総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻39号)』(転載)

二木立

発行日2007年11月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

1.医療経済研究機構での講演

拙新著『医療改革-危機から希望へ』出版を記念して、12月17日(月)4~5時半、医療経済研究機構で、拙新著をベースにした講演を行います。参加御希望の方は、医療経済研究機構企画渉外部担当者までお申し込み下さい(電話:03-3506-8529, Fax:03-3506-8528。e-mail:info@ihep.jp)。本講演は同機構賛助会員が対象ですが、同機構のご好意で、座席に余裕のある範囲で、少人数受け入れていただけるそうです。会費は1,000円です。

2.『週刊東洋経済』11月3日号特集「ニッポンの医者・病院・診療所」(670円)

昨年10月28日号に続いて、深刻化する日本の医療危機・医療崩壊を包括的に検討した、70頁の大特集(42~111頁)で、一読をお薦めします。昨年に続いて、私もインタビューで登場します(「日本の医療政策を問う-医療政策転換にかすかな兆し 2つの閣議決定見直しに焦点」111頁)。このインタビュー記事は、本「ニューズレター」40号に転載予定です。


1.1.拙論:福田政権の医療政策の方向を読む

(「二木教授の医療時評(その49)」『文化連情報』2007年11月号(357号):30-32頁)

誰もが驚いた安倍晋三首相の9月12日の突然の政権投げ出し後、福田康夫首相が9月25日に新政権を発足させました。本稿では、10月10日時点で得られる情報に基づいて、福田政権の医療政策の方向を簡単に予想します。確実に言えることは2つあります。1つは、福田政権が、安倍政権が行った小泉政権時代の医療・福祉費抑制政策の部分的見直しをさらに進めること。もう1つは、すでに安倍政権時代に弱体化していた経済財政諮問会議や規制改革会議の影響力がさらに低下し、新自由主義的医療改革(医療分野への市場原理導入)が政治の表舞台から退場することです。不確実なのは、上記見直しがどこまで進むかです。

高齢者医療費負担増凍結の行方

福田政権は、首相自らが「背水の陣内閣」と命名したように、参議院で野党が多数を占める状況の下で、今後1年以内に行われることがほぼ確実な総選挙での自民党の敗北=野党への転落を予防することを最大の目標としています。そのために、福田政権が安倍政権や小泉政権が進めた「構造改革」路線の軌道修正を図るのは確実です。

医療政策面での軌道修正は、福田氏が、9月16日に自民党総裁選に立候補した際に発表した「政権構想」に現れています。これはわずか1000字のごく短いものでしたが、それの「年金・医療・介護・福祉制度の安心と信頼を確立」の項では、参議院選挙で自民党惨敗の主因の1つとなった年金制度の改革(「国民が納得できる年金制度を構築」)に加えて、「高齢者医療費負担増の凍結を検討」、「医師不足解消のための抜本的措置」、「障害者自立支援法の抜本的見直し」が盛り込まれました。これら3つの見直しは、厚生労働省や財務省にとっても「虚を突かれた」政策だそうで、それだけに自民党の強い危機感が分かります。

ただし、福田政権成立後は、官僚側が巻き返しをはかり、10月1日の首相所信表明演説では、「障害をお持ちの方やお年寄りなど、それぞれの方が置かれている状況に十分配慮しながら、高齢者医療制度のあり方についての検討を含め、きめ細かな対応に努めてまいります」という具体性のない表現に後退しました。しかも、本稿執筆時点では、高齢者医療制度の見直しについては、政府・与党は、75歳以上の一部からの新たな保険料徴収は6カ月、70~74歳の窓口負担の1割から2割への引き上げは1年間、それぞれ凍結する方向で調整に入り、しかもこれらの凍結は法改正ではなく、本年度の補正予算で対応する方向だと報じられています(「朝日新聞」10月6日朝刊)。

これは、2000年4月の介護保険法施行目前の1999年11月に、政府・自民党が、亀井静香政調会長(当時)の「亀の一声」で、衆議院選挙対策として、介護保険料・利用料徴収の一時凍結を柱とする「特別対策(介護保険法の円滑な実施に向けて)」を導入したのと同じ手法で、「目くらましの方法」(「朝日新聞」10月3日「社説」)と言えます。

ただし、8年前とは政治状況がまったく違います。それは言うまでもなく、参議院で民主党を中心とした野党が過半数を占めていることであり、民主党は高齢者の負担増の廃止法案を今国会に提出する方針であり、障害者の1割負担の凍結を盛り込んだ障害者自立支援法改正案はすでに9月28日に参議院に提出済みです。これら法案は参議院で採決されれば可決されることが確実なため、今後、医療・福祉政策で、総選挙をにらんだ「与野党の『弱者配慮』競い合い」(「日本経済新聞」10月7日朝刊)が起きることも期待できます。

その過程で、医療・社会保障政策の呪縛となっている、社会保障費の自然増(国費)を2006年度から5年間毎年2200億円抑制するという小泉政権時代の閣議決定(「骨太の方針2006」)の見直しが議論される可能性もあります。この点で注目すべきなのは、社会保障予算抑制に疑問を呈した舛添要一厚生労働大臣の、10月9日衆議院予算委員会での次の発言です。「社会保障(予算)は財源カットできたが、本当に2200億円(削減)のシーリング(上限枠)を課すということで、国民の満足いく社会保障ができるんだろうか。市場経済原理だけじゃいけない」。ただし、シーリングの見直しには、財務省や「財務省寄り」の政府・与党有力者が強く反対しているため、福田首相が見直しを決断する可能性は低いと思います。

新自由主義的医療改革方針は退場

安倍政権時代に、経済財政諮問会議や規制改革会議の影響力が低下したことは、本「医療時評」でも指摘してきました( 「安倍政権の半年間の医療政策の複眼的評価」本誌350号、「『基本方針2007』と『規制改革推進3か年計画』を読む」本誌353号 )。

実は、経済財政諮問会議は参議院選挙後に、一時巻き返しに成功していました。なぜなら、同会議は8月7日に、社会保障については「国の一般会計ベースで2200億円の抑制を行う」と明記した「平成20年度予算の全体像」を取りまとめ、それを閣議了解に持ち込んだからです。

しかし、上述した福田首相の高齢者医療費負担・障害者福祉政策の見直し方針により、それの実施が事実上不可能になりました。上述した高齢者医療費負担の見直しに必要な税負担(約1500円)を今年度の補正予算のみで対応すれば、2200億円抑制(シーリング)は守られたことになりますが、それは形式論にすぎません。また、理論的には、来年度以降の高齢者医療費負担増と障害者福祉政策の見直しに必要な財源を、他の社会保障費削減(2008年の診療報酬引き下げを含む)により捻出することも可能と言えますが、それは総選挙を前にして政治的に不可能です。

福田政権発足後初めて開かれた10月4日の経済財政諮問会議は、小泉政権時代に官邸主導の構造改革の司令塔的役割を果たしてきた同会議の失速を確認するものとなりました。なぜなら、同日の会議では、「諮問会議でやってきた医療制度改革の流れに逆行する動き」、「補正とはいえ、歳出・歳入一体の枠組み自体の実質的に抜け穴にもなっていく」「高齢者医療費の負担増の凍結の話」(大田弘子大臣に対する記者の質問)に、正面からの反対は出されなかったからです。それどころか、大田大臣は「社会保障は国民の選択」との福田首相の言葉を引いて、経済財政諮問会議が社会保障の「選択肢を提示して、それは諮問会議、民間議員はこう考えるという議論もあるでしょう」、その結果「諮問会議としてある方向に…取りまとめられずに、さらに継続した議論になる場合もあるかと思います」と述べました。

10月4日の会議には、恒例となっている民間議員の文書(「改革の継続と安定した成長のために」)も提出されましたが、それは福田首相の見直し方針を追認した「官僚の作文」にすぎず、とても民間議員が書いたとは思えません。もちろん、医療分野への市場原理の導入方針はまったく含まれていません。私は、かつて「ミスター規制改革」と称された八代尚宏氏を含めた民間議員が、福田政権の見直し方針により戦意を喪失したと推察しています。

これにより、経済財政諮問会議の「トップダウン型の政策決定の舞台から、政策の選択肢を示す場への転換」(「朝日新聞」9月27日朝刊)、および新自由主義的医療改革の政治の表舞台からの退場が確定したと言えます。

ただし、福田首相の「社会保障は国民の選択」発言の真意は、今後社会保障費を増やすためには消費税の引き上げが必要であり、次の総選挙で自民党が勝利した場合には、それが登場することは確実と言えます。

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2.拙論:医療ソーシャルワーカーの国家資格化が不可能な理由

(「二木教授の医療時評(その50)」『文化連情報』2007年11月号(357号):32-37頁)

私は、本年3月に開かれた日本学術会議シンポジウムで「医療制度改革と増大する医療ソーシャルワーカーの役割」について報告したときに、最近の一連の制度改革により、「医療ソーシャルワーカー単独の国家資格化の可能性は、少なくとも『近未来』には、完全に消失した」と述べました(本「医療時評(その40)」本誌350号)。

この「客観的」将来予測に対して、医療ソーシャルワーカー(以下、MSW)の国家資格化を熱望されている複数の有力MSWから、「二木先生は以前はMSWの国家資格化に賛成されていたのに、現在は、それが実現不可能と言われるようになっているのは、なぜですか?」と質問(詰問?)されました。これは、価値判断と「客観的」将来予測を混同した質問です。しかし、学術会議シンポジウムの報告では、時間の制約もあり、後述する過去15年間の変化を踏まえて、私がMSW資格についての価値判断を変えたことには触れなかったため、このような質問が出たのだと思います。今回は、この問題についての、私の現時点での事実認識と価値判断について説明します。

15年前の私の主張-厚生省の医療福祉士案を支持

その前に、私の15年前(1992年)の主張を簡単に紹介します。1990年代前半にMSWの資格制度化についての最後の本格的論争が行われた時、私は論文「医療ソーシャルワーカー資格制度化問題の混迷-このままでは無資格状態が永続!」を発表しました(『90年代の医療と診療報酬』勁草書房,1992,所収)。

この論文で、私は、「MSWへの3つの期待」を述べた上で、「資格制度化への基本的スタンス」として、「現在求められているのは『あるべき資格』ではなく『今できる資格』であり、どんな国家資格でも現在の無資格状態よりは一歩前進 」と明言し、この視点から、旧厚生省の医療福祉士案を大枠で支持しました。

この論文では、合わせてこの医療福祉士案を拒否した日本医療社会事業協会の硬直的方針の誤りや矛盾を包括的に批判しました。例えば、同協会が、「受診・受療援助は、医療と特に密接な関連があるので、医師の指示を受けて行うことが必要である」と明記されている「医療ソーシャルワーカー業務指針」(1989年)を支持しながら、ソーシャルワーカーの行う受診・受療援助は医療行為ではないと強弁する論理矛盾です。

と同時に、私は、「医療専門職種資格制度化の大前提は当事者団体の合意」であるという経験則を踏まえて、「日本医療社会事業協会の[医療福祉士案賛成への]大胆な方針転換がない限り、90年代にはどんな資格制度もできない」と予測しました

15年間に生じた3つの変化ー医療福祉士国家資格は不可能に

私は、現在でも、この予測は大枠では妥当だったと判断しています。ただし、この15年間で、私の予測が外れるか、私が予測していなかったことが3つ生じ、それらにより、医療福祉士の国家資格化は1992年時点よりもさらに困難になった、少なくとも社会福祉士と同列の医療福祉士資格の実現は不可能になった、と判断しています。

第1の変化は、精神保健福祉士(PSW)が国家資格化されたことです。:私は1992年時点では、「PSWのみの資格制度」は実現しないと予測しましたが、1997年末に保健医療分野のうち精神保健分野に限定したソーシャルワーカーの国家資格(精神保健福祉士)が「抜け駆け的」に成立しました。私が「抜け駆け的」というどぎつい表現を敢えて使ったのは、当事者(厚生省、日本医療社会事業協会、日本精神医学ソーシャルワーカー協会)が、保健医療分野のソーシャルワーカーの資格制度化の大前提として認めていた「医療ソーシャルワーカー業務指針」では医療ソーシャルワーカーに精神保健福祉士が含まれており、精神保健福祉士単独の国家資格化はそれと矛盾するからです。

精神保健福祉士単独の国家資格化を推進した団体・人々もこの矛盾は自覚していたようで、精神保健福祉士資格を保健医療分野全体のソーシャルワーカー、さらにはソーシャルワーカー全体の包括的な国家資格を実現するための突破口にするとの大義名分を掲げました。当初、精神保健福祉士単独の国家資格化に反対していた日本医療社会事業協会も、最後には、1997年総会で、この大義名分を根拠にして、「反対することはない」と方針転換しました(『日本のソーシャルワーク史-日本医療社会事業協会の50年』日本医療社会事業協会,2003,86頁。以下、『50年史』)。しかし、精神保健福祉士資格が制度化された後は、そのような主張はすぐに影を潜め、「医療ソーシャルワーカーのあり方等に関する検討会」も2回開かれただけで立ち消えになり、精神保健福祉士は社会福祉士と同列の資格として定着しました。

第2の変化は、学術会議報告でも指摘した、以下の3つの制度改革です。(1)昨年4月の診療報酬改定により、診療報酬点数表に社会福祉士が5個所で明確に位置づけられた反面、医療ソーシャルワーカーの呼称が消失しました。(2)同じ時期に、社会福祉士養成課程における実習施設に病院等が追加されました。(3)今秋の臨時国会で成立が予定されている社会福祉士及び介護福祉士法改正では、社会福祉士の「相談業務」の定義に、「福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連絡及び調整」が加えられました。

私は、これら一連の改革は、社会福祉士及び介護福祉士法の事実上の改正を意味し、従来保健医療分野を除外してきた社会福祉士資格が精神保健以外の保健医療分野にも拡大されたと判断しています。その結果、MSWの国家資格化(正確に言えば、社会福祉士や精神保健福祉士と同列の医療福祉士の国家資格化)の可能性は完全に消滅したと「客観的」将来予測を行ったわけです。

ここで、上記(3)で法改正が行われる予定にもかかわらず、敢えて「事実上の改正」という表現を使ったのは、法改正に伴って行われるカリキュラム改革では、MSW養成に不可欠な医療福祉科目等の追加が、本稿執筆時点(9月)では、未確定だからです(ただし、日本医療社会事業協会は現在もそれの実現に向けて最大限の努力を続けています)。

実は私は、1992年時点では、このような改革は、社会福祉士及び介護福祉士法の立法の趣旨(保健医療分野のソーシャルワーカーは社会福祉士の対象から除外)から逸脱しており、不可能と予測していました。それだけに、上記3つの改革は、日本医療社会事業協会の長年のソーシャルアクションの大きな成果と言えます。

社会福祉士とは別建ての医療福祉士資格化に固執する人々の中には、これらの改革を意識的に過小評価する人々が少なくありません。例えば、上記(2)の診療報酬点数表での社会福祉士の位置付けは、MSWの行っている業務のごく一部にすぎないことです。しかし、彼らは、このようなごく部分的な改革ですら、厚生労働省だけでなく、医師会、看護協会、各種病院団体、社会福祉士会等の公式または暗黙の同意なしには不可能であり、それを得るために日本医療社会事業協会がたいへんな努力と政治力を発揮したことを見落としています。

第3の変化は、この15年間で社会福祉士資格がMSWの間でも急速に普及・定着したことです。第1・第2の変化は制度の変化ですが、これは実態の変化と言えます。私は1992年時点では、新卒MSWのうち社会福祉士資格を取得するのは、「意欲的な少数者」に限られ、「現任のMSWの大半は、4週間の施設実習規定等のため、社会福祉士の受験資格すら取得できない」と予測しました。しかし、現実には、新人・現任MSWの両方で社会福祉士資格取得者が急増しました。

少し古い調査ですが、日本医療社会事業協会「会員動向調査(2001年7月)」によると、社会福祉士資格を有する会員は4割弱であり、20代~30代前半に限れば5割前後に達していました。その後6年間でこの割合がさらに高まっています(同協会が本年実施した調査の仮集計によると、会員の社会福祉士取得率は約7割に達しているそうです)。

それに伴い、医療界・病院内でも社会福祉士がMSWの「公的資格」という認識が定着しつつあります。これも少し古い調査ですが、「社会福祉士現況調査報告書(2001年3月)によると、社会福祉士としての専門性が生かされる職場の第1位が医療(6割)であり、しかも社会福祉士資格を有するMSWの2割が「資格手当」を受けていました。

私は1992年に次のように予測しました。社会福祉士資格を取得した「MSWが、身分的にも経済的にも安定することにより、MSWの資格制度化に対する情熱を失うことは確実である。その結果、MSWの国家資格制度化は、永遠に不可能になるであろう」。この予測は、この15年間で、さらに現実味を帯びてきたと思います。ただし、「永遠に」は「近未来は」(5~10年以内は)と限定した方が、妥当かもしれません。なぜなら、長期的には、社会福祉士を基礎資格とした上で、医療福祉士を専門資格とする国家資格が実現する可能性を完全には否定できないからです。

なお、現在は、社会福祉士資格を持っていなくても、能力と実績と誇りのあるベテランMSW(大半は「団塊の世代」~50代)が相当数存在し、それらの人々の中には後述する医療福祉士資格化運動に「ライフワーク」として取り組んでいる方もいます。しかし、彼らはあと5~10年間で定年退職を迎えるため、そのような運動は自然消滅すると思います。

私の現在の価値判断ー学術会議の提言を支持

以上3点は、言うまでもなく、私の事実認識、または「客観的」将来予測です。と同時に、私は、現在の社会福祉教育の枠内だけでは、有能なMSWの養成はできず、独自の追加的教育が必要だも考えています。そこで、学術会議シンポジウム報告では、有能なMSW養成のための社会福祉教育の新しい課題(あるいは福祉系大学の責任)として、3つの「短期的課題」((1)社会福祉士国家試験合格率の向上、(2)医療福祉論等の開講、(3)MSW志望者への「医療福祉実習」の履修義務化)と中長期的課題(MSWの「マネジメント」能力向上のための教育)を、問題提起しました。

学術会議シンポジウム報告では、MSWの資格制度についての私の価値判断は述べませんでしたが、私は、現時点では、社会福祉士と同列の医療福祉士の国家資格化が不可能という現実を踏まえて、社会福祉士を基礎資格とした上で、MSWの何らかのアクレデーション(国家資格ではない認定)を制度化するのが妥当であると思っています。実は、これは私も委員として参加している日本学術会議社会学委員会社会福祉学分科会が準備している「提案」です。

日本学術会議社会学委員会社会福祉学分科会には、部会長の白澤政和大阪市立大学大学院教授をはじめ、日本の社会福祉学研究・教育をリードしているそうそうたる研究者が参加しています。この分科会は、現在、「近未来の社会福祉教育のあり方」についての「提案」をまとめつつあります。この「提案」では、ソーシャルワーカーの資格制度は、社会福祉士を、医療福祉分野を含むすべての領域に共通の「基礎資格」と位置づけ、その上に領域ごとの専門的「福祉士」(仮称)を積み上げるという2段階とすることで、全委員の意見が一致しています。「医療福祉士(仮称)」については、社会福祉士と同列の国家資格化は不可能または不要であり、社会福祉士資格の上に、「大学や大学院での高度専門教育と職能団体による生涯研修体系との統合」に基づいたアクレデーションとして位置づけるという点でも、委員の意見はほぼ一致しています。

私は、医療福祉士(仮称)のアクレデーションに関しては、日本医療社会事業協会が都道府県協会とも協力・共同して、なんらかの「協会認定」を早急に制度化するのが望ましい、と考えています。公平のために言えば、日本医療社会事業協会は、すでに「医療ソーシャルワーカー専門講座」と「講師養成講座」という「実質的な認定作業」を始めてはいますが、「協会認定と銘打っていない」ためもあり、社会的認知度はきわめて低いと思います(『50年史』90頁)。

専門職団体の分裂は影響力を削ぐ

私が最後に強調したいことは、専門職団体が分裂すると、その社会的影響力が大きく削がれることです。

私は、最近、MSWの資格制度問題について改めて勉強するために、日本医療社会事業協会『50年史』を熟読したのですが、同協会の歴史が、創設時から直近(精神保健福祉士への対応)まで、分裂と対立、混乱と動揺の歴史であることに、改めて驚きました。私の知る限り、これほど方針と役員構成の両面で、振幅が激しい専門職団体はありません。軽口を言えば、医療「ソーシャル」ワーカーと言いながら、随分「社会性」に欠けた職種・団体だとすら感じました。良く言えば、特定の幹部に権限が集中している他の団体と異なり、「直接民主主義」が徹底していると言えなくもありませんが…。

そして、そのような不幸な歴史に新たな1頁を加えるのが、本年7月に発足した全国医療ソーシャルワーカー協会連絡協議会(MSWの国家資格化を目指す6県の医療ソーシャルワーカー協会が参加)だと私は考えています。私は、現在の日本医療社会事業協会の方針に全面的に賛成しているわけではありませんが、50年を超える歴史と伝統を有する同協会と別組織を立ち上げて、社会福祉士や精神保健福祉士と同列の医療福祉士の国家資格化をめざすのは有害無益で、とても賛成できません。社会福祉士等と同列の医療福祉士国家資格の実現可能性がゼロという点で「無益」ですし、医療・福祉分野でもっとも少人数(1万人弱)のMSWの世界に新たな分裂と対立を生み、ただでさえ限られているその社会的・政治的影響力をさらに低下させるのは「有害」と考えます。協会の方針に異論がある場合には、あくまで協会内で、協会の改革をめざすべきです。

このような組織改革の王道を歩まずに、日本医療社会事業協会とは別組織を立ち上げ、厚生労働省の特定有力官僚や厚生労働省系の有力研究者の個人的「熱意と政治力」に依拠して運動を進めれば道が開けると思うのは幻想ですし、そのような「ボス交」は専門職団体として厳に戒めるべきとも思います。ちなみに、医療福祉士資格に理解を持っていると言われた有力官僚は、本年8月に社会保険庁の不祥事の責任をとる形で更迭されました。

なお、日本医療社会事業協会と各都道府県の医療ソーシャルワーカー協会とは本部・支部の関係にはないため、形式論理的に言えば、全国医療ソーシャルワーカー協会連絡協議会の設立は日本医療社会事業協会の「分裂」とは言えません。ただし、既存の全国組織とは別の組織を立ち上げ、別の方針を掲げることを、世の中の常識では「分裂」と呼びます。

私が『50年史』を読んでもっとも感銘を受けたのは、児島美都子先生(現・日本福祉大学名誉教授)が1970~1972年の総会の度重なる流会を乗り越えて、1973年に会長になられたときに述べた次の教訓です。「もう1つの教訓はどんなことがあっても協会組織を破壊してはならないということである」(『50年史』60頁)。

7月参議院選挙の教訓と「地獄への道」

専門職団体が分裂するといかに政治的影響力を失うかという点で、教訓的なのは7月の参議院選挙(比例区)です。この選挙では、日本医師会や日本看護協会、日本薬剤師会の推薦候補者(すべて自民党)は軒並み落選しました。

この原因として、一般には、安倍内閣・自民党不信が医療関係者にも広がったことがあげられていますが、私はそれに加えて、各団体が「組織内候補」の一本化に事実上失敗し、それぞれの組織を基盤とする有力候補者が複数の政党から立候補して、票が分散したことも見落とせないと判断しています。なぜなら、歯科医師会は相次ぐ不祥事で社会的威信が失墜していたにもかかわらず、組織内候補の一本化に成功したため、その候補は当選したからです。

ただし、私自身は専門職団体は政治的中立を厳密に保つべきと考えており、特定政党の候補者を支持することには反対です。参議院議員選挙の結果は、あくまで専門職団体が分裂した場合の悪影響の事例としてあげました。

私は15年前に書いた論文の最後で、当時の日本医療社会事業「協会やMSWの会員が資格制度化問題に対して、どんな立場をとるにせよ、主観的には善意で、真面目な議論を続けている」ことを良く理解した上で、結びの言葉として、次のロシア(正確にはヨーロッパ)の有名な格言を書きました。「地獄への道は、善意によって敷き詰められている」。15年後にも、同じ格言を掲げなければならないのは、大変残念です。

[本稿は、9月1日に開催された「第15回日本医療ソーシャルワーク研究会広島大会」での基調講演「医療制度改革の行方と増大する医療ソーシャルワーカーの役割」の一部に加筆したものです。]

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3.拙新著『医療改革-危機から希望へ』の目次・はしがき・ あとがき

本「ニューズレター」37号でお知らせしたように、拙新著『医療改革-危機から希望へ』(勁草書房、2700円+税)を、11月5日に出版します。本書は、2004年4月に出版した『医療改革と病院-幻想の「抜本改革」から着実な部分改革へ』(勁草書房)以降3年半に発表した主要論文をまとめた論文集です。ただし、第1章「世界の中の日本医療とよりよい制度への改革」は既発表の論文・講演録に大幅に加筆しています。

本書の詳細目次と「はしがき」と「あとがき」については、別ファイル(『医療改革-危機から希望へ』の目次・はしがき・ あとがき PDFPDF)をご覧下さい。

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算27回.2007年分その6:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○ドイツの全国高血圧治療プログラムとそれの費用、余命、および費用対効果に与える影響の推計(Gandjour A, et al: A national hypertension treatment program in Germany and its estimated impact on costs, life expecttancy, and cost-effectiveness. Health Policy 83(2-3):257-267,2007)[量的研究(シミュレーション研究)]

ドイツでは高血圧に罹患しているが治療を受けていない人々が約1500万人存在する。本研究では、40~69歳の高血圧患者で、心血管合併症発症の高リスク群と低リスク群の男女を対象にした、全国高血圧治療プログラムの費用対効果を、マルコフ意志決定モデルを用いて、治療を行わない場合と比較検討した。その結果、低リスク群においても余命1年延長の費用は12,000ユーロであり、費用対効果比は中等度と言えた。ただし、プログラム費用は相当高額なことを考慮すると、高血圧の合併症を長期間予防することによる費用節減額はプログラム費用で相殺される可能性が大きい。

二木コメント-本研究はシミュレーション研究ですが、日本での「生活習慣病(メタボリックシンドローム)対策」の医療費節減効果の推計と異なり、プログラム費用をきちんと明示していることが優れています。本研究の方法と結果は、本「ニューズレター」36号で紹介した、フィンランドの研究(「糖尿病予防目的で耐糖能障害の男女のライフスタイルに介入するのは費用効果的である」)と類似しています。費用対効果が高い(効率的である)プログラムが、必ずしも費用抑制とはならない好例と言えます。

○費用と[ケアの]質[との関係]:[カナダ]オンタリオ州の長期ケア病院で得られた証拠 (Wodchis WP, et al: Cost and Quality - Evidence from Ontario long term care hospitals. Medical Care 45(10):981-988,2007)[量的研究(重回帰分析)]

ケアの質と費用は長期ケア施設のマネジメントと政策において重視されているが、両者の関係についての理解は十分ではない。そこでカナダ・オンタリオ州の99の長期ケア病院の4年間(1997年4月~2002年3月)のパネルデータセットを用いて、1日当たり直接ケア費用と7つのケア指標との関係を検討した。その結果、身体抑制率と褥創発生率(incidence)は直接ケア費用が低い施設ほど高かった。それに対して、失禁頻度(prevalence)はケア費用が高い施設ほど高かった。この結果は、費用とケアの質との関係は、ケアの質の指標として何を用いるかによって変わることを示している。

二木コメント-従来一括的に検討されることが多かったケアの質と費用との関係を、分析的に検討しているのは注目に値します。

○「高齢者包括的ケアプログラム(PACE)」のプログラム特性と利用者のアウトカム
(Mukamel DB, et al: Program characteristics and enrollees' outcomes in the Program of All-Inclusive Care for the Elderly (PACE). The Milbank Quarterly 85(3):499-531,2007)[量的・質的研究]

アメリカのメディケイドで実施されている「高齢者包括的ケアプログラム(PACE)」は、ナーシングホーム入所資格があると認定された障害老人に対してプライマリケア、急性期医療、および慢性期ケアを包括的に提供するユニークなプログラムである。本研究では、全米23のPACEプログラムの1997年1月~2001年6月の4年半の新規利用者を対象にして、プログラム特性とリスク調整済みのアウトカム(死亡率、ADL、健康の自己評価)との関連を検討した。利用者の個票データとケア職員調査の分析に加えて、各プログラム責任者に対するインタビュー調査も行った。いくつかのプログラム特性はADLと関連していた。しかし、プログラム特性のうち、長期的な健康の自己評価と関連しているものはごく少なく、死亡率と関連していたものは1つだけだった。

二木コメント-日本でも有名なアメリカのPACEの効果についての最新の包括的研究です。ただし、本研究では費用面の検討は行われていません。

○理学療法士が実施する急性腰痛治療において、推奨された治療ガイドラインの遵守はケアの質を改善するか?
(Fritz JM : Does adherence to the guideline recommendations for active treatments improve the quality of care for patients with acute low back pain delivered by physical therapists? Medical Care 45(10):973-980,2007)[量的研究]

アメリカでは急性腰痛患者の不適切な治療を減らし、治療の費用対効果を向上させるために多数の治療ガイドライン(以下、ガイドライン)が開発されている。従来ガイドライン実施についての研究は少なくないが、ガイドライン遵守が治療効果と費用に与える影響についてはほとんど検討されていない。本研究では、ある1地域の10クリニックで、2004~2005年に、発症後90日未満の急性腰痛で理学療法を受けた18~60歳の患者1190人を対象にして、ガイドライン遵守率と治療効果、費用との関連を後方視的に検討した。治療開始の前後に、痛み指数とOswestry障害尺度を評価した。ガイドライン遵守率は40.4%であった。遵守率は労災患者で高かった。ガイドラインを遵守した治療を受けた患者の治療回数と料金は安く、障害改善率も高かった(いずれも統計的に有意)。この結果は、治療ガイドライン遵守が治療効果の改善と費用節減と関連していることをを示している。

二木コメント-治療ガイドライン遵守の医学的・経済学的効果を示した貴重な研究です。ただし、「急性腰痛」の概念と治療法は日本とアメリカで異なるようです。

○世界の諸国民は自己の健康状態に満足しているか?(Clifton J, et al: Are citizens of the world satisfied with their health? Health Affairs. Published online 17 July 2007;10.1377/hlthaff.26.5.w545)[量的研究]

アメリカの世論調査会社ギャラップ社が行った全世界130か国の国民の代表標本調査を用いて、健康の自己評価と自己の健康状態に対する満足度を分析した。所得と年齢、文化的規範と所得の複合的要因が健康の自己評価に与える影響も分析した。その結果、以下の3つの重要な知見が得られた。(1)個人の健康の自己評価は世界中で極めて一貫していた(consistent)。(2)アメリカ国民の健康状態の満足度は他の大半の諸国民と同等であった。(3)健康の自己評価は回答者の所得レベルと強く相関していた。

二木コメント-130か国を対象にした、史上最大の健康の自己評価・満足度調査です。なお、本調査のサワリはThe Economist July 14th, 2007でも紹介されています("Where money seems to talk" pp.61-62)。

○市場と医療:アメリカ、1993-2005年(White J: Markets and medical care: The United States, 1993-2005. The Milbankk Quarterly 85(3):395-448,2007)[医療政策研究(総説)]

アメリカでは医療財政に市場メカニズムを活用することに賛成・反対の両方の立場から、コストシフティングなどの「市場志向」の諸改革について多数の研究が行われてきた。本研究では、アメリカの医療市場の過去10年余の経験を概観し、自己利益を追求するが完全には合理的でない市場参加者が、他の市場参加者に対して力を行使する場合、制度としての市場がどのように機能するかを検討する。アメリカでは費用問題は医療利用のマネジメントよりも、価格に対する市場の力に影響されていた。制度の変容は、効率や公平のロジックに従うのではなく、投資戦略についての信念に影響されていた。少なくともアメリカ医療の労働・資本市場では、競争は医療制度を合理化する能力をほとんど持っていない。なぜなら競争の目的は大半の人々が求めている医療制度の目的とは異なるからである。

二木コメント-医療では「競争的市場」の前提条件が成立しないため、「市場原理に揺れる」と言われるアメリカですら、市場メカニズムは十分に機能しえないと言えます。


5.私の好きな名言・警句の紹介(その35)-最近知った名言・警句等

<研究と研究者のあり方>(今月に限り、私の嫌いな2つの「迷言」も紹介します)

<その他>

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