『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻42号)』(転載)
二木立
発行日2008年02月01日
出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。
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目次
- 1.論文:医療政策の現状と課題-研究者は政策形成にどのように貢献しうるか (「二木教授の医療時評(その52)」『文化連情報』2008年2月号(359号):16-22頁)
- 2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文 (通算30回.2007年分その9:7論文)
- 3.私の好きな名言・警句の紹介(その38)-最近知った名言・警句
1.論文:医療政策の現状と課題-研究者は政策形成にどのように貢献しうるか
(「二木教授の医療時評(その52)」『文化連情報』2008年2月号(359号):16-22頁)
はじめに-私の研究の視点
本稿は、私の専門とする医療経済・政策学の視点から、医療政策の現状と課題について、次の2本柱で論じます。先ず、小泉・安倍政権の医療政策(改革)と政策形成プロセスを評価します。次に、研究者は医療政策(形成)にどのように貢献しうるかについて、私自身と私の同僚・友人の経験と実績を紹介しながら述べます。
医療経済・政策学という言葉には馴染みのない方が多いと思いますが、「政策的意味合いが明確な医療経済学的研究と、経済分析に裏打ちされた医療政策研究との統合・融合を目指した学問」で、勁草書房から同名の全6巻の「講座」を出版中です。
私は、医療経済・政策学の視点から、政策的意味合いが明確な実証研究と医療・介護政策の分析・予測・批判・提言の二本立ての研究と言論活動をしており、この1年間に、次の3つの著作(単著)を出版しました。それらは、『医療経済・政策学の視点と研究方法』、『介護保険制度の総合的研究』、『医療改革-危機から希望へ』です。本稿は、主としてこれらの本に基づいて概括的に論じます。詳しくは拙著の該当個所をお読みください。
私は、医療・介護政策についての研究と言論活動を行う際に、事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断の3つを峻別するとともに、それぞれの根拠を示して、「反証可能性」を保つようにしています。ここで、「客観的」将来予測とは、私の価値判断は棚上げし、現在の政治・経済・社会的条件が継続すると仮定した場合、今後生じる可能性・確率がもっとも高いと私が判断していることです。しかも、その際、意識的に、医療・介護政策の光と影を「複眼的にみる」ようにしています。
1 小泉・安倍政権の医療政策と政策形成プロセスの複眼的評価
まず、小泉・安倍政権の医療政策と政策形成プロセスについて、小泉・安倍政権の医療政策そのものと、小泉政権の医療政策形成プロセスに分けて、それぞれ複眼的に評価します(前者について詳しくは(3):第1章第1節1,(4))。
(1) 小泉・安倍政権の医療政策の複眼的評価
2001年4月から2006年9月まで5年半も続いた小泉政権の医療改革には2つの側面があります。1つは、歴代政権で初めて、医療分野にも市場原理を導入する新自由主義的医療改革方針を閣議決定したことです。具体的には、小泉政権が発足直後の2001年6月に閣議決定した「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる「骨太の方針」)に、以下の3つの新自由主義的医療改革が盛り込まれました。(1)株式会社の医療機関経営の解禁、(2)混合診療(保険診療と自由診療との自由な組み合わせ)の解禁、(3)医療機関と保険者の直接契約の解禁。これ以降、政権内外で激しい論争が繰り広げられましたが、最終的にそれの全面実施は挫折しました。
もう1つの側面は、伝統的な医療費抑制・患者負担拡大政策を一段と強化したことです。その結果、日本の医療費水準(対GDP比)は2004年に主要先進国(G7)中、最下位に転落しました。逆に、総医療費中の患者負担割合は、日本がG7中最高です。私は、2006年以降顕在化した医療危機・医療荒廃は長年の医療費抑制政策と医師養成数抑制政策が臨界点を超えたために生じたと理解しています。
2006年9月に誕生しわずか1年で崩壊した安倍政権の医療政策も複眼的評価が必要です。具体的には、安倍政権は大枠では小泉政権の政策を継承しましたが、ごく部分的にせよ、小泉政権の導入した厳しい医療・福祉費抑制策をわずか1年で見直しました。そのためもあり、同政権内での新自由主義派の影響力は急速に低下しました。昨年9月に登場した福田政権も、安倍政権のこのような二面的政策を踏襲しています(5)。
(2) 小泉政権の医療政策形成プロセスの複眼的評価
次に、小泉政権の医療政策形成プロセスの複眼的評価を行います。安倍政権は短期間で崩壊し、医療政策形成プロセスに特に新しいものはないので、触れません。
私は、小泉政権の医療政策そのものには極めて批判的ですが、医療政策の形成プロセスについてはプラス面が2つあることも見落とすべきではない、と思っています。1つは、各種審議会・委員会の会議と議事録(議事要旨)の公開が強化されたことです。その結果、政策形成プロセス(特に政権内での論争)が、以前に比べると「可視化」しました。
もう1つは、2002年に厚生労働省内に、大規模な「診療報酬調査専門組織」が発足し、それに医療経済・医療政策の専門家が多数参加して、診療報酬改定の影響を検証し始めたことです。この組織は現在も存続し、活発に活動しています。これにより、従来の「勘と度胸だけ」の診療報酬改定から「根拠に基づく」改定への転換の期待が高まりました。ただし、これは小泉首相の指示ではなく、西山正徳保険局医療課長(当時)の強いリーダーシップにより実現しました(6:35頁)。
他方、小泉政権の医療政策形成プロセスのマイナス面、ほとんど汚点とも言っていいものは、2005年9月の郵政選挙で小泉自民党が大勝し、小泉首相が、与党と官僚組織の両方に対して独裁的とも言える権力を確立した結果、彼の強い指示により医療費の一層の抑制が至上命題となり、それを強行するために「勘と度胸だけ」の医療政策が復活したことです。それの具体化が、2006年の医療制度改革関連法と診療報酬の史上最大の引き下げに他なりません。それにより、政策の継続性が喪失するとともに、恣意的改革が強行されました。その代表例は、前者では療養病床の再編・削減方針、後者ではリハビリテーション医療の算定日数制限です(詳しくは(3)第2章の第4節2、第2節3)。
「医療費適正化計画」は「根拠に基づく」とは言えない
最近、厚生労働省は、ことあるごとに「根拠に基づく」改革を標榜していますが、実態はまったく逆です。私は、「根拠に基づく」ことのない政策の最たるものは、医療制度改革関連法に基づく「医療費適正化計画」の2本柱であると判断しています。なぜなら、第1の柱である生活習慣病対策(特定健診・特定保健指導)の医療費抑制効果は、医療経済学的にすでに否定されているか、未証明だからです。ただし、大変残念なことに、一部の公衆衛生学者や臨床医学者は政治的思惑または無知(?)から、それに加担しています。もう1つの柱である長期入院の是正(平均在院日数の短縮)による医療費抑制効果も、学問的にはすでに否定されているか、未証明です。以下、順に説明します(詳しくは(7))。
まず、生活習慣病対策の出発点である「メタボリック・シンドローム」の診断基準自体が恣意的=「病人づくりのための基準」であり、短期的には、医療機関受診者を増やし、医療費は確実に増加します。この対策の「生みの親」と言われている辻哲夫前事務次官も、最近次のように、このことを認めました。「特定健診・保健指導を始めた当初は、医療費は増えるだろう。しかし、その段階でひるんではならない。少なくとも10年間はやりぬかねばならない」(『週刊社会保障』No.2458[2007.11.26]:48頁)。
生活習慣病対策は、長期的にも、医療費増加の可能性が大きいと言えます。この点についての本格的な実証研究は世界的にもまだ存在しないのですが、アメリカ、フィンランド、ドイツで行われた精緻なシミュレーション研究により、糖尿病予防・高血圧対策による長期的な医療費減少は介入費用の増加で相殺されること、および糖尿病予防・禁煙対策による余命の延長で累積医療費が増加することが明らかにされています。
次に、長期入院の是正(平均在院日数の短縮)のうち、一般病床(急性期病床)の平均在院日数を短縮するためには、医療密度を高めることが不可欠ですが、それにより1日当たり医療費が増加し、結果的に総入院医療費(1日当たり医療費×在院日数)も増加します。このことは、2006年以降、厚生労働省担当者も認めるようになっています(3:118頁)。
そのために、平均在院日数短縮のターゲットは一般病床から療養病床の削減に転換されたのですが、医療療養病床の削減は計画通り進まず、大きな医療費削減も見込めません。さらに、医療機関の機能分化・連携、在宅医療・地域ケアの医療費抑制効果は証明されていません。地域連携のモデル地区とされている広島県尾道市では、老人医療費はもちろん、それの伸び率も低下していません。病院間連携のモデルとされている熊本市では、それにより平均在院日数は確かに短縮しましたが、総医療費は逆に増加しています。
2 医療経済・政策学研究者は医療政策(形成)にどのように貢献しうるか?
次に、医療経済・政策学研究者は医療政策(形成)にどのように貢献しうるかについて、4点述べます。最初の3つは私自身の経験と実績に基づくもの、4番目は私の同僚・友人の経験と実績に基づくものです。
(1) 医療政策の評価と「客観的」将来予測を行う分析枠組みや視点の提示
第1は、医療政策の評価と「客観的」将来予測を行う分析枠組みや視点を提示することです。
手前味噌ですが、私自身が提示した分析枠組みや視点のうち、特に有効だと思うものは2つあります。1つは「21世紀初頭の医療・社会保障改革の3つのシナリオ」という分析枠組み、もう1つは「厚生労働省の政策選択基準は医療費抑制」という視点です。これらは、いずれも1990年代以降の現実の医療政策の分析から「帰納法的」に導き出しました。
まず、21世紀初頭の医療・社会保障改革の3つのシナリオは、2000年に初めて提唱しました(8:序章,6:第2章,1:第3章)。第1のシナリオは新自由主義的改革で、医療・社会保障分野にも市場原理を全面的に導入し、究極的には国民皆保険制度の解体をめざしています。
この改革は、規制改革会議等が推進しています。第2のシナリオは、現在の医療・社会保障制度の大枠を維持した上で、それを部分的に公私2階建て化する改革で、厚生労働省がめざしています。第3のシナリオは、同じく現在の制度の大枠を維持した上で、公的医療費・社会保障費用の総枠拡大を目指すシナリオです。
私は、1990年代末から政府・体制の医療・社会保障改革シナリオが、第1のシナリオと第2のシナリオに分裂したことを理解しないと、医療政策の正確な評価も「客観的」将来予測もできないと思っています。
次に、厚生労働省の政策選択基準は医療費抑制という視点は、具体的には、厚生労働省は「医療費増加を招くことが明らかな政策は、特別の事情がない限り選択しない」というもので、1991年に初めて提唱しました(9:14頁,5:92頁)。
2004年には、先に述べたように、政府・体制内の医療・社会保障改革シナリオが2つに分裂したことを受けて、この視点をさらに具体化し、「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」という視点を提起しました(6:21頁)。これは、新自由主義的医療改革を行うと、企業の市場は拡大する反面、医療費(総医療費と公的医療費の両方)が急増し、医療費抑制という「国是」に反するので、全面実施はありえないとするものです(これの学問的根拠は(1)60頁)。
私は、この視点から、2001年6月に「骨太の方針」が閣議決定された直後から、新自由主義的医療改革の全面実施はないと「客観的」将来予測を行いました(8:25頁)。当時小泉政権の支持率は8割を超え、ほとんどの医療関係者や研究者は、「骨太の方針」に沿った医療制度の「抜本改革」が進むと予測していました。しかし、当時は圧倒的少数派であった私の予測の方が正しかったことは、その後5年間の現実の医療政策により実証されました。
医療政策を分析する方法は多様であり、医療経済学的方法以外にも、社会学的方法、政治学的方法、法学的方法等があります。しかし、私は少なくとも医療政策の「客観的」将来予測に関しては、医療経済学の視点に基づいた分析・予測が一番有効だと考えています。
(2) 政策の評価・批判と政策形成に寄与する実証研究
第2に、研究者は、実証研究を行うことによっても、政策の評価・批判と政策形成・転換に貢献できます。現実的には、これが一番大きな貢献と思います。私自身は、次の2種類の実証研究を行ってきました(1:112頁)。
1つは、官庁統計の独自の分析で、それにより主として、官庁(本省)の情報操作・誘導を明らかにしてきました。例えば、1990年に、厚生省「国民医療費」中の年齢階級別1人当たり国民医療費データ等を用いて、人口高齢化は医療費増加の主因ではないことを、日本で初めて実証的に明らかにしました(10:第2章1)。さらに1995年には、厚生省人口問題研究所「日本の将来推計人口」等を用いて、人口高齢化による医療費増加率は、通説とは逆に1990年代後半から2025年にかけて漸減し続けることを示しました(11:第1章1)。『21世紀初頭の医療と介護』に収録した「わが国の高齢者ケア費用-神話と真実」は、これらの研究の総集論文です(8:第3章)。
もう1つの実証研究は、私独自のネットワークを用いて全国調査を行い、厚生労働省を含めて誰も知らなかった事実を定量的に明らかにして、日本の医療(政策)についての「認識枠組み」を変え、それにより間接的に政策形成にも寄与したことです。医療関係者や研究者・ジャーナリストの中には、「厚生労働省(役所)はあらゆる情報を持っているが、それを独占し、国民に公開していない」と主張している方が少なくありませんが、これは過大評価です。
私が独自に行った全国調査は3つあります。1つは、1989~1990年に行った「私的病院チェーンの全国調査」(10:第3章1)、2つめは1992年に行った「老人病院等の保険外負担の全国調査」(12:III-7)、3つ目は1996~1998年に行った「保健・医療・福祉複合体の全国調査」(13)です。
特に3番目の調査は、個人研究ではありますが、全国の延べ1644の個人・施設・組織の協力を得た大規模研究で、医療機関の保健・医療・福祉複合体化(保健・福祉分野への進出)の全体像を初めて定量的に明らかにしました。例えば、代表的な社会福祉施設で、従来は医療施設とは無関係と思われていた特別養護老人ホームの3割は私的医療機関が母体であることや、それまでは例外的存在だと思われていた、病院・老人保健施設・特別養護老人ホームの「3点セット」を開設し、保健・医療・福祉サービスを一体的に提供している私的グループが全国に約260もあること等の、意外な事実を明らかにしました(いずれも1998年現在)。
この研究は、結果的には、厚生労働省の政策形成・政策転換にも寄与しました。具体的には、厚生労働省は、介護保険制度開始時には独立した医療・福祉施設間のネットワーク形成を予定していたのですが、 『保健・医療・福祉複合体』 出版後、複合体の育成に方針転換しました(8:145頁)。
(3)自己の研究と価値判断に基づいて政策批判と政策提言を行う
第3に研究者は、自己の研究と価値判断に基づいて政策批判と政策提言を行うことにより、医療政策の形成や見直しに貢献できると思います。
この場合特に留意すべきことは、特定の政策を複眼的に評価することです。具体的には、政策を全体として批判する場合にも機械的に全否定しないこと、逆に全体的に肯定する場合にも、それのマイナス面もきちんと指摘することです。
私自身は、厚生労働省の政策には批判的なのですが、すぐには実現不可能な理想論をそれに対置するだけに終わることは避け、少しでも実現可能性のある「ソフトハート&ハードヘッド」な対案を提示するように努めてきました。
この点で、社会的に一番注目されたのは、1995~1996年の介護保険論争時に発表した、「公的介護保険の5つの改善提案」です(14:145頁,2:58頁)。私は、高齢者ケア拡充の財源調達方式としては,社会保険方式よりも公費負担方式の方が優れていると判断していることを明言した上で、公的介護保険導入に「絶対反対」の立場はとらない理由を説明し、それを少しでもマシな制度にする-社会保険方式の弊害を軽減し,社会的に一番弱い人々(貧しい人々や重度の障害をかかえている人々)が不利な扱いを受けないようにする-ための「5つの改善提案」を行いました.当時これは、厚生省サイドからも「唯一の包括的な対案」と評価され、提案の一部はその後の制度設計や2005年の制度改革で採用されました。
医療政策に関しては、1994年に、「世界一」の医療費抑制政策を見直し公的医療費総枠拡大の国民合意形成のための提案を行いました(15:54頁)。さらに、2000年以降は、公的医療費総枠の拡大を実現するための医療者の自己改革と制度の部分改革の提案を行っています(8:37頁,6:頁70頁)。2007年以降は、日本でもようやく医療改革の「希望の芽」が生じ始めているのですが、私の提案や言論活動は、多少なりともそれに貢献していると自負しています(3:第1章第3節)。
(4)私の同僚・友人の行っている政策形成に直接寄与する研究と言論活動
実は、私は、今までほとんど個人研究のみを行っており、しかも政府・厚生労働省の審議会・委員会の委員になったことは一度もありません。そのために、医療政策の形成に直接関わったことはありません(1:102頁)。そこで、私のこの面での経験不足を補うために、私の同僚・友人の行っている、政策形成に直接寄与する研究と言論活動を3つ紹介します。
第1は、私が拠点リーダーを務めている日本福祉大学21世紀COE研究プロジェクトが行っている、医療・介護政策の評価と形成の基礎資料となる大規模実証研究です。具体的には、平野隆之教授グループが行っている介護保険給付費分析ソフトの開発とそれを用いた自治体支援(16)と、近藤克則教授グループが行っている、「健康格差」についての特定地域対象の継続的疫学調査と介入研究(AGESプロジェクト)です(17)。これらは、自治体の全面的な協力を得て行うとともに、成果を自治体に還元する「循環型研究」でもあります。
第2は、私の友人の医療経済・医療政策研究者が参加している、中医協の診療報酬調査専門組織が行っている診療報酬改定の基礎資料となる実証研究です。この結果により、診療報酬改定の明らかな不備は是正されるようになっています。例えば、2006年の診療報酬改定で導入されたリハビリテーション医療の算定日数制限は、この組織が行った検証に基づいて、不十分ながらも見直されました(3:88頁)。ただし、逆に、調査結果を無視した(時には逆の)診療報酬改定が行われることも少なくありません。
第3は、政府・厚生労働省の審議会・委員会に参加して、政策形成のイニシアティブをとることです。この点で、私がもっとも評価しているのは、田中滋慶應義塾大学教授が座長を務めて2004年にまとめた「これからの医業経営の在り方に関する検討会最終報告書」です。この委員会には、株式会社の病院経営参入を支持する委員も入っていたのですが、最終的には、彼らを含めて全員一致で、「積極的に[株式会社の病院経営]参入を認めるべきとの論拠は論証・確認するに至ら」なかったことが確認され、それに代えて、今後の病院経営改革の基本的方向として、医療機関の「非営利性・公益性の徹底による国民の信頼の確保」と「効率性、透明性、安定性といった諸要素を高める」ことの両方が提起されました(6:40頁)。2006年の医療法第5次改正では、この報告書に沿った形で、医療法人の非営利性が強化されました(3:125頁)。
さらに、最近の中医協(中央社会保険医療協議会)では、社会保障学者である土田武史会長(早稲田大学教授)のリーダーシップと、医療経済学者である遠藤久夫委員(学習院大学教授)の活躍が目立ちます。
ただし、研究者の政府・厚生労働省の審議会・委員会への参加には、研究者が役所の主張の代弁者に堕する(「ミイラ取りがミイラになる」)危険もありますし、数の上ではその方が多いかもしれません。ちなみに、医療経済学の世界的権威である、アメリカのフュックス教授は、若い医療経済学者に対して、「同時期に研究者と政治スタッフの兼業を試みるな」と助言しています(18)。
おわりに-若い研究者への2つの助言
最後に、私も、フュックス教授に倣って、若い研究者に、医療政策研究をする上での助言を2つします(1:107,120頁)。
1つは、実証研究(事実の分析)に徹して、政策提言は極力控えることです。なぜなら、研究実績のない若手研究者の政策提言は社会的には無力だからです。そもそも、田中滋慶應義塾大学教授が明快に述べているように、政策研究を含む社会科学では、「学問の本質は『提言』ではなくて、『分析』がメインになります。それが学者が他の人より強いところであって、提言は社会科学者の主目的ではない」ので(19:192頁)。
もう1つの助言は実証研究の限界で、実証研究のみでは政策の妥当性は評価できないことです。最近医療政策に参入した若い研究者の中には、厚生労働省と経済財政諮問会議民間議員や規制改革会議との間で繰り広げられている「神学論争」に対して、医療経済学の実証分析や定量的な医療政策評価研究を「共通言語」として示せば、それを出発点にして議論が進むと期待している方もいます。しかし、この論争は両者の価値観の根本的違い(医療分野への全面的な市場原理導入の是非)に根ざしており、実証研究で議論が進むことはほとんど期待できません(19:120頁)。このことは、昨年11月7日の東京地裁判決後、再燃しかけた混合診療の全面解禁論争をみれば明らかです(20)。
それだけに、研究者は、実証研究を含めたすべての研究を行う際に、研究課題の設定においても、研究結果の解釈においても、自己の価値判断を明示する必要があると思います。
文献
- 1) 二木立『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006.
- 2) 二木立『介護保険制度の総合的研究』勁草書房,2007.
- 3) 二木立『医療改革-危機から希望へ』勁草書房,2007.
- 4) 二木立「小泉・安倍政権の医療改革-新自由主義的改革の登場と挫折」(『月刊/保険診療』62(12):97-105,2007.
- 5) 二木立「福田政権の医療政策の方向を読む」『文化連情報』357号:30-32,2007.
- 6) 二木立『医療改革と病院』勁草書房,2004.
- 7) 二木立「『医療費適正化計画』に医療費抑制効果はない」『文化連情報』360号,2008(掲載予定).
- 8) 二木立『21世紀初頭の医療と介護』勁草書房,2001.
- 9) 二木立『複眼でみる90年代の医療』勁草書房,1991.
- 10) 二木立『現代日本医療の実証分析』医学書院,1990.
- 11) 二木立『日本の医療費』医学書院,1995.
- 12) 二木立『90年代の医療と診療報酬』勁草書房,1992.
- 13) 二木立『保健・医療・福祉複合体』医学書院,1998.
- 14) 里見賢治・二木立・伊東敬文『公的介護保険に異議あり』ミネルヴァ書房,1996.
- 15) 二木立『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房,1994.
- 16) 平野隆之・他「(小特集)介護保険政策の評価研究]『社会政策研究8』東信堂,2008(印刷中).
- 17) 近藤克則編『検証「健康格差社会」』医学書院,2007.
- 18) V.R.フュックス、二木立訳「医療経済学の将来」『医療経済研究』8:91-105,2000.
- 19) 水野肇・川原邦彦編『医療経済の座標軸』厚生科学研究所,2003.
- 20) 二木立「混合診療禁止は違法?東京地裁判決をめぐる空騒ぎ」『文化連情報』358号,2008.
[本稿は、2007年12月22日にお茶の水女子大学で開かれた、シンポジウム「少子高齢社会の政策形成と社会学」(日本学術会議、社会政策学会保健医療福祉部会およびお茶の水女子大学教育研究プロジェクト「コミュニケーション・システムの開発によるリスク社会への対応」共催)での私の報告「エビデンスに基づく(?)保健医療政策の現状と課題-医療経済・政策学の視点から」に加筆補正したものです].
2最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算31回.2007年分その9:7論文)
○新医療技術が[公的]医療費に与える影響-イスラエルにおける2007~2007年[の実証研究](Rabinovich M, et al: Impact of new medical technologies on health expenditures in Israel 2000-2007. International Journal of Technology Assessment in Health Care 23(4):443-448,2007)[量的研究]
イスラエル政府は毎年、公的諮問委員会から公的医療保険の給付対象(「医療諸サービスの全国リスト」)に加える優先順位が高い(10段階評価の8~10)と推奨された新医療技術の費用を事前に推計している。この推計額の公的総医療費に占める割合を計算し、それを2000~2007年の8年間に現実の政府予算に組み込まれた新医療技術費用と比較した。その結果、もし推奨されたすべての新医療技術を給付対象に加えた場合には医療費は毎年2.1%増加したはずであるが、現実の政府予算における新医療技術分の医療費増加率は1.0%にとどまっていた。この結果は、予算制約(推奨された新医療技術のすべては給付対象にはできない)により新医療技術による医療費増加が52%抑制されたこと、および新医療技術をすべて給付対象に加えるためには毎年2%の医療費増加が必要なことを示している。
二木コメント-イスラエルで新医療療技術が公的医療保険の給付対象とされるプロセスが「可視化」されれていることは、日本にも参考になると思います。
<医療・病院経営関連 (6論文)>
○病院開設者と財政パフォーマンス:実証研究における異なる知見は何を意味するか?(Shen Y-C, et al: Hospital ownership and financial performance: What explains the differnt findings in the empirical literature? Inquiry 44(4):41-68,2007)[メタアナリシス]
メタアナリシス法を用いて、1990~2004年に発表された病院の開設者による財政パフォーマンスの違いを検討した実証研究40論文の定量的レビューを行った。財政指標として費用、収入、利益率、効率の4つを用いたところ、病院開設者の違い(営利病院と非営利病院)によるこれら指標の差の大きさのバラツキは、研究の焦点と方法の違いにより説明可能であることが分かった。交絡因子をほとんどコントロールしていない研究では、多数の交絡因子をコントロールしている研究に比べて、営利病院と非営利病院との差が大きくなっていた。用いられた関数形と標本数も影響していた。非常に歪みの多い費用データをログ変換していない研究では差が過大に表示され、標本数が200未満の場合には推計値の幅が大きくなっていた。メタアナリシスの結果、営利病院は非営利病院よりも収入が多く利益率が高いことは確認されたが、営利病院の方が効率的に運営されている(費用が安い)との通説は支持されなかった。
二木コメント-超厳密なメタアナリシスにより、営利病院は非営利病院よりも費用が高い反面、効率的とは言えないことが、疑問の余地なく再確認されたと言えます。ただし、本研究では医療の質についてのメタアナリシスは行っていません。
○統合質マネジメントモデルに基づくパフォーマンスの改善:我々はどのような証拠を持っているか?体系的文献レビュー (Minkman M, et al: Performance improvement based on integrated quality management models: What evidence do we have? A systematic literature review. International Journal for Quality in Health Care 19(2):90-104,2007)[文献レビュー]
医療組織のパフォーマンス改善を促進するために、さまざまな指標を組み合わせた統合質マネジメントモデルが提唱されている。本研究では、それらのうち、使用頻度の高いマルコム・ボールドリッジ質賞(MBQA)基準、ヨーロッパ財団質マネジメント(EFQM)優秀賞モデル、慢性ケアモデル(the Chronic Care Model)のいずれかに基づく質改善のための介入の効果を実証的に検討した37論文(1995~2006年発表)の文献レビューを行った。全体として各論文のエビデンスの質は低く、ランダム化試験を用いていたのは慢性ケアモデルについて検討した3論文にすぎなかった。最終的には、慢性ケアモデルに基づく介入が医療のプロセスまたはアウトカムを改善するとの多少の(some)エビデンスがあるが、他のモデルに基づく介入の効果を示すエビデンスはごく限定的であると評価された。
二木コメント-この分野の、世界初の本格的文献レビューのようです。3人の著者は全員オランダの研究所または大学所属です。
○[病院が医療]統合提供組織に参加することにより患者が受ける利益:ケアの調整に与える影響(Kautz CM, et al: Patients benefits from participating in an integrated delivery system: Impact on coordination of care. Health Care Management Review 32(3):284-294,2007)[量的研究]
先行研究では、医療統合提供組織(IDS)はケアの調整を改善するとされているが、それを確認した実証研究はない。そこで、ある巨大IDS所属の急性期病院で一側膝関節置換術を受けた患者222人を対象にして、術後6週間の患者側からみたケアの調整を調査したところ、全体としては、IDS内でケアの調整が良好に行われているとは言えなかった。退院後のリハビリテーションについて患者が感じた問題は、IDS所属事業者からサービスを受けた患者の方がIDS外の事業者からサービスを受けた患者よりも少なかったが、在宅ケアについては逆であった。患者の主治医のIDS所属の有無は関係がなかった。最後に著者は、この結果は、財政・契約・管理面の統合だけで、患者の視点からみたケアを改善することはできないことを示しており、IDSはケアの質を向上するために、患者の視点に立った組織改革を行う必要があると主張している。
二木コメント-アメリカの従来のIDS研究の多くが規範論や財務分析にとどまっていたことを考えると、このような「臨床研究」は貴重です。最後の著者の主張も妥当と思います。
○医師所有の専門病院の[医療]市場参入後の[医療]利用の変化(Mitchell JM: Utilization changes following market entry by physician-owned specialty hospitals. Medical Care Research and Review 64(4):395-415,2007)[事例研究・量的研究]
アメリカでは従来医師所有病院はごく例外的存在であったが、近年、病院の新増設を規制していない一部の州では医師所有の専門病院が急増しており、それの是非をめぐって論争が生じている。医師所有病院開設による医療利用の変化を検討するために、医師所有の脊椎・整形外科病院が開設されたオクラホマ州の2つの医療市場(地域)と同種病院が存在しない地域を対象として、メディケア加入者に対する脊椎・整形外科の手術件数の変化を検討した。その結果、医師所有病院が開設された地域では複雑な脊椎手術件数が大幅に増加したが、それがない地域では手術件数は変わらなかった。この違いを説明するさまざまな要因を検討した結果、医師所有病院と結びついた財政的誘因(インセンティブ)が医師の診療パターンを大きく変えることが示唆された。
二木コメント-新しい手法で医師誘発需要の存在を実証した論文です。
○医療における競合する諸価値[の分析枠組み]-(アン)バランスト・スコアカードをバランスさせる (Wicks AM, et al: Competing values in healthcare - Balancing the (un)balanced scorecard. Journal of Healthcare Management 52(5):309-323,2007)[評論]
医療組織は、過去20年間の環境変化に対応して、バランスト・スコアカード(BSC)等、成果(performance)を評価するための新しい戦略的分析枠組みを採用している。しかし、BSCは元々は成果のマネジメント手法として開発されたものではなく、現実の成果が目標を下回った場合にほとんど役立たないだけでなく、概念的にも以下のような3つの限界を持っているため、医療組織を評価する手法としては不適である:(1)従業員の視点を過小評価、(2)コントロール中心のマネジメント哲学、(3)諸トレードオフを強調。これらの限界を乗り越えるために、著者は「競合する諸価値の分析枠組み」(CVF)を用いることを提唱する。CVFは、明確な理論に裏付けられ、しかも4つの行動基準(競争、コントロール、協働、創造)に焦点化することにより、組織的・マネジメント的成果を包括的に理解し、改善することができる。
二木コメント-著者グループの開発したCVFの宣伝論文ですが、日本でも流行しているBSCの「解毒作用」はあると思います。
○病院ネットワークのパフォーマンス成功の要因:韓国での実証研究(Kim K-J, et al: Success factors in hospital network performance: evidence from Korea. Health Services Management Research 20(3):141-152,2007)[量的研究]
韓国では、1990年代後半以降、病院どうしの協力関係の締結(病院ネットワーク)が増加しているが、それのパフォーマンスは一定していない。本研究では、2組の巨大基幹病院を頂点とする病院ネットワークに参加している34病院を対象にして、病院ネットワークが成功するための要因を検討し、ネットワーク参加病院が共有する協力と情報の質が決定的に重要であることを見いだした。
二木コメント-韓国では、巨大基幹病院を頂点とする独立した病院間のネットワーク(公式文書を交換)が急増しており、本論文はそれのパフォーマンスを定量的に検討した初めての英語論文です。ただし、まだ「予備的検討」レベルで、結果も月並み(So what? Et alors?)と思います。
3.私の好きな名言・警句の紹介(その38)-最近知った名言・警句
<研究と研究者のあり方>
- 河野稠果(こうの・しげみ。人口学者)「かつて国連人口部長のタバ(Leon Tabah)は、『人口推計は科学的な労作というよりもアートである』と述べたが、興味深い見解である。ここでのアートは、本来の芸術という意味のほかに技能、技、腕前といった意味でもある。つまり、人口推計は現在の技術、成果を結集したものであるが、100%科学的に予測されるものではなく、推計をする人の経験に裏付けられた技能が要求されることを言うのである」(『人口学への招待』中公新書,2007,226頁)。二木コメント-著者は、「人口問題には歴史的視点と文化的洞察が必要」(267頁)なことも強調しています。「経済や社会予測と比較すればはるかに正確である」(同書ii頁)将来人口推計にも、「アート」の要素があるのは興味深いと思いました。これらの言葉は、本「ニューズレター」41号で紹介した、フライドマンの名言「将来予測を行う者は起業家と同じだ。…」と共鳴すると思います。
- カレル・ウォルフレン(ジャーナリスト、アムステルダム大学教授)「私自身はなぜポストモダニズムが社会科学の世界で人気を得ているかを理解しているつもりである。それはその思考を受け入れている限り、真剣に研究をする必要がないからである。つまり基本的な公式に精通すれば、それ以上のことを深く追求する必要がないのだ。(中略)ポストモダニズムの基本的な原理さえ理解しておけば、たとえば歴史上の詳細な背景について学ぶといった手間は省けると、考えられているのである」(『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』徳間書店,2007,14頁)。二木コメント-私はポストモダニズム(社会構築主義)に限らず、新古典派理論の「基本的な原理」を応用する新古典派医療経済学等にも、同じような傾向があると思います。
- 長井辰男(北里大学大学院法医学教授)「出所が明らかで、なかなか手に入らない試料は可能な限り取ってある。研究者だから」(「朝日新聞」2008年1月7日朝刊「ひと」。70年代の血液製剤を30年も冷凍保存し、それを調べ直して、肝炎訴訟の対象外の製剤から肝炎ウイルスを見つけた)。二木コメント-社会科学では、「試料」=「資料(文献」です。この名言のポイントは「なかなか手に入らない」で、私はその最たるものは、自分の書いた論文とそれに用いた資料だと思います。逆に、大学図書館等にあることが確実な定番の図書や雑誌をすべて個人で保存する必要はありません。
- 渋谷陽一(「SIGHT」編集長・音楽評論家)「権力が分かりやすい言葉を使ってきときは注意しないといけない。それなのに、権力と戦う側が相変わらずの政治的な方言を使っていたんでは負けてしまう。『おじさんたちの言っていることはわかんなーい』となっちゃう。そう言う彼らを批判するのは見当違い。対抗できる言葉を持っていないと、メディアは権力にやられてしまうんじゃないか」(「朝日新聞」2008年1月13日朝刊、高橋源一郎氏との「耕論-今、論じることとは」)。二木コメント-私はこれを読んで、「言葉が、心に届かない」(沖縄県で、凄惨な地上戦を経験したひめゆり学徒隊の生存者たちの講演を、高校生のグループが聴いた時のある女子高校生の感想)を思い出しました(真鍋弘樹「変わる憲法論議(下)」「朝日新聞」2006年5月5日朝刊で紹介。本「ニューズレター」22号(2006年6月1日)」で紹介)。
- 山中正喜(松下電工をアメリカンフットボール日本一に導いた主将)「チームの雰囲気がいいだけでは勝てない。まず、一人ひとりが責任を持って取り組まないと」(「朝日新聞」2008年1月4日朝刊「ひと」)。二木コメント-私が、日本福祉大学の21世紀COEプログラムの拠点リーダーとして、5年間意識して追求してきたのもこのことです。
この仕事も本年3月末でようやく終了します。 - 江見康一(一橋大学・帝京大学名誉教授、87歳=数えで米寿)「永遠の未完成…教育というものがいかに奥深いものであり、永遠に完成を目指していくものであって、教壇から離れたとはいえ、教育者としての私は、まだその途上にある」(『永遠の未完成-教師生活55年の歩み』中央公論事業出版,2008.1.12,62頁)。二木コメント-江見先生は、19歳から1995年に帝京大学を定年退職するまでの55年間に、小学校、中学校、高校、大学、大学院の教師を務められ、その後、シルバー人材センター会長(いわば生涯教育の教師)と幼稚園の教諭にもなられ、文字通り「ゆりかごから墓場(の近く)まで」の教育者を経験された稀有な方です。
<その他>
- 岡本真也(中日ドラゴンズの中継ぎエース。中日が西武から獲得した和田一浩外野手の補償選手としてに突然西武への移籍が決定)「ルールはルール。プラスに考えたい。これまで以上の成績で西武に貢献したい」(「中日新聞」2008年1月20日朝刊」)
- イチロー(米大リーグシアトル・マリナーズ外野手)「僕は野球の天才ではありません。でも、努力できることが才能なら、僕にはその才能があると思います」(「毎日新聞」2008年1月6日朝刊「質問タイム」。中島章隆論説委員が、2006年3月に開かれたワールド・ベースボール・クラッシク(WBC)で日本チームを引っ張ったイチロー選手にチームメイトが驚いたのは、その練習量の多さだったことだと書いた後で、この名言を紹介)。二木コメント-言葉(「才能」)の定義をした上での発言はサスガと思います。松坂投手も、自己の夢の定義(「見ることはできても適わないのが夢」)を明確にした上で、「夢という言葉は好きではない」と言い切ったことがあります(本「ニューズレター」29号(2007年1月1日)。私は、この名言を読んで、イチローがまだ日本にいた1997年(=11年前!)の次の名言を、なぜか思い出しました。
- イチロー「先が見えないと不安な人もいますが、ぼくには常に新しい何かを求める傾向があります」 (「日本経済新聞」1997年6月16日夕刊「進化し続ける情熱 イチロー」)。
二木コメント-私はかつて、ある院生が「研究の先が見えないので不安だ」と愚痴ったときに、即、「先が見えないのは研究だけじゃない。人生の先も見えない。人生そのものが不安なんだ」と一喝したことがあります。今から考えると、やや(大分?)大人げなかったと反省しています。 - 村上春樹(作家)「Pain is inevitable. Suffering is optional.…『痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)』…。たとえば走っていて『ああきつい、もう駄目だ』と思ったとして、『きつい』というのは避けようのない事実だが、『もう駄目』かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡単に要約していると思う」(『走ることについて語るときに僕の語ること』文藝春秋,2007,3~4頁。冒頭の英文は、「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」のマラソン・ランナーの特集記事中に載っていた、マラソン・ランナーがレースの途中で、自らを叱咤激励するために頭の中で唱えているマントラの1つ)。
- 山本昌(中日ドラゴンズ投手、42歳。200勝まであと7勝に迫る)「力を維持するつもりでは年齢的にも落ち込んでしまう。レベルアップするつもりでなければ」(「中日新聞」2008年1月6日朝刊)。
- 森光子(女優。87歳)「風邪をひかない。転ばない。お医者様の言うことを聞く。この3つを守り、長生きをしているから、いろいろな人に出会える。勇気を与えてくださる多くの方がいる」(「日本経済新聞」2007年12月31日朝刊「私の履歴書」)。二木コメント-これを読んで、私は、ちょうど10年前に読んだ、原健三郎議員(当時)の「かつて岸信介さんに『風邪を引かぬこと』と言われたことがあってね」で始まる「『89歳現役』の秘密」を思い出しました( 『サンデー毎日』1997年2月16日144頁 )。
- ジュリアス・シーザー(古代ローマの将軍):暗殺される前日に友人らを招いた晩餐で、「どんな死に方が最良か」と話がはずんだときに、「突然の死」と答えた(「朝日新聞」2007年12月29日朝刊「天声人語」で紹介)。
- ロナルド・ドーア(イギリス・ロンドン大学政治経済学院)「第二次大戦の戦争責任は日本にある、あるいは日本にもある、とみる歴史の書き方を、日本のこのごろのナショナリストたちが『自虐史観』という。それに則って『自虐経済観』という言葉を聞かないのは不思議である。そう思ったのは、去る16日の日本経済新聞の社説および解説を読んだ時だった」(「中日新聞」2007年1月20日朝刊「視座-今様の事大主義」)。二木コメント-このコラムは、「日経平均下落は、外国の投資家が日本にそっぽを向いているから」であり、それは「当然で、日本が悪い」とする日経の社説(「日経平均株価1万4000円割れの警告」)の事大主義、およびそれと同根の財界・霞ヶ関の「迎米主義」を皮肉っており、痛快です。一読をお薦めします。
- 品川正治(経済同友会終身幹事)「アメリカは常に戦争をしている国です。日本の憲法には戦争をしてはならないとある。まったく価値観が違うのです。それなのに、思想界とかマスコミ界は、すぐに「共通の価値観」といって、超大国のアメリカと近ければ近いほどいいという考えになってしまっている」(「しんぶん赤旗」2008年1月1日「新春対談」)。