『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻58号)』(転載)
二木立
発行日2009年06月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。
目次
- 1.新著『医療改革と財源選択』の目次・はしがき・あとがき
- 2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文 (通算45回.2009年分その2:7論文・特集)
- 3.私の好きな名言・警句の紹介(その54-最近知った名言・警句)
医療経済研究機構での講演のお知らせ
拙新著『医療改革と財源選択』(勁草書房)出版を記念して、6月22日(月)4~5時半、医療経済研究機構で、拙新著をベースにした講演を行います。参加御希望の方は、医療経済研究機構企画渉外部担当者までお申し込み下さい(電話:03-3506-8529, Fax:03-3506-8528。e-mail:info@ihep.jp)。本講演は同機構賛助会員が対象ですが、同機構のご好意で、座席に余裕のある範囲で、少人数受け入れていただけるそうです。会費は1,000円です。
1.新著『医療改革と財源選択』の目次・はしがき・あとがき
(勁草書房,2009年6月10日発行,2700円+税)
目次
- 序章 世界同時不況と日米の医療・社会保障
- 第1節 世界同時不況と日本の医療・社会保障
- 第2節 オバマ・アメリカ大統領の医療政策とシッコ
- 1 オバマ・アメリカ次期大統領の医療制度改革案を読む
- 2 オバマ・アメリカ新大統領の就任演説を読む
- 3 映画「シッコ」を観てアメリカと日本の医療について考えた
- 第1章 医療改革の希望の芽の拡大と財源選択
- 補論 医療費の財源選択についての私の考えの変化
- 第2章 小泉・安倍政権の医療改革-新自由主義的改革の登場と挫折
- 第3章 福田・麻生政権下の医療政策と論争
- 第1節 福田政権の初期の医療政策
- 1 福田政権の医療政策の方向を読む
- 2 医療政策転換にかすかな兆し
- 3 診療報酬本体プラス改定の意味
- 第2節 混合診療解禁論の一時的再燃と凋落
- 1 混合診療禁止は違法?東京地裁判決をめぐる空騒ぎ
- 2 混合診療賛成が8割!?誘導的質問の恐ろしさ
- 3 政府内の混合診療全面解禁論の凋落
- 第3節 私が後期高齢者医療制度廃止と老人保健制度復活に賛成する理由
- 第4節 医療費抑制政策の部分的見直し
- 1 医療費適正化計画の二本柱は開始前から死に体
- 2 2つの閣議決定の見直しの可能性
- 3 医療・社会保障政策の部分的見直しが始まった
- 4 社会保障国民会議「医療・介護費用のシミュレーション」を複眼的に読む
- 5 医療費抑制政策の転換へ
- 第5節 2009年以降の医療政策と医療経営を考える
- 第1節 福田政権の初期の医療政策
- 第4章 今後の医療制度改革とリハビリテーション医療
- 第5章 医療費と医師数についての常識のウソ
- 第1節 後期高齢者の終末期(死亡前)医療費は高額ではない
- 第2節 医師数と医療費の関係を歴史的・実証的に考える
- 補章 医療政策をリアルにとらえる視点
- 第1節 医療政策の現状と課題-研究者は政策形成にどのように貢献しうるか
- 第2節 日本の医療・介護保険制度改革と保健・医療・福祉複合体
- 第3節 医療ソーシャルワーカーの国家資格化が不可能な理由
はしがき
本書の目的は、2008年に生じた医療・社会保障政策の転換を複眼的に評価し、それにより生じた医療改革の「希望の芽」の拡大を促進するために、公的医療費増加のための財源確保の道を提起することです。
2007年7月の参議院議員選挙がもたらした「ネジレ国会」は、小泉・安倍政権時代の医療・社会保障費の異常な抑制政策を行き詰まらせ、福田政権と麻生政権の下で、それの見直しが始まりました。理念的には「小さな政府」路線から「社会保障の機能強化」を掲げた「中福祉・中負担」路線への転換、個別の政策では、四半世紀続けられてきた医師数抑制政策から医師数増加政策への転換や、小泉政権の置きみやげと言える社会保障費抑制の数値目標の事実上の棚上げなどです。2008年は、小泉政権の下で猛威をふるった新自由主義的医療改革シナリオが政治的影響力を完全に失う年ともなりました。
他面、1980年代から継続している「世界一」の医療費抑制政策の本格的見直しにはまだ手がつけられておらず、2006年以降顕在化した医療危機・医療荒廃は、救急医療、産科・小児科医療の枠を超えて、医療の全分野に広がりつつあり、病院経営の困難も増しています。
医療危機・医療荒廃を解決するためには、医療者の自己改革に加えて、日本の医療費水準をヨーロッパ諸国並みに引き上げる公的医療費の大幅拡大が不可欠ですが、その財源についての国民合意は得られていません。しかも、2008年9月のアメリカの金融危機に端を発する世界同時不況の下では、国民負担増加の議論は今まで以上に困難になっており、歳出の無駄をなくし、「霞ヶ関埋蔵金」を活用すれば、医療費増加の財源は捻出できるとの期待も根強くあります。
しかし、日本がアメリカと並ぶ「小さな政府」であることを考えると、それで問題が解決すると考えるのは幻想です。しかも、日本の医療保障制度が医療保険(社会保険)を基礎としている以上、医療費拡大の主財源は保険料の引き上げであり、それを消費税を含む公費で補うしか現実的選択肢はない、と私は考えています。
前置きが長くなりましたが、本書には、このような課題意識に基づいて、小泉・安倍政権の医療政策を検証し、福田・麻生政権下の医療政策と政策論争をリアルタイムで分析した論文を中心に合計26論文を収録しています。
序章「世界同時不況と日米の医療・社会保障」では、世界同時不況が、日本の医療・社会保障に与える影響を包括的に検討すると共に、日本でも関心が強いアメリカのオバマ新大統領の医療改革案を検討します。
第1章「医療改革の希望の芽の拡大と財源選択」は本書の中核を成す章です。まず2007年後半以降の医療改革の希望の芽の拡大を示し、次に「骨太の方針2008」等に含まれる医療・社会保障改革方針を複眼的に評価します。最後に、公的医療費増加の財源選択の3つの立場(消費税引き上げ、歳出の無駄の削減、社会保険料の引き上げ)を示し、主たる財源は社会保険料で、公費は補助的財源とすべきという私の判断とその根拠を述べます。
第2章「小泉・安倍政権の医療改革」では、小泉・安倍政権の医療改革を「新自由主義的改革の登場と挫折」という視点から総括し、それに対置して私の医療改革のスタンスを示します。
第3章「福田・麻生政権下の医療政策と論争」では、両政権の下で行われた医療政策と政策論争について「ライブ」で検討します。具体的には、福田政権の初期の医療政策、混合診療全面解禁論の一時的再燃と凋落、医療費抑制政策の部分的見直し、2009年以降の医療政策と医療経営を検討すると共に、私が後期高齢者医療制度廃止と老人保健制度復活に賛成する理由を述べます。
第4章「今後の医療制度改革とリハビリテーション医療」では、1980年代以降四半世紀のリハビリテーション診療報酬改定を複眼的に検討した上で、2008年診療報酬改定で「試行的」に導入された「質に応じた評価」の問題点を国際的な経験と研究も紹介しながら指摘します。
第5章「医療費と医師数についての常識のウソ」では、後期高齢者の終末期医療費が高額であるとの主張や、医師数増加が医療費増加を招くとの主張が「根拠に基づく」ことのない神話であることを示します。合わせて、医師誘発需要についての誤解を指摘します。
最後の補章「医療政策をリアルにとらえる視点」は、以下の3つのシンポジウム・研究会での報告です。「医療政策の現状と課題-研究者は政策形成にどのように貢献しうるか」、「日本の医療・介護保険制度改革と保健・医療・福祉複合体」、「医療ソーシャルワーカーの国家資格化が不可能な理由」。
本年は、2005年9月の郵政選挙以来、4年ぶりに衆議院議員選挙が行われる年です。「政界は一寸先は闇」ですから断定的には言えませんが、1993年以来16年ぶりに政権交代が生じる可能性も生じています。政権交代の有無にかかわらず、本書が2008年に生じた医療政策の肯定的転換をさらに促進するための一助になることを期待しています。
2009年5月 二木 立
あとがき
本書には、前著『医療改革-危機から希望へ』(勁草書房、2007)の原稿をまとめて以降1年半(2007年10月~2009年4月)に発表した主要論文26本(インタビュー3本を含む)を収録しました。そのうち、15本はこの間ほぼ毎号継続した『文化連情報』の連載「二木教授の医療時評」(その48~その66)です。第1・2・4章は、それぞれ、第34回日本保健医療社会学会大会での教育講演(2008年5月17日)、社会政策学会第115回大会共通論題(シンポジウム)「社会保障改革の政治経済学」での報告(2007年10月14日)、全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会第11回研究大会での基調講演(2008年2月10日)をまとめたものです。
前著と同じく、各論文は「歴史の証言」としてそのまま収録し、必要な加筆は本文中に[ ]で、元論文の記述の誤りの訂正や特に重要な補足は【補注】【補訂】で示しました。前著に対しては「補注が多いと読みにくい」との批判もありましたので、今回は、できるだけ本文に[ ]で補足するようにしました。
前著では2007年に医療改革の「希望の芽」が生じていることを指摘しました。2008年にはそれがさらに拡大し、小泉政権時代の医療・社会保障費の異常な抑制政策は部分的に見直されました。小泉・安倍政権の医療政策を包括的に検証するとともに、福田・麻生政権下の医療政策と政策論争をリアルタイムで分析した本書は、前著に続いて、この間の医療政策の包括的な「生きた」研究、あるいは政府・厚生労働省の公式文書や公式の解説には欠落している重要な事実や視点を含んだ「もう1つの医療政策史」になったと自負しています。ただし、前著で宿題とした「医師不足の医療経済・政策学的分析」は本格的には行えず、「医師数と医療費の関係を実証的・歴史的に考える」(第5章第2節)にとどまったのは、心残りです。
私は本年4月から、勤務先(日本福祉大学)の副学長と常任理事に就任し、大学全体の管理運営と経営に携わっています。この仕事は3月まで4年間務めた大学院委員長の仕事に比べ、守備範囲は広く、責任もはるかに重いため、それが内定してしばらくは少し憂鬱な気持ちになっていました。しかし、就任直前に本書の原稿をまとめることができたため、現在は新鮮な気持ちでそれに取り組むことができています。この役職の終了と同時に私は定年を迎えるめ、その前に、大学での教育と管理運営・経営業務(マネジメント)の両面での経験と工夫を一書にまとめたいと思っています。
ただし、私の本業はあくまで医療経済・政策学研究だと思っているので、今後も、管理運営・経営業務と並行して、その研究と医療改革の提言は続けていくつもりです。そのためにも、2005年から配信を始めたメールマガジン「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」(http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)は 、少なくとも定年まで継続したいと思っています。
最後に、今回も超特急で出版作業をしていただいた勁草書房編集部の橋本晶子さん、および「医療時評」欄を提供していただいた『文化連情報』編集長小磯明さんに感謝します。「医療時評」を(ほぼ)毎月書き続けることは、時には「苦行」でしたが、それがあるおかげで緊張感を保つことができました。
2009年5月 二木 立
2..最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算45回.2009年分その2:7論文・特集)
○病院が申告する「リープフロッグ安全実施ランキング」と院内死亡率との関連
(Kernisan LP, et al: Association between hospital-reported Leapfrog safe practice scores and inpatient mortality. JAMA 301(13):1341-1348,2009)[量的研究]
アメリカのリープフロッグ・グループ(大企業が支援する病院の医療安全を促進する非営利団体)は、企業の従業員が利用している病院に、以下の4種類の医療安全基準の導入と報告を求め、その結果をインターネットで広く公開している:(1)コンピュータによる医師のオーダーシステム(CPOE)、(2)ICUへの専門医の配置、(3)リスクの高い手術を必要とする患者の症例数の多い病院への紹介、(4)全米質フォーラム認証の「より良い医療のための安全実施基準」(27種類の構造・プロセス指標)。(4)は2004年から導入され、全米の1100病院が回答し、リープフロッグ・グループはその結果に基づいて、病院を4段階(4分位数)にランク付けした「リープフロッグ安全実施ランキング」を作成・公開している。
これらのうち、(1)~(3)については、院内死亡率の低下と多少の関連があるとの報告もあるが、(4)と院内死亡率の関係を検討した報告はまだない。そこで、2006年に安全指数を報告した1075病院のうち、全米入院患者調査で病院名を同定できた155病院を対象にして、階層ロジスティック回帰分析により、安全実施ランキングとリスク調整済み院内死亡率(以下、院内死亡率)の関係を検討した。その結果、院内死亡率は安全実施ランキングとまったく関連がなかった(ランキングが低い順に、1.97%、2.04%、1.96%、2.00%)。対象を65歳以上の患者、手術による死亡リスクが5%以上の患者に限定した回帰分析でも結果は同じであった。しかも、上記(1)~(3)と院内死亡率の間にも統計的に有意な関連はなかった。ただし、著者は「この結果は、医療安全の実施が重要でないとか、それは測定できないと解釈すべきではない」と警告している。
二木コメント-院内死亡率については、医療の質の構造・プロセス指標とアウトカム指標との間に関連がないという結果は、本「ニューズレター」31号(2007年3月)で紹介した、以下の2つの先行研究の結果とも一致しています。(1)メディケア患者を対象にした病院の諸パフォーマンス指標とリスク調整済み死亡率との間に関連がない(Werner RM, et al:Relationship between Medicare's Hospital Compare performance measures and mortality rates. JAMA 296(22):2694-2702,2006)。(2)病院のパフォーマンス指標は病院間の心筋梗塞のリスク調整済み死亡率の差の一部しか説明できない(Bradley, EH et al: Hospital quality for acute myocardial infarction. JAMA 296(1):72-78,2006)。これらの結果は、少なくとも現段階では、医療の質の構造・プロセス指標で、アウトカム指標を代用することが困難であることを示しています。
なお、本論文に対するコメントで、Wernerは、アメリカで行われている医療機関の医療の質の情報公開や医療の質に基づく支払い(P4P)は、医療の質の測定が医療の質改善の第一歩になるという信念に支えられているが、現実には、医療の質の測定は医療の質(アウトカム)の改善にはほとんどつながっていないと指摘し、「医療の]質を改善するための新しい戦略-[医療の質の]測定よりも[病院の]行動を報奨する」ことを提唱しており、私もこの戦略は十分検討に値すると思います(Werner BM, et al: A new strategy to improve quality - Rewarding actions rather than measures. JAMA 301(13):1375-1377,2009)。
○[医療の質の]情報公開が公開されていない医療の質に与える影響(Werner RM, et al: Impact of public reporting on unreported quality of care. Health Services Research 44(2,Part 1):379-398,2009)[量的研究]
医療の質の情報公開が、公開対象に含まれない医療の質に与える影響は明らかにされておらず、一部では情報公開によりそれが悪化するとの懸念も表明されている。この点を、アメリカの全スキルド・ナーシングホーム(急性期後医療(亜急性期医療)の提供施設)13,683を対象にして検証した。アメリカでは1999年から、この施設の全入院患者の「ナーシングホーム・ミニマム・データセット」の報告が義務づけられ、2002年からはこれらのデータの一部が施設単位で情報公開されるようになっている。1999~2005年のデータを用いて、情報公開実施前後の医療の質を比較した。
その結果、全体としては、情報公開の実施後、医療の質は公開された指標(疼痛、せん妄、歩行能力の3項目)だけでなく、公開されていない指標(疼痛の改善、息切れ、尿失禁等9項目)でも改善していた。公開されていない医療の質の改善は、公開されている指標のランキングの高い施設や、公開されている指標が急速に改善した施設で特に大きかった。それに対して、ランキングの低い施設では公開されていない医療の質は改善しないか、逆に悪化していた。この結果は、スキルド・ナーシングホームの医療の質の情報公開が、冒頭に示した「懸念」とは逆に、公開されなかった医療の質の改善をもたらす一方、良質の施設と低質の施設間の格差も拡大することを示唆している。
二木コメント-医療の質の情報公開の予期せぬ影響を明らかにした貴重な研究です。
○特集:[医療の]質の測定の質の改善(Improving the quality of quality measurement. Medicall Care 47(4),2009)
特集名と同名の序論(Editorial:375-377)で、Safford MMは、アメリカでこの15年間、医療の質の評価が重視され、それの情報公開や医療の質に基づく支払い(P4P)が実施されるようになった反面、質の測定の質に対する異議も出されるようになっていることを紹介した上で、質の測定の質の改善に寄与しうる以下の3つの原著論文の要旨を紹介し、特に第3論文に高い評価を与えています。
- 医師パフォーマンスの評価の信頼性の改善-「医師効果」の質に与える影響の同定と複合尺度の作成(Kaplan SH, et al: 378-387)。
- 電子カルテを用いた高血圧[診療]の質測定の改善(Persell SD, et al: 388-394)。
- 治療密度とリスク要因のコントロール-もっと臨床的に妥当な質測定に向けて(Selby JV: 395-402)。
本号には、これら以外にも医療の質関連の原著論文が多数掲載されており、アメリカのこの分野の最新の研究動向を知る上で便利です。
○メディケア出来高払いプログラムにおける患者の再入院(Jencks SF, et al: Rehospitalizations among patients in the Medicare fee-for-service program. New England Journal of Medicine 360(14):1418-1428,2009)[量的研究]
アメリカでは、再入院率の減少が、政策担当者の側から、医療の質を改善しつつ医療費を節減する方法として注目されているが、再入院の頻度とパターンについての情報は少ない。そこで、2003~2004年のメディケア医療費請求データ(約1186万件)を用いて、この点を調査した。
その結果、自宅に退院した患者(約1185万人)の退院後30日以内の再入院率は19.6%、同90日以内は34.0%に達していた。内科疾患患者では、退院後1年以内に68.9%が再入院するか死亡しており、手術を受けた患者ではこの割合は53.0%であった。自宅退院した内科疾患患者で、30日以内に再入院した患者の50.2%は、再入院までの期間、医師の診療を受けていなかった。再入院患者の平均在院日数(5.15日)は、過去6カ月間に入院したことのない同じ診断群別の患者(4.55日)より0.6日(13.2%)長かった(各5.15日、4.55日)長かった。
これらの結果に基づいて、著者は再入院の約10%は計画的再入院であり、それを除いた予期せざる再入院患者のメディケア医療費総額は2004年で174億ドルに達し、入院医療費総額1026億ドルの17.0%を占めると推定している。
二木コメント-本論文は、アメリカの病院の極めて短い平均在院日数と極めて高い再入院率が一体であること、およびアメリカでは退院患者を対象にした外来・在宅医療が低水準であることを示しています。そのために、平均在院日数を変えず、しかも外来・在宅医療を充実しないで、再入院率のみを低めて総医療費を抑制するのはきわめて困難だと思います。
○症例数の多い病院の患者数の変化の評価-病院、支払い者および総症例数のトレンド(Kronebusch K: Assessing changes in high-volume hospital use - Hospitals, payers, and aggregate volume trends. Medical Care Research and Review 66(2):197-218,2009)
アメリカでは症例数の多さと治療成績との間に関連があることが確認された疾患については、1990年代以降症例数の多い病院への患者集中が推奨されているが、患者集中度の変化についての全米データはない。そこで、全米の4州(アリゾナ、フロリダ、ニュージャージー、ウィスコンシンの各州。全米人口の12.5%)で19種類のサービスを受けた入院患者(総数340万人)を対象にして、1995-1996年と2001-2002年とで、症例数の多い病院への患者集中度を比較した。19種類のサービスは症例数が多いほど治療成績が高いことが実証されている13サービス(手術・手技11、内科的治療2)と、それ以外の6「参照サービス」に二分した。
その結果、上記13サービスについては、集中度の上昇はごく限定的であることが分かった。5サービスでは2001-2002年でも症例数の多い病院への患者集中度は5割未満であり、4サービスでは集中度は低下していた。2001-2002年で、患者集中度が一番高いのは冠状動脈形成術の89.7%、一番低いのは乳癌手術の6.7%であった。
二木コメント-日本に比べて病院間競争がはるかに激しいアメリカでは、患者集中度の上昇は難しいようです。
○加齢性疾患-それは医療費節減から予防医療を予防するか?[加齢性疾患は予防医療による医療費節減を相殺するか?](Gandjour A: Aging diseases - Do they prevent preventive health care from saving costs? Health Economics 18(3):355-362,2009)[量的研究(シミュレーション研究)]
予防医療が医療費を節減する可能性については激しい論争が続いている。余命の延長は一方で治療に高額を要する疾患が新たに発症する確率を高めるが、その反面、それは多額の医療費がかかる死亡前1年間を先延ばしし、しかも死亡前1年間の医療費は高齢になるほど低下する。しかし、この両側面を同時に組み込んだ実証研究は今まで行われていない。そこで、アメリカのメディケアの生存者と死亡者の医療費データ(65~100歳。1歳刻み)を用いて、どちらの影響が大きいかを、著者が構築した社会的次元の医療費決定モデルを用いた費用効果分析によるシミュレーションを行った。その結果、総人口を対象にした予防活動では、余命の延長により新たに生じる疾患の医療費の方が、死亡時期の先延ばしによる死亡前1年間の医療費の節減を上回っていた。しかもこの結果は、予防活動を有病者に限定しても変わらないと思われる。
二木コメント-このようなシミュレーションが今まで行われていなかったとは意外です。日本のデータによる「追試」が待たれます。なお、本論文の著者はドイツ・ケルン大学医療経済学・臨床疫学研究所所属の研究者です。
○疾病の予防についての経済的議論の精査(Woolf SH: A closer look at the economic argument for disease prevention. JAMA 301(5):536-538,2009)[評論]
疾病の予防は健康を増進し医療費を抑制する人気のある政策である。しかし経済学者は、予防はまれにしか純費用を削減せず、治療に比べて費用対効果に優れているとは言えないと主張している。しかし、これは問いの設定が間違っている。なぜなら、予防は他の商品と同じく、費用抑制制のために購入されるわけではないからである。正しい問いは個々の予防・治療の費用対効果を分析的に検討することであり、この視点からは以下の4点が明らかである。(1)中核的予防サービスは効果があり、多くの国民の命を救っている。(2)根拠が確認された臨床的予防サービスは費用対効果に非常に優れており、質調整生存年(QALY)1年延長当たり費用は、主要疾患治療のそれよりはるかに低額である。(3)費用対効果に優れる中核的予防サービスの一部(対象を限定したもの。例:小児に対するワクチン)は純費用を節減する。(4)一部の予防サービスは多くの治療と同じく、費用対効果面で劣る。
二木コメント-公衆衛生学者による、経済学的には「予防は治療に勝る」とは言えないという、医療経済学者の間では常識に成りつつある主張に対する反論です。ただし、問いの設定が間違っているという指摘、および上記4点は妥当だと思います。予防の経済学研究者の草分け・重鎮のRussell女史も、最新の評論で、「慢性疾患の予防は重要な投資だが、費用節減を当てにするな」と主張しており、本論文の著者と共通点が多いと思います(Russell LB: Preventing chronic disease: An important investment, but don't count on cost savings. Health Affairs 28(1):42-45,2009)。
3.私の好きな名言・警句の紹介(その54)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 佐藤幹夫(フリージャーナリスト)「危機意識の薄い本だ、と感じられたかもしれない。しかし、筆者は危機意識が募れば募るほど、いたずらに不安を煽るような本にはしたくなかった。『重度の障害』をもつ子どもたちと20年も一緒に過ごしていると、大概のことには動じなくなる。『危機』や『絶望』が深いからこそ1日を明るく過ごす、どんな未来であっても希望を見出す、というのは彼らから学んだ最大の生きる作法だ。/そのような明るさがわずかでも出ていれば、と思う」(『ルポ高齢者医療』岩波新書,2009,240頁)。二木コメント-私も講演や論文で「希望の芽(の拡大)」を指摘すると、「危機意識が薄い」と批判されることがあるので、大いに共感しました。
- 澤智博(医師。帝京大学医学部麻酔科学講座准教授)「今年に入って、決意を新たにしたことがある。それは、依頼をできる限り断らないこと。(中略)人手不足の勤務環境で、無限に増える業務と限りなく削られるプライベートの時間に疑問を感じ、昨年はあらゆる依頼をお断りした。この状況を、ある友人が、経済情勢の悪化で仕事を失う人が多いなか、仕事があり過ぎて大変なんて羨ましいじゃないかと言う。そうか。仕事の報酬が仕事でもよいではないか。『派遣村』の映像を見ながら、新年の思いを新たにしたのである」(『Jamic Journal』2009年4月号、34頁、「『蟹工船』に見る多喜二の先見性」)。二木コメント-私も、病院勤務医時代から、職場で頼まれた仕事は断らない「美学」を持っているので、大いに共感しました。仕事を含め、「何事も頼まれるうちが花」と思います。
- 米沢富美子(物理学者・慶應義塾大学名誉教授、70歳。近著に『まず歩きだそう-女性物理学者として生きる』岩波ジュニア新書)「蓄積って大きい。20代から物理をやってきて、かれこれ50年。1年間ためたもの×(かける)50ですから、ものすごい量。どんな人でも、それだけ積み上げてきたら何をするのにも財産になっています。だから理解の程度は今がいちばん深いし、新しい問題に対して、どの時より頭がさえている気がします」(「しんぶん赤旗」2009年4月27日「月曜インタビュー」)。二木コメント-月並みですが、正に「継続は力」です。米沢氏の年齢から逆算して、「物理をやってき」た期間には学生時代を含むことになります。私が初めて医療問題の本を読んだのは、東京医科歯科大学2年生時(1967年4月。19歳)だったので、私も70歳になるまで(あと9年間)勉強と研究を続ければ、「かれこれ50年」と言えると、妙に安心しました。ちなみに、最初に読んだのは、額田粲・西村豁通編『日本の医療問題』(ミネルヴァ書房,1965)、次に読んだのは川上武『日本の医者』(勁草書房,1961)で、共に現在も書斎にあります。
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- 小宮一慶(経営コンサルタント)「私はよく、『理解は偶然、誤解は当然』という話をします。人間は他人の言っていることを100%理解することはまずありません。誤解して当然、理解してもらえたらラッキーと思わないといけないのです。そう思ってこそ、より丁寧に説明するなどの工夫が生まれるのです」(『「超具体化」コミュニケーション実践講座』プレジデント社,2009,45頁)。二木コメント-真理の探究をめざす(?)学問研究でも誤解が少なくないのだから、利害の対立がしばしば生じる組織のマネジメントでは「誤解は当然」と妙に納得しました。これを読んで、カエサルの有名な名言を思い出しました。
- ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー。古代ローマの知将)「およそ人は自分の望みを勝手に信じてしまう」(近山金次訳『ガリア戦記』岩波文庫,1964,113頁,Ⅲ-18)。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」(塩野七生『ローマ人の物語Ⅵ』新潮社,1997,7頁,「読者へ」)。二木コメント-上記「理解は偶然、誤解は当然」の心理のみごとな説明と言えます。なお、ホームページ「オシテオサレテ」(2007年6月24日)は、塩野さんが「私がもっとも好きな」カエサルの言葉として紹介しているものは、『ガリア戦記』中の上記カエサル自身の言葉の「かなりの意訳」であると詳細に論証しています(http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070624/p1)。
- 中島茂(弁護士)「春は新人たちの季節である。そうした新人と、彼らが目指すべき『プロ』との差とはなんだろうか。私は、以前、知識と経験だと思っていた。しかし今では仕事における『詰めの厳しさ』こそが決定的な差だと考える」(「日本経済新聞」2009年4月27日「リーガル映画館-ルーキー」)。
- 『事実に基づいた経営』(J・フェファー、R・I・サットン著、清水勝彦訳:東洋経済新報社、2009)より:
(1)「『新しいアイデアだ』というのは、『私は無知だ』というようなものだし、『これまでにないような効果がある』というのは、『私は思い上がっている』と言っているようなものだ」(63頁。スタンフォード大学ジェームズ・マーチ(有名な組織研究者)の言葉。
(2)「やる気のある試行錯誤は優秀な計画に勝る」(244頁。IDOA(アメリカでもっとも成功しているイノベーションの会社。118頁)の基本哲学)。
(3)「誇張しない、事実だけ」(311頁。ダヴィータ(全米37州に透析センターを運営)の方針の一つ)。
二木コメント-(1)を読んで、私は津山直一氏(東大医学部教授・当時)の名言「無知な者ほどたくさんの発見をする」を思い出しました(本「ニューズレター」11号(2005年7月)。拙著『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,84頁)。
本書は、「金銭的インセンティブが会社の業績をあげる」、「戦略がすべて」等、組織の混乱のもとになっている6つの「半分だけ正しい」アイデアや手法(half-truths)=「広く信じられてはいるが、実はきちんと検証されていない考え方」の危険性を、膨大な実証研究に基づいて示し、「事実に基づいた経営(evidence-based management)」を重要性を主張しています。意外なことに、それの「モデル」は「事実に基づいた医療」だそうです(17頁)。ただし、evidence-based (management, medicine)は「事実に基づいた」ではなく、「根拠に基づいた(基づく)」と訳すべきです。evidenceを「事実」と訳してしまうと、fact=「事実」との区別が付かなくなるからです。本文でも、evidenceが「データと理論」、「事実と理論」、「データとロジック」の両方を含むことが繰り返し指摘されています。
<その他>
- 山中恭子(『地域リハビリテーション』編集部)「『面倒くさがり』には2種類のタイプがあるそうです。先々面倒くさくなることが嫌で先に片づけていくタイプとまず目の前にあることが面倒くさくて動かないタイプ。明らかに自分は後者なのですが、『面倒くさいこと』というのはほうっておくと雪だるま式に増えていくらしいので(経験済みですが)、ぜひ前者になりたいものです」(『地域リハビリテーション』2009年4月号、「編集後記」)。
- 江見康一(一橋大学名誉教授)「私の老化度判定法(中略)/ひとつは奥さんや友人と会話している場合に、20分以内に同じ話を二度繰り返す人は、かなり高齢化が進んでいると思います。/もうひとつは、スピーチを求められた場合に、スピーチを3分以内にうまくまとめ上げられるかどうかという能力をみます。/大学や懇談会などで、先生方の話を聞きながら、ちょっと意地悪ですけれでも、3分以内にきちっとまとめられるかどうか、私は時計を眺めております」(『老いるショックは3度来る!~人生90年の時代』かんき出版,2005,63頁)。二木コメント-最近、ある研究会の司会をされた老大家が、冒頭延々12分間もしゃべり続けたのに辟易して、江見先生のこの「判定法」を思い出しました。私も、江見先生と同じく、話が長くなりそうな人がしゃべり始めたら、いつも時計を眺めて、発言時間をチェックしています。なお、高井伸夫(弁護士)『3分以内に話はまとめなさい-できる人と思われるために』(かんき出版,2003)は、3分以内に簡潔で分かりやすく話すための心構えとテクニックを紹介しており、一読をお薦めします。この本は、毎年の「大学院『入院』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書」にも入れています(2009年度版は本「ニューズレター」56号に添付)。
- 安藤忠雄(建築家、67歳)「最初から思うようにいかないことばかり、何か仕掛けても、大抵は失敗に終わった。/それでも残りのわずかな可能性にかけて、ひたすら影の中を歩き、一つ掴まえたら、またその次を目指して歩き出し-そうして、小さな希望の光をつないで、必死に生きてきた人生だった。いつも逆境の中にいて、それをいかに乗り越えていくか、というところに活路を見出してきた。(中略)/人生に“光"を求めるのなら、まず目の前の苦しい現実という“影"をしっかり見据え、それを乗り越えるべく、勇気をもって進んでいくことだ」(『建築家 安藤忠雄』新潮社,2008,381-382頁)。
- 五月みどり(歌手・女優、69歳)「『願望は持ち続けてこそ、達成するものなり』(中略)。いつからこの言葉が自分の信条になったのかはっきりしないが、長い人生を生き、いろんなことを経験し、いかに願望を持ち続けることが大変か。横道にそれ、遠回りし、どんなに長くかかっても、夢に対して気力が失せなければ、百パーセントではないかもしれないが、叶ってきたような気がする」(「東京新聞」2009年2月1日朝刊「言いたい放談」)。
- 仲代達也(俳優、76歳。実年齢に近い老いた役が評判)「若いころは、70代になったら透徹した精神で『うまく演じよう』なんて考えずにやれるんだろうと思っていたが、そんなことはない。『昨日はあそこが駄目だった』『今日はここを直したい』といつも思う。それがあるから、舞台で同じことをしていても新鮮であきない」(「日本経済新聞」2009年2月18日夕刊「老いの感動 70代でこそ」)。