『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻136号)』(転載)
二木立
発行日2015年11月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
目次
- 1. 論文:厚労省プロジェクトチーム「福祉の提供ビジョン」をどう読むか?-医療関係者が注目・参考にすべき3点(「深層を読む・真相を解く」(48)『日本医事新報』2015年10月17日号(4773号):17-18頁)
- 2. 二木学長の出版記念インタビュー:厚生連の枠を超えて地域の医療・福祉機関、住民、行政と協力し、大きな役割を果たしてほしい
(『文化連情報』2015年11月号(452号):10-16頁。別ファイル:1511文化連情報インタビュー.) (PDF) - 3. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算116回.2015年分その7:5論文) - 4. 私の好きな名言・警句の紹介(その129)-最近知った名言・警句
訂正とお詫び
- 本「ニューズレター」134・135号では、拙新著の書名を『地域包括ケアと地域医療構想』と紹介しましたが、正しくは『地域包括ケアと地域医療連携』です。
- 本「ニューズレター」前号(135号)の目次の論文名に誤記がありました。
誤:病院病床の大幅削減は困難と考えるもう1つの理由-削減策失敗の歴史に学ぶ
正:地域包括ケアシステムと地域医療構想との関係をどう考えるか?
なお、目次の雑誌名・掲載頁数と、本文(2頁)の論文名には誤りはありません。
1.論文:厚労省プロジェクトチーム「福祉の提供ビジョン」をどう読むか?-医療関係者が注目・参考にすべき3点
(「深層を読む・真相を解く」(48)『日本医事新報』2015年10月17日号(4773号):17-18頁)
厚労省の「新たな福祉サービスのシステム等のあり方検討プロジェクトチーム」は、9月17日、「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現-新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン-」(以下、「ビジョン」)を発表しました。この「ビジョン」は厚労省の公式報告ではなく「叩き台」です。しかも、検討会の構成員(37人)は全員厚労省の現役職員であり、大学の研究者等は含まれません。それだけに、「ビジョン」には同省が考えている今後の福祉改革(短期と中長期の両方)の方向・願望が比較的ストレートに書かれています。
しかも、今後の医療改革を考える上で参考になる点も少なくないので、本連載で紹介・検討することにしました。私が、医療関係者が特に注目・参考にすべきと思うことは以下の3つを提起している点です。
- ●高齢者に限定されている地域包括ケアシステムの全世代への拡大。
- ●「生産性向上(効率化)」の定義とそれを向上する方法。
- ●今後福祉専門職が新たに持つべき3つの能力。
検討会の構成員と「ビジョン」の骨格
ビジョン」をとりまとめた検討会は、「プロジェクトチーム」、「幹事会」、「ワーキンググループ」の3層構成で、最上層のプロジェクトチームの構成員は雇用均等・児童家庭局長、社会・援護局長、老健局長、障害保健福祉部長、政策統括官(社会保障担当)の5人です。「幹事会」と「ワーキンググループ」には健康局のメンバーも入っています。3つの組織とも責任者(主査、主幹事、リーダー)は社会・援護局のメンバーであり、このことは「ビジョン」が同局主導でまとめられたことを示唆しています。
「ビジョン」は以下の5部構成です。1.総論、2.様々なニーズに対応する新しい地域包括支援体制の構築、3.サービスを効果的・効率的に提供するための生産性向上、4.新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保、5.今後の進め方。これらの中心は、2~4の3つです。
2~4の記述には、長年、福祉関係者が求めてきたものも多数含まれます。特に重要なものは、①先述した①地域包括ケアシステムの対象拡大、②縦割り行政の改善、③地域づくり・まちづくりの重視だと思います。
私が特に注目したことは、「ビジョン」示された福祉改革には、安倍政権が6月に閣議決定した「骨太方針2015」の社会保障改革部分に含まれていた、社会保障への市場原理導入(「社会保障関連分野の産業化」)と、家族を含む「自助を基本」とする社会保障観が含まれていないことです。これは、厚労省の矜持の現れかもしれません。
他面、福祉改革の財源にはまったく触れておらず、「ビジョン」で示された改革が、今後どこまで実現するかは不透明です。また、「ビジョン」には厚労省の2016年度概算要求における福祉分野の新規事業の「理論武装」という面もあると思います。以下、3つの柱に沿って紹介・検討します。
「新しい地域包括支援体制の構築」
第1の柱「様々なニーズに対応する新しい地域包括支援体制の構築」でもっとも注目すべきことは、地域包括ケアシステムの対象拡大で、次のように提起しています。「高齢者に対する地域包括ケアを現役世代に拡げる」。「高齢者、障害者、児童、生活困窮者といった別なく、地域に暮らす住民誰もがその人の状況に合った支援が受けられるという新しい地域包括支援体制を構築していく」。
厳密に言えば、これは地域包括ケアシステムの単純な拡大ではなく、「高齢者に対応する地域包括ケアシステム」(老健局所管)と「生活困窮者に対する自立支援制度」(社会・援護局所管)の2つの現行制度を、「制度ごとではなく地域というフィールド上に、高齢者や生活困窮者以外に拡げる」ことを目指しています。さらに、「新しいシステムを全国に広げていく」ために、「将来的には、法的な位置づけについても、適切に検討すべきである」とまで踏み込んでいます。
第1の柱でもう1つ注目すべきことは「福祉」の拡大であり、「新しい連携のかたちは、福祉分野に止まるのではなく、福祉以外の分野に拡大していかなければならない」として、雇用分野、農業分野、保健医療分野、介護分野、教育、司法、地域振興その他の分野との連携・協働を強調しています。手前味噌ですが、日本福祉大学は、近年の「福祉」の概念や対象の拡大を踏まえて、「福祉」を敢えて平仮名で「ふくし」と表現しており、2014年には「ふくしの総合大学」の商標登録も取得しました。
「生産性向上」について原理的に検討
第2の柱「サービスを効果的・効率的に提供するための生産性向上」は、福祉関係の公式文書として初めて、経済学的に正確な「生産性」(効率化)の定義とそれを向上する方法を明示しました。
まず、「生産性とは、生産資源の投入量と生産活動により生み出される産出量の比率として定義され、投入量に対して産出量の割合が大きいほど効率性が高いことを意味する」と述べ、次に「生産性向上に向けた具体的な取組」として、「①先進的な技術等を用いた効率化」、「②業務の流れの見直し等を通じた効率化」、「③サービスの質(効果)の向上」の3つをあげています。①と②は、経済学におけるイノベーションの2区分、「プロダクト・イノベーション」(製品革新)と「プロセス・イノベーション(工程革新)」に正確に対応しています。①ではロボットとICTの導入・活用が重視されています。
さらに③では「生産性の向上とサービスの質の向上は決して相反するものではない」と強調し、「これからの人口減社会の中で労働力の確保に一定の制約がある状況においては、サービスの質(効果)の向上を目指す前提としても生産性の向上が必要であるとの共通認識が必要である」と述べています。
これらの原理的視点は妥当であり、今後の医療改革を考える上でも参考になります。ただし、第2の柱には、「生産性向上は従業員の賃金上昇につながる」等、現実場慣れした記述も少なくありません。
なお、医療分野では、「ビジョン」よりも28年も早く、1987年に厚生省「国民医療総合対策本部中間報告」が、「医療の効率化」(「良質的で効率的な国民医療」)を提起しました。ただし、それには「効率性」の具体的説明はなく、しかも効率化はほとんど医療費抑制と同義で用いられたため、医療関係者の反発を招きました。しかしその後、30年で、病院経営において「医療の効率化」は定着したと言えます。
福祉専門職が新たに持つべき能力
第3の柱「新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保」は、まず「基本的な考え方」として、「新しい地域包括支援体制の基盤としての人材の育成・確保」、「新しい地域包括支援体制において求められる人材像」、「求められる人材の育成・確保の方向性」、「中長期的な検討課題」を示し、次に「新しい地域包括支援体制を担う人材の育成・確保のための具体的方策」を6点示しています。
私なりに読み解くと、今後「求められる人材像」のポイントは、①支援のマネジメント、アセスメントとコーディネート能力を持つ、②分野横断的な福祉サービスの知識・技能を有する、および③第2の柱で強調されているICTを駆使できる人材と言えます。今後、福祉系大学では、このような人材の養成が求められることになると思います。
第3の柱では、さらに「分野横断的な資格のあり方」も提起されています。「ビジョン」はこの点について具体的に書いていませんが、私が得た非公開情報では、今後、社会福祉士資格の在り方の検討が急ピッチで進められ、2018年度からの養成カリキュラムの改訂が予定されているそうです。
3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算116回.2015年分その7:5論文)
※「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。
○機械は「きしむ」:OECD加盟国における医療技術と医療費
Willeme P, et al: Machines that go "ping": Medical technology and health expenditures in OECD countries. Health Economics 24(8):1027-2041,2015.[量的研究]
技術は医療費増加の主因と信じられている。その影響を定量化するうえでの主な困難は、医療技術イノベーションを測定する適切な代理変数を発見することである。本研究の主要な貢献は、承認された医療機器と医薬品の製品数についてのデータを医療技術の代理変数として用いることである。医療機器と医薬品は、技術の性格によりそれぞれ2分した。これらの変数の1人当たり総医療費に対する影響を、18のOECD加盟国の1981-2012年のパネルモデルを用いて推計した結果、医療技術の相当な医療費増加効果を確認した。具体的にはそれにより、18か国(日本を含む)の医療費の歴史的増加の43%が説明可能である。技術の医療費に対する影響は全体的には正(医療費増加)であるが、承認の2つのサブグループの影響は有意に負(医療費減少)である。これらのサブグループは、「漸増的医療イノベーション」を代表していると考えられる。それに対して、正の効果は医薬品や医療機器の根源的イノベーションに関連している。FDAの承認データはアメリカにしか適用されないため、アメリカのみを対象にして時系列分析を行ったところ、その結果は他のOECD加盟国の近似としても使えた。我々が用いたモデルは、肥満の指標(BMI)も含んでおり、肥満が医療費増加に相当寄与していることが確認できた。
二木コメント-医療費増加要因についての最新の定量的国際比較研究です。テーマは非常に魅力的であり、分析も緻密ですが、承認された医療機器と医薬品の製品数のデータを医療技術の代理変数とすることが妥当か否かは、私には判断できません。なお、本論文の表5(1036頁)では、5つの要因(所得、公的費用割合、ライフスタイル(BMI)、年齢構成、技術)別の、各国の1980~2009年の医療費増加寄与率が示されています。それによると、年齢構成の寄与率は18か国平均では13%ですが、日本はその倍の26%(寄与率最大)です。
○なぜ症例数の多い病院のアウトカムは良いのか?症例数・アウトカム関係における中間的要因についての体系的文献レビュー
Mesman R, et al: Why do high-volume hospitals achieve better outcomes? A systematic review about intermediate factors in volume-outcome relationship? Health Policy 119(8):1055-1067,2015.[文献レビュー]
症例数・アウトカム関係におけるプロセス要因と構造要因の役割を評価するために、症例数・アウトカムについての分析枠組みに基づいて、症例数・アウトカム関係における説明要因(変数)を検討している査読付き論文の体系的文献レビューを行った。PubMedを用いて、1756論文をスクリーニングし、最終的に選択基準に合致した27論文を選んだ。これら論文の対象は、心疾患診療(8論文)、癌治療(12論文)、整形外科(2論文)、小児科(5論文)であった。3種類の説明要因カテゴリーが同定された:①エビデンスに基づいた医療プロセスに対するコンプライアンス(11論文)、②専門化のレベル(11論文)、③病院レベルの要因(10論文)。10論文で、プロセスまたは構造の特性が、確立された症例数・アウトカム関係を部分的に説明していた。27論文の質スコア(18点満点)の中央値は8であった。症例数・アウトカム関係についての研究の大半は、それの基礎にあるメカニズムに焦点を当てておらず、プロセス特性と構造特性を分析の説明要因(変数)に加えていなかった。研究方法の質も高くはなく、症例数に基づく医療の集約化という現在の政策を支持するエビデンスがあるとの主張には疑問が残る。二木コメント-「症例数が多い方がアウトカムが良い」ことのエビデンスはかなり蓄積されてきてはいるが、そのメカニズムについてはまだ十分に解明されていないことがよく分かります。
○[アメリカの]メディケア・パートBの[診療]密度と[診療]量の埋め合わせ
Brunt CS: Medicare Part B intensity and volume offset. Health Economics 24(8):1009-1026,2015.[量的研究]
メディケア・パートB(医師診療保険)では、診療料金の調整は、医師と病院は料金引き下げをサービス量の増加で埋め合わせるという仮定の下で行われる。古い研究ではこのような「診療量による埋め合わせ」のエビデンスが得られていたが、最近の研究ではこれの強さと存在そのものについての疑問も提起されている。本研究は、診療量による埋め合わせ仮説の代替仮説、即ち「診療密度の埋め合わせ」手段としての請求・提供するサービスの変更仮説を提起し、実証的に評価する最初の試みである。両方の代替を評価することにより、診療密度代替の強いエビデンスを得たが、診療量代替についてのエビデンスはほとんど~まったく得られなかった。シミュレーション研究によると、各種診療行為(CPTコード)のメディケア料金の10%引き下げの22~59%は、サービス密度の変更によって埋め合わされていた。
二木コメント-医師への出来高払い方式が主流のアメリカでは、伝統的な「供給者(医師)誘発仮説」は、供給者は価格の引き下げをサービス量の増加で埋め合わせるとしてきましたが、現在ではサービス密度の変化による埋め合わせに変わったことをきれいに実証しています。ただし、難解な論文です。おそらく日本でも同じ変化が生じていると思います。
○[アメリカ・カリフォルニア州における]救急車受け入れ不能に伴う循環器系技術へのアクセス減少と1年後死亡率
Shen Y-C, et al: Ambulance diversion associated with reduced access to cardiac technology and increased one-year mortality. Health Affairs 34(8):1273-1280,2015.[量的研究]
「救急車方向転換」(以下、救急車受け入れ不能)は病院の救急部門が混雑して一時的に新しい救急車を受け入れられないときに生じる、重要な制度レベルの医療中断現象であり、治療の遅れに加え、医療の質の低下をもたらす可能性がある。しかし、救急車受け入れ不能が患者のアウトカムに与えるメカニズムを調査した実証研究はほとんどない。そこで救急車受け入れ不能が、医療技術へのアクセス、治療、最終的なアウトカムに影響するか否かを、カリフォルニア州の24の郡の急性心筋梗塞のメディケア患者を対象にして、検討した。その結果、一番近い病院の救急部門が重大な救急車受け入れ不能であった患者は、救急車受け入れに遭遇しなかった患者と比べて、循環器系技術へのアクセスが低下し(例:血管再生術開通術を受ける確率は9.8%低下)、1年後の死亡率は9.8%上昇していた。
二木コメント-アメリカ・カリフォルニア州の救急車受け入れ不能の実態とそれの深刻な患者アウトカムへの影響についての貴重な研究です。救急車受け入れ不能は、特にロサンゼルス郡で深刻で、常時6割の患者が遭遇しているそうです。
○アメリカの病院から急性期後医療施設への転院増加に伴う患者と入院の諸特性
Burke RE, et al: Patient and hospitalization characteristics associated with increased postacute care facility discharges from US hospitals. Medical Care 53(6):492-500,2015.[量的研究]
急性期病院に入院後、急性期後医療施設(PAC施設。スキルドナーシング施設やリハビリテーション施設を含む)に転院する患者数は1996~2010年に50%も増加した。この趨勢の影響をもっとも受けている支払い者と患者の特徴と、PAC施設が急性期病院への入院継続を代替している可能性がある病名を明らかにするために、1996~2010年の全国病院退院調査(全国代表標本)を後方視的に分析した。対象は、同調査に含まれる非連邦立の急性期病院の1996~2010年の退転院患者299万人である。2010年にPACに転院した患者の半数強(50.7%)が80歳以上であり、この年齢層の患者の40%がPAC転院後そこで死亡していた。急性期病院での平均在院日数短縮とPAC施設への転院増加は支払い者と患者の人口学的特性の違いによらず一貫していた。PAC施設は、特に肺炎と大腿骨骨折と敗血症の患者の急性期病院への入院継続の代替になっていた。結論として、PAC施設への転院増加は全ての年齢層と支払い者で生じていたが、特に非常に高齢でリハビリテーションの効果が望めない患者で顕著であった。
二木コメント-要旨には書かれていませんが、本論文は、全国代表標本を用いて、急性期病院からPAC施設への転院だけでなく、自宅への退院のトレンドも分析しています。自宅への退院率は全ての年齢層(18-64歳、65-79歳、80歳以上)で低下し続けていますが、特に80歳以上で顕著です。
4. 私の好きな名言・警句の紹介(その128)-最近知った名言・警句
<研究と研究者の役割>
- 山本昌(プロ野球中日ドラゴンズ・投手。32年間現役を続け、「中年の星」と謳われた。2015年10月7日の広島戦に先発登板し、自らが持っていた最年長登板記録を50歳1か月に塗り替え、現役生活に幕)「われわれの世代の人々に、『老け込むなよ』というメッセージを発信したかった」(「NHK総合テレビ」2015年10月12日放映、「現役引退 山本昌のメッセージ」)。二木コメント-この言葉を聞いて、田尾安志氏(野球解説者。当時46歳)の「年齢で壁を作るな」を思い出しました(「日本経済新聞」2000年7月4日朝刊「スポートピア」。本「ニューズレター」31号(2007年3月)で紹介)。
- ジェイミー・モイヤー(米大リーグ・元投手、52歳。軟投派の左腕としてマリナーズなどで49歳までプレーし、現役最終年の2012年に49歳5か月の最年長勝利記録(通算269勝)を達成した)「年齢を重ねると、周りは『無理だ。なぜやろうとするのか』と言い続ける。しかし、なぜやらないのかと私は言いたい」、「25歳の時にできたことが、49歳でできないとは言えない。あるいは52歳だからできないというものがあるのか。(不可能だといわれるのは)誰も挑んだことがないからだろう」(「毎日新聞」2015年8月9日朝刊。当時、最年長勝利の世界記録を目指していた山本昌投手にこうエールを送った。二木コメント-研究者についても、同じことが言えると思います。私も、拙新著『地域包括ケアと地域医療連携』(勁草書房,2015年10月)に以下のように書いたので、大いに共感しました:「最近は、学長任期中はもちろん、それが終わってからも、研究と言論活動は、体力と気力と知力が続く限り(少なくとも85歳までは)続けようと、今までよりもさらに前向きに考えるようになってきました」(あとがき:246頁)。
- 齊藤孝(明治大学教授、55歳)「よく歳を取れば落ち着くと言いますが、私は、逆に年を取れば取るほどより軽やかになるというのを目指しています。ですから私は、どうやったら風のように軽くなれるのかということをテーマに年齢を重ねてきました。(中略)/そのためには、威張らないというのも一つ大切なことです。年取って威張るのは、ちょっとかっこ悪く、軽々としたイメージにはそぐわないからです。(中略)/でも、それができるようになるためには、『孤独』というものを恐れなくなることが必要なのです。これは、自分が注目されなくてもいい。生活の中で、自分なりの安らぎを得て自足すればいいという『自足の境地』です」(『「疲れない身体」をつくる本』PHP,2015,181-182頁)。二木コメント- 私も、自分の年齢を気にせず新しいことに挑戦してきたツモリですが、「軽やかになる」ことを「目指す」という視点は新鮮でした。
- 大村智(北里大学特別栄誉教授、80歳。2015年のノーベル医学生理学賞を受賞)「パスツールは『幸運は準備された心を好む』と言った。私はそれを『幸運は志を好む』と言い換えている。自分の持っているものを『世のために役立てたい。若い人に、そんな強い気持ちを持ってもらうのが大事だ」(「中日新聞」2015年10月10日朝刊、「ノーベル賞・大村智さん若者に告ぐ」。二木コメント-大村先生の、研究者としての高い志に改めて、感銘を受けました。なお、パスツールの名言の原語(フランス語)と英訳は、本「ニューズレター」72号(2010年7月)に、益川敏英氏の名言といっしょに紹介しました。
- 大村智「点取り虫になるな。大学の勉強は65点でいい。制度だから最低点は必要だが、『優』をとらなくてもいい。その分、好きなことをやった方がいい」(出所は同上)。二木コメント-私も、かつて高校・大学時代の9年間(1963~1971年度)、同じ姿勢で「好きなこと」をやっていたので、大いに共感しました。ポイントは、「好きなことだけをする」ではなく、「最低点は必要だ」だと思います。
- 伊坂幸太郎(作家、仙台ぐらし。東日本大震災後、「前向きな話が本当に大事」と思うようになり、作風が変わった)「やっぱり、前向きにしたい。それも、例えると『分度器で1度上がっている』くらいがいいんですよね。1度でも、その角度でずーっと伸ばしていった先は、かなり上がって、幅ができる。45度とかだと、嘘臭いじゃないですか」(『エコノミスト』2015年10月13日号:45頁、「問答有用566」。「書くときに心がけていることは」と問われこう答えた)。二木コメント-「分度器で1度上がってる」という表現が秀逸と思いました。私も、今後の医療(政策)の「客観的」将来予測をするとき、厳しさのみを強調するのではなく、かならず「希望の芽」も指摘するようにしています。拙新著『地域包括ケアと地域医療連携』(勁草書房,2015)の「はじめに」の最後でも、「公的医療費抑制や医療の営利産業化は決して『避けられない現実』ではなく、別の選択肢もあり得る」ことを強調しました。
- 清家篤(慶應義塾長)「[国民に社会保障制度を正しく理解してもらうために]専門家に求められる第一の役割は、制度や技術の基本的な枠組みと現状を正確に説明することである。その際に、厳密さを損なわずに分かり易く説明できるのが本当の専門家であろう。(中略)/専門家の役割の二つ目は、そうした制度や技術の現在抱える問題に対して、実現可能な解決策を提示することである。(中略)/専門家は独善に陥ってもいけないし、また無責任になってもいけないというバランスを求められる。(中略)大きな選択を市民、国民がしなければならないような場合に、こうした『いっしょに考えてくれる人』としての専門家が求められているのだろう。/(中略)そうした『いっしょに考える人』としての専門家にとって何よりも大切な資質は何かと言えば、それは謙虚さだろう。専門家としての責任は精いっぱい果たすけれども、同時に専門家も万能ではないことを深く自覚し、そして市民として選択に悩む」(『週刊社会保障』2014年11月3日号:34-35頁、「専門家の役割とは何か」。「いっしょに考えてくれる人」は哲学者の鷲田清氏が『しんがりの思想』(2012)で用いている言葉)。二木コメント-この名言と、次の佐藤優氏の名言は、大塚義治氏が『週刊社会保障』2015年7月6日号の「休題閑話(24)いっしょに考えてくれる人は誰か」で、簡潔に紹介されていました。氏は、「『専門家』とは一体なんだろう」と考えていて、この2つの小論が「目に入った」そうです。
- 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)「有識者や専門家の力量を見分けるために、筆者が否定神学を用いて判断していることについて記す。/第一は、週刊誌、新聞など編集力の高い媒体だけに書いていないことである。(中略)/有識者や専門家の実力を見極めるために有益なのが、大学の紀要や学会誌、ミニコミ誌など編集力があまり強くない媒体に掲載した文書を読むことだ。そうすると書き手の生の実力がそのまま現れる。(中略)/第2は、有識者や専門家が、講演会でパワーポイントや動画に依存していないことだ。(中略)/第3は、講演において質疑応答から逃げないことである。(中略)/さらに専門家ならば、自説があっても、まず、通説をきちんと説明する。そのうえで、通説のどこに問題があると考えるのかについて具体的に説明できる。(中略)/第四は、連続した講演を避けないことだ。(中略)/学術誌や専門誌にも論文を書き、パワーポイントや動画に過度に依存せずにプレゼンテーションを行い、連続講座を行い、質疑応答から逃げない有識者は、基本的に信用できる」(『週刊東洋経済』2015年6月13日号:96-97頁、「信頼できる有識者を『否定神学』で選ぶ」)。二木コメント-佐藤氏の第1~第3の条件は、私もクリアしていると思いました。第4は、大学院講義(医療・福祉経済論)で「代替」できる?と考えるのは、甘いか?
<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>
- 迫井正深(厚生労働省老健局老健課長・当時。2015年10月から医政局地域医療計画課長)「あえて言いたいのは、『他流試合のススメ』である。医師がひとり、回りは他職種という場に身を投じてほしい。人間味がつき、リーダーシップが涵養される」(『社会保険旬報』2015年9月11日号:23頁。9月2日に開かれた医学生・日本医師会役員交流会で講演し、「今からの医療の主役は地域医療」とし、「地域コミュニティで高齢者を支えるためには、多職種が顔を見える関係をつくらなくてはいけない。医療関係者は率先して参加してほしい」と強調したうえで、こう述べた)。二木コメント-医学界の大御所の黒川清氏(元日本学術会議議長)も長年「他流試合」を口癖にされており、私も『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)の「『修業時代』の5つのキーワードまたは教訓」(89-91頁)の第4にこれをあげ、氏の口癖を引用しました。ただし、黒川氏の「他流試合」は主に、医師が出身大学以外の国内外の大学・病院で医師としての研修・修業することを意味しています。それに対して、迫井氏は、「他流試合」を、保健医療福祉で多職種連携が求められる時代にふさわしく再定義しています。私は、このような「他流試合」は、自己の専門に閉じこもりがちな大学教員にも求められると思っています。
<その他>
- 勝俣範之(日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授)「現代は、"自己責任の時代"といわれます。自分のことは自分で責任を持つ、ということは良いようにも思われますが、私はこの"自己責任"という言葉が嫌いです。誰かに不幸があったときに、自己責任で片づけられてしまう怖さがあります。/病気になるのも自己責任、[がん]"放置療法"を受け、進行がんになり亡くなるのも自己責任、なのでしょうか?/マザーテレサは、『愛することの反対の言葉は、無関心』と言いました。/他人の災いに無関心になり、自己責任という言葉ですますのは、社会生活を送っていく上で、人間が助け合って生きていくことに逆行しているように思えるのです」(『医療否定本の嘘-ミリオンセラー近藤本に騙されないがん治療の真実』扶桑社,2015,209頁(「あとがき」の最後))。二木コメント-私も「自己責任という言葉が嫌い」なので、大いに共感しました。勝俣氏の近藤誠医師のがん治療についての諸主張の批判は、情理を兼ね備えており、説得力があると思いました。私には、特に第4章「『データ解釈』の嘘」が参考になりました。