総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻85号)』(転載)

二木立

発行日2011年08月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


1.論文:介護予防の問題点ー医療経済・政策学の視点から

(『地域リハビリテーション』2011年7月号(6巻7号):522-527頁。「二木教授の医療時評(その93)」『文化連情報』2011年月8月号(401号):22-28頁に転載)

はじめに-介護予防についての私の基本的立場と本稿の課題

私は、6年前(2005年6月)の第47回日本老年医学会学術集会のパネルディスカッションで、当時、厚生労働省が公表していた介護予防の効果についての文献を検証し、「新予防給付の効果(健康増進効果と介護費用抑制効果)のエビデンスはないか不十分」と指摘しました(1)。

ただし、私は元リハビリテーション医であり、介護予防の全否定論者ではなく、同年8月に発表した論文で次のように述べました。「私は、筋力増強訓練を含めた介護予防の役割をすべて否定しているわけではありません。私が批判しているのは介護予防(さらには健康・自立)の強制と介護予防により介護費用を抑制できるとのエビデンスに基づかない主張です。介護予防に関しても、それぞれの方法の適応と禁忌を明確にし、対象を限定して治療・介入した上で,効果を厳密に評価するという臨床研究の王道に戻る必要があると思っています」(2)。

本稿は、2006年に介護予防(新予防給付)が導入されて以降5年間に発表された厚生労働省・政府の諸資料、国内外の実証研究を用いて、以下の5つの柱立てで費用抑制効果の有無を中心にして、介護予防の効果と問題点を再検証します。まず、私が2006年に行った介護予防の文献レビューの概要を紹介します。次に、保健医療サービスの経済評価の留意点・常識を5つ述べます。第3に、2006年以降に発表された介護予防の経済効果についての日本語文献を検討します。第4に、さまざまな介護予防のうち、国際的にもっとも活発に行われている転倒予防を中心にして、英語文献をレビューします。第5に、厚生労働省・政府の介護予防の費用抑制効果試算が5年間で大幅に減額されていることを示します。

1.2006年時点での介護予防の文献レビューの概要

まず、私が2006年に行った内外の介護予防の文献レビューの概要を紹介します(3)。

2005年の介護保険法改正で、介護給付費の伸び率を長期的に抑制する切り札として導入された介護予防には、医療・介護政策の立法「プロセス」面で、大きな特徴がありました。それは、従来の政策の多くが「勘と度胸」に基づいてなされていたのと異なり、厚生労働省が介護予防の効果を科学的に示したとする文献集や調査結果を積極的に公表したことです。もしこれが本当だとしたら、日本でも「根拠に基づく政策」が行われたことになり画期的でした。しかし、結果はまったく逆でした。

まず厚生労働省が発表した「介護予防の有効性に関する文献概要」(144論文の概要を収録)を検証したところ、以下の結論が得られました。「介護予防のうち、施設入所者(主として重・中等度の要介護者)を対象にした口腔機能向上と栄養改善、および運動機能訓練による下肢筋力・歩行機能の向上については、『厳密な意味でのエビデンスが得られている』と言える。他面、地域居住の軽度者に対する口腔機能向上と栄養改善の効果,および運動機能訓練によるADLまたはQOLの改善効果については、『厳密な意味でのエビデンスが得られている』とは言えない.しかも,なんらかの介護予防による介護・医療費の抑制効果を実証した研究は皆無である」。

次に、厚生労働省が発表した「介護予防市町村モデル事業中間報告」では、身体機能に関する項目でも、生活機能・QOLに関する項目でも、改善は概ね5~6割である反面、悪化が3割前後もありました。

さらに2003・2004年に発表された転倒予防・運動訓練等についての4つのコクラン・レビュー(体系的文献レビュー)の結果も、次のように厳しいものでした。筋力増強・バランス訓練の効果は「限定的」、「脳卒中患者の体力増強訓練」は「現時点では、その方法をガイドするデータはほとんどない」、高齢者の転倒予防については「介入は転倒予防には効果的だが、転倒関連の事故を予防できるか否かは必ずしも明らかではない」。さらに家屋環境の評価・改善については「介入の効果を判定するには不十分な根拠しかない」、ヒッププロテクターの「効果の根拠はない」とされました。なお、当時、これらのレビューでは経済評価の検討は行われていませんでした。

2.保健医療サービスの経済評価の留意点・常識

次に、保健医療サービス一般の経済評価(費用効果分析・費用効用分析・費用便益分析等)を行う際の留意点・常識を5点述べます。[第27回日本老年学会での報告では4点指摘しましたが、それに1点(第3)を追加しました。]

第1、そして最も重要なことは、効率化と医療費抑制とは異なることです。具体的には、効率化とは費用対効果の向上(費用÷効果比の低下)であり、効率化により費用が増加することもあります(4)。政府の社会保障改革に関する集中検討会議の第9回会議(本年5月12日)の配布文書には「よりよい社会保障給付費をより低いコストで実現するという『効率化』を目指すべき」と書かれていましたが、これは経済学的に誤りです。幸いこの表現は、6月2日にとりまとめられた「社会保障改革案」では削除されました。

第2は、最近の新しい医療技術(医薬品・医療機器・医療サービス)の経済評価では、費用対効果の判定基準は費用抑制の有無ではなく、QALY(質を調整した生存年)1年延長当たりの追加費用が通常医療に比べて少ないか否かとされるのが一般的です。この場合、新しい医療技術により費用が増加することは当然の前提とされています。アメリカでは追加費用の「閾値」は5万ドル(または10万ドル)、イギリスでは3万ポンドとされていますが、この数値に科学的根拠はありません(5)。

第3は、なんらかの介入的保健医療プログラムの経済評価を行う場合には、介入群の費用に介入費用(事業費)を加える。これを怠って、介入群と対照群の保健医療費のみを比較すると、介入群の費用の過小評価→費用対効果の過大評価になってしまいます。これの実例は、4つ目の柱で紹介します。
第4は、予防事業・プログラムの最近の文献レビューでは、予防の費用対効果が治療に比べて優れているとは言えないこと、および医療費抑制効果がある予防はごく一部であることが確認されています(6,7)。日本でも、岡本悦司氏の厳密な文献レビューにより、国保ヘルスアップ事業(生活習慣病対策)により医療費が総じて4~5%程度増加することが実証されています(8)。日本では伝統的に「予防は治療に勝る」と言われていますが、医療経済学的にはこれは必ずしも正しくありません(これは医学的評価とは別次元の問題です)。

第5に、予防事業・プログラムに余命延長効果がある場合には、余命が延長した期間に新たな医療費が必要となるため、生涯・累積医療費は逆に増加する可能性があることです。例えば、禁煙プログラム費用のシミュレーション分析では、禁煙者の医療費は短期的には喫煙継続者に比べて減少するが、長期的には(プログラム開始15年目以降)、禁煙者の累積医療費は喫煙継続者のそれを上回るとの結果が得られています(9)。

介護予防の経済評価を行う際にも、これらの点に留意する必要があります。

3.介護予防の経済効果についての日本語文献の検討

第3に、2006年以降に発表された介護予防の経済効果についての日本語文献について検討します。最近は日本でも介護予防の医学的効果をランダム化比較対照試験(RCT。以下、ランダム化試験)に基づいて厳密に検証した研究が少数ながら発表されるようになっていますが、経済的効果をランダム化試験で検証した研究はまだ行われていません。

非ランダム化試験により介護予防の経済評価を行った論文はいくつか発表されていますが、介護予防の事業費用(介入費用)を含んだ厳密な経済評価は吉田裕人氏等の研究のみです(10)。この研究では、新潟県与板町で平成12年から実施された総合的介護予防事業(交流サロン、転倒予防教室、頭の使い方教室)参加者の3年間の老人医療費および介護費用を検討しました。事業開始時点では、参加者と非参加者の月1人当たり平均総費用は同水準でしたが、その後3年間に参加者の総費用が横這いであったのに対して、非参加者の総費用は漸増していました。しかも、介護予防事業の経費を組み込んで費用便益分析を行っても、大きな便益(資源の節約)を認めました。

この研究は、介護予防事業の長期間の経済的効果を実証した世界初の研究と高く評価できます。ただし、著者自身も認めているように、この研究では介護予防事業の費用が過小に見積もられ、ランダム化試験でもないという「限界」もあります。しかも、対象は人口が少なく、人口移動も少ない農村部を対象にしており、この結果が都市部に当てはまる保証はありません。以上から、この研究で得られた費用抑制効果をそのまま日本全体に「外挿」することはできません。

厚労省「介護予防継続的評価分析等検討会」の報告

次に、厚生労働省の「介護予防継続的評価分析等検討会」(以下、厚生労働省検討会)の一連の報告を検討します(11)。それによれば、要支援1を対象にした新予防給付は、対照群に比べて、1年間の要介護度悪化を4割、介護費用を3割も減少させるという大きな効果があるとされています。それに対して、特定高齢者対象の「特定高齢者施策」では要介護度悪化は減少したものの、統計的有意差はありませんでした。

ただし、この結論を導き出す複雑な計算の過程には、根拠が明確でないか疑問のある「仮定」・「定義」等がきわめて多く、報告も「さらに検討を続ける必要がある」と明記しています。しかし、厚生労働省担当者によるこの報告書の解説論文はこのような制約に触れず、効果のみを強調しており、疑問を感じました(12)。

私が一番問題だと思うのは、この報告では、「ほぼ同一と見なせる群において施策導入前後のデータは存在しないため」(これは事実です)、予防給付導入前の要支援(ヒストリカルコントロール)と導入後の要支援を「同等」と見なして比較していることです。しかし、要介護認定基準は2006年4月に変更されたため、両者は同等とは言えません。私は、新しい要支援1は古い要支援よりも軽症であり、予後も良好な可能性があり、それが新予防給付により要介護度を4割も減らせた、費用を3割も削減できたという、一般の医学的介入の費用効果分析では考えられない大きな(大きすぎる)効果を生んだ可能性があると考えています(ただし、これの「物証」はありません)。医療の経済評価では、一見似ているが実際にはまったく異なる2群を同等と見なして比較することを「リンゴとオレンジの比較」と戒めています。厚生労働省検討会の報告でも、同様のことが生じた可能性があります。

ともあれ要支援1対象の新予防給付の費用効果分析の計算そのものは、現実のレセプトデータを用いて、かなり厳密に行われています。しかし、特定高齢者施策の費用効果分析には、方法的に大きな問題があります。まず、費用効果分析を行う場合には、その介入の効果が実証されていることが大前提になるにもかかわらず、厚生労働省検討会の報告が効果がまだ統計的に確認されていない「特定高齢者施策」の費用効果分析を行っていることは問題です。しかも、施策1人当たりの費用は施策の総費用を施策参加者数で割って計算するべきであるにもかかわらず、全高齢者数で割って計算しているため、1人当たりの介護度悪化防止に係る費用の極端な過少推計になっています。岡本悦司氏は、この点を具体的に指摘した上で、「費用の定義と把握の重要性と、分母となる費用次第では結果が大きく左右される経済評価の不確実性を示している」と適切に指摘しています(13)。

しかも、厚生労働省検討会の報告の追跡期間は1年間に限定されており、長期効果はまだ明らかにされていません。

なお、日本福祉大学の徐・近藤氏がa県の7保険者データを用いて独自に行った「新予防給付導入による介護サービス利用回数変化とアウトカム」評価では、通所系サービス利用者では、利用回数減少群の1年後悪化率は利用回数増加群より4倍も高かったとの結果が得られています(15.2%対3.8%)(14)。この結果に基づいて両氏は新予防給付導入による要支援者の給付限度額引き下げにより、介護給付費が増えた可能性を指摘しています。これは、厚生労働省検討会の結論とは正反対であり、今後の検討が必要と思います。

4.転倒予防等の効果についての英語文献レビュー

第4に、さまざまな介護予防事業のうち、国際的にもっとも活発に行われている転倒予防を中心にして、効果と経済評価についての英語文献レビューを検討します。

もっとも大規模でしかも最新の体系的文献レビューは、「地域居住の高齢者の転倒予防」についてのコクランレビューです(15)。このレビューは、様々な転倒予防事業111のランダム化試験の結果を詳細に検討し、運動プログラムは効果がある、ビタミンD摂取や家屋改造は一部グループを除いて効果がない、向精神薬の離脱と白内障手術は効果があるとの結論を得ています。先述した2003~2004年のコクランレビューと比べると、転倒予防の効果がより明確になっています。

このレビューは転倒予防の「経済評価」を行った15試験についても検討し、「転倒予防戦略が試験期間に費用を抑制するとの少しだが限られた根拠(some, although limited, evidence)がある」と結論づけています。しかし15試験の文献を直接読んだところ、この結論は誤りで、むしろ逆であることが判明しました。

まず15試験のうち、介入費用と保健医療サービス費用の両方を明示しているのは9試験にすぎませんでした(242~249頁の「付録4」に一覧表が掲載されている15試験のうち、2、5、7~9、11~14番目の試験。文献名は略)。これら9試験についてみると、介入群の総費用(介入費用と保健医療サービス費用の合計)が対象群の費用(保健医療サービス費)に比べて多いものが6、少ないものが3でした。介入群の方が総費用が多かった6試験のうち、費用を保健医療サービス費のみに限定して比較すると、介入群の方が対照群より費用が少ないものが2試験、差なしが1でした(残りの3は、介入費を除いても、介入群のほうが費用が多い)。この結果は、介入費用を除くと、介入群の費用の過小評価、費用対効果の過大評価が生じることを示しています。なお、介入群の方が総費用が少なかった3試験はすべて追跡期間が1年でしたが、介入群の方が総費用が多かった6試験には追跡期間が2年、3年のものがそれぞれ1つ含まれていました。

他の類似のコクランレビューについてみると、「高齢者の身体機能を改善するための漸増抵抗筋力増強訓練」(ランダム化試験121をレビュー)では、それの短期的効果(1年前後)は確認されているが、「リスクと長期的効果についてのエビデンスは不十分」とされていました。経済評価のレビューは行われていませんでした(16)。同じくコクランレビュー「高齢者の転倒予防のためのポピュレーション戦略」(すべて非ランダム化試験の6試験をレビュー)では、転倒関連の外傷の有意な減少は確認されていましたが、やはり経済評価のレビューは行われていませんでした(17)。

転倒予防の体系的文献レビューで衝撃的なのは、ゲイツ等の「地域・救急医療での高齢者の転倒・外傷予防を目的とした多面的評価と的をしぼった介入:体系的文献レビューとメタアナリシス」です(18)。これは、「多面的評価と個々人のリスクに対応した介入」という効果がより期待できる転倒予防プログラムに対象を限定した19のランダム化試験または準ランダム化試験のレビューです。しかし、介入群と対照群で転倒率、転倒による外傷発生率の差はなく、入院率・救急受診率・死亡率・施設入所率についても差はない、しかも対象をいくつかのサブグループに分けて分析しても差はない、という結果でした。
私が調べた範囲で最新の転倒予防の費用効果分析は、アービン等の「転倒ハイリスクの地域居住高齢者をスクリーニングし、デイホスピタルで[多面的]転倒予防プログラムを行う費用対効果」(ランダム化試験)で、介入群の転倒率は対照群より8%少なくなっていましたが、介入群の総費用(プログラム費用+対象のスクリーニング費用+医療費)は対照群に比べ35%も高くなっていました(19)。

以上の英語文献(レビュー)の結果をまとめると、介護予防のうち実証研究がもっとも進んでいる転倒予防ですら、長期的効果や費用抑制効果は証明されていないと言えます。

5.厚生労働省・政府の介護予防の費用抑制効果試算の「デフレーション」

最後に、いわばオマケとして、厚生労働省・政府が公式に発表した介護予防の費用抑制効果の試算がこの6年間に大幅に減額されていることを示します。

厚生労働省は、2005年に発表した「介護給付費の見通し-ごく粗い試算」で、「介護予防対策が相当進んだケース」では2025年には介護給付費は1.9兆円(17.9%)も抑制できると試算していました。介護給付費は介護費から1割の利用者負担を除いたものですから、2025年には介護費は新予防給付により2.1兆円削減されることになります。ただし、当時の国会論戦で、厚生労働省幹部等が示した根拠はきわめてあいまいでした。

そのため私は、当時、厚生労働省の新予防給付導入の政策的意図を以下のように推察しました。「私は、百戦錬磨の厚生労働省老健局幹部が新予防給付に大きな健康増進効果と費用抑制効果があるとナイーブに信じ込んだとは考えられない。そのために、私は、今回の介護保険制度改革の隠れた本丸は制度存続のための被保険者の拡大による保険料収入の増加だったが、それが挫折したために、保険給付額の抑制しかできなくなり、それへの国民の不満をそらすために、一見口当たりの良い新予防給付の創設を前面に出した、と判断している」(3)。

ところが、本年6月2日に政府の社会保障改革に関する集中検討会議が発表した「社会保障改革案」に添付された「医療・介護に係る長期推計」によると、現在実施されている介護「予防・改善効果」により2025年には介護費用は0.6兆円程度抑制されるとされました。つまり、この6年間で介護予防の費用抑制効果は2.1兆円から0.6兆円へとなんと7割も減額されたのです。この「医療・介護に係る長期推計」は厚生労働省が作成したと思われますが、そのどこにも、この減額への言及はありません。

私は、厚生労働省の現幹部が、6年前の根拠あいまいな「ごく粗い試算」をもはや維持できなくなり、それに代えて、介護予防(要支援1・2に対する新予防給付と特定高齢者施策)により、介護費用を3%程節約できるとの、第4回介護予防継続的評価分析等検討会での、辻一郎座長のまとめ的発言に飛びついたのだと推察しています(議事録5頁)。ただし、この数値はこの検討会の公式資料を含めて、厚生労働省文書のどこにも記載されておらず、あくまで「非公式」のものです。

結論

以上の検討から、介護予防事業が始まってから5年経つにもかかわらず、それの介護費用削減効果は国内的にも、国際的にも、まだ実証されていないことが明らかになりました。私は、今後、適応・対象を限定すれば、介護予防事業の一部については費用対効果に優れているものが発見できる可能性は否定できないと思います。しかし、海外でのランダム化試験の総合的結果と保健医療サービス一般の経済評価の常識に照らせば、介護予防全体に大きな費用抑制効果があると主張するのは控えめに言っても無理がある、厳しく言えば幻想であると考えます。

文献

謝辞:文献検索・収集に御協力いただいた林尊弘氏(日本福祉大学大学院医療・福祉マネジメント研究科)と近藤克則氏(日本福祉大学教授)に感謝します。
[本稿は、2011年6月15日の第27回日本老年学会パネルディスカッションⅠ「介護予防:現状・課題と新たな挑戦」での同名の報告に、一部加筆したものです。]

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2.論文:論文:「社会保障・税一体改革成案」をどう読むか?

(「深層を読む・真相を解く(4)」『日本医事新報』2011年7月16日号掲載(4551号):33-34頁)

政府・与党社会保障改革検討本部は6月30日「社会保障・税一体改革成案」(本部長・菅直人首相。以下、「成案」)を決定し、担当の与謝野馨経済財政相は7月1日の閣議でそれを「報告」しました。この「成案」は、6月2日に決定された政府の社会保障改革に関する集中検討会議「社会保障改革案」を踏襲しつつ、一部修正したものです。

本稿では、両者の異同にも注意しつつ、「成案」のポイントと今後の実現可能性について、医療改革部分を中心に検討します。なお、「社会保障改革案」については、別に詳しく検討しました(「『社会保障改革案』を読む」『文化連情報』7月号、「日経メディカル オンライン」6月16日。以下「拙論」)。
「成案」で注目すべき点は以下の4つです。

閣議決定が見送られた

第1に注目すべきことは、「成案」が「閣議決定」されなかったことです。新聞報道では、消費税の10%までの引き上げ時期が「社会保障改革案」の「2015年」から「2010年代半ばまで」と曖昧な表現に変わったこと、およびそれに「経済状況を好転させること」等の条件が付けられたことに焦点が当てられています。しかし、それよりも、多くの民主党議員や国民新党が反対しため、「成案」が「閣議報告」にとどまったことの方が重要です。

なぜなら、「閣議決定」と異なり「閣議報告」は、少なくとも法的には、菅首相の退陣後に成立する新しい内閣に対する拘束力を持たず、次期首相の政治判断で方針転換がありうるからです。ただし、私はそれは改革のスケジュールに限定され、改革の方向は変わらない(変えられない)と判断しています。

社会保障国民会議最終報告の復活・復権 

2番目に注目すべきことは、それが自公政権末期の麻生政権時代にまとめられた「社会保障国民会議最終報告」(2008年11月)の復活・復権であることです。「拙論」では、私がこう判断する根拠として以下の3つをあげました。(1)改革のスタンスが同じ。(2)両方とも、改革を行うことにより、社会保障費総額、医療・介護費とも、改革を行わなかった場合より増加することを明示した。(3)両方とも、混合診療の原則解禁等の医療分野への市場原理導入(新自由主義的医療改革案)を含んでいない。

これは「社会保障改革案」の評価ですが、「成案」でも同じです。ただし、「成案」の総論には「社会保障改革案」との違いが2つあります。1つは「I-1社会保障改革の基本的考え方」に「『中規模・高機能な社会保障』の実現を目指して」との副題が付けられたことです。「中規模」社会保障との限定は「社会保障改革案」はもちろん「社会保障国民会議最終報告」にもありませんでした。これは「小さな政府」だけでなく「大きな政府」も否定したものであり、今後の社会保障の機能強化に上限を設定したと解釈できます。

もう1つの違いは、「OECD先進諸国の水準を踏まえた制度設計」という、民主党の2009年総選挙マニフェストの表現の復活とも言える積極的表現が盛り込まれたことです。この2つは方向が逆ですが、この間の動きをみる限り、「中規模」の方向が強まる可能性が大きいと思います。

医療の主財源は社会保険

第3に注目すべきことは、医療保障の主財源は社会保険料とされていることです。この点は、「社会保障改革案」と同じです。医療関係者の中には、「成案」の報道から医療保障拡充の主財源は消費税であると思っている方が多いようですが、それは錯覚・誤解です。

なぜなら、「成案」は「個別分野における具体的改革」を行う上での留意点の(2)として、「負担と給付の関係が明確な社会保険(=共助・連帯)の枠組みの強化による機能強化を基本とする」と明記していますし、「消費税を主たる財源とする社会保障安定財源の確保」の項では、「社会保障給付に要する公費負担の費用は、消費税収(国・地方)を財源として確保する」と限定的に書いているからです。つまり、公費負担分以外の社会(医療)保障給付費は従来どおり保険料になるのです。

受診時定額負担と共通番号制度の問題点

第4に注目すべきことは、医療改革の部分で、高額療養費制度の見直しと「総合合算制度」とワンセット(抱き合わせ)で、「受診時定額負担」(初診・再診時100円を想定)と「社会保障・税に関わる共通番号制度」の導入が予定されていることです。私は、この2つの改革は非常に問題が多いと考えています(詳しくは「拙論」参照)。特に3割もの定率自己負担に「受診時定額負担」を加えるのは「禁じ手」です。私は、定額負担の導入とその額の段階的引き上げで、低所得者や複数の疾患を抱える高齢患者の受診率が選択的に抑制され、結果的に「成案」がめざす外来患者の5%減が達成されるのを危惧します。
このような批判を考慮してか、「成案」では「受診時定額負担」に2つの条件・説明が加えられています。1つは、「低所得者に配慮」すること。もう1つは、それにより「病院・診療所の役割分担を踏まえた外来受診の適正化も検討」することです。後者の詳細は示されていませんが、病院の定額負担を診療所よりも高額に設定し、日本の医療制度の特色である「フリーアクセス」のうち病院受診の部分に制約を加える突破口にすることを目指しているのかもしれません。

患者負担の引き上げについては、「医薬品の患者負担の見直し」があげられていることも見逃せません。これの詳細は「成案」本文には書かれていませんが、「別表」には「医薬品に対する患者負担を、市販医薬品の価格水準も考慮して見直す」と踏み込んで書かれています。これは市販医薬品と同等の医薬品の保険外しを目指しているのかもしれません。

医療提供制度改革には新味なし

なお、「I-2 改革の優先順位と個別分野における具体的改革の方向」および「別紙2」の「社会保障改革の具体策、工程及び費用試算」の「医療・介護等」の項に、医療提供制度の改革の青写真が列挙されていますが、「病院・病床機能の分化・強化と連携」等、ほとんどは従来の厚生労働省の方針を踏襲しているだけで、新味はありません。

実は「社会保障改革案」の「参考資料」とされた「医療・介護に係る長期推計」には、「高度急性期」以外の一般医療は「地域に密着した病床での対応」とし「地域一般病床を創設」するとの画期的記述があったのですが、「成案」にはこれは付けられていません。ただし、「長期推計」は厚生労働省がめざしている病院の再編の方向を知る上では、必読文献と言えます。

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3.書評:島崎謙治『日本の医療 制度と政策』東大出版会,2011.

(『医療経済研究機構レター』2011年7月号(No.199):56-57頁)

壮大で重厚、しかも細部にまで気配りが行き届いている。一級の研究書であり、しかも大学院生のための良質の教科書にもなっている。これが本書を読んでの率直な感想です。

著者の島崎謙治さんは、大学卒業後25年間、行政官として医療政策の企画立案等に携わった後、研究職に転じ、現在は政策研究大学院教授を務められています。しかもこの間、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの医療制度の本格的な調査研究も行われています。こんな華麗な経歴と経験を有する島崎さんだからこそ書けた稀有の著作です。

本書は3部、序章と終章を含め12章、全437頁の大著です。序章「問題の所在と分析視角」では、著者の問題意識と本書の分析視角を明快に述べています。第1部(I)「歴史-日本の医療制度の沿革」では、日本の医療制度・政策史を、「医療制度の基盤形成期」(第二次大戦前。1章)、「医療制度の確立・拡張期」(第二次大戦後から国民皆保険成立前後まで。第2章)、「医療制度の改革期」(1970年代以降現在まで。3章)に3分して詳細に分析しています。第1部を読むと、直感的には非合理と思う個々の政策にもそれなりの理由と沿革があり、簡単に全否定できないことがよく理解できます。

第2部(II)「比較-医療制度・政策の国際比較」も3部構成で、4章「医療制度・政策の国際比較」では国際比較の意義を示したうえで、ドイツの医療制度改革を(かなり批判的に)検討しています。それに続く5・6章で米国とスウェーデンの医療制度改革を検討し、「日本への政策的示唆」を示しています。第2部を読むと、医療制度改革の国際的潮流を知るだけでなく、日本の医療制度・政策の国際的位置・特徴を確認できます。著者は「日本の際立った特徴は、(1)職域保険と地域保険の二本建てによる皆保険の実現、(2)ファイナンスは『公』、デリバリーは『私』中心の構成、(3)フリーアクセスの尊重、の3つである」とまとめています(151頁)。私自身は、(3)は今後部分的に修正される可能性があるので、(1)・(2)と同格には置けないのではないか?と感じましたが、他国にはない大きな特徴であることはよく理解できました。

最後の第3部(III)「展望-医療制度の改革の方向性と政策選択」は本書の半分を占め、以下の4つの論点について検討しています。「医療保険制度の基本問題」(7章)、「各医療保険制度の構造と政策課題」(8章)、「医療供給制度の構造と改革の方向性」(9章)、「医療供給の改革手法」(10章)。私自身は、医療分野への市場原理導入論(ただし、著者はこの用語は使っていません)を緻密に検証・批判した7章5「混合診療をめぐる議論の本質と政策論」と9章5「病院の開設主体とそのガバナンス」に大いに共感しました。また、10章3「診療報酬による改革手法」の最後(37頁)で、「医療費をどのように配分するかは、本来、当事者の代表に委ねるべき事柄である」と「当事者自治の尊重」を強調しているのは、民主党政権による「政治主導」へのヤンワリとした批判と推察しました。

最後の終章「総括」は本書全体の「要約・結論および課題」を手際よく整理しています。

著者は「はしがき」で本書の特徴として、次の6つをあげています。(1)医療制度全体をカバーしている。(2)歴史を重視している。(3)先進諸国の医療制度・政策との比較にも相当の紙幅を割いている。(4)社会経済との関係を重視している。(5)医療制度・政策の全体像を俯瞰するだけでなく、一見些細なようにみえても重要な論点は検討している。(6)問題の内容・正確に応じて分析手法を使い分けている。これほど自信に満ちた「はしがき」は珍しいですが、すべて事実です。私自身は、特に(6)に共感しました。

「はしがき」にはもう一つ注目すべきことがあります。それは、「医療政策の基本命題は、医療の質、アクセス、コストの3つのバランスをいかにとるかである」と宣言し、近年(正確には、1987年の厚生省「国民医療総合対策本部中間報告」以来)、医療政策のキーワードとされている「効率」と「医療費適正化(医療費抑制)」を除いていることです。著者は効率化の否定論者ではありませんが、「効率性は有用な価値・利益を費用で除したものであり、分子には医療の質やアクセスが含まれてしまう」ことを理由にして、医療政策の目標として「効率性」という言葉を避けたそうです(17頁)。この理解・スタンスは、医療経済学的に正確なだけでなく、きわめて見識があり、本書の記述の信頼性を増しています。

本書の記述の信頼性を増している著書のもう1つのスタンスがあります。それは、「価値中立的な政策」というアイマイな概念を否定し、価値判断と事実認識を峻別した上で、個々の政策に対して著者自身の価値判断とその根拠を明示していることです(20頁)。

私は著者の事実認識と価値判断の多くに賛成です。しかし以下の3点には疑問を感じました。

第1は、第3章4で「1980年代後半から現在[2010年末時点-二木]までの医療制度改革」が一括して扱われ、2001~2006年の小泉政権の医療政策にも、2009年に成立した民主党政権の医療政策にもほとんど触れていないことです。小泉政権の医療改革は、たとえ部分的とはいえ医療分野への市場原理導入を試みたという点で、歴代の自民党・自公連立政権の医療政策とは異質であり、しかもこの政策は民主党政権で部分的に復活していることを考えると、やはり独立して分析していただきたかったと思います。

第2の疑問は、著者の1970年代の老人医療無料化に対する激しい「憎悪」です。本書全体では著者と異なる主張・政策に対しても冷静な分析・批判が行われているのに対して、老人医療費無料化には「わが国の医療保険制度史上最大の失敗」(64頁)と激しい批判を加えています。著者が指摘するように、老人医療無料化により老人の受診率・医療費が急増したのは事実ですが、これをアプリオリ(先験的に)「モラルハザード」と否定するのは妥当ではなく、それまで老人の「有病率」が高かったにも拘わらず、3割自己負担により抑圧されてきた「潜在需要が顕在化」した側面を見落とすべきではないと思います。

第3の疑問は、7章「医療保険制度の基本問題」で、医療保険制度の正当性のみが強調され、公費負担医療制度との比較が行われていないことです。私自身は、日本では今後も国民皆保険制度を維持・堅持するのが妥当と考えていますが、国際的には公費負担医療制度を有する国が相当あり、しかも日本の社会保障・社会福祉研究者にもそれの支持者が少なくないことを考慮すると、この点にも触れていただきたかったと思います。失礼ながら、7・8章を読みながら、「存在するものは合理的であり、合理的なものは存在するものである」とのヘーゲルの有名なテーゼを思い出しました。<以上40字×75行=3000字>

以上率直な疑問も書きましたが、本書は全体として、日本の医療制度・政策の現状を知り、将来展望を考える上で、最新・最良の著作です。全体を通読するだけでも意味がありますが、「注」も含めて精読すると、一般にはほとんど知られていないたくさんの意外で重要な事実を知ることができます。本評の冒頭で「大学院生のための良質の教科書」と書いたのはこのためで、特に医療経済学を学ぶ院生・若手研究者には必読書と言えます。

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4.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その21):9冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『オックスフォード版医療経済学ハンドブック』
(Glied S, Smith PC (eds.):The Oxford Handbook of Health Economics. Oxford University Press,2011,967 pages)[上級教科書・百科事典]

アメリカとイギリスを中心とした欧米の医療経済学者65人が執筆した、医療経済学の最新の百科事典です。全38章で、以下の7つの大きなテーマが取り上げられています:医療制度の組織、健康の決定要因、医療財政の制度と問題点、医療供給の制度と問題点、パフォーマンスの評価、公正、その他。第1章(序章)冒頭で「医療政策はほとんどの国の中心的関心事になっている」と宣言されているように、医療政策志向が非常に強く、しかも医療経済、医療政策の重要な論点がほとんどカバーされており、実質的には「医療経済・政策学ハンドブック」と言えます。各章は20~30頁で、章ごとの文献リストも充実しています。新古典派の執筆者による章も含めて、新古典派のモデル図や定義式がほとんど使われていないのが特徴です。医学部・経済学部図書館の必置図書と思います。

○『医療の政治・政策[英語重要論文選]』
(Tolleson-Renehart S, Peterson MA (eds.): Health Politics and Policy. Sage, 2011, Volume 1:412 pages, Volume 2:423 pages, Volume 3:292 pages, Volume 4:314 pages)[研究論文選]

1975~2008年に専門雑誌(英語)に掲載された医療の政治・政策に関する重要論文57論文を収録しています。全4巻(合計1441頁)で、各巻のテーマは以下の通りです:第1巻「医療制度の定義-経路依存性と政策の出現」、第2巻「医療政策における緊張-倫理、利害関係と市民」、第3巻「比較の視点から見た医療制度」、第4章「医療制度改革にかかる最近の政治」。各巻冒頭の序文は収録論文を簡潔に紹介しており、これらをまとめて読むと、この領域における英語圏での研究動向(全体像と変遷)を知ることができると思います。

○『医療制度改革[英語重要論文選]』
(Marmor T, Wendt C (eds): Reforming Healthcare Systems. An Elgar Research Collection, 2011, Volume 1:667 pages, Volume 2:623 pages)[研究論文選]

1975~2009年に専門雑誌または単行本・報告書に掲載された医療制度改革に関する英語重要論文53論文(または単行本の1つの章)を収録しています。第1巻「思想(ideas)、利害関係と制度」は次の4部構成で、25論文を収録しています:第1部「理論的アプローチ」、第2部「国際比較のための方法論的分析枠組み」、第3部「医療改革と思想の力」、第4部「医療領域の利害関係とアクター」。第2部「[医療費]抑制(retrenchment)、優先順位と連帯」は次の6部構成で、28論文を収録しています:第1部「国際比較からみた医療改革の教訓」、第2部「医療と市場」、第3部「医療政策と費用抑制」、第4部「優先順位の設定と配給」、第5部「連帯の原理」、第6部「医療改革の予期された結果と予期されなかった結果」。第1巻冒頭の比較的長い序文(25頁)中の各論文の簡単な解説を読んでこの領域の研究動向・全体像を把握した上で、自己の興味がある論文を読むのが効率的と思います。 

○『イノベーションと医療-理論、方法と応用』
(Grebel T: Innovation and Health - Theory, Methodology and Applications. Edward Elgar, 2011,187 pages)[研究書(理論研究)]

ドイツの若手医療経済学者が、新古典派経済学と進化経済学(ネオ・シュンペーター派)を統合した視点から、医療におけるイノベーションの起源と普及を包括的に分析するための理論的・規範的枠組みを提起した野心的著作です。全8章で、章立ては以下の通りです:第1章「序」、第2章「経済学の改革」、第3章「医療経済学」、第4章「医療経済学のイノベーション理論[の確立]に向けて、第5章「医療における知識創造」、第6章「医療におけるネットワークの進化」、第7章「医療技術の普及」、第8章「結論」。理論研究好みの方向きです。

○『肥満の経済的側面』
(Grossman M, Mocan N (eds.): Economic Aspects of Obesity. The University of Chicago Press, 2011, 394 pages)[研究書(論文集)]

アメリカで大きな社会問題になっている肥満について、肥満は個人の選択の結果であり、インセンティブにより個人の行動を変えることができるという新古典派的分析枠組み(信念)に基づいて、さまざまな経済分析を行った12論文を収録しています。いずれも全米経済研究所が2008年に開催したカンファランスで発表されたものだそうです。肥満の社会経済的要因を正面から検討した論文がまったくないことに、アメリカの新古典派経済学者の視野の狭さがよく現れています。

○『高齢期死亡率の国際的格差-諸側面と原因』
(Crimmins EM, Preston SH, Cohen B (eds): International Differences in Mortality at Older Ages - Dimensions and Sources. The National Academies Press, 2010,418 pages)[国際比較研究]

<アメリカの平均寿命は1950年には世界12位だったが、2009年には28位に後退している。平均寿命の短さは、乳児死亡率の高さと青年期の非業の死(violent death)の多さが原因であるされることもあるが、それらの影響を除いた50歳の平均余命(高齢期余命)も29位にとどまっている。アメリカの高齢期余命が、他の高所得国に比べて短い原因はなにか?>本書は、この点を、学際的・学術的に検討した全米アカデミーズ全米評議会特別委員会の報告書です(全14章)。アメリカの高齢期余命が短い原因の候補として、まず喫煙、肥満、身体運動、社会的統合の4つの行動危険因子(behavioral factors)を、次にアメリカの医療制度を、最後にアメリカの教育・地理的不平等をあげ、詳細な国際比較を行っています。さらに、アメリカと同様に、近年、高齢期余命が伸び悩んでいるオランダとデンマークの「事例研究」も行っています。ただし、明確な結論は得られず、本報告書は今後の研究の「出発点」とされています。

○『医療の民主化-政策過程における消費者グループ[の役割の国際比較]』
(Loefgren H, de Leeuw E, Leahy M (eds.): Democratizing Health - Consumer Groups in the Policy Process. Edward Elgar, 2011,261 pages)[国際比較研究(論文集)]

医療政策における消費者運動(consumer activism)の役割、機会とジレンマを、国際比較の視点から、包括的に分析した(おそらく世界初の)ユニークな本です(全16章)。取り上げられている国は、イギリス、アイルランド、オランダ、ドイツ、オーストリア、マレーシア、オーストラリア、カナダ、イギリスの9か国です(第3~15章。ヨーロッパの概況も含む)。最後の第15章では、消費者団体と製薬企業等とのデリケートな(ambiguous)関係も分析しています。3人の編集者はすべてオーストラリア・ディーキン大学所属です。

○『利害衝突と医療の将来-アメリカ、フランスと日本』
(Rodwin MA: Conflicts of Interest and the Future of Medicine. Oxford University Press, 2011,375 pages)[国際比較研究]

<アメリカでは医療分野の利害衝突が大きな社会問題になっている。それは、企業家的に行動する医師、医師と製薬企業との結び付き、営利企業・保険の医師に及ぼす影響等から生じている。このような利害衝突は社会に重大な影響を与えているが、アメリカだけに限られるわけではない>このような視点から、アメリカとフランス、日本における利害衝突の詳細な比較検討(事例研究)を行い、終章の最後(247-250頁)で解決策を提示しています(全11章)。

○『医療のジレンマ-ヨーロッパ3か国とアメリカの[事例研究に基づく]医療制度比較』(Armstrong EG, Fischer MR, Parsa-Parsi RW, Wetzel MS: The Health Care Dilemma - A Comparison of Health Care Systems in Three European Countries and the US. World Scientific, 2011,443 pages)[国際比較研究]

アメリカとドイツの研究者による、合計30もの患者の事例分析をベースにした、デンマーク、ドイツ、スウェーデンとアメリカの医療のユニークな国際比較研究です(全10章)。

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5.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカの]病院の地域での健康増進サービス:文献レビューから得られた知見
(Olden PC, et al: Hospitals' health promotion services in their communities: Findings from a literature review. Health Care Management Review 36(2):104-113,2011)[文献レビュー]

病院は古くから地域・国家の健康で重要な役割を果たしてきた。健康増進はアメリカ医療で注目を集めており、2010年の医療改革ではより重要になるであろう。本論文の目的は、体系的文献レビューによりアメリカの病院の地域での健康増進サービスについての以下の3つの問いに答えることである:(a)健康増進サービスを提供している病院の特性、(b)病院が健康増進サービスを提供する理由、(c)健康増進サービス導入のプロセス。1985~2009年に発表された、アメリカの病院の健康増進サービスについて論じた学術論文255から、事前に定めていた基準を満たした25の実証研究論文を選択して検討し、以下の結果を得た。病床規模、病院システム・連合・ネットワークへの参加は健康増進サービスと正の関連がある。地域の1人当たり所得の中央値、健康増進サービスがすでに存在すること、65歳未満人口、貧困ラインを超える人口、雇用レベルも健康増進サービスと正の関連があった。病院の所有形態、マネジドケア、病院間競争と健康増進サービスとの関連は不明確であった。健康増進サービス実施の理由としては、外的規範、健康増進サービスの地域での普及状況、他病院のサービスを模倣しようとする行動があげられた。地域貢献法(community benefit laws. 非営利病院に免税特権の代償として地域貢献サービスを義務づけた州法)の存在は重要ではなかった。健康増進サービスを実施するために、病院はマネジメント手法を用い、資源をシェアし、地域の諸組織と協同していた。

二木コメント-このテーマについての初めての体系的文献レビューのようです。

○[アメリカにおける]高齢者の[病院]救急診療科受診:趨勢、適切性および満たされない医療ニーズについての文献レビュー
(Gruneir A, et al: Emergency department use by older adults: A literature review on trends, appropriateness, and consequences of unmet health care needs. Medical Care Research and Review 68(2):131-155,2011)[文献レビュー]

高齢者はそれ以外の年齢層に比べて、病院の救急診療科受診が多く、しかもそれにより有害事象を受けることが多い。メドライン等により選択した55の実証研究論文を用いて、救急医療ニーズの評価および初期医療・支持的医療へのアクセスが救急診療科受診に与える影響に注目しながら、高齢者の救急診療科受診の文献レビューを行った。その結果、高齢者の救急外来受診が多いのは「不適切な過剰受診」のためではないことが確認できた。プライマリケア等が充実していれば、相当数の救急診療科受診を予防できることが示唆されたが、それの効果を具体的に検討した論文はほとんどなかった。地域住民全体を対象にした調査研究もほとんどなかった。

二木コメント-アメリカの救急診療科受診についての最新の文献レビューで、日本で同じテーマの調査研究を行う上で参考になると思います。

○アメリカでの[病院の]救急診療科閉鎖に関連した諸要因
(Hsia RY, et al: Factors associated with closures of emergency departments in the United States. Journal of the American Medical Association 305(19):1978-1985,2011)[量的研究]

近年アメリカの病院の救急診療科は減少しているが、救急受診患者は増加している。この傾向は公的保険患者と無保険者で著しい。しかし、病院や地域の特性、市場的要因と救急診療科閉鎖との関連についてはほとんど明らかになっていない。そこでアメリカ病院協会の病院実態調査とメディケアデータを用いて、非農村部に存在する全救急病院を対象にして、離散時間比例ハザードモデルにより、病院の諸特性別の救急診療科閉鎖確率を計算した。救急診療科を有する病院は1990年の2446から2009年の1779へと19年間で27%も減少していた(この間に救急診療科を閉鎖した病院1041、新たに開設した病院374)。営利病院と利益率の低い病院は閉鎖確率が高かった。閉鎖確率は、病院間競争が激しい地域にある病院や、低所得地域の病院でも高かった。

二木コメント-日本でも、この論文を参考にして、救急病院減少の要因についての実証研究を行えると感じました。

○[アメリカでの]高リスク手術における病院の手術数と手術死亡率の動向
(Finks JF, et al: Trends in hospital volume and operative mortality for high-risk surgery. The New England Journal of Medicine 364(22): 2128 -2137,2011)[量的研究]

アメリカではこの 10 年間、特定の外科手術を手術数の多い病院に集中させるさまざまな取組みがなされてきたが、高リスク手術紹介パターンが変化したか否か、手術死亡率にどのような影響がみられたかは不明なままである。そこで、全米メディケアデータを用いて、1999~2008 年に 8 種類の癌手術・心血管手術のいずれか 1 つを受けた患者について、各手術別に、患者が集中する病院(年間手術が最高十分位群の病院)の手術数と市場集中度の動向を調査した。ロジスティック回帰分析により、病院手術数と市場集中度が手術死亡率(死亡退院または術後30日以内の死亡の割合)に及ぼす経時的な影響を評価した。患者特性は補正した。

その結果、病院手術数の中央値は、4 種類の癌切除術(肺癌、食道癌、膵癌、膀胱癌)と腹部大動脈瘤修復術で大幅に増加した。手術によって、病院手術数の多さは、全米の手術数の増加、市場集中度の上昇のいずれかまたはその両方に起因していた。大動脈弁置換術の病院手術数はわずかに増加したが、冠動脈バイパス術と頸動脈内膜剥離術では低下した。手術死亡率は 8 種類の術式すべてにおいて低下しており、その程度は、頸動脈内膜剥離術の 8%の相対的低下から、腹部大動脈瘤修復術の 36%まで幅があった。病院手術数の多さにより、膵切除術、膀胱切除術、食道切除術における死亡率低下の大部分(それぞれ 67%、37%、32%)が説明されたが、その他の5種類の手術術式では説明できなかった(16%~0%)。以上の結果に基づいて著者は、市場集中度の上昇と病院手術数の増加は、一部の高リスク癌手術における過去10年間の手術死亡率の低下に寄与したが、その他の手術については大部分が他の要因に起因していると結論づけている。

二木コメント-ハイリスク手術に限定しても、一部の手術以外は病院手術数と手術死亡率の関係は明らかではないことを、長期間の全国データで明らかにした貴重な研究と思います。

○ドイツの[急性期]病院産業における利潤需要縮小下の市場拡大
(Schwierz C: Expansion in markets with decreasing demand-for-profits in German hospital industry. Health Economics 20(6):675-687,2011)[量的研究]

過去20年間、ほとんどのOECD加盟国では急性期病院は需要に比し過剰供給されてきた。経済政策の視点からは、所有形態の異なる病院が需要の変化にどのように対応するかを知ることは、既存の過剰供給に対処する上でも望ましい。本論文では、1996~2006年の全急性期病院の公式データを用いて、long-difference回帰により、この点を検討した。その結果、需要増加に対する適応スピードについては、営利病院が公立病院や非営利病院より優れていた。しかし、需要が縮小している市場でも、営利病院は主に公立病院・非営利病院の買収により拡大していた。この結果は、短期的には、病院部門の民営化は過剰供給の削減スピードを低下させ、社会的浪費を生んでいることを示唆している。

二木コメント(捕捉)-以上は、本論文要旨のほぼ全訳です。それには書かれていませんが、この論文の前半では、日本ではほとんど知られていない1996~2006年の開設者別の病院・病床数等の変化とその要因が詳細に検討されています。そのポイントは以下の通りです。<病院総数は1996年の2040から2006年の1817へと10.9%減少したが、営利病院のみは1996年の374から2006年の504へと34.8%増加し、病院総数に対するシェアは27.7%になった。営利病院の病床シェアは1996年の5.7%から2006年の13.1%へとほぼ倍増した。この割合は旧東ドイツ地域では26.7%に達している(旧西ドイツ地域では11.0%)。営利病院の病床数増加の66%は、公立病院の買収によるものである。この間の連邦政府の病院医療費削減政策・病院への過小投資により、相当数の公立病院が経営破綻し、営利病院に買収された。しかも、ドイツでは2004年に入院医療の支払いが従来の費用補填方式から、包括払い方式に転換したため、高コスト・低利益率の公立病院は大きな打撃を受けた。ただし、2006年でも、公立病院の病床シェアは49.6%と半数を占めている(非営利病院は36.3%で、1996年の37.1%とほとんど変化なし)。病床利用率は、病院全体では1996年の79.8%から2006年の75.2%へと4.6%ポイント低下しており、特に営利病院では80.3%から73.2%へと7.1%ポイントも低下している。>なお、営利病院の病院数シェア(27.7%)と病床数シェア(13.1%)に大きな乖離があるのは、営利病院の平均病床数が126.4床にすぎず、病院総数の260.1床の半分以下なためです(以上2006年データ)。

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6.私の好きな名言・警句の紹介(その80)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<東日本大震災・福島第一原発事故>

<その他>

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