『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻100号)』(転載)
二木立
発行日2012年11月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 0.ご報告とご挨拶-2013年度から日本福祉大学学長に就任します
- 1.論文:『平成24年版厚生労働白書』を複眼的に読む(「二木教授の医療時評(その107)」『文化連情報』2012年11月号(416号):14-21頁。
「『平成24年版厚生労働白書』をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く(17)」『日本医事新報』2012年10月6日号(4611号):27-28頁、に大幅に加筆)。 - 2.学会報告:研究論文はいかにあるべきか-研究倫理を踏まえた研究論文の書き方・指導方法(2012年10月20日日本社会福祉学会第60回大会秋季大会【研究倫理委員会特別企画研修】基調講義)『現代と文化』(日本福祉大学福祉社会開発研究所)第126号:151-171頁,2012年9月30日(PDFファイル)。
- 3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その24):7冊
- 4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算83回.2012年分その8:5論文)
- 5.私の好きな名言・警句の紹介(その94)-日本福祉大学学長選挙に立候補する前後に知り、共感した名言、学長(について)の名言(再掲)
お願い
上記学会報告「研究論文はいかにあるべきか-研究倫理を踏まえた研究論文の書き方・指導方法」は加筆補正した後、来年3月に出版する『演習と論文指導の視点と方法』(仮題。勁草書房)に収録します。この本の原稿は今月中にまとめる予定ですので、学会報告を読まれて、お気づきの点や御質問、御助言、御注文等があれば、11月15日までにお知らせいただければ幸いです。
0.ご報告とご挨拶-2013年度から日本福祉大学学長に就任します
かねてお知らせしていたように、私は本年度末に日本福祉大学を定年退職し、2013年4月から特別任用教授として、70歳までの5年間再雇用されることが決まっていました。そのため、「これにより、1999年度から14年間続けてきた管理業務からようやく『解放』され、大学院を中心とした教育と研究に専念できるようになると、今からその日が来るのを心待ちにしていま」した(『TPPと医療の産業化』(勁草書房,2012)の「あとがき」)。
ところが、やむを得ない事情により、急遽、9月13日に告示された学長選挙に立候補しました。このことは、私にとっては「青天の霹靂」であり、しかも今まで描いていた人生設計が大きく変わる「苦渋の選択」でもありました。しかし、私は代々木病院の勤務医時代も含めて40年間、職場で依頼された仕事・役職は絶対に断らないという「社会人としての美学」を貫いてきたので、今回も覚悟してお引き受けしました。
学長の仕事は、たいへんな激職・重職です。しかも、急速に進む少子化と首都圏・関西圏の巨大ブランド大学への受験生・学生の「二極集中」のため、本学のような地方の中規模大学は大きな困難に直面しており、学長の責務は従来に増して重くなっています。私は65歳で決して若くはありませんが、健康状態は概ね良好で、知力・気力も充実しており、4年間の学長の激務・重責に十分耐えられると判断しました。
立候補する以上は必ず当選しなければならないと考え、いつもお世話になっている多くの教職員からの意見や助言も参考にして、3本柱の「所信表明」を練り上げ、教職員の信を求めました。学長選挙には私を含め2人が立候補しましたが、10月5日開票の結果、幸い当選することができました(投票率92%、私の得票率63%)。任期は4年間です。その後、所定の学内手続きを経て、10月29日の理事会で正式に承認されました。来年度から「所信表明」に基づいて、3本柱の改革に取り組もうと決意しています。
と同時に、「所信表明」の最後に書いたように、「学長業務と研究のバランスに留意しつつ、医療・介護政策の研究と発信を続け」る所存です。そのために、学長就任後も、代々木病院勤務医時代以来の私のもう一つの美学「忙しいとは絶対に言わない」を守り、今まで以上に寸暇を惜しんで勉強・研究を続けたいと思っています(私の2つの「美学」については、『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,165-166頁参照」)。
その一環として、本「ニューズレター」は、2013年度以降も最低4年間、(できるだけ)毎月配信するよう努力します。その前提となる、『文化連情報』と『日本医事新報』の連載も継続したいと思っています(ただし、掲載回数は減ると思います)。他面、『TPPと医療の産業化』の「あとがき」で予告した、本格的な実証研究(「医療費の増加要因、技術進歩と医療費の関連等の実証研究」等)の再開は、断念せざるを得ません。
なお、日本福祉大学での28年間の教育経験をまとめた『演習と論文指導の視点と方法』(仮題。勁草書房)を、教授を定年退職する来年3月に出版する予定です。「ニューズレター」に連載して、御好評いただいている8年分の「私の好きな名言・警句」も何からの形でまとめて出版したいと思っています。実は同じ時期に、今まで14年間蓄積してきた大学・大学院の管理運営・経営業務の経験とノウハウについても一書にまとめようと考えていたのですが、それは4年半後(2016年度末)の学長退任時に延期しました。
今後とも、よろしくお願いします。
1.論文:『平成24年版厚生労働白書』を複眼的に読む
(「二木教授の医療時評(その107)」『文化連情報』2012年11月号(416号):14-21頁)
はじめに
8月28日に閣議報告された『平成24年版厚生労働白書』が話題を呼んでいます。その「第1部 社会保障を考える」は「社会保障論の優れた教科書」との高い評価が多い一方、ウェブ上では最新の「経済学の知見を隠している」との批判も聞かれます(1)。日本医師会も、それに含まれる「社会保障に関する国民意識調査」に限定して厳しい批判をしています(2)。そこで私も、数年ぶりに第1部をジックリ読むと同時に、国民皆保険制度が成立した昭和36年度版以降、平成23年版までの50冊の『厚生(労働)白書』の記述との異同を調べてみました。
以下、先ず第1部全体の複眼的評価を行い、「社会保障論の教科書」として評価できる点を4点、気になる点を2点指摘します。次に医療(保険)制度の記述で注目すべきことを5点指摘します。最後に、「医療サービスの平等性」の調査結果に対する強い疑問を述べます。
社会保障論の優れた教科書にもなっている
第1部は、次の7章で構成されています。第1章 なぜ社会保障は重要か、第2章 社会保障と関連する理念や哲学、第3章 日本の社会保障の仕組み、第4章 「福祉レジーム」から社会保障・福祉国家を考える、第5章 国際比較からみた日本社会の特徴、第6章 日本社会の直面する変化や課題と今後の生活保障のあり方、第7章 社会保障を考えるに当たっての視点。この後に「参考」として「現在の社会保障改革に向けた取組み(社会保障と税の一体改革)」の概要が付けられていますが、これはすでに発表されている公式文書の「再掲」で特に新味はなく、しかも第1~7章の内容と断絶しています。
第1部は257頁にも達し、直近5年間(平成23~19年版)の「白書」の第1部の平均132頁の2倍の厚さです。「社会保障」は過去の「白書」第1部でも何度も取り上げられてきました。直近5年間に限っても、3回取り上げられています。例えば、昨年の23年版は「社会保障の検証と展望~国民皆保険・皆年金制度実現から半世紀~」でした。
しかし、「白書」で「社会保障と関連する理念や哲学」(第2章)や「福祉レジーム」(第4章)が本格的に論じられるのは初めてです。記述も全体としては分かりやすく、脚注・参考文献(90冊。延べ96冊)も充実しています。親切に読者への「読み方ガイド」まで付けられています。しかも全体として、社会保障拡充の必要性・重要性を強調し、「社会保障は社会連帯に基づく支え合いの制度であり、社会保障を考えるに当たっては、自分の都合や利益だけでなく、他者の立場に立って、社会のあり方を考える視点」(239頁)を正面から主張しています。これは、新古典派経済学の利己的人間観の婉曲な否定・批判と言えます。その上、後述するように、「白書」としては異例なことに、現行制度や過去の政策の問題点も(少し)指摘しています。以上から、第1部はオーソドックスな社会保障論の教科書に(も)なっていると評価できます。
「参考文献」欄等から厚生労働省のスタンスが読みとれる
私は本や論文を読む場合、必ず最後の「参考(引用)文献」をチェックするようにしています。そこにどのような文献があげられているかで、著者のスタンス・(思想的)立場と学識の程度が分かるからです。先述したように、「白書」の「参考文献」欄には90冊の本が掲げられていますが、もっとも多くあげられていたのは、権丈善一氏(慶應義塾大学)の5冊でした。よく知られているように、権丈氏は「積極的社会保障政策」を主張している制度派経済学の論客で、福田・麻生内閣時代の「社会保障国民会議」で、「社会保障の機能強化」への政策転換を主導しました。次に多いのは、麻生内閣~菅内閣の各種委員として社会保障拡充の論陣をはった宮本太郎氏(北海道大学)の4冊(延べ6冊)でした。さらに、福祉国家論の世界的権威であるエスピン=アンデルセンの研究書が3冊も引用されていました。それに対して、新古典派(経済学)・新自由主義派の本は1冊しかあげられていませんでした。
さらに海外の社会保障の紹介・分析はヨーロッパ中心で、アメリカにはごくわずかしか触れていません。私はこれらに、ヨーロッパ型社会保障を念頭に置いて、社会保障の機能強化を目指す厚生労働省の隠れた、しかし強い意志を感じました。本「医療時評」(104)で指摘したように、8月10日に成立した「社会保障制度改革推進法」の「基本的考え方」では、福田内閣以来の定番表現だった「社会保障の機能強化」が消失していますが、それの悪影響は「白書」にはまだ及んでいないと言えます(3)。
「社会保障論の教科書」として評価できる4点
第1部を「社会保障論の教科書」として読む場合、総論的事項では、次の4点も評価できます(記載順)。
第1は、第3章第1節「社会保障の目的と機能」で、「社会保障の『経済安定機能』は…経済成長を支える機能である」(33頁)と控えめに延べ、「新成長戦略」(2010年6月閣議決定)の「成長牽引産業」との過大評価を事実上否定・撤回していることです。なお、厚生労働省の名誉のために言えば、「新成長戦略」が閣議決定された後に発表された『厚生労働白書』平成22・23年版にも、そのような過大評価は書かれていませんでした。
第2は、第4章のコラム「[エスピン=アンデルセンの]福祉レジームによる類型化が適合しないと考えられる例」として「医療保障制度の場合」を明示していることです(86頁)。私は、エスピン=アンデルセンの福祉国家類型論の一般的意義を認めつつも、それは医療制度・政策の国際比較にはまったく役立たないと考えており、彼自身も『ポスト工業経済の社会的基礎』でそのことを事実上認めていると理解しているので、多いに同感しました(4)。
第3は、第6章第2節「社会変化に対応した生活保障のあり方」で、論者によって用法がまちまちな「自助・共助・公助」というアイマイな区分を用いず、「家族」、「地域社会」、「企業・市場」、「政府」の役割を具体的・分析的に書いていることです。私は特に、「社会保障制度[当然、社会保険制度も含む-二木]は、これら[家族、地域、企業・市場]のつながりを公的な仕組みで代替・補完するものである」(203頁)と明言していることに注目しました。なぜならこれは2006年の「今後の社会保障のあり方に関する懇談会報告」以来の政府・厚生労働省の、「共助」を社会保険とし、「公助」を「公的扶助や社会福祉」に限定する「特異な解釈」(里見賢治氏)を事実上否定しているからです(5)。
第4は、同じ第6章第2節の「企業・市場」の項を含めて、社会保障・生活保障における企業を中心とした民間活力の活用にはほとんど触れていないことです。この点は、かつて『平成3年版厚生白書-広がりゆく福祉の担い手たち』が、福祉における「民間サービス」を礼賛したのと対照的です((6):73-74頁)。
「社会保障論の教科書」としては気になる2点
他面、「社会保障論の教科書」として読んだ場合は、気になることもいくつかあります。やや専門的になるので、2点のみ簡単に指摘します。
第1は、第2章第2節等で、equityを「公正」と訳していることです(22~25、87、104頁等)。社会保障論の文脈では、この用語は「公平」または「公平・公正」と訳すべきですし、第7章第3節ではもっぱら「公平」が用いられているのとも不整合です。私が「公正」と訳すべきではないと判断する理由は2つあります。1つは、公正はfair(フェア)の訳語としても用いられ(例:公正取引委員会)、equityとの違いが不明になるからです。もう1つは、医療への市場原理導入を支持する医療者の中には、「公平」という用語が「平等」を意味するとして否定し、敢えてfairの意味での「公正」を主張する方がいるからです(7)。
第2は、第3章第2節のコラム「社会的包摂」で、「『貧困』は、所得水準が低いなど金銭的・物質的な資源の欠如を示す概念」であると極めて狭く定義していることです(38頁)。これは「社会的包摂」・「社会的排除」という新しい(と言われている)概念の重要性を強調するための過度の単純化です。「白書」の示す「貧困」は「古典的(絶対的)貧困」であり、日本では1960年代の高度成長期に、それでは把握できないさまざまな社会問題が発生した結果、1970年前後に「新しい(現代的)貧困」概念が提起されました(8)。イギリスでは、貧困研究の泰斗ピーター・タウンゼントが、すでに1960年代に「社会的剥奪」(deprivation)という指標に基づいて「相対的貧困」概念を開発しました(9)。これらの概念には、「社会的排除」に近い内容が含まれています(10)。最近では、反貧困運動の旗手である湯浅誠氏も、「貧困状態に至る背景には『五重の排除』がある」ことを強調しており、これは「白書」が示している「社会的排除」そのものと言えます(11)。残念ながら、これらの著作は「白書」の「参考文献」欄には1冊も含まれていません。
医療(保険)制度の記述で注目すべき5点
このように第1部の総論的記載は全体としてはなかなか優れている反面、医療(保険)制度についての記述はやや平板です。しかし、私は以下の5点に注目しました(記載順)。
第1は、第1部全体で、医療保障・社会保障制度の「抜本改革」という浮ついた言葉、および実体が不明な「保険者機能の強化」という用語をまったく使っていないことです。この点は、安倍内閣時代の『平成19年版厚生労働白書-医療構造改革の目指すもの-』が、「抜本的な医療構造改革」、「保険者機能の発揮による医療費適正化」を主張していたのと対照的です。ただし、このような浮ついた用語は翌20年版から早々と消え、今年版に至っています。なお、昭和36年度版~平成24年版の51冊の『厚生(労働)白書』で、「[医療保険制度の]抜本改革」という用語が見出しで用いられたのは、平成8~12年版(5年連続)と平成19年版だけです。
第2に私が注目したと言うより、驚いたことは、第1章第4節で、「一連の社会保障構造改革は、制度の持続可能性を重視したものであったが、他方でセーフティネット機能の低下や医療・介護の現場の疲弊などの問題が顕著にみられるようになった」と、小泉内閣時代の社会保障・医療制度改革の負の側面を断定形で書いていることです(15頁)。私の知る限り、「白書」が、歴代内閣の政策のマイナス面を明示したのはこれが初めてです。これは2009年の政権交代の数少ない効果(?)と言えるかもしれません。
第3は、第3章第3節1「社会保険とは何か」で、「社会保険方式には、未納、徴収漏れの問題を回避できないといった短所も指摘されている」と書かれていることです(40頁)。今回は網羅的には調べられませんでしたが、「白書」が社会保険方式の短所を正面から認めたのは、これが初めてと思います。この点は、1990年代後半の介護保険論争時に、旧厚生省や同省寄りの研究者が、社会保険方式を礼賛したのと対照的です。他面、コラム「保険なのに一部負担(自己負担)が課されている理由」(42頁)で、自己負担正当化論のみが述べられ、それの「短所」に全く触れていないのは残念です。
第4に注目し、かつ大変うれしく思ったのは、第3章第3節2「国民皆保険・皆年金」で、「日本では、国民全てが公的な医療保険に加入し、病気やけがをした場合に『誰でも』、『どこでも』、『いつでも』保険を使って医療を受けることができる。これを『国民皆保険』という」と説明されていることです(42頁)。
私は、昨年、今では国民皆保険制度の共通理念となっている「いつでも、どこでも、誰でも」(良い)医療を受けられるという標語の出自を調べました。その結果、この標語は1970年代前半から革新政党や医療運動団体が用い始め、1990年代からは歴代の厚生(労働)大臣も用いるようになったことを確認できました。しかし、『厚生白書』(1960~1975年版)にこの標語またはそれに近い表現は見つけられませんでした((6):第5章第1節)。それだけに、「白書」に「いつでも、どこでも、誰でも」という標語とほとんど同じ表現が登場したのは、画期的と感じました。
ただし、この表現は今年版「白書」が初出ではなく、平成21年版にも次のような、そのものズバリの記述がありました。「我が国は、国民皆保険制度の下、すべての国民がいつでも、どこでも、誰でも適切な医療を受けることができる医療制度を実現し、世界最長の平均寿命や高い保健医療水準を達成してきた」(138頁)。さらに、平成13年版、10年版にも、それぞれ次のような記述がありました。「国民皆保険制度を採用し、すべての国民はいずれかの医療保険制度に加入しいつでも、どこでも平等に医療機関にかかり、医療技術の進歩を享受することができる」(13年版:162頁)。「国民皆保険制度…国民一人一人がいつでもどこでも等しく質の高い医療が受けられるよう、質・量両面において向上が図られてきた」(10年版:246頁)[注]。
第5は、第5章第4節「『健康』に関する指標の国際比較」の4「保健医療支出」で、「日本の公共と民間を合わせた保健医療支出の対GDP比は、先進諸国の中でも低水準で推移している」と断定形で書いていることです(118頁)。これは医療関係者の間では周知の事実ですが、「白書」がこの事実をこれほど明確に認めたのは、今回が初めてだと思います。例えば、昨年の平成23年版の第1部は「社会保障の検証と展望」だったにもかわわらず、国際比較はまったく行われませんでした。平成20年版では「社会保障給付の国際比較」が行われましたが、「『医療』はアメリカ、イギリスとほぼ同規模で、他の欧州主要諸国をやや下回る規模」とされていました(24頁)。平成19年版の副題は「医療構造改革」だったにもかかわらず、医療費の国際比較は行われていませんでした。極め付きは平成11年版で、コラム「日本の医療費の水準は高いのか、低いのか」で、「『日本の医療費の水準は低い』という論調」を、詭弁術で常用される「相殺法」により、事実上否定していました(110頁)。これらの経緯を踏まえると、今年版「白書」の記述は高く評価できます。
「医療サービスの平等性」の調査結果には疑問
このように、今年版「白書」には、総論、医療(保険)制度の記述とも、共感するところが少なくないのですが、1点大きな疑問があります。それは、第7章第3節のコラム「社会サービス(医療・教育の平等について」で、「所得の高い人は、所得の低い人よりも、医療費を多く払って、よりよい医療サービスを受けられる」という見解の支持が49.6%に達しているとの「社会保障に関する国民意識調査」(三菱総合研究所への委託研究)の結果を無批判に示していることです(243-244頁)。
この数字は衝撃的ですが、以下の2つの理由から、そのまま鵜呑みにすることはできません。第1に49.6%という数字は、医療が私財と見なされているアメリカの31.4%より18.2ポイントも高く、この調査結果は常識的に信じられません。第2に、既存の意識調査では、平等な医療の支持が圧倒的に多いことです。例えば、日本医師会「日本の医療に関する意識調査」(第1~4回)では、毎回、「所得の高い低いにかかわらず、受けられる医療の中身(治療薬や治療法)は同じである方がよい」の支持は国民、患者とも7~8割に達し、「…異なることはやむを得ない」の支持は国民、患者とも1割強にとどまっています(2)。少し古いですが、田村誠氏は2003年に発表した論文で、「なぜ多くの一般市民が医療格差導入に反対するのか」を、多くの「実証研究の結果をもとに」多面的に検討し、「医療に関しては、多くのお金を支払った人がよりよい医療が受けられるという医療格差導入に一般市民が反対するのは、相当根深いものがある」と結論づけています(12)。
既存の多くの調査と今回の調査で、なぜこのような極端な乖離が生じたのか精査する必要があります。私は、日本医師会が指摘しているように、厚生労働省委託調査が対象・結果に偏りの出やすいインターネット調査であることに加え、調査の設問で「医療サービス」という、一般にはまだ馴染みのない用語を用いているため、回答者が「医療の中身(治療薬や治療法)」ではなく、「医療周辺サービス」(差額ベッド等)を連想したことが原因ではないかと考えています。
なお、医療に関する意識調査のエキスパートである江口成美(日本医師会総合政策研究機構)によると、厚生労働省委託調査が国際比較のために参照したISSP調査の設問の原文ではhealth care(ヘルスケア)という用語が用いられているそうです。それを「医療サービス」と翻訳(?)するのは極めて恣意的です。
「医療サービス」という用語の使用頻度は極めて低い
医療は経済学的には「サービス産業」に分類されるため、「医療サービス」という用語を研究論文で用いることは問題ありません。しかし、この用語は日常生活ではほとんど使われていないため、一般国民を対象にした調査で用いるのは慎むべきだと思います。そこで、「医療サービス」という用語がどの程度使われているかを、2つの方法で簡単に調査しました。
まず、「朝日新聞」と「日本経済新聞」のデータベース(それぞれ「聞蔵」と「日経テレコン21」を用いた記事検索により、過去1年間の「医療サービス」と「医療」の出現頻度を調べました(調査は9月25日)。その結果、「朝日新聞」では、「医療サービス」57件、「医療」9298件で、医療サービスの出現頻度は医療のわずか0.6%にすぎませんでした。「日経新聞」でさえ、それぞれ143件、9159件、1.6%でした。
次に、昭和36年度版~平成24年版(全51冊)の「国民皆保険制度」の説明・定義中の「医療」と「医療サービス」という用語の用いられ方を調べました。その結果、「医療サービス」が用いられていたのはわずか3回にすぎませんでした。結果の詳細は以下の通りです。国民皆保険制度の説明がない(10回)、国民皆保険制度の説明がある(41回)。41回中、「医療(を受けることができる、を提供)」のみを使用25回、「医療サービス(を受けることができる、を提供)」のみを使用2回(平成7,22年版)、「医療」と「医療サービス」を併用1回(23年版)、「医療費(負担の保障)」2回、「なんらかの医療保険の対象」6回、いずれの用語も用いていない5回。
以上2つの簡易調査から、「医療サービス」という用語が、一般社会ではもちろん、「厚生(労働)白書」ですら、ごく稀にしか用いられていないことが明らかになったと思います。
ではなぜ今年版「白書」が、先行調査結果を無視して、厚生労働省委託調査の結果のみを無批判に示したのか?1つの可能性は、担当者(若手官僚と思われる)の単純な勉強不足です。しかし、白書の原稿は厚生労働省幹部が詳細にチェックしていることを考えると、これはありそうもありません。それに対して、日本医師会は、「先般成立した社会保障制度改革推進法、閣議決定された日本再生戦略を複合的に判断すると、公的医療保険の給付の範囲縮小にむけて、調査結果が恣意的に活用されたものと考えざるをえない」と指摘しています。私は、今年版の「白書」の全体のトーンが「社会保障の機能強化」であることを考えると、厚生労働省自身が意図的に調査結果をそのように「活用」したとは考えにくいと思います。しかし、このコラムが、白書第1部の最後の最後で、しかも「他者の立場で考える」(第7章第4節)という文脈とは明らかに矛盾する形で挿入されているのは余りにも唐突です。そのため、私はこのコラムが「白書」作成過程の土壇場で、厚生労働省の外部からの「政治的圧力」により急遽挿入された可能性も否定できないと感じました。
おわりに
以上、『平成24年版厚生労働白書』を複眼的、かつ全体としてはやや肯定的に評価してきました。本文でも書いたように、私は「白書」を読んで、ヨーロッパ型社会保障を念頭に置いて、社会保障の機能強化を目指す厚生労働省の隠れた、しかし強い意志を感じました。年内にも予想される総選挙の結果次第では、小泉内閣時代の社会保障・医療費抑制政策や医療への市場原理導入政策が本格的に復活する可能性があります。穿ちすぎかもしれませんが、今年版「白書」はそのような「冬の時代」に備えての、厚生労働省としての理論武装と言えるのかもしれません。
【注】社会保障制度改革推進法の「原則として全ての国民が加入」との表現は重大
私は、本「医療時評(104)」((3))で、社会保障制度改革推進法案の重大な問題点の1つとして、「国民皆保険制度の堅持」という定番表現が消え、それに代わって「…医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持する」という表現が登場したことを指摘しました。
ただし、この時点では、「原則として」という限定表現は特に気にとめませんでした。なぜなら、現行制度では、生活保護受給者は国民健康保険から脱退することになっており、「原則的として」はそのことを指していると判断したからです(国民健康保険法第6条「適用除外」の九)。しかし、本稿を執筆するために、昭和36年度版~平成24年版の51冊の「厚生(労働)白書」の国民皆保険制度の記述を見直す過程で、この認識が甘かったことに気づきました。
なぜなら、昭和38・39年度版および昭和43年版以降平成24年版まで、国民皆保険制度についての記述があったすべての版(46冊)で、「すべて(全て)の国民」、「全国民」、「日本国民の全て」、「国民全体」、「国民一人ひとり(ひとり)」という表現が使われており、「原則として全ての国民」という限定表現はまったく用いられていなかったからです。なお、昭和40年版では、以下のようなきわめて厳密な説明がなされていました。「わが国の医療保険制度は、昭和36年に国民皆保険を達成し、生活保護法の適用を受ける者や一部の施設収容者を除き、全国民(被用者等一定の外国人も含まれる。)がなんらかの医療保険に加入しており、病気やけがをした場合、医師や歯科医師から保険による医療を受けることができるたてまえとなっている」(184頁)。
以上から、社会保障制度改革推進法は、「国民皆保険制度の堅持」という小泉内閣でさえ公式に用いた定番表現を削除しただけでなく、「原則として全ての国民が加入する」という、従来の政府文書(「厚生(労働)白書」)ではまったく使われてこなかった限定表現を初めて用いた点でも、極めて重大な政策変更につながる危険があると言えます。なぜなら、「原則として全ての国民が加入する」は、論理的には例外を認める表現だからです。
社会保障制度改革推進法をとりまとめた自民党側実務者の鴨下一郎議員が筋金入りの混合診療全面解禁論者で、国民皆保険制度を「基礎的な医療を国民が平等に受けられるシステム」にすべきと主張していることを考慮すると、同議員は高所得者を公的医療保険の強制加入対象から外して、「高額所得者向けの自由診療やこのための民間医療保険など」を奨励することまで想定しているのかもしれません。ちなみに、この表現は、1983年に林義郎厚生大臣(当時)が発表した「今後の医療政策-視点と方向」で用いられました。
[本稿は『日本医事新報』2012年10月6日号に掲載した「『平成24年版厚生労働白書』をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く」⑰)に大幅に加筆したものです。]
文献
- (1)匿名「厚生労働白書が隠している経済学の知見」http://www.anlyznews.com/2012/08/blog-post_31.html.
- (2)日本医師会「厚生労働省『社会保障に関する意識調査』について」2012年9月5日。
- (3)二木立「民自公『社会保障制度改革推進法案』をどう読むか?-「社会保障・税一体改革大綱」との異同を中心に」『文化連情報』2012年8月号(413号):14-18頁。
- (4)二木立『医療改革と病院』勁草書房,2004,62-64頁。
- (5)二木立「『自助・共助・公助』という表現の出自と意味の変遷」『文化連情報』2012年8月号(413号):19-21頁。
- (6)二木立『TPPと医療の産業化』勁草書房,2012。
- (7)河北博文「公正な競争原理を持つ市場」『病院』1997年11月号:985頁。
- (8)大橋謙策「新しい貧困と住民の教育・学習活動」『月刊福祉』1973年11月号:34-39頁。
- (9)ピーター・タウンゼント編著、三浦文夫監訳『貧困の概念』国際社会福祉協議会日本委員会,1974。
- (10)岩田正美『社会的排除-参加の欠如・不確かな帰属』有斐閣,2008,41-55頁。
- (11)湯浅誠『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』岩波新書,2008,59-69頁。
- (12)田村誠「なぜ多くの一般市民が医療格差導入に反対するのか-実証研究の結果をもとに」『社会保険旬報』2192号:6-11頁,2003。
3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その24):7冊
※書名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○『医療ツーリズムのリスクと挑戦-医療サービスの世界市場を理解する』
(Hodges JR, Turner L, Kimball AM (eds.): Risks and Challenges in Medical Tourism - Understanding the Global Market for Health Services. Praeger,2012,329 pages)[研究論文集]
医療ツーリズムの便益とリスクを、多面的・学際的かつ国際的視点から検証した、研究論文集です(14論文収録)。以下の4部構成です。序論:医療の国際化、第1部推進力、離陸点と着陸点:医療ツーリズムの現状分析(situated studies)(4論文)、第2部国境を越える:リスク、論争と結果(3論文)、第3部法的・規制的問題(3論文)、第4部倫理的検討(2論文)、終章(結論)。序論(16頁)を読むだけでも、医療ツーリズムの国際的動向、研究動向と論争が鳥瞰できます。
○『医療ツーリズム-レファレンス・ハンドブック』
(Stolley K, Watson S: Medical Tourism - A Reference Handbook. ABC-CLIO,2012,343 pages)[小百科事典]
ABC-CLIO社の「現代世界の問題」シリーズの1冊です。主としてアメリカ(人)の視点から、医療ツーリズムについて包括的かつ簡潔に解説しており、統計・資料も豊富です。以下の8章構成です(1~3章(118頁まで)が「本文」)。1背景と歴史、2問題、論争と解決策、3国際的視点vs特殊アメリカ的問題、4年表、5医療提供者-各組織の紹介、6データと記録、7各組織の住所録、8主要文献の解説。2章では、「医療ツーリズムの経済分析」も簡単に行われていますが、アメリカの視点(のみ)からの分析です(67-72頁)。
○『OECD医療の質レビュー[シリーズ] 韓国-水準の引き上げ』
("OECD Reviews of Health Care Quality Korea - Raising Standards. OCED, 2012,166 pages)[調査報告]
OECDの新しいシリーズの第1冊です。韓国が最初に取り上げられた理由は、短期間に国民皆保険制度を達成したこと(1987年)、他のOECD加盟国に比べると少額の医療費でそれを実現したこと、およびそれ以降も連続的に改革を実行していること(医薬分業、単一保険者)だそうです。以下の4章構成です:第1章韓国の医療制度における医療の質(概観)、第2章経済的誘因を用いた医療の質の改善、第3章プライマリケアの強化、第4章心疾患・脳血管疾患医療の質。最新データも豊富で、韓国医療や日韓医療比較の研究者は必読と思います。
○『ヨーロッパの医療改革-市場モデルへの収斂?』
(Verspohl I: Health Care Reform in Europe - Convergence Towards a Market Model? Nomos, 2012,328 pages)[国際比較研究]
ドイツの若手福祉国家論研究者(1983年生)による、オランダ、スウェーデン、ドイツ3か国で実施された「市場の要素を医療制度に導入する」改革の詳細な比較研究です(おそらく博士論文と思います)。3か国は「市場志向の医療改革」という点で一見似ているが、それはアイデア(言葉)レベルにとどまり、各国の実際の改革は相当異なっており、収斂は生じていないし、連帯も弱まっていないというのが著者の結論です。著者は、スウェーデンは平等を、オランダは自由をより重視しているが、両国とも自由と連帯のバランスをとろうと苦心していると好意的に評価しています。それに対して、(著者の母国の)ドイツの医療制度改革の大半は「注意深く計画されたものではなく、漂流の結果」であると極めて厳しい評価です(以上、308-309頁の「総括的結論」より)。
○『医療改革とグローバリゼーション-アメリカ、中国およびヨーロッパの比較』
(Watson P (ed.): Health Care Reform and Globalisation - The US, China and Europe in Comparative Perspective. Routledge, 2012, 213 pages)[国際比較研究(論文集)]
2011年7月にイギリス・ケンブリッジ大学で開かれた国際シンポジウムの報告集です。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国で行われている一見大きく異なる医療改革を「単一の分析枠組み」(グローバルに共有できる医療枠組みへの移行)で叙述しているそうです。全9章で、アメリカ、イギリス、ロシア、中国(2章)、EU、ポーランド、ハンガリー等の医療改革が分析されていますが、単なる論文集のように思えます。
○『治療と反応-医療改革をめぐる奇妙なアメリカの闘い』
(Star P : Remedy and Reaction. Yale University Press, 2011, 324 pages)[政策研究]
1984年出版の大ベストセラー『アメリカ医療の社会的変容』(Social Transformation of American Medicine)で一世を風靡したポール・スター教授(医療社会学)の新著です。オバマ政権の医療改革で頂点に達したアメリカの医療改革とそれをめぐる論争史を、ほぼ時系列的に分析しています。次の全3部・9章構成です(序章を除く)。第1部医療改革の系図(1910~1980年代)、第2部失敗した野望、リベラルと保守(1990年代~2006年)、第3部ロールコースター(2006年以降)。
○『医療評価』
(Bausell RB (ed.):Health Evaluation (Fundamentals of Applied Research Series), Sage, 2012, 4 volumes,401+398+397+435 pages)[重要論文選]
医療評価についての89の重要論文選で、次の4巻構成です:第1巻理論と問題(20論文)、第2巻方法と計画(21論文)第3巻測定と統計(22論文)、第4巻事例研究(26論文)。医療評価研究をテーマとする講座・研究室の必置図書と思います。第1~3巻の冒頭の「解題」を読むと、医療評価研究の歴史と全体像が分かるようです。
4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算83回.2012年分その8:5論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○西側諸国の病院での医師・経営者間の起業的アプローチの駆動力としての組織内ダイナミックス
(Koelewijn WT, et al: Intra-organizational dynamics as drivers of entrepreneurship among physicians and managers in hospitals of western countries. Social Science & Medicine 75(5):795-800,2012)[理論研究・文献レビュー]
過去10年間、医療部門における起業的アプローチの導入[ビジネスの手法を保健・福祉等の公的サービス供給システムに応用する試み]はますます重要になっている。高齢化社会、画期的技術の継続的な出現、および慢性疾患の増加が医療制度の持続可能性を危険にさらしている。これに対応するため、多くのヨーロッパ諸国政府は1990年代に、医療のことは医療専門職従事者に任せるべきという伝統的な発想から、経営的な視点から医療を再検討する方向に転じた。多くの政府が、増大する財政赤字に対処するために医療費を削減しなければならないため、この傾向は今後も続くと予測される。この過程で起業的アプローチの導入が促進されているが、そのプロセスが、どのような病院内の職種間のダイナミクスの中で進められているのかについてはほとんど知られていない。本研究の目的は、西側諸国において、病院内の体制が医師・経営者間の起業的感覚(の喚起)に与える影響について、既存の理論枠組みにもとづく体系的文献レビューを行うことである。依拠するのは、新制度学派の理論にもとづくGreenwoodとHinings(1996年)による枠組みである。各種データベースから同定した34の英語文献を対象とし、、病院内の職種間の関係を職種間の力関係(power dependencies)、充足されていない欲求・要求(interest dissatisfaction)、価値コミットメント(value commitments)の3つの視点から検討した。
その結果、医療改革の進展に伴って、日常の医療行為が病院の経営状態に左右される傾向が高まり、その結果として経営感覚の重要性が強調されるに至っていることが明らかになった。このような事態に対する医師側の反応は様々である。ビジネスライクなヘルスケアモデルから身をまもる一助として起業的アプローチを採用せざるをえなかったような医師たちもいれば、伝統的な医師の優位性と専門職としての自律性を守ろうとする医師たちもいる。いっぽうこれらとは大きく異なって、伝統的な医療専門職主義を超越したところで、ビジネスライクなヘルスケアモデルに内在する起業的要素を取り込みつつある医師たちもいる。これら(この第三のグループの医師たちの)背景には、そうすることによって専門職としての自律性をさらに高め、得られる収入もあげることができるという期待がある。現状では満たされにくい欲求・要求の存在や(病院内の異なる専門職間の)価値観の競合も、医師の間での起業的アプローチを促すものであったが、それが必要性に基づいて(やむにやまれず)促されているのか、それともより有利な機会を求めてのことであるのかは、それら満たされない欲求・要求や価値の競合の相対的重要性によって異なっていた。
二木コメント-西ヨーロッパ諸国の医療改革で導入された起業的アプローチが、一部の医師の企業家的行動を生んでいるとの指摘は重要ですが、なんとも難解な論文です(この抄訳は、東洋大学の須田木綿子教授の添削を受けました)。この指摘は、グレイが、1980年代のアメリカ医療の営利化を検討した際、「医療倫理の最大の脅威は営利企業の参入そのものではなく、企業家的に行動する医師や非営利病院が増えていることである」と指摘したことと類似しています(Gray BH: The Profit Motive and Patient Care - The Changing Accountability of Doctors and Hospitals. Harvard University Press,1991,p.334。この点についての私の考察は『TPPと医療の産業化』(勁草書房,2012)の第3章第2・4節参照)。なお、2人の執筆者は共に、医療の(擬似?)市場主義的改革がヨーロッパで一番進んでいるオランダの研究者であり、そのために「存在が意識を規定する」バイアスもある気がします。
○病院の開設者と効率:ドイツに焦点を充てた文献レビュー
(Tiemann O, et al: Hospital ownership and efficiency: A review of studies with particular focus on Germany. Health Policy 104(2):163-171,2012)[文献レビュー]
ドイツの病院市場では過去20年間さまざまな医療改革が行われてきた。特に2004年のDRG導入は病院効率の改善を目的にしていた。ドイツの公立病院、非営利民間病院、営利病院の効率を比較した8論文の文献レビューを行った。これらの論文は効率指標としてDEA(6論文)またはSFA(2論文)を用いていたが、結果はバラバラであった。しかし、他国、特にアメリカで得られたエビデンスと同じく、ドイツで得られたエビデンスも、民間病院(非営利と営利の両方)は公立病院に比べて必ずしも効率面で優れているとは言えないことを示唆している。このことは、営利病院がもっとも効率的であると思っている多くの政策担当者には驚きであろう。
二木コメント-このテーマについてのドイツ初の文献レビューだそうです。それにしても、ドイツの政策担当者の間に、営利病院の方が効率的との「神話」がいまだに残存しているとは驚きです。
○ドイツの急性期病院の開設者と財政的持続可能性
(Augurzky B, et al: Ownership and financial sustainabiity of German acute care hospitals. Health Economics 21(7):811-824,2012)[量的研究]
2001~2005年のバランスシート(貸借対照表)が得られたドイツの急性期病院962の所有形態(公立、民間非営利、営利の3区分)が財政的持続可能性に与える影響を検討した。財政的持続可能性は、1年以内に債務不履行に陥ると予測される確率(probabiity of default.以下、債務不履行確率)の変化により測定した。その結果、民間病院の債務不履行確率は公立病院よりも有意に低かった:2001~2005年平均の粗債務不履行確率は総数1.29%、公立1.54%、民間非営利0.95、営利1.39。債務不履行確率については経路依存性が相当あり、特に公立一般病院で強かった。しかしそれは100%ではなく、病院によっては財政的持続可能性の改善と悪化が大きかった。
二木コメント-病院の財政的持続可能性を、貸借対照表を用いて計算した「債務不履行確率」で評価した珍しい論文です。
○[アメリカおける]病院の所有形態と治療選択
(Bayindir EE: Hospital ownership type and treatment choices. Journal of Health Economics 31(2):359-370,2012)[量的研究]
医療費増加の圧力下、仮に非営利病院と営利病院とで違いがないとしたら、非営利病院への課税が政府歳入を増やすための適切な選択と見なされる可能性がある。本研究では、急性期病院の所有形態(民間非営利、営利、公立の3区分)が治療選択にどのような影響を与えるかを調査し、所有形態と教育病院のステイタスが治療選択と相関するか否か、および治療選択が患者が加入する医療保険の種類といかに関係するかを明らかにする。
そのために、「全米入院標本調査」と「アメリカ病院協会調査」から作成した1999~2005年のデータベースを用いて、ロジット回帰分析を行った。儲からない患者(無保険者とメディケイド受給者)の治療選択に関しては、非営利病院は営利病院と有意に異なっていた。また、全病院が民間医療保険加入者と無保険者で治療を変えていたが、公立教育病院ではその差が最も少なかった。治療選択に関して、民間非営利病院は営利病院や公立病院と異なる目的を持っていた。利益追求行動という点で、民間非営利病院は営利病院と公立病院の中間に位置するように思われる。
二木コメント-病院の所有形態と治療選択との関係に注目した点が新しいようですが、結果は月並みです。
○[アメリカにおける]ナーシングホームの財務実績:所有形態とチェーン加盟の役割
(Weech-Maldonado R, et al: Nursing home financial performance: The role of ownership and chain affiliation. Health Care Management 37(3):235-245,2012)[量的研究]
ナーシングホームはもっとも弱い立場の人々を顧客としているため、その財政的持続可能性は社会的関心事となっている。しかし、所有形態とチェーン加盟がナーシングホームの財務実績に与える影響についての実証研究はごく限られている。この点を明らかにするため、1999~2004年の各種の公開データや全国標本データを用いて、回帰分析を行った。被説明変数は営業利益率と総利益率とし、説明変数には所有形態・チェーン加盟分類(営利・チェーン加盟(5887)、営利・独立(2742)、非営利・チェーン加盟(1202)、非営利・独立(1405)の4種類)を含んだ。営利ナーシングホームは非営利ナーシングホームより財務実績が明らかに良かった。それに対して、チェーン加盟と財務実績との関係は微妙であった。営業利益率については、チェーン加盟ナーシングホームは、営利・非営利とも、独立ナーシングホームよりも財務実績が良かった。しかし、営利ナーシングホームの総利益率についてみると、独立ナーシングホームの方がチェーン加盟ナーシングホームより高かった。この結果は、所有形態とチェーン加盟が相互に影響しあっていることを示している。
二木コメント-所有形態とチェーン加盟の相互作用を検討したことに新しさがあるようです。
5.私の好きな名言・警句の紹介(その95)-最近知った名言・警句
<日本福祉大学学長選挙に立候補する前後に知り、共感した名言>
- 桂三枝(落語家。7月16日に、上方落語の大名跡「6代目桂文枝」を襲名した。68歳)「無難に行ったら、自分じゃない。しんどい道を選ぶからこそ、結果を出せる」(「朝日新聞」2012年7月14日朝刊「ひと」)。
- 藤本義一(作家)「男は振り向くな すべては今」(同上。桂三枝に送った色紙にこう書いた)。
二木コメント-この2つの名言は、2012年7月中旬に学長選挙への立候補を依頼されて、即座に引き受けたときに知り、私の美学と同じと共感しました。ただし、その後1カ月間、ブルーな精神状態が続きましたが…。桂三枝さんの言葉を読んで、7年前に多いに共感した、次の江夏豊投手評を思い出しました。 - 猪飼祐實(ラジオ大阪プロデューサー。高校野球で江夏投手とバッテリーを組んだ)の江夏豊(投手)評「好き嫌いがはっきりしていた。とりわけ、上のものにへつらう奴を極端に嫌った。好きか嫌いかはあっても損か得かはない」(後藤正治『牙-江夏豊とその時代』講談社,2002,40頁。本「ニューズレター」12号(2005年8月)で紹介)。
- 渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長。36歳の若さで学長になり、85歳の今日に至るまでずっと管理職を続ける)「置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人公となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは『私が変わる』ことによってのみ可能でした」(『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎新書,2012,11-12頁)。二木コメント-この言葉は、本「ニューズレター」98号(2012年9月)で紹介した、次の名言に通じると思いました。
- 大橋雄二「人生でやりたいことだけできる人はわずか。だったら『やらなければならないこと』を『やりたいことにすればいい』」(「毎日新聞」2012年7月18日朝刊、「障害持つ経営者が参集 [7月]21日、宇都宮で『サミット』」)
- 稀勢の里(大関5場所目の26歳。入門前から憧れていた、幕内最古参の兄弟子の若の里(36歳)が、大相撲秋場所2日目で通算800勝を達成)「前は『太く短く』と思ってた。でもそばで若[の里]関を見て変わった。今は『太く長く』燃え続けたい」(「朝日新聞」2012年9月12日朝刊)。二木コメント-私は、今までは、何歳まで研究を続けられるかについては「自然体」でいこうと思っていたのですが、大学の65歳定年が近づいてきた昨年秋、「少なくとも80歳まで(あと15年間)は研究を続よう」と数値目標(?)を立てました。この決意は、来年度から4年間、日本福祉大学学長を務めることが決まっても、まったく変わりません。そのため、稀勢の里関の「太く長く」という決意に多いに共感しました。
- 小林興起(衆議院議員。自民党議員だった2005年の通常国会で郵政民営化法案に反対票を投じ、2012年の通常国会で民主党議員として消費増税法案に反対票を投じた)「人間というものは権力を握った瞬間から、その権力を濫用する人と、謙虚に権力を行使する人に分かれる。それはすなわちインテリジェンス、教養の差だ。ところが、歴史をふり返ればわかる通り、過去、多くの権力者はインテリジェンスではなく、自分の"思い"で動いてきた」(『裏切る政治-なぜ「消費増税」と「TPP参加」は簡単に決められてしまうのか』光文社,2012,74頁)。二木コメント-ここでの「権力者」は日本の首相を指しますが、学長になった時の自戒の言葉にもなると感じました。なお、大学(学校法人)における最高権力者は学長ではなく、理事長です。一般には学長は教学の責任者、理事長は経営の責任者と思われていますが、それは誤解です。学校教育法37条では、理事長は「学校法人を代表し、その業務を総理する」と規定されています。
- 横山康行(富山大学名誉教授、70歳。本来の専門は生涯スポーツ論だが、漫画『ドラえもん』を研究する「ドラえもん学」の提唱者としても知られる。新著に、『「スネ夫」という生き方』)「おとなも夢を見続けてほしい。大人が現実的になりすぎると子どもが夢を語れなくなるでしょ。夢を見ると"積極的に未来を切り開こう"という気持ちになれると思うから」(「しんぶん赤旗」2012年9月16日)。二木コメント-私は、学長選挙「所信」(公約)の2番目の柱に、「教学・経営共同で『日本福祉大学長期ビジョン』(仮)を策定」することを掲げ、「教職員が夢と希望と誇りを持って、定年まで安心して働けるようにします」と書いたので、多いに共感しました。コジツケかな?(7月に学長選挙立候補を決意してからは、どんな名言を読んでも、つい選挙・学長業務と結びつけて考えてしまいます)。
- 昇地三郎(しょうちさぶろう。福岡教育大学名誉教授、106歳。99歳の時に幼児教育や健康法をテーマに世界各地で講演して以来、ほぼ毎年講演旅行をしている。2012年8月16日、1か月にわたる世界一周旅行の講演旅行から帰国し、「公共交通機関を利用して世界一周をした最高齢者」としてギネス世界記録に認定された)「私は生涯、疲れたと言ったことはない。4年後に横浜で開かれる国際心理学会に出ることが次の目標」(「毎日jp」2012年8月17日)。二木コメント-私は、臨床医(リハビリテーション医)だった1970年代前半から40年間、「『忙しい』とは絶対に言わないこと、および職場で依頼されたことは原則として断らないこと」を「社会人としての美学(こだわり)」にしています(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,165-166頁)。しかし、「疲れた」とはよく言っていたので、これからは、昇地さんを見習って、「疲れた」とは絶対に言わない(少なくとも人前では)を第3の美学にしようと決意しました(その大前提は、無理をせず、疲れないようにすること、および睡眠時間を十分(7~8時間)とることです)。
- 奈良美智(なら・よしとも。美術家、世界で日本の現代美術の評価を高めたアート界の「スター」)「ベストは尽くす、でもパーフェクトは目指さない」(『AERA』2012年8月27日号:5頁)。
- 日馬富士(大関。大相撲秋場所で2場所連続全勝優勝し、横綱昇進を確実にした)「悔いのない相撲だけを取りたかった。自分のやるべきことをしっかりやった」(「日本経済新聞」2012年9月24日夕刊。優勝から一夜明けた記者会見でこう喜びを語った)。
<学長(について)の名言(再掲。本「ニューズレター」掲載順。コメントは略)>
- 野田和夫(多摩大学学長)「周りの評価ですか。敵だらけですよ、たぶん…。でもね、出る杭は打たれるというが、打たれていると気づき始めたのが40代。50代になって、杭も出続ければ(相手は)諦めると思うようになった」(『週刊朝日』1990年8月10日号。12号(1985年8月))。
- 諏訪兼位(日本福祉大学学長・当時)「人間は忙しいときに良い仕事ができると、私は信じております」(2003年2月20日の大学評議会での発言。13号(2005年9月))。
- 梅原猛(哲学者、元京都市立芸術大学学長)「管理職生活と研究者生活との二重生活は私にとってむしろ有利に働いた。なぜなら研究一筋に生きているとスランプに陥ることがあるが、二重生活をしているとスランプに陥る暇もない。管理職として実務を務めていると、また新しい構想が湧いてきて、研究も進む。管理職も、いつ辞めてもよいと思っていると、地位に対する執着がなく、組織の状況が客観的に見られ、判断を誤らない」(「日本経済新聞」2001年5月26日朝刊「私の履歴書」。13号(2005年9月))。
- 阿部修人(故阿部謹也氏[元一橋大学学長]の次男)「これ[学長の仕事]はフィールドワーク、そんな言い方をする人だった」(「朝日新聞」2006年10月16日夕刊の「惜別」欄で紹介。執筆者は河合真帆氏。27号(2006年11月))。
- 平野真一(名古屋大学総長)「国立大学の法人化以降、学長のリーダーシップが言われるが、私はトップダウンでやることがリーダーシップだと考えていない。教育や、大学の危機への対応は組織を挙げて取り組まなければいけないが、研究を一方向だけに定めるのは間違いだ」(「朝日新聞」2008年12月1日朝刊「学長力」。53号(2009年1月))。
- 吉川弘之(産業技術総合研究所理事長。1990年代に東大学長)「自身の学問と大学の経営の哲学がつながっている点を好ましく見ていた」(「読売新聞」2008年12月9日朝刊「小宮山・東大学長最終講義」。後輩の小宮山学長を、こうたたえた。53号(2009年1月))。
- 森島昭夫(名古屋大学名誉教授。加藤一郎元東大総長(2008年11月11日死去)の最初の弟子)「[加藤一郎氏は]度量が広い。まず人の話を聞く。自分の考えが違っても攻撃的にならない」(「朝日新聞」2008年12月26日夕刊「惜別 加藤一郎さん」。53号(2009年1月))。
- 京極高宣(国立社会保障・人口問題研究所長。前日本社会事業大学学長)「管理は楽しんでやるのが肝心です」(2009年の年賀状に書かれていた、私の副学長就任に対する助言。56号(2009年4月))。
- 佐治晴夫(鈴鹿短大学長。宇宙物理学)「仕事を成し遂げるためには何がしかの『思い込み』は必要ですが、それには、常に『振り返り』による軌道修正がなければ暴走してしまいます」(「毎日新聞」2009年6月17日朝刊、「佐治博士の不思議な世界 蝶はゆらぐ心の象徴 現実と夢を振り子のように」。60号(2009年8月))。
- 小谷野敦(比較文学者、作家)「こちらの落ち度です、と言うような人間は、学部長になどならないものである。学部長とか学長とか『長』のつくものは、ある程度悪人でなければなれないものだ。むろん、会社でも官庁でも同じことだが」(『文学研究という不幸』ベスト新書,2010,218頁。75号(2010年10月))。