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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻138号)』(転載)

二木立

発行日2016年01月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


1. 論文:財政審「建議」の医療・社会保障費抑制要求とKPIの危険性
(「二木学長の医療時評」(134)『文化連情報』2016年1月号(454号):20-26頁)

はじめに

財務省の財政制度等審議会(会長・吉川洋東京大学大学院教授)は2015年11月24日、「平成28年度予算の編成等に関する建議」(以下、「建議」)を麻生太郎財務大臣に提出しました。「建議」は、来年度予算編成に直結する改革だけでなく、「骨太方針2015」(2015年6月閣議決定)で定められた「2018年度までの集中改革期間」中の改革についても網羅的に示しています。

以前は、「建議」は財務省の最大限要求にすぎず、そこで示された医療・社会保障改革の多くはすぐには実現しませんでした。また、現在、財務省と経済産業省主導といわれる官邸との間には、財政再建と経済成長のいずれを優先するかについての温度差があると言われています。しかし、財務省と官邸は医療・社会保障費抑制という点では一致しており、「建議」に盛り込まれた方針の大半は官邸・安倍首相の考えを反映していると思います。 本稿では、「建議」中の医療・社会保障改革要求に限定して、2016年度予算に関わる事項、「集中改革期間」に関わる事項の順に検討します。最後に、「建議」等、最近の政府文書で広く用いられるようになったKPIの問題点を指摘します。

なお、「建議」はあくまで財務省の要求であり、2016年度予算における社会保障関係費の伸び率と診療報酬改定率は、最終的には、12月末に行われる財務省と厚生労働省との大臣折衝、安倍首相の政治判断によって決まります。

「骨太方針2015」から二重に逸脱した社会保障費抑制要求

「建議」の社会保障改革要求の最大の特徴は、「骨太方針2015」で示された社会保障関係費(国庫負担)抑制目標から二重に逸脱していることです【注】。私がこう判断する根拠は以下の通りです。

「骨太方針2015」では、2018年度までの3年間の社会保障関係費の伸び率を「高齢化による増加分に相当する伸び(1.5兆円程度)」=1年当たり5000億円「程度」にすることが「目安」とされていました。それに対して、「建議」は、①5000億円「程度」を5000億円「弱」に下方修正し、しかも②「『目安』から逸脱することは断じてあってはならない」、「3年間の目安であるからといって、歳出の伸びの抑制を先送りすることがあってはならない」(13頁)という最大級の強い表現を用いて、「目安」という表現を事実上否定しました。

私は、「骨太方針2015」の閣議決定直後に、それの社会保障関係費抑制の数値目標について検討し、それが小泉内閣時代の「骨太の方針2006」の数値目標を7割も上回ることを示しました(1)。島崎謙治氏も、近著で、「社会保障に対するスタンスは『骨太方針2015』の方が[「骨太の方針2006」よりも]むしろ厳しい」と指摘しています(2)。それに対して、「骨太方針2015」が決定された直後は、社会保障関係費抑制の数値目標に「目安」という表現が盛り込まれたことを根拠にして、「骨太の方針2006」よりも緩いと見なす理解が一般的であり、塩崎厚生労働大臣等も「一定の評価」をしました。しかし、それは幻想・過小評価だったと言えます。

ちなみに、「骨太の方針2006」決定後、2006年11月に提出された財政審「平成19年度予算の編成等に関する建議」は、社会保障関係費の伸びを5年間で1.1兆円抑制する「改革努力を継続する」との「骨太の方針2006」の文面を引用し、「こうした方針を踏まえ、今後、給付の抑制をはじめとする更なる改革に取り組んでいかねばならない」と、中立的に主張していました(12頁)。これと比べても、今回の「建議」の表現がいかに厳しいかがよく分かります。

社会保障費抑制の大半は薬価と調剤報酬の引き下げで捻出

「建議」は、厚生労働省が8月末にまとめた2016年度予算の概算要求における、社会保障関係費の増加6700億円を5000億円弱にすることを求めています。この6700億円増は、2013~2015年度の3年間の概算要求の平均8867億円増を2100億円以上下回っていますが、「建議」はさらに1700億円削減することを求めているのです。以下、それを実現するための「建議」・財務省のロジックを分析します。なお、これらは私の「事実認識」であり、「価値判断」ではありません。

2016年度には、診療報酬改定以外に国家予算に関わる制度改革は予定されていないため、社会保障関係費抑制の「目安」を実現するためには、1700億円削減をほぼ全額診療報酬の引き下げで捻出しなければならないことになります。財務省が10月30日の財政制度等審議会財政制度分科会に提出した「資料1 社会保障②」(6頁)によると、国民医療費を43.0兆円(2015年度予算ベース)として、診療報酬「全体」(医療サービス価格である診療報酬「本体」+薬価等)を1%「適正化」(引き下げ)した場合、医療費は4300億円、国庫負担は1110億円抑制されます。この数値を用いると、国庫負担1700億円抑制のためには、診療報酬全体の1.53%引き下げが必要になります。

診療報酬全体を抑制するためには、まず薬価の引き下げを行い、しかも2014年診療報酬改定時に続いて、それを診療報酬引き上げの財源には振り向けないことになります(「薬価改定は診療報酬本体の財源とはなり得ない」27頁)。2014年改定では、薬価引き下げによる国庫負担減は1336億円でした。2016年度も前回並みの引き下げと後発医薬品の使用促進を行えば、約1400億円の国庫負担減になると見込めます。その結果、1700億円から1400億円を引いた残り300億円の削減を、診療報酬「本体」の引き下げで捻出することが必要になるのです。「建議」も「[平成]28年度診療報酬改定」の項で、「診療報酬本体について、一定程度のマイナス改定が必要」と明言しています(26頁)。

次に「建議」は、診療報酬本体引き下げの第1のターゲットとして「調剤報酬に係る改革」をあげ、「現行の調剤報酬については、診療報酬本体とは別に、ゼロベースでの抜本的かつ構造的な見直しが必要である」と宣言しています。その上で、「調剤基本料の見直し」(大型門前薬局を念頭に置いた「特例」の対象拡充や点数の引き下げ)、「調剤料の見直し」(点数の引き下げと定額化)、「薬学管理料の見直し」(適用要件の厳格化)などの具体案を示しています。ちなみに、「建議」の社会保障改革で「抜本的」という表現が用いられているのはここだけです。また、診療報酬本体から調剤報酬のみを切り離すロジックは、今回の「建議」で初めて用いられました。

それに対して、やや意外なことに、病院・診療所の診療報酬引き下げは、ごく簡単にしか示していません。上記「28年度診療報酬改定」の項では具体的要求は示されておらず、他の項(「医療・介護提供体制の改革」)で、療養病床について「高い診療報酬の対象となる医療区分2・3の要件の厳格化等」、一般病床について「7対1入院基本料の算定要件の一層の厳格化」等を示しているだけです。

このことは、2016年度の診療報酬本体の引き下げの中心は調剤報酬引き下げであり、医療機関の診療報酬引き下げは比較的限定的になるか、引き下げ自体が見送られる可能性もあることを示唆しています。その背景には、安倍首相・官邸側に以下の次の2つの思惑があると思います。①2016年7月の参議院議員選挙で日本医師会・医療団体の自民党支持を確保するための政治的配慮。②2015年の医療経済実態調査により、病院経営が悪化していることが示されたため、病院等の診療報酬を大幅に引き下げると、2006年の診療報酬本体の引き下げを契機に生じた「医療崩壊」が再燃する危険がある。

今後3年間の改革を巡る財務省と厚労省の攻防

ただし、このことは財務省が医療費抑制のための本格的改革を放棄したことを意味しません。逆に、財務省は2018年度までの3年間の「集中改革期間」に医療保障・供給制度全般の網羅的な改革を求めており、厚生労働省との激しい攻防が始まっています。

このことが一覧できる便利な資料があります。それは、官邸の「経済・財政一体改革推進委員会」の下にある「社会保障ワーキンググループ」の第6回会議(11月20日)に提出された「資料1 社会保障分野の工程表策定作業に向けた関係者の意見」です。ここで「関係省」とは厚生労働省と財務省のみを指し、「骨太方針2015」の「経済・財政再生計画」で示された「社会保障の改革検討項目」に通し番号を付けて44項目に整理した上で、項目別に、厚労省の施策の概要説明、それへの「財務省の意見」、財務省の意見に対する厚生労働省の見解(11月16日時点)が一覧表で示されています。なお、財務省の意見は大半が上述した「建議」にも盛り込まれています。

これを読むと、厚生労働省が財務省に全面的に服従しているのではなく、一部の検討項目では、財務省の意見に対して、「慎重な検討が必要」等、財務省に与しない見解を述べていることが分かります。具体的には、財務省が求めている以下の10の「意見」に対して慎重な回答をしています(丸数字は検討項目の番号):③一般病床等の居住費負担、⑨受診時定額負担、⑪高齢者の診療報酬の地域差設定、⑪都道府県知事による民間医療機関に対する病床転換命令、(24)高齢者の自己負担増、(27)生活習慣病治療薬等の処方ルールの設定、(27)市販品類似薬の保険給付からの除外、(29)参照価格制度、(32)薬価引き下げ分の取り扱い、(33)薬価の毎年改定。

これらのうち、特に(24)で財務省が高齢者の自己負担を現役世代並に引き上げることを求めているのに対して、厚生労働省が「年齢が高くなるにつれて、医療費は大きくなるが、収入は減少。収入に対する医療費の自己負担は、高齢者が高い」ので「慎重な検討が必要」と回答したのは大変見識があります。(32)で「薬価の引き下げ分の取扱いは、政府全体で検討」と回答したのも、妥当と思います。

他面、(15)「個人に対するインセンティブ付与による健康づくりや適切な受診行動等の更なる促進」に関して、財務省が「骨太方針2015」に書かれていた「ヘルスケアポイントの付与」や「保険料の傾斜設定」に加えて、「現金給付」の実施まで求め、厚生労働省が「同様の方向性」と肯定的に答えたのは社会保険の根本原則からの逸脱であり、社会保険の民間保険化に道を開くことにもなりかねません(3)。

このこと、および現在の官邸・財務省の厚生労働省に対する圧倒的優位を考えると、厚生労働省が上記諸改革でいつまで、どこまで「慎重な検討が必要」との姿勢を維持できるかは心許ないと言えます。具体的には、2016年の診療報酬改定が小幅にとどまった場合にも、2018年の診療報酬・介護報酬同時改定時に両報酬の大幅引き下げが行われ、それと前後して保険給付範囲の縮小・患者負担の拡大も実施される危険があります。それだけに、医療関係者には厚生労働省に対する激励と監視が求められていると思います。

KPIの多用と弊害-クルーグマン論文を踏まえて

最後に、今回の「建議」をはじめ、最近の政府公式文書で多用されるようになった「KPI」(Key Performance Indicators:重要業績評価指標、成果目標)とその弊害について述べます。「建議」では、この耳慣れない用語が「社会保障」の項だけで7回も用いられていますが、これ以前の「建議」では2015年6月のものも含めて一度も用いられませんでした。

KPIは元々は企業経営の分野で用いられ始めた専門(業界)用語で、ある特定の事業開始前に達成すべき明確な目標(大半は数値目標)とそれを達成するためのプロセス・方法を設定し、所定の期間後に、事業の結果を測定し、目標が未達成の場合、その原因・理由・責任を明らかにすることを意味します。数値目標自体は、政府・厚生労働省も、以前から用いています(例:「健康日本21」)。しかし、KPIは、単なる数値目標(努力目標)とは異なり、目標達成のプロセス・方法を明示すること、および担当者・組織の結果責任を厳格に問う点に特色があります。

このKPIを政府文書に初めて持ち込んだのは、第2次安倍内閣成立直後に設置された産業競争力会議で、大企業経営者の議員が主導しました。それの第1回会議(2013年1月23日)で、三木谷浩史議員(楽天代表取締役会長兼社長)は資料「Japan Again」の「日本の競争力向上に向けて」の項で、「競争力アップに向け指標(Key Performance Indicator)を設定し、その実現に向けた具体策を企業経営的に作成する」ことを主張し、「国の競争力を伸ばす」ためのさまざまな「KPIの指標例」(現在値と目標値)を示しました。さらに第2回会議(2013年2月18日)に民間議員4人(三木谷・秋山・新浪・竹中)が連名で提出した資料「イノベーション」に「KPI(例):IT競争力ランキング」等が含まれました。

官庁側は当初KPIの導入に慎重でしたが、民間議員の強い働きかけにより、同年6月に閣議決定された「日本再興戦略」では「成果目標(KPI)のレビューによるPDCAサイクルの実施」が盛り込まれました。ただし、この時点では社会保障改革についてはKPIという用語は使われていませんでした(「国民の『健康寿命』の延伸」等で、多数の数値目標が示されました)。その後、KPIは徐々に他の政府文書でも使われるようになり、特に「『日本再興戦略』改訂2015」(2015年6月閣議決定)では、KPIがキーワード(マジックワード?)になり、「国民の『健康寿命』の延伸」等でも多数用いられました。

さらに新浪剛史氏(サントリーホールディングス代表取締役社長。経済財政諮問会議民間議員)は、2015年6月に経済財政諮問会議の下に設置された「経済・財政一体改革推進委員会」の責任者になってから、社会保障関係費の伸びを圧縮するために、社会保障の施策全般でKPIを設定するよう厚生労働省に強く求めています。それを受けて、同委員会の下に設置された「社会保障ワーキンググループ」では、社会保障分野のKPIの設定が急ピッチで進められています。

ただし、同ワーキンググループに提出された各種資料を読む限り、KPIとされているものの大半は「根拠に基づく」ことのない恣意的数値目標です。その最たるものは、10月29日の第4回会議に財務省が提出した「説明資料-経済・財政一体改革(社会保障分野)の改革工程について」で、これは財務省が財政制度等審議会財政制度部会に提出した資料の焼き直しにすぎません。唯一の例外は、第4回会議に松田晋哉委員が提出した「社会保障領域におけるKPIの考え方についての考察」で、単なる医療費抑制とは一線を画し、ご自身の膨大な実証研究を踏まえた「根拠に基づく」KPIを例示しています。

ただしこれは例外であり、このままでは社会保障領域のKPIは、財務省・官邸が、厚生労働省や医療関係者に対して、医療・社会保障費抑制の数値目標を機械的に達成するよう強いる手段に使われる可能性が大きいと思います。

さらに、KPIについては、個別の企業経営と「国家経営」の違いを無視して、後者を「企業経営的に」行うという根本的問題点があります。私は、上述した三木谷議員のストレートな提案を読んで、アメリカの著名な経済学者クルーグマンが、成功した大企業経営者が、ビジネスの世界の論理・経験をそのまま国家の経済政策に持ち込もうとすることを批判して、「ビジネスで学んだことは、経済政策の策定には役立たない。国は大企業ではないからだ」と力説したことを思い出しました(4)。以下、彼の主張のポイントを紹介します。「世界一大きな企業も、複雑性では国民経済の足下にも及ばない」(55頁)。「経営戦略と経済政策の根本的な違いは、(中略)最も巨大な企業ですらオープン・システム(開放系)であるのに対して、国際貿易がここまで盛んになってもなお、アメリカ経済自体はほとんどクローズド・システム(閉鎖系)だということだ」(60頁)。両システムでは『「フィードバック』の性格が違う」(65頁)。

クルーグマン論文の「解題」で、訳者の北村行伸氏は、「平たく言えば、企業経営では競争に勝つことだけを考えればいいのだが、国民経済運営は競争に敗れた企業・個人の身の振り方も含めて考えなければならないということである。企業は市場競争というゲームの参加者にすぎないが、国民経済の政策担当者はゲームの管理者あるいは審判の立場にある」と的確にまとめています(75頁)。私は、「根拠に基づく」ことのない恣意的KPIは、一般の経済政策以上に社会保障政策で有害であるし、その「流行」は長くは続かないと思います。

【注】社会保障費には「社会保障給付費」と「社会保障関係費」の2つがある(5)

「社会保障費」は、一般的には、保険料負担と公費負担(国・自治体)を合計した「社会保障給付費」のことを意味します。ただし、財務省がとりまとめる予算書では、伝統的に「一般会計の国庫負担分」のみを意味する「社会保障関係費」が用いられます。

2015年度予算ベースでは、「社会保障給付費」116.8兆円のうち国庫負担は29.1%です(http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/kyufutofutan2015.pdf)。この割合が一定のまま、社会保障関係費(国費)が抑制された場合、いわば「レバレッジ」(テコの原理)が効いて、社会保障給付費はその約3.4倍(1/0.291)も抑制されることになります。「骨太方針2015」では、社会保障関係費を5年間で1.9兆円削減することが予定されていますが、これを達成するためには同じ期間に社会保障給付費の6.5兆円もの削減が必要になります。

[本稿は、『日本医事新報』2015年12月12日号(4781号)掲載論文「財政審『建議』の医療・社会保障費抑制要求をどう読むか?」に加筆したものです(執筆は同年12月2日)。「KPIの多用と弊害]は今回新たに書きました。]

文献

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2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算118回.2015年分その9:5論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[イギリスの]NICEの[医療技術評価についての]意思決定における費用対効果やそれ以外の要因の影響
Dakin H, et al: The influence of cost-effectiveness and other factors on NICE decisions. Health Economics 24(10):1256-1271,2015.[政策研究・量的研究]

国立医療技術評価機構(NICE)は医療技術評価において費用対効果のみを考慮しているのではないと強調しているが、それ以外の要因をどの程度考慮しているかは明らかにされていない。本研究の目的は、費用対効果とそれ以外の要因がNICEの意思決定にどの程度影響を与えているか、及びNICEの意思決定が変化しているかを調査することである。そのために、NICEが特定の患者グループ対象の医療技術ごとに給付の承認(推奨)・否認の二者択一の意思決定をするとモデル化し、2011年までに公表されたNICEのすべての意思決定についてのデータを用いて、回帰分析を行った。独立変数には、臨床的・経済的エビデンス、患者・疾病・治療の特性、意思決定に影響しうる文脈的要因(contextual factors)を含んだ。

その結果、各医療技術の費用対効果のみでNICEの意思決定の82%を正確に予測できた。それ以外の変数で有意なものはほとんどなく、モデルを変更しても結果は同様であった。医療技術の給付承認(推奨)の閾値が時間と共に変化しているとのエビデンスは得られなかった。予測精度が最も高いモデルによると、QALY当たり40,000ポンドの医療技術は給付が否認される確率が50%であることを示唆している(否認確率が75%なのは52,000ポンド、同25%なのは27,000ポンド)。かつてはNICEの意思決定の閾値はQALY当たり費用2~3万ポンドであると見なされてきた。しかし、今回の結果は、NICEが費用対効果以外の定量化困難な要因も考慮していることを示唆している。

二木コメント-現実のデータを用いた貴重な研究であり、イギリスでは、NICEが新医療技術の給付の意思決定において、費用対効果をもっとも重視していることが定量的に確認されたと言えます。ただし、意思決定の際の閾値はかつて言われていた数値(QALY当たり2~3万ポンド)よりかなり高いことも明らかにされました。

○スウェーデンにおける医薬品償還の意思決定:疾病の重症度と費用対効果のインパクト
Svensson M, et al: Reimbursement decisions for pharmaceuticals in Sweden: The impact of disease severity and cost effectiveness. Pharmacoeconomics 33(11):1229-1236,2015.[政策研究・量的研究]

スウェーデン歯科・医薬品給付庁(TLV)は、外来で処方される医薬品を公的給付の対象とするか否かを決める政府機関である。本論文では、費用対効果と疾病の重症度が新薬の償還決定に与えるインパクトについて分析する。TLVが2005~2011年に行った新薬の償還についてのすべての意思決定についてのデータを用いた。費用対効果は質調整生存年(QALY)1年延長当たり費用(以下、QALY当たり費用)で、疾病の重症度は2値変数(重症、非重症)で測定した。

この期間に102の新薬について意思決定がなされ、86の償還が承認され、16ではそれが否認された。償還が否認された新薬のうち最も低いQALY当たり費用は700,000スウェーデン・クローネ(79,100ユーロ)、償還が承認された新薬のうち最も高いQALY当たり費用は1,220,000クローネ(135,600ユーロ)であった。償還が決定される確率が50%であるQALY当たり費用は、非重症疾患対象の新薬では702,000クローネ(79,400ユーロ)、重症疾患対象の新薬では988,000クローネ(111,700ユーロ)であった。以上から、TLVは新薬の償還についての意思決定時に、費用対効果と疾病の重症度の両方を考慮していると結論づけられる。

二木コメント-これも現実のデータを用いた貴重な研究と思います。ただし、疾病の重症度が2値なのは粗すぎると思います。

○1質調整生存年(QALY)に対する支払い意志:実証研究の文献レビュー
Ryen L, et al: The willingness to pay for a quality adjusted life year: A review of the empirical literature. Health Economics 24(10):1289-1301,2015.[文献レビュー]

費用効果分析で、質調整生存年をアウトカム指標として用いるものが、医療技術と公衆衛生の介入の両方の評価において、急速に増加している。同時に、支払い意志(WTP)の推定に基づいて1QALYの貨幣的価値を検討する文献も増加している。本論文は、1QALYに対する支払い意志ににいての文献レビーを行う。最終的に、1QALYに対する支払い意志の推計383を含む24論文を同定した。外れ値を除いた、1QALYに対する支払い意志の平均値は74,159ユーロ、中央値は24,226ユーロ(2010年価格)。回帰分析の結果は、1QALYに対する支払い意志は、QALYの延長が延命によって生じた場合、QALの改善によって得られた場合より、有意に高いことを示唆している。1QALYに対する支払い意志はQALY延長の大きさにも依存していることも示された。

二木コメント-医療・公衆衛生の経済評価の研究者必読の貴重な文献レビューと思います。24論文には、日本人による以下の研究も含まれています:白岩健・他:WTP for a QALY and health states: more money for severer health states? Cost Effectiveness and Resource Allocation 11:1-7,2013.ただし、1QALYに対する支払い意志の平均値が中央値の3倍に達していることに示されるように、この値は個人間でバラツキが非常に大きく(図1によると、ほとんど対数正規分布)、実際の政策で用いるのは困難と思います。より根元的には、日本を含め公的医療保障制度が存在し、医療技術の費用と患者の支払額(窓口負担)が乖離している国では、医療技術の費用対効果を検討することに意味はあるが、支払い意志を検討する意味は、少なくとも政策的にはほとんどないと思います。

○アメリカにおける費用効果分析の使用に対する異議:「アメリカ医療でも費用効果分析を用いる時代が到来したか?」[という言説]についての検討
Gusmano MK: Objections to the use of cost-effectiveness analysis in the US: Reflecting on "Has the time come for cost-effectiveness analysis in US health care?" Health Economics, Policy and Law 10(4):419-424,2015.[評論]

Bryanらは2009年に発表した論文で、アメリカでも費用対効果分析が受け入れられるようになる戦略を提起した。しかし、その後も、保守派は費用効果分析を政府による「医療の配給」と結びつけ、それの導入が政治的に困難な状況が続いている。皮肉なことに、メディケアの担当者は、費用効果分析が医療産業による費用負担で行われた場合、逆に費用が増加することを恐れている。このような公私の組織に対する国民の信頼の欠如が、アメリカで医療の費用効果分析が受け入れられることを困難にしている。(以上、序文の要旨)

二木コメント-ヨーロッパ諸国と異なり、アメリカでは医療の経済評価、特に費用効果分析を用いた評価を政府機関または政府の資金援助を受けた機関が実施することがきわめて困難であることの政治的背景を簡潔に示した好評論です。

○新しい[医療]専門職の役割の費用と効果:文献レビューで得られたエビデンス
Tsiachristas A, et al: Costs and effects of new professional roles: Evidence from a literature review. Health Policy 119:1176-1187,2015.[文献レビュー]

政府が医療部門の効率を改善するために用いている1つの方法は、労働費用を抑制するために医療サービスを再設計することである。本研究の目的は新しく創設された専門職が医療サービスのアウトカムや費用に与える影響を調査することである。そのために、複数のデータベースを用いて、新しい専門職を評価した論文で1985~2013年に発表されたもの体系的文献レビューを行った。最終的に専門看護師(SNs)と開業看護師(advanced nurse practitioners. ANPs)についての41論文を同定し、分析した。

専門看護師についての25論文は、主にQOL(10論文)、臨床的アウトカム(8論文)、費用(8論文)を評価していた。専門看護師が有意に優れていたのは、医療利用(3論文すべて)、患者への情報提供(6論文中5論文)、患者の満足(6論文中4論文)であった。開業看護師についての16論文は、主に患者の満足(8論文)、臨床的アウトカム(5論文)、費用(5論文)を評価していた。開業看護師が有意に優れていたのは臨床的アウトカム(5論文のすべて)、患者への情報提供(4論文中3論文)、患者の満足(8論文中5論文)であった。新しい専門職の役割を促進することは医療提供を改善し、費用も抑制する可能性がある。最適のスキルミックスの探求に、医療専門職、研究者、政策担当者がもっと関心を持つ価値がある。

二木コメント-丁寧な文献レビューですが、専門看護師や開業看護師が「費用も抑制する可能性がある」(possibly contain costs)とするまとめはフライングです。専門看護師による費用抑制を評価した8論文中、有意の費用抑制が確認されたのは2論文のみで、5論文は有意差なし、1論文では逆に費用が増えていました。開業看護師については、それぞれ2論文、1論文、1論文でした(本文の表5,6)。

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3.私の好きな名言・警句の紹介(その133)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

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