.論文「『令和2年版厚生労働白書』をどう読むか?」『日本医事新報』2020年11月7日号に掲載します。本「ニューズレター」197号に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読みください
2.論文「疾病の社会的要因重視には大賛成。しかし、日本での『社会的処方』制度化は困難で『多職種連携』推進が現実的だ」「医療と介護2040」(有料ウェブ雑誌)2020年11月4日にアップ予定です。本論文は『日本医事新報』9月5日号掲載論文に加筆し、「介護保険の居宅療養管理指導は『社会的処方』とは言えない」を【補注】として加えました。
(トップページ:https://cksk.org/ 購読案内ページ:https://cksk.org/product/subscription)。


1. 論文:菅義偉新首相の社会保障・医療改革方針を複眼的に予測・評価する

(「二木教授の医療時評(185)」『文化連情報』2020年11月号(511号):20-27頁)

はじめに

菅義偉氏は9月16日の臨時国会で第99代内閣総理大臣に選出されました。少し気が早いですが、本稿では、9月30日までに入手した情報・文献を用いて、菅首相・菅内閣の社会保障・医療改革の大枠を予測・評価します。

結論を先に言えば、菅首相は社会保障・医療改革への関心は極めて低いが、医療分野では「不妊治療の保険適用」と「オンライン診療の恒久化」を一点(二点)突破的に目指しています。これらは、「ポピュリズム医療政策」(権丈善一氏)」と言えますが、菅首相の思惑通りに実現する可能性は低いと思います。

社会保障・医療改革への関心は極めて低い

私は、8月28日に安倍晋三首相が退陣の意向を表明してから、菅氏の著作・論文・発言を集中的に読みましたが、それらに社会保障・医療改革への言及がほとんどないことに驚きました。

例えば、菅氏が『文藝春秋』10月号に発表した「我が政権構想」は社会保障・医療改革に全く言及していません(1)。菅氏の唯一の著書で、民主党政権時代の2012年3月に出版した『政治家の覚悟-官僚を動かせ』には、菅氏の衆議院議員としての業績が網羅的に書かれていましたが、社会保障・医療改革についての言及はありません。厳密に言えば、菅氏が第一次安倍内閣の総務大臣時代に、厚生労働省に代わり「消えた年金問題」に取り組んだことは書いていますが、これは「社会保障改革」とは言えません(2:77-88頁)

大下英治氏(ジャーナリスト)が菅内閣官房長官に直撃してまとめた『内閣官房長官』は菅氏の「伝記」とも言えますが、やはり社会保障・医療改革への言及はほとんどありません(3)
実は、菅氏は第一次安倍内閣時代に総務大臣として、旧「公立病院改革ガイドライン」のとりまとめに着手し(公表は次の増田大臣時)、それは公立病院の民営化・経営効率化を正面から打ち出したのですが、菅氏と大下氏の著書とも、それには全く触れていません【注1】

菅氏が自民党総裁選挙に向けて9月上旬に発表した 「2020年総裁選パンフレット-すべての国民の皆様が輝く日本に」 は6本柱ですが、「少子化に対処し安心の社会保障を」は5番目の柱で序列が低く、しかも、医療にはほとんど触れていません。わずかに「不妊治療の支援拡大」に触れていますが、これは現行制度の「拡大」であり、後述する「不妊治療の保険適用」とは異なります。同じく後述する「オンライン診療の恒久化」にも触れていません。

以上から、菅氏は社会保障・医療改革への関心が極めて低いと判断できます。この点は、9月12日に開かれた日本記者クラブの自民党総裁選挙討論会で、石破茂氏と岸田文雄氏が演説で「社会保障」を柱の一つにしていたのと対照的です。

菅氏の「自助、共助、公助」論の2つの新しさ

上記討論会で、菅氏は自己の「国家像」について、次のように述べました。「目指す社会像は自助、共助、公助、そして絆だ。まず自分でやり、地域や家族が助け合う。その上で政府が守る」。これは、『政治家の覚悟』(2:197頁)にも、「総裁選パンフレット」にも書かれている菅氏の信念と言えます。

「自助、共助、公助」論自体は、自由民主党の伝統的な方針です。しかし、コロナ危機により「公助」の役割とそれへの国民の期待が大きくなっており、菅氏自身も「国難の新型コロナ危機を克服する」ことを新政権の第1の課題にあげていることを考えると、「まず自分でやる」ことを強調する姿勢には違和感を感じます。

実は、安倍内閣は2016年の閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」以降は、国内政策では「再分配」重視に部分的に方向転換していました。安倍内閣の経済政策の変遷を詳細に分析した軽部謙介氏(帝京大学経済学部教授)も、「『新三本の矢』は明らかに再分配に軸足をおいた政策となる。最初の『三本の矢』とは明らかに異なる。献策者である菅原は周囲に『リベラル度は高い。明らかに方向転換だ』と告げた」と述べています(4)

このことを踏まえると、菅氏が、コロナ危機の最中でも、「まず自分でやる」「自助、共助、公助」論を正面から主張することは、今後、公助の強化、「社会保障の機能強化」はしないとの宣言とも読めます。これが菅氏の「自助、共助、公助」論の第1の新しさです。

これは決して私の深読みではありません。菅氏は上述した自民党総裁選討論会で、安倍首相の消費税は10年引き上げないとの発言を「全く私と同じ意見だ。私の間というよりも10年は消費税は考えない」と明言しました。これは、必要な財源を確保しての「公助」の強化、「社会保障の強化」は行わないことを意味します。今後、コロナ危機が収束して、財政再建が政治課題になった場合、菅首相は「増税なき財政再建」を掲げて、社会保障給付費の大幅抑制を目指す可能性があります。

私は、安倍前首相には「ウェット」な側面があるが、菅氏は逆に「ドライ」かつ強権的で「小さな政府」志向が強く、この点では小泉元首相に近いと判断しています。

菅氏の「自助、共助、公助」論にはもう1つの新しさがあります。それは、自助として、個人の自助努力だけでなく、「自治体の自助努力」も強調していることです(2:101頁)。菅氏は「総裁選パンフレット」で「活力ある地方を創る」を掲げましたが、それは菅氏が総務大臣時代に「官僚に大反対されながらも…立ち上げた」「ふるさと納税」に象徴されるように、「頑張る地方を[選択的に-二木]政治主導でサポート」することを意味しています。

「政策の方向性に反対する幹部は異動してもらう」

私が『政治家の覚悟』を読んでもう一つ驚いたというより、恐ろしさを感じたことは、菅氏が「真の『政治主導』を実現」するために、「大臣に与えられた大きな権限」である「『伝家の宝刀』人事権」を行使し、大臣の方針に反対した官僚を更迭したことを得々と述べていたことです(2:133-136頁)。その後に成立した第二次安倍内閣では、2014年に、菅官房長官が主導するかたちで内閣人事局が創設され、キャリア官僚の人事を官邸が掌握する仕組みができあがり、菅氏の権力はゆるぎないものになりました(5:64頁)

しかも、菅氏は、自民党総裁選挙中の9月13日のフジテレビの番組で、「政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は異動してもらう」と明言し、官僚を震え上がらせました。この点は、石破茂、岸田文雄両氏が官邸の人事権行使に抑制的発言をしたのと対照的です。

上述したように、菅首相は、社会保障・医療改革についての独自の青写真は持っていませんが、自己が必要と判断した個別の改革を実現しようとする執念・突破力は非常に強いため、今後、人事権の行使をちらつかせて、官僚に圧力を加え続けると思います。

安倍内閣の医療改革を継続

菅氏が社会保障・医療改革には関心が薄く、しかも総裁選挙中も「安倍政権の政策の継承」を一枚看板にしてきたことを考えると、医療改革に関しては、大枠では安倍内閣の方針を踏襲すると思います。具体的には、安倍内閣以前から、厚生労働省が日本医師会等との協議・合意に基づいて進めてきた地域医療構想や地域包括ケア(システム)、地域共生社会づくりが進められることは確実です(6)

菅内閣の医療改革に関して、内閣が発足当日の9月16日に閣議決定した「基本方針」の第1に掲げている「新型コロナウイルス感染症への対処」には「必要な医療体制を確保する」と書かれていますが、これはコロナ患者を受け入れている医療機関に限定されていると読めます。そのために、日本医師会や病院団体が求めている、コロナ患者の受け入れの有無にかかわらず、経営困難に陥っている医療機関への支援は、現時点では大きな期待は持てません【注2】

不妊治療への保険適用は困難

社会保障改革全体に関しては、従来よりも「少子化」対策が強調されています。その目玉が、「不妊治療への保険適用」です。上記「基本方針」の第3の柱「少子化に対処し安心の社会保障を構築」には、以下のように書かれています。「喫緊の課題である少子化に対処し、誰もが安心できる社会保障制度を構築するため改革に取り組む。そのため、不妊治療への保険適用を実現し、保育サービスの拡充により、待機児童問題を終わらせて、安心して子どもを生み育てられる環境をつくる」。この文章の「保育サービス」以下は、安倍内閣も取り組んできたことで、新味はありません。

私は、菅氏が「総裁選パンフレット」で示した「不妊治療の支援拡大」は既存制度を活用すれば実現可能だと判断しており、個人的にも賛成です。しかし、不妊治療への保険適用はそれとは別物で、短期的には不可能、中期的にも実現しない可能性が大きいと思います。

それには2つの理由があります。第1の理由は、現在行われている不妊治療の手法には医療機関間で相当の違いがあり、保険給付のために不可欠な「標準的な治療」を確定するためには、専門家による科学的な検討が不可欠だからです。現行の「出産育児一時金」(現金給付)は出産した保険加入者1人当たり一律42万円ですが、不妊治療を保険適用し、現物給付化するためには、治療技術の難易度に応じて複数の点数を設定する必要があります。

第2の理由は、現在自由診療・自由料金で行われている不妊治療を保険適用する際は、慣行料金よりも相当低い診療報酬が設定されることが確実で、現在それを実施している医療機関が大幅な収入減に陥るため、産婦人科医・医療機関の合意を得るのは極めて困難だからです。

実は、これには先例があります。具体的には、医療保険審議会は1993年、今後の医療保険改革の「検討項目」に「育児手当金その他の現金給付の在り方」(現金給付から現物給付への転換-二木)を盛り込み、日本医師会の委員もそれをいったんは理解したものの、「日本母性保護医協会、産婦人科医の先生から強い反対があって、断念」しました。この改革を検討した和田勝保険局企画課長(当時)は、「分娩費は地域間、医療機関間の格差が大きい実態があり、現物給付化によって減収となる恐れを強く持たれたことからだったようです」と述懐しています(7)。このことは、自由料金である医療サービスの「保険適用」化の困難さをよく示しています。

菅首相も短期的な保険給付化が困難なことを理解し、「保険適用までの間は助成の増額でしのぐ」と具体的に指示したと報じられています(「朝日新聞」9月24日朝刊。「『一点突破』不妊治療助成も」)。菅首相はこの報道の3日後(9月27日)に開かれ公明党の第13回全国大会での挨拶で、「[不妊治療は]できるだけ早く保険適用ができるようにしたい。それまでの間は、助成金を思い切って拡大したい」と述べました。

オンライン診療の恒久化で攻防

「不妊治療の保険適用」と並ぶ、菅内閣、というより菅首相個人の医療分野の改革のもう1つの目玉は、コロナ危機で時限的・特例的に初診患者にも解禁された「オンライン診療の恒久化」です。これは上記「基本方針」には明記されていませんが、同日の記者会見で、菅首相は「ようやく解禁されたオンライン診療は今後も続けていく必要があります」と明言しました。さらに、内閣が発足した翌日に、田村憲久厚生労働大臣に、「オンライン診療の恒久化」を直接指示しました。

ここで見落としてならないことは、オンライン診療解禁の継続は、医療改革というよりは、デジタル庁の創設を核とする、デジタル行政・デジタル社会化の象徴として、しかも教育のデジタル化とワンセットで位置づけられていることです。

菅氏が「オンライン診療の恒久化」を最初に公式に表明したのは、「日本経済新聞」9月6日朝刊の同紙単独インタビューでしたが、そこでも「オンライン診療・教育は恒久化」とされていました。上記記者会見でも、オンライン診療に続いて、教育のデジタル化があげられています。

実は、再診患者のオンライン診療は2020年4月の診療報酬改定で大幅に拡大されているため、「オンライン診療の恒久化」は同月に、コロナ危機への時限的・特例的に解禁された初診患者のオンライン診療の継続を意味します。しかし、それを無条件で拡大することには様々な疑問が出されており、厚生労働省も8月26日に発出した事務連絡で医療機関に実施要件の遵守を改めて求めると共に、対象患者は生活や就労の拠点が医療機関と同一の2次医療圏内にあることが望ましいとの考えを示しました(「新型コロナウイルス感染症の拡大に際しての電話や情報通信機器を用いた診療等の時限的・特例的な取扱いに関する留意事項等について」。ウェブ上に公開)。

中川俊男日本医師会会長も、菅首相の方針を受けて9月17日の定例記者会見で、「時代とともにICTは急速に進歩している。医療をデジタル化していくことに、全く異論はない」と前置きした上で、関係審議会等で「丁寧な合意が必要」と述べました。さらに、9月24日の定例記者会見で「オンライン診療についての日本医師会の考え方」を発表し、以下の3つの「基本スタンス」を示しました(ウェブ上に公開)。

「●ICT、デジタル技術など技術革新の成果をもって、医療の安全性、有効性、生産性を高める方向を目指す。●オンライン診療については、解決困難な要因によって、医療機関へのアクセスが制限されている場合に、適切にオンライン診療で補完する。●新型コロナウイルス感染症拡大下でのオンライン診療にかかる時限的・特例的対応については、すでに検討会[オンライン診療の適切な実施に関する指針の見直しに関する検討会-二木]で検証が行われつつあるが、あらためてしっかりした検証を行うことを要請する」。

私は上記厚生労働省の「事務連絡」と日本医師会の「考え方」は合理的と思います。実は、日本医師会の「基本的スタンス」の3番目の「しっかりした検証を行うこと」は、安倍内閣が7月に閣議決定した「骨太方針2020」にも、以下のように明記されています。「オンライン診療等の時限的措置の効果や課題等の検証について、受診者を含めた関係者の意見を聞きエビデンスを見える化しつつ、オンライン診療や電子処方箋の発行に要するシステムの普及促進を含め、実施の際の適切なルールを検討する」(31頁)。

今後は、初診患者の「オンライン診療の恒久化」を巡って、官邸、厚生労働省、日本医師会間で激しい攻防が生じると思います。しかし、菅首相の豪腕を持ってしても、それの無条件解禁は困難で、患者の安全を確保するためのさまざまな条件・規制が加えられるのは確実です。田村憲久厚生労働大臣も、就任直後の9月17日の記者クラブの挨拶で、初診からの電話やオンラインによる診療の特例的な時限的阻止の扱いについて「3か月ごとに検討し、その中身において、どうかということ。安全性と有効性をしっかり確認しないといけない」と述べました(「MEDIFAXweb」9月17日)。

また、オンライン診療を本格的に実施するためには相当の設備投資が必要な半面、その診療報酬は対面での診療報酬より低く設定されていることを考えると、それは急速には普及せず、徐々に普及すると思います。

私は、中川会長と同じく、医療のデジタル化・オンライン化を進めることには賛成ですが、菅首相のように、それのごく一部を占めるにすぎない「オンライン診療の恒久化」のみを一点突破的に進めるのではなく、保険証のオンライン資格確認、診療への人工知能(AI)の補助的導入等、多面的なデジタル化を総合的に検討・推進すべきと考えています。なお、欧米の医療事情や医療機器の研究開発に詳しい田村誠氏(AMDD医療技術政策研究所)は、「デジタルヘルスのエビデンス」を詳細に検討し、最新のデジタル機器がどこまで診療に役立つのかそのエビデンスを紹介すると共に、そこから見えてきた今後の課題を示しています(8)。私が調べた範囲では、これが日本語で書かれた唯一の文献レビューで、ご一読をお勧めします。

毎年の薬価引き下げは実施?

次に、菅首相自身は明言していないが、実施される可能性が強い改革として、薬価の引き下げをあげます。実は、菅首相は内閣官房長官時代に、薬価引き下げ・薬価制度改革を陰で仕切ってきたと言われています。具体的には、2016年度のオプジーボ薬価の特例的・連続的大幅引き下げ(当初薬価の四分の一)、2016年12月の四大臣合意「薬価制度の抜本改革に向けた基本方針」、そして2021年度から実施される「毎年薬価改定」(診療報酬改定の中間年でも実施。内容はもちろん「引き下げ」)です。実は2021年度の薬価改定に不可欠な2020年度の薬価調査は、コロナ危機のために調査が困難であることを理由にして、製薬団体だけでなく、日本医師会等も反対しましたが、菅官房長官が譲らず、「骨太方針2020」に盛り込まれました。

私は、菅首相は、携帯電話料金の大幅引き下げ方針に象徴されるように、政治手法として「値下げ」を好むし、薬価改定(引き下げ)には製薬団体以外、強く反対しないため、今後、コロナ患者が激増しない限り、来年度実施される可能性は強いと思います。ただし、それは診療報酬改定と切り離されるため、薬価引き下げで浮いた原資の診療報酬本体への振り替えは全く生じず、医療機関の経営困難が加速する危険があります。

経済産業省の影響力は大幅に低下

最後に、菅内閣では、安倍内閣時代と異なり、経済産業省の影響力が大幅に低下することを指摘します。安倍内閣は「経済産業省(主導)内閣」と称されたように、今井尚哉首相補佐官兼首相秘書官等、経済産業省出身の「官邸官僚」がほとんどあらゆる領域の政策形成を主導しました。野村明弘氏(東洋経済解説部コラムニスト)は、「安倍政権における経産省内閣の特徴」を以下のようにまとめています:「安倍首相の威を借りて、本来は経産省の管轄ではない金融政策、財政政策、社会保障というマクロ政策の中枢分野で、日本銀行、財務省、厚労省のお株を奪い、他の政策分野でも同様の構図で全省庁も揃って従わせた」(9)。医療分野で言えば、予防医療の推進により医療費の抑制とヘルスケア産業の育成・成長産業化の同時達成を目指す政策(私から見ると、ファンタジー)です(10)

しかし、菅内閣発足に伴い、今井氏をはじめとした経済産業省出身の官邸官僚は退陣したため、このような歪んだ政策は相当是正されると思います。他面、経済産業省に代わって、財務省の影響力が回復した場合、コロナ収束後に財政再建が中心的政治課題になり、「増税なき財政再建」の旗印の下、医療分野を中心とした社会保障給付費の大幅抑制が図られる可能性が大きいと思います。

おわりに

以上、現時点で得られる情報を用いて、菅義偉新首相と菅内閣の社会保障・医療改革の大枠を予測・評価してきました。

菅首相には社会保障・医療改革の独自な青写真がない半面(ないからこそ)、医療のごく周辺的改革である「不妊治療の保険適用」と「オンライン診療の恒久化」を一点(二点)突破的に進めようとしています。この手法は、今後の少子・高齢社会で不可欠な社会保障財源の確保や中核的医療改革(地域医療構想や地域包括ケア、医療介護の一体的改革等)の推進から目を逸らすという意味で、「ポピュリズム医療政策」(権丈善一氏)と言えます(11)。中島岳志氏も菅氏を「冷徹なポピュリスト」と評しています(5)。なお、私は本稿執筆のためにたくさんの菅義偉氏評を読みましたが、中島氏の評価が一番的を射ており、ご一読をお勧めします。

しかし、それが菅首相の思惑通りに実現する可能性は低いと私は予測しています。その後は、必要な財源を確保した上で「社会保障の機能強化」を目指すか、それとも「増税なき財政再建」の旗印の下、医療を中心とした社会保障給付費の大幅抑制を断行するかの選択が、政府・政党や国民に求められると思います。そのため、菅首相、菅内閣の社会保障・医療改革は過渡的・短期的に終わる可能性が強いと言えます。

【注1】菅内閣で旧「公立病院改革ガイドライン」が復活することはない

萬田桃氏(医療ジャーナリスト)は、菅首相が第一次安倍内閣時代に総務大臣として、旧「公立病院改革ガイドライン」を仕切ったことを根拠にして、菅内閣が公立病院改革を「グイグイ推し進める」と予測しています(12)

しかし、私はこの可能性は低いと判断しています。その理由は2つあります。1つは、旧「ガイドライン」は自治体病院関係者から「公立病院のことを分かっていない人達が数字の面だけから『公立病院の赤字はけしからん』とまとめた」等の強い批判を浴びた結果、2015年にとりまとめられた「新たな公立病院改革ガイドライン」には、「旧ガイドラインの病院財務に偏りがちだった点を修正し、医療提供の質向上を図り、収益改善を図るという視点が盛り込まれた」ためです(13)

もう1つの理由は、本年突発した新型コロナ感染症患者の受け入れで公立病院が中心的役割を果たした結果、高市早苗総務相が6月25日の「全世代型社会保障検討会議」で、公立病院は新型コロナの感染症患者の受け入れで非常に大きな役割を果たしていると強調し、こうした役割を踏まえて地域医療構想の実現に向けた議論を進める必要があると主張したからです(「キャリアブレインニュースマネジメント」6月25日)。

【注2】 迫井正深新医政局長の見識ある発言

コロナ危機により、ほとんどの医療機関が経営困難に陥っていますが、コロナ患者を受け入れていないが患者の受診控えのために経営困難に陥っている医療機関に対する財政支援について、財務省のガードは堅いと報じられています。全国紙のうち、「日本経済新聞」と「読売新聞」も否定的です。それに対して、迫井正深新医政局長は、就任記者会見で以下のような見識ある発言をしました。「新型コロナ患者の有無にかかわらず、医療機関をつぶさない対応は必要であり、支援策を財政当局と協議しているところだ。/8月28日の新型コロナ対策のパッケージにおいても、医療機関の経営支援は明記されており、予備費の活用を含め対応を講じる」(14)。医系技官のエースの呼び声が高い迫井局長が持ち前の知力と実行力で、財務当局の固い扉をこじ開けることが期待されます。

[本稿は『日本医事新報』2020年10月10日号に掲載した「菅義偉新首相の社会保障・医療改革をどう予測するか?」(「深層を読む・真相を解く」(103))に大幅に加筆したものです。]

文献

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2.インタビュー:日本福祉大学・二木 立名誉教授に聞く
厳しい医療費抑制が病院を疲弊させた
(安倍政権の"功と罪"-長期政権は何をもたらしたのか 第4回医療)

週刊東洋経済HP,2020年9月18日。聞き手:井艸絵美記者

https://premium.toyokeizai.net/articles/-/24751

新型コロナウイルス対策への課題が山積されたまま、安倍前首相は退陣を表面した。
コロナ禍によってわれわれの医療への関心は高まっているが、7年8カ月という長期に渡った安倍政権の医療政策によって日本の医療はどのように変わったのだろうか。また、安倍政権の継承といわれる菅政権に残された課題は何か。
医療経済や医療政策が専門の二木立・日本福祉大学名誉教授に、安倍政権の医療政策を振り返ってもらった。

ステルス作戦で医療費を抑制

――二木さんは、安倍政権が厳しい医療費抑制政策を復活させたと指摘していますが、あまり一般には知られていませんね。

今回、私自身も調べてみて驚いた。アベノミクスの成果かどうかは別にして、第二次安倍政権で国内総生産(GDP)の伸び率は上昇した。だが、国民医療費の伸び率は、直前の民主党政権はもちろん、その前の3代の自民党政権のときよりも低い。医療費を抑制したといわれる小泉純一郎政権の時代でさえ、医療費の対GDP比は微増していた。

経済の伸びに合わせて医療費も大きくなるというのが医療経済学の常識だが、第2次安倍政権でその関係が完全に失われているのは歴史的にも極めて異例なことだ。

安倍政権が診療報酬全体のマイナス改定を断行した2014年度、16年度、18年度の医療費伸び率は改訂前より明らかに低下している。このことは、診療報酬の引き下げがストレートに医療費に影響していることを示している。

――小泉政権と安倍政権の違いは何だったのでしょうか。

小泉政権はいわば劇場的な手法で、日本医師会や自民党の厚労族などを「抵抗勢力」に見立てて敵をつくり、医療分野への市場原理の導入や患者負担の大幅増加を推し進めようとした。

それに対して、安倍政権の医療費抑制政策には小泉政権のような派手さは全くない。ステルス(秘密)作戦のように、4回の診療報酬を全て下げて医療費抑制の実を取った。

――今の新型コロナウイルス禍で、医療機関の経営難が広く報道されています。厳しい医療費抑制政策が影響したのでしょうか。

厳しい医療費抑制政策が2013~19年度の7年間も続き、医療機関、特に民間の急性期病院の利益率は急減した。福祉医療機構のデータによると、急性期病院(福祉機構から融資を受けている民間病院)の経常利益率は小泉政権のときに0%までに低下した。民主党政権で3%台まで持ち直したと思ったら、安倍政権の医療政策で再び下がり16年には0.6%まで低下した。

これではとてもではないが内部留保を蓄積できない。そこに新型コロナの感染拡大が襲った。収入減と出費増によって多くの病院が経営危機に直面している。

――診療報酬引き下げの中身は大半が薬価の引き下げでした。

日本の新薬の薬価は、アメリカ以外の先進国で最も高い。なおかつ日本は、製薬企業のマーケティングのせいなのかはわからないが、医薬品の中で新薬を使用する比率が高い。新薬の薬価を他の先進国並みに引き下げるのは当然で、それにより患者負担も減少する。ただ、薬価の引き下げは安倍政権というよりも、歴代政権で粛々と進められていたことだ。

診療報酬改定では1972年以降、薬価の引き下げ分の医療費を医療機関への支払い分(本体)の引き上げに振り替える慣行が続いていた。その慣例を安倍首相は否定し、2014年以降に振り替えが大幅に圧縮された。その結果、医療機関の経営困難が加速している。

「自助」に頼るのは描いた餅

――医療提供体制の改革では、地域ごとに医療や介護の体制を整備、再編する「地域包括ケアシステム」と「地域医療構想」が推進されました。まず、高齢者が住み慣れた町で医療や介護体制が切れ目なく提供される体制をつくる地域包括ケアシステムは、順調に進められたのでしょうか。

地域包括ケアシステムの実態は、システムではなく地域でのネットワークづくりだとかねてから繰り返し指摘してきた。だが地域差が非常に大きく、全国的にはまだ発展途上だと思う。

まだ普及していない理由の一つは、地域包括ケアを「自助」、「互助」中心に進めることが、ほとんど絵に描いた餅になっているからだ。

――菅義偉首相も「自助・公助・共助」を強調していますね。

少しややこしい話だが、厚労省は「自助・互助・公助・共助」と言っているのに対し、自民党は「自助・共助・公助」という言葉を使っている。一番狭いのは自助、つまり本人。では家族はどうか。家族は他人だから「互助」だと考えるのが厚労省の見解だが、自民党は家族も自助に含める。小泉元首相は家族のことはほとんど触れず個人の責任しか言わなかったが、安倍氏はウェットな人だから、自助に家族も含んでいる。これが自民党の公式見解だ。

自助ならば保険料や税金もかからず、お金を使わなくて済む。しかし、家族の介護機能はものすごく落ちていて地域社会の弱体化も進んでいる。自助に頼るのは限界がある。

――もう一つの地域医療構想は、2025年に必要な病床数を推計し地域ごとの医療機能を再編するというものです。2019年9月に厚労省がこの地域医療構想を促すために、再編や統合を検討すべき公立・公的病院の実名を公表して波紋が広がりました。

地域医療構想も全体としては安倍官邸の影響はほとんどなく、安倍政権以前から厚労省が医師会と協議しながら進めていた。

地域医療構想は本来、地域の医療関係者の自主的な取り組みによって必要な医療機能を確保することが目的だ。医療費抑制を目的にするものではない。私はこのこと(地域医療構想の目的は将来の医療機能確保だという厚労省の見解)を高く評価している。

医療関係者は意外に思うかもしれないが、厚労省の高官や公式文書が地域医療構想の目的を医療費抑制だと述べたことは一度もない。逆に、既存の病院が統合によって病床数が削減されても、医療機能の向上によって統合された病院の医療費は増加する可能性が高い。その例が、県立病院と市立病院が統合した山形県酒田市だ。

医療の実態を知らない官邸や経済財政諮問会議は地域医療構想を医療費抑制の手段と考え、厚労省や医療団体にさまざまな圧力を加え続けている。再編・統合の検討が必要とする公立・公的病院の実名が発表された背景には、こうした圧力があると私は推測している。

――ただ、これは新型コロナウイルスの流行前の話ですね。

コロナによっていい意味でガラっと変わった。これまでの地域医療構想は、効率一辺倒で、このような危機が生じることを全く想定していなかった。しかも現在の診療報酬の下では、一般病院は90~95%の病床利用率を確保しないと黒字化が困難で、余裕のない経営を強いられている。

しかし、コロナ危機に今までのような効率一辺倒の政策で対処することはできないことがわかった。公表された再編を検討すべき公立病院についても仕切り直しになるだろう。公立病院がもし計画通りなくなっていたら、コロナの危機は乗り越えられなかった。私は病院の再編統合には反対していないが、医療費削減を目的にするのはやめるべきだと思う。

コロナ危機は中期的には日本医療への弱い追い風になるが、残念ながら国民の医療費の負担増に対する理解が高まっているとはいえない。今後、どのような改革が行われるかは、余裕のある医療提供体制を実現するための財源確保がどれだけできるかにかかっている。

二度にわたる消費税延期は間違いだ

――二木さんは安倍政権が消費増税を二度延期したことを厳しく批判していますね。

安倍首相が消費税を二度引き上げたことを功績とする報道が多いが、事実は逆だ。増税を二度も延期したことによる4年間の財源消失は約20兆円にも上る。

安倍首相は小泉政権時代からの筋金入りの「上げ潮派」(高い経済成長を実現すれば税収が増え、消費税を引き上げなくても財政再建が自ずと実現できるという考え)だ。ほぼ毎年行われた国政選挙で勝利するために、国民に不人気な消費増税を2度延期して、社会保障の財源の議論を先送りにした。

2012年の「社会保障・税一体改革」についての民主党・自民党・公明党の三党合意では、2015年10月に消費税が10%に引き上げられることになっていた。それが実現したら次に、さらなる少子高齢化に対応した「社会保障の機能強化」のための新しい改革の青写真が検討されるはずだったが、その後(この議論は)完全にストップしている。

消費増税の延期以上に重大だと思っているのは、安倍首相が2019年7月の参議院選挙で、消費税を10%に上げた後の引き上げは「10年間必要ない」と繰り返し発言したことだ。今後人口高齢化により、社会保障給付費が増加するのが確実であるにもかかわらずだ。社会保障の機能強化を目指すならば、それに代わる現実的な財源を示すべきだった。

――その一方で、診療報酬の引き下げは続けていたと。

安部政権の政治手法は、治安・安全保障では「タカ派的」政策を断行するが、それで支持が下がると国民に受けの良い経済政策を前面に出し支持率を回復させた。その一環として、国民の目に見える負担増は先送りするか、小出しにした。一方で国民の目には見えにくい診療報酬引き下げを進めた。

こうした人気取り政策の最大の害悪は、予防医療の推進や終末期医療の見直しによって医療費は抑制できるから、国民負担を増やす必要はないという幻想を国民や政治家に与えたことだ。

2018年頃から、経済産業省と同省系の官邸官僚の影響が強まり、「予防医療・重症化予防」を推進すれば、医療・介護費の抑制とヘルスケア産業の育成の2つが同時に達成されると主張されてきた。しかし、今ではそれは幻想に過ぎない。

小泉元首相に近い菅氏のスタンス

――菅政権の医療政策はどうなりそうでしょうか。

安倍前首相の退任意向会見でも、菅氏の総裁選出馬表明会見でも社会保障についてはまったく触れていない。菅氏は安倍路線の継承を一枚看板としているため、次期政権でも医療政策はほとんど変わらないだろう。

菅氏の「2020年総裁選パンフレット」をみても、「社会保障改革」は6つの柱の5番目で、位置づけが低い。しかも、医療については一言も触れていない。

菅氏は第一次安倍政権で総務大臣を務め、そのときに医療効率化を前面に出した旧「公立病院改革ガイドライン」のとりまとめに着手した。しかし、菅氏の著書『官僚を動かせ 政治家の覚悟』には、このことも含めて医療や社会保障についてはほとんど書かれていない。菅氏のスタンスはこの本の副題「官僚を動かせ」に尽きると思う。

――菅氏はコロナ収束まで特例的に実施しているオンライン診療も恒久化すると発言しています

オンライン診療は、新型コロナの感染拡大でどさくさに紛れて一気に拡大した。節度を持ってオンライン診療を拡大することには決して反対ではないが、一度も診たことのない初診患者を、ゼロから検査も何もせずにオンライン診療するのは無理がある。

医師会も厚労省も大反対するはずで、オンライン診療が拡大するにしても、今と同じ緊急避難的なものがそのまま恒久化される可能性は低いと思う。

菅氏は不妊治療の保険適用についても発言しているが、ごく一部のマイナーな話だ。誰も反対しないだろうが、それが医療改革の柱かと言われると……。まさにポピュリズムだと思う。

――基本的には安倍政権の踏襲ということですね。

菅氏の医療政策としてもう一つ可能性があるのは、薬価の引き下げをさらに徹底してやることだ。菅氏は要所要所で、薬価の引き下げのキーパーソン役を果たしていた。例えば、2016年に高額な薬として話題になったオプジーボは、その後薬価が4分の1にまで下がった。それを主導したのが菅氏だ。2015年には、薬剤費抑制政策として政府は薬価制度改革の基本方針を出したが、それを仕切ったのも菅氏だった。

私が注目しているのは、菅氏の総裁選パンフレットの副題が、「『自助・共助・公助』で信頼される国づくり」であることだ。今回改めて「自助・共助・公助」を強調することは、今後は「社会保障の機能強化」、つまり公助の強化はしないという宣言とも読める。ウェットな安倍首相に対して、菅氏はドライかつ強権的で、小さな政府志向が強い。この点では小泉元首相に近いと思う。

――小泉政権では、保険診療と保険外の自由診療の併用を認める混交診療の解禁など、医療分野への市場原理導入が推進されました。

安倍政権でも規制改革に関わる会議がさまざまな施策を提案したが、そのほとんどがかけ声倒れに終わっている。2014年3月に規制改革会議が混合診療の全面解禁につながる「患者選択療養」を提案すると、医師会・医療団体だけでなく患者団体も反対の声を上げた。

その結果、実態は現行の保険外併用療養とほとんど変わらない患者申出療養制度に落ち着いた。患者申出療養は2016年度からスタートしたが、ほとんど普及していない。

――菅政権でも市場原理導入や医療産業化が再燃する可能性はあるのでしょうか。

一般論としては、自民党政権で市場原理導入や医療産業化の議論が再燃する可能性は常にある。小泉政権時代にそれを主導した竹中平蔵氏(東洋大学教授、元総務相)は、最近またそれを主張している。

ただし、今回のコロナ危機を通して、医療を平等に受けることの重要性を国民は肌感覚で理解したと思う。さらに、今後もコロナや別の新しい感染症の大流行が起こりうることを考えると、医療アクセスの制限につながる厳しい医療費抑制政策や医療分野への本格的な市場原理導入政策が復活する可能性はごく低いのではないか。

感染症に限らず将来起こる可能性があるさまざまな大災害にも迅速に対応できる医療安全保障という視点から、ある程度余裕を持った病床計画が立てられるようになると思う。

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算176回)(2020年分その8:8論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○アメリカのヘルスシステムの全体像
Furukawa MF, et al: Landscape of health systems in the United States. Medical Care Research and Review 77(4):357-366,2020[全国調査]

医療提供施設の垂直統合(ヘルスシステム)が普及しているにもかかわらず、それの同定と記述に焦点化した研究は限られている。最近まで、ヘルスシステムの一覧表はなく、それの構造的多様性についても知られていなかった。このギャップを埋めるため、厚生省公衆衛生局ヘルスケア研究・品質調査機構(AHRQ)は、ヘルスシステムのパフォーマンスの比較研究を支援するデータベースとして「米国ヘルスシステム目録(Compendium)」を作成した。本論文では、本目録を作成するための方法を記述し、アメリカにおける垂直統合の全体像を示す。

ヘルスシステムの定義は様々あるが、本調査では以下のように定義した。「最低限1つの病院と最低限1つの医師グループを含む組織で、包括的ケア(プライマリケアと二次医療を含む)を提供し、それは共同所有または共同マネジメントで病院と結合している」。この定義に基き、病院と急性期後施設を有する組織、及び非所有的契約関係にあるACOや医師・病院組織は明示的には含めておらず、外来機能のない病院チェーンや入院機能のない多診療科グループ診療は除外している。

既存の各種のヘルスシステムの名簿を突合して、上記定義に合うヘルスシステムが2016年には626存在することを確認した。それらは非連邦立急性期病院の70%を占めている。ヘルスシステムは規模、開設者、地理的分布等の構造的要因が多様である。例えば、病院数は平均値6、中央値2、最小1~最大175であり、病床数は平均値965、中央値433、最小433~最大34,532である。開設者は非営利79.7%、公立17.3%、営利3.0%。病院の所在地は1州のみ83.9%、2州のみ9.3%、3州以上6.9%である。急性期病院数と総医師数に基づく上位10ヘルスシステムのうち半数が営利であり、第1位はHCA(175病院34,532床、医師数9162人)であり、4位にカトリックヘルス事業が、10位にカイザー・パーマナンテが入っている(表A1)。今後、この名簿と他のデータベースをリンクさせて、ヘルスシステムと費用、質等との関連を研究することが期待される。

二木コメント-アメリカ厚生省が公式に集計した初めてのヘルスシステム名簿だそうです。日本ではアメリカのヘルスシステムのうち全国展開している超大規模な営利システムが紹介されがちですが、それはむしろ例外的存在であることがよく分かります:病院病床数の中央値は400床強、非営利が8割、1州内の展開が8割強等。ただし、本ヘルスシステムの定義には、病院と急性期後施設(ナーシングホーム等)との垂直統合組織は除外されています。日本でも厚生労働省が同様の名簿を作成することが期待されますが、日本では介護保険関連施設を含む必要があると思います。本論文およびウェブ上に公開されているヘルスシステム一覧表は、アメリカの医療提供体制研究者必見と思います。

○[アメリカの]垂直統合されたヘルスシステムはより大きな価値を提供できるか?:関節置換術モデルの包括的医療モデルの下での病院の事例
Machta RM, et al: Can vertically integrated health systems provide greater value: The case of hospitals under comprehensive care for joint replacement model? Health Services Research 55(4):541-547,2020[量的研究]

本研究の目的は統合ヘルスシステム参加の供給者(以下、システム病院)は、良質で費用効果的な医療提供にインセンティブを与える代替的支払いモデル(包括払い)の下で、システムに参加していない病院(以下、非システム病院)に比べて、パフォーマンスが良いかを明らかにすることである。このモデルが提供する支払いの環境とインセンティブが垂直統合されたヘルスシステムの相対的パフォーマンスに影響を与えると仮定する。この潜在的影響を検証するために、「メディケア関節置換術包括的医療モデル」(CJR。病院の入院医療費だけでなく退院後90日以内のすべてのメディケア給付医療費を含む包括払い)に参加しているシステム病院と非システム病院とを比較する。メディケア・メディケイド・サービスセンターが公開している病院の費用と質のデータを、ヘルスケア研究・品質調査機構(AHRQ)が作成した「2016年米国ヘルスシステム目録」等のデータとリンクさせた。これらのデータは67大都市圏の706病院を含んでおり、病院の87%がシステム病院であった。回帰分析により、下肢(股・膝)関節置換術を実施し、CJRへの参加を義務づけられているシステム病院と非システム病院の2017年の費用・質パフォーマンスデータを推計した。

CJR参加病院のうち、システム病院がそれぞれの地域市場で提供している包括的サービスの患者1人当たり費用は非システム病院より1612ドル(5.8%)低かっ(p=0.01)。システム病院と非システム病院の質の差はごくわずかで、統計的に有意ではなかった。以上から、代替的支払いモデルのインセンティブの下では、垂直統合は費用を抑制しつつ同等の質を提供できる可能性があると結論づけられる

二木コメント-前論文(Furukawa等)が紹介した「2016年米国ヘルスシステム目録」をさっそく用いて、システム病院と非システム病院の費用と質を比較した論文です。本論文も「はじめに」で指摘しているように、従来のほとんどの比較研究では、統合医療システムの病院医療費は非システム病院よりも高いとの結果が得られていましたが、それらの大半は出来高払い医療費で、しかも疾患を限定していませんでした。本研究は、対象を治療の標準化が進んでいる関節置換術の包括払いに限定して、既存研究とは逆の結果を得ています。ただし、この結果が他の疾患の包括払いにも当てはまるか否かは不明です。 

○統合医療を再検討する:統合医療の戦略と概念についての体系的解釈学的文献レビュー
Hughes G, et al: Rethinking integrated care: A systematic hermeneutic review of the literature on integrated care strategies and concepts. The Milbank Quarterly 98(2):446-492,2020[文献レビュー]

統合医療は幅広い概念であり、サービス効率、患者経験(experiences)及びアウトカムを改善することを目指した、臨床的、組織的および政策的変化の結合された組織(set)を記述するのに用いられている。統合医療の成功事例はあるが、首尾一貫し、しかも再現可能な便益のエビデンスはまだ明確ではない。政策・実務担当者に情報を提供するために、統合医療の戦略と概念についての体系的解釈学的文献レビューを行った。創発的探索戦略を用い、統合医療の意味やそれのモデルについて検証した71論文を同定し、以下の4つの作業を行った。①統合医療の戦略と概念の比較、②複数の出典を用いての一般的筋書き(story lines)の探究、③文献の分類の開発、④統合医療の異質的戦略と概念の新しい解釈の創出。

その結果、統合医療についての以下の4つの視点を同定した:患者の視点、組織の戦略と政策、概念モデル、及び理論的・批判的分析。諸戦略を統合医療がいかに宣言し、いかに変化をもたらすと理解されているかについて4分類した。(中略)結論:統合医療が機能するかという問いに対する普遍的な答えを探したが、満足すべき答えは得られなかった。統合医療のモデルは予測力よりも発見的(heuristic)力で価値づけられる必要があり、統合は、特定の文脈及び一般的な分野から出現しつつあると理解すべきである。

二木コメント-47頁もの長大文献レビューですが、記述は思弁的・難解で、しかも結論は統合医療の機能について「普遍的(単一な)答え」は得られていないという、なんとも締まりがないというか、当たり前なものです。私の経験では、実証研究の体系的文献レビューには有用なものが多いが、概念・理論の体系的文献レビューのほとんどは不毛です。

○[アメリカの]メディケアにおける病院の価値に基づく購入プログラムの早期のパフォーマンス-体系的文献レビュー
Hong Y-R, et al: Early performance of hospital value-based purchasing program in Medicare - A systematic review. Medical Care 58(8):734-743,2020[文献レビュー]

オバマケアの下で、メディケア・メディケイド・サービスセンターは入院患者の価値に基づくプログラムを大幅に拡大し、それには病院の価値に基づく購入(HVBP)プログラム(通称、パフォーマンスに基づく支払い)を含んでいる。HVBPプログラムから得られた既存のエビデンスはバラバラである。HVBPプログラムの体系的文献レビューを行い、同プログラムの効果をいかに向上させるかについての議論を活性化する必要がある。本研究の目的は、HVBPプログラムの臨床プロセス、患者満足、アウトカム及び費用に与える影響を評価するか、同プログラムのパフォーマンスに関連する病院特性を評価した研究をレビューし要約することである。Medline等3つの電子データベースを用いて、2013年1月~2019年7月に発表された文献を探索した。

レビューした988文献のうち、33文献が選択基準に合致した。7文献だけがHVBPプログラムの影響を評価していたが、臨床プロセスや患者アウトカム、費用を検討した文献はなかった。他の文献(28)は病院特性とHVBPプログラムとの関連を評価し、セイフティネット病院はいくつかの質、費用指標で成績が悪いことを示唆していた。他の病院特性とパフォーマンスとの関連は明瞭ではなかった。以上の知見は、現行のHVBPプログラムは医療の質や患者アウトカムの意味のある改善をもたらしておらず、セイフティネット病院には悪影響を与えていることを示唆している。もっと確実な病院比較を行うためには、もっと頑健で包括的な調整が必要である。

二木コメント-オバマケアで拡大された「価値に基づくプログラム」は日本でもよく肯定的に紹介されていますが、その中心である「価値に基づく購入プログラム(パフォーマンスに基づく支払い)」は(まだ?)当初の目的を達成できていないようです。

○[アメリカにおける]公立病院の民営化:財務業績への影響
Ramamonjiarivelo Z, et al: The privatization of public hospitals: Its impact on financial performance. Medical Care Research and Review 77(3):249-260,2020

本研究は、エージェンシー理論と所有権理論を用いて、公立病院の民営化が財務業績に与える影響を検討する。用いた標本は、1997~2013年の非連邦立の急性期公立病院で、各年の平均病院数は434である。民営化は病院の開設主体の公立から非営利民間または営利への転換と定義した。財務業績は営業利益率と総利益率(total margin)で測定した。病院単位で、各年固定効果の線形パネル回帰分析を行った。民営化から財務業績の変化までの遅れ(lag)がないモデル(モデル1)、ラグが1年のモデル(モデル2)、同2年のモデル(モデル3)を用いた。

その結果、営利への転換では、営業利益率は民営化しなかった場合に比べ、モデル2で17%高く、モデル3で9%高かった。それに対して民間非営利への転換では営業利益率は、モデル1~3で、それぞれ3,4,6%高かった。総利益率は、営利への転換で7%高く(モデル2)、非営利民間への転換で2%高かった(モデル3)。利益率の上昇が収入増加と費用削減のいずれにより生み出されたかを計算したところ、非営利民間への転換、営利への転換とも、入院患者1人日当たり調整済みの収入と費用の両方の増加によってもたらされたこと、及び営利への転換では収入増加が費用増加より大ききいことが分かった。

二木コメント-公立病院の民営化により利益率は上昇するが、それは費用削減ではなく、収入増加によってもたらされること、およびそれは営利病院への転換でより顕著であることがキレイに示されています。言うまでもありませんが、病院の収入増加は医療費の増加を意味します。

○カナダにおける地域の[所得]不平等と公的に提供される医療からの離反
Isabelle M, et al: Local inequality and departures from publicly provided health care in Canada. Health Economics 29(9):1031-1047,2020[量的研究]

本論文は所得不平等の変化とカナダの公私ミックス型の医療提供制度の資源提供との関連を検証する。特に、所得不平等の拡大-平均的所得水準からの乖離とその拡大-が、公的医療施設が支配的なカナダの医療市場で、公的医療保険から離脱して、私費診療のみを行う診療所(大半は一般医)と私費診療で収入を得ている専門医の両方の存在に影響を与えるかを調査する。カナダでは、保険診療と自由診療との併用(混合診療)は認められていない。それにより得られた知見は、所得不平等の拡大は私費診療の診療所と専門医の両方を相当増やすことについて、合理的なエビデンスを提供する。

全国およびケベック州の全地域(国勢調査地域。人口2500~8000人)の所得不平等度を調査した。カナダでは私費診療のみを行っている診療所の名簿はないので、私費診療の広告等から私費診療のみを行っている診療所を探し、最終的に544診療所を同定した(美容整形等保険給付外の医療を提供している診療所は除く)。その上で、地域の所得不平等度と私費診療を行っている診療所の有無との関連を計算した。その結果、所得不平等度が中央値の地域に比べ、それが上位1%の地域では、私費診療のみを行っている診療所が存在する確率は40%高く、公的制度から離脱した専門医が存在する確率は170%高かった(共にp=0.1)。この関係は公的医療制度の状態が悪い(代理変数:診療待ち時間)地域ではより強かった。

二木コメント-研究の問い(リサーチクエスチョン)自体は興味深いし、データの収集と分析に多大の時間を使っている「労作」です。この背景には、1980年代以降、国民の所得不平等が拡大するのに比例して、公的医療から離脱して私費診療のみを行う診療所・専門医が増えていることに対する執筆者の危機感があります。ただし、私費診療のみを行っている診療所が1か所でもある地域は全国で6.1%(5431地域中336地域)、ケベック州でも14.0%(1363地域中191地域)にすぎません。本論文の要旨は簡単すぎて分かりにくいので、本文から相当補足しました。また、本研究は「横断面調査」であるにもかかわらず、要旨で、「所得不平等の変化(拡大)」に何度も言及しているのは不適切です。

○2階建ての公私病院システム:アイルランドでは誰が(私的)病院に入院するか?
Murphy A, et al: A two-tiered public-private health system: Who stays in (private) hospitals in Ireland? Health Policy 124(7):765-771,2020[量的研究]

アイルランドでは、普遍的で1段階の医療制度を創設する努力がなされているにもかかわらず、不平等な2段階システムが残っている。アイルランド医療の将来の青写真(Slaintecare)は公的病院と私的病院の治療の分離を提案している。本研究は、アイルランドにおける患者の全体的病院利用および私的病院利用のパターンを調査し、それにより提案されている公私病院治療の分離の影響の一部を同定する。EU-SILC(2016)のデータ(n=10,131)を用いて、入院医療と私的病院への入院と関連する諸要因を、プロビットモデルにより推計する。

驚くほどのことではないが、経済的に不活発な人々は入院しやすかった。さらに、65歳以上の人々、慢性疾患を有する人々、医療・GP受診券を持っている人々、民間医療保険に加入している人々は入院しやすかった。初等教育しか受けていない人々は私的病院への入院は少なかった。25歳以上・65歳未満の人々、医療・GP受診券を持っており民間医療保険にも加入している人々、及び民間医療保険のみに加入している人々は私的病院入院の選択が有意に高かった。

二木コメント-論文テーマは魅力的なのですが、執筆者自身が認めているように、結果はまったく「驚くほどのことはない(unsurprisingly)」と言えます。私にとっての驚きは、アイルランドにはアメリカと同様に全国民を対象にした公的医療保障制度がなく、医療受診券(medical card)は低所得者等(人口の33%)にしか提供されていないことです。

○社会政策は健康を改善できるか?[アメリカで行われた]38のランダム化実験[についての61論文]の体系的文献レビューとメタアナリシス
Courtin E, et al: Can social policies improve health? A systematic review and meta-analysis of 38 randomized trials. Milbank Quarterly 98(2):297-371,2020[文献レビュー・メタアナリシス]

社会政策は経済的安寧だけでなく、健康も改善する可能性がある。そのために保健医療政策の専門家は国民の健康を改善し潜在的には保健医療制度の費用を減らすための社会政策を支持している。1960年代以降、アメリカではたくさんの社会政策が実験・評価されている。これらの実験の一部は、健康アウトカムを含んでおり、エビデンスに基づいた政策形成にとって貴重な情報を得る機会を与えている。アメリカで実施された、健康アウトカムを含むすべての既知のランダム化社会実験の体系的文献レビューとメタアナリシスを行った。5880の論文、報告、データソースをレビューし、最終的に、38のランダム化社会実験について報告している61論文を選んだ。 主要知見をナラティブに合成した後、バイアスのリスク分析、検出力分析、および可能な場合はランダム効果メタアナリシスを行った。最後に、多変量回帰分析を行い、どの研究特性が統計的に有意な健康アウトカム改善と関連しているかを決定した。

文献レビューとメタアナリシスの概略は以下の通りである。標本サイズ、介入期間、フォローアップ期間の中央値はそれぞれ、1866人、48か月、54か月。介入領域は、幼少期(early life)・教育(19)、所得補足・維持(9)、雇用(14)、住居・近隣(10)、医療保険(9)の5つである。バイアスのリスクは17研究で低く、11研究で中等度、33研究で高かった。推計したと報告された451のパラメーターのうち、77%は健康アウトカムを識別するためには検出力不足だった。検出力が適切だったパラメーターのうち、49%は統計的に有意な健康改善を示し、44%が健康には影響せず、7%統計的に有意な健康悪化と関連していた。メタアナリシスで、幼少期・教育の介入は喫煙減少と関連していた(オッズ比[OR]=0.92,95%信頼区間[CI]0.86-0.99)。所得維持と医療保険の介入は共に、健康の自己評価の有意な改善と関連していた(それぞれOR=1.20,95%CI 1.06-1.36,OR=1.38,95%CI 1.10-1.73)。それに対して、福祉から労働への介入は健康の自己評価にマイナスの影響を与えていた(OR=0.77,95%CI 0.66-0.90)。メタアナリシスに含まれた住居と近隣への介入は健康アウトカムに影響していなかった。一次の社会経済的アウトカムで肯定的な影響が得られた実験は健康改善の高いオッズ比と関連していた。有意な知見が得られなかった研究の公刊バイアスのエビデンスも得られた。以上から、幼少期・教育、所得および医療保険の介入には健康改善の可能性があると結論づけられる。しかし、今回検討した研究の多くは、健康効果を識別するためには検出力が不足しており、バイアスのリスクが高いか中等度だった。今後の社会政策実験は介入と健康アウトカムとの関連を測定するためによりよくデザインされるきである。

二木コメント-75頁、引用文献125の網羅的長大論文であり、「健康の社会的決定要因」(SDH)研究者必読です。アメリカでは他の高所得国に比べて全国一律の社会保障制度が整備されていないため、このようなランダム化社会実験が多数行えるのだと思います。古い話で恐縮ですが、私は1980年(40年前)にオランダ・ライデン市で開かれた世界医療経済学会に参加して、国民皆保険制度のないアメリカでは、理論的に考えられるほとんどすべての[医療]制度が、いずれかの地域・職域に実際に存在し、更には「計画された実験」まで行われているのを知り、「アメリカが医療(保障)についての"社会実験"の宝庫であることに驚かされ」ました(『医療経済学』医学書院,1980,265頁)。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その191)-最近知った名言・警句

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